ヤップ島からの報告・

 女性と海

     −ミクロネシア・ヤップ島のケガレ観を中心に−

                     塩月 亮子

 

 周囲を珊瑚礁で囲まれたヤップ島では、海は人々の毎日の生活と切り離すことができない。リーフ内で漁業を営む男性はもちろん、女性もまた海とともに暮らしてきた。今回は、島の女性と海の係わりの様子を、女性の月経の話を中心にみていきたい。

 

1.ケガレ視される女性

 ヤップ島の中心地コロニアから北東に車をとばして約三十分、フィッシャリーズアカデミー(漁業学校)のバスケットコートと白い校舎がある丘の上に着く。町からの舗装道路はここで終わる。さらに先を目指して大きな穴が沢山できた道を土埃をたてながら下っていくと、急に目の前に青い海が広がり、海岸線に並行して住居が並ぶw村に到着する。村の入口には、カラフルなカトリック教会が芝生の中にたっている。すぐそばの波打ち際では、海の方へ曲がってのびたヤシの木が数本、風に揺れている。

 だが、このような村の入口の風景も、五十年ほど前には今とは少し違った様子をみせていた。老人たちによれば、かつてこの海岸には村の女性たちのためのダパール、すなわち月経小屋があったという。日本にも以前、地域によっては女性が月経中にこもる月経小屋があった。そのためか、日本の統治下でもこの慣習はヤップ島において特に禁止されず、長い間残っていたという(ちなみに、入れ墨は日本統治時代に蛮習として禁止された)。

 月経小屋があることからも伺えるように、以前の日本と同様、ヤップ島にも女性や月経に対するケガレ観があり、女性は様々な行動規制を課されてきた。例えば、女性は男性の前を通るときは敬意を表すため腰をかがめて這うように歩く、竈の火や食器を男性とは別にする、女性が食べるタロイモはケガレた田からとるなどである。村の女性の生活を詳しく知るため、私は四十代半ばの女性と二人で四ヶ月ほど暮らしたことがある。彼女は私に女性としての振る舞いをこと細かに教えてくれた。ある日、彼女と村の中を南北に走るメイン・ロードを歩いていると、彼女は急にその道からそれて木々の茂るじめじめした小道に入り、私にもついてくるよう言った。私はどうして歩きやすい広い道を歩かないで、このようなぬかるんだ迂回路を行くのかと尋ねると、彼女は、女性は神聖な場所の近くを通ってはいけないのだと説明してくれた。私たちが迂回した地点は、村の宝である巨大な石貨が両脇にずらっと並んでいる場所の手前で、そこからはモラルとよばれる神聖な空間になっていた。

 ヤップ島では、女性がケガレた存在と考えられている一方で、男性は神聖な存在とされている。ヤップ語でケガレと神聖にそれぞれ相当する言葉は、タアイとトブクルである。これら浄/不浄の観念はヤップ社会の根幹をなす世界観であり、あらゆるものがこの両者により区分されている。そして、ケガレの中でも特に非常なケガレとされるのが、月経中の女性である。女性は初潮を迎えると最もタアイなものになり、次第に血を流すことによって浄化され、閉経した女性は男性と同じようにトブクル、つまり神聖なものとみなされる。海は、従来このケガレを清める神聖なものとして捉えられてきた。それゆえ、月経中の女性は海と密接な関係を持ったのである。

 

2.初潮を迎えた女性と海

 第二次世界大戦以前、w村の女性は初潮を迎えると山の中にあるよその村へ行き、ケガレた存在として特殊な生活を半年から一年間送らなければならなかった。少女が一時的に住む村は、タアイ(ケガレ)とされる下層階級村で、w村はそれらの村を支配していた。実際に他村での生活を経験した女性たちによると、それは次のようなものであった。

 まず、娘が初潮を迎えると、両親は下層階級村に行ってそこの村人たちと相談し、少女が寂しくないように、年寄りや男性ばかりの家ではなく、同じ年代の子どもが沢山いる家を選び、その屋敷地に家を建てる。次に、月経が始まった少女がそこに移ると、親は心配で最初は一日おきに魚などをもって会いに行くが、それは次第に一週間、一ヶ月おきとなってくる。最初、少女は不安がって皆泣く。だから、少女をあずかった村の女性たちは、全員交替で少女と一緒にその小屋に泊まる。また、ご飯を炊く薪なども少女のために集めてくる。村の男性たちは、少女が飲むヤシの実や魚をとってくる。

 少女の服装に関しては、頭にいつもトゥグテレブというヤシの葉で編んだ帽子をかぶっている。これは四日で新しいものと交換する。また、胸には半分に割ったココナツの殻をカップとしてつけ、母親からもらったマルファウとよばれる黒い紐を首にかける。この紐は成人の徴として一生つけるもので、家では外して良いが、外出するときは必ずつけなければならない。腰から下にはオングとよばれる腰蓑をつけ、その上から三尺ほどのキニンという紐付きゴザをつける(このように下半身を厳重に被うのは、経血の流れる下部がケガレとされるためといえる)。頭と肩は手で掻いて良いが、腰から下がかゆいときには(ケガレが本人に感染しないよう)レックとよばれる二本の小さい棒で掻く。なお、初潮から九日目にはお歯黒をつける慣習もあった。

 少女はこの村では自由に振る舞えるものの、あまりあちらこちらに出歩かない。彼女は毎朝毎晩、近くの川に水浴びに行く以外は、畑にも行かず、ただ屋敷で遊んでいる。このような状態で、少女は自分の村で何があってもそこに行くことはできないが、ただ唯一例外がある。それは自分の村の海で水浴びができることである。少女は朝暗いうちから一般の人が通らない特別な道(ケガレた人が通る小道)を通って自分の村に下り、海水を浴び、コプラの油を体につけて帰る。この海で体を清めるという行為は、他村で生活を始めたばかりの人は二、三日おき、一年近く経った人は一、二ヶ月おきに行わなければならない。万が一、少女が海水を浴びに行く、あるいは浴び終わって帰る途中、世話になっている村の女性以外の人に出会ったら、腰蓑の上につけているキニン(紐付きゴザ)をはずし、それをかぶって隠れなければならないという厳しいきまりもあった。

 

3.初潮以降の女性と海

 今まで述べてきたたような生活を半年から一年間送った後、少女はようやく自分の村、W村に戻ることができる。その時も、少女は海水を浴びるために通っていた特殊な道を行かなければならない。また、帰村後一年間は、神聖とみなされている村のメイン・ロードを歩くことは許されず、祖父母の前では膝をまげて歩かなければならないなど、彼女たちは村内で最下位のカテゴリーに属する者として、様々なタブーを守らなければならなかった。もしこれらの禁忌を破れば、神が怒って月経が止まるといわれていた。

 村に帰った女性が再び月経になると、彼女は今度は村はずれにある月経小屋へ行き、そこで三日から七日の間生活をする。W村には合計四つの月経小屋があった。その一つがはじめに述べた教会近くの海辺の小屋だった。これらの月経小屋には六人ほどしか入れず、もしそこに入りきらないときは、同じ敷地内にある炊事小屋(ターン)の壁を草で編んで仮小屋とし、そこに寝る。最初に来た人と後から来た人は協力してターンに壁を作る。同年代なら先着順に月経小屋に入るが、年長者と年少者の場合、前者は月経小屋の中、後者はターンに寝る。炊事場も、同じ位の人同士で一緒のものを使用する。月経中の女性が使用する田畑は月経小屋の近くにある特別なもので、年齢により異なる田畑を使用する。食事も年齢階梯に従って、一緒に食べたり別々に食べたりする。時には、夫がとった魚を夫の母が月経小屋にいる妻に届けたりする。この夫の母のように、月経中以外の人が月経小屋に行った場合は、帰りに必ず海水で足を洗って帰らなければならなかった。

 前回、私は出漁前の男性たちが泊まる男子小屋(ファルー)を紹介したが、月経小屋(ダパール)も女性のみが集団で集まって過ごす集会所といえる。月経小屋での生活は、年長者が年少者に女性の歌を教えたり、はじめて女性が男性と付き合う時のことを教えたりと、いわゆる教育の場としての機能があった。また、月経小屋はマリランという女性を守る男神がいる場所で、月経中の女性はその男神の妻となるという観念もあった。このような生活は、自分の食べ物だけを考え、歌って寝ていれば良かったので楽だという意見も多く、決して暗い生活ではなかったようだ。あまりやることがないので、篭編みをした人も多い。月経小屋での服装は、オングとよばれる腰蓑をつけ、その上からゴザのようなものを前につけるが、男性用の篭を編むときは、ケガレを防ぐため、その上にさらにもう一枚ゴザをのせて編まなければならなかった。腰蓑は、普段村の中ではくものとは違うもので、月経小屋に沢山持っていき、汚れたら月経小屋近くの川や海水で洗ったという。月経の済んだ女性が月経小屋から自分の屋敷地へ戻るときは、やはりまず海水を浴び、特別な裏道(ケガレた者が通る道)を通って屋敷へ帰るという習わしであった。

 現在、教会や学校教育などの影響で、以上のような月経中の女性に対する行動規制はほとんどみられなくなった。しかし、若干の厳しい家ではつい最近まで月経を嫌い、村の月経小屋がなくなったので自分の屋敷内の小さな小屋に三、四日間月経中の女性を隔離し、その期間はご飯を炊く火も食べ物も別にしていたという。また、かつて月経小屋に付随した田畑は今も若い女性の田畑として使用され、年長者は嫌って使わないなど、月経タブーが完全に消滅したわけではないこともつけ加えておきたい。 

 

4.神聖視される海

 月経時の慣習を通して女性と海の関係をみてくると、海には「清める効果」があると考えられていることがわかる。私が沖縄本島北部の村を調査した時も、葬式時に人々は海岸へ出て手を洗い、木の枝を海水に浸してその水を頭からふりかけ、身を清めているのに出会った。海が清めの場であるというのは、当然ながら何も抽象的な意味あいだけでなく、それは実際の洗浄も意味する。ヤップ本島はほとんどの家に水道がひかれていて、今はもう川や海で水浴びをする人はいなくなったが、ヤップの離島の一つ、ウリシー環礁のファララップ島では島の人々は今でも皆、海で体や頭を洗っている。この島で私がたまたま夕涼みをしようと海岸へ下りてみると、少女たちが数人、海につかって髪を洗っているのを目にした。それは夕日を背景にシルエットとなり、実に幻想的な光景だった。

 さらに、ヤップ島では海は「健康を促進する効果」があるといわれている。例えば、タロイモ田の泥は体に付くと取れにくく、健康をそこなうものであるため、田から戻る途中で健康回復のため海につかることが良いとされている。また、お腹の子が逆子と判明すると、妊婦は経験豊かな年輩の女性と海に行き、海水に浸かってお腹の子の向きが反対になるようマッサージしたという。このように、ヤップ島の人々は、どこかしら体の具合が悪い時には海に入って治療すると聞く。

 しかしながら、清らかなイメージとは別に、海にはもう一つ大切な役割がある。それは、「トイレとしての海」という面である。幸いヤップ島は人口が約八千人と少なく、海岸近くにはマングローブ林があるため、排泄物は海を汚さず、マングローブ林に生息する魚など様々な生物の格好の餌となっている。私も、島の人と同じく海岸で用を足す生活をしたが、ある日、ふとみると海岸に住む陸蟹がそれをさらっていくのを目にした。人々は陸蟹が大好物で、これをつかまえてはスープにしたり、ゆでたりしておかずとして食べる。このことを考えれば、海は「生命の循環を担うもの」として、人々に神聖視され続けてきたのも当然といえる。島の女性たちが月経時に海と密接に係わりを持つのも、このような海の神聖さ、ゲカレを清める力によるのである。