「あの、申し訳有りませんでしたっ」
ガレージ内に、ロームの声がこだまする。頭を下げている彼の前には、サパートを筆頭として何人ものメカニックたちが並んでいた。
いつまで経っても頭を下げたまま上げようとしないロームに、サパートはおごそかに口を開いた。
「今月の給料、一割カット。……他になんかあるか?」
まわりのメカニックたちは、興味なさそうに首を振る。
「え? あ、あの……」
動揺しているのは、ロームだけのようだった。頭を上げると、サパートやメカニックたちは、さっさと自分の持ち場に戻ろうとしている。
ロームは、試合を放棄して勝手に帰ってしまったことの、罰を受けるつもりだった。だが、これでは罰などほとんど無いに等しい。
「サ、サパートさん、それだけですか?」
追いすがるロームに、サパートは振り向いて首を傾げた。
「なんだローム、もっと減らしてほしいのか?」
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
思わず口ごもってしまったロームの肩に、手が置かれる。振り返ると、そこにはメカニックの一人の顔があった。
「いいじゃないか、ローム。正直言って、お前が帰ってくるかどうかの方が心配だったんだぜ」
「え?」
ロームはその言葉の意味が分からずに、間抜けな返事をしてしまう。
「初めて対戦相手を殺しちまったときに、それをきっかけにドーリングをやめちまう奴が多いんだよ。ま、お前くらいの年齢に特に多いんだけどな」
そう言いながら、メカニックの男はロームの頭に手を置いた。
「その点、お前は無事帰ってきたからな。正直言って駄目かと思ってたけど、大したもんだよ」
そしてロームのくせのある髪の毛を、さらにくしゃくしゃにする。ロームはたまらず頭を押さえた。
「は、はぁ、そうだったんですか……」
なるほどとロームが納得していると、その話を黙って聞いていたサパートが、メカニックの男の頭をこづいた。
「あんま調子に乗せるな」
そしてロームの方を向くと、サパートは再び強い口調で話し出した。
「今回は許すが、次は許さんぞ。やめたかったらやめたいと言え、お前の人生だ、止めはせん」
だが、サパートの口調はけして突き放すようなものではなかった。少なくともロームにはそう感じられた。それは、サパートがどれだけ彼のことを考えてくれているのかの裏返しなのだろう。
「……はい、ありがとうございます。これからも、よろしくおねがいします」
ロームはその想いに答えるために、頭を下げながら元気よく返事をした。サパートはやれやれというように、肩をすくめる。
「……ふぅ、何があったのかは知らんが、ずいぶん見違えたな」
そう言うと、サパートは今日初めての笑みを見せた。
「まったく、お前が死んだような顔で帰ってきたときには、どうなっちまうかと思ったんだぞ」
それは、ロームが対戦相手を殺してしまったときの話だ。死人よりも青い顔をして帰ってきたロームを見て、サパートは彼がこのまま潰れてしまうのではと思った。
「……さすがにショックじゃなかったって言えば嘘になりますけど、もう立ち直れたと思います」
ロームは照れたように頭をかくと、正面からサパートの目を見据えて言った。
「ドーリングをしている以上、死というものは常に側にあると思います。そしてドーリングを続けている以上、僕は再び対戦相手を殺してしまうかも知れない。でもその時、僕はその殺してしまった相手の、周りの人々のこと。その人たちのことを考えて、ドーリングを続けていきたいと思います」
ロームはそこまでを一気に言うと、再び照れたように笑った。サパートは黙って腕を組み、彼の話を聞いていた。やがて小さくうなずくと、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、いい考えだ。……ただしな」
そこでいったん言葉を切ると、サパートは組んでいた腕をほどいてロームを指さす。
「相手が死んだときに悲しむ者がいるように、お前が死ねばまた悲しむ者がいるんだ。当たり前のことだがな、なんかお前の言い方を聞いてると、それがわかってねぇような気がする。……いいか、それだけは覚えとけよ」
「……はい!」
厳しく、それでいてどこか優しいサパートの口調に、ロームは元気よく返事をした。
サパートは満足そうにうなずくと、メカニックの男に声をかけた。
「おい、あの封筒どこ行った?」
「ああ、はい、たしかここに……」
メカニックの男は近くの机の上から封筒を取るあげると、それをサパートに手渡した。サパートは中から何枚もの書類を取り出し、その中の一枚をロームに見せる。
「これは……」
「次の大会だ。無駄になるかと思ってたんだが、棄権手続きをする必要はもうないな」
「はい、よろしくお願いしますっ」
ロームは元気に返事をしながら、サパートやメカニックたちに向かって、もう一度大きく頭を下げた。
「リーデル?」
ロームが息を弾ませながらリーデリュートの病室にやってくると、部屋の中には誰もいなかった。やや違和感を感じながら、ロームは部屋の中を見回す。
理由はすぐにわかった。ベッドの準備ができていないのだ。
「あれ、どうしたのかな……」
揺り椅子と花瓶は窓際に置かれたままなので、部屋が変わったと言うことはないだろうと思う。だが、いつもベッドの枕元に置かれていた、リーデリュート専用の触れて時間を知る時計が無くなっているのも、気になる原因の一つだった。
「そういえば……」
ロームはあることを思いだし、部屋の中を見回す。だが、ピエロのオルゴールは、部屋のどこにも見あたらなかった。
「ロームさん?」
部屋の中に呆然と立ちつくしていたロームの背中に、突然声がかけられる。慌てて入り口の方を振り向くと、そこにはマリエラが立っていた。
「マリエラさん!」
よからぬ事態を想像しかけていたロームは、マリエラの姿を見てほっとしてた。その表情が、少なくとも悲しみには彩られていなかったからだ。
「よかったわ、ぜひロームさんに伝えておかないといけないことがあったの」
「な、なんでしょう?」
リーデリュートのことを聞くよりも早くマリエラにそう言われ、ロームは進められるままに椅子に座った。
「電話かなにかでお伝えしようと思ったのですけれど、なにぶん急な話だったので、ごめんなさいね」
マリエラはロームの前に座ると、そう前置きしてからゆっくりと話し出した。
「実はね、リーデルのことなんですけど、検査で本院の方に行くことになったの」
「え、どこか悪くなったんですか?」
ロームは検査という言葉を聞いて、驚いて言った。だがマリエラの表情からは、不安な材料は何も見えないので、言ってしまってからそれはないだろうとロームは一人思った。
「いいえ、ちがうのよ。身体の方は大分良くなったと言うことで、退院に向けての検査なの」
予想通りに、ロームは早とちりしてしまっていたことを知った。マリエラの方もロームの勘違いがおさまったことを理解したらしく、変わらぬ口調で言葉を続けた。
「リーデルの伝言なんですけどね、すぐに帰ってくるから、心配しないで、と言ってましたわ」
「そうですか……」
ロームはその言葉を聞きながら、ほっと胸をなで下ろす。するとマリエラは、思い出したように言葉を続けた。
「あ、そうそう、それからね、目の検査もするそうなの」
マリエラは自分の目を指さしながら、そう言った。それは、ロームには今日の話の中で一番驚いた話だった
「目、ですか。……リーデルの目、再び見えるようになる可能性はあるんでしょうか?」
たとえ退院できても、目が見えなければ彼女が再び普通の人生を送れないことは、明らかなことだった。
「お医者様の言うことには、検査してみないことには、なんとも言えないということですって」
「そ、そうですか」
だがその返事は、幾分か彼の心を救った。その言い方ならば、もしかしたらまた見えるようになるかもしれないと言うことだからだ。
だが、こればっかりは、ロームにはただ祈ることしかできそうになかった。
本当なら、ロームはリーデリュートの側について看病していたかった。だが、今の彼にはそうできない理由がある。
「あ、あの、リーデルの検査っていうのは、どのくらいで終わるんでしょうか?」
「えーとねぇ、確かここに……」
ベッド横に置かれたままになっている台の引き出しから一枚のメモを取り出し、マリエラはそれに目を通した。
「そうそう、検査の結果次第だということなんですけれどもね、早ければ一週間ほどで、またここに戻ってこれるということですわ」
その返事を聞いて、ロームは半分喜び、半分がっかりした。なぜならば、実はサパートが申し込んでいた大会が、開会を約一週間後に控えたものだったからだった。
規模としては大きくはなく、前回ロームが決勝まで進めた大会と、ほぼ同程度だ。だが、今回は開催地がこの街からかなり遠いところにあった。そうなると必然的にチーム全体で遠征することになり、向こうに着いてからの準備期間も考えて、ロームのチームは明日全員で出発することになっていたのだ。
「そうなんですか……実は僕も、長ければ二週間ほど、この街から離れることになったんです」
一回戦で負けてしまえば一週間ほどで帰ってこれるのだが、勝ち残れば自然と逗留期間は長くなる。
リーデリュートが一週間ほどで帰ってくると聞いて、ロームはすぐに負けてしまおうかと思ってしまった。そうすれば、少しでも早く再び彼女に会えると思ってしまったからだ。
だがロームは、すぐに頭を振った。それは、ロームがリーデリュートとした約束を、破ることになる。
「あら、ロームさんもですか。どうしてまた?」
だがそんなロームの心の葛藤に気付かず、マリエラは笑みをたたえたまま訊ねた。そういえば理由を言っていなかったと、ロームは慌てて答えた。
「ドーリングの大会が遠くの街であって、それに参加することになったんです」
以前にも同じようなことは何度もあったので、すぐにマリエラは理解したような表情を見せた。
「まぁ、そうなんですの。リーデルに代わって、応援させていただきますわ」
「す、すいません、がんばります」
恐縮そうにロームは頭を下げると、それではと言って立ち上がろうとした。あまり長居しても仕方ないと思ったからだ。
だがそこで、ロームは一つのことを思いついた。
「あ、そうだ。あの……」
「はい?」
同じく立ち上がっていたマリエラが、椅子をしまいながらロームの方を振り向く。
「もしよかったら、リーデルの検査の結果、教えていただけないでしょうか? わかったらでいいんですが……」
遠慮がちにロームがそう言うと、マリエラは微笑んで答えた。
「ええ、いいですわよ。えーと、どちらに連絡差し上げればよろしいかしら?」
「あ、じゃあ、ここに……」
ロームは逗留先の番号を、紙に書いてマリエラに渡した。
「はい、必ず、ご連絡差し上げますわ」
「お願いします。リーデルに、よろしく」
ロームは最後に大きくお辞儀をすると、病室を後にした。
数日後、遠征先に逗留中のロームのところに、マリエラから電話があった。
ちょうど試合場の下見に出ていたロームは、逗留先に戻ってから、メモの伝言を見る形になった。
期待と不安で鼓動を早める中、手にしたメモにはこう書かれていた。
「検査結果は良好。目も手術が成功すれば治るかもしれないとのこと」
まだ成功すると決まったわけではなかったが、ロームはまるで自分のことのように喜んだ。一時はあきらめていた、リーデリュートの目を見て話したいという願いが、叶うかもしれないとわかったからだ。
ロームはその夜、星空に願を掛けた。
「この大会、僕は真面目に精一杯頑張ります。もう逃げたりしないし、他人を悲しませるようなことはしません。だから……だからどうか、リーデルの目がまた見えるようになりますように……」
夏の星空は、何も答えずにただ光り輝いていていた。
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