1998/09/30


 フィールド上でライトパークが、もう一体の黄色いアーマード・ナイトと激しく斬り合っていた。
「くそっ!」
 コクピットハッチの中で、ロームは今までにない激しい戦いに興奮していた。そして同時に、自分がこんな試合もできるのだと言うことに驚いていた。
「いける、いけるぞっ」
 準決勝というプレッシャーを感じながら、ロームは今まで以上にライトパークが彼の言うことを聞いてくれているのを感じていた。
『左から攻撃、回避不可』
 ビージーのそんな報告にも、今日のロームはまったくうろたえなかった。盾を持った左腕を大きく振って、剣による攻撃を思い切りはじく。黄色いアーマード・ナイトが、体勢を崩した。
「もらったあっ!」
 ロームはがら空きになった相手の右脇腹目がけて、ライトニングソードを思い切り横に払った。しっかりとした手応えとともに、黄色いアーマード・ナイトの胴体部分が横に切り裂かれ、動きが止まる。
「やったか?」
 その瞬間、ロームの視界に赤いものが映った。それは、赤いものが付着したライトニングソードの切っ先だった。
『敵胴体部破壊、誘爆率三四%、危険です』
「……え?」
 言うが早いか、黄色のアーマード・ナイトが、切り裂かれた胴体部から激しいスパークを発した。その隙間からかすかに見えたコクピット内部は、ロームには鮮血で染まっているように見えた。
 その直後、黄色いアーマード・ナイトは激しい閃光を発して、爆発した。ライトパークの全モニターが、過負荷状態に陥ってダウンする。
「え……あ……、相手パイロットは……」
 その質問に答えてくれる者は誰もいなかった。だがそれは、聞かなくてもわかっていることだった。

 気がつくと、ロームはパイロットスーツのまま自室の隅に座り込んでいた。
 生まれてからずっと住んでいた実家を出て、一人暮らしを始めた部屋だ。けして広くはないが、交通の便はいいし、なによりリーデリュートの入院しているところから近いというのが、彼がこの部屋を借りた理由だった。
 暮らし始めて一年にもなると、室内もかなりなじんだものになる。部屋の片隅を占領しているベッドは実家から持ってきたものだが、布団は引っ越してから自分で買ったものだ。小さな机の上とその横のカラーボックスの中には、ドーリングや機械工学に関する本がぎっしりと詰められている。壁には風景画のカレンダーと、ロームが好きなロックミュージシャンのポスターが貼られていて、部屋の隅のミニコンポからは、いつもそのミュージシャンの曲が流れているはずだった。
 だが、部屋の中は静かだった。その静かな部屋の隅で、ロームは膝を抱えて座り込んでいた。全身はがたがたとふるえていて、額には脂汗をにじませている。
 膝を抱えたまま、ロームが右手のひらを開く。じっとりと汗をかいている以外は普段と何のかわりもないはずだったが、彼にはそう感じられなかった。何かを振り払うように手を振るが、嫌な感触はいつまでたっても消えそうにない。
 ロームは逃げ出すように頭を抱えた。だが目をつむると、すぐに脳裏に赤い光景がよみがえる。鮮血に染まったライトニングソードを振るっている、自分の姿が。
『対戦相手、駄目だったとよ』
 記憶の中で、サパートが肩を落としながら言った。そんなことはロームにはわかっていることだ。だが、本当はわかりたくなかった。
『まぁ、仕方ねぇさ、機体が爆発しちゃあ助かりっこねぇしな』
 ロームは首を振った。それは違うからだ。対戦相手は、機体が爆発する前に死んでいた。ロームが振るったライトニングソードで、すでに死んでいたのだ。
『爆発したのだって、事故だろ。使ったのがF武装とかの高破壊力武装だったら、あれは正直言って相手を殺すための武器みたいなもんだしな、責められることもあるかもしんねぇ。だけどよ、ライトニングソードだろ。仕方ねぇさ』
 ロームは再び首を振った。それも彼にとっては違うからだ。リーデリュートに言ったことがあるように、ロームはF武装を有効な戦術として認めていた。確かに破壊力は大きく危険性は高いが、ドーリングはあくまでレギュレーション内で強さを競い合うスポーツなのだ。そのレギュレーションで認められている以上、人が死にやすかろうがなんだろうが、やって悪いはずはない。
 それよりも彼にとって、自分を責める原因は他にあった。
 相手の攻撃を盾で弾き返し、ライトニングソードを振るったとき。どうして脚部ではなく、わざわざ胴体を狙ってしまったのだろうということだ。あの時、完全に勝負はついていた。脚部を狙っても、ロームの勝利は揺るぎなかったのだ。
 考えれば考えるほど、脚部を狙っていれば安全に勝負がついていたのではと思ってしまう。そうすれば、対戦相手が死ぬことはなかったのではないか。そしてそれと同時に、その考えが対戦相手を侮辱する考えだと言うこともわかっていた。
『ローム、おめぇはその甘さをなくさないと、本当に強くはなれねぇな』
 サパートがよくそう言っていた。ロームも、自分がドーリングに対して甘い考えを持っていることはわかっていた。
 彼がなぜF武装を使おうとはしないのかも、同じ理由だ。F武装の有効性はわかっている。それと同時に、彼がF武装を使わないと言うことが知れれば、それだけ対戦相手が機体構成を読みやすくなるということもわかっている。
 だがロームは、対戦相手の周りの人々を不幸にしてまで、自分が幸せになりたいとは思っていなかった。生きていれば、再び勝利することもできる。だが、死んでしまえばそれまでなのだ。ロームには、他人の命を背負う覚悟など持てなかった。
 だが今日ロームは、ついに人を殺してしまった。殺そうなどとまったく思っていなかったのは誓って言える。だから仮に罪に問われるにしても、過失致死というところだろう。実際には試合中におこったことなので、レギュレーションに反していない限り、罪に問われることはない。
 また、ロームは自分が人を殺してしまうことがあるとは、思っていなかった。それこそが甘い考えであったのだが、それは今更言っても仕方のないことである。そして、法律上罪に問われないにしても、ロームにとってこれはまぎれもなく罪だった。償おうにも償いきれない、大罪であった。
 ロームは対戦相手を殺してしまったショックで、知らず知らずのうちに自宅へ逃げるように帰ってきてしまっていた。準決勝に勝った彼は、これから決勝戦に出なければならなかったのだが、そんなことはもうロームの頭には残っていなかった。
「……どうしよう」
 答えは、わかりきっていることだ。たとえ事故とはいえ、殺してしまった相手の命を背負うことは、本人ができないと思っている以上できるはずはない。
 そう、できないことはできないのだ。ならば、できることをやるしかない。
 だが今のロームには、自分が何をできるのかすらわかっていなかった。

 玄関のベルが鳴って、ロームはようやく顔を上げた。気がつくと、窓の外は暗くなっている。電気がついていないので、部屋の中も暗い。
 時計を見ると、もう、決勝戦は終わっている時間だった。ロームはその時初めて、自分がとんでもないことをしていることに気がついた。準決勝を勝った選手が決勝戦を放棄してしまったのだ、連盟からどんな処分が下されるかわからない。だがその前に、オーナーであるサパートが、彼にクビを言い渡す可能性の方が高いと彼は思った。
 再びベルが鳴った。ロームはゆっくりと立ち上がると、暗い室内を玄関に向かって歩いていった。
 サパートではないかと思いながら、ロームは鍵を開けた。
「はい……」
 チェーンをかけたまま扉を少し開けると、そこにはロングコートを羽織った一人の少女が、心配そうな顔つきで立っていた。
「ローム?」
 目をつむったまま、その少女――リーデリュートは、ロームの顔の方を向いた。
「リ、リーデル、どうしたんだい!」
 ロームは慌てて扉を開けようとして、チェーンがかかってるのに気付いた。
「ごめん、ちょっと待って」
 動揺しながら一度扉を閉めてチェーンを外すと、ロームは今度こそ扉を開く。リーデリュートの横には、彼女を支えるようにマリエラが立っていた。
「リーデル……出歩いてもいいのかい?」
 ロームの記憶が確かならば、リーデリュートは絶対安静ではないにしても、病院の敷地内くらいしか出歩けないはずであった。だが彼女はその言葉を気にしたようすなく、かすかに笑みを見せて言った。
「……やっぱりロームは、自分のことよりもまず私のことを心配してくれるのね」
 ロームはその言葉に、何と答えればいいのかわからなくなってしまった。だがリーデリュートをいつまでも表に立たせておくわけにはいかないと思い、なんとか口を開く。
「あ、あの……中に入る?」
 ロームはそう言ってしまってから、部屋の惨状を思い浮かべた。やはり動揺していたのだろう、リーデリュートにはその惨状など見えないことは、完全に忘れている。
「ううん、ここでいいわ。それとも、ここは邪魔かしら?」
「そ、そんなことないけど……」
 ロームの部屋は一階の一番奥の部屋だったので、誰かの邪魔になると言うことはない。
 どうしようかとロームが迷っていると、リーデリュートがゆっくりと口を開いた。
「ローム、ごめんね、話、聞いちゃったんだけど……事故だったんですってね」
 その一言で、ロームは忘れていた事実を思い出した。そしてそれは、なぜリーデリュートが彼のところへ着てくれたのかの理由でもあった。
 ロームは扉の取っ手に手をかけたまま、下を向いて首を振った。リーデリュートの真っ直ぐな顔は、彼には見ることができなかった。
「違うんだ、リーデル。ぼくは……」
 つぶやくようにロームが言ったとき、何かが彼の頭に触れた。まさかと思いながら驚いて顔を上げようとした瞬間、彼の頭をリーデリュートの両手が包んだ。
「リ、リーデル!?」
 間近にリーデリュートを感じて、ロームの頭の中は真っ白になってしまう。
「ううん、わかってる。ロームはそうしようと思って、そうしてしまったわけじゃないんだもの」
 リーデリュートは、ロームの頭を抱く腕に、力を込めた。胸の膨らみが押しつけられるのがわかり、彼の頭は血がのぼって沸騰してしまいそうだった。
 数秒だったのか、数分だったのか、それはわからない。だが、リーデリュートが返事のないロームに戸惑ってその腕を放すまで、ロームにとって予想外の抱擁は続いた。
「……ローム?」
 リーデリュートが戸惑いの表情を浮かべる中、ロームは真っ赤になった顔を上げた。そのとたん、リーデリュートの横にいたマリエラが視界に入る。ロームはさらに顔を赤くした。
「ねぇ……もうドーリングは、やめてしまうの?」
 ロームはその質問に、言葉を失った。この質問に対する答えを、彼は部屋の中で延々と考え込んでいたのだ。そしてその時はまだ、答えは出ていなかった。
 だがリーデリュートに言われて、ロームは心を決めた。
「……やめない。殺してしまった相手のことを考えたら、やめられないよ。ここでやめたら、僕は何のために勝ったのかわからなくなってしまうから」
 ロームはもっともらしい言葉を並べ、自分をも納得させるように言った。だがリーデリュートは、再び首を傾げてこう聞いてきた。
「本当に?」
 それは、ロームの根本を揺さぶりかねない質問であった。せっかく戦う理由を決めたのに、それ自体を疑問視されたのだ。
「ほ、本当だよ。他に何があるんだい」
 そう言いながらも、ロームの声は嘘を見抜かれた子供のようにふるえていた。リーデリュートはまるで母親のように、黙ったまま彼の正面を向いていた。
 やがて、もうこれ以上耐えられなくなったロームは、ゆっくりと口を開いた。
「ごめん……、本当は違うのかもしれない……」
 ロームはリーデリュートの顔から視線をはずしながら、言葉を続けた。
「僕は、リーデルが勧めたからドーラーになったんだ。そして、リーデルに会えるから、ドーラーを続けているんだ。他人のためなんて格好いいこと言ったけど、本当は、全部自分のためなんだ……。僕は、そんな卑怯な人間なんだよ……」
 懺悔のようなロームの言葉を聞いて、リーデリュートは首を振りながら口を開いた。
「ううん、それは卑怯でもなんでもないわよ」
 予想しなかった言葉に、ロームは顔を上げてリーデリュートの顔を見た。
「自分が後悔しないために、自分が悲しくならないために、そして、自分が幸せになるために。そのために、他人の心を思いやるんじゃない。いつもロームは言っていたわ。他の人が困っていたり悲しんでいたりするのを見るのは嫌だ、自分まで悲しくなってしまうから、って。ロームの考えは、少しも間違っていないと私は思っていたのに……それは嘘だったの?」
「……嘘じゃない。それだけは、本当だ」
 リーデリュートの言葉は、まさにロームが言葉にできなかった想いそのものだった。
「そう……良かった。それならロームは大丈夫ね」
 リーデリュートはにこりと微笑んで言った。
「ロームが自分のためにがんばれば、きっと周りの人たちも幸せになれるわ。ね、ローム、だからがんばって……」
 その言葉を聞いていくうちに、ロームの心は徐々に軽くなっていった。初めて自分という存在が肯定された、そんな気持ちだった。
「……ありがとう、リーデル」
 やや照れながらも、ロームは心からそう言った。部屋で一人で落ち込んでいた自分が、恥ずかしかった。
 リーデリュートは胸の前で手を合わせると、にこりと微笑んで言った。
「うん、よかった元気になってくれて」
 それにつられて、ロームも笑顔になった。
 高校時代の彼は、太っていたことにコンプレックスを持っている、どちらかと言えば内向的な性格の少年だった。自分に自信がもてず、話をするときも相手の目を見て話すことができなかった。
 だが今のロームは、そんなことはない。それよりも彼は、リーデリュートが光を失ってしまっているということが、本当に残念だった。いくら彼がリーデリュートの目を見ながら話しをしたくても、彼女の瞼は開かれることはないのだ。
 それでも、ロームは幸せだった。こうして、リーデリュートが自分のことを心配して、家まで来てくれたのだから。
 そこまで考えたとき、ふとロームの心の中に疑問がわいた。それは、聞くことが怖い疑問ではあったが、答えを聞きたいという好奇心の方が勝った。
「でも、どうしてわざわざここまで……」
 ロームの質問に、リーデリュートはさもあたりまえのように答えた。
「だってロームは、私の時も来てくれたじゃない」
 ロームはその言葉にはっとした。リーデリュートが、何を言いたいのかがわかったからだ。
 リーデリュートが病気にかかり入院したとき、ロームは同級生の誰よりも早く彼女の病室に行った。リーデリュートは、それを指して言っているのだ。
 そしてその出来事は、ロームは今でも鮮明に覚えていた。

 ノックをしてノブを回すと、扉は内側に開いた。学生服姿のロームは、そこから中を覗き見る。中は個室になっているらしく、人の背中とベッドが一つだけ見える。そしてそこには、目に包帯を巻いたリーデリュートが横になっていた。
「すいません……」
「学校のお友達の方ですか?」
 パイプ椅子に座って看病していたマリエラが、後ろを振り返ってそう言った。小さい頃に何度も会っているはずだったが、ロームは覚えてもらっているのか不安そうに聞いた。
「あの、僕、ローム・コーティーと言いますが……」
「ロームちゃんかい? まぁまぁ、大きくなって……」
 突然マリエラは声を詰まらせると、涙をこぼした。その涙に、ロームは思わず言いようのない不安を感じた。
 マリエラは涙を拭きながら、しわくちゃの笑顔を見せて言った。
「お見舞いに来てくれたのね、今はちょうど寝ちゃってるんだけど、さ、どうぞ」
 マリエラが用意してくれた椅子に腰を下ろし、ロームはリーデリュートの側に久しぶりに寄った。幼なじみではあったが、同じ高校に入ったにもかかわらず近頃は話すことも滅多になかったのだ。
「リーデル……」
「高熱はおさまったんだけど、まだ時々微熱があるらしくてね」
 じっとリーデリュートの顔を見ているロームに、マリエラが病状を説明した。だが面会謝絶でないと言うことは、危険な状態ではなくなったのだろう。
 ロームはそのことがわかると、今度はリーデリュートの目に巻かれた包帯が気になり始めた。
「あの、目の包帯は……」
 その言葉に、マリエラは悲しそうに顔を伏せた。
「お医者様が言うには、熱で視神経がおかしくなってしまったんですって……」
「おかしく?……」
 マリエラの言葉の意味がつかめず、ロームはもう一度視線をリーデリュートへと向けた。外傷で入院したわけではないので、包帯が巻かれているのは目だけだ。だがそれだけに、その唯一の包帯が痛々しかった。
「目が再び見えるようになる可能性は、低いんですって……」
「えっ……」
 ロームは思わずマリエラの顔を見た。それだけ、彼女の一言は彼に衝撃を与えたのだ。
「ほ、本当ですか?」
「それでも、命が助かっただけ良かったんですって……」
 涙をぽろぽろと流しながら、マリエラは淡々と語った。
 ロームは信じられないと言った様子で、眠っているリーデリュートの顔を再び見た。まるでこのまま、二度と目覚めることがないのではと思ってしまえるような寝顔だった。
 実のことを言うと、ロームはリーデリュートが高熱で倒れ、生死の境さまよっているという話すら、ここに来るまでは信じられなかったのだ。最悪の事態だけは免れたというのはよかったが、目が見えなくなると言うのは、高校三年生にとっては死と同等の宣告なのではともロームは思う。確かに死ぬよりはマシなのだろうが、マシとかマシではないとか、そういう問題ではないように思えた。
「ロームさん、ちょっと、看ててもらえますか?」
 黙ってリーデリュートの寝顔を見つめていたロームに、マリエラが立ち上がりながら声をかけた。
「え、ええ、いいですけど……」
「ちょっと電話をかけてきますから、その間だけ……」
 マリエラはそう言って、部屋を出ていった。
 病室の中にリーデリュートと二人だけになり、ロームは少し心臓をどぎまぎさせた。だが、いくら目の前に好きな女の子が寝ているとはいえ、今の話を聞いてしまったロームには、この機会を使って何かしようとは思えなかった。いや、実際には、そんな話を聞かなくても、彼にはそんな度胸はなかった。
「……帰ろう」
 マリエラが戻ってきたらすぐ帰ろうと思い、ロームは椅子から立ち上がった。だが、そのまま少し待ったが、マリエラが戻ってくる様子はない。
「んん……」
「え?」
 声がしたような気がして、ロームは驚いてリーデリュートの方を向いた。目が覚めたのかと思ったのだ。
 そこには、いつのまにか額に脂汗をにじませ、苦しそうにしているリーデリュートの姿があった。
 ロームは慌てて辺りを見回した。だが、部屋の中には他に誰もいるはずもなく、彼は部屋を出て医者を呼びに行こうとした。
 だがその背中に、再びうなされているようなリーデリュートの声が届いた。
「お婆様、お母様、どこ?」
 何かを求めるように、必死に手で宙をかいている。眠りと現実の狭間で、幻にうなされているのだろう。
「リーデル?」
「お願い、私を一人にしないで……」
 リーデリュートはロームの声など聞こえないかのように、涙まじりの声をもらしながら、必死に手を宙に伸ばしていた。
「リーデル……」
 ロームは一瞬ためらったが、すぐにベッドの脇に近寄ると、そっとリーデリュートの手に触れた。否定されそうで、怖かった。
 だがロームの手が触れたとたん、リーデリュートは両手で彼の手を掴んだ。もう二度と離さないというような勢いで。
「お婆様? 違う、……誰?」
 ロームは何も言わなかった。やはり否定されるのが怖かったのだ。そのかわりに、彼はリーデリュートの手をぎゅっと握り返した。
「よかった……」
 しばらくして、リーデリュートは再び安らかな寝息を立て始めた。両手で、ロームの手をしっかりと握ったまま。

 確かにこの記憶の通りに、ロームはお見舞いには行った。だがまさか彼は、このことをリーデリュートが覚えているとは思わなかった。
「ね、ローム、……手を、握ってくれる?」
 玄関先に立ったままのリーデリュートが、そう言って彼の方に手を伸ばしてきた。ロームは照れながらも、あの時と同じようにその手に触れた。
「あの時のことは、ずっと夢だと思っていたわ。でも本当は、あれはロームの手だったのね。……私、今までずっと知らなかった」
 リーデリュートは両手でぎゅっとロームの手を握りながら、嬉しそうに言った。ロームも思わず、その手を強く握り返していた。


BACK

NEXT


玄関に戻る MMの部屋に戻る MMショートショートの部屋に戻る