平成21年 6月
つねにわが身をてらす
こういう話がありました。父親が亡くなり、家業を手伝いながら、夜は、寝ないで大学受験勉強をしていた
青年が、ある時、立ち上がろうとしても力が抜けて立ち上がれないばかりか動けなくなったのです。救急車
で病院に運ばれた青年は、仕事と勉強の無理が原因で脊髄がどうしようもないほどいたんでいる状態でした。
入院して2日目には、状態はむしろ悪化し、目が見えなくなって、つらい思いを看病しているお母さんにあ
たりちらしました。入院して1ヶ月目、目は、まだ見えませんでしたが、体は少し良くなり、何とかトイレ
に行けるようになりました。ある日、いつものようにトイレに行く途中、近くにいた看護士さんに「ぼくの
ように目が見えなくなった人で、短い間に1人でトイレに行けた人は、いましたか?」と聞くと看護師さん
は、「あなたのような人は、はじめてです」と答えました。その後、その青年は、調子にのって看護師さん
や同じ入院している人に「僕ひとりで行った、ひとりで」と何度も自慢しました。すると最初は、「そうで
すね」と相づちをうっていた看護師さんが、「本当は、あなたひとりではないのです」「どうしてですか」
「あなたが、トイレに行かれる時、あなたのうしろに 見えないでしょうけど、おかあさんが、いつもついて
いるのです。おそらく看病と仕事で疲れているはずのあかあさんが後ろにいるのです。うそだと思うなら、
ふりむいてお母さんと呼んでごらんなさい」その青年は、ふりかえり「お母さん」と呼びました。すると
「はい。ここにいますよ」とお母さんの声でした。そのとき、その青年は、自分が一人で生きてきたのではな
かったことに気づきました。今まで元気な頃は、自分ひとりで生きているとうぬぼれ、病気になったりうま
くいかなかったら、まわりにあたりちらす自己中心のあさましい私にきづかされたのです。私の目では、見
えないけれどもこの私を決して見捨てない救わずにおれない親がいたのです。ご開山親鸞聖人は、
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煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり
(高僧和讃)
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煩悩にさえぎられて私の眼には阿弥陀さまの光明をみることはできないけれども阿弥陀如来さまは、煩悩具足
の勝手な私だからこそ救わずにおれないと大悲のお心で常に今ここで照らして下さっていることにご恩報謝の
お念仏を申させて頂きながら日暮らしをさせていただきましょう。