沖縄における死霊観の歴史的変遷
― 静態的社会人類学へのクリティーク―
A Historical Change of a View of the Dead Spirits in Okinawa
: A Criticism of Static Social Anthroporogy
塩月亮子
はじめに―動態的災因論の重要性
1.異常死と特殊葬法
2.死霊の類型
3.災因の変化とその要因
おわりに―ユタと「死」との関係性
[論文要旨]
本稿では、従来の静態的社会人類学とは異なる、動態的な観点から災因論を研究することが重要であるという立場から、沖縄における災因論の歴史的変遷を明らかにすることを試みた。その結果、沖縄においてユタ(シャーマン)の唱える災因は、近年、生霊や死霊から祖先霊へと次第に変化・収束していることが明らかとなった。その要因のひとつには、近代的「個(自己)」の確立との関連性があげられる。すなわち、災因は、死霊や生霊という自己とは関係のない外在的要因から、徐々に自己と関連する内在的要因に集約されていきつつあるのである。それは、いわゆる「新・新宗教」が、病気や不幸の原因を自己の責任に還元することと類似しており、沖縄だけに限られないグローバルな動きとみなすことができる。だが、完全に自己の行為に災因を還元するのではなく、自分とは繋がってはいるが、やはり先祖という他者の知らせ(あるいは祟り)のせいとする災因論が人々の支持を得るのは、人々がかつての琉球王朝時代における士族のイデオロギーを取り入れ、シジ(系譜)の正統性を自らのアイデンティティの拠り所として探求し始めたことと関連する。このような「系譜によるアイデンティティ確立」への指向性は、例えば女性が始祖であるなど、系譜が士族のイデオロギーに反していていれば不幸になるという観念を生じさせることとなった。
以上のことを踏まえ、このような災因論の変化を担うユタが、今も昔も変わらず人気を集めていることの理由を考察した結果、死霊にせよ祖先霊にせよ、ユタはいつの時代にも人々に死の領域を含む幅広い宗教的世界観を提示してきたのであり、そのような世界観は、絶えずグショー(後生)という死後の世界を生前から意識し、祖先崇拝を熱心におこなう「生と死の連続性」をもつ沖縄文化と親和性をもつものであるからという結論に達した。
はじめに―動態的災因論の重要性
人は、人の死をその死に方によって「幸福な死」と「不幸な死」とに分ける。沖縄において、「幸福な死」とは、子孫が繁栄している人の老衰による自然死であり、その人は死後祖霊となって子孫を見守る存在になるとされる。一方、「不幸な死」とは、子孫を残さずに死んだり、事故等による異常な死に方をしたりすることで、このような死者は必ずこの世に恨みを残していて、生者に祟る存在になるとされる。かつて、不幸な死を遂げた者はものを腐らせたり、人を病気にさせるなど、さまざまな不幸の原因としてみなされ、大変恐れられ、忌避されてきた。しかし、それが生者に影響を及ぼすという考え方は、見方をかえれば、「不幸な死」を遂げた人に対する痛みの共感として、その死霊を弔い慰めるという社会的メカニズムが沖縄にはあったということもできる(1)。
だが、時代が変わり、学校教育の影響などで「死霊の祟り」のような観念は非科学的とされたためか、災因としての死霊は不幸の説明体系から閉め出され、その変わり「祖霊」が子孫に祟るという観念が説明体系の大きな比重を占めるようになった。当然ながら、「祖霊」も死霊の一種と考えられ、唯物論的立場からは「非科学的」であるとされるだろうが、両者には、人格化の程度や、自分との繋がりの濃さの違いがみられる。それまでは、「水死者の霊」など、あまり人格化・特定化されていない漠然とした死霊がユタなどの指摘により災因としてあげられることが多かったが、現在は、「あなたから何代前の先祖のだれそれが不幸をもたらしている」というように、人格化・特定化された先祖が災因として指摘されることとなった。
しかし、これまでの沖縄研究の中心は儀礼や祭司組織、親族組織、シャーマニズム(ユタ)研究であって、人々が不幸をどのように解釈するかという災因論やその動態性については、沖縄のコスモロジーや社会構造を考察する上で重要なものとなるにもかかわらず、それ自体が研究対象となることは稀で、親族研究や宗教研究等において副次的に取りあげられることが多かった。例えば、門中(父系親族粗織)研究では、位牌継承の禁忌の間題に絡んで、そのタブーを破ると災難に見舞われるという形で災因論が触れられたり、ユタ研究の中では、ユタが人々の災因を指摘し祓う役目を担っていることから、占いで出たハンジ(託宜)内容として災因が述べられる程度だった。だが、“0kinawan Religion”(1966)を著したリーブラが、不幸(misfortune)の究極的原因が、神や先祖による超自然的行為(super natural action)であることを本文の随所で叙述しているように、沖縄の宗教をみていく際には災因論やその動態性に関する言及が必ずと言っていい程必要となる。
このような流れの中、最近、沖縄研究の一部において、「災因論」的分析視角が導入され始めた。位牌継承禁忌の間題では、不幸を除去するのに「シジタダシ」(筋正し)とよばれるユタによる継承(系譜)上の間違いの訂正がおこなわれるが、新崎進らはこの「シジタダシ」行為を災因論の一形態として捉えている。そして、「シジタダシ」浸透以前のユタ及び人々の災厄や病因に対する意味付け方(災因論)が間題となると述べ、災因の変容という動態にも注目している(新崎1988:347)。
死霊から祖先霊へという災因論の変化は、人々へのインタビューや、ユタの発言、実際のユタによるハンジ(託宣)場面の調査などからも明らかである。本稿では、このような沖縄における災因論の動態性を、沖縄本島北部のある村落(以下A村落とよぶ)をモデルとして具体的に示しつつ、最終的にはユタの人気がなぜ現在でも衰えないのか、その理由を考察することを目的とする。
1.異常死と特殊葬法
先述したように、「不幸な死」を遂げると、その人はこの世に恨みや執着をもって生者に祟る、穢れたものとみなされる。このような「不幸な死」は、普通とは違う異常な死に方をした人に当てはめられる。調査地となった沖縄本島北部のA村落をはじめ、沖縄では何が「異常死」とされるのかをあげてみると、水死などの事故死、伝染病などによる病死、産褥死、自殺死、スーカーワタイ(潮川渡り)といわれる村外死、夭死、未婚のままの死、子どもがいるのに離婚したままで元夫婦が一緒に葬られなかった死などである。
沖縄では、普通、死は穢れとみなされ、その穢れを浄化する試みとして葬儀がおこなわれる。しかし、上記のような「異常死」の場合は、その穢れが特に強いとされるため、特殊葬法が営まれる。A村落では、「異常死」した死霊は一般にシニマブイとよばれ、生きている人を羨んで誰にでもかかると考えられたため、人々はそれを大変恐れ、葬式後はソテツの葉を門前に置いて死霊の侵入を防いだ。特に自殺などヤナジニ(変死)した者は、死体の上に被せものをして土葬にし、親とは別の基に葬ったという。また、ハンセン病者も自殺者と同様、正式な墓には葬らず、アミナキババ(漁に使用する網を干しておいた所)に埋葬した。ここは、スーカーワタイムン(潮川渡り者)とよばれる海や川で溺れた人や、村外で死亡した人の葬式を行う場所でもあり、昔はこのような自殺者・ハンセン病者・溺死者はフンシ(風水)といわれる海岸段丘に横穴を掘って棺のまま入れられた。現在でも、村外で死んだ者は村内に入れず、村外れにある墓地で葬式をおこなっている(写真1・2参照)。
沖縄の他地域でも、ハブにかまれたり岩石に圧し潰されたりして変死した者や、お産で死んだ女性、ハンセン病者、子供の死者等に対しては、家の聖を穢さないため死体を仏間には安置せず離れの小屋に入れたり、墓も普通の墓と違う畑の畔に掘った横穴に葬るなど、普通とは異なった葬法がとられたという(佐喜真 1982(1925):304)。
村人によると、シニマブイ(死霊)の祟りに遭い易いのは運勢が弱まっている人、もしくは子供という。不明の病気や不幸が突然起こるので、ユタの所へハンジ(託宣)に赴くと、災因はシニマブイ(死霊)であると指摘される。除災の仕方はいろいろだが、基本的にはユタが祟っている死霊に対してウートートゥ(祈願)をする。また、除災儀札のひとつとして、グソー・ヌ・二ービチ(後生の婚札)、あるいはトートーメニービチ(位牌婚札)などとよばれる「死霊結婚」が、沖縄本島のほぼ全域にわたっておこなわれている。竹田旦によれば、家族の急病、不慮の事故、家畜の頓死などに遭うと、何かの祟りではないかとユタを訪ねて占ってもらう。すると、@離婚された後に死んだ妻、A婚約を済ませた後に死んだ女(または男と女)、B恋愛関係のまま死んだ女(または男と女)、C二ービチ、すなわち正式な婚札を挙げずに死んだ妻(または夫と妻)等の死霊が二ービチの儀を求め、その怨念が祟りとなって遺族なり子孫なり関係者の間に現れていると指摘されるので、人々は女性の遺骨を男性の墓に移して正式の夫婦として合葬する(竹田 1990:172-173)。門中という父系原理が存在する沖縄では、未婚、または離婚された女性は特に祖先として代々手厚く祀られることが困難なため、この世に未練を残して死んだと考えられる。ただしこの場合、他のシニマブイ(死霊)と比べると、祟る範囲が関係者に限られており、祟りの不特定性は弱まるといえる。
災因としての死者を考えると、「幸福な死」を遂げた者も、普通の浄化(葬儀)をおこなったあとで、災因として生者に祟る可能性がないとはいえない。特に、先祖の霊が不幸の原因であるという最近の考え方では、「幸福な死」を迎えたはずの先祖でも、子孫に知らせたいことがあって祟る場合があるといえる。その場合は、ユタなどにより祖霊の希望を聞き、慰める儀礼がおこなわれ、再びその霊は浄化される。一方で、「不幸な死」を遂げた者も、特殊葬法で一旦浄化されたあと、またそれも不十分であったのか生者に祟ることがあり、ユタなどの指摘でその原因がわかると再度浄化儀礼が執りおこなわれる。このように、死者はみな、浄化と穢れ(災因)との間を行ったり来たりするともいえる。
2.死霊の類型
沖縄では、一般的に死後49日経つと死者はあの世に行き、祖霊になるといわれる。この日はマブイワカシ(魂分かち)と称され、あの世へ旅立つ霊とこの世の人との決別式がおこなわれる。しかし、死者の中には不幸な死に方をしたため49日が過ぎてもなおあの世に行けず、シニマブイ(死霊)となってこの世の人に災いをもたらすものがある。大正時代、主に沖縄本島の中部地方を調査した佐喜真興英は、『シマの話』の中で、死霊に関して「凶死をとげた者、満足な供養を受けない死者が他人に病気をひき起」こすと述べている(佐喜真1982(1925):297)。
ここでは、1987から1999年にかけて沖縄本島北部のA村落でおこなった断続的な調査結果をもとに、死霊の類型化を試みる。この村落では、不幸な死を遂げたため成仏できずにこの世をさまよっている死霊はシニマブイとよばれ、村人に災厄をもたらす悪霊の一種として認識されている。シニマブイ(死霊)には、ヤナカジ(悪風)、ヨーカビーもしくはタンガイ(火の玉)、ユーリー(幽霊)、シーマチチリムン(屋敷につく子孫の絶えた死霊)、ユイムン(材木などの漂着物で、溺死者等の死霊がついたもの)という多様な種類がある。これらは同しシニマブイ(死霊)でも、その姿は風であったり、火の玉であったり、人の姿であったりと、出現する形態に明確な差異がみられる。佐喜真によると、「悪風(yanakazi)が時に小児にkazo ra mun(蕁麻疹)をおこさせることがあると信ぜられ、此を治す為に悪風が此児に憑くべからざる由を語りながら、古草履を以て子供の皮膚をすつた、それで治らないと古い笊に芋を入れ、村はずれに持つて行き大急ぎで逃げ帰つた」(1982(1925):297)とあるので、沖縄の他地域でもヤナカジ(悪風)と称される悪霊の存在が信じられていたといえる。また、火の玉に関しても、沖縄では一般的にタマガイ(魂上がり)といわれ、怪火現象として恐れられている。一方、海から流れてきたユイムン(漂着物)は普通、神からの授かりものと考えられ、それを死霊に結び付けて忌み嫌うのは、A村落に特有のものという見方もある。
各シニマブイ(死霊)の特徴を村人の説明に従ってまとめると、次のようになる。
@シニマブイ・・・事故など異常死により成仏できずにさまよっている人の魂で、人に災いを起こす。シニマブイにかかったら、体や手足がだるくなり、病気になる。最近はシニマブイのせいによる不幸はあまり聞かない。(浄化されたからと説明する人もいる)。幽霊でもある。
Aヤナカジ・・・事故死者などの魂で、健康な人をうらやましがって憑く。イチャイカジ(行き遭う風)、またはアクフー(悪風)ともいい、星(フシ;その時の違勢)が弱い人が偶然これに行き遭うと、体にぶつぶつができたり、熱が出たりする。ユタが煙草の煙を吹きかけたり、草履で顔を擦ったりして治す。
Cヨーカビー・・・旧8月に出る火の玉。明治生まれはヨーカビー、大正生まれはタンガイという。大正年間までは、若者たちが晩に村を見渡せる小高い場所にのぼり、どの家から出るか見た。それが上がった所には不幸が起こる、死人が出るなどといわれ、恐れられた。
Dシーマチチリムン・・・シーマシヤー、シーマシジャーともいい、男でも女でも子孫が切れて跡をとる人がいずに死んでしまった人のこと。この人は死後位牌もほったらかしにされ祀られないので、その屋敷を買うと崇られる。だからことわざに、「古屋敷の売買はしない」というのがある。
Eユイムン・・・海から流れてくるもの。主に材木。海のヤナムン(溺死者など)がついており、屋敷に入れると家が穢れるため入れてはいけない。もし入れれば、病気や家庭的不幸が起こる。ただし、魚のユイムン(沖から岸に寄ってくるもの)はカリー(吉)。
このように、A村落では、シーマチチリムンの如く子孫が途絶えたり、溺死や事故死など異常死により恨みを持って死んだ霊魂が、死後シニマブイ(死霊)となって人々に病いなどの災厄をもたらすとみなされてきた。しかし、現在はユタによる怨恨供養・浄化の結果、A村落で以前は恐怖の対象だったシニマブイ(死霊)が、今では村内にはもちろん、墓地付近にさえ全くいなくなったといわれる。同様に、死霊と同じく人に祟って不幸をもたらすとされたイチジャマ(生霊)も、死霊以上に災因として衰退してきている。イチジャマ(生霊)の祟りに関する知識は、明治生れの人までしか持っていない。これは、災因が時代とともに変化することを表している。
では、災因としては次第に影が薄くなってきつつあるシニマブイ(死霊)は、沖縄の霊魂体系の中においてはどのような位置づけにあるのだろうか(図1参照)(2)。沖縄では、人間の霊魂は「マブイ」もしくは「マブヤー」とよばれており、それは生者のマブイ・死者のマブイ・自分のマブイ・他人のマブイに大別できる。まず、生者のマブイであるイチマブイに関しては、@とっさに倒れたり衝撃を受けたりして驚愕したときに、自分の霊魂を落としてマブイオトシ(生魂落とし)の状態となり病気になる場合と、A他人の霊魂が本体から抜け出しイチジャマ(生霊)となり、恨みを持つ相手(自分)にかかって危害を加え病気にさせる場合とに分けられる。前者は悪いことをせず、ヤナムン(悪霊)ではないが、霊魂を落とした人はぼんやりしたり、不眠症になったり、死んだりする。それに対し、後者は人に憑き、その人を不幸にする悪霊の一種である。
次に、死者のマブイであるシニマブイについては@死後の自分の霊魂が自分自身に祟ることは当然なく、A自分以外の死んだ他人の霊魂が生者である自分に祟る。ただし、死後49日を過ぎ、子孫により丁寧に祀られている死者の霊魂はシニマブイとよばれず、祖先として崇められる存在となる。従って、シニマブイ(死霊)は、先祖になれない、あるいはなる前の死んだ人の霊魂であり、イチジャマと同様、人に祟って災厄をもたらす悪霊として認識されてきた。しかし、現在は「死者の霊魂」という意味でのシニマブイの観念は存在しているものの、それが悪霊で人に憑依し祟りをもたらすという災因としての死霊観は、人々の知識から次第に消滅している状態にある。そのかわり、主要な災因に「祖先」があげられている状況を考えると、人々の災因観は不特定の死者の霊魂(シニマブイ)、あるいは特定の生者の霊魂(イチジャマ)による祟りから、特定の死者の霊魂(祖霊)による祟りへと変化したと捉えられるのである。
3.災因の変化とその要因
これまでみてきた死霊は、沖縄における災因論の一部を構成するものであり、災因論全体を視野におさめた上で改めてその位置づけを考察することが必要となる。沖縄では、病気をはじめとする様々な不幸は、究極的には死霊を含めた超自然的原因、すなわち悪霊や祖先霊、神霊、禁忌破りなどにより発生するものと考えられている。従って、ここでは現在A村落にみられる死霊以外の災因を、(1)衰退中,(2)現存,(3)現存・拡大中という3つの変容段階に分けてみていくことにする(表1参照)(3)。
(1)衰退中の災因(死霊以外)・・・生霊
イチジャマ(生霊)は、明治から昭和初期まであったという。ある特定の老女に恨みをかわれたら、多くはその女性の念力によって恨む相手の家畜(豚や牛)に怨念がかかり、その家畜が病気になったり、また恨まれた人自身も急に病気になったりしたが、今はほとんど聞かれない災因である。
明治生まれの人はイチジャマ(生霊)に関して詳しいが、大正時代以降の人はあまり知らないという。以下、死霊(シニマブイ)以外の衰退中の災因の例として、イチジャマ(生霊)に対する世代による認識の差を例示する。
【事例1】N・M(明治43年生まれ,男性)
大正以前にはイチジャマの話があった。昭和初め頃まであり、自然消滅した。ある人に恨みをかわれたら、その人の念力によって生き物(豚や牛)に怨念がかかり、急に恨み相手の豚などが病気になったり、足が悪くなったり、首が回らなくなったりした。人も急に病気したり、頭痛がしたりした。でも、人よりもその家の家畜にかかった。(イチジャマを)やられるのもやるのも女性が多かった。恨む人は特定の女の人で、変わっている人で、女性が皆そういう力を持っているのではない。恨む(イチジャマをする)人がわかったらその人とは表面的には付き合うが、心からは付き合わないようにした。表面的には仲良くしたため、恨む人の特別な呼び名はなく、また、恨まれた人の呼び名もなかった。
【事例2】G・M(明治43年生まれ,男性)
イチジャマはトーカチ(98歳の祝い)が済んだ人から上だけが知っている。昔、男は(イチジャマを)しないで、女が、それも年いったおばあさんがすると言われた。「これがイチジャマしたから病にかかった」と言った。その人を皆怖がった。こういうのは「ニーターサ(妬み)」という。
【事例3】T・N(明治43年生まれ,女性)
生きている人のことで、昔はあったけど、今は聞かない。ユタがイチジャマについて言っているのも聞いたことがない。
【事例4】T・C(大正8年生まれ,女性,ユタ)
イチジャマは生きている人間の怨念のことだけど、ずっと昔のことで、聞いたことがない。今はもうないのでは。
【事例5】T・M(大正10年生まれ,女性)
昔は心の悪い人、例えば旦那が二号を作ったら正妻がイチジャマするなどあった。でも、二号が正妻を恨むことの方が多かった。私は大正生まれなのでシーマチチリムンやイチジャマの話はあまり聞いたことがない。明治生まれの人はそういうことに詳しい。
【事例6】S・H(昭和6年位の生まれ,女性)
誰かに憎いと思われたら悪いことが起きる。イチジャマの噂話は、喧嘩した相手が憎くてそう言ったりした例はあるけど、本当には(イチジャマをした話は)ない。イチジャマは男・子供にはいない。中年から80代位の女性である。今はそんな人はいないし、話もなくなった。
【事例7】N・K(昭和7年生まれ,女性,ユタ)
イチジャマはうらみの火で、昔はあったらしい。でも、イチジャマ(生霊)をはじめとする災因としては次第に影が薄くなってきつつある。
このように、人々の災因観から現在イチジャマ(生霊)やシニマブイ(死霊)などの悪霊はほぼ消滅している。だが、マブイオトシ(生魂落とし)による不幸の話はいまだによく聞かれる。これは、祟りによる不幸ではないためその話をしても差障りがないからととることができる。このようなイチジャマ(生霊)の消滅現象は、一見村落内での人間関係のコンフリクトの解消と映る。しかし、今でも村落内に色々なコンフリクトが存在することを考えると、人々の葛藤は別の手段、例えば相手のシジマチガイ(父系血筋が正しく継承されていないこと)を非難することなどにより継続されているとも考えられる。そして、悪霊という災因は衰退しても人々の霊魂観は失われず、それが災因としては特定の生者あるいは不特定の死者の霊魂による崇りから、後に述べる祖霊という特定の死者の霊魂による崇りへと変化したのである。
(2)現存する災因・・・禁忌破り、穢れ、風水の悪さなど
A村落では、チレーという禁忌事項がいくつかあり(4)、それを破ったらハブが出てきたり、不漁になったりと、良くないことが起こる。禁忌を破ることは社会秩序を破壊したことになり、当然そのことによる崇りが生じるが、それはまた神の怒りであるという見方もできる。特に神聖物に対するチレーの場合、それを犯すと神が崇って当事者あるいは村落全体に対し災いをもたらすと考えられている。また、秩序が破られたままの状態、あるいは秩序に反するものの多くはチガリ(穢れ)とよばれ、それは大変危険な力を持つとされる。チガリ(穢れ)は、普段人々のもつ知識としては常に具体的な例と結びついており、それは主に死・火事・女性(月軽,分娩血を含む)・排泄物の4種に集約できる(5)。このようなチガリは、チレー(禁忌)と表裏一体の関係であり、そのタブーを犯した者は何らかの災厄に見舞われると信じられている。
このような社会的秩序の崩壊による祟りの他に、沖縄では地理的秩序の崩壊による崇りの信仰もみられる。この地理的秩序は「風水」とよばれ、渡邊欣雄(1990:138)によれば、「善悪双方の神秘力のありかを判断して、善きものを招来させ、悪しきものを防止する、いわゆる『迎福除災』の漢族的宗教観念の具体策のひとつとして考えることができる」ものである。山水など白然環境の吉凶を判断するという中国の風水思想は、沖縄にも中国帰りの留学生によってもたらされ、17〜18世紀以降に沖縄各地に普及し、今日あるような人々の生活知識になったという。A村落は村内が碁盤目状に整然と区画されており、明らかに村落移動時に誰か専門知識を有する者が村落風水を判断してこのように形作ったとみることがてきる。沖縄では風水は「フンシー」とよばれる。フンシーは環境を意味し、それに基づき易者が羅針盤を使って環境整備をする。この易者はサンジンソウ(三世相)といい、先代・現代・後世の3代を見分ける人とされる。彼らは物事をフンシーに結びつけ、現在は家や門、墓の方向を見たり、井戸を当てたりなど各家庭に関する風水判断をおこなっている。そして、このようなサンジンソウ、あるいはユタは、屋敷建築や墓地造園のフンシーが悪いので火事が起きたり家が倒れた(断絶した)りなどの不幸が起こったというハンジ(託宣)を出す。このため、ある家庭に原因不明の不幸が降りかかったりした場合は、災因としてこのフンシーワーサー(風水の悪さ)があげられることも多い。
(3)現存・拡大中の災因・・・祖霊(供養不足・系譜間違い)
A村落における多彩な災因の中でも、現在、特に災因として重視されているのは祖先に関するものである。ユタが、祖先の供養不足や系譜の間違いが災難の原因であると強調することにより、この傾向はますます強まってきている。ユタが災いのすべてを祖先に結びつけることに批判的な村人でも、祖先を重要な災因のひとつと認めており、チャッチウシクミ(嫡子押込め)やチョーデーカサバイ(兄弟重合)というような系譜上の間違いが起こらないよう、細心の注意を払っている。自分は超自然的なものの崇りなど信じないという人でも、他人のクチナン(非難,悪口)が怖いので敢えてタブーを破ろうとはしない。また、ユタに儀礼の必要性を指摘されれば信じていなくても、大金を払ってそれに従う。その結果、ユタのハンジ(託宜)及び人々の承認において、A村落における災因は祖先関係の間題に収束してきているといえる。
祖先を原因とする様々な不幸は、大別して@祖先供養の不足とA系譜の間違いから起こる。最初の祖先供養の不足をA村落では「ウグヮンブスク」といい、自分の祖先に対するウグヮン(御願)が足りないと、先祖が崇って子孫を病気や事故などの不幸な目に遭わせると考えられている。村の年長者らが「モノシリ(ユタやサンジンソウなど)は、何か悪いことがあったら先祖のウグヮンブスク(供養不足)を言う」、「悪いことがあるとユタがますます先祖供養を言い出して脅迫している」などと話す通り、この災因にはユタ(シャーマン)と一般人の見解のずれもみられる。また、系譜の間違いに関しては「シジマチガイ」という言い方がなされ、ユタはこのようなことがあると病気ぐらいでは済まされない様々な不幸が生じるので、「シジタダシ」(筋正し)をおこなわなければならないと人々に説く。シジタダシとは、大橋英寿(1981:30-32)によれば「血筋を正すこと」、すなわち「祖先系譜の遡及碓認」を意味する。そして、シジはマシジ(真の筋)ともいわれ、これを正す作業には@誤って扱われた祖先の位を、本来あるべき位置に復権させて供養するウシクミグヮンスのタダシ(押込め元祖の正し)、A行方不明になったままの祖先を堀り起こして供養する、フタバウクシ(塞場興し)、Bカミンチュであった祖先がウグヮン(御願)したところに、先祖に代わってお礼をする、ウグヮンプトウキ(御願解き)などがあると述べている。
沖縄他地域と同様、A村落においてもシジマチガイ(筋間違い)は、チャッチウシクミ(嫡子押込め)、イナググヮンス(女元祖)、チョーデーカサバイ(兄弟重合)、タチーマジクイ(他系混合)等に区分されている。これら位牌継承上の主なタブーの基本的条件は次の通りである。
(A)チャッチウシクミの禁忌…長男以外の子供があとを継ぐことの禁止
(B)イナググヮンスの禁忌…女性が生家のあとを継ぐことの禁止
(C)チョーデーカサバイの禁忌…兄のあとを弟が継ぐことの禁止(図2参照)
(D)タチーマジクイの禁忌…他の系統の門中の者があとを継ぐことの禁止
上記のような禁忌は、男性、特に長男の優位を表わしており、その継承は位牌のみならず、財産の相続を伴うので、一門中のトラブルの因にもなっている。このような継承をめぐるトラブルは、「トートーメ(位牌)問題」といわれ、近年沖縄で大変間題になっている。A村落でもチャッチウシクミ(嫡子押込め)やチョーデーカサバイ(兄弟重合)の禁忌に対する意識は強く、「兄弟は他人の始まり」といわれている程である。次男以下は位牌も墓も分家し、また、婿養子も他人とみなされ墓は別に進らねばならない。婿養子は一番間題が多いといわれ、最も近い血統の者を貰わなければならないとされている。以前は、長男(本家)に男児が生まれなかった場合、その次男の長男を養子(あるいは婿養子)にしていたが、それでは次男家は長男は継がず次男が継いでしまうため、チャッチウシクミ(嫡子押込め)しているといわれるようになったので、現在は次男家の次男が本家の養子となるよう変わってきたという(図3参照)。また、次男家の養子には、三男家以降の次、三男が選ばれ、決して長男家からは次男家に養子に行かないという規則もある(図4)。
現在は、このようなチャッチウシクミ等の位牌継承禁忌が厳しくいわれ、たとえ第一子が幼少で亡くなってもその子が9歳以上であれば長男であり、次男は拝みをしてかち養子としてその家に入らないとチャッチウシクミをしたと非難される。しかし、昔は障害のある子供は長男にしなかったり、遊んでいる長男を勘当して次男に家を継がせたりした場合がよくあったという。また、養子も以前は必ずしも同門中から採るとは限らなかったので、一門でも姓が異なっており、それを今ユタが正すので大変だと聞く。
では、次に、備瀬で実際にみられるシジマチガイ(筋間違い)やシジタダシ(筋正し)に関する事例をみていきたい(なお、語り手がユタの場合はそう明記した)。
【事例1】Yさん(女性;ユタ)の祖父は婿養子で、Yさんは戦前まで祖母の名である前田姓を名のっていたが、Yさんの兄弟が女性ばかりで、男子が生れてもすぐ死亡したので、終戦になりホンシジである祖父の仲村渠姓に直した。
【事例2】Tさん(女性)は以前ある家に嫁入りしたが、女児4人しか生まれず、夫は妾を囲い離縁された。だから、48歳で別の人と再婚する時、男児が授かるよう、再婚相手の家のシジタダシをしてきれいに整理してから結婚した。
【事例3】Yさん(女性;ユタ)によると、Oさんの夫は具志堅門中だがその名を捨てて新しい名に変えたため、シジウシクミ(筋押込め)したことになり、それが原因で男の子3人を皆亡くしているという。
【事例4】現在のネガミ(根神)の話によると、A村落のネガミは以前ウンのシジ(母方の筋)から選出されていたが、これてはよくないので北山のマシジ(父方直系)である仲宗根門中から出すことになり、自分が選ばれたという。
【事例5】Uさん(女性)によると、以前夫方の親戚に、自分の母の生家の養子に入り姓も母方のものに変えた人がいた。これはナーググヮンス(女元祖)で、女性の名を継承したので男子が死に、その子孫は現在あまり栄えていないという(図5参照)。
【事例6】Hさん(女性)がモノシリ(ユタ)の所に行くと、必ず夫方の本家の亡くなった伯母(夫の父の兄嫁)がそのモノシリに乗り移って、死後自分は先祖たちに苦しめられていると訴えてくる。これは、生前その伯母夫婦に子供がいなかったので、伯母が勝手に本家の財産を姪(自分の妹の娘)に相続させたためである。本家の位牌は次男であるHさんの夫が本家の養子に入って継承すべきだったが、いろいろ間題があったため継いでいない。だが、それでは本家が空家になり祖先の崇りがあるかもしれないので、モノシリのアドバイスで、Hさんの長男だけ先に本家の養子に入った(図6参照)。
【事例7】Aさん(女性;ユタ)の祖父の話である。以前、ある金持ちのS家の夫婦に子供がなく、その夫は奉公にきていた女性(子供2名を抱える未亡人)と関係し、二人の間には娘が生まれた。奉公後、その女性はN家の男性とも関係し、男児を出産した。それがAさんの祖父にあたる。だが、祖父はN家の子ではなく、裕福なS家の子と誤認されたため、S家の位牌を持たされた。祖父には子供が6人生まれたが、そのうちの3人が病気になったり事故にあったりして次々に亡くなっていったので、あちらこちらのユタの所へ行って初めてこのような事情がわかり、S家のあった所にトタンヤー(トタンの家)を作り、5つの位牌を戻して詫びたので、今は上等になっている(図7)。
【事例8】Nさん(女性)は現在夫の親戚に家を放火され大変不幸な目に遭っているが、Oさん(女性)によると、それは「グヮンスの入り乱れ」からくるものである。Nさんの夫の父親は、本妻の子供で長男だったが、この本妻は離縁され別の男性と再婚したため、妾がそのあと本妻の座に収まった。その後、Nさんの義父の方にこの妾のグヮンス(先祖;位牌の意)が来、夫もそれを継いだためこのような災難が起きたのである(図8参照)。
以上、様々な雑承禁忌とそれにまつわる不幸や訂正を例示したが、ユタがシジマチガイ(筋間違い)を指摘し、いわゆる士族特有の長男相続を絶対とする門中概念を人々に徹底化させている様子がうかがえる。彼女たちはまた、位牌を移転する際はユタを頼んで拝みをしないと継承禁忌を破ったときと同様に崇りがくると言う。人々は、ユタの言う通り位牌を移動させたり、系譜や氏名を改めたりしなければならないので、混乱をきたしている。シジタダシ(筋正し)は門中の理想型に近づくための営みだが、現実は理念通りにはいかず、また過去まて遡って正すため、それは困難を極める。既に述べたように、超白然的なものである祖霊を人々が恐れ、また信仰することは、霊魂観が廃れずにあることを示している。そして、災因とされる霊魂は、特定の人物の生霊(イチジャマ)や不特定の人物の死霊(シニマブイ)から、自己に関係する特定の人物の死霊(祖先)に変容した。この変容は、不幸の原因事前に取り除くことをより可能にしたとも考えられる。なぜなら、死霊(シニマブイ)の場合などは運勢が弱っていたときに偶然そこに通りかかったりして憑かれてしまうが、祖先の場合はシジ(筋)を正しくし、ウグヮン(御願)を怠らずにしていれば悪いことは起きないからである。祟りを事前に予防することが可能な災因が、人々に望まれたのかもしれない。
また、死霊や生霊が災因として廃れ、変わって先祖関係のことが災因の主要な原因となったことに対する別の要因としては、近代的「個(自己)」の確立との関連性があげられる。これまで繰り返し述べてきたように、災因は、死霊や生霊という自己とは関係のない外在的要因から、徐々に自己と関連する内在的要因に集約されていきつつある。それは、いわゆる「新・新宗教」が、病気や不幸の原因を自己の責任に還元することと類似しており、沖縄だけに限られないグローバルな動きとみなすことができる。だが、完全に自己の行為に災因を還元するのではなく、自分とは繋がってはいるが、やはり先祖という他者の知らせ(あるいは祟り)のせいとする災因論が人々の支持を得るのは、人々がかつての琉球王朝時代における士族のイデオロギーを取り入れ、シジ(系譜)の正統性を自らのアイデンティティの拠り所として探求し始めたことと関連する(6)。このような「系譜によるアイデンティティ確立」への指向性は、例えば女性が始祖であるなど、系譜が士族のイデオロギーに反していていれば不幸になるという観念を生じさせることとなった。小田亮が述べるように、「<シジタダシ>という災因論の変化や『門中化』は、より広い社会変化の中で正統性を求める一種の伝統回帰の動き」だったともいえる(小田1987:351)。沖縄では、近代的な「個(自己)」の確立の影響による災因の内面化現象と共に、このような沖縄独自ともいえる系譜による自己のアイデンティティの確立が起こったことで、災因論に変化が生じたと考えることができる。
おわりに―ユタと「死」との関係性
最後に、これまでみてきたような災因論の変化を担うユタが、なぜ今も昔も変わらずに人々の人気を集めているのか、その理由について考察を加えたい。
これまで例示してきたA村落は、ユタを多く輩出する所として有名であり、現在もユタ人口は増加している。この村落にユタがはじめて誕生したのは約70年前といわれ、その最初のユタの指導のもと、最高村落祭司であるノロなどのカミンチュ(神人)が戦後生まれることになった。だが、最近は村落の神行事を司るカミンチュたちはみな高齢となり、後継者を選出できないままその勢いを無くしつつあるが、一方ユタとよばれる人々は、神行事においても発言力を増し、村内外のクライアントが絶えず訪ねてきて活気のある状況である。また、あるユタなどは、自分の後継者として、カミダーリ(巫病)になった親戚の若い女性を一緒に住まわせ、ハンジや儀礼のやり方を学ばせている。このようなカミンチュとユタの現在の在り方の違いはどこからくるのだろうか。
まず最初に考えられるのが、人々のニーズの相違である。ユタの仕事は主に人々の災因を指摘し、それを除去することである。先に示したように、沖縄には多様な災因が存在し、それらの中のどれがクライアントの不幸の原因かを特定してくれるユタは、人々にとって大変必要とされる存在と考えられる。ユタは、一般人よりも災厄やその原因に敏感であり、人々の不幸や災因を強調・指摘するため、それら災厄や災因は人々に強く意識されるようになり、その数は増加していく。そして、災厄や災因が多くなればなる程、人々はそれを特定し除去してくれるユタをますます必要とするようになる。このような循環は、ユタと災因の相互強化を生み出し、各々が増加・変容傾向にあるといえる。また、ユタは最近、マワイクンジン(まわり金神;方角の神)の載った本を使って、かつてはサンジンソウ(三世相)がおこなったような建築・外出・移転・嫁どり等のときに向けてはいけない方向を指示したり、本土の民間信仰である水子供養を儀礼に取り入れたり、科学的用語で超自然的世界を説明したり、原発事故や少数民族運動、戦争などの時事問題についてもハンジ中に触れるなど、いろんな要素を時代に合わせてシンクレティックに融合させ、クライアントのニーズに応えている。これは、ユタが柔軟性をもつことを示している。さらに、クライアントが広く沖縄各地や本土から来る、あるいはユタ自身もあらゆる所に出かけていくという、村落にのみ世界が閉じることのないトランスローカル性も、ユタのもつ性質といえよう。
以上のようなユタの特徴は、村落内でしか通用しない世界観をもち、変化を嫌うカミンチュたちの特徴とは正反対とみることができる。そして、何よりも大切なのは、死霊にせよ祖霊にせよ、ユタはいつの時代にも人々に死の領域を含む幅広い宗教的世界観を提示してきたという事実である。ユタは、よくカウンセラーと比較される。それは、いうまでもなく両者が何か問題を背負っているクライアントに対し相談を受け、その不幸の原因を取り除こうとするという共通点があると考えられているからである。しかしまた、両者の間には明確な相違も存在する。例えば、精神科医やカウンセラーは、鬱など自己の行為という内在的要因が本人を苦しめていると説明することが多いが、ユタはそれを祖霊や死霊など、どちらかというと外在的なものに起因させる。そして、カウンセラーは、その苦しみを「死」の世界とは結びつけずに「この世」の人間関係だけに注目して処理しようとする傾向があるが、ユタは、クライアントの住む「この世」と今後本人がいずれは行くであろう「あの世」の世界を結びつけ、カウンセラーたちよりも広く大きな世界観から物事についてアドバイスをする。つまり、カウンセリングでは生と死が断絶しているのに対し、ユタは生と死の連続性を人々に提示する。敢えていうならば、ユタにとってのカミダーリ(巫病)は臨死体験でだったのであり、彼女たちは死をいつも身近に感じている。けれども、カウンセラーやカミンチュたちは、ユタとは違って死を絶えず排除している。従って、ユタの示す世界観が、絶えずグショー(後生)という死後の世界を生前から意識し、祖先崇拝を熱心におこなう「生と死の連続性」をもつ沖縄文化と親和性をもつということが、両者の人気の大きな差となっているのではないのだろうか。だからこそ「死」を含む領域を扱うユタは、今も昔も人々にとって必要不可欠な存在となるのであろう。
註
(1)このような見方をする研究者に、例えば池上良正がいる。彼は、「怨念」が調和と平準化の手段として重要な役割を担っているこいとを指摘し、苦しみが晴れず、怨念を抱いた霊たちの心情に配慮し、これを癒すという人々の行為こそが、同時に人々が自らの苦しみを癒し、自らが住む世界そのものを癒すことにもつながると述べている(1999:432-445)。
(2)ここで断っておきたいのは、普通悪霊を意味するヤナムンやマジムンという上位概念が、時として中位概念であるシニマブイ(死霊)や下位概念であるヤナカジ(悪風)・ユーリ(幽霊)などと同一視され、また、シニマブイ(死霊)という中位概念は往々にしてその下位概念と同一視される場合があるということである。なぜなら、人々の悪霊に関する説明を聞くと、例えばマジムンはシニマブイのこと,ヤナムンはユーリーのこと,シニマブイはユーリーのこと,ヤナカジはヤナムンのことなどといった言い方をするため、普段人々は個々の悪霊をあまり系統だてて捉えていないといえるからである。
(3)ここで災因として抽出したものには、多様なレベルのものが含まれている。それには、少なくとも「Aをすると(行動のレベル)Bが崇る(もののレベル)」というように、行動要国(A)と物的要因(B)の2種の災因がみられ、時にはそのどちらか一方のみ、あるいは双方とも不幸の原因として語られる場合があった。例えば、悪霊に関しては憑きものである物的要因(B)が主に語られ、禁忌破りや風水の悪さなどは禁るもの(B)は明らかにされず行動要因(A)のみが語られ、祖先については行動要因(A)と物的要因(B)の両方が災因として語られる傾向があった。従って、当節では、たとえそのレベルが異なるとしても、人々により主
に災因として語られる言い方を用いて、分類上の見出しとした。このような、災因の語りにおけるレベルの差異に関するより深い考察は、今後の課題のひとつとしたい。
(4)チレー(ムン)の多くは村人をはじめ女性や海人(漁師)に課されている。例えば、陸言葉というのは普段日常に使用している言葉で、海上時はそれはチレームンとなり、必ず海言葉で話さなければならない。海言葉の例としては、網はヤリムン(破れものの意),弁当・食事はマカナイ、ポーチャー(庖丁)はシビン(グヮー)、水汲みはアービチ、味噌はミンギ(水が濁る意)、水はアマムンなどである。もし漁師がこのようなチレーを守らなければ直ちに不漁に見舞われるとされ、昔は堅く守られていた。他にも、妊婦は葬式には出てはいけない、女性は竿の下をくぐってはならないなど、多種多様な行動禁忌がある。詳しくは、塩月 1994 参照。
(5)村人によれば、「チガリ」とは不浄、厄、汚らわしい、不古な、邪魔をする、ということを意味する。「ムン」とは「物・者」のことなので、悪いことをした人や罪を負った人などは「チガリムン」とよばれる。また、運の悪い人や汚いもの、悪いものもいう。穢れはチガリ(ムン)の具体例は、死人、溺死者、精神病者、病気、霊枢車、火事、産室、分娩血、月経、女性、ヤナムン(悪霊)等である。詳しくは、塩月 1992参照。
(6)最近の親族研究の成果は、沖縄の父系親族粗織である門中が農民の間で形成されたのは、それ程古い時期ではなかったことを明らかにした。小田亮は「沖縄の周辺地域に現在みられる『門中』(『百姓門中』)は,比較的近年(明治・大正以降)の社会変容による産物であり、父系単系出白による『士族門中』を理念的モデルとしながら『門中』以前の双系的(cognatic)な親族組織を組み替えたものであるとする研究老側の見解がある」と述べている(小田1987:346)。また、比嘉政夫も、「門中は十七世紀以降、近世琉球の士族屑に身分制度の確立にともなって形成されてきたもので、それが農村社会にも模倣されひろまってきたとする見方が有力」と説明している(比嘉1987:48)。このような門中の歴史的形成過程は、「門中化」あるいは「門中スプロール現象」とよばれる。「門中化」の過程が実際に報告されているのは八重山など沖縄本島の周辺離島においてであり、首里・那覇に近い本島の中南部の農村社会では、門中化の開始はもっと早期に起こったと考えられる。A村落では、最も古い門中といわれる所にある位牌は6〜7代前のものからであり、門中によっては明治期からの位牌しか持たない所も多く、門中概念が導入されたのは約300年前以降と推論される。また、同一門中内に別姓が多く、以前は他家かちの養子採りやウン(母方)継承、改姓が盛んに行われていたことから、埋念モデルとしての門中イデオロギーは部分的に綬やかに取り入れられたとみることができる。
引用文献
新崎進 1988「位牌継承禁忌とユタ―シジタダシに関する覚え書―」窪徳忠先生沖縄調査二十年記 念論文集刊行委員会(編)『沖縄の宗教と民俗』pp.341-359, 第一書房.
池上良正 1999『民間巫者信仰の研究』未来社.
大橋英寿 1981「沖縄におけるshaman<ユタ>の成巫過程―社会心理学的接近」『東北大学文学部 研究年報』(30)pp.1-50(231-280).
小田 亮 1987「沖縄の『門中化』と知識の不均衡配分―沖縄本島北部・塩屋の事例考察―」『民族 学研究』51(4)pp.344-374.
佐喜真興英 1982(1925) 「シマの話」比嘉政夫・我部政男編『女人政治考・霊の島々』佐喜真興英 全集, pp.243-330, 新泉社.
塩月亮子 1992 「ケガレ論再考」『民族学研究』56(4) pp.429-439.
―― 1994 「海人の禁忌―沖縄本島字備瀬と字糸満との比較を通して―」『常民文化』(17) pp.53-72.
竹田 旦 1990 『祖霊祭祀と死霊結婚―日韓比較民俗学の試み―』人文書院.
比嘉政夫 1987『女性優位と男系原埋―沖縄の民俗社会構造』凱風社.
Lebra, W.P. 1966 0kinawan Religion : Belief, Ritual, and Social Structure. Univ. of Hawaii press.
渡邊欣雄1990 『風水知識と東アジア』人文書院.