「趣味の映画と書籍批評」 by 西牧欣哉

新着ビデオ・映画・書籍評(2003年版)へ


「新着ビデオ・映画・書籍批評」(2004-2007年)

「トランスフォーマー」劇場公開中

TVでスピルバーグが宣伝していたのでつい見たが、見る前に気づくべきであった。例の超合金の玩具トランスフォーマーのことである。むかし子供が小さいときに買って与えたあれである。原題を見るとトランスフォーマーズと複数形になっている。1万年前に謎の存在キューブがエネルギーを放ち、ある星が滅びたことがある。その後行方不明になっていたが、どうやら地球にあるらしいことが分った。これを追い求める2つのグループ。良いロボットと邪悪なロボットである。おりしもカタールの米軍基地に行方不明になった軍用ヘリが戻ってくる。、ところが着陸と同時に大変身。巨大で無敵な破壊機械になって戦闘機だろうが戦車だが叩きつぶして、基地は全滅だ。一方親に中古車を買ってもらった少年サムは、この車が自分の意志を持っていることに気がつく。キューブを求めつつサムを守ろうとするロボットと邪悪なロボットに軍隊が巻き込まれ、もう大混乱。誰が善玉かも良くわからない。ただただ破壊の連続である。無論特撮だが、これだけ長いシーンは珍しい。理屈ぬきに楽しめば良いのだろうが、見た子供はやはり暴力的になりそうな気がする。ジョン・ボイトが防衛長官役。地下基地の背景はフーバーダムだ。

「ハリー・ポッター不死鳥の騎士団」劇場公開中

主役のラドクリフ少年もすっかり青年であり、これからどう続けるのか製作者は頭の痛いことであろう。今回は正義の騎士団が鎧をまとい、馬に乗って大活躍する・・・話ではない。いとこ(?)の眼前で吸魂鬼(?)に襲われて撃退する為に魔法を使ったということで、ハリーは裁判にかけられる。ひそかに存在する騎士団という正義の魔法使いの組織がハリーをサポートする。しかし魔法省の大臣は臆病で、魔王の復活を認めることが出来ない。あまつさえ魔法学校に自分の腹心の残酷で頭の固い部下を送り込み、教育方針を無力化してしまう。ハリーは有志を募って密かに魔法の練習をする。そして、ハリーを追って、ついに魔王(なのだろう)が姿を現す。彼が欲しがっているのは学校の敷地の奥深く隠された予言の珠であった。全体として、とても小中学生が理解でき、楽しめるような内容とは言いかねる。もはや出演者もスート−リーも大人向けのそれである。こちらは前回も見ているので見ないわけにはいかない。ハリーの父親が決して善人ではなくいじめっ子だったなどというエピドードもある。なお、結局謎は解明されない。無論予測がつく程度のヒントは示されるわけだが。魔王と魔法で真っ向から対決する校長が頼もしく思える。なお魔王役は「イングリッシュ・ペイシェント」や「上海の伯爵夫人」のレイフ・ファインズである。

「ボビー」他ビデオリリース

ロスのアンバサダーホテルの2006年の一日を描く。しかしその日は特別な日だった。大統領選挙運動を展開中のロバート・ケネディー上院議員がその日、このホテルで暗殺されたからだ。これでもかという豪華な配役だ。アンソニー・ホプキンス、ローレンス・フィッシュバーン、デミ・ムーアや、なんとハリー・ベラフォンテまで出演している。この日に被弾した人達の一日を追いつつ、ケネディー議員の反戦思想を紹介してゆく。地味な題材だが、飽きない。推薦。なおアル・ゴア元副大統領の「不都合な真実」も、いささか長過ぎる部分はあるにせよ、こう温暖化の影響が顕著になって、台風の大型化、酷暑の夏など、身近に影響が出ている現在、教養としても見ておくべきだろう。大統領選挙で、フロリダの不明朗な集計結果がなく、ゴアが大統領になっていたら、石油利権と武器産業の代弁者のような某大統領に代わって、イラクの混乱もなく(本当の敵は911の真犯人であろう)、世界はもっと変わっていたかもしれない。但しマイケル・ムーアの「アホで間抜けな大統領選」は歯切れが悪くて、余りお勧めはできない。

「デジャヴ」他ビデオリリース

デンゼル・ワシントンが警官になり、フェリー爆破の事件を担当するが、過去からのメッセージに接して、過去に遡って惨劇を阻止すべく、奮闘する。時間旅行者につきもののタイム・パラドックスをどう解決すのかが見ものである。飽きさせない。ところでその他にビデオの寸評。「ゴーストライダー」は悪魔に魂を売って不死身になった男の戦いだが、そこそこには面白い。「ナイト・ミュージアム」は、ニューヨ−クの自然史博物館で、夜毎、恐竜やら蝋人形が動き出すというコメディ。ティラノザウルスは犬のように人懐っこい。「ハッピー・フィート」は歌は下手だがダンス(といっても殆どラップ)が上手なペンギンが南極を救う話。「上海の伯爵夫人」は盲目の元米国の外交官とロシアの元伯爵夫人のロマンスだが、真田がいわくありげな日本人で登場する。・・・と、見ても後悔はしないビデオは何本かあるが、「蒼き狼」 と「ハンニバル・ライジング」はお勧めできない。前者は反町がジンギスカンに扮するモンゴルとの合作映画だが、紙芝居を見ているように、現実感がない。後者はスプラッター(猟奇)度と、倫理観と常識の欠如が段々エスカレートし、もはやそこには残酷な中にも詩情があるレクター博士のイメージはない。残虐さだけが売りの単なる復讐劇だ。たまたま牛丼を食べながら見ていた私は、ことさら食欲がなくなった。フランスにいるハンニバルの日本人の叔母から日本の剣術を習うというあたりが、日本と関係があると言えば言える。ポスターの仮面は、日本の武者鎧の頬当てだ。

「バベル」

アカデミー賞は6部門でノミネートされたが、受賞は僅か作曲賞だけにせよ、ゴールデングローブ賞では作品賞を受賞した。作品の解説にもある通り、意志の疎通が、現代世界ではどれだけ損なわれているか、またそれにより個人の善意が、警察や行政の枠組みの中でどれだけ無視され、踏みにじられているかを告発する映画である。そう、これは娯楽映画ではない、久しぶりのシリアスなドラマなのだ。勿論、事実とはなんの関係もない。まさに虚構だから語れる真実もあるという作品だ。日本の女子高校生の描写など(いかになんでもあれだけ荒んでいるとは思わないが)注文を付けたいところは多々あるが、骨太のストーリーは揺るぎない。モロッコでヤギを飼って暮らしている一家がいた。狼に手を焼いており、知り合いの老人が銃を売りに来たので購入する。主人は外で働いているので、ヤギの見張りはローティーンの兄弟の仕事だ。しかし兄弟がは銃を試し撃ちしている内に、たまたま通りかかった米国人観光客の乗ったバスに弾丸が命中。乗っていたブラッド・ピットの妻、ケイト・ブランシェットに重症を負わせてしまう。ピットとブランチェットは、幼い息子の死を巡って、破局の寸前であった。幼い娘と息子をサンディエゴの自宅の、メキシコ人のベビーシッターに預けた出かけて来ていた。病院は遠く、とりあえずブランシェットをバスで近所の村に運ぶが、救急車は来ない。医者は獣医だけである。観光客の中には高齢で、暑さで倒れるものも出てくる。ついにバスは怪我人を残したまま、出ていってしまう。一方、自宅に残った兄弟は、子守のメキシコ人女性が息子の結婚式があるのに、子守の代わりが見つからないので、メキシコに一緒に連れてゆく。しかし、帰路、車の運転手が酒酔い運転で国境を突破し、3人は荒野に置き去りにされてしまう。話変わって、日本では、耳の不自由は女子高生(菊池稟子)は、母親が自殺してから荒れた生活を送っている。異性を求めるあまり、父親(役所浩司)を調査中の刑事にまで言い寄る。全裸のシーンもあり、体当たり演技で、アカデミー助演女優賞のノミネートもむべなるかなである。役所浩司が、ハンティングの礼にガイドに与えた銃が生み出す悲劇の連鎖。ドキュメンタリー・タッチのリアルな映像が見ている者を引き込む。見て愉快な映画ではないかもしれないが、少なくも損をしたとは思わないだtろう。推薦。 但し、日本のディスコのシーンでは、音楽と映像の乱舞で気分が悪くなった観客が出たという。不要な長いシーンなので、わたしは目をつぶっていたので助かったが、船酔い状態を起こしてまで映画を見ることもあるまい。ビデオが出てから見ても十分だろう。

「出口のない海」ビデオ・リリース

並木(市川海老蔵)は、明治のエース・ピッチャーだったが、海軍に志願する。何かとライバル意識をもやす同期のマラソン選手も既に海軍に志願していた。戦局もおしつまり、人間魚雷回天の案が出され、乗員の募集があり、並木も応募する。訓練基地ではやはり野球選手だったという若い整備兵と親しくなる。操艦の訓練のシーンなど非常に興味深い。しかし回天は人力に頼る出来の悪い一人乗りの潜水艦だったらしく、操艦練習でも失敗ガある(これは伏線)。いざ出撃となり、4艇の回天を積んだ伊号潜水艦(艦長は香川)は、まず輸送船に遭遇。ところが、マラソン選手の一号艇は故障で中止。二号艇が特攻。続いて現れた敵艦隊に、いよいよ並木の3号艇が出撃となるが、これまた故障。不面目のうちに基地に引き返す。一途に国のために死ぬことを正義とし、死んで軍神になることしか人生に意味を見出せなかった若者達の短い人生が哀しい。思わず涙がこぼれる。市川海老増はNHKの武蔵では大根だったが、今回は好演。あとづけの反戦主義でもなく、無論国粋主義でもない描き方に好感が持てる。特選。

「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン著 草思社

相対性理論や量子力学というのは難解を極めるがゆえに、敬遠し勝ちであるが、それでもそれが何たるかを知らずに終わってしまうのもしゃくなので、時々一般的な入門書に挑戦しては敗退する日々であった。これはなかでも最先端の超ひも理論の解説書だ。著書はひも理論の現場の若き研究者であり、前半では相対性理論と、量子力学の要点を実に分かり易く解説している。後半はいよいよひも理論だが、これはそう簡単ではない。我々の住む宇宙は3次元プラス時間だが、実は微細なレベルでは11次元であり、残りの次元はたたまれている。また今の宇宙は、無、或いは無限小の特異点から生じた訳ではなく、別の宇宙の存在も前提にするなど、凡人の常識では想像も出来ない世界が実際の宇宙であると説く。ひも理論は、物質の最終的な単位は輪ゴムのような微細な紐であり、それが様々に振動することで素粒子の性質を決定していると説明することで、大統一理論のもっとも有力な候補であることを告げている。ひも理論にもいくつかあるが、それは全て一つのM理論から派生しているとも説明している。平易な語り口は、著者が完全に難解な諸理論を理解しているからこそ出来たことであろう。米国でベストセラーになったのも頷ける。推薦。

「最近のアクション映画から」ビデオ・リリース

最近のビデオは、まず「日本沈没」であるが、食い止める手段があるならさっさとやれと言いたい。パニック映画でもなく詩情のある映画でもない。映画の監督やプロデューサーになる人は、本を沢山読んで、人間や人生について深い洞察を持たねばならない。そうでなければ人の心を打つ映画は出来ない。ところで欧米のアクション映画で興味を引いたものが2-3あったので紹介する。「ウルトラ・バイオレット」は人類とミュータントが対決するSFで、CGと実写をうまく組み合わせ、主役のミラ・ジョボヴィッチがこの世ならぬ美しさを見せる。「16ブロック」はブルース・ウィリスが年老いた足の悪い警官(刑事)になって、証人をマンハッタンの16ブロック離れた法廷に護送するという話。なんとその証人が悪徳警官を告発するものだったので、仲間の警官から追われて包囲もされる。証人を守りおおせる事が出来るのかどうかダガ、最後まで楽しめる。競演のモス・デフも良い味だ。個人的にはメトロのバスが出てきて、NY駐在時代を思い出した。「カサノバ」はアクションでも現代劇でもないが、プレイビーイの元祖が真実の愛に行き着く話で、コメディ仕立てがうまくいっており、家族で楽しめる(かも)。ヒース・レジャーも「ブロークバック・マウンテン」とは違った軽い味を出している。

 

「10ドルだって大金だ」ジャック・リッチー 河出書房新社

2007年版「このミス(コノミステリーがすごい)」の海外部門14位の作品。短編集である。しかし2006年版では同じ作家の前作の短編集「クライム・マシン」が堂々の一位に輝いている。P・G・ウッドハウスの従僕ジーヴス・シリーズにも共通する、人を食った、それでも懐かしい温かみのあるユーモアに富んだ作品集である。万人向け。主役は私立探偵だったり、とぼけた刑事だったりと様々。表題の作品は小さな銀行で会計士が帳簿を調べたら残高が10ドル多かった。果たしてその10ドルは誰が入れたのかという謎解きであるが、読者は結末にあっけにとらえるrことだろう。

 

「RV」ビデオリリース

まず他の作品から。「マイアミバイス」はオリジナルのTVシリーズは軽い作品だが、今回は実写風の映像で、かなり重苦しくなっており、潜入捜査官の活躍にも余り思い入れが出来ない。しかも長い。「海猿」は日本映画には珍しく、フェリーの沈没という大掛かりなテーマだが、ストーリーは明らかに「ポセイドン」と「タイタニック」のミックスで、まずその点が頂けないのと、とにかくやたらセンチメンタルで、話がドンドン進まないと言う邦画特有の古典的欠陥があり、非推薦。「ワイルド・スピード3」は、前作がからっとした軽い仕上がりだったが、今回は日本が舞台と言うので見てみたものの、米国の不良(高校生)と日本の不良が高速で競うと言うだけの映画で非推薦。ちなみに原題は、Tokyo Draftで、主人公がドリフト走行を日本で学ぶという設定だ。日本の自動車が世界で認められたのはうれしいが、日本の坂道はカーブが多くドリフト走行が必須だと言う背景があるのかもしれない。ちなみに日本の高校教師には柴田理恵が日本語で登場する。ところで今回の推薦映画だが、「RV」は実はキャンピング・カーのことである。久々のロビン・ウイリアムスのコメディー。彼は最近シリアスなものばかりだった。ワーカ・ホリックのウイリアムスが家族サービスと仕事を兼ねて、LAからコロラドまでレンタカーのキャンピングカーで旅をする。その道中の話だが、最近のアメリカのコメディーと言うと、どぎついギャグが多い中で、まずは安心して見られる方だろう。ユタからコロラドに入ると景色が一変する。山と湖はまさに絵葉書のようで、米国駐在中に訪問しなかったことが後悔される。但しこのビデオ、レンタル店では余り期待していないらしく保有本数が少なかった。

「父親達の星条旗」

「硫黄島からの手紙」を見て、米国側から描いた作品も見なければ不公平だと思い、上映予定を見たら今日が最終日。平日の夜の最終回を見た。映像は共通部分が多い。日本版では殆ど米兵が出て来なかったが、米国版では日本兵が殆ど出て来ない。但し、日本版では省略された日本兵の手りゅう弾での自決の後のシーンが在る。日本版で省略したのは日本人の観客に対する配慮であろう。日本版と違って、上陸直後の海岸での日本軍の攻撃は熾烈で、米軍の苦戦ぶりは「プライベート・ライアン」のオマハ・ビーチに相当する。同じスピルバーグが関係しているからだろう。見えない敵に撃たれてバタバタと米兵が倒れる。どこから銃弾が飛んで来るか分からないという恐怖だ。しかも味方から誤射まで受ける。ストーリー展開は若い3人の兵士を中心にしたもので、すり鉢山を奪い取ったあとで、大隊の司令官が旗を立てろと命じ、それを見た米軍は大いに士気を高めるのだが、海兵隊の指揮官が、その旗を欲しいと言い出した為、大隊司令官は怒って、別の旗の掲揚を命じる。そのシーンをカメラマンが撮影して米国に送ったことから、これがあたかも硫黄島を占領したかのような宣伝にうってつけだと思われ、政治家が国債の宣伝の道具に使おうとする。3名は米国に戻され、米国中をキャラバンし、さまざまなセレモニーに担ぎ出される。しかし、実際に最初の旗を立てたのは彼らではなく、取り替えただけだと言うと、そんなことがばれたら国民がしらけてしまって国債が売れなくなると脅される。取り替えただけの兵士が英雄のように扱われるが、なかでもインディアン出身の兵士が良心の呵責と政府の欺瞞に耐えられず酒に逃避する。戦場では兵士は消耗品、内地では宣伝の道具だ。政治家も軍の上層部も、戦地の実態には関心もなく、兵士の気持ちにもお構いなしだ。戦争には英雄などいない、皆逃げ回っているだけだと兵士が語る。クリント・イーストウッドの怒りがモロに伝わってくるようだ。推薦だが、日本版と同時に見ることが条件。

「硫黄島からの手紙」劇場公開中

クリント・イ−ストウッドが日米双方の側から、硫黄島の決戦を描いた2部作の一つ。製作はイーストウッドだが、日本人が日本語で話、日本人が主役の映画である。小笠原方面の司令官に着任した栗林中将(渡辺謙)の活動を縦軸に、若い兵士(二宮)の戦争と日本軍部の姿勢に対する疑念を横軸として、硫黄島が占領されるまでを描く。2時間半は決して短い時間ではないが、途中で席を立つ者はおそらくいないだろう。イーストウッドは徹底した反戦主義者なので、描くものは戦争の非人間性であり、悲惨さである。画像はトーンを落としモノクロに近い表現にして、戦争の凄惨さをいくらかでも緩和している。従って、砲弾の炸裂する音はリアルであり、戦争のシーンはCGで迫力はあるが、「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸のシーンほどのリアルさ(と凄惨さ)はない。また日本軍は圧倒的に不利な状況に置かれつつも、実際には米軍を徹底的に悩ませたと言う部分の記述も欠落している。食料がなくなり、死体も食料にせざるを得なかった、また地雷を抱えて戦車の下に身を投げたという実話の持つすさまじさにまでは至っていない。但し米軍を善玉として描いていないのはフェアであろう。この映画は、外国人が作った日本の映画としては良く出来ていると思うが、この映画を見た人は、実際に硫黄島の守備隊に起きたことと、大本営という諸悪の根源への正しい理解を、史実から学ぶべきであろう。渡辺はすっかり国際スターになった感があるが、今回の役では若干上滑りな印象も残る。伊原が善玉で、中村獅童が悪役である。私は硫黄島と言うと沖縄の南方という誤ったイメージがあったが、小笠原諸島の一部であり、だからこそ、東京(=皇居)を守るため、守備隊が必死に戦ったのであろう。しかしその抵抗があまりに熾烈で、米軍の損害が大きかったため、米軍は本土上陸前に、東京を空から徹底的に叩いて焼け野原にしたのである。弾薬も食糧も補給しない、ただ死守せよでは極東の某専制国家と同じである。硫黄島の守備隊に撤退と降伏を許していれば、その後の何十万という市民の無駄な犠牲はなかったであろう。原爆投下もなかったかもしれない。国体を守ると言う口実で、国民を自分達の盾に使った政治家や軍部の上層部が、その挙句、神として某神社に祀られるなど、本来なら許すことはできないはずである。映画は推薦とする。最近の若者はあまり物を考えないようだが、たまには考えて欲しい。

「ユナイテッド93」ビデオ・リリース

本論に入る前に、「ブロークン・フラワー」は、中年の独身男ビル・マレーの住まいに差出人のない手紙が届く。実は20歳になる息子がいて、一人で育ててきた言う内容だ。身にはいくらも覚えのあるビルは、米国中に探索の旅に出る。果たして彼は自分の息子に出会えるのだろうか、と言うだけの筋だが、結構最後まで見てしまった。十分に間を取るというか無言のシーンが結構あり、そんあ作りも欧州人が気に入って、カンヌ映画祭の特別賞を与えた原因だろう。独身も良いけれど、人間は基本的に家族を持つべきであると言っているらしい。ついでにリュック・ベッソンのアクション映画「アルティメット」。パリの13街区は無法者が集う犯罪の街であった。これに手を焼いた警察庁長官は凄腕の刑事を送り込む。同時に街で育った男が一人でボスに立ち向かう。ストーリー歯荒唐無稽と言えばそれまで、アクションが見せ場の映画だが、文句抜きで楽しめるのも事実。もはやアクション映画ではハリウッドは完全にお株を奪われた感がある。推薦。ところで本論。やっと最近になって911テロ関連の映画がリリースされ始めた。あまりに生々しい、痛々しい記憶が残る間は、到底映画には出来なかったということだろう。同時多発テロの4機の旅客機の中で、ニューアークから飛立った、このユナイテッド93便だけがが、なすすべもなく貿易センタービルやペンタゴンに突っ込んでいった他の旅客機と違った、際立った特徴があった。それは乗客が団結してテロリストに立ち向かい、途中で墜落こそしたものの、犯人達の目的を遂行させなかったことである。殆ど全員が無名の俳優で、普通の人たちの身に突然降りかかった悲惨な出来事に、ごく一般の人たちがどのように向かったかをドキュメンタリー・タッチで描いている。携帯電話が通じていたので、ある程度の事実は判明しているものの、本当はどのようであったのかは無論分からない。でも仮にそんな境遇におかれたら、この人達の10分の1の勇気でも持てたらと思う。推薦。

「トランスポーター2」ビデオ・リリース

その前に「アイス・エイジ2」を。今回のマンモス、サーベル・タイガー、なまけものトリオは、氷河期が終わりに近づいて氷が溶け始め、洪水が来る危険性が日増しにつのるという状況から、住み慣れた土地を後に、伝説の大船を探しに旅に出るという想定である。そのストーリーはともかく、このシリーズの準主役はどんぐりを執拗に追うリス(の祖先)であろう。海に落ちたリスをとりまくピラニア(海にいたっけ)の大群にあわやと思いきや、ついにきれたリスは怪魚の群れを相手に獅子奮迅。だけど目を完全に座っている。と思えば、気がついたら巨大なドングリがある場所にワープ。こういうはちゃめちゃな映画も好きなので、一応推薦。しかし生意気を通り越したような哺乳類の子供達はひっぱたきたくなる。ところでトランスポータ2だが、主役のジェイソン・ステイサムは、ブルース・ウィリスの後継者の面目躍如だ。髪の薄いところまで似ている。今回は上院議員の子供の送迎などという仕事を頼まれたものの、麻薬シンジケートに雇われた殺し屋に誘拐されるというところから始まる。とにかくアクションの連続で、ストレスが溜まっている向きには丁度良かろう。リュック・ベッソンは後味の軽いアクションが得意だ。アリエネーシーンの連続だが、このような映画でリアルさを論じても始まるまい。悪役の女殺し屋にはこれもベッソン好みのガリガリのモデルが登場。全く好みではない。ひたすら楽しむ事を目的にした、うるさい事を言わない人に推薦。

「明日の記憶」ビデオ・リリース

渡辺謙が主演と制作を担当。共演は樋口可南子。冒頭のシーンは2010年の状況から始まるが、ストーリー自体はその6年前、2004年から始まる。最後まで見た人は、是非この冒頭のシーンをもう一度見て頂きたい。広告代理店のやり手の営業部長、渡辺が原因不明の目まいや物忘れを頻発し、医者に見せたらアルツハイマーと診断される。病気の進行を遅らせる為の努力が始まるが、49才という若さなので、進行は速い。一人娘が出来ちゃった婚で結婚式を挙げることになり、挨拶を頼まれるが、原稿を置き忘れてしまう。顧客との会議も忘れて遅刻するなどの出来事が重なり、上司から退職を勧告される。奥さんは病院には入れないで、働きながら自宅で介護しようとする。しかし錯乱した渡辺の言動から、ついに破局の瞬間が訪れる。私も61才。渡辺が演じる49才はとうに過ぎたが、身体が丈夫でも、頭をやられたら人間おしまいで、生きている甲斐がない。しかしこの映画の価値と見どころは、自殺のような安易な解を否定するところにある。渡辺の演技はちょっと過剰気味だが、こういう役柄なら仕方なかろう。中高年はみるべし。病気を部下に告げ口されるなどという企業社会ではありがちなシーンもある。若年にも推薦。

「トゥー・フォー・ザ・マネー」ビデオ・リリース

まず、本題と関係がないが「Vフォー・ベンデッタ」のベンデッタとは血の復讐のことらしいが、ナタリー・ポートマンが坊主頭で頑張る。英国の暗い未来社会を描くSFであるが、圧政に立ち向かう民衆という図式はともかく、ストーリー自体の起伏が少なく、面白い映画とは言い難い。次にミュージカル「レント」だが、ニューヨークの下街の、家賃(レント)も払えない貧しい若者たちの人生と悲哀を、歌で綴る映画だが、定番の感のあるゲイとエイズが主要なテーマで、日本人としては感情移入はしにくい。出演者の歌唱力があるのは認めるが、この演劇とゲイの結びつきはそろそろなんとかならないものか。さて本題だが、米国のビジネスで、スポーツの占める割合は高いものがあるらしい。トム・クルーズの「エイジェント」も、スポーツ選手の話だし、またそういう時には大体がアメフットの話になる。私は力でおしまくる事が主な仕事のような米フットは今一つ親しみが持てないが、今回のこの映画は、おそらく非合法な賭も行われているであろう米フットの試合の予想屋の話だ。アル・バシーノが経営する予想会社に元米フットの選手、マシュー・マコノビーが入ってくる。全試合予想的中、8割的中等という能力を買われ、会社も本人も業績を延ばす。予想が当たれば歩合をもらうという仕組みだ。大物のギャングも客になる。これは自分の経験から、様々な条件を加味して計算して出した結果ではあったが、その内自信を失い、ついにはコインを投げるようになる。結果はさんざん。その内、パシーノの奥さんとの浮気の噂も出る。関心のない人には地味で退屈な映画かもしれないが、ようはパシーノとマコノビーの演技力を楽しむという事だ。マコノビーは、「コンタクト」で2枚目役をやったときはピンとこなかったが、今回の映画で役者としての成長を確認した。関心のある人にだけという条件付だが推薦。

「ステイ」ビデオ・リリース

サム(ユアン・マクレガー)は精神科医であり、うつ病の若者ヘンリー(ライアン・ゴスリング)を診ることになる。ヘンリーの説明では、彼は両親を殺してしまったので、3日後の土曜日に自殺しなければならないという。一方サムには自殺未遂で画家の恋人(ナオミ・ワッツ)がいた。ヘンリーを診るようになってから、サムの身辺に奇妙なことが起き始める。ヘンリーには未来を予知する能力があるようなのだ。果たしてサムはヘンリーの自殺をくい止めることができるのだろうか。現代の幾何学的なニョーヨ−クを背景に繰り広げられるシュールな映像。観客は途中からちんぷんかんぶんになるが、その謎は最後には解きあかされるであろう。余程鈍くなければだが。果たして何人がこの結末を予測できるだろうか。意外性を買って推薦とする。ステイとは無論、ステイ・ウィズ・ミーという意味だ。

「スーパーマン リターンズ」ビデオリリース

本論に入る前に一つ、ビデオリリースの「ミュンヘン」について言及したい。ミュンヘン・オリンビックで選手を惨殺されたイスラエルが、復讐を誓って一人また一人と刺客を放って暗殺を行うというストーリーで、スピルバーグの映画だからイスラエルよりは仕方ないにしても、主人公も後で言うように、アイヒマンのように逮捕すべきではなかったのか、また選手が射殺されたのもドイツ警察の強引な救出計画が裏目にでたせいではないのかという疑問が残る。テロの虚しさを描いてはいるものの、下手をすると復讐映画で終わってしまいそうなテーマだ。実話だというが、手違いによるヘマや、問題も出てきて、リアルと言えば言えるが、テロにテロで立ち向かう事は正しい方法ではないというメッセージにはなっていない。生産なシーンもあり、家族向きではない。後味も極めて悪い。当然推薦ではない。ところで本題に戻る。私はスーバーマンの最終回がどうであったか忘れたが、とにかく一度生まれた星に戻っていたという設定らしい。それが再び育ての親の牧場に戻って来た時から話は始まる。無論デイリー・プラネットのクラーク・ケントに復帰する。今回のロイス・レインは既に結婚しており子供もなしている。今までの垢抜けないロイス・レインより、平凡なだけに今回の方が好感が持てる。スーバーマンには世界中で助けを求めるいる声が聴こえるのだ。縦横無尽の活躍が始まる。特撮の限界とも思える、墜落する旅客機の救助シーンを見るだけでも価値がある。今回の悪役は、前々回ジーン・ハックマンが演じたレックス・ルーサーが出獄したという想定でケビン・スペイシーだ。北極のスーパーマンの基地から盗みだした水晶を使って大西洋に陸地を作り、自分の王国を作ろうと目論むのであった。新たに大陸が出来れば海の水面が上がって他の大陸は水没するしかない。犠牲者は数知れずだ。特撮はかなり費用が掛かっていそうである。家族向け映画の豪華版というところだ。スーパーマンの孤独を叙情的に描くシーンもある。雑なアクション映画の域は完全に超えているので、推薦。

「男たちの大和」ビデオ・リリース

1985年に鹿児島沖の300メートルの海底に沈没している戦艦大和が確認された。大和は建造してから3年戦ったのみで、最後は燃料を片道だけ積んだ特攻戦艦として使い棄てられる運命にあった。そうした大和に乗り合わせた若者たちの生きざま、死にざまを通じて、太平洋戦争とはなんであったのかを考えさせるという意味で一応成功している。主役は神尾という枕崎出身の水兵。これに下士官として同じ機銃班の班長の中村獅童、まかないの班長の反町隆史がからむ。艦内のいじめとかはどうでもいいが、まずは終戦から60年経った2005年。中村獅童の元班長が最近亡くなったので、その娘(実は養女)の鈴木京香が、大和の沈没場所まで連れて行ってくれそうな船を探していた。皆が尻込みする中で、仲代達也(晩年の神尾)だけが小さい漁船を出す。14時間も荒れた海を行かねばたどりつけない場所である。同行は15才の船乗り志願の少年だけ。しかしこの少年の演技は天才的だ。大和の最後の出撃前日、下士官や水兵達は最後の上陸を思い思いに過ごす。多くは家族との最後の別れだ。最近のCGに慣れた観客には不満なシーンも多いだろう。大和の映像が、主砲周りと機銃座だけというのも物足りない。ハリウッドに作らせたら、もっとなんとかなっていたかもしれない。「亡国のイージス」の方が艦内のシーンはリアルだ。しかしこの映画のテーマは戦艦を賛美する事にあるのではない。戦争と国のために死ぬ、或いは生き恥をさらす事という事がどういう意味かを問うているのである。ところで話変わって靖国参拝の件であるが、国の為に命を捧げた多くの兵士たちを祀る施設があってもそれは当然だろう。但し神道も宗教だから、そこで祀られる事を拒む人もいて当然だ。そういう事もあるので、本来なら無宗教の施設を作るべきである。また太平洋戦争は、中国を日本が侵略し、それに反発した列強諸国が石油を止めるなどして制裁を発動したところから始まったと記憶している。中国の侵略を命じたのは誰だったのか。陸軍の暴走を許す事も結果的には同罪なのではないか。降伏の時機を見誤り、一億総玉砕などと言って、自分達は防空壕に潜んでいたのは誰だったのか。そう言う人達は、まず国の為に死んだのではないのだから、死を悼む事はしても、祀る必要があるのだろうか。まして何百万もの民間人を含む「無用な」犠牲者を出し、その責任は誰にあるというのか。軍人ならもっと潔くあってほしいものだ。国民と国に災禍を与えた責任ははっきりしてもらわねば困る。そしてもう一つ、この映画は米国人も見るべきでをる。あの戦争で、どれだけ日本の国民が苦しんだかを、よく知るが良い。無差別爆撃などと良く言えたものだ。そして一つでも多すぎる原爆が2つである。そんな米国に隷属する事で、なんとか生き延びてきた我々こそ生き恥をさらしているのかもしれない。但し信念の為に命を棄てるという事には、十分に気をつけなければならない。命を粗末にするという事は、えてして他人の命も粗末にする事になるからである。オームや韓国の新興宗教の教祖を見ていると、金儲けには関心が高く、女にすぐ手を出すくせに、信念や信者の為に自分を犠牲にするつもりはさらさらないらしい。それだけを見ても、彼らがいかに偽物であるかが分かる。部下に死んで来いと命じて、自分は責任を取るつもりはない。そういう軍人や指揮官は偽物と言われても仕方があるまい。そうせずに硫黄島で玉砕した司令官こそ本当の軍人であろう。戦後の処理の終わっていない我々に課題は残されている。映画としての出来はともかく、考えさせるという意味で推薦である。

「ゲド戦記」

宮崎アニメも二代目か。でもこれまでのアニメも全部が全部優れものとは言えない。「平成狸合戦ぽんぽこ」しかり「耳をすませば」しかり。ともに私の住む多摩地区を舞台にしたものが外れであったというのは皮肉ではある。私は映画とは、まず第一に面白くなければならないと考える。次はどうなるのだろうと、身を乗り出すような映画でないと見る甲斐がないではないか。でもそれがアクションである必要はない。問題はストーリー(物語)性、舞台なら脚本の出来なのだ。「風邪の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」の物語性こそ、この2本を日本映画会の至宝とする理由である。トトロも、魔女宅も、見て面白いが、まあ中身はあまりない。哲学ではないが、ある種の主張は「千と千尋」にもある。・・・が、「もののけ姫」は難解さが原因で、空回りになっていた。「ハウルの動く城」には主張らしきものはない。前置きが長くなった。で「ゲド戦記」だが、主張のみの映画である。だから、子供には退屈だ。原作は読んでいないがこのようなストーリーなら、大作にはならないのではないか。実は最後のタイトルにもあるように、もうひとつ原作がある。「アシュナの旅」という題だと思うが、これは宮崎オリジナルの単行本になっており、私も読んだ。少年が何かを求めて旅をするという話だったと思う。かつて地上は竜と人間が暮らす土地であった。しかしあるとき、自由と光を求めて竜は西の国に去り、安定とは豊かさを求めて人間は東の国に住むようになった。ところが人間の国でしばしば竜の姿が見られるようになった。東の国の国王は善政をしく、優れた王であったが、その王子アレンは、不安と凶暴さと隣り合わせで、心に問題を抱えていた。東の国で疫病がはやり始め、動物から人間に広がり始めた。しかも国の力(運気)が落ち始めていた。アレンは突然、父王を刺し、魔法の剣を奪って逃走する。当方の途中、ハイタカに救われるが、彼は本当の名前をゲドと言い、魔法近いの頂点に立つ、賢人であった。彼は国の力がおちている原因を探す旅に出ていたのであった。最近は魔法使いの力が衰えてきていた。アレンは人買いにさらわれそうになって助けたテルーと再会するが、テルーは固く心を閉ざしていた。人買いなどの悪党達を支配しているのは、やはり魔法使いのクモ(魔女)であり、クモは不死を願って様々な卑劣な手段を使う。この映画のテーマは、人間は不死ではない、でも死があることによって生が一層大事なものになる、死をおそれ、不死を願う事が、人間に不安と陰をもたらすという主張である。こういう主張を学童や幼児に見せても、理解させる事自体無理である。それから、あいかわらず背景というか、風景のシーンは秀逸であるが、人物の描写はTVアニメ以下である。不安や恐怖の表情など見られたものではない。竜の質感も不十分だ。人間は線で輪郭を描いただけのお粗末なもの。これは特にピクサーのアニメなどみると痛感させられる。第一戦争はないし、ゲドも殆ど戦わない。ヒットしそうな主題歌はアカペラでヒロインが5番くらいまで歌うシーンがある。ヒロインを演じる声優が歌っている。アンケートではこの映画はみたい映画のナンパーワンだそうだ。少し考えさせられる映画をみたい、でも絵は下手でも良いという人向けのアニメである。推薦にはしない。なぜならこれは多分ヒットするだろうが、この程度の映画で日本の大衆はいいのだと制作者に思わせたくないからである。

「カーズ」ビデオリリース

ピクサーはリアルな質感のアニメを沢山作ってきた。トイ・ストーリーやモンスターズ・インクなどである。その最新版の主役は車である。擬人化は子供なら誰でもやる事だ。木を人に見立てる時は枝が腕だし、車を人に見る時はフロント・グリルが口、ヘッドライトが目という具合である。今回の漫画映画ではフロントグリルの口はそのままだが、目はフロントウィンドウにしている。それだけに表情のつけかたも少し難しいものがある。大袈裟になるのだ。さて、ルート66沿いの街、ラジエター・スプリングスは、街をバイパスする高速道路40号が開通したおかげでさびれた街になってしまっていた。そこにロスのレースに出場する赤いレーシングカー(主人公)が迷い込んで来る。舗装道路を目茶苦茶にしてしまった彼は、街の判事に修復を命じられる。もともとこのレーサー、舞い上がった生意気な若造だった。そこに元弁護士の女性ポルシェ(うーむ、設定が苦しい)、実は元レーサーの判事、フェラーリ以外は認めないタイヤ屋のフィアット等。ここは目をつぶって、とにかく車の国の話だとわかりきるしかない。中でもナイスキャラは、なんといってもさびだらけのレッカー車だ。一番困ったのは、実は吹き替え版しか上映していない事だった。英語版の声優には著名なスターが顔を揃えてジョークをかますのが、楽しみだったのにそれがない。だったら字幕がなくてもいいから原語でみたいところだが、そもそもそんな日本人こそ少ないのだろう。そこで初めてお子さん達と並んで見る、漫画の吹き替え版となった。ひとつ驚いたのは、映像に出てくる、新聞記事、TV画面、そしてトロフィーの刻印など、完全に日本語になっている事だ。しかし後で気がついた。デジタル映像ならそれも容易に変更が出来るはずだ。パソコンのワープロ処理と同じ原理なのだから。でもやはり、遠くに広がる風景シーン、荒野に伸びるハイウェイ等、期待通りの映像の出来ばえで、これを見るだけでも価値がある。アニメはコンピュータ・グラフィックスの力を借りて、ここまで進歩してきたのだ。田舎のさびれた街で、1週間ほど滞在する間に、この若者(車だ、もう一度言うけれど)は大切なものを学ぶのである。・・・とまあ、当然ハッピーエンドだけど、2時間を超える映画は子供には少しきつそうだ。でも、エンドタイトルが始まっても、席を立ってはならない。楽屋落ちの場面が次々に出てくるからだ。アメリカ人なら家族で揃って見るだろう。でも日本では大人は基本的に漫画は見ない。そのくせ、電車の中ではレベルの低い劇画を読みふけっているのであるが。取りあえず推薦。但し対象が難しい。米国の漫画を理解出来る人向けとでも言おうか。いや今や私もご同輩の仲間入りをした高年者達が孫を連れて見に行くのに丁度良い映画なのかもしれない。

「クラッシュ」ビデオ・リリース

アカデミー賞作品賞受賞作品。クラッシュとは当然の如く車の衝突事故のことであり、米国では日常茶飯事である。話の発端はLAで数台を巻き込む玉突き事故があり、黒人の刑事(ドン・チードル)が現場を訪れるところから始まる。しかしこの事故は、一人の刑事が(多分悪徳)捜査官に発砲したことが原因だった。黒人票を気にする白人の検事にブレンダン・フレイザー、その我が儘な妻(これも人種差別主義)にサンドラ・ブロック。しかし彼らがこの映画の主役ではない。主役は人種差別の意識である。さまざまな人種の様々な職業(自動車泥棒を職業と呼べるならだが)が入り乱れ、字幕なしで見たら絶対に理解できないだろう。物語のひとつの筋は自動車泥棒の黒人の若者2名である。またもうひとつは、車を制止されて、警官に妻のからだを触られても何も言えなかった黒人の映画監督とその妻である。またしょっちゅう強盗に入られるペルシャ人の家族という設定もある。LA警察を軸にさまざまな人生の断片が時に重なり合い、時に別個に進行する。こんな映画でハッピーエンドが可能なのかと思う。自分でも人種差別論者だと豪語するLA警察のベテラン警官にマット・ディロン。しかしストーリーを詳しく説明すれば却って興趣をそぐので、現物をみていただくしかあるまい。以前似たような設定で、スティーブ・マーチンが出ていたLAストーリーという映画があったが、こちらの方が良くまとまっている。今なお米国で根を張る人種差別に正面から取り組み、クールに描いている。もうほんの少しの理性さえあれば、悲劇を回避できたのにという印象を持つが、日本も段々そういう傾向が強くなり、老若男女を問わず切れやすい連中が増えている。他人事ではないのだ。クリスマスの2日間に起きた、クラッシュで始まり、クラッシュで終わる映画。特選。

「パイレーツ・オブ・カリビアン、デッドマンズ・チェスト」ビデオリリース

前作ではジョニー・デップが、眼に黒い隈取りをして、善とも悪ともつかない悪党(やはりワルか)の船長を演じており、その怪しい演技が話題になり、あわやアカデミー賞候補かと思われたこともある。その怪演が見たくて、プレミアショウに脚を運んだのだが、結論から言って、今回は外れかなというところだ。デップ演じるジャック・スパロー船長に変わりはないが、ストリーの仕立てが良く判らないのである。ディビィ・ジョーンズという海底の闇の世界を支配する、幽霊船フライング・ダッチマンの船長に、スパローは借りがあるらしい。左手にしょっちゅう証文代わりの黒い斑点が現れる。その約束とは13年間ブラック・パール号を自由にしたら後100年はフライイング・ダッチマンで奴隷奉公をしなくてはならないとかそんなことらしい。海底から潜水艦の急浮上よろしく幽霊船が出現するシーンはともかくとして、ジョーンズにも弱みがあった。それは自分のゆかりの品物(?)を納めたチェスト(引き出し、衣装箱)を無人島に埋めてあるのだが、それを奪われると困るからである。しかもジョーンズは超巨大タコ、クラーケンを操って、船を次々に沈めている。一方ウィル(オーランド・ブルーム=ロード・オブ・ザ・リング)を捕らえた植民の新総督は、命と引き換えにスパローからコンパスを奪えと命じる。この魔法のコンパスは叩くだけで行きたい場所の方向を指し示すのである。後はひっちゃかめっちゃかだ。前総督などというものまで現れて、ついには3人が水車の上で互いに剣劇するというおまけまでつく。タコがしつこく何回も何回も出てくるは、海賊どうしの死闘もあるは、原住民に追いかけられるはで、アクションの連続の割には2時間半が長く感じられる。映画にとって、次はどうなるだろうという期待が一番大事だが、なぜかこの映画は、後は好きなようにしてくれという気分になるから不思議だ。しかも「さらばスパロー」等という思わせぶりな副タイトルさえついている。結論は非推薦。脚本の失敗。後で前作を見返してみたら、そちらの方が余程面白かった。しかしこの前作の中で、ジャックが、宝の洞窟で靴ひもの船長と剣劇をするシーンがあるがで、満月に照らされたジャックが一瞬ゾンビに見えたような気がするのだが、何故だろうか。下記は公式サイトである。

http://www.disney.co.jp/pirates/

「MI3」ビデオリリース

トム・クルーズ主演のアクション映画。MI1もMI2もぱっとしなかったので、あまり見る気はなかったが、勤務先でお触れが回っていたので、機会を捕らえて見ることにした。イーサン・ハント(トム・クルーズ)がバチカンに忍び込む時に使う黄色いバンが動機である。以前トム・ハンクス主演の無人島漂流映画「キャストアウェイ」で、フェデックスの飛行機が使われたのと対照的だが、宣伝はフェデックスの方が念入りだった。今回は単にトラックが使われたというだけのことてある。ミッション・インポシブルと言えば、あのラロ・シフリンのテーマ曲に載って、ダイナマイトの導火線が燃えて行くシーンがあまりに有名だ。TVが未だモノクロの時代に一生懸命見た記憶がある。「お早う、フェルプス君・・・このテープは自動的に消滅する」という例の奴だが、変装の名人マ-チン・ランドー、電子気機器のエキスパート、力持ちのレスラーに、美人(この女優の名前は忘れたらが、かなりも色っぽかったように記憶している)という設定だったが、この映画では有能なエージェント達が活躍はするが特に分業という形ではないようだ。今回はなんと所属する組織名が明らかにさる。IMFと言っても国際協力基金ではない。インポッシブル・ミッション・フォースである。ぎゃっである。テロリストに武器を売って荒稼ぎする男(アカデミー賞受賞のホフマン)を追跡していた女性エージェントが捕らえられ、救出に向かうものの頭に仕込まれたマイクロ爆弾で殺害される。リアルな死体が2回登場するが一度で良い。一方最近結婚したばかりのイーサンを中心に、黒幕をバチカンで誘拐するという大胆な計画が実行される。トム・クルーズの独り舞台で、とてもじゃないが人間では不可能な離れ業の連続だ。話変わって、場所も上海に変わって、謎の危険物質「兎の脚」を48時間以内に奪わないと新妻の命が危ない。おそらくふんだんに資金を投入したのでだろうが、迫力は十分。でももうちょっと画像をきれいに撮ってほしかった。見ていて飽きないことは事実で、これは映画における最大の評価ポイントである。従って一応推薦であり、今までのMIの中では一番良い。しかし、なんでこんな略号が生まれたのだろう。多分「T2」(ターミネイター2)あたりが原点だろう。なおアクション映画では必ずコミカルなシーンがあるが、今回はそれは全くない。

「6-7月リリースのビデオから」

まず非推薦から。ウォルト・ディズニーの「ドクター・ドリトル3」にはもはやエディー・マーフィーは出演しない。動物がしゃべるシーンも多くない。確かに汚い言葉が出てくる家族向け映画というものも私はい嫌いだが、一言で言って子供向きだが、しっかり手抜きした映画になっている。同時期に出たディズニーの映画なら、バスケット・ボールの傲慢な監督(コーチ)をテーマにした「リバウンド」の方がましである。さて問題は「シン・シティー」だ。ブルース・ウィリスの主演で、悪徳がはびこる街で老刑事が一人で巨悪に立ち向かうというストーリーだけならどうということはないが、私は読んだことはないが、米国のアダルト向けの過激な漫画を映画化した作品ではないかと思う。仁義も歯止めもない血みどろの残酷なシーンの連続なので、殆どがモノクロのシーンである。一応勧善懲悪ではあるし、ハッピーエンド(こういうのってハッビーエンドって言うのだろうか。単なる報復じゃないのか)を目指してはいるが、なにしろシーンの残酷さは、とても子供には見せらるようなものではない。無論ヌードもある。完全に成人映画、それも映画なんぞに左右されない自制心の旺盛な成人向けの映画だ。ではなぜ、非推薦にしないのかというと単純な理由。ひいきのミッキー・ロークが久しぶりに出演しているからだ。最初は判らなかったが、声と目つきで判った。極端なメークをしており、もともと小柄な彼が大男に化けている。こういう映画が頽廃的な映画と言うのだろう。それでも最後まで見てしまうのが、映画の麻薬的な怖さである。映画を余程見慣れた人以外にはお勧めは全く出来ない。「喜びを歌に乗せて」は指揮者として成功した男が故郷の村に戻って、合唱隊を組織する映画だが、驚くのは外国人と我々モンスーン地帯の東洋人との価値観の違いである。これだから他国の人を理解するのは難しい。真面目な映画だが、結末はあまり納得できない。「ナイト・オブ・ザ・スカイ」は珍しいフランスの航空映画である。登場する戦闘機は当然ながらミラージュ。しかしあの三角翼機はどう見ても不安定だ。いかにも軽いラテンの戦闘機パイロットが活躍するのだが、空撮札のシーンが美しいのは特筆したい。シーンの美しさにこだわるのはいささか古いが「風船旅行」以来のフランス映画の伝統的美点である。メカ的には、既に引退した空母クレマンソーを主役にした「頭上の敵」を思わせるが、こんな映画、誰も知らないだろうな。戦闘機ファンには、推薦はしないまでも、見るのも止めはしない。そして今回のご推薦は「ダイヤモンド・イン・バラダイス」である。ピアース・プロズナンは007役をしばらくやっていたが、今回は腕の立つ大泥棒だ。巨大なダイヤをまんまと盗み、FBIに追われる身の上である。カリブの島で引退生活をしていたが、そこに豪華客船がやってきて、もうひとつのタイヤを展示するという。食指が動かぬはずはない。こういうアクション・コメディーだと、えてして荒唐無稽になり勝ちだが、ある程度シーンもリアルに撮影しているので、嘘くささが少なくなっている。コミカルなアクション映画というのは多分一番楽し塗る映画のジャンルのひとつかもしれない。推薦。

「ポセイドン」ビデオリリース

大体が、リメイクがうまく行く例は少ない。「荒野の7人」がその悪い例だし、そもそもパニック映画の古典「ポセイドン・アドベンチャー」にも本来ありえネェー2や3が作られたが、そのどちらも駄作であった。なんで2と3が出来たかというと、ポセイドン号がまだ船腹を上にして浮いていたからで、財宝などを狙う輩がもぐり込む余地があったからである。果たして今回のポセイドン号でそれが出来るだろうか。海難事故をテーマにした映画としてはタイタニックをしのぐ映画は当分できないだろうと思っていたのが浅はかであった。映画の技術はどんどん進歩しているのだ。超豪華客船、浮かぶ4星ホテルのポセイドン号に乗り合わせたのは、元NY市長の親子、親はカート・ラッセル、娘は「オペラ座の怪人」のエミー・ロッサム(今回はあまり可愛くはないぞ)だ。そこにからむのがギャンブラー(まだそんな職業があったとは)、船舶技師でゲイの年寄り、リチャード・ドレファス(なんという無理な設定だ)。ほぼ密航に等しいヒスパニック系の娘、そして前回同様子供連れの母親だ。余計な前置きはあまりなく、船の高さをしのく突然の高波に襲われる。津波なら警報があるはずだが、そうではないので警報はない。操縦室では必死に船の向きを変えようとするが当然の如く間に合わない。そう言えば、「ポセイドン・アドベンチャー」の時の船長は、レスリー・ニールセンだった。とにかく大晦日の夜中のバーティーの真っ最中に船は180度ひっくり返り、多くの犠牲者が出る。それでもなんとか浮いている。しかし技師によれば逆様になって浮いていられる船などないという。賭博士を先頭にした脱出組と、船長が指揮する全滅予定の居残り組に分かれる。船内からの脱出という点では同じだが、道具立ては全く違うし、特撮のレベルも全然違う。ようするにリアルだ。しかも論理的に脱出路が説明されている。片時も目を話せないという意味では、よくできたパニック映画と言えるだろう。脱出は当然の如く難儀を究め、犠牲者も出る。ハラハラ・ドキドキしたい人には一押しの映画である。カート・ラッセルが元消防士で、人命救助から市長になったという説明にはニヤリとする人もいるだろう。バックドラフトの消防士を想い出すからである。オリジナルの方が良いのは、「ザ・モーニング・アフター」の名主題歌があったことと、ジーン・ハックマンがいたことである。但し「ポセイドン・アドベンチャー」が今でも名作であることに変わりはない。

 

「3丁目の夕日」ビデオリリース

原題についているAlwaysとはどういう意味でつけたのか分からない。Alwaysというと、私はリチャード・ドレファスとホリー・ハンターの山岳消防隊の映画(LDで所有。但し英語版)を思い出すだけである。原作は西岸(さいがん)良平のビッグ・コミックの漫画であり、私はその第一作を新入社員当時に読んだ記憶がある。アクションとスボーツばかりの漫画雑誌の中で唯一アト・ホームな漫画だった。やけに顔が大きくて丸っこい絵だったと記憶している。結論から言って、この映画はお勧めだ。主役の吉岡も、堤も明らかに演技過剰だが、二人の子役が相当に良い味を出している。とくに指輪のシーンは見どころだ。昔も今を人の心は変わらない。だからAlwasysなのだろう。人が人間らしさを失ったが故に連続して起きている酷たらしい事件をみるにつけ、今こそ、人間らしさを見直しす時に来ているのかもしれない。

 

「アカデミー賞関連」ビデオリリース

2006年のアカデミー賞に関連した作品を二つ。一つは「スタンド・アップ」で、これはイリノイの鉱山で働く女性従業員に対するセクハラに対して、一人の女性の会社に対する訴訟の実話を描く。今から思えば恐るべきアナクロな話だが、結局今のような男女同権の米国も、こういう戦いがあって初めて出来上がったのだかと思わせる。主演のシャーリーズ・セロンの演技力は万全で、既に彼女はオスカーを別の映画で手にしているが、今回も候補となった。見ておいた方が良い映画ではあるが、刺激もそれなりに強く、家族向きではない。もう一つは、主演女優賞をとった「ウォーク・ザ・ライン」である。これはジョニー・キャシッュと、ジューン・カータ−の半生の実話であるが、ジューン役のリーザ・ウィザースプーンがプロ波に歌っているのがたしかに凄いと言えば言える。演技的にはセロンの方が上だとは思うが、本も木の歌手と言っても通用しそうだ。但し、ジョニー役のホアキン・フェニックスは元々、感じが暗い(「グラディエ−ター」の敵役)し、おそらくジョニー・キャッシュ本人もそうなのだろうが、とても感情移入できる相手ではない。60年代の歌が好きな人以外にはお勧めしかねる。たまたまた我が家にも、キャッシュが歌う題名となった曲のCDがあるが、なぜヒットしたのか正直言って良く分からない。

 

「ダヴィンチ・コード」ビデオリリース

既に本がベストセラーになっているし、いまさら粗筋を隠しても始まらない。実在のルーブル美術館長、ソニエ-ルが、記号の解読を依頼した相手はハーバードの記号学の教授トム・ハンクスだった。面会予定の日に、ソニエールは何者かに射殺される。しかし彼は奇怪な方法でハンクスにメッセージを残したのだ。それはレオナルド・ダウィンチの作品が謎を解く鍵になる事を暗示するものであった。殺人の容疑者として追われる事になったハンクスに、パリ警察の女刑事ソフィーが助けを手をさしのべるが、彼女はソニエールの孫娘でもあった。ソニエールは秘密結社シオン修道院の総長であり、ある重大な秘密を守る事を目的とした修道院の幹部4名が次々に殺される。指令したのは、カソリックの極端な一派であり、手を下したのは狂信的な修道僧だった。警察の手を逃れながら、ダヴィンチが残したメッセージを追うハンクス等は、イギリスのテンプル騎士団が葬られている寺院に向かう。ダヴィンチの名画、最後の晩餐に描かれている謎の実物とは誰か。また描かれていてしかるべき聖杯がないのはどういう訳なのか。ハンクスは暗号を解読して、聖杯にたどり着けるのか。ジャン・レノが、ハンクスを付け狙うパリ警察の刑事役で、今回は悪役かと思えばそうでもなかった。3時間に及ぶ大作だが、原作を読んでいると、それでも省略さされている部分があることに気がつく。どらかといえばやはり本を読むべきだろう。しかし人間イエス、その方がどれだけ我々現代人に受け入れやすい概念であることか。また実際にマグダラのマリアの子孫を祀っている教会も南仏にはあるという。遠藤周作の「沈黙」を含む3部作を読んでいれば、受け入れ易い仮説だ。キリスト教のことはよく分からないが、三位一体という概念がまず一番分かりにくく、それはそもそも論理に無理があるからではないか。またそこには教会に都合の良い論理がないと断言できないのではないか。政治と結びついたとき、どんな宗教もおかしくなる。キリスト教会といえども例外ではあるまい。博愛主義を棄てて、非道と弾圧に走る。異端審問しかり、十字軍しかり。それをいえば、殺人を是認するイスラム原理主義も、もはや宗教とは呼べない。2000年前に、民衆を救おうとした一人の人間(予言者)がいた。秘蹟も行ったであろう。超能力は現代でもいくらでもある。そして今でも人々は、彼の教えをよしとするが故に、彼を慕い尊敬する。それだけで十分ではないか。

「チキン・リトル」ビデオ・リリース

最近本当にロクな映画がない。ビデオ・リリースになった「蝉しぐれ」でも見るしかないが、このアニメはそれなりに楽しめる。チキンといえば、米国の子供が弱虫をからかうときの言葉だが、主人公のひよこはお父さん鶏(雄鳥か)と一緒に暮らしているが、なんとか皆に認められたいと思っている。丁度野球の試合があり、いつも三振するチキンはついにヒットを打つ。めげないで努力すれば、道を開けるという単純な話だが、こういうほのぼのした映画が最近少ないので、アニメでも推薦にしたくなる。空が落ちてくると騒いだというのは童話のテーマだが、実は本当に空から振って来たカケラがあり、それはUFOの窓だった。さて、地球のピンチにチキン達はどう立ち向かうのだろうか。人(鳥)の良いお父さん鳥のキャラが、いかにも米国の庶民にありそうなキャラで面白かった。

 

「プロデューサーズ」

ブロードウェイのメガヒット、トニー賞総嘗め、チケットも半年先まで買えないというミュージカルの映画化。確か日本の舞台でも上演されたはずだ。ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリックという舞台のオリジナルキャストで、頭の弱い金髪美人にはこともあろうにあの武闘派、キル・ビルのユマ・サーマン。背が高いということが多分採用された大きな理由だろう。米国の映画俳優は、芝居やミュージカルに出たがるが、一つには彼らには歌って踊る才能があるからだ。これはまじめな芝居しか知らない、日本の俳優との大きな差である。マックス(レイン)は最近、新作のミュージカルを手がけたが、往年の栄光はもはやなく、初日で打ち止めになる始末。おばあさん達をたぶらかして、小切手を巻き上げて、なんとか生活している。そこに堅物の会計士リオ(ブロデリック)が現れる。彼が事務所の帳簿を見ると、ミュージカルがヒットした時より、ヒットしない時の方が実入りが多いことを発見する。マックスはリオを口説いて一緒にヒットしないミュージカルで一稼ぎしようと誘う。何しろ当たると困るので、最低の脚本を選ぶ。それは「春の日のヒトラー」というナチ・オタクが書いた本だった。これにゲイの演出家をかませ、失敗間違いないと思っていたのだが・・・。作詞、作曲がメル・ブルックスというのでまず驚き。あの渋いコメディアンにこんな才能があったのか。歌も結構聞けるものが多いからである。内容はドタバタとは言わないがドンチャンした内容で、汚い言葉も飛び交う。直感的に日本ではヒットしないかも知れないと思った。現地で相当ミュージカルを見た経験がないとついていけないセンスかもしれない。しかし、現地で散々苦労した身としては、字幕があるというのは本当にありがたい。リチャード・ギアが踊った「シカゴ」を見た人なら、問題なく受け入れらるだろう。推薦。但しミュージカルが分かる人向け。軽妙なセリフのやり取りを見る(聞く)だけも楽しい。プロデューサーズと複数形なのは、マックとリオの二人ともプロデューサーになるからである。http://blog.cinemacafe.net/producers/

 

「ナルニア国物語、ライオンと魔女」

キャロル・ルイスの7部作からなる長編物語の初の映画化。第二次大戦が熾烈を極め、ドイツ軍機のロンドン空襲が激しさを増している頃、4人兄弟が郊外に疎開する。疎開先は哲学教授の広大な屋敷だ。この教授はキャロル自身のことを描いているようにも思える。広大な屋敷でかくれんぼをしている内に、幼い妹は隠れた衣装ダンスのコートの奥に雪一面の世界が広がっているのを見る。最初は信じなかった兄、姉もこの世界についに足を踏み入れる事となる。この世界はと魔法の世界。ドワーフやゴーレム、ケンタウロスの住む世界だ。ナルニア国(発音はナ−ニア)と呼ばれ、魔女が女王として政治で支配してからというもの、100年間冬が続いている。人間が来ると、彼らがこの国の王となるという予言があり、魔女はそれを警戒している。一方反乱軍は着々と準備を進めており、そのリーダーはライオンである。ビーバーや、狼や、ライオンが話をするシーンは実写と見まごう。特撮がここまで進歩して初めて可能になった映画かもしれない。2時間半はそれ程長くない。「ハリー・ポッター」と「ロード・オブ・ザ・リング」だけが英国の幻想映画ではないということだ。ファミリー映画だし、魔女に負けると石にされてしまうので流血シーンは少ない。一応推薦。公式サイトはhttp://www.disney.co.jp/movies/narnia/shell_content.html

「コープス・ブライド」ビデオ・リリース

ティム・バートンといえば、幻想的な映画やホラーを得意としていて、「エドワード・シザーハンズ」、「スリーピー・ホロー」、「ビッグ・フィッシュ」等があるが、アニメの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」にはちょっとつていけない印象だった。このアニメも同じような趣向かと覚悟して見たが、確かに死後の地下の世界がテーマにはなっているが、もっと楽しく(?)出来ている。最後は少しホロリとするシーンもあり。ファミリー向けとして一応お勧め。

「アクション映画をまとめて」ビデオ・リリース

「ステルス」は近未来の戦闘機乗りと、更に進化した完全無人機とのつばぜり合いだが、無人機の人工頭脳が自分で判断するようになり、自分で勝手に標的を選んで攻撃しちゃうというのだから、困ったものだ。一方、有人のステルス戦闘機も、作戦行動中に、女性飛行士の戦闘機が事もあろうに北朝鮮に墜落してしまう。果たして彼女は脱出できるのか。とまあそんな話だが、戦闘機が飛び回る特撮もあり、荒唐無稽は分かっているが、それなりに楽しめる。「イン・トウ・ザ・サン」はスティーブン・セガールが、第二の故郷である日本を舞台に、やくざ相手に日本刀を振り回すという映画。どちらかというと山田洋二の時代劇より、香港や韓国の映画の影響が強い。日本人も多数出演し、寺尾聡も出ている。コロッケがコメディアン役で鼻をほじるシーンは頂けない。日本の風景をありのままに収録しているという点では「ラスト・サムライ」(なんだ、あの横浜港は)よりましだが、流血シーンが多すぎる事、ストーリーらしいストーリーがないので非推薦とする。「マグニフィセント・フォー」は、宇宙ステーションで強力な宇宙線を浴びた4名が、怪力人間、透明人間、ゴム人間(!)、火の玉人間になるという設定で、無論漫画がもとだ。荒唐無稽さに文句をつけるのは野暮というものだろう。善玉、悪玉に分かれての超能力比べという、分かり易い筋書きなので、暇つぶしに困ったらどうぞ。しかしマグニフィセントとくれば、こちとら、マグニフィセント・セブン(ユル・ブリンナー主演「荒野の7人」)の時代の人間だ。アクションではないが、期待して見た「ハイド・アンド・シーク」は、デ・ニーロが複雑な性格の精神科医を演じるということで終わってしまうきらいのある映画で、「シックス・センス」にも、「アザース」にも、「ビレッジ」にも、意外性では及ばないような気がする。

「釣りバカ日誌16」ビデオ・リリース

初めて見たこのシリーズ。実は以前漫画週刊誌で原作を読んでいた。今回は沖縄で知り合ったボビーの軍艦に乗ってハワイにまで行ってしまうという想定だが、脚本に山田洋二が加わって入るのを見て、なるほどと思った。寅さん風の古いギャグ満載なのだ。しかし、漫画のハマサキは、スーさんこと鈴木社長に一応の礼儀を尽くす良識あるヒラ社員だが、この西田演じる主人公は、キャラのつかみどころがない駄目社員に過ぎない。肝心の釣りに関しても、あまり思い入れが感じられない。という訳で、原作を読むことを勧めたほうが良さそうだ。見るバカ日誌だったかもしれない。

「単騎、千里を走る」

チャン・イーモウ(英雄、ラバース等)が高倉健に惚れ込んで作った映画。漁師のケンさんは、奥さんを亡くした時にそばにいなったことが原因で息子に愛想をつかされ、一人住まいだ。息子は結婚して東京に住んでいるが、息子の奥さんから、息子が入院したという電話が入る。ケンさんは見舞いに駆けつけるが息子(中井貴一が声だけ出演)は会おうとはしない。息子は中国で仮面劇の取材をしており、ただ一つ名人の「単騎、千里を走る」という舞と歌だけは収録できなかったことを残念に思っているという話を、奥さんから聞いたケンさんは、急遽、中国に旅立つ。通訳を交えて、名人のいる村を訪ねるが、本人は傷害事件で服役中だという。通訳には断られるが、外事局に頼み込み、刑務所に撮影の許可を申し込む。名人には会えたものの、ご本人は遠地にいる子供に会いたくて歌どころではないと泣き出す始末。ケンさんは、時間もないのでやむなくその息子を連れに辺鄙な村に向かうのであった。ケンさんキャラそのままという感覚の映画だが、ケンさんも年を取った。ケイタイが大活躍。名人がハナミズたらすシーンなどどうかと思う部分もあるが、基本的に人間の善意をテーマにした映画であり。泣かせる場面はチャン・イーモウも心得ている。手放しで推薦するほどではないが、見て損はしないだろう。公式サイトはhttp://www.tanki-senri.com

「ミスター・アンド・ミセス・スミス」

面白いといううわさを聞いて見に行く気になったが、どうやらそう言った人はアクション映画を見慣れていない人だったようだ。要するに、ブラッド・ピットも、アンジェリーナ・ジョリーも、秘密組織の殺し屋で(ジョリーは300人以上を消している)、お互いに正体を知らずに一目ぼれで結婚はして見たもの、ある時、共通の標的を狙うという事態になり、お互いの正体を知ることとなった。そこで仕事が大事な二人は、お互いを殺そうとつけ狙うが、裏の裏を読んで攻撃をかわしたり、いざという時にもなかなか踏み切れなかったりしている。そのうち双方の組織が、二人とも抹殺してしまおうと動き始めるのであった。見所は撃ち合いとカーチェイス。ストーリーは単純なアクション映画であり、お気に入りのスターが出ているというだけで見るのを、妨げる理由もなさそうである。

「シンデレラマン」 ビデオリリース

ラッセル・クロウ(グラデイエンター)が伝説のボクサー、ジム・ブラドックに扮して、リングの上で叩く。最盛期を過ぎ、大恐慌のさなか、生活保護を受けるまでになったが、再起を果たす。共演はレネー・ゼルウィガー(ブリジット・ジョーンズの日記、コールド・マウンテン等)。大恐慌で、米国民ノ気持が落ち込んでいる時に、国民の勇気を引き出したとして有名なボクサーだそうである。アカデミー賞候補。家族で見ても問題はない。公式サイトはhttp://www.movies.co.jp/cinderellaman/

「そうだったのか!現代史」 池上彰著 集英社刊

2000年の発行だからかなり以前の本である。最近改版が出たようで、新聞にも大きな広告が載り、それで知った。作者の池上氏は、NHKのアナウンサーで、多分今はフリーになっているはずだ。「週間子供ニュース」という番組で、お父さん役を演じて、子供向けのニュース解説をしていたが、その的確で分かり易い分析と、NHK的な中立を取らない態度が好ましかったことを覚えている。学校でも現代の歴史の勉強はしたはずであるが、なぜか記憶が薄い。大体が第二次大戦前で時間切れになってしまうことが多かったことと、戦後の教科書が政治思想に過敏になっていて、何を書いているのかさっぱり分からないものになっていたからではないかと思われる。昨今、靖国問題が騒がしいが、これも戦争の総括をしていないからに他ならず、アジア各国が指摘しているのもその点なのだ。右派系の政治家が、時代錯誤の過激な国家主義論をぶち上げることができるのも、国として戦争の理念的な処理を放置してきた結果に過ぎないのではないだろうか。家族に戦争の犠牲者が居ないせいなんだろうが、平気で徴兵制などを口にする元政治家の存在にはあきれるばかりである。この一見子供向きの本を10頁ほど読んだだけでも、現代史というごく身近な世界情勢が、数千年の人類の歴史、すなわち独裁と残虐行為の歴史と、いささかも変わることのないことに驚かされる。人間という存在は歴史から学ぶということが出来ないのだろうか。また民主主義というものが、いかにはかなく、か弱いものか、また国際情勢は、我々日本人が楽観しているような生易しいものではないということが実感できるであろう。何百万という自国民を虐殺したスターリンの蛮行は、ヒットラーさえ青ざめるようなものだし、スターリンを批判しながら武力でチェコをふみにじったフルシチョフ、サダム・フセインの身勝手な理屈と虐殺、ポル・ポトなど、独裁者が自国民になす残虐行為は、とても人間の行動とは思えない。独裁者というのはまさに人の形をした悪魔としか思えない。チェチェン紛争もスターリンがまいた種なのだということが分かる。アメリカのイラク戦争における徹底した報道管制も、権力による、真実の報道への介入と言える。この本で一番大事は部分は民主主義のパラドックスという部分である。即ち、民主主義国家である以上、国民大衆が選んだ政治家が政権を担うのは当然の事である。しかし、その政治家が独裁者であれば、次の民主的な選挙はやってこない・・という一節である。現在の日本の政治のあり方が最善だなどと思うことがそもそも間違いなのだろう。政党や個人の独裁を絶対に許さない、本当の民主主義のあり方を求め続ける努力を惜しんではならないと感じた次第である。

 

「ハリー・ポッター、炎のゴブレット」

今回の作品は批評が難しい。俳優が年を取り、御伽噺の主人公は難しくなりつつあるということも、背景にあるのかもしれない。今回はついに劇中で犠牲者も出るし、もはや子供向けの映画ではない。事実、劇場でも子供が飽きてしうという雰囲気があった。さて、世界の3大魔法学校(アイルランド、フランス、ブルガリア)同士が対決するという競技会が開催される。参加できるのは各校1名である。それも年齢制限があり17歳以上だ。ハリー・ポッターは14歳(見た目はハイティーンにしか見えないが)で、当然応募の資格はない。ところが誰の差し金か、知らないうちに応募され、4人目の挑戦者として選ばれてしまう。この競技会は危険が伴い、命掛けの競技で知られている。勝ち残れば最大の名誉だ。3種類の最初の競技は、それぞれが選んだドラゴン(当然だが、火を吹き、空を飛ぶ)が守る、卵型の容器を奪うことだ。ハリーは空を飛ぶことは得意なので、善戦するが、危機一髪である。全体を通して、このシーンが一番見ごたえがある。そしてゲームが進むにつれ、なぜハリーが参加させられたかが明らかになる。そこには暗いストーリーがあり、この辺は大人向けだ。これまでこのシリーズを見てきた人は今回も見ないわけにはいかないだろう。しかし長すぎる。特にダンス・パーティーのシーンは全く不要である。ぎこちないティーンズのラブシーンも、見ていて楽しくない。マニア向けの映画なので推薦とはしない。なお来年3月公開予定の、ルイス・キャロル原作の「オルニア国物語」がどんな映画になるのか、気になるところだ。果たして「ロード・オブ・ザ・リング」を超えられるのかどうか。なおゴブレットとは杯の意味だが、ここでは投票の為に設置される花瓶大の杯蛾登場するだけで、ストーリー上では殆ど意味はない。

「iPODとベスト・クラシック100」

映画でも小説でもないが、ご紹介したいものがある。まずアップルのiPODであるが、これは携帯用音楽機器として、最大のシェアを誇っており、今更知らない人はいないだろう。私も20GB、iPODシャッフルと進んで、今はiPODナノの4GBでかなり満足している。これで電池の保ちが良くなるか、充電池を自分で交換できるようになれば最高だ。2年も使えば電池交換が必要で、その時は修理扱い(即ち相当な高額の費用が予想される)というのが少しひっかかる。iPODが良いのは、収納曲数の多さに加えて音質が聞き易いことである。最初は耳の穴から少し引っ張ったくらいでは落ちない、インナー式のものが便利だと思ったが(イヤフォンをしたまま、うっかりコードを引っ張ってしまった時の不愉快さは誰しも経験済みだろう)、アップルの製品を含めて、このタイプは音が高音よりで硬く、あまりお勧めできない。普通のアップルのイヤフォンの方が音は良い。それとは別に、通勤の車内で聞くことが多いので、イヤフォンだと電車の騒音に音が負けてしまうことがある。気にせずガンガンン鳴らまくっている無神経な若者の真似はしたくない。そこに登場したのが、ノイズ・キャンセラー付のヘッドフォンだ。これはソニーの製品であるが、原理は、騒音を検出するとヘッドフォンの回路がそれと反対の波形を作り出し、騒音を相殺してしまうというものだ。効果は抜群。スイッチを入れるとすっと雑音がなくなる。そうなると音楽の音量を上げる必要もなくなる。また増幅機能もあるので、本体のボリュームも下げられる。音質は必要にして十分で、写真のモデルは5000円強だ。ただのヘッドフォンと比べても安いくらいである。電池は単4で14時間保つという。欠点はアームがたためないのでかさばること。このシリーズにはインナータイプもある。共に飛行機の座席の、イヤフォン・ジャックにつなぐアダプタ−もついており、機内のゴーというジェット機の騒音も軽減できるようだ。未だ試したことはない。屋外で使うときは風に注意。風のを騒音と勘違いして、イヤフォンの中で逆波形の風の音を作り出してしまうからだ。512MB(写真左)のiPODシャッフルならCDで7枚、100曲収納できる。写真右の4GBのナノなら1000曲だ。しかし、そんなにCDを持っていないひとや、イージーリスニングを常時流しておきたい人にお勧めなのが、写真左の「ベストクラシック100」である。有名なクラシック曲のさわりだけを集めたもので、6枚組3000円という破格の値段である。演奏は一流だし、選曲の並べ方が上手で、曲が移って行くときの違和感がない。聞きたくない曲は飛ばせばよいし、無駄ならパソコンのライブラリから削っても良い。以前、「クラシック・エバー」という、さわりだけ集めたオミニバスのCD野シリーズがあったが、曲を聴いて見ると、どうやらそのリメイクのようだ。512MBのシャッフルならMDプレーヤより安い位だし、それにこの「ベストクラシック100」を入れておけば、鬼に金棒。長距離移動も怖くない、と言う次第である。

 

「ミリオンダラー・ベイビー」(ビデオ・リリース)

アカデミー賞4部門受賞作品。予告編を見た限りでは、女性ボクサーの成功物語であるが、話はそう簡単ではない。フランキー・ダン(クリント・イーストウッド)は二流のボクシングジムの経営者兼トレーナーである。但しマネージャーとしては一流とはいえない。モーガン・フリーマンはかつてフランキーが育てたボクサーであるが、タイトルマッチを急ぎ過ぎた為、片目を失明して、今はジムの使用人として働いている。最近もフランキーが手塩に掛けて育てボクサーが、タイトル戦に固執したばかりに、恩を忘れてフランキーの元を去った。しかしフランキーのトレーナーとしての腕前は一流である。マギー(ヒラリー・スワンク)は貧しい家で育ち、13歳の時からウェイレスとして働き続け、ろくな教育も受けていない。今年31歳の彼女の夢は、女子ボクサーになることだ。フランキーの訓練を受けようと粘るが、すげなく断られる。フリーマンがとりなして、結局彼女は訓練を受けることになり、厳しい練習と持ち前の才能で、必ず1ラウンドでノックアウトするボクサーに成長することが出来た。そして待ちに待ったタイトル戦に臨む。相手は反則をいとわない、汚い試合で知られる相手だ。ということで、その後はここで書くわけにはいかないので、ビデオをレンタルして、なぜこの映画が受賞したのかを自分の目で確かめて頂きたい。最近これという映画がなかったので特選としておく。この機会にどういう生き方が本当の人生なのか、考え直して見るのも悪くはないだろう。

「シャル・ウィ・ダンス」(ビデオ・リリース)

言わずと知れた、邦画のリメイク版洋画である、役所広司の演じた倦怠期のサラリーマンにリチャ−ド・ギア、草刈民代のダンサーにジェニファー・ロペス。ギアは離婚訴訟専門の弁護士で、弁護士でも地味な分野だ。奥さん(スーザン・サランドン=私の贔屓の女優の一人)との間にも問題はない。しかし人生に退屈したギアは、窓辺に立たずむロペスを見て、衝動的にダンス教室に入ってしまう。場所がシカゴという設定でなるほどと思う。ニューユークの地下鉄では外は見えないし、郊外電車はダンス教室の横など通らない。シカゴの高架電車が使われたのもむべなるかなである。ジャズダンズやブレークダンスの国、米国でもダンス(ソシアル・ダンスとは言わない、ボールルーム・ダンスである)はあるし、アステア・ロジャースを引き合いに出すまでもないが、今や社交ダンスは英国が本場ということになっているらしい。しかし、「シャル・ウィ・ダンス」の曲が流れると、ダンス教師が、主演はユル・ブリンナーで等と、とうとうと語り始めるが、まーしゃーないわな。もともと米国はハリウッドの映画だし、その前はブロードウェイの舞台ミュージカルだったんだから。ほぼ完全に日本の映画をなぞっているが、バレリーナだった草刈の持つ凛とした気品を、ロペスに求めるのは無理というものだろう。ギアとの心の交流にももっとしっとりしたムードが欲しいが、米国映画としては抑えた表現になっている。脇役も原作にかなり近い設定だ。但し文化の違いが一番出てくるのが夫婦の関係で、米国は完全な女性上位、亭主はあくまで低姿勢だ。日本の亭主関白は通じない。すぐに殺しだ、汚いセりフの応酬だという米国映画界にあって、こういう映画があってもいいじゃないかと思わせる。原作を大事にしてくれた監督にお礼を言いたいところだ。一応推薦。

「蝉しぐれ」

「たそがれ清兵近衛」、「隠し剣、鬼の爪」に続く、藤沢周平作品の3作目だが、今回の監督は山田洋二ではない。今回は強い山形弁はないものの、山形の庄内地方が舞台である。東北の小藩の、お家騒動に巻き込まれた下級武士の生き様を描く。牧助佐衛門(緒方拳)は普請組として、出水の時も農地を守り、農民の信頼も厚かった。一人息子の文四郎(市川染五郎)は、剣術の稽古に励み、免許皆伝になる。隣家の娘、ふくは同じく下級武士の娘であるが、文四郎に想いを寄せている。おりしも助佐衛門が藩の詮議を受け、身柄を拘束される。これは藩主の後継者争いに巻き込まれたがためで、結局詰め腹を切らされてしまう。ふくは江戸屋敷に奉公に上がることになり、藩主の側室になる。しかし他の側室と結託し、かつて文四郎の父親を死に追いやった筆頭家老が、今度は文四郎に誘いを掛けて来た。文四郎の幼馴染で、同じ道場仲間に、なんとふかわりょうと今田耕治が出演している。どうなることかと思たが、意外にバランスがとれていた。関西弁でも出たらぶち壊しに成るところだった。もともと染五郎自身、あまり強力なキャラではない。脇役をしっかり固めたのが正解で、なかでも緒方拳はさすがの演技力で、他を圧倒している。「鬼の爪」では悪家老だったのだから、今回の善良な武士の役作りと比較して見るのも興味深い。斬り合いのシーンは一応リアルには描いているが、鬼の爪の方がむしろ残酷な印象が強い。全体的に間の取り方が長く、冗長に感じる部分も少なくないが、東北の自然を準主役に据えているので、間が多いのも仕方がない野かもしれない。余韻を大事にすると言う姿勢に好感を持つべきだろう。宮沢りえ、松たか子と来て、今度のヒロインは木村佳乃だが、あまり派手な美人でないところが、返って適役かもしれない。推薦。公式サイトはhttp://www.semishigure.jp/

なお同時に見た、というより見ようとした「セブン・ソード」は、「ヒーロー」、「ラバース」に続く映画というからうっかり入ったものの、これがトンでもない代物で、殺戮シーンと刺激の強い映像ばかりで、30分我慢したが、あまりに不愉快なのでとうとう退出してしまった。映画館から途中で出たのは、今回が初めてである、しかしこんな映画に、中学生が何人も見に来ていたのにも驚いた。こんな映画で残虐な刺激になれてしまうと、どんな大人に育つか分かったものではない。成人映画どころではない、有害映画に指定すべきである。

 

「ビヨンド・ザ・シー」(10月ビデオリリース)

ケビン・スペイシー(「LAコンフィデンシャル」、「ペイ・イット・フォワード」)監督、製作、主演のボビー・ダーリンの一生の映画化である。スペイシーが歌い、踊るという思いがけない設定の映画であるが、ハリウッドのスターには歌えて踊れて、ミュージカルの舞台も勤められる人材が多いので、こういう設定もありなのだろうが、本人がどこまでやれるかと言う心配が残る。しかし「レイ」でも主演男優は自分でレイ・チャールスのナンバーを歌っていたし、いまどきクチパクの映画と言うのはむしろ少ないのかもしれない。最初に登場するのはおなじみ「マック・ザ・ナイフ」だ。かなりの曲数をこなすが、一応無難である。「ビヨンド・ザ・シー」は「ラ・メール」の英語版で、この映画の題名にもなっている曲だ。小さい頃、心臓リュウマチになり、余命短いと宣告されながらも歌手の道を歩み、サンドラ・ディーと結婚。アカデミー賞の候補にもなる。レイほど荒んだ人生ではないにしても、多少の波乱はある。私の場合は、音楽映画となると、どうしても採点が甘くなってしまうようだ。アステア、ロジャースの時代から、歌と踊りの映画というジャンルは、映画がエンターテイメントである以上、あってしかるべきだと考えているからであろう。

なお、その他の最近の映画だが、あまり当たりがない。中ではジャッキー・チェンの「香港国際警察」は、明らかに韓国のアクション映画や、アンデイ・ラウなどの刑事ものに影響を受けており、これまでのお馬鹿路線とは違う方向で、一応見ても飽きはしないだろう。変わったところでは、ジム・キャリーが悪役を演じる「世にも不幸な物語」は、ファミリー映画だが、メリル・ストリープやダスティン・ホフマンも顔を出し、御伽噺としては面白く出来ている。一番の見ものはジム・キャリーの演技力だ。トラボルタの「炎のメモリアル」は、新米消防士(ホアキン・フェニックス)が成長する姿を描くパニック映画だが、映像迫力一つとっても、ストーリー展開の面白さをとっても、「バック・ドラフト」には遠く及ばない。日本映画では「真夜中の野次喜多」は、現代と過去をごっちゃにしたりして、シュールな映像が珍しいが、ストーリーは野次喜多をヤク中のホモに見立てるなど無理が多く、第一、話がクドクドと長過ぎる。観客の身になって、徹底的に楽しませることを目的にするのではなく、自分の価値観に埋没するという、日本の映画監督独特のわなに、これも見事にはまりこんでいる。この日本映画独特の弊害は「スパイ・ゾルゲ」や「北の零年」のような、まじめに作られた大作にすら見られる傾向であり、最近の山田洋二の作品と宮崎駿の作品だけが、僅かにこの弊害から逃れているようだ。

 

「素数ゼミの謎」吉村仁著 文芸春秋社刊

新聞の広告で見て、いったい何の本だろうと思って、読んでびっくり。数学のゼミナールの本だと、さすがに思いはしなかったが、内容が変わっている。というかセミが変わっているのだ。アメリカに背中がピラミッド状の一風変わったセミがいて、それが2004年に大発生し、米国に電話した人が、相手が電話で話も出来ないほどの騒音であったという。米国のセミは日本のセミのように7年くらい地中にいて、順番に地上に出てきて、毎年発生するというのではなく、13年周期と17年周期のセミがいるというのだ。しかも発生する地域が非常に限られているのだそうだ。なぜ13年や17年という長い周期なのか。しかもそれがなぜ素数なのか。またなぜ狭い地域に50億匹ものセミが一斉に発生するのか。この問題に取り組んだ日本の科学者は思いもかけない結論に至る。詰まるところ、それは氷河期を生き延びたセミたちのやむにやまれぬ事情が背景にあったのである。全部書いてしまうと興味が薄れるので、結論は差し控えるが、セミが子孫を絶やすことなく世代を重ねてゆくには、大量の雄と雌が同時に地上に現れる必要がある。しかも、彼らが交配できる期間は2週間しかないのだ。地球は恵みの惑星かもしれないが、時期によってはとても生物が住めないような過酷な時代もあったのであり、またいつかそういう時代が必ずやって来るのである。生物はどうやって荒廃した地球上で生き延びてきたのか。平易で子供にも読める文章で書かれたこの本は最近で出色の一冊である。短時間で読めることもあり、科学マニアでなくとも一読をお勧めしたい。

 

「英国映画から」(劇場公開中)

まずは「チャーリーとチョコレート工場」である。舞台はイギリスらしいが、無論架空の町である。チャーリーの家庭は貧しく、チャーリーの寝室のある屋根裏からは星空が見え、二組の祖父母は2台のベッドをつなぎ合わせて使っている。父親は工場の自動化でリストラされてしまった。家族の食事はキャベツのスープだけである。おりしも町の中心部にそびえる世界一のチョコレート会社が子供向けの懸賞を発表した。板チョコに隠された金色のカードを引いたものは、今まで誰も入った事のない工場に招待するというのである。チャーリーもなけなしのお小遣いで買うが無論外れる。懸賞に当たった子供の中には親に頼んで買占めをしてもらった者や、ファミコンのオタクなどろくな子供がいない。途中は省略するとして、チャーリーも付き添い一人とともに工場に招待されることになった。しかし迎えに出た工場のオーナー(ジョニー・デップ)は小さい頃父親に見捨てられて家出したと言う経歴の持ち主で、相当にエキセントリックな若者であった。工場を動かしているのは、南洋から連れてきた、皆同じ顔の小人だった。舞台セットのシーンが多いが、原作を英文で読んだ家族に言わせると原作にはかなり忠実なのだそうだ。原作がロアルド・ダールなので、シニカルなコメディになっている。しかしである。やはりこれは大人向きではない。

次は「銀河ヒッチハイクガイド」だ。これはかなり古典的といっても良い、イギリスのSFが原作で、映像化は無理だと思われていたものだ。でもSFはハリウッドでなければ出来ないというものでもない。ハリー・ポッターだって、昔の007もあるのだ。英国映画をおちょくってはならない。アーサー(なぜアーサーかと言えば、地球の人間だからである)が家で寝ていると、地響きがする。見ると周りをブルトーザーで囲まれており、バイパスを通すから、これから家を取り壊すと言う。そんな話は聞いていないと言うと、市役所の地下に1ト月前から掲示してあり、それを読まないほうが悪いという。工事が始まると、黒人の友人が通りかかり、一緒に来いという。彼の話では、銀河連盟が地球を通る4次元ハイウェイを通す事になったので、邪魔な地球が取り壊される(デモリッシュ)事になったから、逃げようというのだ。この友人なるものは元々ベテルギウスの惑星から来た宇宙人で、アーサーが命を救ってやったことがある。パジャマにタオルだけもったアーサーは、地球を破壊しに来た宇宙船(インディペンデンス・デイの直方体バージョン)に拾われて、ヒッチハイクを始める仕儀となる。図体が大きくて煩雑な事務処理と汚い詩が好きな種族から追われながら、彼らが2度目に拾われたのは銀座連盟のプレーボーイの大統領だった。そして彼らが探す羽目になったのは、全能コンピュータが、究極の質問の答えと引き換えに要求してきた特殊な銃であった。とこう書くと、いかに映像化が難しいかが分かるだろう。CGとはありがたいものである。ここでもふざけたデザインの宇宙人がたくさん出てくるが、そそういう観点ではスターウォーズの一作目(エピソード5)を思い出す。フィフスエレメントで見たフランス製(?)の宇宙人もユニークだったが、イギリス製の宇宙人はどうかというわけで、スターウォーズだけが宇宙人の専売特許ではないということが分かるだけでも面白い。全体のノリはモンティ・パイソンやミスター・ビーンのそれである。特撮ですごいのは惑星製造工場のシーンだ。SFファンならこれを見るだけも、映画館に行く価値がある。SFファンには推薦の一作。ジョン・マルコビッチが上半身だけの総督で出てくるシーンも、キモイが笑える。

「コンスタンティン」(ビデオリリース)

キナヌ・リーブスが今回扮するのはエクソシストである。幼い頃から霊視能力の強かったジョン・コンスタンティンは、霊能力から逃れるために自殺さえ図ったことがある。またストレスの為に若い頃から喫煙量が多く、30才そこそこで、肺がんのために医者から余命は後1年と言われている。これはカソリックの教義なのだろうが、自殺者は地獄に落ちると決まっており、エクソシストになって、人間界に現れては害をなす小悪魔どもを地獄に送り返すという仕事を始めたのも、天国にゆく機会を得たいからであった。一流のエクソシストとして名を成すに至り、その結果当然ながらサタンの眼の敵となっている。一方ヒロインのレイチェル・ワイズは霊能力の高い警官で、双子の妹を自殺で亡くした。しかしその死因には納得できないものがあった。更にその一方、イエスが磔刑にあったとき、イエスを刺したといわれる槍(正確にはその穂先)が行方不明になっており、これを見つけたものは世界を支配する力を得ると言われている。それを探しているものが地獄にもいた。サタンの息子である。メキシコ人にとりついたサタンの息子は、ついに槍を発見し、強力なパワーを得て、人間界制覇の為に、とりつく相手(アンジェラ)のいる米国に向かう。米国で不可解な現象が頻発しはじめていた。いよいよ、ジョンとサタンの対決の時が迫る。というわけで、これは本来日本人にはあまりなじみのない世界だ。神とサタンが善と悪を支配し、その中間に人間世界がある。またどういう訳か天使(たとえばガブリエル)というのがあまり当てにできない中途半端な存在だ。以前、マット・デイモンとベン・アフレックのドグマと言う映画があり、かなり残虐な天使が登場したが、それに似たシチュエーションもある。但し今回の映画の方がドグマより分かりやすい。ジョンはヨハネに由来する名前だし、アンジェラはエンジェルだろう。どうやって落とし前をつけるのかと思っていたら一応なるようになるところが、メイド・イン・ハリウッドである。特撮もふんだんに使われており、地獄の情景も見所の一つだ。ヒロインのワイズはハムナプトラで最初に見たときに中近東系の出身かと思ったら、イギリスの俳優地う説明があった。しかし演技はともかく、個性が強いのでルックスは好みが分かれそうだ。面白ければ良いという私の無責任な判定基準からで言えば、お好きな方はご覧下さい、最後まで見られますということになる。なお、最近見たもので推薦できないものには「アビエイター」と「マスク2」がある。前者は、ハワード・ヒューズの反省を描くことにも、主役をデカプリオが演じることにも文句はないが、随所に無理が感じられて作品としてはバランスが悪い。神経症の主役という設定からして、感情移入し難い。アカデミー賞を受賞しなった理由は見れば分かるであろう。それに長すぎる。但しヒューズが作って、ジャンボのある現在でも世界最大の旅客機画博物館に現存しているので、もう一度飛ばす機械を与えるべきだろう。重量を軽くする為に木製だというところがやや心配ではあるが。後者は前作オリジナルとは比べものにならない。そもそもジム・キャリーだから出来た破天荒さ、他の誰にも真似は出来ない。ストーリーもいい加減で、途中で寝てしまった。

「セルラー」(ビデオリリース)

要するにケータイのことである。クリス・エバンス(学生)はガール・フレンドをつなぎとめようと必死である。車で移動中に、誘拐されたので助けてほしいという電話がかかってくる。最初は冗談だと思ったが、指示に従い、ケータイを警察の持って行く。殺人課に行くよう指示を受けるが、電話がビル内で切れそう煮なり、あわてて外に出る。定年間近の警官ウィリアム・メイシーは一応誘拐されたという家に行ってみるが、主婦らしき女が出てきたので引き上げる。実はその家の本当の住人キム・ベイシンガーは、その日の朝、突然踏み込んできた男達に拉致され、場所もわからない物置に監禁されていたのだ。犯人達は、彼女の夫が持っている何かを狙っているらしい。電話はハンマーで叩き壊されたものの、部品をつなげて通じた相手がエバンスだったのだ。そのうち犯人達は子供を誘拐すると言い出す。それを聞いていたエバンスは学校に車を飛ばす。ありきたりのサスペンスと言ってしまえばそれまでだが、とにかく最後まで楽しめる。主役がベイシンガーである必然性はあまりない。しいて言えば、LAコンフィデンシャルで見せた、か弱そうな雰囲気(多分本人はか弱くなんか絶対にないと思うが)が有効だと思ったからだろう。いずれにせよ、映画は面白ければそれで良いのである。もう一つの「サスペクト・ゼロ」は超能力者と連続殺人の話だが、雰囲気的に一番近い物は「セブン」だろうが、あまりお勧めできない。

「ネバーランド」(ビデオ・リリース)

予備知識ゼロで見たが、結論から言って良い映画だった。推薦である。カバ−写真などから、もっと明るい映画かと思っていたが、かなりシリアスな作品であった。時は1903年、上流階級のジョニー・デップは、劇作家である。プロデューサーはダスティン・ホフマンだ。最近のジョニーの作品は自分でも認める出来の悪さで失敗した。しかし、役者も劇場も抑えており、何かもう一作書く必要があった。ジョニーは結婚しているが、子供はなく、夫婦仲も最近はギクシャクしている。彼はいつも想像の世界に浸っていて、それが妻の不満の元であった。しかし作家なら仕方ないところだ。事実をヒントにして書かれた本らしいが、見ている方は、途中でやっと、これはピ−ター・パンを書いた作家の話ではないかと気がつく。公園で出会った、父親を亡くした4人の子供たちと、その母親のケイト・ウィンスレット。子供達と遊んでやっているうちに、子供達はジョニーになつき、ジョニーは舞台のヒントを思いつく。筋は単純かもしれないが、泣かせるポイントはしっかり抑えている。ジョニー・デップはエドワード・シザーハンズから始まり、スリーピー・ホローの伝説などのオカルトものにその暗いイメージがぴったりだったが、カリブの海賊役の怪演でアカデミー賞候補にもなり、私のひいきのスターの一人だ。今回もほかのキャスティングは考えられない。私はアクション映画が好きではあるが、アクション映画だけが映画ではないのである。

「亡国のイージス」

よせばいいのに事前にオスギだかの批評を見てしまい、やめとけば良かったと、後の後悔先に立たずである。日本映画離れした日本映画ということで期待して見に行った。良いところから先に言うと、最後まで飽きないで見た。これは邦画では珍しいことである。背景のストーリーはほとんどないに等しいので、テンポは速いがナンデダロ−が沢山残ってしまうことと、論理に多少の無理があることが欠点だ。真田はイージス艦の先任伍長というのだから下士官では一番上という役どころか。真田が主役の映画である。たそがれ清兵衛やラストサムライの時と違って、変に声が甲高いのが気になった。最初多少のひっかけがあるが、それにこだわると後の話が出来なくなるので省く。佐藤は防衛庁の情報部の責任者で、韓国系の名前のテロリスト即ち中井が、イージス艦を占拠する計画があるというので、部下を潜入させていた。中井は米国が秘密裏に開発した強力な化学兵器を米軍から奪い、イージス艦のミサイルの弾頭にセットし、これで東京を狙い、日本政府が米軍の科学兵器の存在を公表しなければ、東京を破壊すると脅迫する。これに協力するのが副長の寺尾で、寺尾は防衛大の学生であった息子が、国とはなにかに悩んで自殺してから、中井の考えに同調するようになっていたのであった。のっとり犯達を残して退艦させられた真田だが、一人艦内に戻る。一方中井は、実は日本政府が要求を呑んでも東京攻撃をやめるつもりなど毛頭なかった。中井に舵を壊されたイージス艦は、東京湾深く突っ込んで行く。真田と潜入者は二人だけでどこまで戦えるのか。一方政府は、米軍の強力な爆弾で攻撃すればイージス艦ごと一気に毒物を焼き払えるということから準備を始める。中井の台詞では、日本は既に信念のない亡国、すなわち既に国ではないのだそうである。亡国というのは国を滅ぼすことだと思っていたが、違うらしい。艦内のセットの作りもよく出来ているし、役者も全力を出しているので、見ごたえのある映画にはなっている。ハリウッドに一部任せたそうだが、この程度の映画はハリウッドでは以前から作っている。邦画も、これで一安心せずに、今後もペースを上げて欲しいものだ。戦闘機も近づけぬというイージス艦なのに、なぜ戦闘機で攻撃するのかとか、朝鮮系と思われる女性兵士との戦いも、韓国映画のパクリで今ひとつ。背景の説明も十分ではない。しかし面白い映画を作ろうという意欲を買わないわけにはいかない。ただ一つ問題が、しかも、それも大問題があるとすれば、明らかに中井が演じているのは北朝鮮の造反軍人だということだ。この時期に、反朝鮮の、しかも日本が軍事力を持つことを肯定するような映画を作ることに、何らかの意図が働いていないことを祈るのみである。従って推薦は出来ない。ここがオスギと私の映画に対する見解の違いがある。

「カンフー・ハッスル」(ビデオ・リリース)

荒唐無稽な映画は、むしろなるべく「アリエネー」方が面白い。時代は不明だが、多分香港で、斧頭会という暴力団が権勢を振るっていたと思いなさい。腰抜けの警察は当然のごとく頭が上がらない。そこに浮浪者の不良が2名、この会に入りたくてたまらない。しかしこのワルは本当のワルではなく、ただ金が欲しいだけだ。しかも少年時代に耳の不自由な少女を助けたという経歴があり、さらに、少年の頃いじめっ子にいじめられた恨みを晴らそうと行商人から怪しげな武道の入門書を買い、一位鍛錬に励んだこともある。これが多分主役。一方香港のダウンタウンというのかどうか知らないが、その名も豚小屋砦という汚い鉄筋のアパートがあり、庶民が因業な大家夫婦に搾取されながら、それでも元気に住んでいた。ここに目をつけたのが斧頭会だ。颯爽と乗り込んではきたものの、住民の腕の立つ住民に撃退される。再度来るが、今度は大家夫婦に叩きのめされる。実はこの大家夫婦、トンでもないカンフーの達人であった。集団で撃退された暴力団は、世界一という達人、実はステテコ姿のカトちゃんみたいな親父を引っ張り出して雪辱戦に挑む。この親父は自分の頭に向けて発射した拳銃の弾丸を頭に当たる前に指でつかんで止めるという怪人だ。いよいよ夫婦とオヤジとの決戦が始まるが、さすが大家も不利。そこでさきの青年が登場し、空極の拳法を使うときが来るのであった。映画は面白ければ多少のでっち上げなどどうでもよい。もともとフィクションなのだから。おそ松君のアレレのおじさんのように脚を回転させて、汽車より速く追跡するシーンも必見である。日本ではどうしてこういう抱腹絶倒の映画ができなのだろうか。推薦。

「宇宙戦争」

おなじみH.G.ウェルズ原作のSFであるが、宇宙戦争ならスペース・ウォーズとでも言うのかと思ったら、ウォー・オブ・ザ・ワールズだった。確かに宇宙空間に出て戦うわけではなく、一方的に地上を蹂躙されるだけなのだから世界戦争なのだろう。SFというより、ホラーに近いパニック映画である。トム・クルーズ(この際役の名前はどうでもいい)は、しがないガントリークレーンのオペレーター(港湾労働の一つ)である。ブルクッリンに小さな家があるが、奥さんと離婚し、ハイティーンの息子と小学生の娘(ダコタ・ファニング)がたまに泊まりに来るくらいだ。今回も2人の子供を預かったその夜、世界中が猛烈な磁気嵐に襲われる。ブルックリンにも激しい落雷があった。このために停電になり、電気製品は使い物にならず、自動車もコイルが焼けて皆、路上で動かなくなってしまう。わずかに修理工場にあった一台が動く状態だった。ブルックリンの路上に開いた穴を見に群集が集まって来る。とその時、地震とともに、アスファルトはめくりあがり、レンガ造りの教会には亀裂が走る。そして地中から現れたのは高さ100メートルにも及ぼうかという3本脚の巨大なマシンだった。マシンは青い光線を発し、これに触れた人間は瞬時に灰になってしまう。家に戻って子供達と、修理屋の車に乗って、離婚した奥さんの家を目指すクルーズ。しかし、やっとの思いで辿りついた奥さんの家はカラッポだった。地下室に避難していた家族は轟音で起こされる。外に出てみると旅客機が墜落して直撃を受けていたのであった。同行していたニュースキャスターが稲妻を撮影したビデオを見ると、稲妻ではなく、宇宙人がパイロットを送り込んでいる映像だった。宇宙マシンの破壊は続き、一家はフェリーの発着場にたどり着くが、そこは海を渡ろうとする群集の修羅場であった。クルーズ親子は奥さんの実家のあるボストンを目指す。何とか船に乗り込んだものの、海中からヌッと立ち上がる殺人マシン。船の転覆シーンもかなり迫力がある。途中で、かくまわれた家の主人のティム・ロビンスは、百万年も前から、宇宙人はこのときのために地中にマシンを隠していたと語る。今回の出演者の中ではロビンスが一番上手だ。宇宙人は人間を焼き払うだけでなく、捕らえて食料にもしている、また、彼らの赤い血管のような植物の、肥やしにもしている。軍隊が出動するが、宇宙人はバリヤーを張っているので、砲弾も届かない。ところで面白いのは大阪で日本人が3台倒したという話が出てくることだ。マシンのデザインはなんとなくETの宇宙船に通じるものがある。そうこうしているうちに、ついにクルーズと娘は宇宙人に捕らえられてしまう。なんと言っても一方的な戦いなので、人間様はひたすら逃げ回るだけである。宇宙人のデザインは丸顔のエイリアンというところか。マシンの三本脚は、更に先が3つに分かれており、安定を確保しているのである。その他にもいろいろと触手は揃っており、人を巻き上げたり、カメラで偵察したりと、しごく便利に使われている。偵察用の触手の動きはアビスのシーンを思い出す。圧倒的な破壊力を前に人類はなすすべもなく、勇気しか頼るものはない。SFなら他にも良い映画はあるが。、パニック映画としてなら楽しめよう。

「スターウォーズ エピソード3 シスの復讐」

米国公開に遅れる事約1ト月だが、先々行ロードショウの初回を見たので、アマチュアの感想文としては多分一番早い方だろう。全6話が完結し、全体が一つの物語としてつながる、最後の環である。本作品は初回のエピソード3の前段なのだから、ファンなら物語の展開は予想がつくが、これ単独で見る人には分かりにくい部分があるかもしれない。スター・ウォーズ・ファンなら見逃すことは出来ない。ストーリーは、評議会議長(無論これがシスの暗黒卿であることは見る方は先刻承知しているが)がシスのドロイド軍団に誘拐され(即ち狂言だ)、これをオビワンとアナキンが救出に行くシーンから始まる。のっけから宇宙の戦闘シーンだが、手抜きはまったくなく、特撮の粋を集めた美しい映像は圧巻である。新しいメカも続々登場する。宿敵、ドュークー伯爵を倒して(アナキンがパワーアップしているので、エピソード2のような負け方はしない)、議長を救出はしたものの、もう一人のアンドロイドの将軍を取り逃がす。この将軍は殆どがメカであるが、心臓など、一部に人間のパーツも残っているのだ。しかし腕など4本もあって、4本のライトセーバーをぶん回して向かってくるのだから厄介だ。オビワンは戦闘機を飛ばすのは苦手ということは前作で分かっているのだが、アナキンの戦闘機がR2を翼に積んでいるのに対し、オビワンが積んで居るのはR4で、同型のロボットである。そんなことはどうでも良いが、R2は動きは鈍いが、前作で明かされたように短い距離なら飛行も出来るのだ。それはともかくとして、ストーリーの骨格は、いかなる背景でアナキンがダークサイドに引き込まれ、ダース・ベイダーに変身するに至ったかということであるためか、今回は説明のための会話のシーンが結構長い。アナキンは、密かにパドメと結婚しており、パドメから妊娠を告げられる。しかしアナキン(愛称はアニーだがダース・ベイダーをアニーと呼ぶ気にはなれない)は最近、パドメが死ぬという悪夢を見るようになった。彼は母親が死ぬ前にも同じ夢を見ている。ヨーダにも相談したが乗り越えろと言うだけだ。一方シスの暗黒卿すなわち議長は、ダークサイドの力を身につければ、死を阻止することすら可能だと言って、アナキンをダークサイドに誘う。議長の正体をアナキンから告げられたジェダイが、議長を逮捕に向かうが、アナキンの心変わりもあって、逆に倒される。議長はジェダイが反乱を起こしたとして、追討の指令を出す。また評議会で襲撃の犠牲者を装って、自ら皇帝の座につく。アナキンはジェダイを殺戮し始める。アナキンを追うオビワンは、溶岩の衛星でアナキンと対決する。ここで大怪我(片手と両足をライト・セーバー=サーベルのことである、で切られちゃうのである)をしたアナキンは、皇帝に救われ、いろいろと修理されて、お馴染みの生命維持装置の厄介になるわけである。皇帝はアナキンのパワーは自分をしのぐと漏らす。パドメは男児、女児を出産し、ヨーダとオビワンは養親を探して預ける。ダース・ベイダーは皇帝とともにデススターの建造を開始する。なお、なるほどと思った説明に、ヨーダがオビワンに、あの世に行ったオビワンのマスター、クワイ・ガン・ジン(リーアム・ニーソン)を呼び出して、不死の術を学ばせると言う話があり、これはエピソード4(即ち第1作)で、ダースベイダーと対決して、消えうせたオビワンの説明になっていると思った。非常に慎重に、エピソード3との間に矛盾がないように作られている。このこだわりが、ルーカスらしいところかもしれない。そのため、全体的にが説明が長くなっている感がある。砂の惑星、森の惑星、沼の惑星、雲の惑星の後の、今回はなんと洞窟の惑星と、火の衛星である。スターウォーズが映画界に与えた衝撃と影響の大きさは一向に衰えない。SF映画としても相変わらずトップに君臨している。アカデミー賞特別賞は確定だろう。但し私は万人には勧めない。世の中にはアクション映画が苦手な人もいるからだ。映画館から出る時の気分は、自分がダース・ベイダーになったよう、即ちいささか陰鬱なものであった。20年掛かりの偉業だから、生きている内に全作品が見られたことはやはりラッキーなのだろう。しかし、こうなると、エピソード3だけでもリメイクして欲しいような気がする。

「バットマン ビギンズ」

マイケル・キートン、ヴァル・キルマー、クリス・オドネルについで、4代目のバットマンはクリスチャン・ベイルだ。しかし顔の輪郭や、いつも口を半開きにしているところなどは、かなり違和感がある。顔の輪郭だけで言えば、マイケル・キートンが一番ピッタリだった。ストーリーの基本は同じ。ニューヨ−クをモデルにしたゴッサム・シテイは悪の栄える街である。億万長者のブルース・ウェインが、特殊兵器と体力で一人で悪に立ち向かう。今回はのっけに刑務所のシーンが出て、何でかと思ったら、刑務所で技を鍛えていたのだそうだ。飽き足らないブルースは、チベットの氷河にある秘密の道場に招かれて7年もの間修行し、武道を完璧にマスターする。その導師役がリアム・ニースンなので、スター・ウォーズみたいだ。何語とも分からない言葉をしゃべる、道場のトップが渡辺謙だが、あっけなく退場。この使い方はない。執事にマイケル・ケイン、良い警官にゲイリー・オールドマン、新技術を開発するのが、なんとモーガン・フリーマンと脇役は豪華だ。また懐かしいルトガー・ハウアー(ブレード・ランナー)まで登場する。今回のバットマンの最大の特徴はリアル感にある。生身の人間が格闘しているという感覚があり、ぶつかると痛そうだ。モノレールなどは、絶対セットなのだが、凄くリアルである。筋はともかくといってしまえば、実も蓋もないが、そこそこには楽しめるだろう。なお今回のバットマン・カーは装甲車を思わせるデザインで、武器も強化されている。前作のような荒唐無稽なビークルではなく、実際に高速道路できっちカー・チェイスもこなす。とにかく現実感のある演出と映像が、これまでの、漫画がベースのシリーズと大きく違う点だ。白塗りで気持ちの悪いジョーカ−や、ペンギンマンが出てこないだけでもましである。

「五線譜のラブレター他」
相変わらず、新着ビデオはなるべく見るように心掛けてはいるのだが、最近気ぜわしいのと、これという作品になかなかめぐり合えないので、講評の機会が減っている。まずアカデミー賞受賞の「モンスター」だが、なぜ娼婦が連即殺人犯になったのかを、娼婦の視点から描き、人間性とは何かを問おうという姿勢は分かるし、社会の底辺に暮らす人たちのことを忘れてはいけないことは分かるのだが、訴求力に欠けるとでもいうのか、感動が少ない。また彼女に接する男達が意外に善人が多く、それでも彼女が彼らを射殺しなければならないという動機が今ひとつ分からない。弱肉強食が当たり前の米国社会に対する抗議ということなのだろう。推薦には出来にくい。「パニッシャー」は、FBIの覆面捜査官が、ギャングのボス、トラボルタに家族を殺され、復讐を誓うという筋書きで、よくある話ではあるが、陰惨にならないように演出しているのと、主役を無敵のスーパーマンにしないこと(それでもなかなか死なない)で、アクション映画として飽きない。一応推薦。「タクシー3」はリュック・ベッソンの作品で、ニューヨ−クのタクシー運転手の黒人のおばさん運転手が、改造車をぶっ飛ばすという筋だが、主役のおばちゃんのイメージがどうにもスピ−ド感と相容れない。同じ車を使った映画なら、以前の「ミニミニ大作戦」の方がましかも。「レイ」がビデオ・リリースされたので、ジャズ、ポピュラー・ファンはご覧頂きたい。盲目というハンディを持ちながら人手を借りないで生きてゆこうとする姿勢が凄い。一方「レイ」と対照的な映画がコール・ポ−ターの生涯を描いた「五線譜のラブレター」だ。主演はケビン・クラインで、この人はゲイの役が多い。ポーターはいわゆる両刀使いで、リンダ(アシュレイ・ジャッド)という奥さんがおり、愛情深い一生を送る。この映画の見所(聞き所)は、音楽そのものに尽きる。クラインのシーンも殆どがピアノの前での作曲シーンだ。ポーターの名曲の数々を実力派歌手が歌っている。「ナイト・アンド・デイ」「ビギン・ザ・ビギン」「トゥルー・ラブ」「ソー・イン・ラブ」などを、改めて聞いてみて、ああ、こんなにいい曲だったのかと思っただけでも、この映画を見る価値がある。ポーターの曲は、メロディーは難しいが、インテリジェンスが高く、しっとりした大人向けの曲だ。洋楽ファンに推薦。

「笑いの大学」
戦時中の日本を舞台に、稲垣吾郎の喜劇脚本家と、役所広司演じる警察の検閲官の駆け引き。殆どが取調室での二人の会話シーンだ。ラジオの時間や、みんなの家デおなじみの三谷幸喜節だが、舞台劇だと思って見ないと、あざとさのが鼻につく人もいるだろう。。他の2作についても言えることだが、長過ぎる。最後の30分だけで十分だ。しかし、一度見始めたら、最後まで見ないと意味がない。推薦はしないが、見るのを止めもしない。しかし、なぜ脚本家は、登場人物の少ない劇を一度は書きたがるのか。有名なところでは3人しか出てこない「死と乙女」という舞台劇がある。これを見に行こうとして、ブロードウェイを歩いて居る最中に、私は財布をひったくられた。関係ない話だが。

「ターミナル」
一体全体、空港に閉じ込められた外国人を描いて、なにが面白い映画になるのか、甚だ疑問だったが、実際に見て、思わぬ拾い物になった。トム・ハンクス演じるビクターは東欧の国からニューヨークのJFK空港に着いたばかりの旅行者で、英語もろくに話せない。おりしも故国ではクーデターがおき、パスポートが失効して、入国も、帰国も出来ないちゅうぶらりんの状態になる。実際にはありそうもない極限状態だ。舞台はニューヨ−クのJFK空港だが、トランジットのロビー(これをターミナルと呼んでいる)から出られなくなった彼は、何でもあるが、金がないので食事も出来ない状況で、金を稼ぐために様々な工夫をする。一方、空港の税関長は、むしろ空港から追い出して警察や移民局の手に渡して厄介払いしたくたまらない。そこでいろいろ画策する。そのとき現れる浮気なスチュワーデスがゼータ・ジョーンズ(最近ますます妖艶)との淡い恋の行方や、彼が大事そうに持ち歩いているピーナツの空き缶、そしてニューヨ−クニ来た目的など、気になる仕掛けが出て来る。ビクターの人柄に引かれ、空港職員や従業員に、味方が出来る。税関長を演じる脇役も好演だ。基本的には、無人島の映画や、フォレスト・ガンプなど一連のトム・ハンクスの映画の延長にあるヒューマニズム作品だが、どんな題材でも、脚本が良く、役者が上手ければ、面白い映画が出来るという一つの例である。推薦。

「隠し剣、鬼の爪」
劇場で見損ない、ビデオリリースが待たれていたもの。山田洋次の時代劇の2作目である。原作者が同じ藤沢周平のせいか、1作目とかなり内容、作風ともに類似点が目立つ。山形の地侍の実直な人生と純愛。うらみもない相手との果し合いと。しかし今回の本当の悪役は緒方拳の家老だ。藩きっての一刀流の遣い手である永瀬だけに伝授された隠し剣鬼の爪とは、一体どのようなどのような技なのか。果し合いでも使おうとしなかったそれは、実在するのか。一作目の「たそがれ清兵衛」を超えたとは言いがたいが、下らない邦画が多すぎる中では、推薦。小澤が銃で手を撃たれるシーンは不要だ。ちなみに公式サイトがある。http://www.kakushiken.jp/

「ロボット」
米国(加州、サンノゼ)で映画を見る機会があった。その2-3日前から、TVのレイトナイ トショウで、声優の一人のロビン・ウィリアムスが登場して盛んに宣伝していたので、封切りの3月11日に見た。予想通り子供連れで賑わっており、しつけの悪さは日本以上なので、ガキンチョ達が大騒ぎを演じていた。ところで、翌日のUSA Today に早速批評が載っており、「ロボットはよく出来ているが、筋は古臭い(=Rusty は錆びているの意味)」という説明があった。リベット・シティに住むロドニー・カパーボトム(声優ユアン・マクレガー)は、トップになりたいと思い、故郷のリベット・シティーを後にして、メガロポリスのロボット・シティに向かう。彼は発明会社のトップに会って、発明家としての道を歩みたいと願ったいる。しかし野心的な社長(ステンレス製である、無論)にあっさり追い返されてしまう。庶民(というのかな)階級の友達に助けられ、会長を探しに行く。下町(というのかな)には未だ多くの旧式なロボットが大勢住んでいるにも関わらず、部品の供給は打ち切られようとしている。うっかり町を歩いていると旧式だというだけの理由で捉えられ、溶鉱炉に入れられてしまう。ついには会長を探し出し、改革に乗り出すという筋だ。ヒロインの声優にハル・ベリー、会長にメル・ブルックスなど、米国のアニメ特有の贅沢な声優陣だ。見所はやや古臭いロボットのデザインと、ロボット・シティの道路や乗り物の画像だ。どれをとっても独創的で、こういうところが日本の映画界が逆立ちしても敵わないところだ。制作は「アイス・エイジ」のブルー・スカイ・スタジオだ。画が良く出来ているので一応推薦。

「レイ」
飛行機の中で見た。今年のアカデミー賞作品賞、主演男優賞等を獲得。レイ・チャールスの半生を描く映画という事は分かっていたが、なぜ受賞したのか良く分からなかった。しかしいざ見ると、結構な力作だし、主演のジェイミーフォックスが下手だと成立しない映画である事も分かった。貧しい家庭で育ち、7歳の時に病気で視力を失ったレイは、元から音楽好きで、盲学校を卒業してから、独力で音楽の道に進む。場末の楽団からスタートし、少しずつ栄光の階段を昇り始める。しかし最大の問題が麻薬であった。二度逮捕され、二度目は密輸の嫌疑も重なる。ついにリハビリを決意する。ゴスペルをR&Bにするなど斬新なアイディアや、カントリー・アンド・ウエスタンに取り組むなど、今思えばなるほどという、レイ・チャールスの音楽への姿勢も分かって来る。おなじみの「What'd I say」が生まれた背景や、「我が心のジョージア」(人種差別の反対して立ち入り禁止となる)、「愛さずにはいられない」など、ご存知のテーマが登場する。多分本人が歌っているのだろうが、俳優が歌っているとすればかなりの力量である。ポピュラー・ファンなら、見ておいて損はないだろう。音楽ファン限定で推薦とする。

「シャーク・テイル」
これも飛行機で見たもの。どういう種類の魚かは知らないが、さんご礁の町にすむ熱帯魚のウィル・スミス(まず顔が似ている。まさに人面魚である)が、ベジタリアンの鮫と友達になり、結果としてさんご礁の平和に貢献するという話だが、主役のスミスが、事故で死んだ鮫を、自分が倒したとホラを吹いたので苦境に陥ることになる。親はカーウォッシュならぬクジラウォッシュを商売にしていたが、家業にあき足らぬスミスは、有名人(魚)に成りたいばかりに無理をする。これに近づくセクシーなホウボウのアンジェリーナ・ジョリーなど。鮫のドンにはロバート・デニーロ。いい加減な主役に感情移入できないこともあり、日本人には勧めない。

「3月のビデオ・リリースから」

「コラテラル」はcollateralで、映画では巻き添えと訳していたが、例えば並んでジョギングするのもコラテラルらしい。この映画でコラテラルするのは、白髪交じりの冷血な殺し屋トム・クルーズと、「レイ」でアカデミー賞を取ったジェイミー・フォックスである。フォックスは将来ハイヤー会社をやろうと、ロスでこつこつ働くタクシーの運転手である。その日、最初に乗った客は美人黒人女性検事。淡い気持ちを抱いて分かれる。次に拾った客は、一晩あちこち回ってくれれば高額を払うという。これに付き合って裏通りに駐車して待っていたら、突然車の屋根に死体が降ってくる。この客はギャングの裁判の証人たちを、次次に消すために雇われた殺し屋だったのである。フロントグラスが壊れた車を運転して警察に怪しまれたり、逃げ出そうとして失敗したり、この悪夢のような道中はどこまで続くのか。ハードボイルドがはあるが、そこここにユーモラスな雰囲気がある。トムクルーズが適役かどうかは別にしても、飽きずに最後まで見る事が出来る。一応推薦。

「パパと12人の子供」は、久しぶりのスティ−ブ・マーチン十八番のホーム・ドラマである。12人の子供がいる家庭の父親は、フットボールのコーチしてシカゴに栄転し、大きな家に引っ越す。ところが母親が本出す為、NYに出張している間に大騒動が起きる。ホームアローンなどの流れを組むコメディだが、安心して見ていられる。

「霧と砂の家」ジェニファー・コナリーは離婚して、一人で住んでいるが、その家を郡が、所得税不払いの理由で接収し、競売してしまう。それを買ったのが、米国に亡命してきた元イランの秘密警察の大佐ベン・キングズレーの一家だった。弁護士が郡と掛け合って家を取り戻せそうになるが、キングズレーは市価(4倍)でなければ手放さないと言い出し、平行線。コナリーに惹かれた保安官の言動が、状況を一層複雑な泥沼にしてゆく。映像はリアルだが実話では無論ない。コナリーも体当たりの演技なので、ファンなら見たほうが良いかもしれない。映画で読む小説といったところである。

「沈黙の聖戦」スティーブン・セガールの沈黙シリーズは、いつも駄作ぞろいだが、今回のものはストーリーがあるだけややましである。このシリ−ズでは、トミ−リージョーンズ共演の沈黙の戦艦を超えるものは出そうにない。上院議員の娘と一緒にテロリストに誘拐された娘を救出に向かう元工作員セガール。セガールも相当中年太りだが、日本できたえた空手は未だ何とか通用している。セガールの東洋びいきを計算に入れて、準々推薦くらいか。

2月にはチャン・イーモウの「ラバース」がビデオになっている。見ていない方は是非ご覧頂きたい。

 

「オペラ座の怪人)」劇場公開中

アンドリュー・ロイドウェッバーの傑作ミュージカルの映画化である。私の最も愛するミュージカルでもある。NY駐在当時、来訪者との同席を含めて4回ステージを見た。切符を取るのが難しくて半年待ちであった。ロンドンでも一度見た。無論毎回出演者は変わり、どんどん若手になって行くので、最初に見たものが一番良く印象に残っている。本当ならオリジナル・キャスト、サラ・ブライトマンのクリスティーヌと、マイケル・クロフォードのファントムで見たいところだが、それはかなわぬ夢、CDで楽しむほかはない。なお残念ながら四季の舞台は未だ見たことはないが、オペラ歌手クラスの歌唱力がないと出せない音域がある。他のミュージカルもブロードウェイで多数見る機会があったが、ミュージカルの基本はハッピーエンドで、明るく楽しく、風刺を効かせたものが多く、その中でファントムは異質であった。限りなくオペラに近い作品で、パリのオペラ座のオペラ歌手を主役にしていることもあるが、悲劇的な要素を含んでいるからでもある。映画化については、いかにウェッバーが自ら手がけたとは言え、正直やや心配であった。しかし、15歳の時からウェッバーが育ててきたというクリスティーヌ役のエミー・ロッサムは、充分に仕上がっていて破綻がない。ラウル役のパトリック・ウィルソン他重要な脇役達も充分な歌唱力がある。ただ惜しむらくは肝心のファントムが、ルックスはいいが、声の質がもっと滑らかだと良いと思った。但しファントムが怪物ではなく弱い人間であるという表現は、映画の方が良く描けている。人間の心に潜む善と悪、苦しみと悲しみ、複雑な女性心理、そして愛が全てを容認する。字幕の有難さで、今まで語学力の不足のせい、曖昧だった部分が全て明確になった。筋書きはシンプルなので敢えて書かない。舞台と殆ど変わらない現代最高のミュージカルを手軽に楽しめるのだ。是非ともご覧頂きたい。なお、舞台は見たという人でも、今回ウェッバーが追加した曲があり、特にエンドクレジットで新曲が流れるので、うっかり席を立たないようご注意頂きたい。また音楽の音量が半端ではないので、真ん中より後ろの席で鑑賞したほうがよろしかろう。

「AVP(エイリアンvsプレデター)」

かつて「エイリアン」を最初に見たときはショックだった。私の場合はたまたま海外に駐在しており、ウィーンで訳の分らないドイツ語の吹き替えで見ていて、突然宇宙船の乗組員の胸からエイリアンの子供が飛び出してきたのだから仰天した。そして次がエイリアン2で、前作では全く無力だった人間も武装し、多少は報復ができるようになった。しかし最後まで戦ったのは、か弱きどころか、極めて強い女性のシガニー・ウィーバーである。その後3,4と続くがどれも救いのない、というより救いようのない駄作であった。エイリアン・シリーズでは断然2が優れており、私はレーザーディスクも2だけは揃えた。ところで、それとは別に「プレデター」という映画があった。ベトナム戦の最中に米軍の戦闘小隊が次々に何者かに襲われる。シュワルツェネッガーが戦う相手は透明化する技術を持っており、動物の発する体温を赤外線で見て襲って来るのである。これも2がつくられ、私はこれもプレデターでは最も良く出来ていると思ったが、主役は黒人の刑事ダニー・グルーバーで、これが出世作。ロスに墜落した宇宙船から出現した透明な怪物プレデターと戦うのだが、やっと一人倒したと思ったら最後の大勢に囲まれた万事急すかと思うラストシーンの出来が良い。前振りが長くなったが、グルーバーがプレデターを宇宙船の中まで追って行くと、ある部屋に、人間の頭蓋骨と並んで戦利品のエイリアンと思われる頭蓋骨が飾ってあった。このシーンが今回の映画の原点である。地球探査衛星が南極の氷の下600フィートの深さに熱源がある事を探知する。画像を分析するとどうやらピラミッド型をした構造物が氷の下にあるらしい。衛星の会社は探検に備えて、掘削の専門家、考古学者など、様々な専門家を雇う。その中に黒人女性の環境学者兼極地探検家がいた。砕氷船で向かった島には古い捕鯨基地があり、以前住民が一夜にして姿を消したという事件が会った場所である。しかも到着まで写真にはなかった、地下に通じる大トンネルが一夜にして現れる。探検隊の一行は地下で大ピラミッドを発見するが、不可解な武器らしいものを取り上げたことで、装置が作動し、探検隊は分断されて迷路に閉じ込められる。既にプレデターの巨大な宇宙船が地球ニ接近しており、3名のプレデターが地上に降り立つ。地上に残った隊員は次々にプレデターに襲われる。一方地下の隊員達には、目覚めた女王エイリアンが産み落とした無数の卵から孵ったエイリアンの幼生が襲いかかる。というわけで、全然人間には勝ち目がないのだが、予告編にある「どちらが勝っても人類に未来はない」という説明は大嘘である。プレデターというのは蟹の顔をした醜悪な宇宙人だが、本姓はハンターであり、強い動物を狩ることに価値を見出している。彼らは宇宙最強の生物エイリアンを繁殖させて(餌はいうまでもない)これを狩ることに楽しみを見出しているのだ。なんちゅうやつらだ。当然ながら地下でプレデターとエイリアンがくんずほぐれつの死闘を繰り広げるのだが、このシーンが凄い。無論特撮なのだが、これまでの映画のどれより良く出来ている。プレデターの特殊合金の刃物の切れ味はプレデター2でも紹介されていたが、あのエイリアンの硬そうな頭蓋骨もスライスしちゃうのである。エイリアンも黙っては(言葉はしゃべらないが)いない。とげとげのついた尻尾でズブリと突き刺させば、いくらプレデターの装甲でもたまらない。しかも血液の代わりに体内を流れる酸はプレデターの装甲や刃物でも溶かしてしまう。というわけで戦闘シーンの連続だが、正直言って面白かった。最後まで残るのが、エイリアンでは白人女性、プレデターでは黒人男性、そしてこの映画では黒人女性というのも、ひねりが効いている。しかし、ターミネータ2がT2と呼ばれたせいかどうかは知らないが、AVPはないと思う。映画は面白いだけでは作る意味がない。でも面白くなければ見る価値はない。良い映画はまず見て面白い(感動的だも面白いに強引に含めることにする)。今年見た映画で一番感動した映画ではないが、一番面白い映画であった。人によって好き好きはあると思うが、私もハリウッドの特撮映画に毒されているのかもしれない。後はスターウォーズ3を待つのみである。特選。

「12月のリリース・ビデオから」


「スパイダーマン2」
は驚異の観客動員数を誇るが、ホント?という印象だ。確かにスター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リングや、ハリポタと比較したら可哀相だとは思うが、最大の欠点が悪役である。4本の機械触手を背負って暴れまわるが、もともとがただの科学者だから迫力がない。また核融合といえば水爆だが、そう簡単にコントロールできるのだろうか。今回の目玉はスパイダーマン(トビー・マクガイアー)の面が割れてしまうところ。無論ガールフレンドにも分ってしまう。しかし彼女(キルスライ・ダンスト)は少女なのにセクシーさを強調するというアンバランスなキャラだ。むしろ純愛に振った方がよかったのではばいか。結論から言えば、バットマンよりましということだろう。暴走する高架電車を止めるシーンは迫力。続きがありそうな終り方になっている

「ザ・ボディーガード」はスタローンのロマンス映画でヒットした映画は余り記憶にない。もっともこれはアクション映画かもしれない。マフィアのボス(アノソニー・クイン)が対立する相手から守ろうとして素性を知らせずに育った娘が、マデリン・ストウ。それを陰ながら護衛して来たのがスタローン。娘は結婚しているが夫は浮気者、当然スタローンになびく。父親は殺され、自分も命を狙われる。喜劇仕立てで、ストウも精一杯お色気を振りまくが、それはストウの持ち味ではない。以前のはちゃめちゃ西部劇ほどではないがミスキャストだ。ラスト・モヒカンがべストである。クインはこれが遺作になったようで、クインのファンなら見ておいたほうが良いかもしれない。

「恋愛適齢期」は60年間独身を通してきたメディア界の大物が、若いガールフレンドと付き合って自宅に行くが、心臓発作で病院に運ばれる。担当の若い医師がキアヌ・リーブス。キアヌはジャックのガールフレンドの母親(ダイアン・キートン)の脚本家(これが伏線)に思いを寄せている。歳の違う二組のカップルの恋の行方やいかに、というと、大体結末は想像がついちゃうのだが、ニコルソンの裸は正直言って目を覆いたくなる。恋愛小説家など言う映画もあったが、一体ニコルソン、自分がロマンスに向いているとでも思っているのだろうか。この際はっきり言っておく。ケーリー・グラントなら年をとっても、セクシーだが、アンタは違う。残念!。キアヌも阿呆な役で全然冴えない。よって非推薦。


「ロスト・イン・トランスレーション」
はアカデミー賞で何で取り上げられたのか謎の映画。サント゚リーのCM撮影のためにに来日し時差に悩まされるビル・マレーが、ふと知り合った若妻(米国人です)と気持ちの交流を持つという、ただそれだけの単純なお話を、日本は新宿のハイアットホテルから殆ど一歩も出ないような状況で描いている。一言で言って地味というより、単調な映画だ。大体ビル・マレーが大物スターというところから無理がある。ケビン・コスナーや、ハリソン・フォードならいざしらず。日本の映画ファンをなめたらあかん。ただしソフィア・コッポラは日本を好意的に描いている方だろうと思う。

「ハウルの動く城」(劇場公開中)

宮崎駿の新作アニメ。ベネチア映画祭で絶賛。ギクシャクと動く錆ついた歩行城にはものものしい大砲の姿も見えるので、ドカンドカンと撃つのかと思いきや、そういう事は起きない。若いが強力な魔力を持つ、しかも心優しい魔法使いハウル(キムタクのイメージではない)の住まいであり、それが単に移動できると言うだけのことである。しかもハウルは無精者らしく中は汚れ放題。ところで、話は帽子屋の跡を継いでいる長女ソフィー(倍賞千恵子)のつましい生活描写から始まる。街で兵隊に絡まれそうになったソフィーを、突然現れたハウルが救う。ところがハウルを追い求める荒地の魔女(三輪明宏) がソフィーに呪いを掛け、その呪いを解きたければハウルに手紙を渡せと言う。その呪いとは少女だったソフィーを老婆に変える事だった。息を切らしながらハウルの城を探すソフィーを途中で助けたのはやはり呪いを掛けられたらしい案山子だった。城を見つけたソフィーは、掃除婦になって城に住み込む。城には魔法使いの見習い少年もいる。ここでは火の悪魔が暖炉に陣取っており、城の動力源になっている。この火の悪魔とハウルはどうやら少年時代に密約を取り交わしいるらしく、一方が死ぬ(水をかけられるなど)と他方の命も危うくなるらしい。そもそもこの映画には原作があり、欧州の「魔法使いハウルと火の悪魔」という本がそれらしい。だからコミカルなキャラだが、火の悪魔がしょっちゅう出て来る。この城にはドラエモンのどこでもドアがついており、街中に通じるドアもある。その家なら移動しないので普通の生活ができる。この国の国王は戦争が好きで、強力な魔法使いが身辺につきそっている。彼女はハウルを排除したいので探し続けている。ハウルは街を焼く飛行軍艦に単身戦いを挑む。ハウルの密約というのは、このままの状態が続くと、ハウルはついには魔王に変身してしまうというものらしい。王の宮殿にハウルの代わりに参内し、戦争への魔法使いの協力を断ろうとしたソフ−は、荒地の魔女と一緒になる。しかし魔女は王室の魔法使いニより魔力を奪われる。最初ヨボヨボだったソフィーは、良く働き、徐々に若返る。ストーリーは少々分りにくく、とても幼い子供の頭で理解できるものではない。背景画は精緻を極め、CGを最大限に使ったリアルな作りだ。最初登場したばかりのソフィーは、眉毛も濃く、とても可愛いとは言えないが、ハウルに恋心を抱いた事で徐々に変身してゆく。ハウルは強い魔力を持つのに弱虫なので、ソフィーが彼を助ける。「千と千尋の神隠し」で言えば、千尋がソフィーであり、ハクがハウルだ。変身した時の顔なしみたいな妖怪も出て来る。空を飛ぶものが好きな宮崎氏のこと、今回も飛行機械が出て来るが、イメージは「ラピュタ」の蝿飛行機であり、「ナウシカ」の飛行戦艦だ。結末は納得できるが、途中で脚本に無理が感じられる部分もある。ハリーポッターとは違う魔法使いの世界だ。でも、やはり世界の宮崎アニメの名にふさわしい映画ではある。ジョージ・ルーカスと同じ時代にいる事を幸せと思ったこともあるが、宮崎駿と同じ時代に生きたことはより大きな意味を持つ。この殺伐とした時代に、人間が求める基本的、普遍的なものを彼は与えてくれるからである。特選。

「華氏911」

2004年の大統領選挙ではブッシュが再選された。この映画はアカデミー賞候補が確実視されていたのに、ブッシュ再選を阻止するため、アカデミー賞エントリーの権利を放棄してまで、選挙直前まで上映が継続された。原題は「ファーレンハイト9/11」で、私の想像であるが、華氏461(数字は定かでない)という未来小説(SF)があり、書物が禁止され、それゆえ知性が否定される世界だったと思う。この温度は本、即ち紙に着火する温度だったと記憶する。日本の題名は911だが、原題は9月11日で、同時多発テロが発火点になった事を暗示しているようだ。この映画はドキュメタリー映像だけで構成されている。主役(?)はブッシュだが、やらせや修正とは思えない。おそらく実際の映像そのままであろう。オープニング・シーンは黒く、ただ音声だけが流れる9月11日のテロのシーンである。その後で、貿易センター崩壊後の町の混乱のシーンが映される。ところが2日後、すべての航空機の離発着が禁止されている中で、ビンラディンの一族を乗せた旅客機24機と自家用ジェットだけが離陸を許される。政府上層部の命令だという。サウジの大使は、危険を避けるためだと説明する。FBIはせめて尋問をしたかったと悔しがる。そしてストーリーはブッシュ・シニアの湾岸戦争後、ブッシュ・ジュニアが父親の名前の下で、石油事業を次々に失敗(破産)させながら、自分は被害を受けずにいるところから始まる。ブッシュの事業に資金をつぎ込んでいたのはサウジアラビアとビンラディンの一族だった。サウジの大使館はワシントンの一等地にあり、大統領の警護隊が警備している。ブッシュ・ジュニアがフロリダを制したことでゴアに勝ったが、得票はきわめて怪しいものだった。フロリダ州知事はブッシュの弟であり、フロリダの司法長官は住民26000人に選挙権がないとして投票権を取り消した。その殆どが黒人であり反対派だった。議会に無効を訴えた黒人議員達の主張は議会と最高裁で否決された。9月11日の後、ビンラディンを追跡する政府の動きは鈍かった。初動は事件から2月も経った後だった。そしてアフガン。しかしタリバンはブッシュ・シニアと親交があった。ブッシュ政権はイラクが大量破壊兵器を製造している、テロも支援していると決めつけ、イラク侵攻を開始した。ここで我々が今まで見た事のない、イラク戦争の凄惨なシーンのいくつかと、米軍兵士の本音が紹介される。次々に犠牲になる、子供を含んだイラクの市民達。また報復で、カメラの眼前で重症を負い死亡する兵士達。それらがすべて生の映像である。絶対にTVでは報道され得ないものだ。目を背けたいと思うが、それが出来ない。戦争とはこういうものだったのかと改めて思い知らされる。続いてカメラの視点は、米軍兵士と、兵士の家族に移る。死んだ兵士は、手紙の中で、何で戦わなければならないのかが分らない。誰の為の戦いかと訴える。米国全体に厭戦線気分が広がり、兵士のリクルートもうまく行かない。応募してくるのは他に生活の手段のない下層階級の人達だけだ。議員の子弟でイラクに行ったのは一人だけ。チェイニー副大統領が社長を務める軍需産業ハリーバートン社や、8割も上前をとる米国系石油関連会社は大儲けをしている。ブッシュは米国の有産階級をエリ−トと呼び、自分の基盤はそこにあると公言してはばからない。米国の富裕階級を支えるために、大儀のない戦争で命を落とす米軍の兵士達。そしてイラクの市民。もうこれ以上の嘘にはだまされないという、ブッシュの言葉に、監督のマイケル・ムーアの、私もそう思うという言葉で映画は終る。映画は最大の娯楽である。しかし宣伝や主張の手段でもある。この映画は娯楽映画でもないし、ドキュメタリー報道でもない。単純明快な主張を伝えることだけを目的としている。そしてその主張はブッシュの再選阻止は手段であって、真の目的は反戦である。ひとたび戦争を起こせば、それは自分で自分を継続する、戦争とは支配者が被支配者に対して行うものである、と主張する。ブッシュの盟友小泉首相は「このような偏った映画は見ない」と断言したという。もし首相が自分の信念に基づいてブッシュに追随するのであれば、この映画の主張と4つに組んで、自分の深遠を述べて頂きたいものである。この映画を完全に論破できなければ、自分の信念を自分で信じていないということになりはしないだろうか。なお、注意したいのは、イラクノ軍隊や市民と、後でオラクの武装勢力に入り込んで、テロの活動拠点にしているアルカイダと、分けて考えなければならないということだ。最大の被害者はイラクの国民であり、米国の兵士である。アカデミー賞とは無関係に、この映画は今年最もインパクトの強い映画であろう。子供を除く日本国民全員に見て欲しい映画である。戦争はそのものが悪なのだ。それを理解できない政治家が支配している国に住んでいることが、どんなに恐ろしい事かということでもある。

「サンダーバード」

実を言えば、私はこれを劇場で見ようとさえ思ったのである。古典的SF人形劇,国際救助隊は、私達団塊の世代にとっては、ララミー牧場などとともに思い入れの深いTV映画の一つである。それがついに実写版になって帰ってきたとなれば、見ないわけには行くまい。あれだけ昔に作られたスター・ウォーズが、宇宙船であれだけの質感を出しているのだ。サンダーバードの実物の質感をどれだけ再現しているかを確かめるだけでも、この映画を見る価値があるというものである。しかしこの映画全く評判にはならず、公開も直ぐに打ち切られ、3月も経たないのにDVDになってしまった。それにはそれだけの理由がやはりあったのである。ステイシー家の父親ジェフは、かつて救助中に手が回らず一人の男を見殺しにしてしまったことがあった。しかしこの男は生きていて、しかも超能力を身につけ、間抜けな部下とともに復讐に現れたのである。まずここで二つの致命的な設定ミスがある。超能力とマヌケな部下という荒唐無稽なファクターを使ってしまったことだ。また主役がハイティ−ンの弟アランであり、完全に子供映画に振ってしまった事も間違いである。そもそもサンダーバードは決して子供だけの映画ではなかったのだ。もし子供映画なら色っぽいペネロプが登場するはずがない。今回はペネロプもパーカーも、カンフーの達人というこれまた無茶な設定だ。また兄達ときたら殆ど無能である。これはサンダーバードの名前を借りたスパイキッズの亜流だと気づくのにそう時間は掛からない。ゆえに見所はたった一つ。サンダーバードのメカの出来具合だけとなる。そちらはまずまずと言うか、もう少し何とかなればと思わせるだけのレベルには仕上がっている。特にラストシーンで1号だか3号だかしらないが、夜間に飛び立つシーンはなかなか良い。原作だとどうしてもサンダーバード2号の離陸シーンなどに無理があったが、より科学的というか、無理が少ないようにしているのは良心的だ。一応量感もある。悪人に乗っ取られることにはなるのだが、主役はやはり緑色の万能輸送機サンダーバード2号(略してT2)である。それにしても、合言葉に出て来るThunderbirds are goとはどういう意味だ。文法的には滅茶苦茶ではないか。だからこれだけ解説した後でも、推薦する訳にはいかないのである。

「21g(21グラム)」

人は死ぬと誰でも21グラムだけ体重が減るという。ではこの21グラムとは何であろうか。俗説ではこれこそが魂の重さであるということらしいが、この映画では、それを命の重さと受け止めているようだ。心臓疾患のある大学教授のショーン・ペンは、心臓のドナーを待っている。彼の妻は、夫の余病が少ないので、人工受精で子供が欲しいと思っている。その矢先、交通事故で脳死した男性が心臓を提供してくれたので、ペンは一命を取りとめる。ペンはドナーが知りたくなり、私立探偵を雇って突き止める。それは幼い二人の娘共々、暴走したピックアップトラックに轢かれた建築士。残された妻、ナオミ・ワッツを慰めようと近付いたペンはワッツに惹かれてゆく。一方、交通事故の加害者は、2年前に刑務所を出所してから敬虔というよりは、過激なキリスト教信者になった労働者ベニシオ・デル・トロ(「トラフィック」でアカデミー助演賞受賞のメキシコの名優)だった。彼は自首して2年服役する。一方その2年の間にペンの心臓は拒否反応を示し、急速に弱り始めていた。ペンはワッツのためにしてやれることはないかと考え、拳銃を手に入れ、ベニシオの後を追う。家族の理不尽な死で、麻薬に溺れるワッツ。ベニシオは信仰があれば救われると信じつつも、自責の念に押しつぶされ、信仰にも疑問を抱く。教条的な牧師や、またもや生命の危機に直面するペン。生とはなにか、死とは何か。そして、人の命の意味と重さとは何か。生きることの不条理。いくら考えても、結論の出ない命題に、見ているものを否応なく引き込む映画である。カット・バック手法を多用しているので、現在と過去が入り乱れて分りにくいが、決してシュールな映画ではない。普通の人間が極限まで追い詰められたら、所詮平凡な事しか考え付かないのかもしれない。3大スターの競演の、この映画を見るべし、そして考えるべし。久しぶりに手ごたえのある映画だ。推薦。

「11月のリリース・ビデオから」


「白いカラス」は原題がヒューマン・ステイン。ステインといえば錆のことだが、この中では人間の傷と訳していた。コールマン(アンソニー・ホプキンス)はマサチューセッツの三流大学を一流大学に叩き上げた、やり手の古典学教授だが、敵も多く、欠席続きの黒人学生をスプーク(幽霊)と呼び、それが黒人の蔑称でもあった為に、足元をすくわれて辞職のやむなきに至る。その結果心臓の弱い妻も他界する。憤懣やる方ない教授は、作家(ゲイリー・シニーズ)をつかまえて、ドキュメンタリーを書かせようとする。自分には年の若い愛人がいる事を話す。愛人とは、郵便局で出会ったアルバイトの女だが、富豪の娘でも、継父の暴行されて家出した女であった。暴力を振るう夫(エド・ハリス)から逃れ、子供も失った女を熱演するのはニコール・キッドマンだが、アザース以降演技力が身についてきたようだ。実は教授の生い立ちにも、誰にも言えない秘密があった。それは彼の両親が黒人であるが、彼は偶然肌の色が白く生まれついたということだった。黒人系の大学に進む事を嫌い、白人の大学に進学し、白人のガールフレンドと結婚する。両親は死んだと嘘をつき、家族とも断絶状態だった。一方キドマンは自暴自棄になり、男から男へというすさんだ生活をしていたが、教授と出会い、お互いに傷をなめあうような生活を始める。しかし、執拗に妻をつけ狙う精神異常の元夫の存在が、ストーリーを悲劇的な方向に押しやるのであった。キドマン、ハリス、シニーズなど迫力に満ちた演技を見せる。脚本に俳優の演技力がついていけないのが普通だが、この作品は逆である。俳優の存在感だけが見るものを圧倒する。ストーリーが今ひとつであり、感動が薄いので、残念ながら非推薦。


「ワイルド・レンジ(原題オープン・レンジ)」はその名の通り、広々とした緑の草原からシーンが始まる。長年に渡り牛追い、即ちカウボーイの生活を続けている老練なボス、ロバート・デュバルはさしづめ、「ローハイド」のフェイバーさんと言ったところか。彼とコンビを組んで4年目というケビン・コスナーが、クリント・イーストウッドの役であろうか。後2名を加えた4名が牛を追って移動中、地方の小さな町に買い物に出た仲間の一人が、土地のボスの仲間に襲われるという出来事が起きた。留置場を訪れたデュバルとコスナーに、町のボスは通行料を払うか立ち去れと脅す。町の保安官も無論ボスの手下である。ここから話は一気に対決の方向に進み始める。医者の妹のアネット・ベニングとコスナーのラブストーリー等を取り混ぜて、昔は殺し屋だったコスナーが派手に拳銃をぶっぱなす。対決シーンは「OK牧場の決闘」と「真昼の決闘(ハイヌーン)」を足して2で割ったようなものだが、拳銃の発射音は大きい。6連発は45口径だろうから、そのくらいの音は当然かもしれない(筆者の実射経験では、38口径でも耳鳴りがするほどである)。しかし3時間、観客の興味を維持できる脚本とは思えない。下手をすると、思い切りすべった「ウォーターワールド」にさえ及ばないもしれない。救いは草原の風景だけである。アネット・ベニングも年をとったし。よって推薦しない。
「沈黙の標的」は、第一作「沈黙の戦艦」の後は下降の一途をたどる、スティーブン・セガールの沈黙シリ−ズ最新作で、中国の麻薬マフィアを相手に、バッタバッタと敵を倒すセガールの活劇だが、いささか本人太りすぎである。よって非推薦。

「トロイ」
おなじみトロイ戦争を、アキレスにブラピを配してリメイクしたもの。3時間の大作。ストーリーはホメロスの原作にやや忠実。無敵の勇者アキレスは、ギリシャの支配者アガメムノンを軽蔑はしているものの、自分の名誉のために戦士の道を選ぶ。おりしもアガメムノンの弟が治めるスパルタとトロイが同盟を結ぼうとした矢先、トロイの王子の一人であるパリスが、スパルタの妃ヘレンに一目ぼれして連れ去ってしまう。怒りに燃えたスパルタ王は兄の力を借りて、1000艘の船でトロイ攻略に向かう。最後はアキレスとトロイの勇将ヘクトールの一騎打ちに至る。無論木馬も出て来る。トロイのヘレンといえば、楊貴妃、クレオパトラと並ぶ美女だから人選も大変だったろう。ブラピのファンなら見たほうが良いだろうが、長いのと、「ベン・ハー」のような重厚さが感じられない事がいまひとつだ。

「ビッグ・フィッシュ」

年老いた父親エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)は一人息子に他愛のない作り話をするのが好きだった。しかし息子の結婚式にも、ホラ話をしてしまい、完全に愛想をつかされてしまう。その話というのは、近くの川に大きな魚が棲んでおり、誰も釣り上げる事が出来なかったが、結婚指輪を餌にして、それを捕まえたというものだ。また、身長が5メートルもある巨人に町ガ襲われた話や、巨人を連れてサーカスで働いたとか、旅の途中で靴をはかない村があったとか言うものであった。しかし、この父親が病で倒れ、余命いくばくもないという知らせを受けて、息子は勤務地のフランスからアメリカに戻ってくる。息子の願いはただ一つ。本当の父親の姿を知りたいということだった。果たしてどこまで、父親の話は本当なのか。母親役はジェシカ・ラング。サーカスの団長にダニ・デ・ヴィトーなど、顔見知りの俳優が共演している。この映画を見て思い出したのはフォレスト・ガンプと8 1/2である。ストーリーは違うが雰囲気が似ている。余りない映画なので、推薦。父親が若い頃の役をユアン・マクレガーが演じている。.

「ラバース」

「ヒーロー」に続くチャン・イーモウの武闘ロマンス映画だ。「ヒーロー」が良かったので、二番煎じになりはしないかと心配だったが、これはこれでよくまとまっている。飛刀団の首領を倒したばかりの役人、金城武とアンディ・ラウに、新首領を殺せという政府からの命令が届く。どうやら遊郭の盲目の人気ダンサー小妹(チャン・ツィイー)が情報を握っているらしい。しかし小妹は舞踊の最中に役人の命を狙ったので、捕えられてしまう。金城が小妹をわざと逃がし、首領を追うことにした。しつような政府の役人の追撃で何度も窮地に追いこまれる二人。二人の間にはいつしか気持ちが通い始める。衣装は今回も和田エミだが、今回は徹底的にグリーンにこだわっている。失礼だが今迄余り美人とは思えなかったツィイーだが、今回は目一杯魅力を引き出している。また風の音を効果的に使っていて、音がとてもリアルだ。ストーリーを書いてしまうことは出来ないが、ラストシーンは決して平凡な終り方ではない。竹林での戦闘シーンなどアクションも良く出来ている。問題なく推薦だ。但しラブ・シーンの出来はよろしくない。ぎこちないし、もっとさらりと描くべきである。チャン・イーモウはラブシーンが余り得意ではないようだ。

「9-10月のビデオ・リリースから」

世の中の物事が大抵そうであるように、期待したものが全然ダメで、期待しないものが面白いという事がある。
「みなさん、さようなら」はカナダの映画で、今年のアカデミー賞外国映画賞を取った作品である。はちゃめちゃに生きた大学教授が、余命いくばくもない事を告げられ、病院の雑居部屋に入院する。残った日々をどうすごすのか。というより死を迎える覚悟ができるのか。証券会社勤務で金持ちの息子がかけつけ、ターミナル・ケアに尽くす。病院行政や、末期治療のあり方に問題を提起している。・・・しかし、私はこの映画がアカデミー賞を逃した「たそがれ清兵衛」より良い作品かというと、とてもそうは思えないのだ。所詮欧米人には「みなさん・・」のような映画の方が分りやすいとは思うけれど、この映画は品格に欠ける。よって推薦とはしない。
「カレンダー・ガール」は英国の田舎の婦人会の面々が寄付金集めにヌードのカレンダーを作るというお話。相手はおばさんだし、裸を期待する人向きの映画ではない。しかし、気力と体力に自信がなくなってきた日本のおばさん達に見せれば、少しは元気が出るかもしれない。英国の地方の景色が美しい。後で実話と分ってびっくりする。
「タイム・リミット」は原題がタイムアウト、デンゼル・ワシントン扮する地方の警察署長が、浮気相手に証拠金をだましとられて、返却期限までに取り戻そうとするお話だが、後味が良くない。
ジョージ・クルーニーとキャサリン・ゼータ・ジョーンズの「ディボース・ショウ」は、離婚専門人気弁護士のクルーニーと、遺産狙いで老人と結婚するジョーンズという、金至上主義の二人が真実の愛に目覚めるというお話であるが、人気俳優を起用しただけで終っている。
「ミッシング」はインディアンに身を投じて家族を捨てた男(今は老人)トミー・リー・ジョーンズが、脱走兵の集団にさらわれた孫娘を追うというストーリーで、「逃亡者」や「追跡者」のイメージの延長であるが、そのどちらにも遠く及ばない。
「デイ・アフター・トゥモロー」は環境破壊の結果、大型のハリケーンが地表を襲い、零下100度の寒気団による氷河期が急速に訪れる。米国民はメキシコに向かう。凍りついたマンハッタンに取り残され、私立図書館に避難した息子達の為に、気象学者の父親が救出に向かう。想定は相当に無理があるが、特撮アクション映画と割り切れば家族で見ることは出来る。
「セイビング・ジェシカ・リンチ」はイラク戦争で待ち伏せされて捕虜になった米軍補給部隊の、女性兵士救出の実話ということだが、公開に政治的な意図も感じられる愛国映画で、それ以上のものではない。 逆に「東京原発」は、新宿の中央公園に原発を作ろうという突飛な計画をぶち上げる東京都知事(役所広司)と反対する都庁の幹部の対立に、少年の核燃料ジャックが絡むという話で、荒唐無稽を装いつつ、シリアスな話題を取り上げている。しかし、水が掛かったくらいでプルトニウムが臨界点に達するという前提には疑問が残る。 私はあまりホラーを見ないが、「ヒューマン・キャッチャー」は、コッポラの製作というので見た。なんとなく「地獄の黙示録」を思わせる雰囲気もあるが、意外におどろおどろしくない。地獄のこうもり男が23年ごとによみがえっては人間を襲うという(無論)作り話だが、相手は翼があって、素早く移動するのでいささか厄介である。高校生が穴の開いたスクールバスに閉じ込められるというところに無理は感じられるが、子供をさらわれた農夫が黙っていないいうところは良い。
「キル・ビル2」は、前作が余りにも出血シーンが多かったので、期待はしていなかったが、完全に前作と補完関係にある映画だ。前作と打って変わって、血しぶきはあまりない。ビルの弟を狙っていたベアトリクス(ユマ・サーマン)は逆に捕らえられて、あろう事か墓に生き埋めにされてしまう。タランティーノ独特の荒い画面に下品な科白回しだが、リアルさだけはある。話は変わって、昔ベアトリクスがビル(デビッド・キャラダイン)の愛人(で殺し屋)だった頃、ビルの勧めでカンフーの達人に師事した事がある。なぜ結婚式のリハーサル会場に刺客を送って殺戮が行われたのか。結局はベアトリクスとビルの関係に行き着くスト−リーだが、前作を見た人はこれを見ないと、話にならないだろう。2という題名で、同じ趣向で3や4もあるのかと思ったが、今回が最終回である。しかし、カンフーの達人が、白いあごひげをしごく動作がわざとらしいのと、このジーさんが日本人の事を滅茶苦茶悪口を言うのが、少し気にはなった。ただしユマ・サーマンは前作よりは見やすくなった。
「エル・コロナド、密林の神殿」は、題名からはアンジェリーナ・ジョリーのアクション映画を思い出すが、もっとソフトだ。許婚がスイスに出張したので、後を追ってはみたものの、彼は中米のコロナド(架空の国名)に行っていることが分り、彼女もコロナドまで足を伸ばす事になった。しかしそこは、ここは革命寸前の騒然とした小国だった。米国人レポーターに引きずられるように反乱軍の味方をすることになる。暴力とセックス描写が少ないので安心して見ていられる。気楽に楽しむという意味で、映画のあるべき姿の一つかもしれない。
「ルーニー・テューンズ・バック・イン・アクション」は「誰がロジャー・ラビットを殺したか」と同じく、実写とアニメの合成映画である。主役はダフィー・ダックとバッグス・バニーで、人間の方はブレンダン・フレイザーとスティーブ・マーチン。コヨーテとロードランナー等おなじみのキャラが全員出て来るが、ドタバタに終始しており、あまり笑えない。
こう見てくると、10月にレンタル・ビデオ屋に並んでいるもので見る価値のあるものは「コールド・マウンテン」「シービスケット」くらいではないか。

「ディープ・ブルー」

BBCが7年の歳月をかけて制作した、海とそこに棲む生物達の映像です。NHKの「生き物地球紀行」を見慣れていると、それほど新鮮味はないかもしれなせんが、空中からの映像や、深海、渚など、さまざまな海のシーンを背景に、魚やイルカ等が織り成す生命の躍動感。心配した弱肉強食のシーンもそれほどではありませんでした。説明は殆どなく、音楽のバックだけですが、その音楽が重苦しく、あまり感心できませんでした。(U西牧)

「シュレック2」

アメリカでは大ヒットしたが、日本ではそれほどでもない。それはそうだろう。米国人か、米国の大衆文化(特に映画)に詳しい者でなければ分らないギャグやパロディーが満載なんだから。私は幸い後者なので、大いに楽しんだ。まず声優が前回同様豪華絢爛だ。主役のシュレックは前回同様マ−ク・マイヤース(オースティン・パワーズ)、フィオナも同様キャメロン・ディアス、ロバがエディー・マーフィー。そして今回は長靴を履いた猫にアントニオ・バンデラスス、国王の妃にジュリー・アンドリュースなどなどである。新婚旅国を楽しく過ごして家のある沼地に戻った怪物rシュレック夫妻の元に、フィオナ姫の両親から故郷に戻って顔を見せよという手紙が来る。渋るシュレックのお知りを叩くように故郷に戻ったフィオナだが、トーゼンのごとく両親、特に国王は新郎シュレックが気に入らない。それはそうだろう。何しろ相手はところ構わず放屁をするような怪物(オーガ)なのだから。一方、妖精の女王は自分のバカ息子をフィオナと結婚させようとして王国の乗っ取りを画策する。この王国はまんまハリウッドのパロディーだ。城での舞踏会はアカデミー賞授賞式そのもの。冒頭「ロード・オブ・ザ・リング」のパロディーもある。ギャグとパロディーのすべてが分ったら貴方もネイティブである。漫画というより実写に近いアニメだ。個人的には推薦だが、日本人の多くは半分も(理解できないから)楽しめないだろう。一つには日本人は生真面目で、ギャグを楽しむという習慣が未だ出来ていないということもある。音楽は最高水準で、これに近いのは「美女と野獣」くらいだ(当然、この映画のパロディーもある)。エンディングの歌は「リビング・ヴィダ・ロカ」だ。なお私はこの映画の結末には承服できない。しかしエディー・マーフィーのトークはやはり凄い。

「ハリー・ポッター、アズカバンの囚人」

ハリポタも3作目で、今回見る前に一番気になったのは、主役の少年の成長である。そういう意味では、3連作を一度に作ってしまう「バック・トュー・ザ・フーチャー」や「ロード・オブ・ザ・リング」の手法が本当は望ましいのかもしれぬ。いくら望んでも「」スター・ウォーズ」の新作にハリソン・フォードやマーク・ハミルを出すわけにはいかない。しかし、魔法学校の悪ガキ共も同じように成長しており、意外に違和感はなかった。但し次回作はよほど気をつける必要があるだろう。やはりハリポタは子供の映画であり、青年を主人公には出来ないだろう。今回は前作までを見ていて筋を理解していない人にはチンプンカンプンかもしれない。規則に違反した魔法使いを閉じ込める牢獄アズカバンから、凶悪な囚人が脱走した。しかもそれは、ハリーの両親を殺害した事件に関与した人物らしい。叔父夫婦と喧嘩して、ハリーが学校に戻ると、囚人は学校に侵入を企てる。今回は前作のようなクライマックスの特殊効果という意味合いでは物足りないかもしれない。ストーリーが中心なのだろう。特撮はいつもの通りで前作より進んでいるが、狼男だけはいただけない。エマ・トンプソンが間抜けな魔女のチョイ役で出演している。敢えて推薦にするほどでもないが、成長するタレントを上手に使ったという点で準推薦。

「オーシャン・オブ・ファイア」

予告編で期待していた程ではないが、気楽な娯楽作品として割り切れば良いのもかも知れない。「ロード・オブ・ザ・リング」の人間の主役(あたりまえだろうって?それは映画を見ていない人の言う科白である)、ヴィーゴ・モーテンセン、初の(どうか知らないが)主役映画である。騎兵隊を父に、母親をインディアンに持つモーテンセンは野生馬ヒダルゴで、郵便の伝令をしており、大陸横断30日の記録を持っていた。ワイルド・ビルのウェスト・ショウに出演していたが、アラブ人から世界一速いという言い方に文句がつき、アラブの砂漠3000キロを横断する過酷なレース、オーシャン・オブ・ファイアに参加することになる。襲い掛かる自然と、妨害の陰謀、謎の美女という、う割合普通の設定である。原題は馬の名前のヒダルゴだが、馬も、主役も実在の馬と人をモデルにしている。アラブの族長として、なんと「アラビアのロレンス」のオマール・シャリフが出演している。お暇ならどうぞ。

「シービスケット」

一言で言えば、馬主ハワード(ジェフ・ブリッジス)と調教師スミス(クリス・クーパー)、騎手レッド(トビー・マクガイア)の物語である。そして血統は良いが怠け者で、たらいまわしにされてた馬(シービスケット)こそ本当の主役であろう。レッド赤毛のためそう呼ばれていたが、少年の頃、不況で親と分かれて厩舎に住み込み、馬術の腕を磨いていた。しかし身体が大きすぎて騎手向きではなかった。しかも生活の為の路上のボクシングの試合で、右目の視力を失っていた。スミスは馬を愛する一匹狼の調教師だ。ハワードは自動車販売から財を成すが、息子を自動車事故でなくし、妻にも去らてしまう。ハワードはメキシコで馬好きの女性に出会い結ばれるが、同時に競走馬への関心を深めてゆく。訳有りの3人が出会い、シービスケットを競走馬に育ててゆく。緒戦、サンタ・アニタのレースでは、鼻の差で敗れるが、一着の馬とのマッチレースを要求し、つにそれが実現する直前に、レッドは頼まれた馬のウォーミング・アップ中に落馬して右足を複雑骨折してしまう。知り合いのジョッキーに代役を頼むことになtる。ところが、その直後、今度はシービスケットも靭帯を切ってしまう。果たしてこの馬と騎手の運命やいかにと言うところだが、この映画の見所は、人情だけではない。競馬のシーンもリアルである。不況のどん底にあえぐアメリカ国民を勇気付けたという、シービスケットの実話は知っておいて損はないだろう。推薦。

「ニューオ−リンズ・トライアル」

銃の乱射事件で夫を亡くした未亡人が銃の巨大メーカーを提訴する。メーカーの社長は辣腕の仕事人ジーン・ハックマンを雇って裁判つぶしにかかる。受けて立つ正義の弁護士に珍しくダスティン・ホフマン。謎の陪審員にジョン・キューザック。この3人が味のある演技をしているため、映画としての充実度が高い。テンポが速く、観客を飽きさせない。陪審員の票を獲得する為なら、脅迫も買収も不法行為まで何でもありのハックマンのやり方もむしろ現実味がある。本当に公平な陪審員などいないというハックマンの言葉に、陪審制度の問題点も浮かびあがる。陪審制度がミニ衆愚政治になる可能性はあるということかもしれない。でも日本のように知識のある優秀な人間が独断で決めるのとどちらが良いかと言われると、結局は手続きの審査だけでなく価値判断の問題に帰着するのなら、多分現状では衆愚の方が間違いが少ないかもしれない。いずれにせよ、そう言う事を考えさせる映画ではある。推薦。

「7月リリースのビデオから」

「ミッシェル・バイヨン」はリュック・ベッソンのルマンのレース映画である。そもそもレ−スの映画を皆作りたがるが、スタローンの「ドリブン」にしても、トム・クルーズの「デイズ・オブ・サンダー」にしても、さらには古典的なスティーブ・マックイーンの「ル・マン」にしても、いつもどこか消化不良気味なのは、レース場を周回するだけの自動車レース映画の限界が原因と思われる。クラッシュ映像がいかに派手になっても、悲劇はレース中のアクシデントという設定も変わらない。ドリブンではF1レーサーを公道で走らせているが、それでも最後はやはりサーキットそのものが主役だ。しかし車がいかに速く走ろうとも、基本的に繰り返しだから、単調になってしまうのは仕方がないのかもしれない。最初に鈴鹿で国際レースが開かれたときのTV中継が、いかに退屈だったかを思いだす。このときは2台の、車体の低いロ−タスの独走体制で、フェアレディなど全く歯が立たず、競り合いのシーンすらなかった。「バイヨン」の場合はラリーのシーンで迫力を追求している。また「バイヨン」が他の映画より優れているのは、ベッソンの色彩感覚だ。レーサーの車体の透明感のある鮮やかな赤、建物の壁の青などが、鮮烈に描写されている。しかし、車が主役の映画なら、「ミニミニ大作戦」などの方がよりスカッとするかもしれない。準推薦。「タイム・ライン」はクライトンのタイム・トラベルもので、上下2巻の本を読んだときには、それなりに面白く読んだものの、なぜか映画では余り感情移入が出来なった。B急映画に終って、"残念!"というところか。時間旅行の映画なら「タイム・マシン」のほうが荒唐無稽ではあっても、まだしも意外性がある。「解夏」、ゲゲとは、さだまさしもふざけた題名をつけたものだと思っていたら、仏教用語らしい。インドで僧が、閉じこもって修行する時期の夏が始まるのが結夏(けちげ)。それが終るのがげげと言う事らしい。難病で失明の恐れのある青年の軌跡を、静かなタッチで、さだの故郷長崎を舞台に描く。見てそれほど損はしないが、積極的に推薦するほどでもない。

「世界の駄っ作機3」岡部ださく著、大日本絵画社発行

飛行機という乗り物は、少年の夢をかき立てずにはおかない。飛行機にはヘリ、プロペラ機を含めて何百回か乗ったが、自分で作った模型飛行機がまともに飛んだことはない。唯一よく飛んだ完成品のラジコン機体は3分間の飛行の後に失われた。この本の著者は、自動車雑誌のNAVIの連載等でそのデッサン力に注目していたが、世界の駄目飛行機を丁寧なイラストで愛情込めて解説している。図鑑風の本は殆ど読み飛ばしてしまうことが多いが、何故かこのは一言一句全ページを読んでしまった。しかし所詮は趣味の世界。飛行機に関心のない人にまでは勧められない。それに2400円という値段にも問題がある。せめて図書館で借りてご覧頂くしかあるまい(私もそうした)。なお、写真が歪んでいるのは、正面からだと表紙がてかってしまうためである。

 

「半落ち」7月リリース

ご存知、読者が選ぶベスト・ミステリーの第一位となった横山秀夫の小節の映画化である。犯人役は、寺尾の他に適役が思い浮かばない。刑事役の柴田恭兵も抑えた演技で好感が持てる。役者は揃っており、それぞれが過不足のない演技をしている。皆で良い作品にしようという雰囲気が伝わって来る。筋は書籍の紹介で触れているので、ここで改めてストーリーのご紹介はしない。詳しくは「趣味の映画と書籍2003年版」をご覧頂きたい。アルツハイマーと白血病,そして人間の尊厳がテーマである。2時間が長く感じられない。最後のシーンはやはり涙だ。寅さんの満男役の吉岡が、重要な若手判事役で出演している。原作に助けられてはいるものの、何とか制作委員会などという馬鹿馬鹿しさがなく、まじめな映画作りの姿勢を買って、推薦とする。

「ミスティック・リバー」7月リリース

クリント・イーストウッド制作のアカデミー賞受賞作。確かに主演男優賞のティム・ロビンスの演技は良いとは思うが、他にも中堅どころの役者を揃えて、演技力には不足はない。デイブ(ティム・ロビンス)とジミー(ショーン・ペン)とショーン(ケビン・ベイコン)は幼馴染みだが、デイブは小さい頃誘拐されて暴行されたという暗い過去を持つ。おりしも、ジムの19歳の娘が何者かに拳銃で殺されるという事件が起きた。物語はベイコンが犯人を探す経過を追う形で進行する。聞き込みを進めるうちに、ジミーがかつて服役したことが分かる。そして拳銃の持ち主から有力な手がかりをつかむ。ミステリーファンでなければ、どんでん返しで面白く見られるだろう。原作者はフェアな態度で臨んでいるので、ミステリーファンには推測が付くように複線が張られている。但し個人的には、この結末は気に入らない。もっとも含みは残されている。役者達の演技力に敬意を払い、推薦。

「ヘブン・アンド・アース」7月リリース

原題「Worriers of Heaven and Earth(天地英雄)」で、中国の映画である。中井貴一が遣唐使として(紀元400年頃か)唐に渡り、剣の訓練を受けて、皇帝直属の刺客となって、お尋ね者を追う。その中に、皇帝の虐殺命令に背いた元将軍の李がいた。中井は追討が帰国の条件とされた為、西域に李を追う。しかし李が経典を長安に運ぶ隊商の護衛をしていたことから、二人は休戦して、隊商を盗賊から守るために力をあわせる。しかしこの隊商が運んでいたものは経典だけではなかった。中井は馬に乗って大活躍だが、昨今の特撮剣戟(近日リリースの英雄等)を見慣れていると、少し物足りない。確かにシルクロード゙やゴビ砂漠の景色を見るだけでも価値はあるとは思うが、最後は積荷の力で問題を解決するというのはいささか安易な解決ではないか。制作の努力に免じて、推薦。しかし、中井の中国語、どこまで発音が正しいのか中国の人に聞いて見たい気がする.

「イン・アメリカ」7月リリース

カナダからニューヨーク(マンハッタン)に移住してきた、アイルランド系の家族は、両親と幼い姉妹であった。やっと見つけた住居はハーレムの汚いアパートである。父親は演劇の仕事を探すが、オーディションに受からず、タクシーの夜勤運転手となる。母親はアイスクリーム屋に勤める。物語は幼い姉妹の口で語られるが、この家族には幼い息子を亡くした辛い過去があった。米国の底辺の生活をリアルに描き、ぎりぎりの生活を続けて行く家族ガテーマという、一歩間違えば重苦しい映画になりそうところを、楽天的な姉妹の言葉(悲観的な子供なんてあるだろうか。もっとも昨今の日本では悲観的どころか、虚無的な子供が増えているようであるが)と善意の黒人が救っている。アカデミー賞の候補にもなった。しかし、実際にも姉妹であるこの子役のあくまで自然な演技は、天才的としか言いようがない。出産費用に2万ドルを要求する病院に、日雇いに近いこの家族が払えるはずもない。弱者に厳しいアメリカ社会を告発しているとも言える。バトル・ロワイヤルのような、主張もなく精神異常のような退廃的な映画しか作れない日本映画界は、爪の垢でもせんじて飲むが良かろう。アカデミー職主演女優賞、助演男優賞、脚本賞候補作品。

「ルビーとカンタン」7月リリース

カンタンとは人の名前で、Quintinと書くらしい。ジャン・レノ演じるクールな一匹狼ルビ−が、ボスに愛人を消されたため、復讐の為に金を奪って逃走するが、捕らえられ、刑務所に入る。一方、ジェラルド・ドパデュー扮するカンタンは、人は良いが知恵は足りない腕力の強い強盗で、たまたま同室となる。二人が脱獄してボスと対決するまでのストーリーだが、ドパデューのボケにはやや苦しい面もあるものの、レノの突っ込みは最高である。テンポが良く、科白が笑える。ひさしぶりに本当に可笑しい映画を見た。パッパッと画面が切り替わり、余計な説明のシーンはない。この思い切りが素晴らしい。レノのこわもての対応が、ドパデューのおとぼけではぐらかされる、その絶妙の間。フランスの喜劇精神は健在であった。役者の力量というものがこういう映画ではっきりと分かる。ハリウッドのスターは所詮大根なのではないかとさえ思える。推薦。

「シェイド」7月リリース

久々のカード・ギャンブラーの映画で期待したが、それほどの出来ではない。最後は若手のギャンブラーと、伝説的ギャンブラー役のシルベスター・スタローンの対決だ。しかし会話の中でも「お前はシンシナテェイ出身か」などの楽屋落ちもあり、スタローンがミネソタ・ファッツをパクっていることははっきりしている。ドンデン返しもあるが、スタロ−ンの映画の常で、歯切れが余り良くなく、スッキリしない。シンシナティ・キッドのリメイクといったら、マックイーンが怒り出しそうだ。従って非推薦。

「アレクサンドロス大王」パース・ボース著ホーム社刊

寡聞にして知らないが、アレキダンダー大王については多くの著書があると思われる。中でもこの本は、マケドニアの盟主にして中近東までを支配したアレキサンダー大王の戦略と短い人生を、現代の企業戦略と比較しながら、彼の戦略が、いかにその後の古今東西の指導者に影響を与えているかを語っている。大部の本だが、企業人として興味の尽きることがない。但し、殆どは既知の主題であるが、範囲が広い。英国チューダー王朝の興亡に筆を走らせるかと思えば、第二次大戦、そしてIBMやDEL、ヲウルマートの経営を分析する。ロンメルがモンゴメリーに負けたのは兵站の違いであったという話はご存知かもしれない。読んで損のない本である。

「6月のビデオから」

「すべては愛のために」とは気恥ずかしくなるような題名だがbeyond the borders(国境を越えて、但し一線を越えての意味もありそう)の方がまともだ。トゥームレイダーズでおなじみのアクション女優の第一人者、アンジェリーナ・ジョリーのラブロマンスである。英国のセレブであるジョリーは、私財を投げ打ってアフガンの難民を支援しに出向いてから、結婚後も国連の難民保護局の職員となって働いている。支援のために世界の危ない地域に行きたいという気持ちを抑えることが出来ない。アフガンで初めてあくの強いボランティアの医師と出会い心惹かれる。難民の苦境がテーマだから、カンボジアやら、グルジアなどが舞台となる。世界の悲惨な現状を訴えるという意味では、見て価値のある映画だと思うが、ジョリーをヒロインとした切ないラブ・ストーリーとして成功しているかとなると疑問と言わざるをえない。とにかくアクション女優のイメージがついてまわるし、たくましく日焼けしていかにも強そうである。こういう場合は男優にもう少し優男を持ってきたほうがよかったのかもしれない。半分推薦。「ラブ・アクチュアリー」は英国系俳優総出演の、さまざまな愛の形を描くオムニバス風ドラマだが、さらっと描いてはいるものの、ハダカも結構あるので、ファミリー向きではない。ヒュー・グラント演じる首相とメイドとのラブ・ストーリーにも違和感がある。と言うわけで、推薦しない。期待しないで見た「バレット・モンク」はB急映画だが、つい最後まで見てしまった。グリーン・デステニーにも出ていたジョン・ウーが出演している。チベットの山奥でそれを読めば無敵になるという巻物を守る僧がおり、60年ごとに交代している。この僧は、巻物を間もお手いる間は銃で撃たれても死なないし、他人の怪我や病気を癒す力もある。だからブレットプルーフ・モンクという原題だ。どうやら原作は漫画らしい。今から60年前に巻物を奪おうとして失敗したナチが、執拗に僧の後を追う。現代のニューヨークを逃げ回りながら、この僧は後継者を探す。彼の目に留まったのはケチなスリだった。スト−リーは単純だが、あきさせないで最後迄見せるということを最近の特に日本の映画監督(タケシを含む)忘れているようだ。映画館の主役はあくまで観客であって、監督の自己満足や美学のために作られた映画がうまくいった試しがない事に、いつになったら気がつくのだろうか。

「ふしぎの植物学」田中修著、中公新書

私達は植物を摂取して命を保っている。それどころか、呼吸する酸素でさえ、森の木々に依存している。庭に草花を植え、花を花瓶に生ける。そのくせ、実は植物がどういう仕組みで種族を維持しているのかを殆ど知らない。植物には感覚gあるのだろうか(ある)、高い梢にどうやって水を送るのか。空気や水は、植物にとってどういう意味をもつのか。またそれをどのように取り入れているのか。基本的で有りながら、実は良く知らない植物のさまざまな性質を、分かりやすく解き明かしているのが本書である。我が家のご近所には園芸に熱心なご家庭が多いが、園芸をたしなまない人、学生にもお勧めの一冊である。

「レインボーブリッジを閉鎖せよ」(6月ビデオリリース)

おなじみ、湾岸署シリーズのムービー版2作目である。無論お手軽な脚本だし、荒唐無稽には違いないが、ありふれた日常感覚が、変に気負った現代劇に多い不自然さより、よほどリアリティーを感じさせる。早回しをせずに見た。作りはおなじだ。すりや噛み付き魔などの小さい事件と、連続殺人の大きな事件の組み合わせだ。またも本庁から、今度は女性の本部長が来て官僚風を吹かしまくる。現場主義の青島巡査長(刑事というのは本庁所属なのか)や、故いかりや長介が反発する。結論から言って、犯人の逃亡を阻止しようとするレインボー・ブリッジの封鎖計画は、所轄官庁が多過ぎて実現しない。しかし予告編では、ブリッジが爆破されるようなシーンがあったように思うが、爆破はない。織田の青島役と、柳葉の本部長役は定番だが、今回のヒロインはあまり可愛くないので感情移入しにくい。くだらない洋画を見るよりはましである。但しTVドラマの拡大版という本質的な性格は変わらない。それから私はDVDで見たが、全体に映像が明るすぎるというか、白っぽいのが気になった。

「DNA」J.ワトソン著、講談社

二重らせんの発見によりノーベル賞を受賞し、いまだ遺伝子学会の頂点に立つジェームス・D・ワトソンが描く斯界の50年間の歩みである。歯に衣着せぬ人物評などもあるが、ここにはおよそDNAに関するすべての知識がある。メンデルの法則から始まり、どうやってDNAがコピーされるのか。人間を構成する細胞はその数100兆。そのすべてにあるDNAの塩基の数は3億対。未だ完全にはその配列は解明されていないようである。これを読めば、遺伝に関する殆どすべての疑問が解けるであろう。原題はThe secret of life。2400円という価格はむしろ安いとさえ言える。死ぬまでに必ず読まなければならない本があるとしたら、この本は間違いなくそのひとつであろう。講談社刊。

「コールド・マウンテン」(劇場公開中)

アカデミー賞で多くの賞の候補になった作品。エイダ゙(ニコール・キッドマン)はノース・カロライナの山間の寒村、通称コールド゙・マウンテンに教会が出来たので、父親の牧師とともに到着したばかり。そこで孤児の青年インマン(ジュード・ロー)を知り、お互いに惹かれ合う。しかしおりしも南北戦争が勃発、インマンは兵士として戦地に赴く。エイダとインマンを結ぶものは手紙だけである。戦地で負傷したインマンは、エイダの戻って欲しいという手紙を読んで、脱走が死刑である事を知りつつ、一路コールド・マウンテンを目指す。一方、コールド・マウンテンでは、出征しなかったならず者が義勇軍の名の下に暴虐の限りを尽くしていた。畑仕事の出来ないエイダの手助けに送り込まれたルビー(レニー・ゼルウィガー)が、エイダを助けて農場の建て直しを図る。戦争の持つ狂気(イラク戦争でも実証されたが)を正面から取り上げた映画。米国人は戦争も好きらしいが、こういう反戦映画も作る。15才以下お断りとあるように刺激は強いが、見て損はしない。キル・ビルやロード・オブ・ザ・リングだけが映画ではない。推薦。

「4月のビデオ(続き)」

今回もお勧め出来ない映画から。まずは「キル・ビル」。ユマ・サーマン扮する秘密工作員が、仲間から命を狙われて瀕死の重症を負う。襲撃の黒幕は日本人でヤクザのボスだ。復讐のために日本に渡ったユマは、沖縄の刀鍛治に名刀を貰い、単身悪の巣窟東京に乗り込む。しかし飛行機の機内に日本刀を持ち込むなど有りえない想定だ。東京の下品な料亭では、ヤクザ相手に血しぶきの大サーヒスだ。中国人扮する鉄火女も登場。これが監督のタランティーノの持ち味なのかどうか知らないが、出血多量の殺しの場面には、見ている方がげんなりしてしまう。荒いアニメなども交えているがとにかく終始一貫しているのが、昭和初期の場末の劇場を思わせる粗野と下品さだ。もう一本は邦画「ドッペルゲンガー」である。役所広司扮するロボット工学者が、自分の分身、ドッペルゲンガーに付きまとわれ、ついには犯罪に走る。終始だらだらおち続く映像にストーリーらしきものはない。何も考えずに映画を撮影すれば、こういう映画になるという悪い見本である。退屈という日本映画の特質を充分に備えた、日本的作品。続いて推薦映画3本。今回はいずれもコメディ。久しぶりのスティーブ・マーチンの主演作は「女神が家にやって来た」という恥ずかしくなるような題名だ。でも中身はそれほどひどくはない。マーティンは税金専門の弁護士で、良い暮らしはしているものの、ワーカホリックで妻と離婚したばかり。そこに転がり込んだのが警察に追われる黒人女性。彼女は無実の罪だから裁判で弁護して欲しいと依頼するが、不在中に仲間を家に呼んで乱痴気パーティーをするなど素性は充分に怪しい。この組合わせでどのような結末になるのか。マーティンも演技は鼻に付く臭さがあったが、大分こなれてきた。次はジム・キャリーの「ブルース・オールマイティ」。バッファローの地方局でTVレポーターをしているキャリーは、アンカーになりたいのに嫌いなライバルに座を奪われる。そこに現れた神様(モーガン・フリーマン)が、キャリーに神様の代行の力を与える。キャリーは何でも思い通りになる力を悪用して、アンカーを下ろして自分がアンカーになる。しかし、人々の願いをかなえる仕事をいい加減にやったおかげで町は大混乱。アンカーの話を、放映中に滅茶苦茶にするシーンは久々に大笑いした。最近まで、アクの強さしか感じなかったキャリ−の演技だが、この映画では自然だ。ひょっとしたらそのうちオスカーを手にする日が来ないともかぎらないのではないか。3本目は「カンガルー・ジャック」で、ポスターからはカンガルーが主役のお子様映画かと思ったがさにあらず。チャーリー(ジェリー・オドンエル)は、母親がマフィアのボス(クリオストファー・ウォーケン)と再婚したため、長じて美容院を任されるが、売り上げの8割はピンはねされており、それでも文句も言えない気の小さい男だ。また少年時代に命を救われたルイスとの腐れ縁で、トラブルにしょっちゅう巻き込まれている。ところが、その失敗が昂じて、ウォーケンに大損害をかけたので、オーストラリアに行かされて命を狙われることになった。本人はそれに気が付いていない。ところがオーストラリアで、カンガルーにギャングの金の入ったジャケットを持って行かれてしまった為に、そのカンガルーを追う破目になる。テンポは速いし、家族で楽しめる。日本映画に共通して足りないものが、この歯切れの良いテンポである。

「4月のビデオリリースから」
先ずお勧め出来ないものを2本。「シャンハイナイト」はジャッキー・チェン」の新作で、映像も以前のものより格段に良いが、ストーリーはいま一つだ。「ティアーズ・オブ・ザ・サン」はナイジェリアの架空の内戦に巻き込まれた米国人女性医師を救い出すというミッションを、内政干渉になるからといっておおっぴらに軍事力を行使出来ない状況で、救出に向かう米国の小隊の話。主演は戦争映画には向かない、ブルース・ウィリス。医師だけでなく大勢の患者も救うとか、その中に大統領の息子(善玉)が居るとかいろいろあるのだが、題材があまりにも暗いのと、同じ戦争映画なら、もっと良い作品があるので、お勧めしない。続いて推薦作だが、アントニオ・バンデラスとルーシー・リューの「バリスティック」は、暗殺マイクロマシンの争奪をめぐるFBIと国家安全局とギャングが三つ巴で、入り乱れるアクション映画だ。セリフが少なく、間の取り方も良く、アクションや撃ち合いがリアルなので推薦する。悪役と奥さん役がいま一つなのが欠点。「フォーン・ブース」はニューヨークの8番街にただ一つ残った電話ボックスに入った宣伝マンが、姿の見えない狙撃手に狙われて、電話の指示に従っている内に、ボックスから出られなくなり、警官隊に包囲されるが、本当の事を言えずに行き詰まるという話。設定が今までにないもので、主役をコリン・ファレルが熱演。こういう路線もありかと思って、最後迄見てしまった。良い映画と悪い映画の区別は簡単である。途中で眠くなるかどうかである。前2作は途中で寝てしまった。同じく4月りリースの「北京バイオリン」と「フリーダ」も推薦ではあるが、別途ご紹介としたい。

「スパイ・キッズ3D、ゲームオーバー」(3月ビデオリリース)
完全に子供向けの映画ではあるが、これはかなり良く出来た立体映画である。結論から言うと、富士通の全天周映画と同等以上の立体感がある。無論全編がそうではなくて、出演者が眼鏡を掛ける時に、観客も赤青の眼鏡(ビデオ屋でくれる)を掛けると、そのシーンが立体映像になる。ゲーセンの雰囲気だが、かえるの舌が伸びて来るシーン等なかなかのものだ。そうでないシーンは普通のカラー映画とし見られる。子供でなくても一度お試し頂きたい。新機軸として推薦。

「座頭市」(3月ビデオリリース)
私はタケシの映画は実はこれが最初である。そして多分最後だろう。タケシの出演する映画には、キアヌ・リーブスと共演したジョニー・ニーモニック(JM)があるが、日本の非情なやくざの役だった。タケシは、どうも暴力ややくざが大好きらしく、かなり乱暴な性格なのではないか。この映画の作り方もきわめて雑で、脚本らしいものはないし、その場の思いつきで撮影したというのもうなづける。特撮は殆ど出血シーンで使われており、赤い色にはいささか食傷気味だ。無論小学生に見せられるようなものではない。タケシは全く地で出演している。゙ラストシーンのタップダンスのシーンが有名だというし、そこそこヒットもしたのだろうが、これがアカデミー賞外国映画賞の候補になりそうになったのだというからぞっとする。たそがれ清兵衛の方が遥かに格調が高い。但し、タケシが楽しんで映画を作っているらしい雰囲気だけは伝わって来る。勝新太郎の有名なセリフ「あっしをお切りになろうってんですかい」も出て来ない。これはむしろ石森正太郎の漫画版の座頭市の映画化かもしれない。そもそも金髪の座頭市なんている訳ないだろうに。従って、非推薦。しかしタケシとサンマとタモリの3大タレントは、井の中の蛙のような、ひとりよがりの平和な日本が生んだ、世界には通用しない徒花としか思えない。

「マッチスティック・メン」(3月ビデオリリース)
ニコラス・ケイジがベテランの詐欺師を演じている。マッチスティック・メンとはいかさま師の事だという。マッチ箱とマッチ棒で、大道でいかさまをしている人物をほうふつとさせる言葉だ。ケイジは詐欺師のくせに不安神経症で薬を欠かせない。仲間の勧めで精神科医にかかる事になった。そこへ昔分かれた妻の娘という少女が現れ、潔癖症のケイジの一人住まいに入り浸る。おりもおり、為替の詐欺の計画が持ち上がり、絶対にうまく行く筈が、相棒のしくじりで、カモがケイジの家迄追いかけて来る羽目になった。最近詐欺師の映画があまりなかったが、期待していなかった分だけ楽しめた。詐欺師の映画と言えば名作「スティング」を思い出す。途中地味な感じがしても、最後迄見た方が良い。一応推薦。

「レジェンド・オブ・リーグ」(3月ビデオリリース)
この題名では何の事やら良く分からないが、原題はレジェンド・オブ・エクストローディナリー・ジェントルメンで、超人連盟とでも言うのか。1899年のロンドン銀行に突如ドイツ軍の戦車が押し入り、当時は存在しない機関銃をぶっ放しながら、ドイツ軍の制服を着た一団が強奪する。しかしドイツはこの犯行を否定。一方ドイツの飛行船の基地でも、やはり機関銃の乱射事件が起きる。これは英国が否定。ともに目撃者を一人だけ残しての犯行だ。実はこれは世界大戦の勃発を企むファントムという人間の仕業であった。そこで英国政府は、アフリカに隠遁していた不死身のハンター、ショーン・コネリーを中心とした6名のチームを編成してファントムに対抗しようとする。その計画の首謀者が暗号名Mというのが二重の伏線になっている。一つは言わずと知れた007のボスであり、もう一つは言う訳にはいかない。しかしこの辺から話が大分おかしくなってきて、コネリーは普通の人間だが、これにドラキュラの妻(即ち恐るべき吸血鬼、しかも不死身)、透明人間、ジギル博士が加わるとなると、もうはちゃめちゃな設定だ。仲間の裏切りはあるし、透明人間は殆ど役に立たない。超人ハルクみたいなハイドも登場する。メカとしては当時は無いはずのロールスロイス風自動車の他に、海底2万リーグの流線型ノーティラス号迄登場だ。しかしなんでネモ艦長がターバンを巻いたインド人でなくてはならないのか。結論としては、CGを多用した荒唐無稽な漫画である。せめてタイム・トラベルの要素でもあればまだしもだが。映画にとって、如何に脚本が大事かが分かる。共同プロデューサーがコネリーという事だが、名俳優かならずしも名監督やプロデューサーではないという見本だ。一方、クリント・イーストウッドは名優ではないが、「許されざる者」や「マディソン郡の橋」等、良い映画を残しており、対照的である。長々と延べたものの、推薦は出来かねる。

「マスター・アンド・コマンダー」(劇場公開中)
ゴ-ルデン・グローブ賞も取り、アカデミー賞作品賞にもノミネートされたので、封切りの日に見た。しかし予告編とはちょっと違う。英国ではナボレオンとの海戦で人が足りないので少年だけの海軍を作ったみたいな説明だったが、これは大きな嘘である。実態は少年が幹部候補生として乗り組んでいたというだけの話。骨格はラッセル・クロー扮する、ジャック・オーブリー艦長が古い軍艦を操って、フランスの私略船から打撃を受けるが、ついにはそれを追い詰めて行くというストーリーで、昔の英国の海軍魂の讃歌の映画である。実物大の帆船を用意したと思われるシーンや、戦闘シーン等リアルではあるが、ロード・オブ・ザ・リングと作品賞を争うとなると、ストーリーテリングの面白みが若干不足するので、結構苦戦するのではないかという印象を持った。(結局アカデミー作品賞はロード・オブ・ザ・リング=11部門受賞、となった)

「ジョニー・イングリッシュ」(2月ビデオ・リリース)
おなじみかどうかは別としてミスター・ビーンこと、ローワン・アトキンソンが秘密諜報部員イングリッシュとして迷惑かけ放題の映画である。無論全てのこの手の映画がそうであるように007をもじった作品で、アストン・マーティンの最新モデルをさっそうとドライブするシーンもある。しいて言えば裸の銃を持つ男の英国版といったところか。有能な部下に支えられながら、大失態を繰り返すイングリッシュだが、なにしろエージェントが(これまたイングリッシュの失敗で)全滅してしまったのだから仕方がない。イングリッシュの前に現れたのは、なんと英国の王位を狙う、フランス王室の末裔、ジョン・マルコビッチであった。最初にイングリッシュの鼻先で王冠を奪い取ったマルコビッチは、次に愛犬を殺すとQE2を脅す。女王はあっさり王位を下りてしまう。そして王冠を取り返すべく悪の巣窟に乗り込むイングリッシュを待ち受けるものは・・・トーゼン、マルコビッチの一党しかいないではないか。変にリアルな映像と、オフザゲギャグのサム〜イ、バランスが、ギリギリのところで持ちこたえているという印象だ。少なくも劇場で見たら損をしたと思うだろう。

「閉ざされた森」(2月ビデオ・リリース)
実はかなり期待して見たのだが、まあ、それ程でもというのが印象だ。サミュエル・ジャクソン扮する米陸軍の鬼軍曹は、パナマでレンジャー部隊の実地訓練に従事している。しかし、ついに事故が発生し、訓練から生還した口の堅い兵士を、尋問の名手トラボルタが尋問する事になる。どうも密林の演習中に軍曹が何者かに殺害されたらしい事が分かる。もう一人生還した兵士がおり、こちらも尋問すると、話が微妙に食い違う。ここから真相の究明が始まる。しかし、謎解きの面白さという点では、同じような趣向で言えば、やはりトラボルタが軍隊の探偵を努めた「将軍の娘」の方が面白いし、トム・クルーズの「フュー・グッドメン」もより面白い。どんでん返しの映画が所望なら、同時期にリリースされている「アイデンティティー」の方が良いかもしれない。

「シェフと素顔とおいしい時間」(2月ビデオリリース)
変わった題名だが、内容はもっと変わっている。主演はジュリエット・ビノシェ(イングリッシュ・ペイシェントで助演女優オスカー、他にショコラ等)とジャン・レノの、殆ど二人だけの舞台だ。レノとビノシェは、パリ空港のゼネストで足止めをくい、レノとホテルに宿泊する事になる。ビノシェには暴力をふるし同棲相手がいる。レノは元々シェフの家柄だが、冷凍食品の事業で成功し、ミュンヘンに昔の恋人を訪ねる途中だった。という訳で異色の顔合わせの、なんとも奇妙なラブ・ロマンスである。

「裸の石を持つ男」(2月リリース)
なんという酷い題名かと思うが、裸の銃を持つ男のレスリー・ニールセンが登場し、コミカルな味付けなので、こういう題名にしたのだろう。原題は箒を持つ男達で、これも変わってはいる。私はこの映画を一応推薦にしたいのだが、その理由は全く別のところにある。それはテーマがカーリングだからだ。今まで色々なスポーツが映画のテーマになり、変わったところでは、カリブの国がボブスレーで五輪に参加するという実話もあったが、カーリングは初めてだろう。その興味だけで見た映画で、割り切れば良いと思う。

「ロード・オブ・ザ・リング-王の帰還-」(劇場公開中)
シリーズで見ている人は最終回を見逃す訳にはいかないだろう。しかもアカデミー賞のいくつかは取れそうな勢いである。但し朝日新聞の映画評は少しほめ過ぎと言えよう。先ず驚くのは場外時間で3時間版と言えば「ベン・ハー」等往年の70ミリ大作より長い。フロドとサムのホビット・コンビはいよいよ悪の王国モロドールに至る。ところがなんだか怪しかった道案内のゴーレムがいよいよ本性を現し裏切られて二人はピンチに見舞われる。最後の火山の上りは半死半生である。一方地上ではサウロンの悪の軍団(主としてオークよりなる)がゴンドールの首都に攻め込んでくる。しかし城を預かる宰相は権力欲だけで殆ど馬鹿である。白の魔術師が必死に軍を纏めて戦う。そこに本来の王であるアラゴルンが援軍を連れて駆けつける。今回登場のCGのモンスターは、フロド達を襲う巨大な蜘蛛と、オークの軍団が乗る巨大マンモスである。悪の味方の竜もは今回も登場。マンモスの戦闘シーンは、スターウォーズの氷の惑星ホスに登場したウォーカーを思い出さずにはいられない。ダイナミックな戦闘また戦闘のシーンの連続だが、火山の溶岩が流れるシーン等は非常にうまく出来ている。映画史に残る映画であることは間違いがない。シリーズで見ている人は必見だが、ドワーフ、エルフ、ホビット等の妖精と人間が地上で済分けていた時代(いつのことだ?)の神話を、荒唐無稽と思う向きにはお勧めしない。ウィザードリーで遊んだ世代なら楽しめるであろう。


「インファナル・アフェア」(2月ビデオリリース)
トニー・レオンが出演して香港で大ヒットしたそうだ。原題の香港警察の麻薬マフィアとの戦いを描く。レオンは潜入捜査官として、組織の動きを警察に通報する役目だ。しかしマフィア側も警官としてスパイを送り込んでいた。誰がお互いの犬なのか。やがて二人は宿命の対決へ。という訳で、パソコンやら携帯がふんだんに登場する警察映画であるが、現在の香港を知る上で参考にはなる。しかしやかたらと英語(ソリーやバイバイは英語ではないか)が出てくるのが、興味深い。流石、もと英国領というより、やはりアメリカ文化の影響ではないか。悪役が高級オーディオの趣味があるのも面白かった。ケーブルが高いとういうのがマニアックで笑える。しかしe lnlが何故インターナル・アフェア(内部監査)でないのかは不明。

「天井の剣」(2月ビデオリリース)
「グリーン・ディスティニー」や「英雄」もチャン・ツィイーも助演している、中国製CG大作。一言で言えば、峨眉山の仙人軍団と魔王の壮絶な死闘である。死んだと思ったら生き返 ったり、と思えば生き返らない場合もあったりで、実にややこしい。眉毛のやたら長い長老など、ロード・オブ・ザ・リングの正義の魔法使いまんまである。中国映画とCG映画が 好きなら満足するかもしれない。


「トゥームレイダー2」(2月ビデオリリース)
おなじみアンジェリーナ・ジョリー(ララ)のアクション映画で、前作では最後のシーン の巨大惑星儀が、いかにも作り物めいていたが、今回はスト−リー自体があまり面白くない。アフリカの奥地の洞窟に眠るパンドラの箱は、かつてアレキサンダー大王が、一度開いて多くの犠牲者を出した疫病の源という代物だ。細菌兵器を開発しては紛争国に売って商売にしている悪の生化学者が、この箱を狙う。女王陛下の命を受けたララは、殆ど単独でこの野望に立ち向かうのであった。ジョリーのウェット・スーツ姿もそれ程ではない。よって非推薦。


「SWAT」(2月ビデオリリース)
狙撃部隊の略称だが、この映画ではむしろ特殊任務部隊として描かれている。ロス市警の腕利きSWAT隊員コリン・ファレルは、同僚が判断ミスで人質を負傷させた為、連座して武器倉庫係に格下げされる。SWATのベテラン、サミュエル・ジャクソンが現れ、特別任務に彼をスカウトする。その任務とは、偶然捕らえた麻薬王を刑務所まで護送することであった。しかし麻薬王は、自分を逃がしてくれたら1億ドル払うとTVで公言してしまったため、護送隊はありとあらゆる無法者に狙われる。ジャクソンは必ずしも適役とは思えないが、スト−リーとしては一応見られる。


「トゥー・ウィークス・ノーティス」(2月ビデオリリース)
会社を自主退職する時には、2週間前に通知するという米国の慣習を題名にしたもので、リッチな不動産業者の二代目ヒュー・グラントが、ハーバード卒の人権運動家、サンドラ・ブロックを秘書に雇った事から、両者の価値観の違いが巻き起こす騒動という筋書きだが、「スピード」では間抜けな娘を演じたサンドラ・ブロックも、理詰めで考えるクールな女性を演じて、結構良い味を出している。この映画のモデルというより、おちょくった相手としか思えないドナルド・トランプ本人も顔を出す。この映画で、他の映画では滅多に経験出来ないところは、間の取り方かが秀逸だという事で、主役の二人がそれをうまく演技している。結末は最初から分かっているようなものではあるが、見て楽しければ良いのではないか。推薦。


「10日間で男をフル方法教えます」(2月ビデオリリース)
こちらも恋愛映画だが、やや粒の小さい二人が出演。マシュー・マコノヒーは広告代理店の社員だが、10日間で恋人を作れれば大口クラキイアントを任せるという約束を社長から貰う。一方ケイト・ハドソンは女性雑誌の記者だが、テーマに困り、題名のような特集記事を書く事になって、実際に男を引っかけて捨てる体験をするよう編集長から命じられる。10日間は絶対に離すまいとするマコノヒーと、ありとあらゆる嫌がらせをして、嫌われようとするハドソンの間の珍騒動というストーリー。消極的推薦。

「アイデンティティー」(2月ビデオリリース)
「シックス・センス」を思い出すと言ってしまえば種明かしになるかもしれないが、これは最近なかったタイプの映画だ。多重人格の囚人が、死刑の前夜判事の元に連れて来られようとしている。場面は変わって土砂降りの雨の中、交通事故を起こしてけが人を運び込んだモーテルで、偶然集まった10人の、娼婦や、囚人護送中の警官等、雑多な人々が偶然一夜を明かす事になった。そこで発生する殺人事件。洪水でモーテルに閉じ込められ。電話も通じない。犯人はなかなか姿を現さない。元警官のジョン・キューザックと限警官のレイ・リオッタ、そして囚人。一人死ぬたびに部屋の番号札が見つかる。そして彼らは誕生日が全員同じである事が分かる。いったいこれはどういう事か。どんでん返しの連続で筋書きが読めない。結末には納得しないだろうが、なるほどとは思うだろう。ミステリ−ファンにはお勧めの一作。


「エデンより彼方へ」(1月ビデオ・リリース)

1957年のコネチカット州ハートフォード。ジュリアン・ムーア(ハンニバル、めぐり合う時間達)は企業重役の妻、そして2児の母として、なに不自由のない生活を送っていた。ところが、夫フランク(デニス・クエイド)がホモである事が分かり、精神治療にかよう事になった。折もおり、父親の代わりにやってきた、教養の高い黒人男性の庭師と連れ立って歩いている所を見られたたことから、街の評判になってしまう。原題はFar from the heaven. 平凡な主婦が直面する2つの危機。当時の米国の人種差別の風潮にも講義する映画となっている。女性にお勧めの映画。

「サハラに舞う羽」(1月ビデオ・リリース)

古典的なラブ・ロマンスかと思ったらさにあらず、テーマはスーダンの英国軍の戦闘であった。ハリーは英国陸軍の仕官学校の優等生で、同じく優秀なジャックと親友であった。しかし二人とも将軍の娘エスネに想いを寄せていた。おりしも、英国軍はスーダンでの戦況芳しからず、ハリ−達の連隊も、スーダンに派遣されることになった。しかし、エスネとの婚約を終えたばかりのハリーは生きて帰る可能性の低い、スーダンでの戦闘に参加する恐怖から除隊してしまう。この行動は友人達から卑怯者とさげすまれ、卑怯者のしるしである羽を送りつけられる結果となった。しかもエスネからさえ羽を送られる。ハリーは1民間人として、スーダンに渡り、連隊の後を追う。半死半生の思いで、駐屯地にたどり着いたハリーは、正体を隠して仲間の軍人達を助けようとする。英国軍の立場に立ちながらも、戦争のむごたらしさを訴え、人間はいつも恐怖と隣り合わせの弱い存在であることを伝えようとしているようだ。最近の収穫である。推薦。なお「英雄」もビデオになったので、劇場で見ていない方はご覧頂きたい。

「ミニミニ大作戦」(1月ビデオ・リリース)

いい加減な題名だが原題はもっといい加減なItalian Jobsだ。ドナルド・サーザーランドは年老いた金庫破りの名人で、仮出処中にも関わらず最後の仕事だと言って、娘が止めるのも訊かずに、仲間のチャーリー(マーク・ウォルバーグ=猿の惑星)の仕組んだ金塊を、ベニスの金庫から盗み出す計画に加わる。しかし仲間のエドワード・ノートンの裏切りで殺され、金塊は奪われてしまう。数年後、ノートンがロスにいることを突き止めたチャーリーと仲間達は、金庫破りの技術を持つ娘を仲間に加えて金塊を取り戻す作戦を立てる。金塊の輸送には三色のミニ・クーパーが使われ、地下鉄の構内を疾走する。無論、BMWになってからのミニだ。軽快なテンポの現代的なセンスの犯罪映画で、オーシャンズ11などよりも、遥かにお勧めできる。見れば、ミニが欲しくなるかもしれない。

「ファインディング・ニモ」(劇場公開中)

おなじみCGのピクサーの作品だが、正直言って、前評判ほどではない。クマノミの父親マーリンの一家はバラクーダ(かます)に襲われ、残った子供はひれの片方が小さいニモだけだった。ニモが学校に初登校した日に、おやに反抗して無茶をしたニモは、シドニーの歯科医師のダイバーに捉えられ、水槽に入れられてしまう。ダイバーが落として行った水中眼鏡の住所を手がかりに、マーリンは健忘症の仲間ドリーと一緒にニモを探す旅に出る。ストーリーは極めてシンプルル。海底の様子など、CGで描く光景は確かにきれいだが、ギャグに乏しい。CGアニメの作品で言えば、私なら「シュレック」が一番、「トイ・ストーリー」が2番、モンスターズ・インク」が3番というところだ。幼児を含む家族向きの映画である。大人が見て楽しめるかというと疑問が残る。またクマノミの人面魚のキャラクターがフランスの物まねということで訴訟も起きているらしい。「ジャングル大帝」をパクった「ライオン・キング」の例もあり、そんなものは権利を買って堂々と制作すればよいのであって、知的財産権を平気で侵害するディズニーのせこさが、いずれ自分の首を絞める時が来るであろう。

「ラスト・サムライ」

トム・クルーズ主演、制作。クルーズ演じるオルグレン大尉は、カスター将軍率いる第7騎兵隊に加わり、インディアンを虐殺した経験がある。その時の悪夢の体験が忘れられずに、酒に浸る日々だ。見世物小屋で武器会社の宣伝をしていたが、日本から兵隊の教練の教師の口がかかる。渡航し、天皇の軍隊の教練を担当してみたものの、兵士達は銃の扱いもおぼつかない。しかも、天皇の元老院参議の渡辺謙が地方にこもって叛乱を企て、列車を襲うなどしているので、クルーズは未熟な兵士を引き連れて、その討伐をじられる。ところが相手は弓矢と刀しか使わないが、戦闘に熟練しており、士気も高い。あっけなく蹴散らされて、クル−ズも捕らわれの身となる、山奥の村で彼が見聞きしたものは、奥深い日本人の心情と武士道であった。客人待遇となったクルーズは真田弘之から剣道を学ぶ。おりしも天皇から、渡辺に上京せよとの沙汰があり、渡辺はクルーズを伴って皇居に参内し、天皇に諫言する。しかし私腹を肥やす大村参議のために暗殺されそうになり、クルーズに助けられ、郷里に逃げ帰る。大村は渡辺討伐を上奏し、クルーズの元上官と共に政府軍を指揮。大砲やガトリング機関銃を装備して、渡辺の本拠地に向かう。兵は2万。迎え撃つサムライは500。果たして、渡辺とクルーズに勝算はあるのfだろうか。武士道に傾倒するクルーズが、力を入れて作った様子が判る。富士山が望める熊野の里とか、横浜の風景など、随所に違和感はあっても、これまでの日本を描く外国映画より数等ましである。日本人の俳優が自分で英語を話し、またそれゆえヘンテコリンな日本語を聞かずにすむだけでもありがたい。この映画がヒットしてくれれば、少しは日本人に対する見方が変わるかもしれない。