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  太平洋岸自転車道(4)/浜松〜島田(御前崎-島田)

2002.11.18


小堤山トンネルの前で

日時 2002年11月18日
場所 浜松〜中田島砂丘〜竜洋町〜
 御前崎〜大井川〜島田
総走行距離 115.79km
総走行時間 7時間16分
平均時速 15.9km/h
[直]自転車 トレンクル(実験機)
[み]自転車 トレンクル(弐号機)

浜松-福田  福田-菊川  菊川-御前崎  御前崎-島田
地図 .....クリックすると別ウィンドウに地図が表示されます。
案内図 .....クリックすると別ウィンドウに案内図が表示されます。

▼ 太平洋岸自転車道:御前崎港〜萩間川 PM14:10〜15:10 70〜82.1km地点

PM 14:10 70km地点
なぶら館を出発した我々は、御前崎港を右手に見ながら、ヤシの木通りを北西に向かった。
そういえば灯台の丘には上らなかったが、日没まであと3時間 しかない。
今はとにかく明るいうちに大井川に辿り付かなければという思いが、ペダルを回し続ける。
X字型の交叉点を通り過ぎると、地頭方(じとうがた)の交差点では、左から国道150号が合流してくる。

この付近の国道に平行して、静岡鉄道駿遠線 [1] の廃線跡があるが、今はそこが整備されて太平洋岸自転車道 に生まれ変わっているはずだった。
後で調べ直すと、自転車道へは 地頭方の西map からも復帰する事ができたのだが、調査不足の我々は分岐点が国道沿いにあるとばかり思い込み、 目印を探しながらひたすら遠渡(おんど)の海岸沿いを北上した。
地頭方の次の 信号map で、[み]が頭上に

 「200m←太平洋岸自転車道

の案内板を発見する。

これ、左折かな?

だが、[直]は[み]の声には反応せず、直進を続けた。

[1]
新藤枝〜袋井間64.6kmを結ぶ軽便鉄道、1970年廃線。

[写真右上]
地頭方交差点。左から合流する赤い路線が、国道150号。

[写真右]
ここで太平洋岸自転車道への案内板を発見。
地頭方付近

[直]は迷子になるのが好きだし、納得するまで走らせた方がいいかな。

諦めて付いて行くこと数分、相良町落居付近でも「190m←太平洋岸自転車道 」の看板を発見する。
今度はようやく[直]も左折した。
100mほど走っただろうか、そろそろ何か無いかと前方に目を凝らすと、突き当たりに小さな丘が横たわって、 その麓の土手にフェンスのようなものが続いているのが見えた。
あれが自転車道なのだろうか。
しかし、今いる道からは土手上のフェンスに近付けないように見える。
不安になって丘の手前で右折、国道と平行に走る細い裏道 を北上し始めた。

PM 14:38 77.2km地点
100mほど走った小さな 十字路map で、左側に車止めと、綺麗に舗装された遊歩道を発見。
たぶんこれが自転車道の出口なのだろう、予想通り、さっきの丘の方角から続いている。
これを遡って確かめてみたい衝動に駆られたが、あまり寄り道をしている余裕は無いらしい、先へ進もう。
対岸となる十字路の右側を振り返ると、細い路地は続いているようだが、自転車道らしいサインが見つからない。

諦めきれずに目を凝らしてガードレールの隙間を睨むと、ガードレールの足に紛れて立っているのは、 あれは白い車止めではなかろうか。
ふと、この自転車道が廃線跡に出来た事を思い出した。
そう思って見直すと、この十字路は何となく踏切に見えなくもない。
なるほど、「試験問題のヤマを張る時は出題者の気持ちになれ」という事か(そうなのか?)。
自転車道(左 [写真左]
小さな十字路の真ん中に立って、向かって左に見えた車止めと自転車道

[写真右]
同じ十字路の右側、ガードレールが邪魔だが、この先にも自転車道が続いている
実際、相良町須々木のその辺りは、少し目線は低いが、電車に乗ったつもりでいた方が自然に思える風景だ。
一見すると昔からある道路のようでいて、微妙に違う
民家との間に露骨に縁石や側溝があったり、出入り口が背中を向いていたり、 遊歩道の敷地ぎりぎりまできっちり作物が植えられた畑が続く。
それに妙にさっぱりして見晴らしが良い。
そうだ、道路に付き物の電柱、ガードレール、標識の類が見当たらないのだ。
何となく、筑波鉄道の廃線跡を再利用した土浦自転車道を思い出したが、 廃線跡の自転車道はどこもこんな感じなのだろうか。

だが、この自転車道も次第に生活に溶け込んでいるようだ。
地元の人が生活道路として使うため、あちこちで車止めが抜かれ、道端に放置されている。
路上駐車はもちろんのこと、油断していると車が走って来るので注意 が必要だ。
ほんの数十メートル右手に国道150号が通っていて、すぐ近くに国道沿いの店と思われる看板など見えているのだが、 やはり「こんな立派な道路を自転車道なんかにしておくのはもったいない」というのが本音なのだろうか。
[右写真]
12
3

[1]
相良町須々木付近を走る。民家の造りが自転車道の側に対しては無防備な雰囲気があった
生活臭のある風景

[2]
道幅が一定しているせいか、先の方まで妙に見晴しが良い。もちろん車のドライバーにとっても気分の良い道だ

[3]
路傍には、抜かれたまま放置された車止めが転がっていた。たぶんこの車止めが本来の場所に戻る事は、 二度と無いだろう
抜かれた車止め
道は田園風景の中を緩やかにカーブしながら、北へ内陸へと向かった後、次第に住宅街に近付き、 小堤山公園を仰ぎ見る汐見台へと至る。

PM 14:45 79.8km地点
そこで 小堤山トンネルmap を前に、ちょいと止まって周囲を見回してみた。
近くに石碑や 案内板(駿遠鉄道の説明) map [2]など建ってはいるが、自己主張が少な過ぎる。
少し離れると住宅街の中に埋もれてしまって、気付かずに前を通り過ぎてしまいそうだ。

トンネルに近付くと、入口のレンガ壁は綺麗に補修されていて、内側も白く塗られて間も無いように見える。
駿遠線の風情を残すのは、その形とサイズだけなのだろうか。
今なら路線バスも通れないと思うが、この幅/高さのトンネルで、立派に人や荷物を運ぶ列車を通していたかと思うと、 駿遠線とは案外頼もしいやつだったのかもしれない。

内壁がしらじらと塗られた(しかも毎度お馴染みの見苦しい落書き付き)トンネルを出ると、そこから先はもう自転車道ではなかった。
でも廃線跡の道は続くようなので、当分楽しめそうだ。
[2] この説明図にあった「静岡鉄道駿遠線の概要」部分を拡大してみたもの→ map
トンネルの少し手前 [写真左]
小堤山トンネルの少し手前、一般公道と交差する。
さて、トンネルはどっちにあるでしょう?

[写真右]
とても列車が通っていたとは思えないほど、小さいトンネル
PM 14:55 79.9km地点
そういえば、浜岡町で買ったおにぎりもまだ口を付けていなかった。
落ち着ける場所が見当たらないまま、ずるずると走り続けている。
喉も乾いてきたし、補給も兼ねて、Isoさんから事前に教えられていた相良町福岡の ヤオハンに向かった。
トンネルから150mほど先の交差点を右折、国道473号を渡るが、スーパーの近くにありがちな人の往き交う気配がない。
案の定、目当ての店はすでに潰れて看板だけが残っていた。
仕方が無いので、隣の自販機で飲み物の補給だけ済ませて出発。

[写真左]
潰れたヤオハンの近くで休憩する[直]

[写真右]
近くで見つけた卵の自販機
相良町のヤオハン跡付近
廃線跡の道に戻り、相良町の中心へと向かう。
小中高校と3つの学校が並び、 道はその裏を通って北東に向かうのだが、学校のクラブ活動中だろうか、女子学生が束になって走ってくる。
水路と学校のフェンスに挟まれた細い路地を抜けると、その突き当たりに萩間川があるはずだ。

[写真右]相良中学校の裏手(だと思う)
近くに学校が
我々は萩間川沿いの道を右折、最徐行して川辺にレーダーを向け、橋を探した。
この辺は地図にも細かい記載が無かったので、ちょっと不安。
一番初めに見つけた青い橋を渡れば良かったのだが、 教えられたルートから外れるような気がして、やり過ごしてしまった。
しかし次の橋は工事中で渡れない、しまった。
作業員の方に迂回路を聞いて1ブロックほどぐるりと回り込み、川沿いの道に戻る。
川に出た [左写真]
12
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[1]左手ガードレールの隙間に青い橋桁が見える。それが渡りそこねた橋だった

[2]次に渡ろうとした橋は、架け替え工事中

[3]川を渡れないまま走り続ける

[4]ようやく橋を見つけて渡った
案内板を見ると、どうやら橋をかけ替えているらしい。
これでは渡りようがないので、次の橋を探してさらに川下へ向かう。
舗装は荒れているが、見通しが良く走りやすい道。
ものの1分も行かないうちに、赤い欄干の橋を発見したが、 この欄干が思ったより低い。
実は[直]はこういう橋は苦手なのだ。
怖いでしょ?」と聞くと 「真ん中走るもん」(笑)
対向車とのすれ違いがなくて良かったね。

対岸へ渡って右折、すぐに前方(萩間川河口)に国道150号の 相良橋map が見えてきた。
津波対策に建造された相良港水門とペアで並んでいるので、遠目にもよく判る。
水門 ちなみにこの水門、榛原郡相良町に建っていた相良城の大手門をイメージしたものだそうだが、 肝心の相良城は城主の田沼意次失脚後、老中松平定信の命によって破壊され、今は城壁と土塁しか残っていない。

PM 15:07 82.1km地点
相良橋に到着。
ここで国道150号を渡り、海岸の側に出なければならないのだが、横断歩道があったかどうか記憶にない。
それよりも、橋の袂に大きく口を開けている 地下道の入口が気になって仕方なかった。
このところずっと平坦で見晴らしの良い道が続いたから、少し冒険がしたくなったのかもしれない。
標識も案内板も無いのでちょっと迷うところだが、[直]はすぐに下りスロープに向かって走り出す。
そして無事に国道の向う側のスロープを上りきると、何となく気分もリフレッシュしていた。

[写真左上]相良港水門に寄り添う相良橋
[写真左下]国道150号を渡る連絡地下通路への入口

▼ 太平洋岸自転車道:萩間川〜大井川 PM15:10〜16:55 82.1〜99.7km地点

PM 15:10
国道150号の海岸側に出ると、太平洋岸自転車道との再会だ。
そこからしばらくは、国道の歩道が自転車道になる。
東進を始めると、やがてこんな自転車をモチーフにした車止めに遭遇したりして、 通りすがりに微笑まずにはいられない。

[1]自転車をモチーフにした車止め
[2]地元住民には農道として利用されている自転車道
[3]相良町(片浜)の案内板を見る[直]

自転車柄の車止め
[左写真]
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農道兼用自転車道
道なりに走り続けると、自転車道はやがて国道から離れ、のどかな田園風景の廃線跡を辿り始める。
御前崎を最後に途切れていた太平洋岸自転車道の 案内板(相良町(片浜)) map を、ここで久しぶりに発見。
そういえば、県道静岡御前崎自転車道線の表示も初めてだ。
御前崎以来延々と走ってきた道の身元が、ここでやっと証明されたような気がした。
ただせっかくの案内板だが、残念ながら我々はこの地図に描かれている道程の殆どを走った後なので、 殆ど役に立たない。
しかもこの先の榛原町は、案内板等の整備が不十分で迷子になりやすいのだ。

案内板では自転車道となっているが、通りすがりに見た別の案内板には、登録車両も走行可能と書いてあったので、 事実上農道である。
ちなみに自転車道の案内板には駐車禁止とも書いてあるのだが、日本人はそんな事を律儀に守る国民ではない。
鼻で嘲って通り過ぎる[み]だが、面白くも何ともない。
ちょっと暗い気持ちを引きずってしまった。

勝間田川map に近付くと、道はまた国道150号に合流し、自転車道は途切れる。
一般道に出た我々は、川を渡ってすぐに右折し、細い農道を南東方向へ向かった。
実はこの時、[直]は完全に現在地を見失っていたそうだが、どうしてなかなか堂々とした先導ぶりだ。
本当は右折もしたくなかったが、GPSの進路は右を示していたので、仕方なくそちらへ向かったと言う。
海岸に向かって走る 道は静波キャンプ場の近くを掠め、ゆるやかに左にカーブして海岸へと到達すると、 ここで唐突に道幅が広くなった。

PM 15:30 88.2km地点
あまりの状況の変化に、[直]の脳裏に迷子の文字が激しく点滅を始める。
一旦停止して位置確認する事にした。
静波の海岸近くの道 [左]
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[1]静波キャンプ場付近。前方に牧場があるのか、サイロが見えた

[2]静波海水浴場沿いの道に到着

[3]遊歩道への車止め。遊歩道はこの先でさらに2本に分かれている
落ち着いてGPSと地図で確認すると、道端の植え込みを隔てた向こうは、 もう静波海水浴場のようだ。
道路の海側にペイントされた遊歩道エリアがあるのだが、縁石も何も無く地続きなので、 夏の海水浴シーズンには駐車場になる事間違いなし。
おまけにこの遊歩道は路面の状態が悪く、ガタゴトとお尻が痛い。

ふと車道を見ると路面が妙に真新しい、こちらだけ再舗装されたのだろうか。
この不公平は承服できないので、交通量が少ないのを幸い越境して車道に出る。
道は間もなく 急な左カーブmap に差しかかり、[直]が海岸に背を向けようとしたその時、 後ろから[み]の喚き声がした。

今度は何? パンクでもしたの?

[み]は防風林の間から見える海を見つめていた。
いや、海岸へ向かう通路の車止めの向こうに、遊歩道を見つけたのだ。
しかも車止めの向こうはすぐに二手に分かれ、そのうちの左の地味な方が、自転車道の続きらしい。
まったく、何だってろくに目印もないこんな場所に、入口が?
いや、よく見ると自転車歩行者道の標識はあった、すっかり防風林に埋もれていたが。
我々のトレンクルでさえ時速20kmで通過するのだから、もっと自己主張してくれないと、 見逃してしまうではないか。

あんな車止め、全然気が付かなかったよ。よく見つけたね。

ふふふ。先導するより追従する方が、周囲を見回すゆとりがあるんだよん。

それからは、久しぶりに海岸沿いを走る。
1kmにも満たない距離だが、潮風を浴びながら走って爽快感に満たされた。
何だかんだ言って、この遮るものの無い直線道路では、 俗世の疲れなど吹っ飛んでしまうのだろうか。
やがて海岸の直線道路は 坂口谷川map の河口近くの右岸に付き当たるので、ここは橋を渡らず左折して上流へ向かう。
ここで 案内板(坂口谷川) map を発見。
[写真左]
またも海岸沿いの直線道路

[写真右]
直線道路は坂口谷川の右岸にぶつかって止まる
海岸沿いから坂口谷川へ
PM 15:40 90.5km地点
坂口谷川の土手は桜並木だった。
まだ少し木が若いのだが、春にはさぞかし素晴らしい眺望になることだろう。
榛原町 細江交差点map で国道150号を渡るが、信号機を振仰いだら、また写真の案内板に出くわした。
坂口谷川に出てから急に案内板の類が増えたのでは?
こうして長い道程の間にいくつかの自治体を横断してくると、きちんと 太平洋岸自転車道としての扱いを受けているかどうかが、 その町の好感度にまで影響するようだ。
ただの歩道として適当にあしらわれていると、自分もそう扱われているような気がして、 正直なところあまりいい感じがしない。
自転車道を走る旅人の数は少ないかもしれないが、轍を残した道へのこだわりはとても強いと思う。
坂口谷川を遡上
[左]坂口谷川の土手の道。左側はずっと桜並木だ
[中]細江交差点で国道150号と交差する
[右]太平洋岸自転車道の案内板
KFCの駐車場にて PM 15:50 92.8km地点
実はそろそろ空腹で力が入らなくなってきたので、細江交差点から国道150号沿いに走ってKFCを見つけて入る。
心身共に暖まって店を出ると、PM 16:15。
おっとっと、外はもう日没寸前だ。
ちなみにこの日の東京の日没時刻は、PM 16:33だった。

[1]KFCの駐車場で主の帰りを待つ2台

[2]細江交差点から少し上流の橋。ここで坂口谷川を渡る。橋は車も通行可なので要注意。 橋を渡るとその先には自転車道が続いている。
榛原郡吉田町を走る [3]吉田町の田園風景の向こうに、小山城(別名:吉田城)が聳える

[左写真]
1
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PM 16:20 93.3km地点
細江交差点まで戻り、仕切り直して再出発。
自転車道は、細江交差点より80mほど上流の といずみはしmap で川を渡って吉田町に入り、国道150号と平行して北東に向かう。
その名も「吉田たんぼ」と呼ばれる田園地帯だ。
ちょうど地元の学生が下校する時間なのか、自転車道を通学路にしている学生たちと一緒になった。

自転車道は吉田中学の近くで途切れるが、そのまま細い一般道へと続いている。
その先で無名の県道と交差するが、交通量が多い上に信号も横断歩道もない。
ここは「一旦右へ迂回し、国道150号の信号を使って県道を渡る」 旨の注意書きがあるので、その指示に従った方がいいだろう。

吉田たんぼの田園風景の中を走り続けると、 前方の丘map に、こぢんまりした城が見えて来る。
これが小山城(別名:吉田城)。
地形図で見ると山脈から離れてぽこんと飛び出た丘で、いかにも築城向きの場所、思わず「うんうん」と頷いてしまう。
黄昏れ時の照明効果も手伝って、たっぷりと旅情を味わったつもりで大いに満足したのだが、後から調べたら、 あの姿は往時のものではなかった。
昭和62年(1987)、かつて物見台があったと言われる三の丸跡に建造された、鉄筋コンクリートの3層5階建ての 展望台施設なのだ。
だから地図にも載っていなかったり、「郷土博物館」と記されているのだろうか。
ちなみにこの建物は国宝の「犬山城」をモデルに造られたが、本来の武田信玄が築いた小山城には、あのような天守閣は無かったという。

国道150号と付かず離れず平行に走っていた道は、にゅ〜んと左へ彎曲して、 ここmap でお城へ向かう道へと合流する。
刻々と近付く天守閣のシルエットに胸が高鳴るが、さすがに立ち寄っている暇はない。
ちょうど小山城駐車場の看板を前にして、右から合流してきた県道34号に道なりに入り、 そのまま県道の遊歩道に入って北西方向へ向かった。

PM 16:35 96.5km地点
ゆるゆると進むうち、左側に真新しい道路(県道230号?)が繋がる┫字路、 遠州神戸(えんしゅうかんど)交差点map に到着、遊歩道はここで途切れる。
ふと前方を見ると、立派な地下道の入口が、殆ど歩道を塞ぐように立ちはだかっているではないか。
屋根には「神戸(かんど)地下道」と書かれた看板が掲げられているのだが、 いったいどこへ続く道なのか、何の案内もない。
道路の右側に太平洋岸自転車道の入口があるはずだと[直]は言うのだが、 県道34号の対岸(交差点の右側)を見ても、それらしいものは見えない。
我々二人で顔を見合わせ「どうする?」と困惑していたところ、 左の道からやってきた自転車通学の女子高生が、つい、と地下道入口の脇をすり抜け、左折していった。

あ、あの脇が通れるんだ。

どこへ連れて行かれるか分からない道より、とりあえず先へ行ってみるのは、気弱になってきた証拠。
次の辻西交差点まで行ってみるが、おかしい、ここは県道79号との交差点ではないか。
我々が探している自転車道の入口は、通り過ぎてしまった事になる。
疲れたところに現在地をロストして、もうパニック寸前 だったかもしれない。
県道34号を渡って引き返しながら、もう一度入口を探すのだが、道路沿いには隙間なく建物が並んでいる。
さっぱり判らないが、もうあまり余裕がない。
暗くなってから街灯の無い、しかも土地勘の無い大井川に入るのは嫌だ。
また道路を渡って辻西交差点まで戻り、県道79号に入って北東へ、 大井川の富士見橋の方角へ向かう事にした。
この時確かに県道と平行して自転車道があったのを知っていたら、 交通量が多くて走りにくい県道など、絶対に走る気がしなかっただろうが。
[写真左]
遠州神戸交差点。右手消火栓の標識の下に、県道230号の看板が見える。

[写真右]
神戸地下道の入口。一見すると、歩道を塞いでいるだけに見えるが、ここを入れば良かったのだ。
神戸地下道の入口
PM 16:45 98.7km地点
県道79号と、たぶん県道34号の抜け道になっていると思われる、交通量の多い道との 交差点map に到着。
信号を渡って目の前の小さな橋を渡ろうとした時だった。
道路の反対側の信号機の傍に、偶然 「←太平洋岸自転車道→」の案内板を発見した。

県道を渡って案内板の根元に寄り付き、左手(北東)を見ると、橋の上から続く綺麗な 自転車道が見える。
振り返ると、道路越しに反対側にも続く道。
あそこを走ってくるはずだった。
県道の荒れた狭い路肩を思うと、自分がひどく虐待されていたようで情けなくなる。
自転車道と遭遇
[左]
県道79号から見えた太平洋岸自転車道の案内板
[中]
我々は、あの道を走ってくるはずだった....
[右]
そしてこれが、これから走る道。黄昏の木立の中に消えていた
この後、我々は自転車道を辿って何事もなく大井川に到着、と言いたいところだが、 道は大井川の手前で、県道79号の右側(南東側)の歩道 に戻る。
ここはきちんと車道から分離されて体裁が整えられているので、少なくとも自動車に怯える事はない。
そのまま走り続けると、やがて大井川沿いの広い道路に突き当たるが、実は その手前map に、写真のような地下道の入口がある。

この先、太平洋岸自転車道 は大井川の富士見橋(国道150号)を渡るのだが、これは海岸側にしか歩道が無い。
県道79号は国道150号の内陸側を通っているので、大井川沿いの土手の道路に出てしまうと、 交通量の激しい国道を渡らなければ橋の歩道に出られない。
しかも国道に行ってみると、そこには信号も横断歩道も無いのだ。

だが土手の道路を経由せず、県道79号から一気に国道150号を渡る 手段がある。
それがこの地下道だ。
国道150号を渡る地下道 [写真左]
県道79号沿いに作られた地下道への入口

[写真右]
案内板の地図。向かって上が海側。大井川沿いの道は省略されているが、この地図画像の左辺がそれだと思えばいい
PM 16:50 99.4km地点
地下道の出口は、スロープ付きの階段になっていた。
トレンクルを押して上がると、そこは大井川沿いの土手上の道路。
横断歩道の向うに赤く塗られた歩道、そして「太平洋岸自転車道」の 案内板(吉田〜焼津?) map と、待望の「おおい川」の看板が2つ、 並んで見えた。

とうとう来たね....。

なんだろう、こみ上げてくるもので胸が詰まる[み]。
[直]と顔を見合わせて破顔すると、塩と砂で固まった頬がひきつった。
だが、浸っている余裕はない。
周囲の地形が掴める明るいうちに、大井川の河川敷まで下りなければ。

それにはまず橋を渡る。
横断歩道を渡って赤い歩道(残念な事に絨毯ではないし、塗装も剥げかけていた)に踏み出した。
富士見橋の全長は不明、案外資料が少ない。
一つ上流の大井川橋が1026mだから、たぶん似たようなものだろう。
橋を渡る間にも、あたりを包む青はさらに濃くなり、対向車のヘッドライトが眩しくなってきた。
[写真左]
土手上の横断歩道を渡る。対岸には「太平洋岸自転車道」と「おおい川」の看板

[写真右]
富士見橋の上。歩道はこの海側にしかない
大井川に出た

▼ 大井川〜島田〜東京 PM16:54〜18:25〜23:40 99.7〜114.7〜115.79km地点
PM 16:54 100.3km地点
橋を渡り終えると、太平洋岸自転車道はそのまま国道150号に沿って東へと続く。
だが我々は、ここから大井川を遡って島田市へ向かうので、自転車道とはお別れだ。
このまま焼津へ向かう案もあったのだが、何しろ島田には今回の旅について、色々と助言してくれたIsoさんがいる。
一言ご挨拶だけでもしておきたい。

薄明かりのお陰で、富士見橋から 左岸の河川敷map に下りるルートはすぐに見つかった。
車止めを抜けて、大井川マラソンコースに入る。
陸上用のトラックと同じ材質なのだろうか、フカフカの赤い路面が続いているのだが、 この上は路面抵抗が大きく大変走りにくい、とても疲れる
しばらく走るとコースの幅半分が普通の舗装路になったので、これ幸いと越境してそちらを走る事にした。

それにしても、御前崎、いや地頭方以来忘れかけていた事が一つ。
しばらく市街地走行を続けてきたので、この日の の強さを失念していたのだ。
川を離れるまでの距離は11.5km、吹き曝しの河川敷を北西〜西に向かって走る。
一番きつい時は時速13kmまで落ちた。
休憩込みの平均時速は10.86km、平地とは思えない速度だ。
一般道に戻る案も出たが、不案内な土地を走るより、多少辛くてもこの方が精神的に楽なので、 このまま走り続けることにした。
肉体的な疲労は当分心配なさそうだが、精神的疲労は事故の元だから、極力避けたい。

斜め前から容赦なく吹き付けるきつい向い風を浴びながら、直が先頭を引いて走る。
西に島田市の灯火が見えてきた。
目的地が目視できた安心感と、[み]の左膝の痛みが少し増してきた事もあって、 新幹線の鉄橋の下map で休憩をとる。
少し休んでさあ出発という時になって、頭上を下り列車が通過、轟音 に飛び上がって固まる2人。
休憩前、遠くから2台の新幹線が橋の上ですれ違ったのを見たばかりだというのに、すっかり忘れていた。
日が暮れて心細くなってきた時に、この音にさらされるのはきつかった。
マラソン道路の直
[左]大井川河川敷のマラソン道路に到着
[中]島田に向かって走る[直]
[右]ヘルメットのライトも点灯
 GPSで現在位置を確認
それから島田までの間にもう一度、橋の下で休憩を取った。
次第に闇が濃くなり、吹き付ける風が疲労感を煽る。
[み]は風避けになるものを探したが、工事用のバリケードしかない。
殆ど素通しで何の役にも立たないが、座ってほんの少し寄りかかって、膝を休めた。
[直]はその間もずっと、歩哨のように立っていた。

PM 17:40頃 約110km地点
木の橋 ( 蓬莱橋map )の下を通過する。
明治12年架橋、橋銭(通行料)50円、長さ897.4m、通行幅2.7m。
世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックにも載っている橋だが、街灯の無い河川敷の暗闇では何が何だか。
走行中は10m先の路面を見るのがやっとで、周囲に何があるのか殆ど分かっていない。
だから、この名所もそれと知らずに通過してしまったが、通りすがりに上を歩く人々の足音が ゴッゴッと響いて、異様な気配がしたのを覚えている。

PM 17:50頃 111km地点
島田市街に近付いたので、[直]は「右側に出る道を探して」と相方に促した。
横井運動場公園map の近くから、土手に上がる道があるはずだという。
だが、周囲の様子がまったく判らない。
止まってトレンクルを持ち上げ、マラソンコースの外に向けてみるが、ライトの届く範囲では 草むらか芝生しか見えないのだ。
荒川沿いの草むらに立っている「マムシに注意」の看板が脳裏をよぎる。
道の目安として、コースに入った時に見たものと同様の車止めを探すが、それも見当たらない。
芝生の向こう、10メートルほど先にうっすらと遊歩道らしき細い通路が畝っていたが、 直接そこに出る道は見つからない。
[直]は違うと首を振った。

その出口、半径どのくらいの範囲にあるの?
100m以内だと思う。
でもGPSの誤差だけでそのくらい出るよね。

次第に苛立ちが募って語気が荒くなる。
最徐行で走りながら探し続けるうち、予定の場所はとうに通り過ぎ、 JRの鉄橋map まで来てしまった。
少し引き返してようやく右に出られる場所を見つけたが、その先は草むらに遮られ、土手までは遠い。
深く繁った草原を見ると瞼にマムシの影がちらつく。
誰だって、夜行性の奴らの縄張りに不用意に踏み込みたくない。
少しだけ、草が刈り取られた場所を見つけておそるおそる突破、河川敷の車道に合流して土手に上がる。
それにしてもこの道、街灯が無い、土手の上なのにガードレールが無い、路肩も狭い、トラックなどの交通量が多いから路面も荒れていて、 これはかなり怖い
怖さは新宿大ガード下といい勝負かもしれないが、こっちの方が距離が長い。
殆ど涙目になりかけた時、前方に┣字路を発見。

あそこから離脱するよっ!

いちいち断らなくていいよ、誰が反対するものか。
島田宿大井川川越遺跡 右折して北東へ進むうち、「川越→」と書かれた看板の前を通り過ぎた。

ん?川越(かわごえ)?

違う、「かわごし」だ。

PM 18:00 112.8km地点
そして辿り着いたのが、 島田宿大井川川越遺跡map の川会所(かわかいしょ)。

[写真左]「国指定 川会所」
[写真右]「国指定史跡 島田宿大井川川越遺跡」
江戸時代、幕府は東海道を始め多くの街道を整備し、その街道を利用して多くの旅人が往来するようになった。
ところが、当時は大井川のように大きな河川に橋をかける技術が無かった [3]ため、旅人が川を渡るには、 担ぎ専門の川越人足の助けを借りていた。
このシステムが川越(かわごし)制度だ。
[3]
当時も浮橋や渡船等の代替案は出ていたので、主に戦略上の理由とする説もある。

川越人足が人を運ぶ方法は、人足1人(水深によっては補助者が必要)が利用者1人を肩車して運ぶ「肩車(かたくま)」と、 利用者と荷物を乗せた輿を4人〜20人で担ぐ「蓮台越し」の2種類があったが、 料金システムは人足1人につき「川札(川越札/油札とも言う)」1枚、さらに蓮台を利用するには、 そのランクによって5段階ある「台札」のどれかを購入する必要があった。
川越業務を運営するために設立されたのが川会所(かわかいしょ)、 ここで料金をその日の水深等によって決めたり、旅人に川札や台札を発行したり、人足の手配などを行ったのである。

水深が四尺五寸(約136cm)を超過すると御状箱(公文書を納めた箱)の他は川留め(渡渉禁止)になり、 5尺(約150cmセンチ)超ではそれも含めて一切の渡渉が禁止された。
水深135cmにしても、人を担いで川幅の広い大井川を渡るのは、大変な事だっただろうと思う。
水が膝を超えたら10m歩くのも大変なのに、途中の蓬莱橋の長さ(897.4m)を想像したら、気が遠くなりそうだった。

さて、奇しくも江戸時代からの由緒正しい場所 で川から上がった我々は、川越遺跡から島田駅方向へ向かって、よく保存された旧街道の町並みを進んだ。
[直]は以前、画家の柳柊二氏から旧東海道の取材をされた時のお話を伺った事があるのだが、 なるほどこれは身が引き締まる思いがする。
ただ、我々が到着したのは何ぶん夜間の事。
木製の灯籠から漏れる灯りに照らされて、街は幻想的 ですらあったのだが、明るい時に見たらどうなのだろう。
見たいような見たくないような....。

やがて我々は道なりに東海道に出た。
交通量は思ったより少なく、走りやすい。
島田駅を目前にして、道端に自動販売機の灯火を見つけて止まり、島田在住のIsoさんに電話をかけてみる。
仕事中の彼に駅前ロータリーで落ち合う約束を取り付けた迷惑な夫婦は、数分後、また東へ向かって走り出した。
PM 18:15 114.7km地点
島田駅map に到着、 観光案内(島田市) map など眺めながら、Isoさんが来るのを待つ。
島田駅の周りは、スケール感が何となく阿佐ヶ谷駅に似ていて、初めて来た気がしない。
だからかな、これから東海道本線と新幹線を乗り継いで、遠く東京まで帰るという感じがしなかったのは。

[1]島田駅の案内板の前で記念撮影

[2]こんなのが迎えに来た。エンジン音と加速が凄かった。
島田駅の案内板の前で
[3]駅舎の前でトレンクルを畳む[直]

[右写真]
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輪行準備完了
待っていると、やたら迫力のある白い車がぐぐ〜んとやってきて、ギュ〜ンとロータリーを回って、 ずざざざざざっ、と駐車スペースに納まった。
何だか胸騒ぎがして、思わずカメラのシャッターを切る[み]。

うわ、やっぱりIsoさんだった。

「Isoさんイコール小径車」の擦り込みがあったから、車も小さめなのかなという先入観があったのに、 まさかこんなので来るとは....。
ドアを開けてニコニコと現れたIsoさんは、ニコニコを続けながら「 美味しいもの食べに行きませんか」と言った。
そういえば、この日の朝から口に入れた固形物は、肉まんとKFCのセットだけだ。
荒川オフの時はもっと食べているのに、この日は「団子より花」だったのかな。
トレンクルと一緒にIsoさんの車で連れて行って貰うことになったので、駅舎の前でトレンクルを畳み始めた。

加藤さんたちの事だから、明るいうちに島田に到着して、もう東京に帰ったとばかり思ってましたよ。

明るいうちに着く予定だったのだけど、チェーンの砂を取ったり迷子になったりで...(苦笑)

そうそう、でもあれからもう随分経ったような、何年も前の事のような気がする。
輪行袋に入れたトレンクルを2台、Isoさんの車に積んで、我々とIsoさん夫妻で、お勧めの料理屋さんへ行った。
お刺身やお惣菜など、どれも京風の優しい味だったが、 中でも千枚漬けの押し鮨(?)が、これは本当に美味しかった。
料理の写真を撮らせていただくつもりだったのに、そんな事はすっかり忘れて、ひたすら箸を動かし続けた。
最後に鰻重が出てきた時はすっかり満腹で、もう1つ胃袋が欲しくなった。
予備チューブや予備タイヤは持って走っているけれど、予備胃袋が欲しくなったのは、今回が初めてかもしれない。
Isoさん、ホントに御馳走様!
今回のこの旅は、Isoさんのアドバイスが無ければ実行するのも諦めていたかもしれない。
関東一円だけでなく、全国各地を走り回って惜しげもなく情報をくれるnifty の仲間がいるという事は、全国どこへ行っても誰かしら気にかけてくれる人がいるという事は、本当にすごい事だと思った。

PM 20:10
そろそろ帰りの列車の時間を気にした方がいいという事なので、慌ただしくIsoさんの奥様と料理屋さんに お別れを言って、またIsoさんに駅まで送っていただいた。
島田駅ホーム 島田駅の東海道本線のホームは人影もまばらでうすら寒かったが、静岡駅までの列車の繋ぎも良く、 新幹線への乗り換えもスムーズで、気持ちが落ち着くと次第に東京へ帰る実感も沸いて来た。

[写真左]島田駅ホームにて
[写真右]静岡駅の新幹線ホーム
だがこの間に、[み]の左膝には少しずつ異変が起きていた。
列車を乗り継ぐ度、ホームからの階段を下りる度に、膝に痛みが走るようになり、 新幹線東京駅に到着した時には、まともに左足に体重をかけられなくなっていた。
[写真左]
新幹線車内の[直]

[写真右]
阿佐ヶ谷駅にて、トレンクルを組み立てた
新幹線車内と阿佐ヶ谷駅
それでも何とかトレンクルを担いで阿佐ヶ谷駅まで辿り着き、自転車を組み立てて走り始めると、 左膝がズキズキと痛み、力が入らなかった。

まあ、右足だけで漕ぐのは慣れている。
左足のアキレス腱が部分断裂した時も、多少の坂なら右足だけで上っていた。
ほんの数カ月前のことだ。

PM 23:40 115.79km地点
仕事場に自転車を置いた後の自宅への帰り道、[み]の左膝には一切の力が入らなくなっていた。
ただそっと足を下ろして体重を預ける事すら、難しくなっていたのだ。
翌日、馴染みの外科から帰ってきた[み]は、主治医の診断では頸骨の骨折だったと告げた。
原因は御前崎での転倒だろう。
[み]はそれからきっちり3週間、膝を固定された上、もう上り坂はダメよと念を押されてしまった。
もちろん、「坂」かどうかは主観の問題だと思っている[み]は、諦めたわけではない(笑) 暖かくなったら、また少しずつ動き出すはずだ。

その時はIsoさん、今度は一緒に走りましょう!



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