鉄道の歴史、鉄道の遺構のHP 


  高輪海岸の築堤

  芝金杉付近から高輪八ッ山下(現在の品川駅付近)までの間は
  兵部省の反対などから海中に築堤した。
  埋め立てには八ッ山・御殿山を切り取った土砂を用い
  これを牛馬やトロッコで運搬した。
  築堤の上幅は平均6.4m 長さは2.7Kmで明治3年10月に着手し
  明治5年9月に完成した。
  (日本国有鉄道 百年写真史 より)

  八ッ山、御殿山の切割、高輪海岸の埋築の請負は、明治4年6月より着手 山中政次郎・梅田半之助が協力し施工した
  新橋-品川間は市街地を通過する設計であったが 兵部省の強硬なる反対、民家の移転等官民の反抗もあるため
  大隈重信の果断を以って市街地通過の設計変更し海面を埋立鉄道を通すことに決定した。
  この線路施工基面幅21呎、海岸側には法勾配1割5分の亀腹張石を築いた。
  海面埋立用の土砂は八ッ山、御殿山の切取り土砂を利用し荷車、牛車、人力二人一組で運んだ。
  機関車到着後は仮線を敷設し土運列車を運転し施工した。
  (日本鉄道請負業より)

  
  左側が 街道の東海道で右側の堤防が鉄道です。
  東海道の沿道の街並みが写ってますが普通に二階建てなんですね、電柱らしき柱が見えますが・・・
  この写真の数年前まで大名行列など通ってたんですね、もしかしたら坂本竜馬も???