女たちのポリティックス
−沖縄村落の統合と葛藤の政治人類学−
Politics among Women
−Political Anthropology on Integration and Conflicts in an Okinawan Village−
塩月亮子 Ryoko SHIOTSUKI
The aim of this paper is to clarify on conflicts among women toward spiritual power in an Okinawan village, from a viewpoint of "discourses of individual'' and "daily strategy". I used the method of participant observation and hearing based on lifeology and cultural anthropology including political anthropology . As a result, I found that the priestess system is an origin of conflicts, and lower-classed priestess became shamans to against upper-classed priestess which based on two opposite descents according to their folklore about formation of the village. For lower-classed priestesses, to become shaman is one of strategies to free from fixed priestess system and to transcend upper-classed priestesses by using their spiritual power. This means that shamanism has a function as an "antiauthority device" to deny , dissolve and deconstruct toward authority.
1 はじめに
1960年代以降、フランスのアナール学派に代表されるような歴史学の見直しに伴い、従来の歴史学の枠にとらわれずに学際的立場から庶民の生活を全体的に考察するという、歴史社会学や歴史民族学、歴史人類学、政治人類学などの新分野が世界的に興隆した1)。しかし、アナール学派が主張したような、今まで特に文字化されることもなかった生活者としての庶民の日常生活を生活者の側から取りあげ、それを学際的視点から研究するというアプローチ法は、我が国では早くは大正期に勃興した「民間学」にその萌芽を見ることができ(川添 1984:201)、さらにその影響等を受けて1950年代に今和次郎や中鉢正美が提唱した「生活学」(今 1971[1951])や「生活構造論」(中鉢 1956)をもとに成立した「生活学」において、既に唱えられていたことであった。現在、「生活学」とは、特定目的によってではなく、生活という一般性の上にたって諸科学の総合をはかろうとする学際学であり(川添 1984:195-197)、質的方法やアナログ的接近を拡大・併用し、生活ないし生活者を全体としてとらえ、生活者の立場に立ち、物や出来事などによって生活を語らしめるという特徴があること(古田 1986:328-331)が確認されている。
また、「生活学」が質的・アナログ的接近法を重視するということは、生活者としての「個人」に注目することにも繋がる。たとえば中鉢は、「社会的諸問題をその主体である生活、端的に言えば主体である個人の意識と行動の側から解明しようとしている」と述べている(中鉢 1986:306)。筆者がこれまで専攻してきた文化人類学においても、最近は「抽象的水準での一般化に満足せず、むしろ人間個人の生きてきた状況とその個人的経験を評価し、それこそが重要である、という立場に立」つ傾向にある(米山・橋本 1990 :237)。抽象的な全体ではない「個人」に焦点を当てると、そこには人と人、あるいは物と人、物と物との関係が入り組みながら展開されていることがわかる(一番ケ瀬 1986:64)。本稿では、このような「個人」からの視点に立脚しつつ、そのなかでも特に人と人の関係に留意することで、人が生きる際の智恵、すなわち「生活戦略」がどのように日々行われているのかに迫っていきたい。ここでいう「生活戦略」とは、広義の「政治」を意味する。なぜなら、「政治」とは、なにも政治家や英雄だけが行うものではなく、日常生活における庶民の智恵として人々の間で絶えず行われているものと捉えられるからである。このような観点は、冒頭で挙げた政治人類学的見方とも共通する。政治人類学では、政治や権力の問題を、従来の政治学の分野を超えて日常性の編制や社会的統合、日々の葛藤や戦略、人々の行う駆け引きなども含めて考察しようとしている。従って、日常に数多く見られる生活の政治領域を、「生活学」と「政治人類学」を併せた視点で分析していくことが必要になってくる。
さらに、研究方法に関しても、政治人類学を含む文化人類学と、生活学との間には、大きな共通点がある。生活学の一方法に質的調査法としての参与観察があるが、これはいうまでもなく文化人類学における主要な調査法であり、調査者が対象集団のなかに直接入って行動を共にし、体験を共有するというやり方である。また、生活学では、聞き取りによる生活史調査が盛んに行われているが2)、聞き取りという手法も、文化人類学で中心となる調査法である。従って、本稿は、この参与観察と聞き取りというフィールドワークの手法を用い、生活学と文化人類学・政治人類学を重ねた視点から、沖縄本島における一村落を事例として取りあげ、そのなかに見られる人々の「生活戦略」のうち、これまであまり注目されてこなかった女たちの日々の葛藤・駆け引きというミクロ・ポリティックスに焦点を当てて、その分析を行うことを目的とする。
2 調査地概観
調査地となった沖縄県国頭郡A村落は、総世帯数約230戸、人口約660人の小規模村落である。近年の傾向として、人口および世帯数は出稼ぎや転出などにより漸次海減少し、一人暮らしの老人が増加している。村のほぼ中央には、アサギ(お宮)と称される拝所があり、ここから東に進むと、高台の中で神聖視されるグシク〈御嶽)に至る。アサギ周辺には、村の草分けの家といわれる二一ヤー(根家)や、村の女祭司が住むとされたヌルドゥンチ(ノロの家)等の聖所がある。生業は、以前は半農半漁だったが、今は60歳代の人々によるサトウキビ栽培が中心である。
A村落のようないわゆる「伝統的」社会では、親族組織が社会を成り立たせる重要な単位となっている。この親族組織は「門中」とよばれ、原則的に父と子の関係をたどることによってその集団に成員を帰属せしめる父系出自集団と捉えられている。婚出女性は、生前は生まれた家の門中に属し、死後は夫方の門中の墓に収まる。門中の総本家はムトゥヤ(本家)とよばれ、長男から長男へと継承され、門中組織の中心的役割を担っている。門中の成員は冠婚葬祭・新築・出産時をはじめ、門中行事、正月、お盆にはムトゥヤに集まって門中の結束を強める。ムトゥヤには、祖先を祭る門中ウターナ(神棚)と門中ヒヌカン(火の神)、床にイーゾ神(掛軸神)が祭られている。このような門中の神々は、ウクリーとよばれる門中から選出された女神役達により、毎月1日と15日のオチャトゥー(御茶湯)行事で祀られている。門中ウクリー(女神役)の選出に関しては門中内の全女性にその潜在的な資格があり、病気になった時などにユタ(シャーマン)の託宣で決定される。
3 神役組織と村落の統合・葛藤
女性と権力といえば、沖縄では「妹の力」(馬淵 1974)に代表されるような女性の宗教的優越性が問題となってくる。沖縄宗教の際立った特徴は、女性が祭祀を執り行う地位にあることであり、先ほどの門中ウクリーもその一例としてあげられる。さらに、門中ウクリーの上位には、以前は琉球王朝から任命されたノロとよばれる最高女祭司がいて、宗教的な力により村落、あるいはいくつかの村落を合わせた地域を統括していた。このように、沖縄では女性は宗教的な権力をもち、それが社会的な権力や地位の高さに結びついていた3)。そして、現在でも、沖縄では女性が社会的な権力や権威、地位を獲得するために、この宗教的優越性を用いる場合が多々ある。それは男性に対する女性の戦略であると同時に、女性に対する女性の戦略でもある。沖縄の女たちは、自分の地位を少しでも引き上げるため、さまざまな駆け引き=政治を行う。その第一歩が、ノロをはじめとする村落祭司である神人になることである。そこで、ここでは、調査地となったA村落における神役組織を概観し、男性に対しては宗教的・社会的優越性を得た神人たちが、今度は神人内部で争っていくという、女たちをめぐる葛藤を見ていきたい。
A村落は部落形成が比較的早く、かつ、特定の神役組織を有し、農民的文化出自の意識を強く伝承しているといわれている。確かに、戦前からノロ以外の神役はA村落の女性たちにより担われており、A村落には特定の神役組織があった。しかし、最高女祭司であるノロ役は、戦前はA村落ではなくJ村落から選出されるこになっていて、彼女はA村落を含めたより広範な地域におけるノロとして君臨していた4)。戦後、社会変化によりこの制度が崩れてノロがJ村落から選出されなくなると、A村落の人々はあわてて自分たちの村落からノロを選出したといういきさつがある5)。このような神人たちは、門中ウクリーもしくは家ウクリーとよばれる女神役が門中内において重要な宗教的地位を占めるのと同様に、村落全体の豊饒と安全を祈願する祭祀を司って村落の統合を促すという重要な宗教的役割を担っていた。しかし、戦後、A村落からノロを選出するようになって以来、神人たちの間ではその正統性をめぐって激しい葛藤が繰り広げられるようになった。ギアーツの言葉を借りれば、「宗教は社会内のどこかで生じたストレスの反映というだけでなく、むしろストレスの中心、源」になってしまったのである(ギアーツ 1987[1973]:179)。
この背景には、A村落の形成過程が関係すると考えられる。A村落には史実に近い村落形成時の伝承があり、それによると、A村落はB村落とC村落の2村落が移動合併してできたという6)。従って、村ウクリーである神人も、B村落系とC村落系の2系統に分かれている。現在、ノロを頂点とする神役組織は、出身門中により規定された厳格なヒエラルキーに従って構成されており、実際はいかなる神役の配置替えも許されてはいない。固定化された各神人の役職名と出身門中、および2系統別の分類を示すと、次のようになる(表1参照)7)。また、彼女たちの位階は、神行事中のアサギ(お宮)におけるイージャ(座順)にも、明白に現れている(図1参照)。
A村落はアサギ(お宮)を中心に発展してきたといわれ、もとB村落のI日家であるN家と、もとC村落の旧家であるD家の屋敷地はその近くに位置している。このN家からは今の村の最高祭司者であるノロが、一方D家からはヰガミとよばれる神役がそれぞれ選出されている。表1および図1を見ると、神役組織においてB村落系が重要な地位を占めていることがわかる。ただし、組織内では地位が低いとされるヰガミ神役を担うC村落系の神人はB村系より人数が多く、そのなかにはユタ(シャーマン)業を兼業している者もいる。このことは、A村落におけるユタ輩出の多さにも係わってくる。そこで、神人とユタの兼業について考察する前段階として、まず、A村落におけるユタの現状を見ていきたい。
4 ユタの輩出の実状
「A村落はユタのメッカ」と言われるように、ユタを多く輩出する地域のひとつであり、今でもユタ業を営む者は増加中である。現在、A村落出身のユタは9人いる(表2参照)。そのうち、村落在住者は5人で、残りは近隣の町に住んでいる。A村落のユタは、戦前はT・Mひとりしかいなかった。彼女は今も健在だが、高齢のためユタ業は行っていない。戦後になると、A村落では急激にユタのなり手が増え、現在まで既に他界した者を合せると、計11人のユタが生まれたことになる。その他、ユタになりかけた人や、外部から移住してきたユタも数名いた。村落の人口約600人中、A村落から出たユタが現在9人いるという割合は、1961年にリーブラがいくつかの地域で行ったシャーマンセンサスによる「600人に対して1人のシャーマン」という結果(Lebra1966:80)の9倍もの人数である。このようなユタの増加は、A村落のみならず沖縄全体の傾向でもあり、その理由としては、戦後、夫を失うなどした貧しい女性が一人で自立する方法だったとも考えられる。しかし、このような経済的要因の他にも、沖縄の人々が、戦後ユタをより必要とし、彼女たちはそのようなクライアントの要望に答えてユタになったと見ることもできる。
ユタはその成巫過程において、多くは家庭的不幸を契機とし、カミダーリィ(巫病)を体験する。カミダーリィとは、神に仕える使命を気づかせるため、神が本人に身体的・精神的苦痛を与えるものと認識されており、この間、カミダーリィとなった者は摂食障害や睡眠障害、幻覚や幻聴、作為体験などを経験する。カミダーリィになるとユタに相談に行き、そこで村の神人になるか、門中ウクリーか、またはユタとして出るかを判示(託宣)してもらう。そしてユタのハンジが出ると、ユタとしての仕事を始めるのである。しかし、ユタになるということは、カミダーリィのような苦痛を体験するうえに、その社会的地位は神人と較べて格段に低く、自らすすんでユタになるような人はいないといわれる。ユタは過去の長い間、社会的に蔑まれ、弾圧されていた時期があり(大橋 1998:53-141)、ユタとなることは経済的な成功を得る可能性があるかわりに、社会的スティグマを受けるという葛藤状態を引き起こす。それなのになぜ、A村落の神人の一部はユタになっていくのだろうか。
5 神人からユタへの転向
A村落の神人選出の特徴には、しかるべき門中からカミダーリィ(巫病)を体験した者を村ウクリー(神人)にするという、巫病の重視がある。村落祭祀など公的領域を司る神人と並び、「沖縄の民間信仰を支える車の両輪」(桜井 1973:32)の一方とされ、個人の悩みや病気などを解決・治療するユタは、このカミダーリィ現象があってはじめてユタとなる資格を得られる。一方、神人選出には系譜が重視されるのが一般的であり、カミダーリィの有無を問題としないところも多い。しかし、A村落では神人になるには特定の門中出身でなければならないという制限はあるものの、資質の認定法はユタになるときと違いがない。このことは、神人に選出された者が後にユタに転向することを容易にすると考えられる。すなわち、A村落では、成巫過程におけるユタと神人の境界が曖昧なのである。
だが、神人とユタとの入巫形態が類似しているとしても、それだけでは一部の神人がユタになりたがる理由を十分に説明できない。なぜなら、人々の尊敬を集める社会的地位の高い神人が、わざわざ人々から蔑まれるような社会的地位の低いユタにならなくてもよさそうなものだからである。このことを考える際、先ほどのB村落系・C村落系という伝承上の出身村が鍵となってくる。今から約50前、A村落唯一のユタだったT・Mは、現在いるすべての神人の選定にあたったとされる。彼女自身はB村落系出身であり、最上位であるノロに自分と同じB村落系の者を付け、C村落系の者は最下位の神役に付けた。当然ながら、下位に位置付けられたC村落系の神人たちは、神役ヒエラルキー内での自分たちの位置に不満を抱き、ノロの正統性に対する疑問とともに自分たちの霊的優越性を訴え始めた。村人の話によると、戦前はユタと神人との分業が明碓になされていたが、戦後、20〜30歳代の霊的素質があるとされた人が特定の門中から神人に選出された後、しばらくたってから彼女たちの一部がユタになるというパターンが相次いだという。転向の理由を本人に聞くと、「ユタになりなさい」という神の正しがあったのだという。実際、神人のなかでユタを兼業する者は、C村落系を主とする下位に位置づけられた神人たちであった。現在、ユタ業を営む者の割合は、B村落系が4人、C村落系が4人と同数である。今のところB村落系のユタはキャリアの点で劣っているので、C村落系のユタが実力を持ち、B村落系出身のノロをはじめとする上位神人たちと葛藤・対立を起こしている。次に、その対立の様子を事例を挙げながら具体的に見ていくことにする。
6 霊威をめぐる女たちの葛藤
6−1 ユタ対神人
ユタは社会的には低く見られているが、一方でその霊力は人々の畏怖の対象となり、霊的力では神人を圧倒する。また、ユタは年齢の上下に関係なく、ユタとしてのキャリアが長い程発言権も大きくなる。現在、村落内ではN・Kが、村落外ではU・YやH・Sが有名なユタとして実力を競い合っている。彼女たちは皆神人として選出された経歴をもつユタである。そして、彼女たちは自分の霊力を背景に、自らの神の教えとして神行事のやり方の訂正を要求したり、C村落系の優位を主張したり、村落内に新しく聖所を建造したりしている。そのため、神人とユタとの間には、悪口の応酬をはじめとする数々の葛藤・対立が生じている8)。ここでは、それぞれの立場から相手のことをどのように批判しているのかを、彼女たちの言説から示すことにする9)。なお、各言説のあとの( )には、それを述べた人、およびその人の所属する系統を記した。
1)ユタによる神人批判
(1)ユタによるノロ批判
・「以前はB村落とC村落に分かれていて、それが合併してA村落になった。B村落系からノロが出ているが、これは村ノロ・国ノロではない。C村落系からでるはずである。また、ホンノロ(本ノロ)は夫を持たなかったが、今のノロは夫を持ってもいい程度のノロである。」(N・K=C村落系)
・「皆、今のノロをワカヌル(若いノロ;位の低いノロの意)と言っているが、当人はきかない。このことで、一時言い合いがあった。自分はリュウグの神に『今のノロは若ノロで、新たに出たノロと言えば皆に怒られない。』と言われた。本当はA村落のノロは今のヌルドウンチ(ノロの家)からでなく、アサギンシリー(お宮後方の聖所)からタキヌル(嶽ノロ)またはクニヌル(国ノロ)として出るぺきだ。」(N・K=C村落系)
・「ノロのA・Cは村番、私は国番である。ノロは拝みをする人だが、その上にイガン・ニガン・ニブゥイ・フンチ・フンヌルがいるのに、これらはウシクミ(押込め)されている。ワカヌル(若ノロ)はその下に位置する。だから、ノロをはじめとする3役しかウドゥン(お宮の奥の部屋)に入って拝みができないのはおかしい。」(N・K=C村落系)
・「ノロは子供の道から出ている。」(U・Y=C村落系)
(2)ユタによる神人批判
・「ノロのA・CにもアジガミのK・Mにも神の正しがなく、苦労していない。」(N・K=C村落系)
・「神は鏡をかけてノロ達の嘘を見せてくれる。このようなことは言えば言うほど口ごと〈争い)になるから、ただ、神に感謝している。」(N・K=C村落系)
・「糸満から漁師として来たナカジョウ(仲門)という人は、村はずれの北方に小屋
を建てて住んでいたが、『向こうは寒くて生括できないだろうからこっちに住みなさい。』とアサキンシリー(お宮後方の聖所)のウヤフジ(祖先)が言ってくれたので移り、昔はお宮前の広場にナカジョウヤー(仲門家)があった。その時代、J村落の公儀ノロがA村落に来て、村落のお宮に座る女の神人を手伝いとして所望した。A村落の人は皆怖がって誰も出さなかったので、このナカジョウという人が自分の娘2人をここにお世話になっているからと言って出した。娘2人のうち長女は女神役、次女は男神役としてネガミ(根神)となり、その人たちの子供(女性)も同じようにしてネガミとして出るようになった。その長女系5代目が現在ネガミのO・M、次女系7代目が現在のアジガミのK・Mである。しかし、2人ともこれを否定し、ナカジョウヤーとは関係ないという。ユタのおばあ(T・M)は道順がわからなかったのか、ワカヌル(若ノロ)をたててしまった。」(U・Y=C村落系)
・「イミスジ(意味筋)のわかちないユタのおばあ(T・M)が『私は村番,あんたは国番。』と言って私とU・Tを神人として出したが、U・Tに関しては間違いだった。」(N・K=C村落系)
・「ある神人は、弟が2人死に、子供も死に、火事を起こすなど不幸が7つも続いているが、これはシジ(筋;系譜)を正そうとしないからである。」(N・K=C村落系)
・「ある神人の息子が殺される事件があったが、それをユタのN・Kが予言したにもかかわらず、その神人は気にしなかった。村の神人はこのような予言や神のことはわからない。」(U・Y=C村落系)
・「カミチョウブ(神帳簿)がなければ人に教えられないのに、アサギ(お宮)に座る村ウクリー(神人)たちは、皆誰々の代わりと言って出ており、その前任者も誰々の代わりと言って出ていたので、一体誰のチジ(継ぎ)なのかもわからない。これは、ユタと神人を兼任しているH・SやN・Kにもいえる。」(U・Y=C村落系)
・「私以外の神人は自分のブン(分)がわかっていないのに、自分が一番と思っている。でも、大学の先生が来たら自信がなくて口をつぐむ。」(N・K=C村落系)
(3)ウコール(香炉)間題
・「アサギ(お宮)にはG門中とN門中の名が刻まれた寄附ウコール(香炉)が置いてあるが、以前の本当のウコールはどけられた。だかち、神は新たに立派なウコールを造ってそれを置き、寄附ウコールは下げなさいと言っている。」(N・K=C村落系)
・「お宮にあるウコール(香炉)は後から持ってきた違うもの。」(U・Y=C村落系)
(4)公園での神興し問題
・「公園の建設時代には、いつもリュウグ(龍宮)の神から電波がかかってきていたので、その敷地にA村落の神ではなく、リュウグ神を興こしあげ、新し拝みの場所を造った。また、聖なる島の洞の中にも3つあるウコール(香炉)の中央にこの神を置こうとしたが、ノロに反対され、しかたなく灯台の横にお宮を造った。」(O・M=B村落系)
・「以前、公園のスク神を興すことを頼まれたとき、A村落の神人たちは皆しりごみした。すると、よそから別の神様を持ってくる話になったので彼女たちは驚いて反対し、A村落の神の分神を持ってくることになった。しかし、この公園には外国などいろんな所から人々が来るので、そこに村落の守護神を祀るのは正しくないということになり、結局最後は自分に任された。神人たちはついてくるだけだった。神様の新興しは難しく、3月3日から拝みをすることにし、その日神人はアサギ(お宮)に集まった。その場で神人たちに最後まで協力するというサインを求めると皆ためらったが、H・Sさんが最初にサインした。自分は祝詞をあげる役、線香はN・KとH・Sがやることになった。皆、最後まで協力しなかった。そこで沖宮の宮司に頼んだら、まかせてと言われ、漸くウブスナ(産砂)の神が興せた。」(U・Y=C村落系)
2)神人によるユタ批判
(1)神人によるユタ批判
・「U・Yさんは皆の集まっている所でも神事についてだけ話し、人と冗談を言ったりして交わろうとはしない。それに、『自分は、よく来るお客さんは神のいる一香座にあげ、あまり来ない客は二番座にあげるというように、人により差別する。』とはっきり言った。」(A・C=B村落系)
・「ユタがグワンス(先祖;位牌の意)をあちこちに移動させるので、ここの裏のグワンスは誰も拝む人がいなくなってかわいそう。」(H・U=C村落系)
・「昔は養子などで一門でも同し姓ではなかったが、それをユタが正すので大変。」(H・U=C村落系)
・「N・Kさんはイージャ(お宮の座)を退くウグワン〈御願)、神人を退くヌージファ〈お抜い)をしたのに、未だに行事の時お宮の中に座っている。N・Kさんはヌル(ノロ)さんと同年だから、ヌルさんも強いことが言えず、そのままにしている。ユタは何か間違えてもお抜いをして済ませるけど、神人はそうはできず責任が重い。昔は初めからユタはユタになったのに。前のユタさん(T・M)はヌルを崇めていた。だから、ユタが神人に命令することもなく、摩擦もなく、私を神人になるよう導いてくれた。今でも、お宮を開けられるのはヌルひとり。ユタは開けられない。開けてもらったら、ユタはヌルに品物をお礼する。」(K・M=B村落系)
・「ユタは『ユタ儲け』と言って沢山とる。ウグワン(御願)頼んだら2、3万、または5、6万円とる。もう絶対頼みきれんさ、金持ちであっても。拝む時は3千円だが他のをする時は高い。拝みを頼まれたら、ヌル(ノロ)さんなんかは千円位なのに、ユタは2、3万して、同しように(頼まれた家々を)歩くのよ。あれはばかばかしい。」(U・T=C村落系)
(2)グシグ(御嶽)の掃除における服装問題
・「12月24日はグシク(御嶽)の掃除を行うが、先輩ユタたち(U・Yら)がズボンを履いて神に向かっているノロやユタのN・Kに対して『着物でなくて神に大変失礼だ。』と言って大変叱った。以前は一般の人々がグシクの掃除をてくれたが、今は神人がやらなければならないので、皆で働きやすいズボンでいいという話し合いをしたのに怒られた。自分達は神を敬うという心がこもっていれば、着るものは特に汚れたものでなければかまわないと思う。」(A・C,K・M=ともにB村落系)
以上、ユタによる神人批判、および神人によるユタ批判を挙げてみた。これらの事例からもわかるように、ノロ批判をはじめとする神人全般に対する批判は、実は、N・KとU・Yの2名のユタが主に行っている。同様に、神人たちの行っているユタ批判も、この2名を対象にしたものが多い。この両名は、ともにC村落系出身のもと神人である。従って、一見、神人とユタとの葛藤・対立とみえる数々の事件や発言は、その裏にお互いの系統の優位性を主張し合うことからくる、B村落系の神人とC村落系のユタ兼神人との対立から起きたもと解釈できる。すなわち、神人とユタの葛藤・対立は、正確にいえばの一部のユタ(C村落系)対神人(A村落系中心)のコンフリクトということになる。ただし、B村系の神人たちでも同じB村系のユタから意見されることがあるので、ノロたちはユタ全体に対して穏やかならぬ感情を抱いていることも事実である。さらに、同じC村落出身者でも、神人のままでいる人と、神人からユタになった人とでは、神人対ユタの対立・葛藤の構図がそのまま見られることにも注意したい。
6−2 ユタ対ユタ
これまでの事例からも伺えるように、異なる出身系統のユタ同士はもちろん、同じ出身系統のユタの間にも、神の教えが異なったり、自分の方がより優れた能力を持つと明言したりするために争いが生じている。ここでは、ユタ対ユタのコンフリクトが実際にどのような状況にあるのか、再び事例をもとに見ていきたい。
・「A村落のユタたちはウブスナー(産潮砂)の神をあげているが、神からは何の知らせもない。」(U・Y=C村落系)
・「A村落のユタは村のなかのことしかしない下の人で、神と先祖の霊の区別もわからない人もいる。ユタの下の人は上の人の見分けがつかないが、下の人がどのような力を持っているかは、上の人はわかる。」(U・Y=C村落系)
・「ユタのおばあ(T・M)は、A村落のはじめをB村落と考えたので、B村落系が上と言った。だが、A村落はC村落系が古い。」(N・K=C村落系)
・「O・Mは、本当はネガミ(根神)として(行事に)出なければならないのに、ヒトゴト(人事;ユタ業)をやっている。この人の親戚が来たので占ったら、オクレ〈村に座
る勤めという自分のやるべきことをやらずに自分の道が遅れている意)と出、そのために足が悪いことがわかった。O・Mさんのように内緒に人事するのはよくない。神の祟りがある。」(T・A=C村落系)
・「神人によっては主婦としての炊事や洗濯などの仕事をしてはいけないと言う人がいるが、自分達は神事の時以外はそういったことは一般の人々と一緒でやる。でも、U・Yさんは自分では何もせず、子供達にかしずかれ、崇められている。だから、お宮に来て掃除が終わっていないと手伝わずにさっさと帰ってしまい、評判が悪い。」(N・K=C村落系)
・「神役は、女が男のチジ(守護霊)を持つときもあるけれど、男しか出ない神役は男であるべき。H・Sは、以前は男の人が受け持っていた神役にU・Mさんを男役で出したが、そのため自分に神の正しが来、救急車で病院へ行くことがある。U・Yさんにもこのことで神がよくひっかかるという。」(N・K=C村落系)
・「ミーヤグワーのおばあ(O・M)はH・Sと親戚なのに、2人は仲が悪かった。このおばあは、H・Sは本当のユタではないと言い、私の頭をなでて『早くムヌシリ(ユタ)になれよ一。』と言った。このおばあが亡くなってから、その人の語りが自分に来、(神棚に)七段の飾りをやっていいと言われた。」(N・K=C村落系)
・「パンパンヤーのA・Uは、ムヌシリ(ユタ)はやらないけれど神人クジーでユタ同然だった。このおばあがH・Sを怒ったことがあった。日蓮宗のSおばさんの舅が豊年祭の時首つり自殺をし、そのケガレの人の葬式をする時、H・Sが『葬式はグシク(御嶽)を通って行け。』と指示したので、A・Uに『神人なのにこんなこともわからないのか。』と怒られた。普通、葬式は浜からか、もしくはお宮の裏とグシクの間にあるスーバタ(畑)を通ることになっている。」(N・K=C村落系)
・「H・Sは女の守護神を持っているけれど、坊主の勉強もしているから夫も亡くし、足や腰も悪くしている。あれからもこれからも儲けようとしているので、自分一代はいいが、次が駄目になる。」(T・A=C村落系)
・「H・Sは、私より占いも先だし年も上で先輩だが、彼女の所に行って神様を拝まないということで、私に反感を持っている。でも、私は神に言われなければやらない。お宮のウコール(香炉)も、H・Sさん達が置いた。」(N・K=C村落系)
・「A・Cがカミダーリィ(巫病)していた時、その判断や屋敷のウガミ(御願)は自分がやり、観音様の設置はN・Kさんがやった。苦しがっている時は頼んできたのに、今、N・KさんとA・Tは離反している。A・Tも二一ヤ(根家)の一門で、村の神人として出るはずの人と判断がでているのに、内緒でユタをしているから罰が当たる。」(T・A=C村落系)
・「N・Kさんは旧正なので、那覇にお礼にいらっしやる。その後A村落をやるという順だが、私はこの村に生まれ育ったので、村落の神様のみお礼する。それが私の目的であり、ノロさんも(占いは)私の所に聞きに行けと人々に言っている。神様のことはノロさんとN・Kさんは食違うけど、ノロさんの言う方が正しい。ノロさんは村落の神様を拝んでいるが、一方、N・Kさんはその上の神様を拝むので、食違う。それをノロは批判している。N・KさんはU・YさんやO・Mさんなどとグループを作っていて、彼女たちは従来と全然違うことを言い出す。私は、シニグ(海神祭)の歌の指導をやっているが、U・Yさんは歌詞を違うように書いて、皆に配った。」(T・C=B村落系)
・「昭和40年頃、終戦直後までは12月24(プトウチウグワン;御願解き)も1月3日(ハチウグワン;初御願)も、神人は朝早くウグワン(御願)をし、各家庭はその後した。でも今はユタか増えて旅に出ている(村外にいる)人も多くなり、それに合せてやるので始まるのが遅く、村人も行事に来なくなった。去年も12月24日は午後から始まった。行事はヌル(ノロ),K・M(按司神),H・U,U・T,サンナム(ノロの補佐役)の5本の神で十分できるので、旅の人は待たなくてもいいのだけど、向こうが文句を言うので待っている。今は、旅に出ている神人が勝手で、ヌルさんもやりにくい。」(T・C=B村落系)
・「本来はウミナイ(妹神)はU・Mさんで、ウミキ(兄神)はの人が出ていた。だが、その男の人が亡くなったので、H・Sがユタになり、U・Mさんをウミキにさせ、自分もウミナイになった。U・MさんもH・Sの言う通りになっているが、本当はO・Z(男性)がウミキに座ってU・Mがウミナイになれば上等で、道は開く。」(T・C=B村落系)
・「村落の区画は、A村落に最初に来たヌル(ノロ)さんの先祖が整理した。この人は北山から来たB村落系の人で頭が優れており、お宮も造った。B村落は最初からあり、そこにC村の人が来た。C村の人は留学して麦・豆・大豆を中国から持ってきた人々で、首里王朝にA村落に行ってそれを広めろと言われて来た。彼らは豆などを持っていたので、B村落の畑を半分にしてB村落とC村落に分けた。このように、B村落がA村落の最初だから、ノロやネガミ(根神)などはそこから出る。ウベーフ(男の神人)2人もB村落系から出ていた。私の実家はマシルンヤー(升類家)とよばれ、B村落の会計だった。2つの村がひとつになったのは、薩摩戦争の時で、北山が負けたのでC村落の人がうまくやってC村落という名前にした。お宮のウコール(香炉)にはB村と書かれている。ユタのN・KさんはC村系なのでこのウコールをよけようとしている。」(T・C=B村落系)
これらの事例を見ると、ユタ内部にもB村落系とC村落系のコンフリクトが存在し、彼女たちはこの対立に沿って各々グループを作る傾向があることがわかる。既に述べたように、戦後ユタになった者にはC村落系統が多かったが、最近はノロなどと同じB村落系のユタが誕生している。このB村落系のユタは、当然ながらB村落系の神人の肩を持ち、B村落系の古さと正統性を主張する。それに対し、C村落系統のユタは対B村落系グループとしてまとまることはあるものの、神人の場合と較べると、どちらの村落系統にせよその結びつきは緩く、ユタ同士の個人間対立が顕著である。ユタは、神人のように位階分けされず、相互間の社会的地位に差がないことから、それぞれ自分の霊力の方がより優れていると主張し合い、このような葛藤・対立が発生するといえる。
以上、A村落におけるユタと神人、また、ユタ同士のコンフリクトの事例を示してきた。その結果、ユタ対神人、ユタ対ユタという対立葛藤の構図は確かに存在するが、その対立の様相をさちに詳細にみていくと、ユタをめぐるコンフリクトはまた宗教職能者間のコンフリクトを超えた、B村落派対C村落派という村落対立構造の顕在化したものとしても捉えられることが明らかになった。このような対立構造は、従来の機能主義者が主張してきたような、村落を統合に向かわせる機能を担う神役組織という在り方を否定し、村落分裂の源としての神役組織を生み出すこととなった。そして神事にかかわる女性たちは、その対立図式のなかで、自分たちの地位を上昇させ、より高い宗教的権威・権力を得ようとして、日々お互いに駆け引きや批判といった「日常戦略としての政治」を展開しているのである。
7 「反権力装置」としてのシャーマニズム
これまでの事例から、村落形成にかかわる2系統の出身村落が、A村落の宗教的職能者である女たちの葛藤・対立の背後に係わっていること、そして、宗教的に下位に位置づけられた片方の系統に属する下位神人たちが、ユタ(シャーマン)になることによって神役ヒエラルキーを超えてノロに意見していることがわかった。神人によるユタの兼業は、村落の神役内では優位にたてないC村落系の神人たちが、ユタとして神役組織内での地位関係を超越し、B村落系の高位神役たちに意見することを可能ならしめる。ユタになった彼女たちは、神人のヒエラルキーを超えて、ユタとしての霊的力の強さを背景に、ノロなど高位の神人に対抗するという戦略を用いたのである(図2参照)。それゆえ、神人とユタの兼業は、C村落系の神人によるB村落系神人に対する政治的対抗措置であると捉えることができる10)。
しかし、また、ユタとなった神人たちは、ユタ同士の対立の様子からも明らかなように、一応村落系統に呼応するグループを構成するが、それは対抗する対象によってときに個人対個人の争いとなったり、ときにグループ同士の争いになるというように、その場の状況に応じて主体的に同盟を結んだり壊したりという柔軟な戦略をとっている。これは、エヴァンズ=プリチャードの唱えたヌアーの政治体系研究における分節と結合の概念(1985[1940]:216-296)によく似ており、集団や個人の都合により個々人は戦略的に分節と結合を繰り返すといえる。
このように分析しても、なお解決できないことが残る。それは、なぜユタになると神役ヒエラルキーを超越できるのかという問題である。確かに、ユタはその霊的力により畏怖の対象とされ、宗教的地位は高いものの社会的地位は低いという大変アンビバレントな性格をもつ。これは、沖縄のシャーマンであるユタに限らず、アジアやアフリカ、オセアニアの憑依型シャーマンにもいえることで、彼女(彼)らは軽蔑と畏怖のまなざしの間で暮らしている。従って、この疑問に答えるには、ユタの問題だけではなく、広くシャーマニズムと政治・権力の関係についての考察が必要となるだろう。たとえば、I.M.ルイスは「霊感的憑依は人々が権力と権威を目指して競い合う旗印となるもの」(ルイス 1990[1971]:225)と述べ、シャーマニズムそのものに政治性があることを示唆した。ルイス以降、さらに1980年代に入ると、政治とシャーマニズムとの関係が盛んに論じられるようになった11)。これは、近代化の特徴のひとつであるグローバル化により、それまでのミクロな共同体的世界がマクロな世界システムに組み込まれ、その結果、民族的アイデンティティが再構築されて世界の少数民族が自文化の独自性を主張するようになり、シャーマニズムをその象徴として持ち出すという戦略がとられるようになったためである。具体的には、モンゴルや旧ソ連の共和国、メキシコなどにおける民族主義の高まりによるシャーマニズムの復権に関する研究などは、民族的アイデンティティとシャーマニズムの新たな関係を模索するものとして注目され始めている12)。
このように、政治人類学において、シャーマニズムは現在、少数民族といわれる人々が弱者としておかれている立場を主張し、自分たちのアイデンティティの再構築を図るための戦略的表象となることが指摘されている。しかし、このことは単に世界システムを視野にいれたマクロ・ポリティックスにのみ当てはまることではなく、これまで見てきたような村落内における個人を基本とするミクロ・ポリティックスについてもいえることではないだろうか。生活学では、さまざまな社会変動をミクロの視点から取りあげてきた。筆者も、村落共同体というミクロな場でのシャーマニズムの政治的な動きについて、彼女たちひとりひとりの言説をもとにしながら考察してきた。その結果、A村落で一部の神人がユタに転向する理由に、決して変動しない神役ヒエラルキー内における、下位神人のシャーマン化による上位神人への対抗という日常生活の戦略性・政治性が隠されていると推論した。そうすると、シャーマニズムのミクロ・ポリティックスの目的は、先ほどのマクロ・ポリティックスの目的と重なってくる。すなわち、これら双方のポリティックスには、宗教的・社会的に下位に位置づけられた個人が、共同体における自分の立場を優位に立たせ、発言力を増すためにシャーマニズムを利用するという共通した戦略性が見いだせるのである。もともと宗教は政治性をもつものであるが、今日のシャーマニズムの様相をみると、シャーマンであるユタ自身が宗教を通じて従来の権力である神役組織やノロ、あるいは国家に対する「反権力装置」としての政治性を発揮し、自己、あるいは「われわれ」の正統性や社会的宗教的権威・権力・地位といったものを主張・確立しようとているのではないかと結論づけられる。
8 おわりに
本稿では、生活学と政治人類学・文化人類学が共通してもつ視点と方法論を用い、沖縄県国頭郡A村を事例として取りあげ、そこに見られる女たちの霊威をめぐる葛藤・対立を「個人」の言説をもとに「日常戦略」という観点から考察した。その結果、本来は村落を統合すべき神役組織が村落分裂を促す源となり、村落形成に関する伝承に基づく所属系統の対立構造の存在により、下位に位置づけられた神人たちの一部が、他系統に属する上位神人に対抗するため、ユタ(シャーマン)となって固定化された神役ヒエラルキーを脱し、自分の霊力によりそのヒエラルキーのトップに対抗していくという戦略をとっていることが明らかとなった。これは、シャーマニズムに既存の権力を否定、解体、あるいは脱構築化する力が備わっているためと考えられ、シャーマニズムは従来の権力に対する「反権力装置」として機能すると推察された。
生活学の視点を重視する松平誠は、台湾媽祖の民衆信仰をその信徒集団に着目して論じた際、「民間信仰の現実は、(中略)地上のポリティックスが神の世界と交じり合い、入れ代わり、相互に働きかけて、人びとの生活に入り込んで来る生臭い文化の一面」であると論じた(松平 1994:197)。今日の沖縄の宗教においてもまた、人々は宗教という場のなかで、生々しい地上のポリティックスを日常的に展開しているのである。今後、このような「生活戦略」としての政治・権力の日常性を探っていくためには、村落共同体内、あるいは個人というミクロな視点からの政治性を考察していくことが必要となる。なぜなら、人々は国家など上から常に利用され、翻弄されているのでは決してなく、自らの自主性・選択性・戦略性という智恵を用いて能動的に日常の構造を変革させていくからである。このような視点は、人間の生きる営みを生き生きと、あるいは生々しく探究していくうえで、これから益々重要なものとなってくるであろう。
註
1)アナール学派以前の歴史学では、主に英雄や王などによる事件史という短期的な変化のみを扱ってきたが、アナール学派は、民衆の日常性を明らかにすることにより、歴史のより基底にあり人と社会の動きを枠づけている長期的な持続要素(構造要素)を明らかにしようとした。湯浅越男によれば、アナール学派は「人間生活の特定の領域に特権的地位を与えることなく、(中略)総ての領域を全体として視野に入れる「全体的歴史」histoir totaleを志向した」(湯浅 1985:48)。
2)生活学では、ライフヒストリーによるアプローチ法が数多く試みられている。たとえば、中野(1997), 小林 (1998)。
3)琉球王朝から認定されていたノロは公儀ノロといわれ、労働の免除や田畑の支給などの特権が認められ、人々から大変尊敬された。
4)A村落の祭祀は、昭和12年まで琉球王朝から正式に任命された公儀ノロが行っていたが、昭和13年頃にこのノロが死亡したため、昭和15年頃、現在のノロをはじめとする神役組織が再組織化された。
5)現在のノロであるA・Cは9歳のときにノロに選出された。
6)この伝承は、村落構造が整然とした碁盤型で屋敷林が新しい福木であることや、グシク(御嶽)と村落が約300mと離れすぎていること、神人の出身がB村落とC村落の門中に分かれていること等から、ほぼ事実と推定されている。『沖縄縣國頭郡志』(1967[1919]:47)によると、寛文6年(1666年)それまでひとつだったN間切をA村落をはじめとする12村落に分割しI間切としたが、その翌年全体をM間切と改称し、その後B村落を含む7村落を新設し、更に明治36(1903)年10月21日の県令第36号によりB村落をA村落に合したとなっている。だが、明治期以前においてB村落とC村落が行政的に独立していたとしても、古老によるとその集落形態は各門中が混在し、両村落の境界も定かではなかったという。従ってかなり以前に実際の村落合併がなされ、今では自分がどちらの村落に所属していたのか明確でないにもかかわらず、明治36年の行政的合併時にB村落とC村落のどちらを村落名に選ぶかで論議されたいきさつなどもあり、村人、特に神人たちにおいては2村落の区別が意識され、その結果としてそれに係わるコンフリクトが発生しているといえる。
7)A村落における各神役の由来・役割は以下の通りである。
a.ヌル…ノロのこと。ノロは本来按司(琉球王朝時代の高官で、村落征服者)の妹、あ るいは村の統治者の娘がなった。
b.ネガミ…本来は村落創設者の家の娘がなるが、ここではそれとは関係のないメージュ フという家から初めて出たらしく、その後大正から昭和の始めにかけてメンバーリ (南)とシンバーリ(北)から各2名ネガミが出、現在はO・Mが2名の跡を継いで いる。
c.アジガミ…A村落におけるアジガミの役割は不明確で、ノロやネガミ程重要ではない らしい。しかし、ネガミが神行事にほとんど参加しないため、アジガミで あるK・ Mがノロの補佐をして行事の継続に尽力している。
e.&d.ウミキ,ウミナイ…ウミキは男性神、ウミナイは女性神で2名は兄弟もしくは夫婦 としてセットになっている。
f.ヰガミ…「ヰ」は座るの意味で座り神とされ、ウドゥン(お宮の奥の神様が祀って ある部屋)には入れない。ヰガミに対してタチガミ(立神)という言葉があるが、こ れにはノロ・ネガミ・アジガミの3名が含まれ、ウドゥンに入るのを許されている。
g.サンナム…ネガミに従属する雑務従事の神職。非世襲制で生理のなくなった女性がな る。
8)神人とユタがその主張の違いなどから互いに争うという現象は、他村落でも近年見られるという報告がある。たとえば、渋谷(1984,1991)。
9)A村落の女性の宗教的職能者によるこれらの言説は、1991年2月14日〜2月22日、および1991年7月19日〜8月12日の計1ヶ月強の2回にわたるフィールドワークにより収集したデータに基づくものである。
10)このような低位神人による高位神人への対抗措置は、現在の神役組織の崩壊に拍車をかけている。沖縄では、神役組織は村落祭祀の「伝統性」を守ろうとして保守化、硬直化、形骸化してしまった。そのため、神人はユタという自由で霊威を重んじるシャーマンに対して力を失う傾向にある。A村落では、ユタ兼業の神人は多忙などの理由で村の神行事に積極的に参加しない。また、高齢のため現在神行事に参加していない神人も多く、神役の後継者になる者が今の若者にはいないため、次第に神行事は小規模化し、村落祭祀の存続が危ぶまれる状態にある。しかし、同じく村人の宗教的機能を担うシャーマンとしてのユタは、仕事の需要も多く、益々増加傾向にある。
11)1980年代は、一度下火になったと思われたシャーマニズム研究が再び盛んになったため、シャーマニズム研究のルネッサンスといわれている。この頃から、政治とシャーマニズムに関する問題が重要な研究テーマのひとつとされるようになった(Atkinson 1992:307-330)。
12)Atkinson(1992:307-330)および、国際文化交流シンポジウム編『シャーマニズムと民族文化』(1995)参照。
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