今までなかった頭痛や、眩暈がして、おまけに肩が非常に凝るようになり、病院に行きました。血圧測定の結果、血圧が高いのがわかりました。他にもいろいろ検査をし、特に異常は認められませんでした。
そのとき、西洋医学では、本態性高血圧という病名のもとに治療します。つまり、降圧剤が処方されるわけです。そして、一旦本態性高血圧と診断されたら降圧剤を一生のみ続けねばならないのです。
なぜそういうことになるのかといいますと、この本態性という言葉が問題で、西洋医学においてその高血圧の原因がわかっていないという意味なのです。したがって、真の治療法はなく、高血圧による二次的疾患の発生を防ぐ緊急避難の意味で降圧剤が処方されるわけです。
最もありふれた病気の一つである高血圧に、この本態性などという言葉がつく、このこと一つをとってみても、人体は非常に精妙かつ有機的な活物(いきもの)で、科学を持ってしてもなかなか解明できるものではないということがわかります。現在わかって行われている検査にしても、それ自体はすごく役にたっているのですが、それも人体の精妙な営みの、ほんの一部についてなのだということなのです。
西洋医学は、その科学性故に、機械による検査結果に頼りすぎて、病体を全身的に把握すると言う事を忘れ(あるいは西洋医学に人体を総合的に治療するという考え方がないためかもわかりませんが)、局部に拘泥しすぎる様に思えます。
それに反して、漢方治療では、病気を科学的に解明しようとするのではなく、その人のもっている情報を元に、病体を全身的なものとして把握し、その体の整復をはかる薬方を決定することに全力を注ぎます。しかしここではっきりしておかなければならないことは、検査結果は、病状の程度を知ることは出来ますが、その病気の原因には余り関係ないということです(病気の本質はその体質にあり、そのことについては「病気の本質」の項で触れたいと思います)。
とはいっても、西洋医学の検査結果も漢方の薬方を決める情報の一つとして大変役にたつこともあります。しかしそれは全身の把握のための一つの情報としてであって、それが全てではありません。血圧が高い以外に、顔色はどうかとか、のぼせ感はあるかとか、頭痛が起こるのは朝方か、午後か、夜間に多いのかとか、肩こりは、両肩から首筋にかけてこるのか、それとも首の後ろがこるのかとか、のどは渇くか、睡眠や動悸はどうかとか、便秘はあるか、季節による症状の変化はどうかとか、腹力はどの程度あるかとか、腹部で動悸を搏っているか、心窩部が膨満しているか、肋骨弓下が強く緊張しているかとか、数え上げるときりがないくらいの情報をもとにその人の体力や体質、全体的病態を判断して薬方を決定するのです。漢方の診断は、その歪んだ体を治療するための薬方を決定することにあり、その根底は原典の薬方の条文にあります。そしてその薬方が病人の病態に適合すると、血圧だけでなく、その他の不定愁訴も同時に治っていきます。つまり、漢方は体を総合的に捉え、その病的に歪んだ体を全体的に修復する整体的な根治療法なのです。
もちろん、漢方でも、その得られた情報や、用いる薬方の条文からして、おおよその病因の推定はできますが、それはあくまでも推定であって、科学がそれを立証するためには、際限のない時間と労力を必要とするでしょう。
このようにいろいろな情報をもとに、主観をもって薬方を決定する漢方においては、薬方の決定に相当の修学と経験を要し、いくら経験を積んでも、薬方の決定が必ずしもいつも正しいとはいい難いところに問題があります。そのような問題を抱えてはいるのですが、将来はいざ知らず、現在の内科的治療においては、西洋医学よりも、漢方の方が根治療法としては一日の長があると断じざるを得ません。
しかし、一方、急を要する場合や、私たち漢方家の腕が未熟なため、どうしても治すことができない病気に対し、緊急避難としての新薬も、重要な薬であることには間違いありません。そこで、一番望ましいのは、西洋医学の処方で、病状をよくコントロールしながら、一方、漢方で根治療法を行うことだと私は思います。
|