[3]テーブルの上の手は、コンタクトレンズをケースに納めたところか。
[4]テーブルの上の鏡に映っているのは、レンズを外して洗浄するまで。
[5]コンタクトレンズの装着が終わったところだと思う。これから1日を過ごす。
[6]「東は東」(1990) ベンボー・ブロック
彼女−マルセラは、コンタクトを装着している間だけ、鮮明な世界が見えている。
そしてその間に起きる出来事は毎日変わり、彼女もそれにつれて変わっていく。
つまりコンタクト着脱の儀式は、彼女の変化の為にあるのだが、それ自体はいつまでも変わらない。
変化する彼女が個性だとするなら、着脱儀式は没個性。
一見、マルセラの個性を表現しているように見えて、実際に表現されたものが没個性の部分とは、不思議な気がする。
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ここでまたひとつ、警告。
丸の内仲通りは人通りも多いので、自転車に乗らずに引いて回る事もあるが、くれぐれも足下に注意する事。
歩道の石畳の境目に微妙な段差があり、よそ見をしていると足を取られる事がある。
実際[み]も試走時の歩行中に足をくじいた。
咄嗟に自転車を支えの杖にしたから転倒しなかったが、かなり危険だと思う。
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次の「東は東」は、の作品群の中で、唯一彩色されたものだ。
青い円は地平線か水平線か、2つの三日月の間にあるのは、雄鹿の角だそうだが、
赤く燃える太陽が炎の舌を差し込んでいるようにも見える。
イスラム文化に精通した作者にとって、「東」は何を意味するのだろう。
それから、今回路上にあって最も自然な驚きを引き出してくれたのが、この「傷ついた大きな頭像」。
地面からぬっと生えた頭は、一見モアイ像のようで、レゲエのおじさんのようで、よく見ると頭髪が指。
あまり苦悩しているようには見えず、みんなユーモラスな顔付きに1度笑った後で、題名を見て「しまった」と口元を強ばらせる。
世界に名だたる法治国家だったはずの日本も、こんな微妙な表情に怯えるほど平和では無くなってしまったようだ。
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