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井草八幡太鼓まつり
《目次》

12日(木) 取材の舞台裏
18日(水) 救済措置
26日(木) わらしべ号の帰還
[写真]
5月3日、どこからともなく大太鼓の音が響いて来た。耳を頼りに自転車を走らせると、 見えてきたのがこの行列。井草八幡太鼓まつりだった。

▼ 取材の舞台裏 12日(木)
連休中のできごと。

4/29
和田サイクルに行ったら、松葉杖担いで自転車に乗る姿を、漫画家の宮尾岳先生に目撃されてしまった。
5/1
ARA編集部の取材があった。我が家の荒川〜白子川〜新河岸川ポタのレポートが着目されて、[直]が取材に同行する事に。  普段は通り過ぎていた場所に、美味しいコロッケ屋さんがあったのを教えていただいた。
(※写真は取材の打ち合わせ風景)

5/2
右足の固定シーネが取れた。封印が解けた足の裏からは見てはいけないモノが....。

5/3
和田サイクルでMR-4Fを買った女性、納車整備が終わると20:00過ぎてしまった。これから江東区までお帰りになるのに、 まだ単独での輪行は難しそうだ。そこで居合わせたネリウメさんと一緒に、中間地点の神田小川町までお送りした。
取材の舞台裏
5/4
何とか松葉杖なしに歩けるようになった。怪我をしてからと言うもの、野菜以外の食料の買い出しは、 QUEEN'S ISETAN杉並桃井店の車椅子貸し出しサービスのお陰で、とても快適に続けられました。サービスカウンターの皆さんも、 暖かく親切な方ばかりでした。立って歩いてご挨拶に伺った時の、皆さんの感動の表情は忘れません。本当にありがとうございました。

5/6
リハビリのマッサージ開始。痛いのでぎゃあぎゃあ喚く。松葉杖を返却した。

5/8
[直]が@nifty多摩川オフに参加。できさんがお子さん連れで登場。久しぶりの人が多数参加で大にぎわい。
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▼ 救済措置 18日(水)
日曜日、いつものように、[み]が和田サイクルで休んでいた時だった。
ミキさんが、勝負車にしているロードレーサー、AMANDA号のヘッドが弛んだと言って、 駆け込んできた。
ヘッドチューブの内径が広がってしまい、ヘッドパーツがスカスカと手で抜き差しできる。
とても危ない。
原因は、ヘッドチューブにかかった過剰な負荷だ。
ミキさんの剛脚を支える剛腕が、ハンドルを引く力を目の当たりにして、一同はうなった。

普通なら、「もうこのフレーム駄目だね」と最後通告が出るか、良くても大手術は避けられないだろう。
しかし和田さんは、飲み終わった伊藤園の缶コーヒーの蓋部分を切り取ると、短冊状の切片を6枚作った。
それを折り曲げて上下に3枚ずつ、ヘッドチューブの上と下に挟み、ヘッドパーツをねじ込むと、 もうそれですっかりがっしり固定されたじゃないですか。
そうか、暫定的にシムを作って隙間を埋めたわけだ。
チューブの外側に残った切片は、何度も曲げ伸ばしを続けて金属疲労を起こし、折り取った。
もう外からは何の痕跡も見えない。
救済措置
見守っていた一同は、安堵に大きく溜息をついて、和田さんの機転と叡智に惜しみない賞賛を贈った。

実はこれは、かつて実用車でよく使われた方法だという。
いにしえの「もったいないオバケ」が出てきて、鮮やかに自転車の寿命を伸ばした瞬間だった。

※夜間撮影により写真はピンボケですが、切片はこんな具合にヘッドチューブ上部に挟まれた。
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▼ わらしべ号の帰還 26日(木)
4月2日に[み]が肉離れになってからというもの、指折り数えて待ち望んでいた日がやってきた。
朝練の定刻ではなかったが、とうとう河川敷周回コースに戻って来たのだ。
途中に立ちはだかる急坂2つと幸魂大橋を越えるには、辛抱強く力を貯え、足を馴らしながら待つしかなかった。
まだ筋肉の引きつれもあるから90rpm以上回せない、頼りない走りしか出来ないけれど、とにかく来たのだ。
などと書いていると、何だかすごい冒険をしたみたいだけど、ここもかつて毎朝通った場所の一つに過ぎないのか。

今はすべてが自分の頭上に見える。
大きく身をかがめたこの姿勢から、果たして次のジャンプが出来るのか、それともそのまま座り込んでしまうのか。
それを考えた時、ひとつ気にかかる事があった。

今年の夏は暑過ぎなければいいなあ。
わらしべ号の帰還
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