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天使のルナのちょっとした失敗
がいこつめがね 神様の時計 いまどきのイノシシ
天然知能水 くもねんど ゴックン博士の大発明


天使のルナのちょっとした失敗 (「月刊タウン誌 はりま」収載)
 天使のルナは大忙し。  下界で大きな戦争があり、多くの人間のたましいが天国に来ます。 青白く光るたましいを、新しく生まれてくる赤ん坊に吹きこむのが、おもな 仕事なのです。  「おっとっと」  ルナは天国広場の雲の端から、落っこちそうになりました。  冷や汗が出ます。地上の家々は豆粒みたいです。 (落ちたら助からないだろうなあ・・・)  汗をぬぐってから、ルナは自分の頭を軽くたたきました。  ルナには羽があるのです。  しかし、羽があっても、とつぜん落ちたら、なかなか体勢がととのわず、こ わい思いをするでしょう。  ルナは改めて下界をのぞきこみました。  目もくらむ高さです。なのに天国広場のはしの雲は相当いたんで、だれかが 乗ればくずれそうです。  (これも、しゅうりしなくちゃ)  ルナはため息をはきました。  たった一人で何もかもしなければなりません。いま、地球天国のたんとう天 使は、ルナだけなのです。  神様は神殿でひるね中です。 「あーあ」  ルナはなげきながら、せっせとたましいをつかみはじめました。  「どうだな」  神様の声がしました。  ルナがふり向くと、神様が大あくびをしながら、白いひげをしごいています 。 「あと少しで終わりです」 「そうか、赤ん坊いがいに入れてはダメだぞ」 「はい」   ルナはすなおに返事しました。本当は、ちょっと腹がたちました。たまし いは赤ん坊にしか入らないのです。 「どれ、人間どものようすを見るか」  また、大あくびをしました。  そして、神様は天国広場をふらふらと、歩いていきます。 (ようすなんか、たまにしか見ないくせに・・・)  ルナは、仕事にもどりました。  神様ときたら、眠っていることの方が多いのです。でも、ルナにもんくは言 えません。なにせ宇宙をつくったのは神様なのですから。  ルナがさいごのたましいを入れ終えたとき、「アッ」という叫び声がしまし た。  ルナが顔を上げると、神様が、天国広場のはしの雲をつきやぶって落ちてい きます。ねぼけているせいか、ただもがいています。 「か、神様!」  ルナは叫びました。  あわてて下界をのぞきこみます。  神様のすがたはぐんぐん小さくなります。 「助けて!」  というひめいも聞こえました。  さすがに神様です。「助けて」とは言っても、「神様、助けて」とは言いま せん。  ルナの見ている間に、とうとう神様は地上にたたきつけられてしまいました 。 (どうしよう・・・)  ルナは地上におり、神様のしがいのそばにたたずみました。  頭がぼんやりしています。  と、神様の体から、神様のたましいが、すっとぬけ出ました。 (たましいは赤ん坊に・・・)  ルナは神様のたましいをつかむと、近く生まれる赤ん坊に吹きこみました。 そして生まれた赤ん坊を、そっとつれだして、天国にもどりました。 「神様」  と言っても赤ん坊は泣くばかりです。 (しかたないなあ、雲のしゅうりをしなかったのは、ぼくが悪かったんだし・ ・・。でも、神様もねぼけているから・・・)  ルナはため息をつきました。  というわけで、天国はしばらくの間、お休みです。赤ん坊が大きくなるまで 。  でも、大きくなっても、もとどおりになるかどうかわかりません。  なぜなら、ルナが赤ん坊のおしめをかえようと、おむつをぬがせたとき、  こうつぶやくのが聞こえました。 「しまった、あわてたものだから・・・。女の子だった・・・、まあ、いいや ・・・」                          おしまい


がいこつめがね (「海とめんどりとがいこつめがね」収載 '83 神戸新聞出版センター刊)
ターくんは朝起きると、庭に出て、眠っているイヌのポロスケにそっと近づ く。 右足で風を切って、ポロスケのお尻を蹴飛ばす。それから、牛乳を一息に飲 んで、大きな欠伸をする。これが、ターくんの一日の始まりである。 「顔を洗いなさい!」 お母さんが高い声を出しても、ターくんは欠伸をしている。 涙の滲んだ目を、キョロッと動かす。 ネコのニャン太郎を見つけた。 ロケットみたいにターくんは飛び出すと、ニャン太郎の尻尾を掴む。 「フギャー!」 逆さまに持ち上げて、二、三回まわしてから、手足を押さえ込んだ。 まず髭を切る。毎日切られるので、ニャン太郎の髭はすっかり短くなった。 小さなバスケットに押し込み、紐でつるして、ぐるぐる回す。そして、パッ と手を離す。よたよたになったニャン太郎の頭を抱えて、マジックで眼鏡を書 く。 「ウーッ、ウーッ、ウーッ・・・」 ニャン太郎がうなった。  ターくんはマジックの底で、ニャン太郎の頭を小づいた。 「フンギャー!」 ニャン太郎は大人しくなった。 毎朝、毎朝繰り返されるので、ニャン太郎の目の回りは、小さなレコード盤 が二つ乗ったみたいになっている。 なにせ、ターくんは五歳だから、扱うのにニャン太郎がちょうどいい大きさ なのだ。ポロスケでは少し大きすぎる。 「よし、おわり!」 ターくんは白い歯を見せた。 ニャン太郎を放り出して、また欠伸をした。 「ん?」 ターくんはニャン太郎を見た。いつもなら、放り出された途端に、逃げ出す ニャン太郎が、ターくんの足元からじっと見上げている。 「なんや、どなした?」 ターくんは首をつきだした。 ニャン太郎の目が光った。 「あれっ?」 ターくんは目をしばたいた。 ニャン太郎の目の回りの黒い輪が、細くなった。色が薄くなった。 ターくんはニャン太郎の顔を覗き込んだ。黒い輪は、どんどん細くなる、色 も薄くなる。黒い色が灰色になり、見ている間に白っぽくなって、毛の色と区 別できなくなった。 「けったいななあ?」 すっかり輪の消えたニャン太郎は、頭を一つ振ると、表へ走っていった。 ターくんは口を開けたまま、頭をかいた。目の回りがもぞもぞとかゆい気持 ちがした。 「なんで眼鏡、消えたんやろ?」 ターくんは目をこすりながら、庭を見た。 「ん?」 ポロスケがいない。灰色の塊が見える。 「ポロスケ! ポロ・・・」 息が止まった。 背中がヒヤリとした。 足が細かく震えだした。 ポロスケはいない・・・。 そのかわり・・・・・・・・、がいこつがいる。灰色のイヌのがいこつが、 寝そべっている。 「が、が、が・・・」 口の中が、からからになった。心臓が縮まって、身体が震えた。 「が、が、がい、がい・・・」 ターくんは後ずさりした。 駆け出した。 「お母さん!」 台所に飛び込んだ。 「お母さん! ポロスケ、がいこつ! がいこつ、ポロスケ! お母さん、ポ ロスケが・・・」 「どうしたの?」 ターくんは唾を飲んだ。  食卓の前にがいこつが立っていた。 「ターくん、どうしたの?」 がいこつのあごが、カタカタッと動いた。 ターくんはきつく目を閉じた。 ゆっくりと開く。 がいこつが、じっと暗い穴ぼこの目を向けている。 「気分でも悪いの?」 ターくんはごくりと喉を鳴らすと、頭を振った。 「変な子ねえ・・・?」 がいこつの口がパクパクッと動く。 ターくんは息をこらすと、足に力を込めた。 一歩、二歩・・・。 台所の戸に背中が当たった。 クルリと振り返る。 「ウ、ウ、ウギャーッ!」 走り出した。 「が、がいこつ! が、がいこつ!」 叫びながら、ターくんは寝室にすべり込んだ。 「お、お父さん! がいこつや! お母さんが、がいこつや!」 布団の中から、お父さんがこっちを振り向いた。 「なんや、うるさい!」 ターくんの足は、布団の側でとまった。 「どなしたって?」 お父さんの太い声だ。けれど、布団の中から、腹這いでこちらを向いている のは、がいこつなのだ。 「なんや、一体?」 がいこつは片手にタバコを持ち、新聞を広げている。 ターくんは荒い息を吐いた。 「なんや、なんにもないんやったら、顔でも洗え!」 がいこつの口からタバコの煙が飛び出した。 ターくんは裸足のまま、庭に飛び降りた。 がいこつのポロスケが、ターくんを見上げている。 (ポロスケも、お母さんも、お父さんも・・・) 心臓が百メートル競走をした後みたいに打っている。 (みんながいこつや・・・) ターくんは大きな息を吐いた。 顔を上げると縁側の柱に、鏡が見えた。  ターくんは飛び上がると、ひょいと覗き込んだ。 丸いほっぺ、ドングリ目玉、かわいい自分の顔だ。 だが、目の回りに黒い輪が二つ。 ターくんは両手で輪をこすった。だが黒い輪はとれない。 (みんながいこつやし、ぼくには輪があるし・・・) 涙がじんわりにじみ出てくる。 (どうしよう・・・) ターくんは靴を履いた。 門を出る。 「ア・・・」 足がとまった。息もとまった。 (が、がいこつ?) 向かいの家の前を、がいこつが掃き掃除している。 「あらっ?」 がいこつの手がとまった。 「おはよう、ターくん、おでかけ?」 向かいのおばさんの声だった。 「ウ、ウ、ウ・・・」 ターくんは、門の中に駆け込んだ。 「ハッ、ハッ、ハッ・・・」 胸が苦しい。ほっぺが熱くなって、目の裏が燃えるような気がした。 「い、いやだ・・・」 涙の粒が落ちた。 (みーんな、がいこつだ・・・) ターくんはずるずるっと門の影にへたりこんだ。 手で、顔を覆った。涙が指の間から流れていく。  風がほほを撫でた。 「ニャウ」 小さな鳴き声がした。 ターくんは顔を上げた。 黒い鼻が見える。 (ニャン太郎?) 元の姿のニャン太郎が、ターくんをじっと見上げている。 (ごめんな・・・) ターくんはニャン太郎の頭を撫でた。 「ターくん、そんなところでどうしたの? ご飯よ」 エプロン姿のお母さんがいる。 「お、お母さん!」  ターくんはお母さんに飛びついた。 そして、大声で泣き出した。 「あらあら、どうしたの?」 ターくんはお母さんの柔らかい胸に、顔をぎゅっと押しつけた。 後ろで、ニャン太郎が、ニャーゴと鳴いた。 了             『海とめんどりとがいこつめがね』                      神戸新聞出版センター刊 所収


神様の時計 (「月刊タウンはりま118号」収載 '84 刊)
神様は昼寝をしていました。 キューピッドのユウは、天国広場から、「神様じょうろ」を使い、地上に向 かって水をまいて遊んでいます。この水は、ほんの数滴で、地上では傘を広げ るほどの雨降りになるのです。 ちょっとまいては止めるので、地上の人間達は、空を見上げては首を傾げ、 雨が降り出す度に、あわてて走り出します。 ユウはしばらくこの遊びに夢中でしたが、やがて、大きなあくびをしまし た。 その途端に、手が滑りました。 「あ・・・」 声を上げたときには、じょうろは水をまき散らして地上に落ち、壊れていま した。 ユウは青くなって飛び上がりました。 小さな茶瓶ほどのじょうろですが、数滴で雨を降らせる不思議のじょうろの 中身が全部出てしまったのです。 「どうしよう・・・」 ユウは震えだしました。 地上は大洪水です。動物や人間達の悲鳴が聞こえてきます。 「そうだ!」 ユウは神殿に向かって駆け出しました。 「神様時計」を思い出したのです。 天国のものは総て神様のもので、一つ一つに不思議な力を秘めています。そ の中でも神殿広間にある金ぴかの時計は特別で、これだけはキューピッドや天 使には手を触れることが出来ません。神様でさえめったに触れないのです。 ユウは二度、神様がその時計を触るのを見たことがあります。 まず広間をきれいにして、神様自身も身を清めます。それから長いお祈りを して時計に手を伸ばします。 この宇宙を作ったのは神様ですが、その神様を作ったのは時計だというよう な扱いです。 実際、時計は凄い力を持っています。 一から十までしか文字盤に数字はありません。その奇妙な時計の針はまた、 一本しかないのです。 この前、神様が触るのを見たときは、針は八時を指していました。そこで人 間達が三度目の大戦争を起こしかけたので、神様は針を一に戻したのです。す ると地上はいっぺんに地球の出来始めに還ってしまいました。 その前に見たときは、針は十のすぐ近くで、神様は何故か、慌ててこれを一 に戻しました。そうするとやはり地上は地球の出来始めに戻ってしまったので す。 つまり時計は、時間を元に戻すことが出来るのです。 「あの針を、ほんのちょっぴり戻せば、ぼくが神様じょうろを落とした前の状 態にかえるはずだ」 ユウはこっそりと神殿広間にもぐりこみました。 神様は寝室でまだ眠っているはずです。 ユウはコチコチと時をきざむ金ぴかの時計に近づき、蓋をそっと開けまし た。 時計の針は十の近くを指しています。 ユウはおそるおそる、針をほんのわずか九の方に押しました。 一瞬、宇宙中の光が瞬きました。 時間が戻ったのです。 ユウは息を吐きました。 これで地上は洪水前の状態に戻っているでしょう。壊れたじょうろも元に戻 っているに違いありません。 「すごいちからの時計だなあ」 ユウはつくづくと時計の丸い文字盤を見つめました。 一から十までしか文字のない時計。十まで行くとまた一から。 「あれっ?」 ユウは思い出しました。初めて神様が時計に触るのを見たとき、神様は何故 か慌てて、十の近くになった針を一に戻したのです。戻さなくともほっておけ ば自然に十は一になり、新しい地球の出来始めになるはずなのです。 (そうか、きっと今生きている人間達に、やり直しをさせてやろうというお心 なんだ) ユウはそう考えながらも、もし、自然に針が十を過ぎ、一になった新しい地 球や宇宙はどんなのだろうと思いました。 そして、その思いを押さえきれなくなりました。 時計の針は目に見えぬほど戻したものの、十の近くを指しています。 神様は昼寝の最中です。 (十を越しても、昼寝の最中に自然になったと思ってだろう・・・) ユウはゆっくり手を伸ばすと、針を十の方向にぐっと押しました。 針が十を指したその時、宇宙中の光が爆発したように瞬きました。 でも、ユウは新しい宇宙も地球も見ることは出来ませんでした。 なぜなら、時計の針が十を指したと同時に、ユウも、神様も、神殿も、天国も 地上も、そして宇宙さえも、煙のように消えていったからです。 新しい宇宙はなかったのです。ただ何もない空っぽの中で、あの時計の音だ けが響いています。 もちろん、これを書いているぼくも、消えかかっています。みなさん、さよ うな・・・。        了


いまどきのイノシシ (「明石大門17」収載 '97 明石ペンクラブ刊)
 とても霧の深い日でした。 男は金の入った鞄を抱えて、山の中をさまよっていました。人をだましてお 金を持ち逃げして、追いかけられたのです。しばらく身を隠すつもりで、寝袋 と食料を担いで山の中に入ったものの、どうやら道に迷ったようでした。 「なに、地図もコンパスもある、寝袋に食料もあるし、この辺りの山は深くて も、熊が出るおそれはない」 そう思って、三晩は過ごしたのです。  霧は晴れるどころかますます濃くなって、ほんの二、三メートル先が見えま せん。 「弱ったな、もう追っ手はまいたと思うが、そろそろ街に戻らないと、最後の 缶詰もなくなって、本当に腹が減ってきたぞ。山中で餓死なんぞした日には、 なんのために危ない橋を渡って金を手に入れたのかわからなくなる」 男は雑木林の中の倒木に腰を下ろしました。 その時です。 「どないしました?」  すっとぼけた感じの声がしました。  男は心臓が口からでそうなほど驚きました。どう考えても人がいる場所では ないのです。  声の方を向いて、今度は息が止まりました。  目の前にイノシシがいます。 「どないか、しはった」 「お、お前が喋っているのか」 「そう、わてが話してま」  確かにイノシシです。 「い、いの、いの、いのしし、イノシシ・・・」 男はかっと目を見開きました。 「ここは、人間世界ではありまへんで、山の中、イノシシかてしゃべりま」 「ああ、し、しかし・・・」 「まあ、わてが親切に、どないしはった、って聞いているのやで」 「え、道に、道に迷って、街に、街に出たいのだが」 「ああ、あの空気の臭い、ごみごみして、ぎすぎすした、灰色の巣へ戻りたい のでっか」 「あ、ああ・・・」 「ま、いいでっしゃろ、教えたげまひょ。ここを真っ直ぐに上がって、とんが り岩を右に折れて、二股松を右斜めに下って、十歩進んで、はげ地面を左に折 れて、道なりに進んで、猿の木を左に折れて、窪地を右に下って、ああいっ て、こういって・・・」 「わ、わからん、覚えられん」  指を折りながら道を覚えていた男はわめくように言いました。 「そうか、そらそやな」  イノシシはぶるっと鼻をふるわせました。  牙が二本、男の方を向いています。 「よし、そうでんな、これ、貸したげまひょ」  イノシシは思い切ったように言いました。 男がきょとんとしていると、イノシシはどこからか眼鏡を持ってきました。  真っ黒な分厚い縁のついた、丸い眼鏡です。 「こ、これはなんだ」 「これはな、イノシシ眼鏡。掛けると道が見える、案内板も見える。人間には 見えんけれど、動物の山には、動物語で書かれた案内板が至るところにありま してな、この眼鏡を掛ければそれが見える。人間には人間の文字として読める はずや」 「動物語ねえ」 男は首をひねりながらもそれを受け取りました。 「イノシシ圏の端までは送ってあげまっけど、あとはその眼鏡で帰るとええ。 眼鏡は谷の出口の一本松に掛けておいてや」 「うむ・・・」 「ほんなら、荷物を持ったげまひょ」  男は、寝袋と現金の入った鞄をひもで結び、イノシシの背中に振り分けまし た。 「ほな、いこか。でもこれ結構重い荷やな、なにがはいっとうねん。さつまい もなら一つ分けて欲しいが」 「い、いや、寝袋とか、財布とか、地図とか、まあいろいろと」  男はあわてて言いました。 「おまえはん、金持ちなんか」 「え、ああ、か、金はうなるほどある」  イノシシに金のことを話しても、誰にも漏れる気遣いはありません。 でも、イノシシがにやりと笑ったことに男は気がつきませんでした。 真っ直ぐ上がって、とんがり岩を右に折れて、二股松を右斜めに下って、十 歩進んで、はげ地面を左に折れて、道なりに進んで、猿の木を左に折れて、窪 地に出たところで、イノシシは止まりました。 「ほな、ここまでな。ここから先はイノシシ眼鏡を掛ければわかるさかい」 「あ、どうも」  男は尊大に頷きました。 荷物を持って、眼鏡を掛けると、なるほど、至る所に看板が見えます。 「イノシシ進入禁止」 「この先急カーブ」 「イノシシ制限速度二十キロ」 「猿のモン太の家」 「こネズミの館」 「犬立図書館この右折れる」 「カラスの勝手でしょ」 「泥棒に注意」 「爆走、イノシシ軍団」 訳の分からないものもあります。 「なるほどこれは便利な眼鏡だわい」  男は歩きながら感心しました。 山の様子が手に取るように分かります。 ほんの一時間も歩いたでしょうか。 いつの間にか谷の出口に男は立っていました。 人間の造った道路が目の前に延びています。 一本松が長く枝を伸ばしていました。 「ふん、この眼鏡、もらっておこう」 男は、眼鏡をポケットに入れると、そそくさと街に向かいました。 ホテルに落ち着いて、早速鞄を開けてみた男の顔が引きつりました。 「金がない」 鞄の中には札束はなく、小枝がぎっしりと詰まっています。 「く、くそっ、あのイノシシやろう」 狐や狸にだまされる話は聞いたことがありますが、イノシシにだまされるな んて聞いたことはありません。 翌朝、男は猛りくるって山に向かいました。 一度通ったところです、イノシシ眼鏡がなくても、もう道は迷いません。 「やい、イノ公、でてきやがれ」 男は叫びました。 「なんや、この間のお方やないか」 イノシシがもっそりと現れました。 「か、金を返せ」 「金」 「そうだ、おれの金を返せ」 「そりゃ無茶な言いがかりや」 「なんだと」 「イノシシが金を盗って、どうしまんねん」 「な、なに・・・」 男は言葉に詰まりました。確かに冷静に考えて、イノシシが人間のお金を盗 っても仕方ありません。  イノシシはにやりとしました。 「それより、イノシシの眼鏡、返してくれはりましたか」 「あ、当たり前じゃないか」 「そうでっか、ほな信用しますけど、使用規則を破ってあれを使うと、とれん ようになりまんで」 「なんや、とれんようにって」 「いや、返してくれはったんなら、それでよろしいけど」 イノシシは男の顔を見て、また、にやりとしました。 男はやましいところがあるので、不安になりましたが、なるだけ冷静そう に、山を後にしました。 ホテルの部屋でテレビをつけても、金のことばかり考えます。 金がなくなっても、これからだました人と警察に追いかけられ続けなければ なりません。 「くそっ、金はどこへいったんだ」 男は歯ぎしりをしました。 「しかし、イノシシの眼鏡を大量に作って売り出せば・・・」 いいことを考えついたと男は胸ポケットからイノシシの眼鏡を出そうとしま した。 「ない」 眼鏡がどこにもありません。 「使用規則を破ると、とれんように」 男はイノシシの言葉を思い出して、あわてて顔を触りましたが、眼鏡はあり ません。しかし、何か妙な感触はあるのです。 「なにが、とれんように・・・」 男は洗面所に入りました。 男の顔がゆがみました。 目の回りに黒い縁の眼鏡が皮膚の上に黒々と書かれているのです。 「あっ」 男はあわてて、洗い流そうとしましたが、眼鏡は取れません。 「イノシシの眼鏡がとれなくなった」 呆然とたたずむ男の後ろでテレビのニュースが流れていました。 「K市では、盗まれた札で、大量のさつまいもが買われました。買った男は丸 い黒縁の眼鏡を掛けて、マスクをして、山の方に向かったそうです」 男の顔が引きつりました。 「泥棒に注意」 山の中の看板がまぶたに浮かびました。                               おわり



天然知能水
 龍一がそれを見たのは、学校の帰りに寄り道をした初めての場所のコンビニ だった。 「あれ、新しい店か、ヘブンマートン・・・」  おかしな名前だ。セブンイレブンとファミリーマートとローソンを合わせた ようだ。 「ま、どこでもいいや」  その日発売のマンガ週刊誌を手に取った後、誰もいない店内を一周して、冷 蔵庫の隅に「知能」という字が見つけたのだ。  思わず立ち止まって引き戸を開けてみると、冷気とともに五百ミリリットル 入りのペットボトルから「知能」という字が浮き出てきた。 「なんだ、これ」  出してみると、薄青い液体の入った、ただのペットボトルである。 ただ、ラベルには「飲むだけで知能十倍」「天然知能水」「限定発売」と書い てある。 棚を見ると、他に同じものはなくて手に取った一本だけだ。 ーなんだって・・・? 製造元はアルファベットなので読めない。ラベルの説明は小学校四年生の龍 一でも読めるが、何となく胡散臭い。 毎日寝る前に百tを飲むと、頭がぐんぐん良くなると書いてある。 ーいんちきだな 龍一はペットボトルを棚に戻そうとして考えた。 出来たばかりで余りはやらないようなコンビニである。品物もあまり見たこ とのないものが多い。陰気なおじいさんが店番している。  だが、偽物は売らないだろう。 説明ほど効かないとしても、龍一にすれば魅力的なものなのだ。 「私立の『出来る子中』へ行くのよ」と目を三角にしたお母さんに言われ続け ている割には、点数がとれないのだ。絶対評価とかいう通知簿は○が多くて 「よく頑張りました」ばかりだけれど、実際は全くわかっていないことを龍一 も知っている。 「四百円!」 思わず、声を上げそうになった。ポケットの中に持っているのは、今朝もら ったばかりの今月の小遣いである。五百円玉一枚で、マンガ週刊誌が二百円だ から・・・。 ー高いなあ・・・。 普通、このボトルのサイズだと二百円もしないはずだ。 マンガとボトルを両手に持ったまま、龍一は立ちすくんでしまった。 「まけてあげよう」声がした。  振り向くと店番のおじいさんが、ニコニコしている。歯を見せるとあんまり 陰気ではない。 「最後の一本じゃしな。三百円でかまわんよ」 「あ、ありがとう」 龍一は思わず頭を下げてしまった。 その晩、龍一はおもむろにペットボトルのふたを開けると、目盛りどおり、 薄青い液体を口に流し込んだ。微炭酸で甘みのある液体が喉を刺激していっ た。 「結構うまいじゃないか」 結局、半分も飲んでしまった。微炭酸だから、せいぜい二、三日中に飲まな いと気が抜けてしまうだろう。 ゲップが二回も出た。 明くる日、妙に頭が冴えていた。 いつもはわかりにくい担任の野坂先生の授業が、すいすいと頭に入るのだ。  算数の授業では、つい手を挙げて黒板に解答を書いてしまった。 「嵐になりそうだな」 野坂先生が嫌みを言った。 その日は『英才塾Aクラス』がある日だった。英才塾は誰でも入れる。Aか らEクラスまであって、Aクラスは最低のクラスだ。国語の教科書がうまく読 めない龍一レベルの子が入る。Eレベルだと先生は一クラスに三人もいて、最 後は東大へはいる生徒が多いらしい。だが、Aクラスは五十人で先生は一人。 大人の世界では「子守クラス」とか「金儲けクラス」とかいうらしい。 いつもなら、プリントを勝手にやっておしまいだが、何故だか龍一は質問が したくなった。その質問は教室の後ろに飾ってある私立東大中の問題だった。  ぱらぱらめくって、模範例を見てからやっている内に出来てしまったのだ。  だが、解答がおかしい。 先生に質問をすると、邪魔くさそうに解いていたが、やがて白目をむいた。 龍一の解答が正しく、問題の答えが間違っていたのだ。 学校でのともだちの康夫が「へーっ」と言った。 龍一も「へーっ」と応えた。 その夜、龍一は天然知能水を百tだけ飲んだ。 なんだか効いているような気がした。 翌日も頭脳は明晰だった。なにせ、国語と社会と理科の教科書をみんな読め てしまったのだ。頭の中に知識がぎゅっと音を立てて詰まって、頭が膨らんだ 気がした。 野坂先生が珍しくした算数の小テストは十点満点だった。 子ども同士で採点するので、龍一の紙が当たった友子が、目をむいて口を開 け、痙攣しそうに「り、龍一が、じゅ、十点」と喚いたので、龍一はすっかり 有名人になった。 (天然知能水か・・・) なんだか本物に思えてきた。第一、四百円もするのである。 帰ってから龍一は家にあった百科事典を読んでみた。小学生向きで漢字には ルビが振ってある。夜中までかかって目を通してしまうと、目から知識が溢れ そうな気がした。  天然知能水を百t飲むと、残りは僅かである。 (明日、朝、買いに行こう) 部屋の窓から見える真夜中の初秋の空に、星が降っていた。 翌朝、龍一は問題集を買うからと、お母さんから二千円もらった。 参考書と問題集を買うというのは、お母さんにお金を出させる一番有効な手 である。後は友だちに新品を借りて二、三日見せておけばそれで済む。 少し早く家を出ると、あのコンビニを探した。 「確か・・・、この辺りなんだけどなあ・・・」 幅五メートルほどの道の両側には、民家に混じって所々に商店がある。薬局 の側にあったはずなのだ。 「おかしいなあ・・・」  間違うはずはない。時間はどんどんたって行く。  なんだか少し気味が悪くなってきた。  ふっと息を吐いた。  その時、薬局の隣にコンビニの入り口が見えた。 「あれ?」 さっきは民家の塀が続いていたはずなのだ。 「見間違いか・・・、まあ、いいや」  龍一は、ガラス戸を押した。 おじいさんの顔が見えた。よく見ると、とても優しそうな顔だ。 相変わらず誰もいない。店の奥の冷蔵庫に一直線に向かった。 「一本か・・・」  天然知能水は、また一本だけ残っている。 龍一はそれを持つと、店番のおじいさんに聞いた。 「これ、もうないの。もっと欲しいんだけれど」 「天然知能水じゃな。残念じゃが、一人一本ずつ、三本までと決まっておる」 「一人一本で三本まで」 「そう。買えるのは一本ずつ、三本でおしまいじゃ」 「けったいな店」 「二本めじゃな」 「うん」  龍一は四百円を払うと店を出た。  ランドセルの隅にボトルを入れ、走って学校に向かった。  どう考えても、天然知能水は効いているようだった。 いい点が取れ出すと、勉強が面白くなる。面白くなるから余計に勉強する。 するとまたいい点が取れる。そのきっかけが天然知能水だった。 「お前なんでこの頃急に勉強出来るようになったん」  康夫が聞いてくる。 「べつに・・・」  と、龍一は応える。まさかコンビニで買った天然知能水のおかげだとは言え ない。  それに、最近では自分でも驚くくらい勉強している。以前なら二時間机に座 っても、マンガを読んだり、落書きしたりして、集中している時間は十五分も なかったのだ。それが、勉強を始めると、あっという間に二時間たってしまう のだ。 「後一本か・・・」  龍一は空になったボトルを振った。 コンビニはまた見つからなかった。  さんざんうろうろして、考え込んで顔を上げると、薬局の隣にコンビニが見 えた。 今日は看板を読む。はじめてきたときも思ったが、おかしな名前だ。セブン イレブンとファミリーマートとローソンを合わせたようだ。 「ヘブンマートンか・・・」 龍一は店内に入った。 おじいさんがにやりとした。  身体がぞくりとする。 「だいぶ、頭に知識が詰まったようじやな」 「あ、ああ」 「いっひっひ」 「どうでもいいけど、おじいさん、その気味の悪い笑い方やめてくれへん」 「あ、ああ」おじいさんは歯の抜けた口を押さえながら言った。 「最後の一本じゃな」 「これで終わり?」 「そうじゃ」 「なんで、一本千円でも買うから、だしてよ」 「千円?」 「少ない? じゃ二千円?」 「二千円?」 「そうだよ、こうなったら、お母さんに言って、何万円でも出してもらうよ」  おじいさんの目が大きく見開き、ゆっくり元に戻ると、嗄れた声が出た。 「よーし、で、では、売ってやろう」 「えっ? 本当?」 「ただし、一本一、一万円・・・」 「一万円?」 「ん、いや、五、五万円じゃ」 「五万円、よし、お母さんに言うよ」 「一本五万円で何本でも売ってやるぞ、くそっ、わしも喰わねばならん」なに か一人で興奮している。「た、ただし、このことをお母さん以外の他人に言っ ては駄目じゃ」 「判ってるって」  龍一は嬉しくなって、天然知能水を受け取ると店を飛び出した。  お母さんは、初めは信用せず眼を丸くして聞いていた。けれどもこの頃の試 験の成績がいいことに思い当たって、やがて眼が三角になった。 「龍一、い、いくらでもだしてあげるわよ」  顔が真剣だ。眼から火花が出ている。  龍一はぞくりとした。  結局、三日後に、四百万円持って家を出た。なんでも貯金を解約した上に、 お父さんの生命保険まで解約したのだそうだ。 「どこ、龍一、お店?」 「この辺だよ」  きょろきょろと見回していると、ヘブンマートンが見えた。 「あそこだ」  お母さんと店に飛び込んだ。 「あ」 お母さんと龍一と、眼があったおじいさんと、そのおじいさんの前にたつ男 二人から同時に声が出た。 「ああっ」  龍一とお母さんはさらに叫んだ。  おじいさんが、両手に手錠をはめられているのだ。 「なにか品物を買いましたか」  男の一人がギロリと鋭く尋ねた。 「あ、ああ」  お母さんは僕の手を掴んだまま、口をお椀のように開けている。  龍一が答えた。 「天然知能水を・・・」 「そう、もう手に入らないからね」 「おじいさん、なにをしたの」 「品物を盗んで売りさばいたんだ」 「わしゃな」おじいさんが身を乗り出した。「二千年もまじめに勤めたんじゃ ぞ。それがリストラで一銭ももらえずに追い出されたんじゃ。少しくら い・・・」 「二千年・・・」  龍一はお母さんを見た。お母さんは相変わらず口を開けたままである。 「そうじゃ、天使として二千年も身を粉にして働いたのに、歳をとったからリ ストラなんて、あんまりじゃ」 「は・・・」  龍一はあんぐりと口を開けた。  お母さんの口はますます大きくなっている。 「ヘブンマートンの、ヘブンは天国のことじゃ」  おじいさんが続けようとするのを、男たちがさえぎった。 「余分なことを言うな、いくぞ」  男がおじいさんの手をぐっと引っ張った。  その瞬間、おじいさんも男たちも、ヘブンマートンの店そのものも消え失せ て、お母さんと龍一は、狭い空き地に佇んでいた。 「あ・・・」  空の上に、羽の生えた男が三人、豆粒のようになって昇っていくのが見え た。  二人はただ口を開けてそれを見ていた。


くもねんど (「神戸新聞」収載 '93/2/27 朝刊)
 ぼくは、がまんしきれずに、ゲーム機のスイッチを切るとブルゾンの右ポケ ットにつっこんだ。  ゲーム機を二台も入れるとポケットが重い。 けれど左ポケットにはミニ カー二台と、安物のプラスチックロボットと、ビー玉、五個が入っているので 仕方がない。 「かあさん、七階ゆこうよ」  デパートの七階にはおもちゃ売り場がある。 もう、一時間も二階の婦人用 品バーゲン会場にいるのだ。  かあさんの目の色が変わっているので、じっと待っていたのだが、もう待ち きれない。 「かあさん!」  ぼくはついにかあさんのそでを引いた。 「うるさいねえ、先にいって待っておきなさい!」 「えっ・・・」  ぼくは耳をうたがった。  小学三年生になって初めて一人でゆけるのだ。 「おもちゃ売り場にいるのよ。三十分ほどたったらゆくからね」 「う、うん」  ぼくはかけだした。  かあさんの三十分は一時間のことだ。  一時間あれば、うまくすればテレビゲームがだいぶできる。  ぼくはエレベータをさがした。かあさんについて売り場をくるくる回ったの で、方向がわからない。 「あった!」  ぼくは、柱の影にあったドアの開いている誰もいないエレベータに飛び込ん だ。  あわてて七階のボタンを押す。 「あれっ・・・」  動き出してから、首をひねった。  デパートのエレベータにはエレベータ係のおねえさんがいるはずなのだ。 (トイレかなあ・・・)  ぼくは頭の上のランプを見た。  三階・・・、四階・・・。  いやにゆっくりしている。  五階・・・、六階・・・。  七階のランプが、フワッとついて、身体が浮くような感じがした。  ドアが開く。  ぼくは勢いよく飛び出した。  両ポケットのおもちゃがかちゃりと鳴る。「ん?」  ぼくは思わず立ち止まって、目をしばたいた。  何もなかった。  モヤモヤッとした白い煙が、床をおおい、壁も天井も、やっぱり白い綿のよ うなものでおおわれていた。 「な、なんだ!」  ぼくは叫び声をあげた。  と、突然、目の前の床の上から、白いかたまりが、ニュッと持ち上がった。 「う、うわっ!」  ぼくは後へ下がりかけて、足をもつれさせ、白い煙の中に、おもいっきりし りもちをついた。  音はしなかった。  そのかわり、腰のあたりまで床にめりこんでから、ゆっくりと浮かび上がっ た。 「わわっ!」  ぼくはとび起きた。床についた手に、かたい床の感じはなかったし、足の裏 も何かの上には乗っているのだが、しっかりと踏みしめているかんしょくはし なかった。  目の前には、煙をたてて白いかたまりが五、六個も、盛り上がっている。  ぼくはごくりとつばをのみ、それから思いきって振り返ると、ドアの閉まっ たエレベータにとびついた。  ボタンを探す。  だが、ボタンはどこにもない。 「あ、あけて!」  ぼくはドアを叩いた。 「だ、だれか、たすけて!」  ぼくは手の痛くなるのもかまわず、ドアを叩き続けた。  その時、声がした。 「さわがしいですね、どうしたのですか?」  ぼくは手をとめて、ゆっくり後を向いた。  白いかたまりがこちらを見ている。  子どもだった。  ぼくと同じくらいの子が、六人。  真っ白な服、真っ白なかみ、顔まで真っ白だった。  背中がぞくっとした。  ぼくは棒のように立っていた。 「どうかしたのですか?」  一番前の子が、ぼくをじっと見ていた。 「い、いや・・・」  ぼくは目をしばたいた。  なんと、目まで白いのだ。  外国人を見たことがあるが、目は白くない。肌も白いといっても肌色だが、 目の前の子は、真っ白な紙のような白さなのだ。  ぼくは身体をブルッとさせてからたずねた。「ここは、どこ? きみたち は・・・?」 「ここ?」  その子は首をかしげて笑った。  驚いたことに、口の中まで真っ白だった。「きみたちは、だ、だれだ? こ、ここは、ど、どこだ!」  ぼくはつかえながら言った。 「ここは、デパートのゆうぎ室です。ぼくたちは子どもですね」 「ば、ばかにするな!」  ぼくは怒った。デパートのゆうぎ室は、ひょっとしたらそうかも知れなかっ たが、子どもといったのが、当たり前のことで腹がたったのだ。 「べつにばかにしているわけではないのですよ。でも、きみはだれですか?」  子どもは不思議そうにぼくを見た。 「ぼ、ぼくは石川進」 「どこからこられたの?」 「どこからって、二階から、エレベータで」  ぼくがまゆをしかめたとき、後の方にいた子どもが口をはさんだ。 「ねえ、ひょっとしてきみは人間じゃ?」 「え・・・」  ぼくは思わぬことを聞かれたので、ギョッとして、うなずいた。 「人間だって?」 「人間の子どもだ」 「ほんとうに人間、ぼく見るの初めてです」  子どもたちが一度に話しだした。  ぼくは気味の悪さをこらえていた。  エレベータのドアは閉まったままである。 ぼくは腹に力をこめて、子ども たちをじっと見た。 「あれ・・・」  ぼくの目の前の子は、ただ白いだけみたいだったが、よく見ると頭の後に、 ぼんやりと光る小さな光の輪がある。そして、背中の両側から小さな羽がのぞ いていた。  ぼくは息をのんだ。  ほかの子も同じだった。 「こ、ここは・・・、て、てんごく・・・」  のどに言葉がひっかかった。 「そうですね、人間は天国とか、極楽とか、彼岸とかいうらしいですね」  目の前の子がうしろを見ながら言った。 「じゃあ、き、きみたちは天使?」 「天使? ああ、私たちのお父様は、天使とも人間に呼ばれているそうです ね。けれど、私たちはまだ天使じゃなくて、天使の子、てんこ、です」 「て、てんこ?」 「そう、天使の子、てんこ」 「ああ、天使の子だから、てんこ・・・か」  ぼくは笑いだしそうになったが、大変なことを思いだした。  天国は死んでからゆくところなのだ。 「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃ、じゃあ、ぼくは死んだの!」 「いいえ」  目の前の子が、かんたんに言った。 「だれかここの大人が、下の人間界へエレベータでゆかれたのに、きみがまち がえて乗られたのでしょう」 「エ、エレベータで・・・」 「そう、この雲上デパートで、仕事に必要な物を買われて、人間界へゆかれた のです」 「それじゃあ、ぼくは帰られるんだね」 「ええ、すぐに帰られますか?」 「い、いや・・・」  ぼくは帰ることができるとわかって、もう少しこのてんこらと話したくなっ た。 「き、きみたちは、何をしているの」  ぼくは辺りを見回してたずねた。  ただ、白い雲の部屋というだけで、何もないのだ。 「ここはゆうぎしつだから、遊んでいるのですよ。どうしてそんなことを聞か れるのですか」 「どうしてきかれるって」ぼくはてんこたちのていねいな口調に戸惑いながら 答えた「ここには何もないから」 「ありますよ、ほら」  てんこは身をかがめると、床の雲の中に手をつっこみ、ほんのわずかピンク 色をした雲のかたまりをつかみだした。 「それは?」 「これは、くもねんど」 「ねんど・・・」  ぼくは、つまらないといいかける言葉をのみこんだ。 「おもしろいですよ」  てんこはぼくの心を見通したように言うと、くもねんどを床の雲の中に置い て、指先でクチッとつかんだ。  と、どうだろう、ボールくらいのくもねんどは、たちまち人の形になって行 く。 「もっとおもしろくしましょうか」  てんこはぼくの方を見てニャッとした。  すると、その人の形のくもねんどはたちまちふくれあがり出した。 「ぼ、ぼくだ!」  ぼくは叫び声をあげた。  目の前にピンク色をしたもう一人のぼくが立っている。 「ね、おもしろいでしょう。まだできますよ」  てんこがぼくにそう言うと、目の前のくもねんどで出来たぼくが笑い顔にな り、スタスタと歩きだした。  ぼくは、ぽかんとしていた。 「どうです。いろんなことがやらせられますよ」てんこが言う「くもねんどは ね、指先でさわって、心の中で何か考えると、その通りのものになるのです よ」  てんこはそう言って、今度は指をパチンと鳴らした。  すると、くもねんどのぼくはたちまち小さくなり、もとのかたまりにかえっ ていく。 「あ、あのね」  ぼくはポケットに手をつっこむと、おもちゃを引っ張り出した。  安物のプラスチックのロボットだ。 「こ、これとかえてくれない?」  てんこの目がぴかりとしたようだったが、何も言わない。 「こ、これもつけるよ」  ぼくはゲーム機をさしだした。  てんこはニヤリとして、後のてんこ達を振り返った。  だが、後のてんこ達は首をたてに振らない。「よ、よし、これもだ」  ぼくはポケットの中からミニカー二台と、ビー玉をさぐりだした。 「ど、どう? こうかんしてもらえる?」 「うん・・・」やっと口を開いた「こうかんしてあげたいのだけれどね。くも ねんどを人間の子にわたすと叱られるし・・・」 「よし、じゃあ、これも、全部出すよ」  ぼくはもう一台のゲーム機を出した。  おもちゃはまた買ってもらえる。  くもねんどを手にいれたら、世界中でぼくしか持っていないおもちゃになる し、それどころか有名になって、大金持ちになれるかもしれない。 「これで交換してよ」 「よし、かえてあげましょう」  てんこはうなずいてぼくからおもちゃを取ると、ぼくの手のひらにくもねん どを乗せた。  すると、目の前のてんこをはじめとして六人のてんこ全員の白い身体が、急 に少し灰色っぽくなった。 どうやら人間に渡してはいけないくもねんどを渡したので、白色が汚れたらし い。てんこは悪いことをすると、色が汚れるらしいのだ。 「じやあ、これでぼくは帰るよ」  ぼくはあわててそう言った。  てんこ達の気が変わっては大変だ。 「そう・・・」  てんこは笑いを浮かべた。  悪いことを見つかったときの照れ笑いのようだった。  ぼくは開けてもらったエレベータに飛び乗ると教えられた通りにボタンを押 した。  胃が浮くような感じから、身体が押しつけられる感じに変わる と、そこがもとのデパートの七階おもちゃ売り場だった。  ぼくはエレベータをとびだした。  目の前にかあさんの難しい顔があった。 「そんなところにいたの!」 「えっ!」  振り返るとエレベータは消えていた。ただの白い壁があるだけだ。 「い、いや・・・」  ぼくはくもねんどでふくらんだポケットを見ながらもみ手をした。 「まったくもう、かあさん、さがしたのよ。さあ、帰りますよ」  ぼくはおとなしく手を引っ張られるにまかせた。  かあさんはきっとバーゲンでいいものが見つからなかったのだろう。  おもちゃを買ってもらえなかったのは残念だけれど、今日はくもねんどがあ る。  ぼくはポケットを押さえた。 「ない!」  くもねんどがないのだ。  ぼくはかあさんに引っ張られながらポケットを調べた。  白い煙がたちのぼっている。 「くそっ!」  てんこにだまされておもちゃを巻き上げられたのだ。  はぎしりするぼくの手をかあさんがグッと引いた。                      終わり


ゴックン博士の大発明 (「明石市文芸祭作品集」収載 '85 議長賞)
 トンデモナイ国のマサカ町の大通りを、ゴックン博士は、ニタリとしながら 飛ぶように歩いている。  両手にしっかりと小瓶をかかえて、大きすぎる白衣の裾をひらひらさせて、 ただいちもくさん。 「おや、ゴックン博士」  誰かが声をかけると、いつもなら、にっこりして立ち止まりお喋りを始める のだが、今日は相手を見もしない。  白衣の上からでもわかる短い足を、せっせと運ぶ。  映画館の前に来たときだけ、ゴックン博士の目がチロリと光った。 「うむ、巨大怪獣ゴジラか・・・・・・」  面白そうだなと、博士は瞬間思ったが、軽く首を振ると、また白い歯を見せ た。  急な坂をズンズンあがる。  博士の後ろに、青い海と青い空が広がる。けれども博士は振り返りもしな い。頭の中は研究のことでいっぱいなのだ。  坂の上のごとう果物店と書かれた店から、親父が声をかけた。 「ゴックン博士、どうです、これ」  リンゴを差し出す。  ゴックン博士はまるで気がつかない。 「ねえ、博士、おいしいですよ」 「あ、ああ・・・」  やっと気がついた。  ついでにおなかが減っているのにも気がついた。朝も昼も食べていないの だ。  博士は大好きなリンゴを買い込むと、それをかじりながら歩き出した。  とにかくゴックン博士ときたら、研究のことしか頭にないのだ。日曜日まで 研究所にこもる。家に帰るのは一月に一日か二日。それも寝るために帰るみた いなものだ。 「ほら、ゴックン博士を見習いなさい」 「マンガなんて見ていると、ゴックン博士みたいになれませんよ」  町の人がそう言ってくれる。博士は大変嬉しい。だから本当は、夜も寝ずに 昼寝しているとか、マンガやテレビが大好きなんて言うことは絶対に秘密にし ておかねばならない。ましてやゴジラの映画が見たいなどと、口が裂けても言 えない。  それにどうやら今日は、大発明が完成しそうである。完成すればますますみ んなから尊敬されるだろう。  リンゴの食べかすをそこら中にまき散らしながら、ゴックン博士は風のよう に研究所に飛び込んだ。 「さて・・・」  博士は持ってきた小瓶のふたを開けて、慎重に、ビーカーの中にある茶色の 液体と混ぜ合わせていった。  時間が刻々と過ぎていく。 「できたぞ」  博士はニヤリとした。  小さな刷毛をそろりとビーカーの中に差し込むと、液体をしっかりとつけ て、引き上げた。  それから、あたりをキョロキョロっと見回して、ノートに書かれた自分の名 前の上に、それを塗りつけた。  と、どうだろう。ゴックンと書かれた自分の名前の中で、液をつけた「ゴ」 の字のところだけが、見る間に消えていく。  消えたあとは、まるで何も書かれていなかったようだ。変色もしていない し、筆圧の後も残っていない。 「やったぞ、大成功」  博士は大声を上げた。  それからまた辺りを見回すと、新聞広告を一枚引き抜いた。 『青い海と空』  右肩にそう書かれた広告には、真っ青な空と海の写真が印刷されている。  博士は、今度はたっぷりと液を、写真の部分に塗りつけていった。  印刷はたちまち薄くなり、やがて真っ白になった。 「やった! だ、大成功だ!」  博士は満足げにうなずいた。 ゴックン博士の発明したのは万能インク消し。鉛筆でもインキでも、なんで も消してしまう。消した後は残らない、書き込む前や、印刷する前の状態に戻 るのだ。わざわざ溶かして再生紙を作らなくとも、この万能インク消しを使え ば、もとの新品の製品の状態になる。 「ゴックンスーパーイレイザーと、命名する」  博士は呟いて白衣を脱ぐと、背広に着替え、ゴックンスーパーイレイザーを 瓶に詰めた。町の工場でたくさん作ってもらうのである。  柔らかな風とお日様が博士を包む。  果物屋の前にさしかかると、また親父が顔を出した。 「おや、『クン』博士、お出かけですか」 「ん?」  博士は首を捻った。  クン、としか聞こえなかったのだ。 (耳が悪くなったかな)  博士は頭をかきながら、ヒョイと上を見た。 『とう』果物店と書いてある。 「おい、親父さん、『ご』が抜けているぞ」  博士がそう言うと、親父も店から出て、上を見上げ、それから変な顔をし た。 「へえ・・・・・・」  親父はとにかく、お客さんの言うことに逆らわず、そう答えた。  博士は、親切に注意したことに満足して歩き出した。  親父が呟く。 「『ご』が抜けているなんて。うちは、『とう』果物店なんだけれど・・・」  博士はそれに気づかず、ゴックンスーパーイレイザーの瓶を抱え直すと、坂 道を下り始めた。 (さあ、これでわしも、もっと有名になるぞ。毎日毎日、夜も寝ずに昼寝し て、頑張ったかいがあったというものだ。今度は一つ、絶対に消えないインク を作ってやるか・・・)  博士はにやにやしながら海を見た。  白い白いどこまでも白い海。そして白い白い果てしない、白い空。 「ん・・・」  博士の心臓がドンと鳴った。  博士は白い海と白い空を見つめた。  なにせ、仕事、仕事で、研究所にこもりっぱなしである。海や空をしんみり 眺めたことはない。  それでも、海や空が白いなんてこれはおかしい。  博士は胸騒ぎを覚えながら、坂を下り、映画館の前まで来た。 『巨大怪獣ジラ』 「あっ!」  カンバンを見て、博士の息が止まった。 「そ、そうか、大変だ!」  博士は叫んで、ゴックンスーパーイレイザーの瓶を投げ捨てると、もときた 道を駆けだした。 (たしか、わしは、ゴックンの『ゴ』の字を消して、それから広告の青い海と 空を塗りつぶしたのだ。だ、だが、このゴックンスーパーイレイザーは、紙の 上の文字や写真だけでなく、総ての字や写真、それどころか実物の色や、場合 によれば、実物の存在まで、そして人々の心からも消してしまうのだ)  博士は坂の上まで一気に駆け上がると、果物屋の前を矢のように駆け抜け た。 「あ、博士。『クン』博士。もう、『リン』はいりませんか」  親父の言うのに構わず、博士は研究所に飛び込んだ。 「えーっと、あれとこれを混ぜて、いや、いや、これも入れて、そうして加熱 して・・・」  博士は慌てて、ゴックンスーパーイレイザー液を塗ったところを、元に戻す 薬品を合成した。そして、それをノートや広告に塗りつけた。 「やれやれ、ゴックンスーパーイレイザーはとんだ失敗だったが、これで元に もどっただろう」  博士はため息をついて、額の汗を拭うと外に出た。  ごとう果物店、りんご、ゴジラも、元に戻っている。 「ゴックン博士、どうしたんです」  親父の心配そうな顔を見て、博士は片手をあげて、笑って見せた。  ただ、この時から、青い海に濁った色が混ざったり、青い空が、晴れた日に も灰色になるようになったという。

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