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松坂王子カラ汐見峠ヲ越エ 熊野古道右入ル
Takashi,Ooue
ありがとう
昭和60年3月16日(土)
鹿ヶ瀬峠にて
この頃は、まだ若かった・・・
今は、体重80キロです(汗・汗)
古道歩きをしていると、神社は、子供の遊び場であることがよくわかります。
私も、小学生の時、藤白神社でよく遊びました。
境内には、今も樹齢八百年の大楠があり、その幹は空洞になっています。
空洞は、隠れ家遊びをする子供を包む胎内、いわゆる子守楠なのです。
そこには、もはや時間というものがなくなり、まるで胎内に帰ったように、日が暮れるまで自分の時間の中で遊んでいたのです。
時間隧道は、そうした樹齢八百年の胎内で培ったひとつの遊びであるのです。
一度、夕暮れの藤白神社に訪れてみてください。
紀州のまばゆいばかりの海から照らされた神社の境内は、時間という流れ、混沌とした蒼い闇を映し出してゆきます。
私が幼いころ見たものは、やはり、胎内からかいま見た悠久の時なのです。
大楠から、海の方角を見ると、熊野古道と書かれた藤代坂への入り口が見えます。
そこは、有間皇子が絞首になった悲運の坂でもあるのです。
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
有間皇子の歌は、不思議な旋律を持っています。
藤白神社を訪れたとき、この詩に出会ったのです。
家にあればという気持ちは、熊野参詣者の心を深く捉えます。
後の歌人は、この藤代坂の悲劇を歌に託しています。
死とは、命を映し出す影のようであり、生とは、屍を照らし出す光のようです。
御幸記を書いた藤原定家は「宿運然からしめ、感涙禁じ難し」と、熊野へゆくのは前世から定まった運命によって実現したと評しています。
そのとおり、熊野を歩くとき・・・
その旅は、黄泉への旅、時間への旅立ちであることが実感できるのです。
熊野古道・・・時間隧道・・・熊野鼓動・・・
あとがき
和歌山県海南市 在住(松代王子の近くです)
Takashi.Ooue プロフィール
1958年生まれ
1981年 ミノルタロッコール地区別フォトコンテスト 年度賞 受賞
23歳で、年度賞受賞を機に、ライフワークとして「くまの道」を選ぶ。
以後、休日に熊野九十九王子を取材しながら歩き始める。
1996年 読売写真大賞 優秀賞
1997年 熊野古道を世界遺産に登録するプロジェクト準備会に参加
熊野古道の調査・研究
1998年 和歌山市内で、熊野古道をテーマに写真展「熊野鼓動」を開催
2001年 和歌山マリーナシティわかやま館で「第2回熊野鼓動展」開催
2003年 新宿・大阪ミノルタフォトスペース写真展「すくくまの」開催
7月 和歌山マリーナシティわかやま館で「すくままの」開催予定
現在 和歌山県在住の写真家 椎崎義孝氏に師事
「僕が熊野に行く理由・・・」
熊野古道に足を踏み入れたのは、理由があります。
もともと、古道ファンではなかったのです。
20歳過ぎの頃は、紀州の祭りを題材に追っかけていた時期であったのです。
藤白神社の獅子舞に始まり、土地の祭りや郷土芸能を取材するうちに、紀州の祭りには共通の何かがあるように感じたのです。
山路王子神社の泣き相撲という祭りがあります。
これは、赤子の背中に土をつけると、その子は丈夫に育つという言い伝えがあるのです。
歴史に疎い私でしたが、奉納相撲の儀式は単なる相撲とは映らなかったのです。
神社には独特の儀式や作法があります。
王子社において儀式や作法をつないでいったのが、熊野詣だということは、最近発行された書物で知りました。
とすると、私が感じていたキーワードは理由があったということになります。
熊野古道が、世界遺産に・・・という動きもあります。
遺産とは、確かに現存する遺物も大切でしょう。
でも、目に映るものだけが人類の遺産なのでしょうか。
文字のなかった時代には、口述伝承という形で神話や歴史を伝えていました。
それは、日本人の心を伝えようとする姿勢があったからです。
熊野古道を歩くと、いにしえの人が伝えたかったものが見えてきそうな気持ちになります。
目に映らないものを写すという熊野写真の作業は、難行苦行です。(笑)
★使用機材
ミノルタ9xi2台 8700i 7000
17〜35ミリ 24〜50ミリ 28〜85ミリ 28〜70ミリ 28〜135ミリ
80〜200ミリ 100ミリマクロ テレプラス
ミノルタXD3台 ミノルタSRTスーパー
20ミリ 28ミリ 35〜70ミリ 70〜210ミリ 500ミリ
ミノルタA ミノルタA2 ハイマチック7S
ハッセルブラッド500CM
三脚 ジッツオ スリック ベルボン
カメラバック ロウプロ タムラック
使用フィルム 主としてプロビア ベルビア
古道歩きには、極力荷物を軽減しています。でないと、何キロも歩けません。レンズは、3本、カメラは1台、ストロボとテレプラスが基本です。車の中に予備カメラ1台を置いておきます。あとは、おにぎりとお茶を、ロウプロのリュックに入れ、雨対策のレインコートをしのばせています。
緑のロッコールレンズは、くまの道の濃いグリーンに合うようです。
★カメラ経歴
中学生の時、SLブームで、紀勢線、関西線や北海道まで遠征しました。
最初に手にしたのは、ハイマチック7Sでした。バカちょんにしては口径が大きくてよく映りました。
高校時代、写真部の部長を務めました。
暗室が好きで、写真を焼くことに熱中していました。
現在暗室は閉館中。
高校時代から、しばらく写真コンテストに熱中しましたが、22歳の時に、ミノルタの賞をもらって、東京での授賞式で篠山紀信氏に会ったことが一番印象に残っています。このとき、全国に写真家はいくらでもうまい人がいることを思い知らされ、テーマ性のあるもの、世界に通用するものを撮ろうと決め、結局選んだのが「くまの道」でした。
篠山紀信氏に「切り口がするどい」と言ってもらえたカメラワークも、くまの道では、惨憺たる有様で、師匠にも「写真が甘くなった」と酷評されるばかりでした。写真が撮れないというスランプどころか、写真家として資質がないような有様でした。
熊野権現は、厳しく僕を追い返したりもしましたが、最近では、大斎原に虹を見せてくれたり、後光が差したりと楽しませてもらっています。


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