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CLANNAD 〜After Story〜
『第18話〜大地のはて』 前回のレビュー(第17話)からの続きである。 このシリーズのクライマックスは、ここに来た。
この第18話には、ムダなものが1ショットたりとも無い。 だから、
100カットの画像をレビュー用に用意した。
私は自らの思い入れのために、各画像にキャプションを添えておく。 かつて、これほどストーリーの行間を読ませる演出を、テレビアニメ作品においては見たことがない。
また、各声優陣の力量の凄さにもあらためて感心した。 (「汐」役のこおろぎさとみさんに至っては、やはり神憑りであります。) 既に前回までに何度も書いたが、
CLANNAD
〜After Story〜
『第18話〜大地のはて』は、奇蹟の回である。
こんな風に始まる。(軽快なBGM)
「駒田(こまだ)」と自らひと声。(往年の巨人軍野球選手の物真似ジェスチャー)
5歳児、汐(うしお)の面白すぎる一芸。(私は思わず笑いました。)
野球好きの祖父アッキー(秋生)のセンスの賜物。(選手が古すぎ(笑)。)
だけど、父〜朋也は「面白くない」と、にべもない感想。
5年間も育児放棄していた朋也と(娘)汐の二人旅。
走る列車の中。まぁ、はしゃいで(母親に甘えて)騒ぐ余所の子もいる。
それが勘に障る朋也は唐突に隣席の母子を「うっせー!」と怒鳴りつけた。
朋也の怒鳴り声に汐はたじろぐ。(当然、軽快だったBGMは止まる)
「・・・はい、すみません・・・。」萎縮してしまった隣席の母子。
その場の空気を凍りつかせた朋也は、隣の汐がいないことに気が付く。
ぎこちない父娘関係の齟齬を、日常と「楽しいハズの非日常」の中で、
ごく自然と浮き彫りにしてみせた、見事なアバン・タイトルだ。
汐の姿を車輌間のトイレに見つけた朋也は声をかける。
明らかに泣いていた跡の様子が分かる汐。
「泣いてたのか?」
首を横に振って否定する汐。それはウソだとすぐバレる。
「ウソつくな。」
「泣いちゃダメって・・・。」
「え、誰が?。」
「早苗(さなえ)さん・・・。」
「マジか?。意外と厳しいな。」
「・・・でも、泣いていい所があるって。」
「ふ〜ん、どこだよ?。」
(しばし言い澱んでいた汐は、こう答える。)
「・・・おトイレ。」
〜この言い澱みの深さは後で分かる。
遠景のこの距離感と虚ろさは、そのまま朋也と汐の関係を表現している。
(同時にこの話数〜及び、物語全体の最大のポイントの伏線が、ここにある。)
列車の乗り換え地点で下車。駅の売店で気まぐれに「オモチャ要るか?。」と朋也が汐に言う。
「なんか選べよ。買ってやるから。」
「うん。」
汐は一所懸命にオモチャ選び。(誰でも記憶にある。子供はオモチャ、夢中で選ぶよね。)
「おい、これなんかどうだ?。」選び迷っている汐に朋也の(素っ気ない)ジョーク。
というか、ここは学生時代からツッコミ入れられるのを承知でボケてみせる朋也流の悪戯心が軽く出たのだが。
(前話の「男の子みたいだな」という、娘に持った印象を受けた、朋也のお巫山戯(ふざけ)のつもりだった。)
ところが、目を輝かせる汐。(気のない)ジョークの買い物がマジになる。
買ったのは「不細工なロボット人形」だった。・・・なのに、汐ちゃんは夢中。
列車を乗り継いだ旅は、その夜の宿でのこんなシーンに、話のポイントがあった。
前話の頃や今回の話数の序盤に比べて、
汐に語りかける朋也の目線が下に降りてきていることにお気付きだろう。
・・・でも、それはすぐに、また距離をとってしまう。
汐が「ママのこと、おしえて」と、朋也に聞いたからだ。
「早苗さんに訊けよ。」
「きいてもおしえてくれないから。」
「(ちっ、俺から訊けってか・・・。)」
「早苗さんに訊いてくれ。俺からは話してくれなかったって。」
朋也は、直視したくはないことからは(渚の死。そして、それ以前の幸せだった思い出全てから)逃げていた。
翌日、旅はいよいよローカル路線に。
(こういうローカル線に乗ったことあります。ドアの開閉が乗降客の手動なんだよね。
運転手だけで、車掌もいなくて自動ドアでさえない(笑)。)
長旅でだいぶお疲れ気味の幼児。
(じつは、朋也にとってもこの旅は「早苗さんが立てた計画通り」の旅程をなぞっているに過ぎない。)
その旅行計画の辿り着いた目的地のひとつが、この場所、「向日葵畑」であった。
黄色い他の花畑と混合しているようにも見える。
「(わぁ〜、すげぇな。)」朋也もこの景観には感嘆する。ましてや汐は・・・。
その汐の感動を悟った朋也は、ここで気さくに肩車してやるのである。
大人の目線を超える位置から眺める景色の広いこと。素晴らしいこと。
「ぅわぁ〜〜〜、すっごーい♪♪」汐の歓声。
・・・汐と過ごすうち、朋也も少しずつ穏やかな気持ちになってきているようだった。
それとも、それは旅の果てのこの土地のせい?。
「ぅわぁ〜〜い♪あはははは♪」花畑を走る汐の右手には、あのロボット人形。
花畑の中から手を振る汐。朋也もことあと手を振り返す。汐、嬉しくて仕方がない。
ところが、しばらく後でしょげかえった汐の表情が朋也の前にあった。
走り回っているうちに花畑のどこかに「ロボット」を落としてしまって見つからないという。
一緒に捜しても見つからない。
「汐、諦めよう。帰りに同じの買えばいいよ。」
「・・・あれが、いい!。」
何にこだわるのか、諦めきれずに捜し続ける汐。
その姿を離れた木陰から眺めていた朋也。突然、過ぎ去った過去の光景が重なる。
「はっ」となる朋也。記憶の回帰。
ざわざわとする胸。この場所この光景には見覚えがある。自分と「あの人」がいた。
早苗さんに目的地を決められていた今度の旅。
汐に声をかけておいて、ひとりで心が指し示す方向に誘われる朋也。
岬の高台のような所。
辿り着いたそこには、朋也の父、直幸(なおゆき)の母である史乃(しの)が待っていた。
(つまり、朋也の祖母。)
史乃は、渚の母、古川早苗からあらかじめ朋也がこの日にここに来るであろうことを伝えられていた。
孫・朋也に史乃は若かりし直幸と、その妻・「あつこ」のことを話して聞かせる。
「あつこさんも直幸もまだ学生でしたから、周りは結婚に反対したのですけど」
「直幸は高校を中退して、二人で狭いアパートで暮らしはじめて」
「・・・でも、幸せそうでした。」
「〜やがて、あつこさんはお腹に貴方(朋也)を宿し」
「ささやかな祝福の中で貴方が生まれてきたんです。」
それは、愛し合った朋也と渚の間に新たな生命が芽生え、
限りない幸せを約束していたハズの、かつての朋也たちの姿にそのまま重なっていた。
その史乃の語りのシーンに挿入される絵は朋也の心象風景だ。
妊婦・渚の姿が消え、
差し出された小さな手のひらが
「汐と朋也だけの二人」のシーンになる絵はドキリとさせられる。
(渚はいない。父娘ふたりだけ。)
そこにある距離。でも、目の前。汐は手を差しのべている。
このシーンのあたりに流れるBGMの空気感も、
屹立としていて儚いものを描写するのにふさわしい名曲の数々である。
妻を事故で失った直幸が、幼い朋也と新たに旅立っていった、それがこの場所。
朋也は、まざまざとその光景を思いだしていた。
父、直幸との二人の暮らし。それは寄り添い合う濃密なものだったのだろうが、
父子二人だけの生活は、時に二人にとって辛いこともあった。
直幸は、酒に溺れて親子間でさえ諍いを起こしてしまう弱さもあった。
そこには、妻・渚を失った悲しみから立ち直れず、
幼子、汐に淋しい思いをさせてしまっていた朋也自身の姿も重なる。
こうした心象風景の切り返し(cutback)は、一切の説明がなくても恐ろしいほど効果的で、
静かな史乃の語り口以上に雄弁な「行間を読ませるチカラ」がある。
朋也が痛烈に何を感じているのか、それが朋也が寡黙なままでいるほどヴィジュアルだけで伝わってくる。
そっと、朋也の頬に手をのべる祖母・史乃。
時に人は大切なことを忘れがちになる。
人はたゆたうものだし何かが変わることもある。
軋轢もある。
でも、朋也は、あるべき自分の立場や、父・直幸の尽くそうとしていた本来の覚悟を悟る。
はっきりと思いだしてもいた。
自分には、幼かった時に「あんなに優しかった父親」がいたことを。
朋也は史乃と花畑まで戻る。汐はまだオモチャを捜していた。
「ずっと、捜していたのか?。」
「・・・うん・・・。」
「そうか・・・。」
そう言いながら、朋也はあの日の父の姿を思いだしていた。
子供と同じ目線。
その位置まで、はじめて朋也は汐との距離を縮める。汐も「はっ」となる。
「汐・・・、あのロボット・・・な。(もう)見つからないかもしれない。
仕方ないんだ。・・・だから、また新しいのを買おう。な。」
汐は、小さな拳でスカートを握りしめながら、しかし、しっかりと答えた。
「あれ、ひとつだけだから・・・。」
「?・・・。売店にたくさん売ってたろ?。」
「・・・選んでくれて、買ってくれたものだから!。」
「え?。」
「はじめて・・・、パパが!。」
汐のその言葉に「はっ」となる朋也。(ここからBGMが入る)
汐の言葉の重さ、思いの重大さに一瞬、視線を落とすしかない朋也パパ。
(※こうした演技付け、キャラクターの心理を考えれば、このシーンに限らず、
このドラマの「人間」というものを描くことに、力を尽くしている真摯さ、深さは見事である。
第18話、ラストシーンに至るまで、演出も神憑りである。)
(そうだよ!。おまえ「パパ」だろ!、朋也!。←これは観ていた私の心の声)
「・・・汐、淋しかったか・・・?。」
「・・・うん。」
「俺なんかと旅行して楽しかったか?。」
「・・・うん!。」
「・・そっか・・。・・・汐。・・・オレ、側にいてもいいかな?。・・・ずっと、長いことダメなパパだったけどさ。」
「これからは汐のために頑張るからっ。だから、側にいてもいいかな?。」
汐は「うん、側にいて欲しい。」と答える。
「・・・でも、今日は大切なもの(パパに買って貰ったロボットを)なくしたから悲しい。
・・・パパ、あのね。・・・もう、ね。ガマンしなくていい?。」
ここのカットバック(cutback)は、殊更に凄い。
「早苗さんが言ってた。・・・泣いていいのは、おトイレか、」
「パパの"むね"の中だって・・・!。」
朋也ははっきりと悟る。大きく頷く。「うん!、うん!。」
汐は、なくしたオモチャの事だけを言っているのではない。
今こそパパを確かめたかったのだ。
朋也に駆け寄り抱きつく汐!。
耐えて耐えて、抑え続けていたものが弾ける。
ひきつけるような小さな嗚咽が、泣き声になる。
朋也が小さな身体を強く抱きしめる。この父娘は、今、本当の固い絆を結んだ。
・・・いや、「深くて固い絆」があることを、ようやく理解したのだ。
5年もかけて、はじめてひとつになる父娘。
熱い涙と、大きな鳴き声、
それは、今、この時だけの感傷ではなくて、汐の幼い魂一生分の、これまでの「涙」全てだった。
「悲しいこと、淋しいこと、辛いこと」今までの全てが溢れ出した涙だった。
夕日の中で、今、確かな絆に抱かれて、
「(早苗さんの言っていた)泣いてもいい場所」で思いっきり泣くことが出来た。
朋也は今、5年分の汐の思いを抱きしめていた。

・・・この「おトイレのショット」と「花畑の夕日」のショットを続けて重ねている絵は、私たちを打ち震わせる。
悲しくて悲しくて、そして喜びで「目が溶けてしまいそうなほど熱い涙」だった。
こんな行間を読ませる演出をかつて、これまでのアニメで見たことがない。
ホームドラマだからこそ、凄い。
渚の母、早苗さんが、娘の忘れ形見「汐」を我が子同然に育てながらも、
あのやわらかい笑顔と物腰のまま、凛として守っていたであろうことが容易に読み取れる。
「パパ朋也」の存在や、「ママ渚」のことを、どれほど汐に話して聞かせていたであろうか。
なのに、肝心の所や詳しい所はつまびらかにはしないで、
この幼い魂に『いつか、自分で確かめてね』という示唆を与え続けていたのだ。
そんな情景が容易に、この一連の演出の中には読み取れる。
それを守り続け、心に刻みつけていた汐の健気さが、また凄い。
こうした行間を読み取らせる演出は、リアルタイムにおいては、言葉や理屈ではなく、
エモーションだけで私たちに迫ってきていた。
だから、この場面、泣かずに見ていられる人なんていたのだろうか?。
(そんな人がいたら変、という究極の暴論を口にしそうなほど、私は泣きましたよ。何回見ても、この話数は泣く。)
それにしても、朋也と祖母・史乃を引き合わせて、
父・直幸への(朋也の)頑なな拒絶心を解くきっかけを用意していたのも「早苗さん」だったし。
・・・それらは「賭け」でもあったろうが、
『朋也を信じる心』の方が「早苗さん」にとっての核心ではなかったろうか。
ところが、第18話、まだ、このあとがあるのである。
旅の帰路。また走る列車の中。夕日が美しい。
ここで、朋也が能動的に、汐が訊きたがっていた『ママ・渚』のことを話そうとする。
汐を隣の席に呼び寄せて朋也は語り出す。
でも、しばらく澱みなく渚の思い出を喋ったところで、朋也の様子がおかしくなる。
「それで・・・。え、えへへ。・・えっ、と、・・・それで・・・。」
汐は、その様子をじっと見つめている。
「それでな、・・・ママは・・・。」朋也の目に見る見る涙が溢れてきた。
朋也自身がまざまざと悟っていた。
『渚・・・!』
たぶん。亡き妻のことをこれほど直視して考え、思い出を辿ったことは、
彼女の死以来5年間で初めてのことだったのではなかったろうか。
(・・・凄いショットだ。・・・この朋也の「涙の横顔」は・・・。)
出会った頃の渚のいつもの笑顔。
二人で暮らし始めた頃の渚。
その温かくて幸せな生活。
折れてしまいそうになった自分を支えてくれた渚。
あの日、あの時、朋也をしっかりと支えてくれていた手が、
結婚指輪をしたままのか細い手が、力なく落ちて、永遠に去っていってしまった。
渚!渚!・・・。5年前のあの日から心を殺してきていた朋也も、今、泣いていた。
小さな手が朋也の腕を掴む。
パパの様子を、娘・汐は敏感に悟っていた。
・・・もらい泣きなんてものではない。
「なんだ、お前まで。」
「悪かったな。ちょっと、ママのことを思いだしたんだ。」
愛娘の涙を手でぬぐったパパは、「よし、じゃあ、(ママの)話の続きだ。」
そう言いながら汐と手を繋ぐ。
『渚、見つけたよ。・・・やっと、見つけたんだ。』
『俺にしか守れないもの。』
『俺にしか守れない、かけがえのないもの。』
愛娘と手を繋いだ朋也の前に、ママ・渚も戻ってきていた。
本当は、いつも側にいた。
「絆」は簡単に生まれたり消えたりするものではない。
気づけるか、気づけないでいるかだけなのだ。
笑顔は、いつもそこにある。

(『俺にしか守れない、かけがえのないもの。』)
『・・・それは、・・・ここに、あった。』
アニメ『CLANNAD
〜After Story〜』
第18話は、この物語のクライマックスで、大きな成就地点だった。
泣くこと=感動という単純な図式ではないし、まぁ、最近話題の脳科学的には「歳をとるほど涙もろくなる」ということらしいから、全ての視聴者に当てはまることではないのだろうが。
それでも、私は泣いた、号泣した。
それが、私の「(涙もろくなった)老化現象のせい」だとは誰にも言わせない!(笑)。
少しでも、不快な不協和音の混じる、「泣ける話的」な作劇には私の心は微塵も動かず、シナリオライターや演出陣の欺瞞ぶり、稚拙さに憐れみさえ感じてしまう。
だが、この作品、この話数は特別なステージにある「珠玉」だ。
少なくとも、この第18話までに至るまでのストーリーの流れと、この話数の「奇蹟の演出」、「絵」、「音楽」、「声優陣のチカラ」はMAXに結実している!。
「本物」だ。
で、私の個人的な感想だが、『CLANNAD 〜After Story〜』は事実上、次の「第19話/家路」と次々回「第20話/渚の戯れ」で完結している。
「第20話」のラスト〜次回に続くくだりとして、不安な材料を提供する辺りから以降、最終話の第22話、番外編・第23話はなくてもいいのだが(笑)。
これは暴論ですか(笑)。
この事については、また機会をあらためて書きましょう。
精査すると、結局は「ゲーム原作」通りにアクロバットな物語のトレースをしながらも、アニメ流の解釈を加えたエンディングには、感心するポイントもある。
そこで、私の「物語論」を少し披露します。
私は『CLANNAD 〜After Story〜』の「第14話〜第20話」まで辺りは、本当に繰り返して、よく見ています(笑)。
名作です。
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