素晴らしき新世界    
                             明達 光輝
 今日もよく晴れた夏空が広がっている。
 ここ、十数年ほど、夏は高温多湿、冬は私が子どもの頃のように氷が張る。気候にメリ
ハリがあり、安定した変化をしている。
 それにしても気温が三十度をこえているので、汗が滝のように噴き出す。マンション五
階の部屋までの水運びは、七十になった身には日課とはいえ、一番辛い。
 おまけに下着一枚の裸でするわけにはゆかない。Tシャツでもいいのだが、実はもう長
い間、下着がわりがTシャツなのだ。
 下着はない。部屋の中で着ている分には、汗は大したことがないから、来客があっても
この姿でよい。だが汗をかくと肌に密着して下着を着ていないのがわかってしまう。いく
ら老婆とはいえ、仕方がないので、外に出るときには、古い木綿のワンピースを着るが、
その表にまで汗がにじみでてくる。
 それも我慢である。「ただで出来る運動と思えばいい」と人は言うが、なかなかそうは
達観できない。しかし、耐えるしかない。両手にバケツを下げて十往復をしなければ、ろ
くにトイレも流せなくなる。
 一、二階の家ならこれほどの苦労はない。送水時の水圧だけで、水道が出る。だが、一
日、朝夕一時間ずつの時間給水だし、赤錆がでやすいので、却って結構手間がかかるらし
い。
「手伝いましょうか」
 なんて誰も声を掛けない。もう、十年もそんな言葉を外で聞いたことはない。
 止まると思われた少子化は限度無く進み、今では、三人に一人以上が七十五歳以上の超高齢化社会である。
 二千年の頭ぐらいまでは、六十五歳からを高齢者としていたが、二千十二年に、七十歳
からとなり、二千二十二年に七十五歳からになった。
 寿命は延び続けて、男、八十七歳、女、九十四歳である。個人差は大きいが、労働力と
して使い物になるわけはない。五十代の半ばに、老眼に白髪になるのは、生物的に老いて
くるからである。七十五歳くらいまでは、何とかなる人は総て働いている。だから街は、
なすすべのない高齢者だらけだ。
 若い人はほとんど、農場にでている。昼間、街に残っている中では、私など若いほうで
ある。七十三歳になる主人と四十と四十四歳の息子二人が、農場に出ているから、「労働
者三人以上の家庭では七十五歳以下の健康な者一名が残留してよい」という規定によって
、私は家にいることができる。
「結婚できてよかった」
 今ではそう思う。独身男性・女性が世に溢れたのが二十世紀末からであった。男女同権
で、女性も賃金は男性並になり、学歴も女性の方が高いくらいであった。誰が苦労を背負
い込む結婚などするものか。気に入れば同棲ですむ。一人暮らしに不自由はない。子ども
はなくとも社会保障制度が発達し、少しの金さえ貯め、保険に加入しておけば老後は安心
であった。動物は自分の子孫を残したいなんて言うのは真っ赤な嘘で、進化した人間はた
だ、異性の独占欲と、性欲だけの権化である。自分の老後が保障されれば、面倒くさい子
育てなんぞ誰がするものか。
 漠然と結婚願望はあっても、それはただ、社会的認知を求めることと、自分の人生が楽
しくなるだろうと言う淡い期待だけのことである。決して社会の構成員としての責任を果
たすためではない。世間並みに結婚しておこうとするだけで、別に無理してしなくてもよ
い。第一情報は溢れすぎ、真の静かな結婚生活のよさは報道されず、自己実現とかで「私
が私が」の方が大切だという世の中である。結婚してもじゃまな子どもはつくらず、つく
っても一人にとどめる。子育ては大変で社会のバックアップもないから、そんなことで自
分の人生を無駄にはしたくない。事実、独身の方が豊かで楽しい生活が表面的には出来る
。結婚がすばらしいものだとは誰もいえない、そんな中で私は結婚した。
 そして、二十五歳で結婚したあたりから世の中が、だんだんおかしくなってきた。不景
気が世の中を覆い始めた。日本では江戸時代いらいの総無責任体制が続いていたから、誰
も責任をとらず、だから、有効な対策も打ち出せず時が過ぎた。
 イギリス型の、溢れる資産を国際投資して繁栄を持続しようとしたけれど、十九世紀の
イギリスの立場と違って、そんな国が多くなりすぎていた。
 やがて、第二次大戦前のようなブロック経済が復活し、ヨーロッパ共同体・アフリカ統
合体・ソビエト新連盟・アジア共同体・北南米連邦、とか、そのほかにもあるらしいが、
世界各地に出現した。
 日本はどこにも入れてもらえなくて、自動車も、鉄も船も、コンピュータも何もかも買
ってもらえない。第一、一時は日本製品は、安くて高品質だったが、いつの間にか高くて
低品質に成り下がっていた。だから、売れない、売れないから金が手に入らなくて、石油
も鉄鉱石も小麦も何も買えない。またどこからも仲間はずれだから売ってもらえない。
 戦略はなく、ただアメリカに追随していたが、技術力を無くした日本より、中国などと
の関係の方がよほど大切だ。それもブロック化してしまえば、遠い太平洋の端の日本など
、もうなんの魅力もない。
 昔と同じく、戦争に持ってゆこうとしたグループもあったらしいが、さすがにみんなは
昔ほどバカじゃなく、戦争は起きなかった。
 政府も石油などの自力開発に努力したけれど、いつものことながら後手後手に対策が回
って、今では原子力発電が命の綱らしい。エネルギーがその有り様だから、生産活動は殆
ど全滅で、国民は総出で農民となり食糧の確保だけにまさに懸命となっているのだ。
 部屋の中は蒸し暑い。急いでTシャツ姿になる。
 エアコンも扇風機も、ひょっとしてまた使える日がくるかもしれないと、カバーをして
おいてあるが、恐らく無駄なことだろう。
 生温い水を飲むと、掃除をする。LDKがフローリングなので助かる。四階の武田さん
のところは絨毯張りで、箒が使えず苦労しているらしい。
 一番困るのはトイレである。ウオッシュレットという暖房便座は何の役にも立たない。
後始末はバケツの水を流すのだが、これがうまく流れない、思わぬほどたくさんの水がい
るのだ。換気扇が使えないから、マンションの密室形式は臭いもこもってしまう。おまけ
にトイレットペーパーが高くなって、今では昔ながらに新聞紙を揉んで使う。ところがこ
れが詰まりやすい。たまの風呂や行水の水を溜めおいて使うのだが、流れないのには往生
する。もっとも、下水は直接放流せず、各地域ごとに溜めておいて、肥料化する。考えれ
ば自然のリサイクルである。当たり前のことだが、恐ろしいことに、二十世紀末前後はこ
れをただ流していたのだ。
 これだけ経済が悪いのに、二十世紀末にあったという大金融機関は、一部外資系と合併
したものの、ほとんどそのまま残っている。世紀末に不良債権騒動があったが、結局誰も
責任をとらなかった。日本という国はいつもこれで、アメリカでは金融問題の時に二千人
の逮捕者が出たというに、我が国では大騒ぎして結局三桁の逮捕者もでなかった。
 能力がないのに威張り散らした者が、経済が破錠してもそのまま居残ったという不思議
なオリエントの国である。これでは世界の動きについていけない。
 イギリス型に経済は軟着陸すると誰も考えていたが、現実は甘くはなかった。
 電気は夏は夕五時から九時まで使える。といっても一軒に蛍光灯五本分。
 すっかり壁が黒ずみ、張り替えもままならない部屋では、配給のプロパンガスで、配給
の米を炊く。
 国会議員も、人口が二倍あるアメリカより多かったのが、ついに前の五分の一になった
。ただの宿舎をあてがい、秘書を二人も付けるといった、そんな贅沢が出来なくなった。
 人口がどんどん減って八千万人になっている。経済は破綻しているのに、まだ議員の数
は多すぎると私は思っている。
 国民は、二千二十年代初めまでは随分と不満もあったが、どうにもならなくなって、い
まはどういう訳かみんな大人しい。肥満問題も、ダイエットもない。みんな痩せてがりが
りだ。ゴルフもテレビもショッピングも車も何もない。
 一部の偉いさんは相変わらず贅沢だが、これは完全に雲の上なので、そう嫉妬心もわか
ない。テレビ番組もニュースに古い映画が中心だ。
 独身貴族は存在しない。
 考えてみれば当たり前のことで、人は動物でもある。伴侶を見つけ子どもを作り、明日
に命を続けていく。それをしないで構わないという人種を作り出し、その生き方が堂々と
まかり通りだしたのは豊かであったからだ。そしてそのあたりから、歯車が狂いだした。
 自分の子どもに、よりよい社会を残そうとしない者が、よりよい社会を作れるわけはな
い。
 独身で家庭も子どももない人間が、学校の校長になり「子どもたちや親の気持ちを理解
できる」と宣うあたりから社会はおかしくなった。確かに独身でも、なまじ家庭や子ども
を持つ人間より素晴らしい人はいる。だがそれはいるというだけである。口に出さずとも
誰もが認めるその希少な存在を普遍化して、当たり前のように主張し始めたあたりから、
平凡な人間はいやになる。まともな真面目な中間層を評価しない社会が、存続できるはず
はない。離婚は当たり前で、出来た子どもの面倒は女に押しつけ、つまり、国に面倒を見
させる無責任男性。女あさりをして、結婚再婚を繰り返して、子どもは作らず、セックス
だけを楽しむ男、そして女。
 威張るだけで本当は能力がなく、国際競争に勝ち抜けない政治家や企業経営者が、のう
のうと豊かに財産を築き、失敗しても責任を負わぬ社会が、国際的に生き残れるわけはな
かった。
 二千二十五年の自衛隊のクーデターは、曹クラスが起こした世界初のクーデターで、ア
メリカあたりも驚いたらしい。
 尉官クラスは、大学出、防大出で、頭の中だけの危機意識であったが、曹クラスは、生
活もままならず、まあ、昔の農民一揆みたいなものだった。
 ただ、まだ、社会に余裕も少しあり、インターネットなどで団結した下士官グループが
反乱した。面白いことに彼らは、文民統制の意味を、尉官たちよりよく掴んでいた。クー
デターを起こして政権を握ったが、極端な不正を直すと、議会に主導権を譲った。
 軍人が国家経営など出来るはずのないことをよく知っていたのである。
 アメリカも自分たちの体制を脅かすものでないことがわかって、黙認した。甘い汁を吸
っていた政治家や役人たちは、最低十年の遠島への流罪、永久所払いなんていう罰則に息
の根を止められた。
 犯罪現場でも、被害者の人権を守らず加害者の人権を守るおかしな社会は息の根を止め
られた。悪意ある殺人は、「無期懲役」などといって、結局、三年で出てくる愚を改め、
「終身刑」にした。
 流石に、「市中引き回しの上打ち首獄門」というのはないが、アメリカ流に罪を加算し
て、懲役二百年なんていう罰則が出来た。汲む情状もないのに、故意に人殺しをした暴力
団員が、懲役五年で済むなんていうこともなくなった。暴力団員が素人を殺せば、軽くて
懲役四十年である。
 家事労働も洗濯機や掃除機が使えないから、大変である。洗濯板も復活したが、夏はと
もかく冬は手がかじかむ。しもやけやひびあかぎれが広まっているらしい。栄養が不足し
ているせいもあって、珍しく青ばなを垂らしている子もいる。下着からズボンに至るまで
つぎあてが復活したので、足踏みミシンがおいてある。朝から晩までそんな家事をしなが
ら、ラジオを聴く。
 私の唯一の趣味はラジオを聴くことである。鉱石ラジオはありがたい。電気も電池もい
らない。もともと電波は、電気だから、アンテナ線で拾ってやれば、電気に戻るわけであ
る。電気は弱いのでイヤホーンでしか聴けないが、一人ならこれで十分だ。もちろん、太
陽電池型もあるけれど、少々価格が高い。
 私の兄弟は弟が一人だけだ。
 家族と元気に過ごしているので感謝しなければならない。両親は、とうの昔に他界して
いる。
 主人は元気だし、悩みといえば、四十を越えているのに独身の息子二人のことだ。結婚
はさせてやりたいが、結婚して子どもが出来ても十分に食べさせてやれない。勿論、学校
へもやれない。二千年前後は、二人に一人近くが大学に行ったらしいが二千三十年には十
人に一人になり、いまでは千人に一人ぐらいらしい。
「麗子さん」
 ちょっとぼんやりしていると、隣の「玲於奈」が声をかけてきた。
 七十代の二人の名前が「麗子」「玲於奈」というのは、少し前までは違和感があったら
しい。昔の、個性的な名つけ流行のなごりである。いまではそんな名前の老人ばかりで、
ごく当たり前のことだ。
 マンションのベランダにある隣との境戸は、破れて久しい。
「ほら、なすび、どう?」
 立ち上がって、開きっぱなしのガラス戸から出ると、枠だけになった境戸の向こうに、
日焼けした玲於奈が立っている。
「あら、すてき」
「焼きナスはどう?」
 玲於奈が、見事なナスが七つも乗ったざるを差し出す。
「そうね、久しぶりに。ビールもあけようかしら」
「あら、ビールがあるの?」
 玲於奈の目が光る。
 隣の片上家は、夫婦二人暮らしで、配給のビールも少ない。百五歳の夫と九十八の玲於
奈の年金暮らしである。
 年金は、二人で月額四万だから、余分なものは買えない。物価は、半世紀のあいだ、ほ
んの少しずつ上昇しているが、まず大した変化がない。賃金や年金は半分以下になってい
る。
「あげるわよ」
 麗子は、ちょっぴりしまったと思いながらも、部屋に引っ込んで、冷蔵庫からビールを
二缶持ち出した。冷蔵庫は小さな冷凍ボックスで、自宅で使っているテレビとともに、唯
一と言っていいほどの電気製品だ。
「すごい、悪いわね」
 玲於奈は遠慮せず手を伸ばす。 
 第七のビールと言われる雑酒である。原材料はアメリカ産のトウモロコシらしい。牛の
えさにするよりビールにした方が儲かるという。なにせ、350ミリリットル四十八円も
する。
 夫と息子二人の給料をあわせても、現金は9万円だから、贅沢品である。
「さあ、そろそろ」
「夕食の準備?」
「そう、三人も大の男が帰ってくると、大変だわ」
 麗子は、笑みを浮かべて、片手をあげると、部屋に引っ込んだ。
 簡単に自分の昼食をすませ、買い物に出て、帰ってくれば、ベランダに出して暖めてお
いたバケツの水を風呂桶に注ぎ、食事の準備をしよう。
 夏は、風呂の燃料代がいらないので助かる。
 銭湯も復活したが、マンションのあがり降りだけで、行くのも大層だ。
 第一、現金収入は貴重である。主人や息子の勤める農場は、現物支給が五割なのだ。
 米とサツマイモ、それに今日はごちそうがある。鰯が安いのだ。
 玲於奈からもらったナスは、明日に回し、今日は鰯にする。
 夕食の準備をしながら、遠い農場から自転車で帰ってくる主人と息子を待つことにしよ
う。そして今夜は主人のズボンにつぎあてをする。
 麗子は、頭の中で予定を再確認すると、ゆっくりと立ちあがった。
                                     了