
2011 Decembar「アイデアを簡単に勝ち負けにしない」 アイデアを簡単に勝ち負けにしちゃうのはよくないと思う。 「その考えAはちがいます。私の考えBのほうが正しいです。」 と発言してしまうと、それ以上、話が発展しないので、 結局、結論はAかBのどちらか、ということになってしまい、 AとBを越えるアイデアにならない。 これは、アイデアをふくらませるときに、よくない。
2011 July「ものづくりの魂」 多感だった小学生のころ、中学生のころ、高校生のころ。 夢中になったテレビゲームは、 ほんとうに、愛が注がれて作られた、幸せなものだった。 そのことをいま、知って、すごくうれしい。 そして、自分が好きだったものが そういう熱意をもって作られたという事実を、 20年近く経った今、再確認している。 そのときのぼくは、まさか そのゲームを制作した当事者たちと、 一緒に仕事をすることになるとはまったく予想していなかった。 きょうはいいことがあって感動したので、 具体的になにがあったかは書かずに、 この気持ちだけメモしておきます。 書けば書くほど、高校生っぽい日記になってゆく。 しかし大事なことだ。 死ぬ直前に読み直したい。
「京都の東寺の桜 2011年」 東寺の桜を、すこし見てきたので、 記念に写真を載せておきます。
Cherryblossom in Toji Temple Japan
「かっこいいとかかわいいとか」 かっこいいとかかわいいとか、そういう言葉があるけど、 何を指しているのかわかりにくい言葉なので、 こういう言葉で外国人にものを伝えるのは なかなかに骨が折れる作業だと思う。 この絵をかわいくしてくださいと頼むときに、 それがどういうかわいさを指しているのか? それは海外でも意味が通じる「かわいい」なのか? を考える必要がある。
「詩仙堂」
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「居場所」 居場所を探すことと作ることは大事だ。 人は、居場所をみつけられた、と感じた瞬間に幸福を感じるんだと思う。 それは自分自身を肯定してもらえることと、ほぼ同じ意味だ。 だから、たくさんの人が宗教に入るんだと思う。 「きみはここにいていいんだよ」「ここにいてほしいんだよ」 と言ってもらえるだけで、充足感が得られる。 逆に、存在を無視されたり、不要であると言われたら、 落ち込んでしまう。 その結論が正しいと仮定した上で逆算してみると、 人に喜ばれることを一生懸命がんばることが、 幸福感につながるんだろうと思う。 人が喜ぶことをする →人に感謝される =「あなたにそのままそこに居て、 わたしにとって喜ばしいことを してください」 と思ってもらえる =自分の居場所を肯定してもらえる →幸福を感じる ってことだからね。 ということで、ハッピーでいられるために、 人が喜ぶことをがんばろうと思います!
「2010年の光明院」 住んでいる家から近いので、散歩しながら光明院に行ってきた。
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京都の紅葉は、とてもにぎやかです。 今日は東京駅で、升本のお弁当を食べて、あらためて感動した。 手作りで、よく知らない薬が入っていなくて、 おいしいお弁当が食べられる。ああ幸せ。 2010年は、転機となる大きな仕事もしたし、 引越しもあるし、1ヶ月まるごと旅行にも行った。 とても充実した1年でした。 「でした」と過去形にできないくらい、 いまも一生懸命です。「ポピュラリティと、マイノリティ」 自分が素直にプレイしておもしろいと思えるゲームに 2つのタイプがあって、 "Wiiスポーツ"のような電子玩具系のものと、 タクティクスオウガのようなシミュレーション系のものがある。 前者は、これっておもしろいよね!って周囲の人に おすすめできるようなポピュラリティがあって、 後者には自信を持っておすすめできないマイノリティがある。 ぼく自身は、作るうえではポピュラリティを大事にしたいのだけど、 プレイしてみると、シミュレーションもおもしろいんだよね。 段取りを組む遊びがね。 どっちのタイプのゲームもそうだけど、 「こうやったらどうなるんだろう?」ていう 遊び手の工夫や想像力を受け止めてくれるような、 包容力のある遊びっていうのは、 気持ちいいんだ。 なんだかね、遊んでいても "生きている" 感覚があるんです。
「宇多田ヒカルの新曲Goodbye Happinessと、 創作の姿について。」 久しぶりに "宇多田ヒカルらしい" 新曲のリリースがあった。 PVを観て感じたのは、 黄色いソファに座っている宇多田ヒカルは、 「誰かすごい人になりたかった」初期の宇多田ヒカル。 黒板の前でメガネかけてるヒカルは、 どんどん頭でっかちになって 「頭で考えて曲を作っている」中期の宇多田ヒカル。 そして、travelingの格好をしてtravelしに 新しい領域に踏み出そうとしているのは、 今の宇多田ヒカル。 そういう風に見えました。 おもしろい映像作品だなあ。 色んな人からアドバイスを受けることがあっても、 最後は自分自身で、ぴったりくるイメージを考えて、 作り出していったほうが、 人を感動させるものが作れる。 宇多田ヒカルの素人まるだしのダンスに感動しながら、 そう感じました。 このあいだ、クリー●ャーズ15周年記念のパーティに出たとき、 宮●さんが、ゲームはやっぱり1人で作るものなんだと思う。根本的には。 という話をしていたことと重なって、 しんみりした。 (↑別に、それを手伝ったり、盛り上げてくれる人が 程度の低い仕事をしてるって意味ではなく、分業において 創作そのものは1人の手によってなされるべき、という意味です) よく自分で自分を勘違いしちゃうんだけど、 「すごいもの」を作るより、 「人の心に届くもの」 を作りたいんだ。 高校生っぽい日記になっちゃったけど、 ほんとうに正直に、そう思う。
「好きなもの」 人にはそれぞれ好物ってものがある。 馬にとってはニンジンが好物だ。 ぼりぼりニンジンを食っていれば幸せなのである。 そういうものが1つでもあると、 人の生活って、うるおいのようなものが出てくるんじゃないかなぁ って思う。好物って大切だね。
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「不思議な国のアリス」
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「アニメについて」 いつかと言わず、いまアニメを作ってみたい。 そんな気持ちでパラパラマンガを描いて GIFアニメにしてみた。 いくつになっても、こういうのは楽しいものである。
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「猫の鼻ちょうちんについて」 隣の家でぐうたら寝ている黒猫から、 鼻ちょうちんがぷかぷか出ていることに気づいて びっくりした。 猫の鼻ちょうちんって、マンガの中にしか存在しない 架空のものだと思っていたよ。
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2010 August 「10周年について」 このホームページも10周年である。 これは、ぜんぜんたいしたことがない気もするけれど、 素直にうれしい。 いままで、いろんなことに興味をもって、 でも、いろんなことに興味を失って、 結局ある意味においては「元通り」になって たった今に至っている。 そのことで少し切ない気持ちになることもあるけれど、 でも、ずっと好きで続けていられることで、 自分のなかの興味ってものは、 一過性のものではない、信頼できるもののように思える。
2010 August 「ラジオについて」 最近、ラジオを聴くのがブームです。 高校生以来のブームだ。 いろいろ新鮮な音楽がかかっていてたのしい。 サカナクションとかminnie ripertonとか、 0.8秒と衝撃とか。 こういう演奏家や作曲家は、 知っている人はいくらでも知っているんだけど、 少なくとも今ぼくはしらない。 知っている曲だけ集めてループしていると、 だんだん飽きてきてぼんやりするので、 ただ、ひたすらDJが選んでくれる曲に耳を傾けるのは、 意外性があって楽しいのです。 新しい出会いもある上に、無料だから。 ラジオって、不思議なメディアだなと思う。 技術的にはすごく古いんだけど、 かたちとしては、最近はやっている グーグルとかヤフーみたいな商売に近いのね。 その、ラジオには独特の雰囲気ってものがありまして。 たとえば広告なんか、 ちょっと抜けてておもしろい。 悪気がない商売っ気が、心地よいんです。 声だけで漫才なんかしちゃってね。 いま、 ヤフーやグーグルがやっているような 広告をつかったインターネットの商売のしくみが ある程度一般的なかたちになったら、 インターネットが、ラジオのような 「ゆるい」メディアになることもあるのかな? そう考えると、すこし未来が楽しみになります。
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2009/10/12 写真を取り出したので、下にならべてみた。
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左上の写真は、ザクセンハウゼンの強制収容所です。 あとの写真はどこで撮ったか、ほとんど忘れてしまった。

