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  BD ML東京ポタ4坂道編3  (2)麻布〜赤坂〜信濃町
2004.01.03

信濃町の新助坂
日時 2004年01月03日
場所 杉並〜東京〜麻布
 〜赤坂〜神宮外苑〜杉並
総走行距離 58km
総走行時間 4時間20分
平均速度 13.3km/h
[直]自転車 トレンクル(実験機)
[み]自転車 トレンクル(弐号機)

(1)永田町〜六本木〜麻布  (2)麻布〜赤坂〜信濃町

▼12:35〜13:10 有栖川宮記念公園〜檜町公園 12.4〜16.7km

本日お昼の燃料補給も一段落して、腹ごなしのお喋りに花が咲く頃、 出発準備の号令がかかった。
昼食時間としては感覚的に短くて、肩透かしを喰らった気分だったが、食事は終わっていたし、 試乗会等に熱中するほど待ちくたびれてもいないので、いい潮時だったかもしれない。

出発すると、有栖川宮通りを北西へ向かい、木下坂の上半分を上った。
愛育病院前を左折して北条坂(ほうじょうざか)を下る。
坂の下に大名北条家の下屋敷があったからと言う、さっきからこのパターンが多いなあ。
最初の角を右折、坂を上り、クランク状に北上して笄(こうがい)小学校と笄公園の間の坂を上る。
決して速くはないが、休憩もしない、同じ速度でジグザグに曲がってラオス大使館とギリシア大使館の間の大横町坂を下り、 霞会館の前を通って六本木通りを右折、霞坂(かすみざか)を上った。
頭上を首都高が走る六本木通りの殺風景な坂だが、説明には「明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、 そこを貫通する道が明治二十年代に開かれ霞坂と呼んだ。」とある。
[右写真]
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[1]
スタッフ用の地図を覗き込む[み]。コースのラインに加え、「狭くて急な坂」等と注意書きがあった。
地図を覗き込むみ
[2]
準備を整え、スタートを待つメンバー。ちなみにBD-1はトップチューブに座るのに具合がいい。

[3]
笄(こうがい)小学校の横を北上。

[4]
角を曲がると名も無い坂が続く。
笄小学校付近
六本木6丁目交差点を右折すると、テレビ朝日通り
この付近は大規模な再開発で六本木ヒルズという高層ビル街へと姿を変えたが、そのメインストリート「けやき坂通り」の南側、 さくら坂通りが、 かつて玄碩坂(げんせきざか)のあった場所だそうだ。
近くに玄碩という僧が住んでいたのが名の由来だが、往時の写真を見ると、旧勾配を表すエンボス加工の鋪装の細い坂道が、 住宅地の中をうねうねと続いていた。

都道319号線を越えて北上を続けると、芋洗坂(いもあらいざか)。
ここに芋問屋があったからだという、これも解りやすい名前。
緩やかに上って突き当たりを一番右手の路地へ入り、また緩い坂を上って外苑東通り六本木5丁目の交差点へ出た。
六本木ヒルズプレジデンス [左写真]
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[1]
六本木ヒルズのメインストリート、けやき坂通りを走る一行。目の前には六本木ヒルズプレジデンスが聳える。 ちなみに賃貸のお家賃は60〜450万円/月の高級マンション。

[2]
昔は芋問屋があったという芋洗坂。「芋を洗う」は混雑の形容と言うのも、何かの暗示めいている。

[3]
六本木5丁目交差点を北へ渡ると、この袋小路に突き当たる。公園でもないのに公衆トイレだけはあった。

[4]
この袋小路、実は左手にこんな狭い路地が続いていた。小気味の良い下り坂で、左側崖下には六本木墓苑が垣間見えた。
芋洗坂をしずしずと進む
お助け隊の(助)kitさんが叫ぶ。

ええっ!、こんなとこ知らないよ。試走では通らなかったよ。

「まあまあ、幹事がミキさんだし....」と(助)ネリウメさんがなだめる。
どうやらミキさんは、迷走好きな[直]より油断がならないらしい。
しかもミキさんは他人を楽しませるためにやらかすので、ある意味妥協が無い。

突き当たりから先、狭い路地をクニクニと左方向へジグザグに進むと、六本木通りへ出る少し急な上り坂。
クニクニ以降は名を丹波谷坂(たんばだにざか)、またしても旗本岡部丹波守の屋敷があったからだそうだ。
六本木通りを北へ渡ると、最初の十字路を左折して上り坂、右折して上り坂、防衛庁に突き当たったら右折、 坂を下り、左折して檜坂(ひのきざか)の下りを堪能すると、 次の休憩ポイント「榎町公園」だ。
現防衛庁の敷地にあった長州藩中屋敷は、檜の老樹があった事から「檜屋敷」と呼ばれ、檜坂の名前もそれが由来だという。
[左写真]
榎町公園入口で臨時に案内係をする[み](写真中央上の地味なやつ)。

[右写真]
公園で休憩。結構メゲてきている。
檜町公園

こうして坂は消化したけれど、胃袋の中身は踊っていた。

ちょっと腹ごなしにはハードですね、満腹になるまで食べるんじゃなかった。

満腹と言っても、普段の平地走行なら問題無い程度だが、坂はまた格別だった。
他にも「きっつぅ〜」「苦しい〜」と、互いの顔を見れば呻きあう姿。
次第にメンバーの結束は固くなっていった。

▼13:20〜13:55 檜町公園〜迎賓館 16.7〜20.6km

檜町公園を出た一行は北東へ向かい、氷川会館の前を右折して坂を上り、 続いて氷川神社の南西の本氷川坂(もとひかわざか)を上った。
長く曲がりくねった坂で、面白い。
上りきると眼前にはTBS放送センターが聳えていて、参加者から「おお!」と声が上がった。
行く手にTBSが見える 突き当たりのアメリカ大使館宿舎を左折、坂を下って、宿舎の敷地の終わりの十字路を左折すると、また下り。
突き当たりを左折すると、転坂(ころびざか)の下り。

ここは転坂と言うそうですが、転ばないように。

とスタッフの注意が飛ぶ(笑)
江戸時代から道が悪くて、通行人がよく転んだのでこの名が付いた。
傾斜はそれほどでもないが、微妙に斜面がうねった下り坂が続き、スピードは出しにくい。
突き当たりを右折、下り、突き当りを左折、また下り、突き当たりを右折すると、久しぶりの平地だ。
赤坂小学校の脇を通って、さらに北上する。
しかしこの下り坂に続く平地が、心に大きな隙を作っていた。

[左写真]行く手にTBS放送センターが見える。
突き当たりの角を曲がると、稲荷坂(いなりざか)の上りがあった。
メンバーから一斉に唸り声が上がる。
昔この坂の北にあった円通院の稲荷社が、名の由来だというが、これまでと違った赤い鋪装の急坂だ。

しかし、心の準備が出来ていない。
[み]が坂に取り付いてしばらくは軽いギアに身体が合わせられず、振動で全身が踊る。
中腹の路地の前を横切る頃、何とかペダリングが安定して、もうこのまま行けるかと思った時、 背後から車の気配がした。
さっきの脇道にいた車だろうか。
前にいた人は、その気配で自転車から降りて脇へ寄ったが、[み]はこの傾斜でバランスを崩さずに着地できるかどうか、 自信が無かった。
少しでも重心が狂うと、また前輪が浮きそうだ。
腹を据えて足を溜めると、ギアをもう1段軽くする。
焦らず、ゆっくり、ゆっくり、もう坂の上は見ないで、ハンドルを引き、ただひたすら等速運動を続けた。
やがて少しずつ腕が楽になり、もう赤い鋪装ではなく前を見ていられるようになると、そこが坂の終わりだ。
急いで自転車を左へ寄せると、車は安心したように右折して去っていった。
もちろん、[み]もほっと安堵した。
[右写真]
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稲荷坂
[1]
おのさんの後ろは、ゴンタさんかな。荒川でよく見かける人は、ただ自転車に慣れるだけでなく、 逆境にも強くなれるようだ(笑)

[2]
続々と上ってくる人達。難しいと判断すると、経験者が率先して早めに自転車を下りてくれるので、 走り慣れない人も無理をしないで済む。

[3]
Challenge Mistralのうっきーさんは、笑顔でサムアップする余裕もあった。
うっきーさんもサムアップ
この稲荷坂は、途中一度クランク状に折れ曲がった後、さらに北へと続く。
日本コロムビアの前を過ぎると、坂は下りに転じるが、実はこれも稲荷坂だったりする。
その先400mほど下った後、左手に階段が見え、その前でスタッフが待ち受けていた。
丹波坂の下の騒ぎ 西尾丹後守忠政の屋敷にちなんで付けられたという、丹後坂(たんござか)だ。
今回唯一の階段の坂、さすがにこれは、と見上げて溜息をつく人々。

人によっては間髪を入れずに愛車をひっ担ぎ、軽い足取りで階段を上り始めるが、 中には担いだ経験が無い人や、左端のスロープを利用するしかない車体もある。
そこにすかさず、待機していたお助け隊が駆け寄り、メンバーが自転車を押し上げるのを手伝ったり、 代わりに担いだりと、大活躍だ。
Newモールトンとしょうちゃん号 [左写真]
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トレーラー付きの2台 [1]
丹後坂の下は、到着した参加者と赤いベストのお助け隊で、混雑した。

[2]
肩の上に担ぎ上げられていくNewモールトン。

[3]
重量級しょうちゃん号は、スロープを押したが、傾斜がきつく転倒の怖れがあるので、しょうちゃんのバスケットは、 (助)ネリウメさんが別途運搬。

[4][5]
トレーラーの2人組も(助)kitさんが手伝って押し上げ。

[6]
トランジットコンパクトのkikuyan、BD-3の平野さんも担いで上った。手前の女性はトレンクルだから、もう軽々。

[7]
さすがに担ぎ慣れている[直]
kikuyanや平野さんたち、そして直
リカンベントも担ぐ押す
[8][9]リカンベントも担いだり押したり、それぞれやりやすい方法があるらしい。

一行は全員が階段を上り終えるのを待って自転車に乗り、突き当たりで牛鳴坂の下りを背に向けて左折。
それから山脇学園を左手に見ながら右折、ゆるやかな弾生坂(だんじょうざか)を下る。
この西側には、代々弾正大弼(だんじょうだいひつ)を努めた吉井藩松平公の屋敷があったという、 これは珍しく役職が坂の名称になったもの。
次の交差点で、目の前に青山通りの開けた空が広がった。
道路の対岸にある豊川稲荷は、普段より人通りは少ないくらいだ。
やはり都心には人がいないのだろうか。
信号を渡り、左手の緑を眺めながら弾生坂の続きを下る。
その時[み]は、左に見える塀の内側が赤坂御用地だという事を、すっかり忘れていた。

[1]
階段を克服した2台のサポートカー(?)は、再び走り出した。

[2]
右前方に豊川稲荷があったが、初詣での掻き入れ時だろうに、あまり人影を見かけない。

[3]
交差点で右手頭上を見上げると、凧のディスプレイ。羊羹で有名な虎屋のビルだった。
サポートカーのような2台
[右]
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青山通りに出た
広い道路を左折すると、上り始めの勾配は緩い。
白いタイル貼りの歩道は、よく整備されていて心地良く、前を走るSHIGさんはぐんぐんと速度を上げて、 小気味良く遠ざかって行った。
[み]も速度を上げて追い付こうとして、はっと気付いた。

[み]:ねえ! ここ、紀伊国坂(きのくにざか)じゃないの?!
[1]
紀伊国坂を上るSHIGさん。
[2]
2003年9月撮影、ママチャリ22号から撮った紀伊国坂。もう少しで迎賓館日本閣の門。
[3]
これも2003年9月撮影の紀伊国坂遠景。みんなは写真左側、歩道の突き当たり付近から出てきたはずだ。
[4]
上から見た紀伊国坂。2002年4月撮影。
紀伊国坂のフラッシュバック [左写真]
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紀伊国坂
ピンポ〜ン!
さすがに何度も走っただけの事はあるね、でもその割には進歩が見られない[み]。
前回同様、迎賓館日本閣の門が見えたあたりで顎が出てきたので、慌ててペースを落とす。

弁解になるけれど、実はこの坂、広い車道と頭上を塞ぐ首都高に騙されて、勾配が緩く見えるのだ。
錯角が油断を生んだ上に、予想以上に長い距離という伏兵があるので、上り始めに頑張ると、 そのダメージが後半になって効いてくる。
案の定、何とか体勢を立て直した[み]の前にも、SHIGさんのトレーラーが戻って来た。
後ろの方でも足が吊りかけた人がいたし、見かけの割に曲者な坂なのだった。

ちなみに紀伊国坂という本屋さんのような名前の由来は、 現在は赤坂御用地に当たる左側の塀の中にある。
江戸時代にはここに、紀州(和歌山県)徳川家の広大な上屋敷があったのだそうだ。
迎賓館と御所の敷地全部が上屋敷とは、時代劇で見るような大名屋敷のせせこましさからは、想像もつかない規模だ。
[左写真]
迎賓館正面の広場で休憩する一同。

[右写真]
ものはついでなので、平素の静かな迎賓館正門前。2003年9月撮影。
迎賓館の前で

坂を上りきると、左手には白塗りの柵が続き、奥から豪奢な迎賓館が姿を現わした。
右手の石畳の広場には、パトカーが1台。
ここは設宴のある日はパトカーだけでなく、輸送車も列を作って物々しく警護しているので、とても広場に入れる雰囲気ではないが、 幸いこの日の催し物は無いようだ。
しかし80台で押し寄せた自転車の群れに対し、パトカー1台だけでは心細かったのか、お巡りさんは少し緊張していたようだった。

▼14:05〜14:25 迎賓館〜神宮外苑 20.6〜23.8km

迎賓館前を出発 10分後、最後尾が到着して息を整えたら、出発だ。
騒々しい一行が動き出した時、パトカーの窓の中に、安堵する警官の顔が見えたような気がした。

行列は車道に出ると、迎賓館の西側に沿って鮫河橋坂(さめかわばしざか)を下る。
江戸時代、ここには涌水を水源として東南の赤坂の溜池に注ぐ、鮫川が流れていた。
そこにかかっていた鮫川橋が、一時はこの地の地名となり、今は坂の名に名残りを留めていると言う。

[左写真]迎賓館前を出発する、賑やかなパレード。
通常なら坂を下りきり、次の安鎮坂(あんちんざか)を上ればゴールの神宮外苑だが、 先導するミキさんは南元町で右折、中央線と首都高の高架下へと潜り込んだ。
ああ、神宮外苑が遠ざかる!

明るい戸外から暗いトンネルに突入した直後、一瞬のブラックアウトに悲鳴とも雄叫びともつかない声がこだました。 だがそれも長くは続かない。
目が慣れたと思う間もなく、すぐに橋脚の間から外の光が射し込み、一行は秘密基地のようなこの光景に、 すっかり童心に帰ってはしゃいだ。
行き止まりフェンスの上は、たぶんJR信濃町駅だったのだろう。
お助け隊の右折の指示に従って、橋脚の間へと姿を消した先頭グループから、今度は別の悲鳴が上がった。

[右写真]
JR中央線と首都高の高架下。信濃町にこんな抜け道があったなんて、ちっとも知らなかった。
中央線の高架下

そこには、都会の峡谷の底から空まで駆け上がれと言わんばかりの、 助走路のような新助坂(しんすけざか)が立ち塞がっていた。
この坂は、昔この付近に住んでいた新助さんの名を貰ったらしいが、他に「スベリ坂」の別名もあり、 そちらの方が説得力があると思う。
坂の上には「行き止まりのため自動車は通行禁止」の旨、看板が立ててあるが、坂の途中のマンションの住民の車はどうなのか、 その辺がどうも怪しい。
新助坂の下から 坂の下は、少なくとも明治時代から今と同じ構造だったらしく、甲武鉄道のトンネル門があったそうだ。

[1]
高架下のトンネルから出ると、頭上に向かって突き出るように、新助坂が聳えていた。
オオタさん、小十郎さん
[2]
ママチャリの猛者、オオタさんは頬を上気させて完走!

[3]
UGOマイクロ14で突破、不敵にもピースサインで締めくくる小十郎さん。

[4]
[直]は結局殆どの坂を押さずに上った、嘘つき。よく見ると背後にオレンジ色の中央線の列車が見える。
[右写真]
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涼しい顔の直

勾配など見た目は圧倒されるが、おかしな癖が無く、他の通行人さえいなければ、比較的上りやすいと思う。
だが問題は、ここに来るまでの疲労の蓄積。
もちろん加藤さんちの2人も疲れてはいたが、これまで体力温存手抜き走法が功を奏したのか無事クリア。
[み]は安全な場所まで退避すると振り返り、のんびりカメラを構えていた。
次々と通過する人々。

あの人は大丈夫、さすが。あの人は疲れたのかな、でもまだ笑っている。次は....来た来た、元気だなあ。

その時、坂の上からこの様子を見守っていたメンバーの間に、どよめきが起こった。

モロさんだ!

立ち上る陽炎の向こうから姿を現わす本命の貫禄。
ピストと言うだけで充分ハンディになるのに、トレーラーまで曳いているのだ。
いつ押しても誰も咎めないだろうに、彼はまだ上っていた。

もう脚力だけでは踏みきれず、右へ、左へと大きく身体を揺らし、体重を総動員している。
しかしあと数メートルで頂上!という時になって、道幅一杯使って蛇行が始まり、そして全ての動きが凍りついた。
しんと静まり返る瞬間、見守るみんなの息も止まった。
ぐぐぐ、モロさんの額が紅く染まる。
「うん!」とタイヤが動き出した時、それと連動するように、見ていた人々の心肺も動き出した。
それから「おお!」と歓声。
坂の上に到着した時、彼はもうヒーローだった。
モロさん [左写真]
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[1]電柱の影から見え隠れ

[2]あわや失速寸前!

[3]苦悶に全身が震える

[4]リカバリ成功

[5]ゴール!
おのさんとくいくいさん [左写真]
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SHIGさんとSHIRAKIさん [1]
そう言えば、おのさんもスタッフの赤ベストだ。

[2]
DAHONのくいくいさん(だと思う、間違ってたらごめん)。この人が意外と走り屋さんらしい。

[3]
SHIGさん。トレーラーを曳いたFrogは、充分な実力を示してくれた。

[4]
青いジャージは本日最長老のSHIRAKIさん。ただし、niftyでも若いもんに混じってロードを駆るツワモノだ。

[5]
うっきーさんも登頂。

[6]
最後は押した和田さん。でも、しょうちゃん号の重量は決して軽くは無いので、これが普通。

[7]
Air Llamaで軽々とまめさん。

[8]
危なげなく登頂した、きのしたさん。しかしBARONを正面から見ると、ちょっと....。
うっきーさん、和田さん
まめさん、きのしたさん
まあ、こんな感じのスペクタクルが5分間ほど続いた後、一行は隊列を整え、再び出発した。
西側を仰ぐと、CBSソニースタジオの看板が見える。
だが一行は東側へ、下り坂へと向かった。
左手にもとまち公園を見てまた左折、団地の西側を回って北上、突き当たりを左折して、また坂を上る。
外苑東通りを渡って東京電力病院の南の坂を下り、すぐ北上、クランクを折れて突き当たりを左折するとまた上り坂。
この頃には、どこを引回されているのか見当が付かなくなり、神宮外苑に到着するのは日没後かもしれないと、 何故だかそんな気になっていた。
再びクランクを折れて次の十字路を左折すると、慶応義塾大学医学部の西側を通る下り坂。

しかし大学病院へ差しかかる頃には上りに転じ、再びJR中央線の高架下を潜って、木陰の地道を抜けると、 その向こうは周囲の木立とは不釣り合いなのっぺりした舗装路、それに見覚えのある青い看板。 見たような場所?
そりゃそうだ、11月の荒川サイクリングの帰り道で通ったばかりの、国立競技場前だ。
市中引回しの刑で方向感覚も距離感も失われ、ゴールの存在すら忘れかけていたのに、唐突に神宮外苑の中にいたなんて。

[1]
「ここを渡ると終点です。」スタッフの声が響き渡ると、周囲から一斉に溜息が漏れた。

[2]
神宮外苑の絵画館前広場。一昨年の東京ポタのゴールも、ここだった。

[3]
おや、前輪の無いトレンクルが運ばれてきた。
国立競技場近く
[右写真]
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ゴールに到着
ここが終点です。

絵画館前の広場に、スタッフの声が響き渡った。

[み]:ふう、やっと終わった。

ふっと、操り人形の糸が切れた。
あとから到着した人たちも、自転車を停めるなり放心状態だが、それにしては周囲が慌ただしい。

パンク、トレンクルがパンクした!

トレンクルと聞いて、ピクリと動いたのは[み]。
広場に到着寸前に前輪をパンクしたので、おのさんがホイールを外して修理を試みたが、 それよりゴールして落ち着くのが先決と、今しがた運ばれてきたのだった。
でも全員が揃ったら、パンク修理はひとまず後回しにして、すぐに集合写真の記念撮影だ。
謎和田さんのペアバイクのハンドルに取り付けられた三脚に、おのさんのカメラを固定してパチリ。
それからさいごにもう一度お助け隊が整列して、ミキさんの締めくくりの挨拶。

....行き届かない事があったかもしれませんが....

とんでもない。
80人集めてこれだけ入りくんだルートを、殆どトラブルらしいトラブルも起こさず終えるのだから、 立派なものだ、これホント。
記念撮影に集まる
スタッフ挨拶 [左写真]
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[1]絵画館の前で記念写真を撮影。

[2]横から見たところ。

[3]幹事とお助け隊の挨拶。
解散のアナウンスが出ると、バラバラと散りかけるメンバーを引き留めて、今度はBikeFridayのオーナーが集まって記念撮影を始めた。

それを背中に聞きながら、こちらはトレンクルのパンク修理だ。
修理班のおのさん、モロさんを始め、何人ものギャラリーが人だかりを作った。
原因は、何かが刺さった穴だった。
タイヤの方にも3mmほどの穴が出来ていたが、裏からパッチを貼ればしばらくはもつだろう。
チューブもパッチを貼れば終わるかと思われたが、問題は穴だけではなかった。
この前輪は、長く使われているうちにチューブとタイヤが貼り付いてしまい、引き剥がす時にかなり強くチューブを引っ張っているのだ。
パッチだけでは持ちこたえられないかもしれない。
我が家の予備チューブ[1] を....と思ったが、持ち主はブチルチューブ(ゴムチューブ)しか使った事が無いので、こんな面倒なチューブでは返って迷惑かもしれない。
困っていたら、幸い赤松の仏式ブチルチューブを持った岡山さんがいて、1本供出してくれることになった。
よかった! やはり大勢のメンバーが参加するオフだからこそ、大勢の人に助けてもらえるのだ。

[右写真]
タイヤの内側にパッチを貼って応急処置をするおのさん。右側の手は、古いチューブにパッチを貼っているモロさん。 結局、古い方のチューブもモロさんが調べた結果、まだ使える事がわかったので、予備チューブとして返還した。めでたしめでたし。
トレンクルのパンク修理
修理が終わって今度こそ本当に解散、と腰を上げたおのさんに、ミキさんから赤いベストの回収/保管依頼が入った。

おのさん:いいけど、これ次回着る時に酸っぱくてもいい?

「酸っぱい」と言うのは、どうも汗の臭いの事らしい。
みんな汗だくになって走り回ってくれたのだから、当然だ。
結局おのさんが洗って保管する事になったのだけど、お世話になったお礼にクリーニング代くらい補填出来ないかな。
会費を取って運営するのは大変だし、カンパもプレッシャーになりそうだから、何か他の事で。
そこまでは考えられるけれど、とりあえず加藤さんちに出来るのはレポートを完成させる事くらいか、情けないな(笑)

[1]
現在、加藤さんちのトレンクルは全て仏式ブチルチューブに交換されているが、あまりの便利さに、 それまで買い置きしてあった純正ポリウレタンチューブの使い道が無くなり、予備チューブとしての余生を送っているのだ。
ちなみにポリウレタンチューブは空気が抜けやすい上、通常のゴムのり&パッチでの修理は出来ない。

▼15:20〜16:25 帰路

真冬の日没は早い。
気が付くと午後3時を回り、太陽はオレンジ色に色付き始めていた。
加藤さんちの2人は帰路、いつもの裏道を使い、和田さんを和田サイクルまで案内するつもりでいた。
そこで念のため希望者を募ると、他にも何人かいるようだ、やっぱり和田サイクル隊結成だった。

走り出してすぐ、一行は代々木から西新宿の高層ビル街へと突入。
荒川サイクリングの帰り道と同じルートで、青梅街道の裏道を走り抜け、荒玉水道道路できのしたさんとうっきーさんが、 妙法寺でNewモールトンが離脱するのを見送った。
帰り道 [左写真]
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[1]
地下鉄国立競技場駅の前を通過する杉並方面隊。
和田サイクル到着 [2]
妙法寺は初詣での縁日で賑わっていた。たこ焼きの匂いが誘いかける。

[3]
16:25、日没寸前に和田サイクルに到着。お疲れさま!

初詣で客で賑わう妙法寺や大宮八幡宮の前を、お参りもしないで素通りする時、ちょっと心が傷んだが、 明るいうちに和田サイクルへ着きたい一心でひた走る。
西荻商店街の見慣れた角を曲がり、最後の直線道路に入った時、疲れた顔の[み]を気遣ってか和田さんが冗談を言った。

和田さん:この帰りですっかり汗かいちゃったよ、坂ポタの最中は殆ど汗かかなかったのに....最後の坂、 上れるかなあ?
[み]:そ、そんなまさか(笑)

和田さんは今でこそ走る暇もないほど仕事に追われているが、以前は1日に300kmも走った人だ。
もちろんこの後の坂だって、和田さんは問題なく上りきった。

和田サイクルに到着すると、その主がしょうちゃん号を格納する間、みんなで休日のシャッターの内側を観賞した。
普段は店頭に並んでいる自転車が、びっしり詰め込まれた店内を覗き込んだ時、 奥の院の御開帳にも似た得体の知れない畏怖に満たされた。
新年早々、何やら御利益がありそうだ(そんなバカな!)。


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