例会秘密日記(editor' note)

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10周年記念沖縄例会

日時:2003年11月1日/場所:沖縄県立芸術大学付属研究所/参加者:人

ついに本研究会も10周年を迎えました。Webサイトにて告知していたごとく、記念例会を沖縄にて開催しました。

当日は地元沖縄や東京方面からの参加者も含め、40人収容の教室に入りきれないほどで、盛会のうちに終えることができました。ありがたいことです。事務局をつとめられた山内さん、基調講演を賜ったジェフェリー・ウェイド先生、会場をお世話くださった沖縄県立芸術大の久間田先生と沖縄国際大の深沢さん、そして参加者の皆様に深く御礼申し上げます。

なお、この記念例会は大阪大学の21世紀COEプログラムの後援を受けました。成果は来年度に報告書として刊行される予定です。


2003年9月例会

日時:2003年9月27日/場所:大阪大学/参加者:11人

だいぶん遅れましたが、9月例会のレポートを

本月は卒論報告が二本でした。砂田氏のものは、儀礼の分析を通じて朝鮮王朝世祖代の権力構造を探る試み。牧野氏のものは、明治初期において、従来日朝通行で用いられた「図書」がどのような扱いを受けたのかあとづけるもの。いずれも問題意識のしっかりした報告であり、卒論の完成が楽しみです。


アクセス解析

を先頃導入しました。トップページの右上のやつがそれです。まあ、無料なのでたいした機能はありませんし(個人名がばれるなんて事は仕組みとしてありえません)、Niftyはそこそこ管理がちゃんとしてるプロバイダなんですが、何かあったときのための保険ということで。訪問者の方々におかれましてはご了承下さい。


2003年7月例会

日時:2003年7月12日/場所:大阪大学/参加者:21人

今月も多数の方々の参席を賜った。感謝いたします。今月も史料読みはお休みして研究報告二本となりました。

トップバッターは初参加、本学の中田氏。安史の乱直後数十年間の唐朝中央における政治抗争と仏教事業との関わりを論ずる。いっけん海域とは無関係に思えるが、仏僧の交流は海域史の主要テーマの一つであり、国家と宗教との関係が古今東西を問わない重要問題たることも周知のことだろう。中国での動きや中国史の研究状況を知ることができて有益であった。

続いてはこの度めでたくご就職された岡氏の報告。ポルトガル(史料)=キリシタン(史料)という先入観がもたらした弊害を鋭く指摘された上で、氏が年来取り組んでいるモンスーン文書を用いて17世紀初頭におけるマカオの貿易・外交を跡づけられた。ポルトガル内部に指向を異にする複数の集団の存在を見るべしという、よくよく考えてみれば当然の指摘を受けて、今更ながら自らの思いこみの強さを認識させられた。


2003年6月例会

日時:2003年6月28日/場所:大阪大学/参加者:20人

蒸し暑い気候にもかかわらず20名もの参加者にお集まりいただけた。まずはお礼申し上げます。11月の10周年記念例会に向けて弾みがつくというものです。今月は史料読みを一旦お休みして研究報告二本となりました。

吉村氏の報告は清朝档案を使用して、暹羅の入貢手続きを具体的に復元する試み。まだまだ史料読解に精一杯で全体への位置づけやプレゼン技術などの面で課題を残したものの、自らを省みるに(笑)、M1の報告としては上出来だったでしょう。論文を引用した某先生が臨席していたことを知らず、質問に立たれた瞬間に顔が強ばったのは、まぁ、お愛嬌でしょう

向氏の報告はモンゴル時代に特異な商業形態として知られるオルトクに関するレビュー。先行研究、特に修曉波氏の業績を叩き台として、「オルトクの海上進出」と呼ばれる現象をどう理解するべきかを探った。オルトクと呼称される集団の活動内容の変化とオルトク自体の定義とをどう整合的に説明するかが問題となり、議論も白熱した。


2003年5月例会

日時:2003年5月24日/場所:大阪大学/参加者:23人

今月は三名の方にご報告いただきました。まず、田中氏の档案講読。やっと終わりました。今後は事例を収集して具体的に朝貢の様相を復元するのが課題でしょうか。中国での研究がありそうな気もしますが。

リエン氏と西村氏の報告は共にベトナム考古学の最新情報。昨週の国際東方学者会議での報告を踏まえて行われた。リエン氏はメコンデルタのゴー・タップ遺跡の発掘報告。オケオとほぼ並行する時期の大規模な遺跡で、オケオ文化の中心遺跡でもある。オケオ遺跡自体は、通常扶南と直結して考えられているが、単純にそうとも言えなさそうである。

西村氏は北部紅河平原、特にルンケー城址発掘の成果を元に報告された。既に発表されているルンケー城を龍編に比定した自説を発展させ、漢式墓遺跡など考古学的データを指標として北属前半期の縣治の再比定し、さらに当該時期北部ベトナムにおける交易の重要性を指摘された。


本宅フリーズ

日時:2003年4月末頃

現在、阪大のサーバーがアクセス不能です。閲覧は可能なのですが、一切更新ができない状態です。例会情報なども書き換えが不可能になっているので、今後はこちらのサイトでの記載を参照していただきたく存じます。

阪大文学部のサーバーは本当に頻繁にアクセス不能になります。他学科もそうなのかどうか分かりませんが。落ち着いたら阪大のサイトを閉鎖しようと思っています。


2003年4月例会

日時:2003年4月26日/場所:大阪大学/参加者:16人

田中氏の档案講読、ついに4回目への突入が決定してしまいました。残欠があることもあって、なかなか構造がつかみにくかったのが原因でしょうか。何とか、次回には

早瀬氏の報告は、文字史料をあまり残さないブギスや華人の役割が増大した18世紀の東部海域アジア世界を再構成するための試論。断片的な漂流記・旅行記などを組み合わせ、新たな角度から読み解くことで、量的ハンデの克服を図る。併せて、欧文史料の網羅的調査・公刊状況整理の必要性にも言及されました。


スタイルシート化など

ちょっとデザインが変わったんやないか?とお思いのあなた、青海、いやいや、正解です。サイトのデザインにスタイルシートを導入しました。といってもクラス名がshortとかredとかだったりして、まったく構造的でないため、単にファイルサイズがでかくなっただけやろ、という評価に反論できないあたりがかなりイタかったりします。

で、内容の紹介ですが、旬を過ぎるどころか時間が経ちすぎて...すいません。中島先生の報告など実に興味深く、きちんと紹介したかったのですが。はすだのは撃沈したので、あまり聞かないでください(^^;)。ざっと振り返れば、複数回にわたる史料購読がトレンドになってます。岡田君の『撫辺雑録』が最初ですが、ほとんど集中講義というか、ゼミみたいなノリになってしまってますねぇ。一回ですっきり終わるような史料購読も復活させたいものです。

あと、報告要旨ですが、あんまり更新できてません。「原稿くれない」ってのももちろんあるんですが、論文化途上のネタの中間報告なども多く、こちらもあまり強くは催促できない事情がありまして、こうなっております。世の中善人ばかりとは限りませんからねぇ。なお、論文化後に要旨を送っていただいた田中さんのようなありがたい方もおられることを強調したいと思います。


2002年3〜7月例会

日時:2002年3月23日/場所:大阪大学/参加者:11人

日時:2002年4月27日/場所:大阪大学/参加者:?人

日時:2002年5月25日/場所:大阪大学/参加者:17人

日時:2002年6月22日/場所:大阪大学/参加者:15人

日時:2002年7月19日/場所:大阪大学/参加者:11人

私事にまぎれて、すっかりこのコーナーの更新をサボってました。まぁ、「どーせ誰も見てなかろう」と思っていたのもあるのですが(^^;)。いつもより更に簡単ではありますが、ご紹介いたします。

3・5月は史料購読。『皇明経世文編』からオランダと組んで一儲けたくらんで失敗した海賊のお話です。9月に第3回目を行う予定です。

3月のピヤダー氏の研究発表は、『華夷訳語』などを用いてアユタヤ−明・琉球間の外交文書の処理過程の復元を試みたものです。このうち、対明関係に焦点を当てた発表が6月の東南アジア史学会の席でなされました。

5月の渡辺氏の報告では、漂流民に対するキリシタン禁制の運用を通して、琉球の守らねばならない「境界」とは何であったのかを検討された。

6月は研究報告2本。齋藤氏は明治期対馬での産業振興を巡る人間関係復元から、これらの事業に、当時の長崎県内での人事闘争、特に白川県人脈が占めた位置を指摘された。清水氏は、17・18世紀ベトナムの対中朝貢記録と今までこの分野でほとんど使用されなかった朝鮮史料を丁寧に突合せ、両国の交流と描き出されたイメージを検討された。

7月例会では、日本史研究者の立場から日越の都市比較が行われました。京樂氏は特に城壁の機能に着目され、仁木氏は地図の検討から中近世ハノイの構造を検討されました。

なお、4月例会は博物館見学会でしたが、管理人は所要のため欠席いたしました。


2002年2月例会

日時:2002年2月23日/場所:大阪大学/参加者:13人

福林氏は南海でのソグド人の活動を示すとされる史料の再検討で、現地調査まで行った労作。「結論は変わらない」と前置きしつつも、文献史料・考古資料双方について諸説を紹介した上で綿密な検討を加え、それぞれの史料から読み取れる情報とそれに依拠した諸先学の意見との齟齬を明確にされた。特に東南アジア史側にとっては、従来殆ど利用されなかった唐代の文集・筆記史料の価値を再認識させられることになった。

高井氏の研究報告は、これまで全く手付かずであった19世紀初頭の流通課税システムの復原作業。関津税とは各地に設置された巡司所で徴収される流通税の一種である。制度史料の記述から、少なくとも18世紀末以来、北部ベトナムでは入札による請負制が取られており、初期にはかなり綿密な物価調査がなされていたことが明らかにされた。徴収原簿である『貨簿(この史料を使った研究は本発表が世界で最初)』所載の巡司所の位置比定から、巡司所は、行政区画とは全く別の、主に河川交通ルートを基準に設置されていたことが明らかにされ、西部山地への非設置には王朝の民族政策が関係することを指摘された。さらに銭納制から銀納制への変化を概観する過程で、アジアでの銀流通との関連にも言及された。


2002年1月例会とミラーサイト設置

日時:2002年1月12日/場所:天理大学/参加者:多数

新年明けましておめでとうございます。どうやらこの会も潰れることなく無事に年を越したようです。本年も宜しくお願いいたします。なお、報告・来聴希望者は随時募集しております。

今回は天理大学の共同研究班と文部省科研の研究班との共催でシンポジウムを開催しました。後援は天理大学の国際文化学部になります。なんだか名前負けしてしまいそうですが、報告者と司会のうち五人が過去に小会に参加されたことがあり、うち三人には報告もしていただいたこともあります、うん、すごいぞ(^^;)。問題提起者を見ても分かりますが、来聴者を含めてすんごいメンバーが一堂に会しました。うちの会も含めて日本中で山ほど研究会が開催されてますが、これだけのメンバーが集まるのは年に数回あるかないかでしょう。今回は研究報告ではなく各分野からの問題提起が目的でしたので内容の紹介は差し控えます。ある程度予想されてましたが(笑)、やはり時間が押してしまい質疑の時間が短かったのが少し残念ではありました。とはいえ各先生方それぞれ興味深いお話を伺うことができて非常に勉強になりました。

このサイトは長らく阪大文学部東洋史学研究室のサーバーに置いておりましたが、最近サーバーが不調なのでミラーサイトを作りました。本店の更新を優先させますので、ミラーサイトへの反映は遅れる事があります。ご承知おきください。なお、11・12月例会は管理人が所用で欠席してしまいましたのでレポートは書けません。


2001年10月例会

日時:2001年10月27日/場所:天理図書館・天理大学/参加者:13名

今回は三年前の12月以来、二度目の天理での開催となりました。図書館での展示見学では、1484年版の『東方見聞録』など数々の「レアもの」を実見できるなど大変有意義なものとなりました。

田中氏の報告は古代日本の自他認識を扱う。従来の通説を、律令国家形成段階の「夷狄観」を5世紀段階まで無批判に遡及させたものと批判し、さらには近年の中国史・中央ユーラシア史での枠組みの変化を踏まえた上で、「夷狄」関連記述を収集・整理を行い、

「〜〜人」という個別的命名の時代
→7世紀段階での「夷人」観念の成立
→8世紀の「夷狄」の成立

というより段階的・動態的把握を提唱された。さらに後半では、「夷人」観念の形成を南方を題材として整理された。通説に捕われず積極的に新たな枠組みを提唱された意欲的試みであり、自然と討論も白熱しました。

岡田氏の報告では、外交文書のクセに構造がわかりにくいのは相変わらずでしたが、やっとタイ側からの国書が終わりました。次回はベトナム側の返書になります。次回こそ時間は守りましょう。


2001年9月例会

日時:2001年9月29日/場所:大阪大学/参加者:10名

大きなイベントと重なったため、三ヶ月お休みとなりましたが無事再開できてほっと一息。

岡田氏の報告は前回に引き続いての18世紀の外交文書の講読。大阪外大の吉川先生に加え、タイに留学中の院生、海域史が専門のタイ人留学生も参加して俄然盛り上がりました。とにかくひたすらずらずらと並ぶアユタヤ側の人間のタイトルの解釈をきっかけに多くの有益なコメントが寄せられました。おかげで盛り上がりすぎて文書が読了せず、次回も引き続きこの文書を扱うことになりました。

石川氏の報告は、20世紀初頭の朝鮮東北部にルーブル紙幣が流通したという一見マイナーな事象をアジア交易圏あるいは近年その重要性がとみに指摘される華商通商網の一環節として捉え直そうと言う壮大な試み。ウラジオストックの後背地としての機能が朝鮮東北部にルーブルをもたらすこととなったが、各国政府の東アジア政策と絡み合いつつも、日露戦争後も特に対満州用に、地域間決済通貨としての機能を維持しつつげたことをを明らかにされるとともに、そこに現在の国民国家の枠組みとは別の地域経済の可能性が存在したことを指摘された。


2001年5月例会

日時:2001年5月26日/場所:大阪大学/参加者:11名

岡田氏の発表は、久々の史料講読。アユタヤと広南阮氏の間で取り交わされた外交文書を取り上げた。慣れない外交文書に苦戦し、あっという間に時間オーバーとなったため、次回に雪辱を期すこととなった。

位田氏は西川如見の『華夷通商考』及び『増補 華夷通商考』に着目。増補された情報の出所を広く調査することで、近世の長崎関係史料の性格に迫られ、それらの史料の類型化を試みると共に、通時的な相互関係もある程度明らかになった。更には今後の研究の可能性についても"熱く"語られた。熱気に押されてか討論でも「長崎史料」の定義を巡って白熱した議論が行われた。


2001年4月例会

日時:2001年4月28日/場所:大阪大学/参加者:15名

今回は歴史学とは異なるディシプリンの方にご発表いただきましたが、くしくも二本ともある人々・場を巡る言説を取りあげたものとなりました。

吉本氏は「チャム族」や「チャム人」といったレッテルを巡って注がれる国家・学者・現地住民など様々な立場からの視点を腑分けし、そこで語られる「真正」なる文化の食い違いに注目された。そしてそれらの相互作用の中で「チャム族」「チャム文化」が今まさにつくられようとしていることを指摘された。またホーチミン市国家大学のThanh Phan教授からも発表に関連して、先行研究ではチャム族内部での様々な相違が宗教に短絡されている点を指摘されるなど、多くの有益なコメントを賜わった。(先生は8月までの予定で名古屋大学にご滞在です)

川越氏は阪神大震災以降、「多文化共生」をキーワードにややユートピア的に語られることの多い神戸市長田のケミカルシューズ産業を巡る言説に注目された。「多文化共生のながた」がジャーナリズムや学術研究によって「実証」され、聖域化されたことを指摘されるとともに、そのような文脈においては聞取り内容が個人的経験に固定されてしまい、「ながた」という場によって規定される要素が捨象されているのではないかとの問題提起をされた。


Yahoo!に載った

ずっと前に申請を出したのですが、忘れた頃に掲載通知のメールが来ました。場所は

地域情報 > 世界の地方 > アジア > 芸術と人文 > 歴史

だそうです。トップページの大カテゴリーにある「芸術と人文」からだと素直に行き難いような気がします。一応「史」の方に重点をおいてる筈の会なので、若干複雑な気分ですね。紹介文も「例会の案内、過去の報告要旨」とそっけないばかり。仙人の会という人類学系の研究会のページによると、ここも報告要旨やレジュメを載せるようになったあとに掲載されるようになったそうなので、学術系の研究会が掲載されるには、報告要旨を載せるというのは結構重要なポイントのようです。


2001年3月例会

日時:2001年3月24日/場所:大阪大学/参加者:11名

西野氏は、ベトナム陳朝期(13〜14世紀)の陶磁器についての話題提供。昨年12月の津田氏が大陸部東南アジア全体を扱ったのに対してこちらは各論になる。これまで陳朝期の陶磁器は前代とあわせて李陳朝と一括して扱われることが多かったが、現地での発掘成果を生かし、高台の成型技法を中心的メルクマールとしてより細かく6つの段階設定を提示された。さらに窯の活動時期などからその背景について見通しを示された。討論でも青花の出現時期などから14世紀中葉に特に画期を求める意見が出されるなど、活発な議論が交わされた。

瀧氏は「中国社会におけるキリスト教の位置」という問題関心から宗教(生活)において重要な要素である儀礼のうち「死の儀礼」(葬式・埋葬の儀式・祖先崇拝)を取り上げた。中国人司祭李安徳のラテン語日記を主要史料とし、18世紀中葉の四川で中国での死の儀礼がカトリック宣教師・司祭たちに如何に認識され、どのように執行されたのかを検討された。彼らはcivilとされる要素(服装など)には比較的妥協的であった。しかし当初厳禁しつつも教皇すらある程度の譲歩を見せた位牌に関して、李安徳は頑ななまでに厳禁する。葬儀や位牌が天主教徒を「異質な存在」と認識させる重要なキーのひとつであることを指摘され、李安徳の峻厳な態度は中国人であるがゆえ位牌の持つ宗教的要素の大きさを認識していたからではないかとの仮説を提出された。


報告要旨掲載開始

これまでもこのコーナーで各例会のごくごく短いまとめを掲載してまいりましたが、この度、より本格的な報告要旨の掲載を開始することに致しました。執筆は基本的に発表者です。質疑応答も含めた内容になるようお願いしておりますので、参加の難しい遠方の方々にも参考にしていただきたく存じます。

報告要旨のページへ


2001年2月例会

日時:2001年2月24日/場所:大阪大学/参加者:20名

今月も引き続き20名と大勢のご参加を仰ぐことができた。発表者のお二方とも海域での初報告であったが、いずれも今後の研究の進展を期待させる充実した内容で討論も白熱した。

岡氏は当会では初めての、ポルトガル史料を扱った報告。17世紀前半、マカオに集まる日本・スペイン銀とその投資構造を「モンスーン文書」と呼ばれる文書群を主要史料として窺う、という新テーマを設定し、その展望を語られました。ポルトガルのアジアの活動を概括し、次いで今回扱う「モンスーン文書」及びポルトガル史料の全体像について説明があった(特に学部生には有益だっただろう)。本題では史料を例示しつつ日本商人からの投資(投銀)の焦げ付き問題を出発点に、もたらされた銀が他地域への更なる高利投資に回されたこと、資金源としての日本・マニラからの密輸銀が当局に問題視されていたことを示し、更にこのような構造は商業投資の手法を発達させた可能性を指摘した。次いで日本交易の途絶・ポルトガルのスペインからの独立はマカオの資金源をほぼ同時に絶ってしまい、この経済リンクが消滅したことを述べられた。

米谷氏は前回の藤田氏の報告を承けて、1611年次の琉球進貢使にまつわる二つの史料、彼ら及びシャムの使節と対面した朝鮮使臣李睟光の文集『芝峰集』と琉球使臣蔡氏の家譜を紹介された。波乱の旅路を辿った使節にふさわしく、怪しい(?)話満載で海域アジア史にぴったりの素材。しかし当然抑えるべきところはきっちり抑えており、前者からは当時の朝鮮における「外国」のイメージの形成という実に興味深い問題を抽出され、さらにこのテーマを研究するにあたり朝鮮使臣の文集・朝天録(朝貢の記録)の有効性を指摘された。後者では使臣の漂着から帰国までの経過を跡付けると共に、1610年頃から済州島付近に多く出現する「荒唐船」への警戒が朝鮮側の過剰反応を引き起こし、更に漂着者を丁重に送還したはずの光海君が実録編纂の過程で前年の事件と混同され、「琉球王子殺害」の汚名を着せられたことを明らかにされた。

因みに終了後の宴会の参加者数も史上最多規模であったことを付言しておこう。

報告要旨をみる


2001年1月例会

日時:2001年1月27日/場所:大阪大学/参加者:20名

新世紀最初の例会は、学部生も含めて総勢20名と大勢のご参加を頂き幸先のよいスタートとなった。発表者もそれにふさわしく、当会の仕掛け人である桃木氏と中心メンバーの藤田氏という豪華なラインナップ。大学教員が1年で最も忙しいこの時期に発表を依頼する幹事の非人道的行為にもかかわらず、二本とも示唆に富むすばらしい内容でした。

桃木氏は、漢籍に記される「国の名前」の意味・命名の構造という視角から、近年目覚ましい進歩を遂げたチャンパ研究にあって取り残された感のある環王国に迫る。最新の成果を援用しつつ、環王国とはクアンビン・クアンチの地方勢力の自称がチャンパ「国」の総称と理解され・記録されてしまった可能性、この時期にチャンパ・マンダラの南限がほぼ確定した可能性を指摘した。さらに先行研究でも行き詰まっていた地名比定などで新説を提起すると共に、新たな研究の可能性にも言及するなど、盛りだくさんの内容となった。

藤田氏の報告は、天理図書館今西文庫所蔵の『増補 耽羅志』に記載される1611年の済州島での琉球王子殺害事件及び薩摩と大越の通交を伝える史料を紹介したもの。「琉球王子・使臣殺害」「唐船襲撃」をキーワードとして朝鮮・日本・琉球の関係史料を精査し、紹介史料と併せて検討。海域世界での済州島の位置、朝鮮側(済州島・本土)の対応、積み荷の「貨貝」などのトピックに触れた。そして、これらの事件が伝承化して行く過程で、翌年起きた同様の事件と混同(あるいは意図的に付会)されて『増補 耽羅志』が増補される際に記載されていることを指摘した。また薩摩と安南との通交についても触れ、後期倭寇から朱印船貿易へと移行してゆく時期の貿易船経営の実態に迫る史料としても活用できるのでは、との見通しも示された。


2000年12月例会

日時:2000年12月9日/場所:大阪大学/参加者:10名

蓮田は、史料紹介ということで、18世紀末の中越間での越境事件を扱った。大きな戦争などと全く無縁の事件だけに、この手の細かい事件は史料が少なく、それだけに魅力的な話題。しかしプレゼンテーション技術が至らず、長くしゃべったわりにだらだらして失敗に終わった感も。

津田氏は陶芸家出身で、90年代初頭からホイアン調査、アンコール修復などに関わって研究生活に入られました。今回は遺物そのものだけでなく、窯跡なども含めてスライドを中心に、産地と交易という観点から大陸部全体に関してご紹介いただきました。特に従来紹介されることの少なかったラオス・ビルマ関係でも、堺からの出土例があるなど、知的刺激に富むお話を頂きました。

終了後次回以降の日程が決まり、遂に当研究会も世紀を超えることが決まりました。今後とも皆様の積極的ご参加をお待ちいたしております。


2000年11月例会

日時:2000年11月11日/場所:大阪大学/参加者:12名

深見氏の報告はインドネシアに在外研究にいっておられた際に成果が出版された新出史料にまつわるものでした。古代ジャワ史に関する従来の研究動向をやや詳しく総括した上で、当該史料に現れる要素と従来の史料のそれとの違いを手がかりに、この史料から何が導き出せるのかについての展望をお話いただきました。

中島氏のほうは卒論の準備報告。18世紀末に書かれた『撫邊雑録』の記述を再構成し、そこに記される「隊」という単位への検討を通じて18世紀阮氏治下の中・南部ベトナムにおける物産の収集体制を整理しようとするものでした。


2000年10月例会

日時:2000年10月14日/場所:大阪大学/参加者:10名

幹事の大遅刻、用意したスライド装置のトラブルなど事件が多発してしまいました。謹んでお詫び申し上げます。

一方で発表のほうは示唆に富むすばらしいものでした。山内氏は史料を博捜し、平安時代における人と物のネットワークを追及なさり、そのなかで物のほうでは硫黄に着目、人の面では僧侶と海商のネットワーク、とりわけその中での彼等の信仰の位置について論ぜられました。

藤田氏は済州島での現地調査の報告。倭人・倭寇に関する伝承の残る史跡を巡り、それらを文献史料に出現する住人や産物と併せて検討し、その歴史性を論ぜられました。


海域アジア史研究会ウェブサイト開設

2000年7月31日

 遂にサイト開設にこぎつけました。この程度のものでもいざ作ろうと思うと結構労力がかかるものです。このような性質の研究会を発展させるために、果たしてサイト開設は意味あることなのか今もってよく分からないのが正直なところですが、とりあえず備忘録にはなるだろうと自ら慰めてはいます。


なにわの海の時空館見学会

日時:2000年7月22日/場所:なにわの海の時空館/参加者:10名

せっかくお客様をお呼びしたのに、直前での常連の相次ぐ欠席通知に恐れおののく幹事でしたが、最終的に10名の参加者を得てほっと一息。

梅田から30分以内と交通至便にもかかわらず、OTC線とやらに乗り入れるため、鉄道料金が跳ね上がってしまう(梅田から片道480円)のはいただけないですね。しかも駅からは、街路樹がまだ育っていないため大阪市の巨額赤字の夢の跡上を照りつける太陽の下10分ほど歩く羽目に…。納税者意識向上のための試練でしょうか。

菱垣廻船
復元菱垣廻船浪華丸
つかの間の海底散歩の後、海に浮かぶドーム内へ。目玉の菱垣廻船はまじかでみるとやはり大きい。館内は写真撮影もOKなのですが、船全体を捉えられるアングルが確保できず、若干残念。19世紀初頭のものをモデルにしたそうですが、これでも標準的な大きさだそうです。近代船に慣れた我々の目には、不釣り合いなほど大きな帆柱や大きく開いた船尾なども新鮮でした。また、素朴な疑問にも丁寧に答えてくださる出口先生のおかげで実に有益な会となりました。出口先生ありがとうございました。

 展示のほうは、館員の寸劇や、タッチパネルを多用した音声付映像案内、様々な道具を実際に手にとって体験できるなどなかなか趣向を凝らしているようです。しかしそこはプロの一団、怪しげな説明にはすばやいチェックが、曰く「16世紀のアジアといいながらポルトガルがマラッカにも香料諸島にも到達してないこの地図は意味がない」「これほんとに18世紀の景徳鎮か?どう見てもしょぼすぎるぞ」「統計資料の意味を知らないからこんなグラフができてしまう」等々。目を輝かせて素直に展示に見入っている子供達の横でこういう事をやるのは慎んだほうがいいのかもしれない...。展示内容は面白いのですが、上記の通り解説はお粗末な部分が目立ちました。今後の改善を期待したいところです。

さらに船に乗り込んでも、勝手に舟板を外して船倉を覗いたり、棚の戸を開けて中のものを見ようとしたりとやりたい放題。解説の職員より詳しい人間がいるだけにある意味たちの悪い一団であったかもしれない...。

はしゃぎすぎて茶碗を割ってしまうの圖
棚を開けたはずみで中の茶碗を割ってしまう。

終了後は、近日中国へ在外研究へ旅立たれる岡本さんの送別会。ご専門にちなんで大正区にて沖縄料理に舌鼓を打ちつつ、海域アジア in 福州実現へ向けて陰謀を練りました。現地でのご健康とご活躍をお祈り致します。

(は)

なにわの海の時空館ウェブサイトhttp://www.jikukan.or.jp/index2.html


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