1998/09/30


 途中で買った花束を抱えながら、ロームは歩道を小走りに駆けていた。目指すは、リーデリュートの入院している病院である。
 今回の大会はたまたま地元で行われているので、ロームはこうして毎日のように、試合後にリーデリュートのところを訪ねられるのであった。ドーラーという職業は、大会があれば多少の距離なら遠征するのが当然になっているので、こういった機会は少ない。
 スタジアムを出てメインストリートを南下すると、レンガ造りの街並みに隠れるようにして、左手に白い建物が現れる。自然を残したままの敷地内にひっそりとたたずむその建物が、リーデリュートの入院している病院の特別病棟であった。
 ロームはスタジアムからここまで、途中一度花屋に寄った以外は、ずっと小走りに駆け続けていた。高校時代の彼だったら信じられないことであったが、これもドーリングを始めたおかげなのだろう。
 敷地内は、病院と言うよりも療養所と言った方が正しかった。病棟に近づいても病院特有の消毒液の臭いがほとんど感じられないという時点で、その印象はさらに強まる。
 ロームが中に入ったとき、ちょうど受付担当の人と目があった。
「またリーデリュートさんのお見舞いですね」
「はい、すいません」
 毎日のように来ているせいもあって、ロームは受付はフリーパスだった。軽く会釈をして、そのまま階段へと向かう。
 二階のリーデリュートの病室の前まで来ると、ロームは乱れた衣服を多少整えてから、扉を軽く二回ノックした。
「こんにちは、ロームですけど」
 すぐに、扉が自動的に少し内側に開いた。鍵がかかっているわけではないのだが、こうするのがリーデリュートとロームの決まりごとのようになっている。
 扉を押し開けると、上体を起こして彼の方に微笑みを向けているリーデリュートの顔が見えた。窓際の揺り椅子では、いつものようにマリエラがふくよかな笑みをたたえて座っている。ロームは軽く会釈をしながら、部屋の中に入った。
「リーデル、こんにちは」
「いらっしゃい、ローム。……あら、いい匂い」
 視覚が失われている分、他の感覚が敏感になっているのだろう。リーデリュートにそう言われて、ロームは慌てて後ろ手にしていた花束を取り出した。
「あのこれ、お見舞い。コスモスなんだけどね」
「とってもいい匂い……私、好きよ」
 それほど見栄えのする花束ではなかったが、もちろんそれはリーデリュートには関係がない。彼女はロームから花束を受け取ると、気持ちよさそうに匂いをかいだ。
「花瓶にうつしましょうかね」
「ええ、お願い」
 マリエラが椅子から立ち上がり、リーデリュートから受け取った花束を花瓶に移し始めた。
「ありがとうローム。ね、座って、今日も試合あったんでしょ? どうだったの?」
 リーデリュートに勧められて、ロームはパイプ椅子に腰を下ろした。何から話そうと考えていたわけではなかったのだが、最初に口にしたのは彼にも予想外の言葉だった。
「ケニング、残念ながら負けちゃったよ」
「え……」
 先に自分のことを話しても、リーデリュートはケニングのことが気になってしまっているに違いない。ならば先にケニングのことを話してしまえと、彼の心が判断を下した。それは、自分の勝利をさらに引き立たせたいという考えもあったのだろう。
 だがその結果は、ロームの心をあざわらうような形で跳ね返ることになった。
「そうなんだ……」
 リーデリュートはそうつぶやいて、大きく落胆した様子を見せた、ロームには、想像できなかったほどに。
「ケ、ケニングの奴、優勝候補の選手とあたっちゃったんだ。善戦はしたんだけどね」
 慌ててロームは、リーデリュートの機嫌を直そうと軽い口調で話し始めた。彼にとって一番不幸なのは、リーデリュートが悲しむことなのだ。
「そうだったんだ……それじゃ、しょうがないよね」
 リーデリュートは顔を上げ、にこりと微笑んだ。だがロームには、その微笑みが悲しみを隠すためのものだということに気付いてしまった。
「リーデル……」
 ロームはおそるおそるリーデリュートに声をかけた。だがその時には、リーデリュートは再びうつむいてしまっていて、彼の声など聞こえていないようだった。
「あ、あの、リーデル……」
 もう一度ロームが呼んでみると、リーデリュートはやっと気付いて顔を上げた。
「え? あ、ごめんなさい。……ちょっと、疲れちゃったみたい」
 そう言うと、リーデリュートは背中の下に置いた枕をどけ、ベッドに横になった。彼女がロームの前でこういう姿を見せるのは珍しいことだ。
 ロームには、リーデリュートがこうなってしまった原因が自分にあるということが、よくわかっていた。彼の自分勝手な行動が、彼女を傷つけてしまったのだ。
 自己嫌悪の念に襲われながら、ロームは椅子から立ち上がった。
「リーデル、ごめんね。それじゃあ僕は……」
 だが帰ろうとした彼を押しとどめたのは、今まで黙って事の成り行きを見つめていたマリエラだった。
「ロームさん、あなたも今日試合だったのでしょう? どうだったのですか?」
 マリエラのゆっくりとした物言いに、リーデリュートも思い出したように言葉を繋げた。
「そうよ、ローム、どうだったの? 勝てたの?」
 悪意はないに違いなかった。だが、その一言はロームの胸に深く突き刺さった。
 一瞬、ロームの脳裏に考えと言葉が渦巻く。言ってはいけない言葉が、口をつきそうになる。
 だが、目が見えないはずのリーデリュートの顔が、真っ直ぐに彼のほうを向いているのに気付いたとき、ロームは自分が再び道化になっていくのを感じた。
「うん、僕は運良く勝てたんだ」
「ほんとうに? おめでとう。ね、どうやって勝てたの?」
 リーデリュートの顔が明るくなった。同時に、ロームの心も軽くなっていった。
「対戦相手の自滅なんだ。一撃必殺の武装だったんだけど、それが故障しちゃって……本当に運が良かったんだ」
 ロームは何も飾ることなく真実を伝えた。それが、今日とってしまった態度に対する彼なりの詫びだった。
「そうなんだ。じゃあもし故障してなかったら、勝てなかったの?」
「絶対とは言えないけど、多分負けていたと思う。しかも、もしかしたら死んでいたかもしれないしね」
「え……どうして?」
 死という言葉を聞いて、リーデリュートの声色が微妙に変わる。だがロームはそれには気付かずに、言葉を続けた。
「その対戦相手の武装って言うのが、ものすごい威力の武装だったんだ。僕たちドーラーの間ではF武装って言ってるんだけど、あまりに破壊力が強すぎて危険だってことで、制限されている武器なんだ」
 ロームはあっさりとそう言った。彼らドーラーにとっては、常識のことだからだ。
 だが当然ドーリングにあまり詳しくない者にとっては常識ではなく、リーデリュートは信じられないといった様子で口を開いた。
「制限されているって……でも、死ぬかもしれないんでしょ?」
「まぁそうなんだけど、レギュレーション違反じゃないからね、F武装を使うのはあくまで戦法の一つだし、人が死んでしまうのは正直言って事故だから。誰も、殺そうと思ってやってるわけじゃないんだし」
 まるでドーリングという行為自体をかばうかのように、ロームは返事をした。
 リーデリュートが黙ってしまったので、急に部屋の中が静かになった。ベッドに目をつむったまま横になっているその様子は、事情を知らない人が見れば眠っているようにしか見えない。
 やがて、ゆっくりとリーデリュートが口を開いた。
「……ねぇローム、あなたも、そのF武装っていうの使ったことがあるの?」
 その質問に、ロームは言葉を選びながら慎重に答えていった。リーデリュートが静かになってしまった理由が、自分の言動にあるのではと思ったからだ。
「僕は……使ったことはないし、これからも使うつもりはないよ。だって、もし対戦相手の人が死んでしまったら、いやだからね」
「本当? よかった」
 リーデリュートは本当にほっとしたらしく、久しぶりに笑顔を見せてそう言った。ロームもほっとして、言葉を続ける。
「どうしてよかったのかな?」
「私はたとえ事故であっても、ロームに人を傷つけてほしくないもの」
 リーデリュートは即答した。その一言は、ロームにとって他のどんな言葉よりも嬉しい一言だった。自分の生き方を肯定してくれる言葉、しかもそれは、彼が一番愛する者の口から発せられた言葉なのだ。
「ありがとう」
 ロームは心の底からそう言った。
 リーデリュートは横になったまま顔を天井に向けると、再び黙り込んだ。だが今度の静かさはロームにとって心地よいもので、彼はこのまま時が止まってしまえばよいとさえ思った。
 何分経ったのかわからなくなった頃、リーデリュートが眠りにつきかけているのに気付き、ロームは立ち上がった。
「じゃあ僕、帰るね」
 リーデリュートはゆっくりと顔をロームの方に向けると、笑顔を見せた。
「ローム、今日はありがとう。また、お話ししてね」
 その言葉に送られて、ロームは椅子から立ち上がった。
「そこまで、お送りしましょう」
 すると、今まで黙って話を聞いていたマリエラが揺り椅子から立ち上がり、先に立って扉を開けた。
「じゃあ、また明日」
 ロームはもしかしたら優勝報告ができるかもしれないと思いながら、そう言った。今日は準々決勝だったが、明日は最終日になっていて、準決勝が終わったらそのまま決勝が行われる予定なのだ。
 だが、リーデリュートからの返事はなかった。閉まりかけた扉からは、最後にリーデリュートが安らかな寝息を立て始めているのが見えた。

 マリエラについて歩きながら、何か用事があるのだろうかとロームが戸惑っていると、
階段の手前で不意にマリエラが立ち止まって振り向いた。
「ロームさん」
「な、なんでしょうか」
 ロームも立ち止まり、やや緊張した声で返事をする。
「いつもいつも、お見舞いありがとうございますね」
「いえ、あの、そんなこと、気にしないで下さい、本当に」
 自分の心がマリエラに見透かされたような気がして、ロームは動揺した。だがマリエラは、真面目な表情のまま言葉を続けた。
「リーデルの目が見えなくなって、落ち込んでしまって、最初はどうなってしまうかと思っていましたが、あの子がここまで立ち直れたのも、ロームさんのおかげですから」
 マリエラは深々とお辞儀をした。
「どうぞこれからも、リーデルのお見舞いに来てやって下さいね」
「そ、それはもちろん」
 ロームは戸惑いながらも、その言葉には即答した。それは、ロームの方こそお願いしたいことであったからだ。
「あとこれ、少ないんですけど……」
 そう言ってマリエラが取り出したのは、小さな包みだった。瞬間的に、ロームはその中身を予想してしまう。
「そんな、いただけません」
 ロームは大きく手を振った。だがマリエラも、食い下がろうとはしなかった。
「いいんです、今日はお花まで頂いてしまったし、このくらいさせて下さい」
「いえ、本当に、こんなことが目的で来ているわけではありませんから」
 そのマリエラの様子に、包まれているのがお金であるとロームは確信した。わかってしまった以上、やはりもらうわけにはいかなかった。すでに彼には、ドーリングという収入源があるのだ。
「僕にくれるくらいなら、ぜひリーデルに何か買ってあげて下さい」
 その言葉を聞いて、マリエラの動きが止まる。
「それなら……ロームさん、このお金で、リーデルに何か買ってあげて下さい。私があげるよりも、あなたからの方が喜びますから」
 そう言って、マリエラは再び包みを差し出した。ロームは一瞬躊躇したが、今度はそれを受け取った。
「そういうことなら、わかりました」
 マリエラはほっとしたように、しわだらけの顔で微笑んだ。その表情がリーデリュートの微笑みにどこか似ているような気がしたので、ロームは思わずはっとなってしまった。
「そ、それじゃあ、失礼しました」
「また、来て下さいね」
 動揺を隠すように、ロームは慌てて階段を駆け下りる。白い建物の外に出ると、すでに空はうっすらと赤くなりはじめていた。
 ロームは誰にも注目されていないことを確認してから、マリエラからもらった包みを開けた。そこには、けして少なくない額のお金が包まれていた。
「こんなにあるよ……何買えばいいかな」
 リーデリュートの誕生日にプレゼントを買おうとしたことはあったが、目の見えない彼女に何を送ったらいいのかわからず、結局花束ですませたことがあった。花ならば、匂いが楽しめるのではないかと思ったからだ。そしてリーデリュートはその贈り物を喜んでくれたので、ロームはそれ以降花束を贈り続けている。
 夕暮れの中、忙しく動き回る人たちの間をすり抜けながら、ロームは商店街の店先を歩いていた。視線の先に、先ほど花を買ったフラワーショップが現れる。
「花は、今日贈ったばかりだしなぁ……」
 やはり、視覚以外で楽しめるものではないとまずいと思うのだが、そう都合良く注文通りのものが手にはいるわけでもなく、ロームはあてもなく道をさまよった。
 ふと、おもちゃ屋のショーウインドーで、何かが動いているのが目に付いた。それは、白く塗った顔の上から目の周りや鼻を赤く塗った、派手な服装のピエロだった。回転するテーブルの上に立ちながら、ステッキを振り回している。
「へぇ……」
 それは、ピエロを上に乗せたオルゴールだった。それほど目を引くようなものではないのだが、ロームは思わず見入ってしまう。
 普段ロームが乗っているアーマード・ナイトは、時代の最先端の技術を駆使して作られた機械である。それに比べれば、このオルゴールなど取るに足りないものだろう。だが、オルゴールには不釣り合いと思われるようなピエロの姿は彼の目を奪い、ピエロが奏でるメロディは彼の耳を奪った。
 静かな、優しいメロディだった。ロームは曲名が思い出せなかったかわりに、幼き日のことを思い出した。まだ幼稚園にすら入る前、彼はこのメロディをどこかで誰かといっしょに聞いたような気がした。
 いつまでもいつまでも、ロームはそのメロディに聞き入っていた。そして太陽がほとんど沈んで暗くなりかけた頃、彼はいつのまにかオルゴールの入った紙袋を持って、リーデリュートのいる病院へと向かっていた。

 彼女が眠っているかもしれないと気付いたのは、ロームが扉の前まできてしまってからだった。
 引き返そうかとも思ったが、ここまで来たんだからとロームは扉をノックする。
「リーデル、ぼくだよ」
 だが、しばらく待っても返事はなかった。
「マリエラさん、いらっしゃいませんか?」
 それでも返事がないので、ロームは扉に手をかけてそっと中を覗き見た。陽が暮れて電気がついていない室内に、廊下の明かりが差し込む。中には、リーデリュートが一人で横になっていた。
 どうしようかとロームは迷ったが、そっと中に入り、扉を閉めた。暗い室内にいるのは、彼とリーデリュートの二人だけだ。
 紙袋の中から現品限りだったピエロのオルゴールを取り出し、ロームはネジを巻いた。そしてそれをリーデリュートの枕元に置こうとしたが、咄嗟に彼は手を止めた。静かすぎる室内で枕元にこのオルゴールを置いたら、音が少しうるさいのではないかと思ったからだ。
 音が鳴らないようにネジを押さえながら、ロームは室内を見回した。すぐに、いつもはマリエラが座っている窓際に向かう。ここなら、音はかすかに聞こえるくらいだろうと考えてのことだ。
 オルゴールを窓際に置こうとしたとき、ロームは背後でうめき声を聞いたような気がした。はっとして振り向くと、そこにはうなされているようなリーデリュートの姿があった。
「う……あ……」
 目を閉じて横になったまま、リーデリュートは必死に空中に手を伸ばしていた。ロームはあわててオルゴールを窓際に置くと、すぐに枕元へと向かった。
 だがナースコールを押そうとしたとき、ロームはあることを思い出した。リーデリュートが入院し、初めてロームがお見舞いに訪れたときのことを。
 苦しそうな様子のリーデリュートの、空中に向かって伸ばされた手を、ロームはそっと握った。
「リーデル、大丈夫。ぼくは、ここにいるから……」
 宙を掴もうとしていた手は、ロームの手にしがみついた。爪が食い込む痛みが、ロームを襲う。
「大丈夫、こんな痛み。リーデルの苦しみに比べれば……」
 やがて、リーデリュートは徐々に落ち着きを取り戻し、再び規則正しい寝息をたてはじめた。ロームはそっとリーデリュートの手を離すと、ふと気付いたように窓際に視線を向けた。
「あ……」
 そこに置かれたオルゴールは、まるでその場所が気に入ったかのように、優しく、静かなメロディを奏でていた。


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