平成21年 9月

   割箸のお話

    なぞなぞです。食事をする時、必ず2つに割らないと使えないものは何でしょうか?そうです。割箸(わりばし)ですね。
    私も日常生活で食事の時などに、よく割り箸を使います。先日、「割箸の詩(うた)」が新聞に載っていました。その一
    部分なのですが、

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    「2つに割れた箸 片一方では、何にもならない。
     この私もはなれて一人暮らし でも・・・・」
    
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    と書いてありました。一人暮らしをされていらっしゃる方が割箸を見つめながら割箸を通して、自分自身を見つめられた
    のです。そして、この私も一人で生きているつもりになっているけれども本当はそうではなかったことに気づかされたの
    です。割箸が、2つに割れなければ使えないのは、こちらの箸とむこうの箸が離れて、それぞれ別々のようだけど、本当
    はそうではなくて、こちらの箸に寄り添って、合わせて、落としはしないと支えて下さっているのです。言うならば、こ
    ちらの箸があるからこそ、むこうの箸があるのです。暗闇があるからこそ、照らす電灯があり、病いがあるからこそ、治
    すお医者さんがいるのであり、この私がいるからこそ阿弥陀さまがいらっしゃるのであり、この私の煩悩があるからこそ、
    見捨てずにおけない救わずにおれない阿弥陀さまのご本願があるのです。ご開山親鸞聖人が

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     弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり。

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   《阿弥陀さまが、五劫という長い間思案されて、たてられた本願をよくよく考えてみると、それは ただこの親鸞一人を
    お救いくださるためであった。》とおっしゃっています。割箸のように私一人だったのではなかった阿弥陀さまと二人
    連れだったと いつでもどこでも今ここにでも お呼びかけ はたらいてくださる阿弥陀さまに 御恩報謝のお念仏を
    申させていただきながら朋に日暮しをさせていただきましょう。

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