私のコンピュータ開発史
EUREKA
Mail Magazine「爺放談」
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三  輪   修
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 MIWA Osamu

T. 富士通入社・勉強の時代 〔1959年〜1962年〕
3. パラメトロン計算機
PARAMETRON
3.1 パラメトロン
3.2 武蔵野通研
3.3 FACOM201
3.4 アーキテクチャ
3.5 パラメトロンの功罪
3.6 KODIC-401/402
3.7 PC-1完成50年
PARAMETRON

パラメトロン(parametron)は,パラメータ励振現象を利用した論理素子である.日本電子測器や TDK がパラメトロン素子の製造を手がけた.パラメトロンを利用したコンピュータも開発され,東大・高橋研究室では「PC-1」「PC-2」を開発したほか,電電公社・電気通信研究所は,「MUSASINO-1」を開発した.また,富士通と共同で「MUSASINO-1B」(FACOM201) を開発した.その他,富士通の 「FACOM202/212」 や日本電気の「NEAC1101」「NEAC1201」やなど,パラメトロンを採用した商用コンピュータが多数製造された.
 
3.1 パラメトロン
   昭和29年 (1954年),東大の後藤英一さんがパラメトロンを発明した.このパラメトロンは,磁気コアとコンデンサで構成された共振回路に生ずる発信波の位相が0度か180度をとることを利用して,この位相を2進法の"0"と"1"に対応させた論理素子である.入力データの多数決で出力が決まるので,多数決論理素子と呼ばれた.

  当時の日本ではコンピュータの開発が始まったばかりであり,信頼性に優れたこのパラメトロンに高い関心が寄せられていた.とくに東京大学理学部高橋研究室,電電公社電気通信研究所(現武蔵野電気通信研究所),国際電電が共同で開発を進めていた.また電算機の開発を始めていたメーカ各社もパラメトロン計算機の開発に取り組んだ.

  我が国独自の論理素子を使ったコンピュータに掛ける技術者の夢は,実に勇壮なものであったに違いない.各社から次々と商用計算機が送り出され,国産コンピュータの一時代が築かれるかと思われた.しかし,半導体(トランジスタ)技術の進歩は目覚ましく,このパラメトロンが主役の座にあった期間は短かった.とはいえ,多くの日本人に夢と希望を与えてくれたこのパラメトロンは,もっともっと高く評価されてもいいように思う.

  初仕事はそのパラメトロンを採用したMUSASINO-1B (商用機はFACOM201) の開発であった.

3.2 武蔵野通研
  初仕事は計算機の動作確認テストということになっていたが,実際には設計変更作業であった.つまり設計ミスを修正する設計そのものである.とにかく工場での一応の試験を終えたMUSASINO-1B は,いよいよ武蔵野通研へ納入されることとなった.現地で調整(現調といっていた)する必要があるので,設計課,試験課から担当者が送り込まれた。この現調に行く我々を,人は添付品と呼んだ.
 
  当時計算機は工場で試験を終えると解体され,納入先へ運ばれる.そこで組み立て,現調することになるが,テストプログラムも十分でなかったこともありすぐにはお客様に引き渡せない.数カ月から半年近く現地に留めおかれるので添付品と言われたのであろう.我々も通研の近くの三鷹に下宿して長期戦に備えた.
 
  しかし通研の場合は,遅れ一日あたり 0.何パーセントかの罰金が科せられるので,添付品もそうのんびりはしていられなかった.
  上の写真は,武蔵野通研に納入された MUSASINO-1B とその添付品一同である.
  この現調ではずいぶん苦しい思いをした.論理的な問題はよく考えれば解決できるが,構造や部品に係わる問題の解決は容易ではない.とくに新しい眼鏡型パラメトロンを大量に使うのが初めてであり,新素子固有素子固有の問題に悩まされたものだ.
  一番苦しんだのは振動の問題である.パラメトロン素子の構造と外部から与えられる励振周波数の関係で,素子自身が機械的な振動を起してしまう.この素子の構造が,2MHzという励振周波数に共鳴しやすくなっていたようだ.この結果素子内部では磁歪による妨害振動が発生する.この振動を止めるにはどうすればよいのか.思い余って生みの親である後藤先生に相談した.その答は何と「パラフィンに漬けてみたら」というものであった.
  確かにパラフィンなら溶かして塗ればいいし,その結果重さも変るので共振が止まるかも知れない.ぎっしり詰まったパラメトロンユニットをはず すことはできないので,特別な道具を作って狭いところで1個ずつパラフィンを塗る作業を続けた.しかし結果は変らなかった.
  それからが大変であった.計算機の試験がいつの間にかパラメトロンの振動を止める"クスリ"探しの実験に変ってしまった.しかし面白いもので,窮すれば通ずるものである.
  もう記憶は定かでないが,たしかミクロクリスタルとかいうものを塗ると極めて効果的であることが分った.先のパラフィンを塗った時の道具と手順がまた役にたった.かくしてようやく本来の計算機の試験が安心してできるようになったのである.
上の写真は,試験中の MUSASINO-1B の前で意見を交わす松山さん(左)と寺内さん.

3.3 FACOM201
 MUSASINO-1B で苦労した甲斐があって,これを商用化した FACOM201 は順調に稼働した(写真左下).右下の写真は,FACOM201 とそれに使われたパラメトロン・ユニットである.ユニットには25個の眼鏡型パラメトロン素子が搭載されている.富士通・須坂工場で量産されていた高品質の美麗なスチコンが懐かしい(写真でピンクの素子).
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3.4 アーキテクチャ
 ここでアーキテクチャについて考えてみよう.
 武蔵野通研では早くからパラメトロン計算機の開発に取り組んでおり、1957年には喜安善市・室賀三郎らがMUSASINO-1 (M-1) を完成させている.

 M-1の特徴の一つはイリノイ大学 ILLIAC−1の莫大なプログラムライブラリをそのまま利用することを考え,ILLIAC-1と同じ命令体系(アーキテクチャ)を採用したことである.武蔵野通研のこの試みは今日のソフトウエア互換性の重要性を予見したたものとして興味深い.
([参考書(14)] :情報処理学会30年のあゆみ)


3.5 パラメトロンの功罪
 今年(2002年)1月も半ばを過ぎたある朝,イリノイ大学の室賀三郎先生から突然国際電話がかかってきた.毎年 "Season's Greeting Card"を交換しているとはいえ,先生には1970年と81年に訪米したときの2回ほどお目にかかっただけであったのでビックリした.今年のカードに本 Homepage の URL を書いておいたが,それをご覧になり懐かしくなって電話されたという.先生は,上の(4)で述べたように武蔵野通研のパラメトロンコンピュータ 「MUSASINO-1(M-1)」開発者のお一人である.
 電話でのお話の中心は,パラメトロンの評価に関する当時の関係者の見解であった.お聞きした話をそのままこのページに載せてもいいか訊ねたが,それより「科学」に当時の関係者の話が載っているので読んでみたらどうか,とのことであった.
 
 早速岩波書店の「科学」を調べてみた.ここでもインターネットの力,便利さに助けられた.雑誌「科学」にたどりつくのは実に容易であった.バックナンバーを調べていたら,1999年の9月号に 「特集:高橋秀俊−ある科学者の発想」 [参考文献(19)] とあるのを見つけた.早速その場(岩波書店のホームページ)で購入の申し込みをした.お陰で3日後には2年以上も前の雑誌を手にすることができたのである.その中から「パラメトロンの評価」に関する意見をご紹介する.
 
〈座談会〉いまなぜ高橋秀俊なのか (P.P.735-743 より,パラメトロン関連発言から)
江沢 洋氏(理論物理学,学習院大学理学部物理学教室): 
 高橋先生といえば,まず,完成当時世界中が大騒ぎになったパラメトロン計算機ですね.
今井 功氏(物理学,東京大学名誉教授): 
 私が1957年にアメリカから帰ってきたころ高橋研ではパラメトロンをつかった計算を猛烈にやっていましたね.そのころ和田さんから,計算が遅いのでできるだけ短いプログラムでやらなくちゃいかんと聞いたことを覚えています.
喜安善市氏(情報通信工学): 
 ・・・・あの時代,日本の電子計算機はいろいろなアイデアで世界をリードしていた.少なくともアメリカと互角以上だったと思います. 
 ところが,遅いという欠点はどうにもならなかった.時の流れに抗して,トランジスタの欠点をあげたりして,高橋先生も僕も真意に反してパラメトロンに固執しすぎました.高橋先生も,あれは行き過ぎだった,パラメトロンなんかにあんまり長くうつつをぬかしたから,長期的にみて日本の計算機が遅れを取った,とはっきりそういうことはおっしゃっています.当時すでにできていたトランジスタの信頼度をあげることに努力すべきだった.  
          (下線は筆者付加)
和田英一氏(富士通研究所): 
 ・・・スタンフォード大学のジョン・マッカーシー(John McCARTHY) にいわせると,パラメトロンがあったことは日本の計算機業界にハードウェア不幸であったと. 
 でも,パラメトロン計算機を使って高橋先生も私たちもいろいろなプログラムをつくった.化学科や物理学科の人たちも計算機を使った研究が結構進展しましたよね.そしてわれわれは,ソフトウェアの大切さを実感できたのです. 
 
 なお本誌には喜安善市氏による「パラメトロンの原理と多数決論理」についての解説が載っている.(pp.752-755) 


 電話での室賀先生の話では,武蔵野通研時代に喜安善市氏と「パラメトロン」にどう取り組むかでそうとう議論されようだ.当時のコンピュータ研究者たちの激しい意見のぶつかり合いの様子が目に浮かぶ.

 富士通入社後直ちにパラメトロンコンピュータ「FACOM201」の開発に携わった筆者にとってはパラメトロンはコンピュータの師であったとの思いが強い.パラメトロンが日本のコンピュータのその後に対して良かったのか悪かったのかは結論がでる問題ではない.何とか少ない資源でコンピュータを作りたいそれをいろいろな研究に活用したいという思いがパラメトロンコンピュータを生んだ.その経験を礎にいまの日本のコンピュータがあることもまた事実である.


3.6 KODIC-401/402
 2004年12月21日,東北日米協会のクリスマスパーティが開かれた.そこで,東北大学・未来科学技術共同センター(NICHe) の新川秀一先生にお会いした.会話の中でコンピュータの話が出て,さらに「パラメトロンをご存知か」と尋ねられた.何と先生はかつて光電製作所で仕事をされていたという.
 光電は昭和36年頃パラメトロンコンピュータ KODIC401/402を開発していたとのこと.本ホームページでも「パラメトロン」を取り上げているが,KODIC401/402 についての知識は筆者には全くなかった.
 早速「株式会社光電製作所」をネットで検索してみたその「ショートストーリー」の項に以下の記事が載っていた
  コーデンは、わが国コンピュータ史にもその名を残しています。1957年(昭和32年)には、早くも真空管に替わるパラメトロン素子を使った実験機を完成し、1960年(昭和35年)には科学計算用コンピュータKODIC-401を開発しています。この伝統あるデジタル技術の流れは、主に通信ネットワークの分野において、情報漏洩防止システムをはじめとする独自の情報信号処理技術として結実しています。
 
 株式会社光電製作所は昭和22年(1947年)10月3日に設立され,現在は船舶用無線・航海機器,漁撈計器,土木計測用機器,電波監視装置,情報システム機器等の製造・販売等を行っている.

【参照】 http://www.koden-electronics.co.jp/

 KODIC401/402 のスペックなど資料が無いのが残念である.[下記参照]


 新川先生から KODIC402 のスペックがメイルで送られてきましたので追記します.(12/24)
  光電製作所のホームページに記載のなかった KODIC-402 のスペックを思い出す限り書いてみます。 
   KODIC-402 は、 KODIC-401 が社内試作実験機であったのに対し、商品として製造され、社内用に1システム、日本大学工学部、大阪電気通信大学に各1システム出荷されました。

【KODICK-402:スペック】

方式      10進,16桁固定小数点,ストアードプログラム方式
命令      シングルアドレス方式
素子      パラメトロン, (2Mhz)
主記憶装置  磁気ドラム,4000ワード(10進16桁) 光電製作所自社製
入出力装置  印字装置(黒澤電気製),紙テープ穿孔機,紙テープ読取り機(沖電気) 



 
3.7 PC-1完成50年
 今年(2008年)3月26日,パラメトロン計算機 PC-1 完成50年記念行事が開かれた.
 昨年末,和田英一先生(パラメトロン計算機記念会)から届いた行事案内には,次のように書かれていた.
さて明年,2008年3月26日は,パラメトロン計算機 PC-1が東京大学物理学教室高橋研究室において完成して50年目にあたります.それを記念し,当時の関係者,利用者,PC-1 に関心をお持ちの方をお誘いして,当日の午後に講演会,晩にパーティを開催することに致しました.
50年に一度の会合ですので,なにとぞお繰り合わせの上,ご参集ください.
 「50年に一度の会合」というのが面白いですね.何しろ当時の開発者たちは,ほとんどが齢70を超えているのですから.次回もみんなが集ることが出来たら凄い!


 当日,会場の(株)インターネットイニシアティブ大会議室に100人近い関係者が集った。50年振りの再開を懐かしむ笑顔があちこちで見られた.
  
 東大総長,情報処理学会長(代)の挨拶のあと,講演会が始まった.講演者とテーマは以下の通りである.
 
 あの頃の高橋研究室 和田英一
パラメトロンの歴史 中川圭介
PC-1のハードウエア 相馬 嵩
PC-1のソフトウエア 石橋善弘
PC-1と分子分光学の発展 田隅三生
フォンノイマン特許 三浦謙一
 
 和田先生はじめ当時のパラメトロン関係者が50年前に戻ったようで,聞くものも50歳若返った.あの頃の物造りには熱い心が漲っていたように思う.筆者も一時高橋研で「薄膜(Magnetic Thin Film)」の研究でご指導を頂いていたので,楽しさと懐かしさで胸が熱くなった.
 
 また,当日配布された冊子「パラメトロン計算機」(B5版,左図)には多くの方が思い出などを書かれている.
  
 下の写真は講演会,会場の一コマである.講演者には無断で掲載させていただいた.
和田英一さん 三浦謙一さん 講演会場  パラメトロン回路


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初 版  :
1999.10.10
文 責  :  三輪 修
改 版 :
2007.02.03
 
  2008.05.07 3.7 PC-1完成50年 追加
  2008.10.23 誤字修正