沖縄シャーマニズムの現代的変容
−民族的アイデンティティの再構築とシャーマニズムの政治性との関係をめぐって−
塩月 亮子
はじめに
今日、沖縄のシャーマニズムは新たな変容を起こしている。もともと、沖縄シャーマニズムの特質はシンクレティズムであり、仏教、キリスト教、水子供養などの民間信仰が入り込んでいるといわれてきた。実際、悪霊落としをするといって、御幣をクライアントの背後で振り回したり、祭壇に童観音と称する市松人形の写真を祀ったりするユタがいる。また、キリストと天照大神から人間が生まれたと唱えたり、琉球祖神道の会員となったり、観音堂(1)などの寺院で修行したりするようなユタもみかける。現在はこのようなシンクレティックな状況がさらに進み、沖縄のユタたちは、他宗教の受容だけではなく、「精神世界」の本や「ニューエイジ」文化の影響により、素粒子や電波といった「科学的」用語を用い、宇宙人としての神を創造するなど、新たな手法で自らの宗教的世界観を構築しつつある。このような手法は、いわゆる「新・新宗教」(2)の特徴とも類似しており、進化論や天文学などの科学的な理論や用語は、宗教的世界観の体系化や正当化のために援用されていると考えられる。
本稿では、このような沖縄シャーマニズムの変容の様子を事例を挙げて概観しつつ、情報のグローバル化などにより、「沖縄(人)」を位置づける際の枠組みの範囲が日本をはじめ全世界や宇宙に拡大しているものの、その目的は、近年ユタが災因として頻繁にシジタダシ(筋正し;系譜の間違いを正すこと)を指摘し、系譜作成を促進することでクライアントの家系の古さと正統性を示そうとしてきたのと同様、実は「沖縄(人)」の古さと正統性を主張し、その民族的アイデンティティを確立するものであることを明らかにする。その上で、最終的には沖縄を含めた世界各地において、なぜシャーマニズムが民族的アイデンティティの再構築を促す役割を果たすのかを考察することを試みる。
1. 沖縄シャーマニズムにみられる「ニューエイジ」文化の影響
沖縄の宗教研究において、シャーマニズム現象に関心が向けられたのは、1950年代以降のことである(3)。それまでは、沖縄の宗教研究といえば、村落祭司の担い手である神人(カミンチュ)研究が中心で、これら「女性神役の調査が、きわめて高いレベルに到達したのにくらべ、(中略)民間巫女のそれは、ほとんど等閑に付されてしまった」[桜井 1973:4]状態にあった。しかし、その後、シャーマンとされるユタのカミダーリ(巫病)現象や、病気治療法、災因論を含む世界観などに関する研究が盛んにおこなわれるようになった。これらの研究成果によると、ユタのなり手は女性が多く、実数は4千とも5千人ともいわれ(4)、成巫過程には継承性がみられず、みな召命型であり、その多くは観音や十二支神を信仰し、クライアントに対して先祖供養や系譜遡及を通じて災因を除去したり、運勢を占ったりする宗教的職能者とされる。筆者が1980年代から始めた沖縄本島北部の一村落におけるユタの調査でも、同じような特徴がみられた(表1参照)。彼女たちは村落を基盤とした共同体的信仰治療システムを形成し、共同体の宗教的世界観の一端を担ってきたといえる。
しかし、現在はこのようなユタの特徴に変化が生じている。ユタの一部に新たな「語り」が出現し、その宗教的世界観が従来とは異なった様相をみせ始めたのである。具体的には、ユタの従来の語りでは、先祖供養や系譜の直し、信仰対象としての観音や子・丑・寅など十二支の神が重視されてきたが、現在はそれらに付け加わる形で、科学的用語の使用や宇宙人・古代文明などに対する関心や信仰が顕著になってきている。これは、いわゆる「ニューエイジ」、あるいは「精神世界」ブームの影響によるものと考えられる。中牧によれば、「精神世界」とは、オカルト、心霊科学、神秘主義、神智学、瞑想法、ヨーガ、ニュー・サイエンス、超心理学、心理療法、トランスパーソナル心理学などを漠然とさす新用語であり、日本ではこうした傾向は1980年代に顕著となった[中牧 1995(1990):46]。また、「ニューエイジ」文化とは、第二次大戦後、アメリカ西海岸を中心に盛んになった新しい考え方、あるいはライフスタイルで、現代の西洋文明の限界を克服するために東洋思想や先住民文化に注目するものである。この考え方に影響を受けた心理療法的ワークショップやエコロジー運動、先住民運動、新霊性運動(5)などが現在いたるところでおこなわれている。
このような「ニューエイジ」や「精神世界」にみられる霊性を重視する考え方は、個々人が霊的なものとコンタクトできるという、シャーマニズムの考え方と親和性をもつと考えられる。また、「ニューエイジ」や「精神世界」の分野で主張される「科学と宗教は合致すべき」という点(6)は、まさに現在沖縄シャーマニズムにみられる現象である。これまでの研究では、以上のような「ニューエイジ」文化が、「新・新宗教」に影響を与えていることが専ら指摘されてきたが(7)、沖縄シャーマニズムも少なからずその影響を受けているということを、次に具体的な事例を挙げながらみていきたい。
2. 沖縄シャーマニズムの変容と「沖縄(人)」アイデンティティの再構築
前章では、現在、沖縄では、ユタが自分たちの世界観を説明したり構築したりする際に、「科学的」用語を頻繁に使って理論を正当化し、権威づける動きがみられると述べた。ここでは、まず、現地調査で耳にしたユタ(あるいはユタ的な人)(8)の使用する「科学的」用語のなかから、数例を挙げてみる。
・「女は染色体を48持っているが、男は47でひとつぬけているので、女は強い。だから女 は神に近く、子どもを産み、亭主をよくする。」
・「キジムナーやカッパは人間の電磁波が弱いところでは物質化できたので昔は見えた。 でも、今は人口が増えて人間の電磁波が強くなったので見えなくなった。」
・「果物などお盆の供物はその微粒子・元素を(先祖が)持っていって、向こうでコピー し直す。微粒子があの世では大切。」
・「○○さんはヒヤデス星団のアルデバラン星の生まれで、地球を救いに来た人のひとり。いつも円盤が上空であなたを守護しています。」
・「○○さんは水平波動で考えすぎる。そうでなく、垂直波動で、宇宙の7.35サイクルが わかる。」
・「○○さんの体・DNAはこの世のものだが、魂は別の星のもの。」
このように、ユタは物事の説明をおこなう際に、「染色体」、「電磁波」、「微粒子」、「元素」、「ヒヤデス星団のアルデバラン星」、「波動」、「DNA」といった、科学的とされる多彩な用語を使っていることがわかる。
次に、各々のユタ(あるいはユタ的な人)が、これら「科学的」用語を用いたりするなど「ニューエイジ」文化をとりこみながら、自分たちの宗教的世界観をどのように提示しているのかをいくつかの事例を参考にしながら考えてみたい。
[事例1] M・M(ユタ,女性,40歳,糸満在住)
彼女は、今から5年前にユタ業をおこなうにあたり、自動書記霊の命令で電話帳に占いの広告を載せ、家の前に看板をだした(写真1)。主な仕事内容は霊界交信と系譜作成で、これはいわばオーソドックスなユタとあまり変わらないが、先祖や神と交流することを「霊界交信」とよび、看板には「超常現象」や「スピリチュアリズム」などの表記がみられるなど、スピリチュアリズム(9)やオカルトブームの影響が顕著である。彼女自身、オカルト雑誌、『ムー』の愛読者と述べている。
[事例2] S・K(ユタ,女性,45歳,名護在住)
25歳のとき、予知・予言が始まり、それ以降書きつづったことをまとめて本にする(10)。彼女はいわゆる「宇宙イタコ」として「チャネリング」をおこなうユタで、海王星からメッセージを受け取ったりもする(図1)。普通ユタは過去の事柄に詳しく、遠い未来についてはあまり予測をしないが、彼女は世界の政治経済予測・未来予測といった未来を当てることを専門におこなっている。
[事例3] T・K(沖宮宮司,女性,約60歳,那覇在住)
那覇にある波上宮は、宮司が本土から転勤という形で派遣される正統的な神社なのに対し、その近くにある沖宮は、初代の宮司(男性)も現在の2代目宮司(女性)も憑依行動をとることなどを理由に、異端視されている神社である。特に現在の宮司は、若い頃カミダーリを経験し、今でも御嶽まわりをしたり、自らをコントロールできないカミダーリ中のユタ候補者を導く役割を果たしたりなど、宮司ではあるけれども極めてユタ的な性格をもっている。彼女はまた、ヨーガや先住民族、縄文文化への高い関心があり、神社でカミダーリ中の人を対象にヨーガ道場を開いたり、アイヌの人たちに会いに北海道の二風谷にでかけたりしている。エコロジー運動や先住民運動で活躍している歌手の喜納昌吉とも親交があり、広島などに一緒に祈りの旅にでたりするなど、「ニューエイジ」的な行動をとっている。
[事例4] O・J(ユタ,男性,55歳,那覇在住)
彼は、高校時代に生徒会長をしていたが、その頃から占いに懲りはじめて次第に宗教的なものにひかれていく。現在は病気治しや因縁末梢を主とするユタの仕事をしている。彼は自分の宗教的世界観を示す際、天文学的用語を使って宇宙人によるメシア思想を語ったり(11)、「進化論的」世界観に基づく「世界の根」としての沖縄を語ることをする。彼によると、神は地形にも隠れた意味を持たせて世界を創造したのであり、それを読みとくと、奄美以南は魚類・両生類・は虫類と古くからいる生物の形で、それより北の九州や本州、北海道などは進化論上新しい哺乳類に属すことがわかるという。そして、沖縄の聖地、久高島に関しては、すべての生物の根源である古代魚であるピカイアを表しており、そこが地球の基と説く(12)(図2−・,・参照)。
このような事例はすべて、ユタたちによる対ヤマト、対先住民、対世界、対宇宙といったより広い枠の中で自文化を「客体化」し、位置づける試みを示していると考えられる。これまでも、ユタたちは「シジタダシによって父系血縁関係を調整することによって、人々のアイデンティティの再定義を行」[小田 1996:140]ってきたが、ホブズボウム[1992]やリネキン[1992]の言葉を借りれば、「伝統の発明」者としてのユタは、現在、さらに世界システムや天文学的世界のなかでの自分たちの古さと優位性を主張するため、時には「科学的」用語の使用など様々な方法を用いて、より強固な沖縄アイデンティティの再構築をはかっているといえる。
3. 民族的アイデンティティの再構築とシャーマニズムの政治性
以上のような、沖縄におけるユタをはじめとするシャーマンたちの新たな「語り」を具体的にみていくと、彼女たちが今、いかにして従来の村落共同体を超えた世界システムや天文学の中で、自文化を位置づけようと苦心しているかがよみとれる。自文化を見つめ直して再評価するという、いわば文化の「客体化」によって生じた沖縄文化の古さや優位性の主張の出現は、同じように「ニューエイジ」文化をとりいれた「新・新宗教」の動きとは少し様相が違う。なぜなら、「新・新宗教」の多くは、民族を超えたつながりを目指しているのに対し、沖縄シャーマニズムにおいては、それは「沖縄(人)」という一種の民族的アイデンティティの再構築の動きに収束していくからである。
シャーマンが民族的アイデンティティの再構築を促すという現象は、なにも沖縄だけにみられるのではない。社会のグローバル化に伴い、シャーマニズムの今日的な現象として、沖縄以外の地域でもシャーマニズムを旗印に自分たちの文化や社会を世界システムのなかで統合し、その存在を主張しようという政治的動きが各地にみられ始めた。たとえば、メキシコ先住民であるツォツィルのシャーマン(クランデロ)がアメリカ大統領に呼ばれて自文化・自民族についてアピールしたり、韓国のシャーマン(ムーダン)が自国の「伝統」文化の代表者として、世界各地で芸能を披露したりしている。
このように、シャーマンと民族的アイデンティティの関連性を考察することは、シャーマニズムのもつ政治性の問題を論じることに繋がる。従来のシャーマニズム研究では、主にシャーマンの型の分類や世界観研究、儀礼研究がおこなわれてきたが、それに加え、1980年代以降は政治とシャーマニズムとの関係が論じられるようになった。これは、近代化の特徴のひとつであるグローバル化により、それまでのミクロな共同体的世界がマクロな世界システムに組み込まれ、その結果、民族的アイデンティティが再構築されて世界の少数民族が自文化の独自性を主張するようになり、シャーマニズムをその象徴として持ち出すという戦略が取られるようになったためである。たとえば、モンゴルや旧ソ連の共和国、メキシコなどにおける民族主義の高まりによるシャーマニズムの復権に関する研究などは、民族的アイデンティティとシャーマニズムの新たな関係を模索するものとして注目され始めている(13)。
このような、世界システムのなかでの新たなシャーマニズムの動きは、そのシャーマニズムを信仰する人々の統合を促すという、いわば宗教の順機能的側面を示すと同時に、もし、その主張が他のグループの主張とぶつかれば、深刻な対立を生み出しかねないという危険性、つまり逆機能的側面(14)もはらんでいる。しかし、現在のところ、シャーマニズムの地域共同体を超えたマクロな政治的動きに関する限りは、このような逆機能はあまりみられず、シャーマニズムは、もっぱら少数民族として現在おかれている弱者としての立場を主張したり、自分たちのアイデンティティの再構築を図ったりする際の、戦略的表象となっているようである。
一方、村落共同体というミクロな場での、各個人の宗教組織内におけるミクロ・ポリティックスな動きに目を転じると、そこには宗教のもつ逆機能的側面が表出する場合がある。たとえば、沖縄本島北部のある村落では、戦後になってユタ(シャーマン)と神人(祭司)の対立が顕著になってきているが、この対立構造の背景には、決して変動しない神役ヒエラルキー内における、下位神人のシャーマン化による上位神人への対抗という政治性が隠されているといえる。もう少し詳しくいえば、生家(門中)により規定されたノロを頂点とする神役ヒエラルキー内において、下位に位置づけられた神人が自分の影響力・発言力を増すには、いったんそのヒエラルキーの枠外に出て自由な身となり、出身ではなく自身の霊力の高さで勝負を挑むという戦略をとっているのである(図3)。
このように、シャーマニズムのミクロ・ポリティックスの目的は、宗教的・社会的に下位に位置づけられた者が、共同体における自分の立場を優位に立たせ、発言力を増すことと考えられるが、同様に、先述したような、シャーマニズムのマクロ・ポリティックスのねらいは、世界システムのなかで、弱者としての「われわれ」(たとえば「沖縄人」)の立場を優位に立たせ、発言権を強めることといえるのではないだろうか。もともと宗教は政治性をもつものであるが、今日のシャーマニズムの様相をみると、シャーマン自身が宗教を通じて従来の権力に対する反権力の装置としての政治性を発揮し、自己、あるいは「われわれ」意識を確立し、その立場を主張しているのではないかと考えられる。
おわりに
本稿では、沖縄シャーマニズムの現在を考察するにあたり、その変容の直接の原因として、「ニューエイジ」文化の影響がみられることを述べてきた。しかし、さらにその背後には、ただ単に流行を一方的に受容しているというより、世界、あるいは宇宙システムにおける自分たちの位置づけを示したり、自文化の正統性を主張したりするという、「沖縄(人)」アイデンティティ再構築のための手段として、それらを積極的に活用しているということが明らかとなった。
また、世界のシャーマニズムの動きに目を転じると、沖縄と同じようにシャーマニズムが民族的アイデンティティの再構築を促しつつある例がみられるが、そのような動きが起こるのは、従来の権力に対する反権力装置としてシャーマニズムが機能するからと推察された。
今後、このようなシャーマニズムの動態的研究をすすめるにあたっては、前章で述べたようなマクロとミクロ双方の視点から、シャーマニズムのもつ政治性を考察していくことが必要となるだろう。その際、従来の研究にみられるような、シャーマニズムが民族的アイデンティティを象徴するものとして政治的に国家など上から利用されるという見方ではなく、シャーマン自身がそれを意識して自主的に人々に語るという、現地の人々の自主性・選択性・戦略性という下からの視点に基き研究することが重要となろう。
註
(1)首里にある寺院。正式には臨済宗妙心寺派慈眼院という。
(2)ここでいう「新・新宗教」とは、1970年代のオイルショック以降台頭した、霊能開発や浄霊、奇跡などを重視する新宗教のこと。幸福の科学・阿含宗・崇教真光・GLAなどを指す。
(3)大橋によれば、「沖縄のシャーマニズム現象に、文字どおり「シャーマニズム」という視点から関心が向けられたのは、1950年代以降のこと」である[大橋 1983:58]。
(4)リーブラが1961年におこなったシャーマンセンサスでは、「600人に対して1人のシャーマン」という結果がでた[Lebra 1966:80]が、現在はその数が増加していると思われる[塩月 1992, 石垣 1983]。
(5)島薗によれば、「新霊性運動は概して教義や実践の体系があまり明確ではなく、個人が自立的に自らの霊性を探究し、教団組織を作るのをきらうような宗教運動を指」す。また、その諸特徴は、「意識変容の重視,超越的神でなく、自然や人間の中に内在する神的・霊的なものを尊ぶ,個々人の霊的覚醒は霊的進化過程の一部,自立的な個人の覚醒による「霊性」(spirituality)の開発,科学と宗教は相対立するものではなく合致すべきもの」であるという[島薗 1992:432]。
(6)宗教と科学の接近傾向については、「ニューエイジ」運動のみならず、宗教教団内でもみられる現象である。井上らは「宗教的真理は科学的真理をも包摂してしまうものという思考の方が現在の宗教教団ではポピュラー」と述べている[井上 他 1995:28]。
(7)たとえば島薗は、「新新宗教のある種のもの(特に個人参加型)の信仰体系と、新霊性運動との間にはかなりの類似点がある」と指摘している[島園 1992:239]。
(8)ここで「ユタ的」といったのは、「ユタ」という呼称が沖縄の歴史のなかで蔑称とされたため、自らを「ユタ」と名乗る人が少ないことによる。本稿では、周囲の人々がその人をユタと認識していたり、報酬をもらって個人の占いや災難の除去、系譜作成、先祖供養などユタの仕事とされることをしている人を便宜的に「ユタ」とよんでいる。「ユタ」というかわりに、自ら「ナカムチ」、「ムヌシリ」、「阿母志利(アムシリ)」などの呼称を使う例がみられる。
(9)スピリチュアリズムとは、19世紀にイギリスで発生したキリスト教枠内での霊的研究・実践のこと。西山茂によれば、「霊能者が霊界にいる人間霊との交信によって得られたとされる知識にもとづく神秘的な認識体系」をいう[西山 1988:171]。
(10)『琉球阿母志利 予言書 黎明』1992
(11)彼の説明では、地球は蛮星なので、世直しのために平和の使者が200名、70光年離れたアルデバラン星から送られたという。
(12)生物以外のもの(島の形)に関しては、「動物類は剣や鉈などの器物類に対して一段下がる」という説明をする。
(13)『国際シャーマニズム会議論文集』 1995 参照。
(14)宗教の「逆機能的要素」に関しては、ギアーツ[1987(1973):243-290]参照。
参考文献
E.ホブズボウム,T.ランジャー 1992 『創られた伝統』(前川啓治・梶原景昭他訳) 紀伊国屋書店.
井上順孝・武田道生・北畠清泰 編著 1995 『オウム真理教とは何か−現代社会に問いか けるもの−』 朝日新聞社.
石垣みき子 1983 「民間巫者と依頼者」『沖縄民俗研究』(4) pp.12-31.
C.ギアーツ 1987(1973) 「儀礼と社会変化−ジャワの一事例」『文化の解釈学・』(吉 田禎吾・柳川啓一 他訳)pp.243-290 岩波書店.
Lebra,W.P. 1966 “Okinawan Religion: Belief, Ritual, and Social Structure" Univ. of Hawaii Press.
Linnekin,J. 1992 “On the Theory and Politics of Cultural Construction in the Pacific”Oceania Vol.62,No.4,pp.249-263.
中牧弘充 1995(1990) 『[増補]宗教に何がおきているか』 平凡社.
小田 亮 1996 「「伝統の創出」としての門中化−沖縄ユタ問題ともうひとつの「創造 の共同体−」『日本常民文化紀要』pp.113-154.
大橋英寿 1983「ユタとウマンチュ−沖縄シャーマニズムへの社会心理学的アプローチ −」『シャーマニズムとは何か−国際シャーマニズム:南方シャーマニズム』 pp.58-71 春秋社.
大村英昭・西山茂 編 1988 『現代人の宗教』 有斐閣.
桜井徳太郎 1973 『沖縄のシャマニズム−民間巫女の生態と機能』 弘文堂.
島薗 進 1992 『現代救済宗教論』 青弓社.
塩月亮子 1991 『沖縄・備瀬における災因論−ユタとの関係を通して−』(修士論文).