タッタッタッタッ
廃虚となっているビルの路地を、いくつかの足音が駆け抜けてゆく。
前を行く影が一つ。脇には鞄を抱え、息を切らしながら必死に走っている。その影はちらと後ろを振り返り、後ろから追ってくる影が自分に迫っていることを再確認すると、廃ビルの一つに逃げ込んだ。
すでに何と書かれているか判らないネームプレートが、このビルもとうの昔に所有者が所有権を放棄した事を物語っている。
後ろから追ってくる影も、先行した影を追って廃ビルへと入り込んだ。
追われている方は、綺麗とは言えない格好をした小柄な男性。まだ少年なのかもしれない。追いかけている方は、ジーパンにジャケット、足下にはスニーカーと、動きやすい服装で固めている女性。
彼女の名は、リィル・ウェルナーといった。
カンカンカンカン
リィルという名の女性が、螺旋状になっている階段を駆け上がる。上の方から、同じように階段を駆け上がる足音が聞こえる。階段の横には壊れて動かないエレベーターがあるが、動かないおかげで上に行く手段が階段だけしかないので、追う側にとっては有利と言える。
五階ほど昇ったところで、ふいに先を行く影の足音が聞こえなくなる。それに併せて、リィルの足どりも緊張した物へと変わる。用意しておいた銃をジャケットの内側から取り出すと、弾が入っていることを確認し、それを手に握りしめる。
「あれだけは取り返さないと‥‥‥」
リィルはゆっくりと歩き始めると、通路に並んだ扉を一つ一つ開けていった。だが扉の向こうは、何もない殺風景な部屋ばかりが続いた。
「ここにもいない‥‥」
小さくつぶやくと、そっと扉を閉める。その時、まだ調べていない隣の部屋から、かすかな物音が聞こえたような気がした。リィルの顔に一気に緊張が走る。物音の聞こえた部屋の扉に手をかけると、一気に開け放った。
「‥‥!」
部屋の中には、ゴミか、もしくはゴミ同然のものが散乱していた。そして、壁際に粗末なベッドが一つ。
物音は、その粗末なベッドからだった。ベッドには、少女が一人横になっていた。
想像もしなかった場面に立ち尽くすリィル。すぐに我に返ったのは、壁の向こうの部屋から、ガラスの割れるような音がしたからだ。
「な、何?!」
立て付けの悪い窓をなんとか開け、外へ身を乗り出すと、そこには正面のビルの屋上があった。そして、隣の部屋から飛び降りたのだろう、リィルの鞄を奪って逃げた少年が倒れていた。が、倒れていたのは一瞬で、すぐに起きあがると、そのビルの非常階段を駆け下り始めた。
パン! パン!
とっさに引き金を引くリィル。殺傷性はほとんどないが、強力な麻酔弾が少年を襲う。が、弾は少年の脇をすり抜け、そのまま少年の姿は見えなくなった。
リィルはとっさに自分も飛び降りて追いかけようとしたが、隣のビルまでは実際かなり距離があり、下手をすれば十分命が危ない。いくらなんでも命とは交換できないと、くやしそうな顔をしながら、リィルは少年を追うのをあきらめた。
その時初めて、リィルは自分に向けられた眼差しに気が付いた。
ベッドに横になっていた少女が、リィルの方へ顔を向けていたのだ。今、目を覚ましたばかりのようだった。だがその視線は定まってなく、宙を漂っている感じだった。
「あなた‥‥、こんなところで何をしてるの?」
やっと、それだけを口にするリィル。だが、その問いかけに、ベッドの少女が答える様子はない。
よく見ると、少女の顔は赤く腫れぼったくなっている。病気か何かだろうか、意識は朦朧としているように見える。
「大丈夫なの?」
リィルが近づいても、少女は何一つ変わった反応をしないので、そのままリィルは少女の額に手を当ててみた。ひどい熱だった。
「ちょ、ちょっと、すごい熱じゃないっ!」
思わず言わずにはいられないほど、ひどい状態だった。あまりの高熱のために、着ているものはおろか、シーツまでぐっしょりで、少女は脱水症状までおこしているように見える。
「タオルは‥‥」
辺りを見回すが、少女の身体をふけるような物は何も見つからない。
「どうしよう‥‥。でも、このままじゃ‥‥」
医学には素人のリィルから見ても、この少女の状態が危険なことは十分に判った。
リィルは意を決すると、まずは部屋をもう一度見回し始めた。部屋に散らばっているのは、食料品などのゴミばかりで、リィルの求める、少女の身元を確認できるような物は、何もなかった。
念のためと思い、まだ調べてなかった隣の部屋も調べて見ると、そこには盗まれたリィルの荷物が散乱していた。どうやら荷物を盗んだ少年は、この部屋で鞄の中身を物色したらしい。
「私の荷物‥‥‥あったっ!」
リィルは散乱した荷物の中から、一枚のカードを取り上げた。カードには、「DOLLING LICENCE CARD」と書かれており、リィルの写真が貼ってある。リィルはそれを大事そうにポケットにしまうと、その他の荷物はかき集めて、いっしょに落ちていた自分の鞄に押し込み、それを手に取った。
このフロアーに少女の手がかりになるような物が、何一つ無いことを確認すると、リィルは少女を抱き抱え、動かないエレベーターに今度は悪態を付きつつ、階段を降りていった。
少女を抱き抱えたままビルの外に出ると、ちょうどアレク‥‥、リィルの夫にあたる男性が、ベビーカーを押しながらリィルの方へと向かってくるところだった。アレクはリィルが抱いている少女を見ると、怪訝そうな顔をしながら言った。
「鞄は取り返したのか。で、‥‥‥その女の子は?」
当たり前と言えば当たり前のアレクの反応にイライラしながら、リィルは怒鳴るように言った。
「後で全部説明する! それより、この辺りで一番近い病院、調べて」
「病院? 怪我でもしたのか?!」
病院という言葉と、さらにリィルの予想より激しい反応に、過剰に反応するアレク。が、すぐにリィルが抱き抱えている少女の状態に気付く。
「この娘、すごい熱なの。早く!」
リィルが促すまでもなく、ベビーカーをリィルにまかせて、大通りへとダッシュするアレク。
救急車はすぐにやってきたが、それを待っていた数分間、少女は荒い息をしながら、瞼を開くことはなかった。
病院。静けさと騒々しさ、光と闇、生と死が隣り合った世界。
リィル達が半ば強引に少女と供に病院に連れてこられてから、三十分ほどが経った。
少女は、病院に着くなり集中治療室へと入れられた。それっきり、治療室の扉は開かない。
その間を利用して、リィルは鞄の中身を調べていた。何が盗られたのかをチェックするためだ。
「あーあ、やっぱり財布は無いわ。あと、腕時計も無くなってる」
取られた物を確認すると、リィルは立ち上がり、病院内の電話コーナーへと向かった。そして、契約しているクレジット会社へ、クレジットカード盗難の電話を入れた。これで、クレジットカードを悪用されることは免れるだろう。だが、それ以外はあきらめるしかなさそうだ。
「警察はどうする?」
アレクが、被害届を出すのかどうかを聞いてきた。
「一応出しておくわ。まぁ、無駄でしょうけどね」
スラム街とも言えるような場所が存在する町で、盗られた物が帰ってくるとは思えない。それに、ドーリングライセンスカードは奇跡的に無事だったのだ。それだけでも感謝しないといけない。財布に一緒に入れてなくて本当に良かったと、不謹慎ながらも、リィルは久しぶりに安堵のため息を付いた。
そのため息を待っていたかのように、治療室の扉が開いた。中からは、少女の治療を担当していた医師が現れ、リィルとアレクの姿を確認すると、口を開いた。
「かなり危ないところでした。肺炎に栄養失調、それに脱水症状が重なって、あと半日も遅かったら、駄目だった所でしょう」
ほっとするリィル。いくら名前も知らない他人とはいえ、ここで死なれては心が痛む。
「とりあえず状態は落ちつきましたが、とりあえず今夜がヤマですね。はたして病気を乗り切るだけの体力があるかどうか‥‥‥」
そこまで言って医師は言葉を濁し、リィルとアレクの顔を交互に見た。
すでに医師には、この少女がリィル達とはまったくの赤の他人だと言うことは話してあったので、リィルは、この医師が何を言いたいのかを理解した。
「どうか、助けて上げて下さい。治療費は、私たちでなんとかしますので」
「そうですか」
その言葉を聞いて、医師は、どこかほっとしたような口調で言った。
「いや、我々としましても、もちろん一人でも多くの病人を救いたいというのが本当の気持ちなんですが、雇われている者の身としては‥‥‥」
医師の遠回しな言い訳を聞くつもりは、リィルにはまったく無かったので、その言葉は、リィルの耳をすり抜けていった。
病室の中で、名も知らぬ少女は、まるで何かにおびえているかのように、その瞳を閉じていた。
マッチメーカー。
アーマード・ナイトと呼ばれる巨大なロボットに乗り、定められたレギュレーションの範囲内で、強さを競い合うスポーツ。
マッチメーカーの事は通常ドーリングと言い、それに合わせて、アーマード・ナイトに乗るパイロットの事をドーラーと言う。
今や人気爆発のスポーツだが、スポーツとして認められ始めた当初は、本格的にやるにはお金がかかりすぎるという点が原因で、普及率は今一つ伸びなかった。怪我や死亡する率が、他のスポーツと比べてもかなり高かったというのも一因だろう。
だが、安価で安全にドーリングが体験できるシミュレーターが登場したおかげで、ドーリングはモータースポーツとしての地位を一気に確立させた。
ドーリングの大会を開催することで、町の財源を潤わせた町も多い。
ここ、工業で栄えた都市、レイングも、そんな町の一つだった。
レイングの町は、確かに活気にあふれていた。だが、その活気は、どこか表面的なものに感じられた。
昨日、リィルとアレクは、このレイングの町にたどり着いたばかりだった。三年半ぶりにドーラーとして復帰することを決意したリィルは、凍結されていたライセンスを再び取得し、近場でドーリングが盛んな所を捜した結果、この町にたどり着いた。
定住する所があると言うわけでもないし、いつも旅をしながら暮らしているようなものなので、結婚して子供までいるリィルとしても、フリーのドーラーと同じように各地を転戦できるというわけだった。一人息子のアスティが、小学校に上がるような年齢になるとまた違ってくるだろうが、それまでは、リィルとアレクはずっとこうして暮らしていくつもりだった。
今、リィルは一つのビルまでやってきていた。アレクには、アスティのお昼寝の相手をお願いしている。
ビルの自動扉をくぐると、そこはこざっぱりとした受け付けになっていた。だが予想に反して、あまり活気が感じられない。
(おかしいな、ここのはずだけど‥‥)
リィルが戸惑っていると、奥の方に座ってスポーツ新聞を読んでいた中年の男が、リィルに気付いて新聞から顔を上げた。
「おっ、トーナメントの申し込みかい?」
その言葉で、リィルはここが間違いなく《レイングシティ・マッチメーカー協会》の事務所だと言うことがわかった。
「今、昼休みなんだけど‥‥‥、ま、いいか」
新聞を置くと、男は受け付けテーブルまでやってきた。
「えーと、トーナメントの参加申し込みだよね?」
もう一度、確認するように男は聞いた。
「あ、はい。私が参加したいんですけど‥‥」
そのリィルの言葉に、受け付けの男は少し驚いたようだった。
普通は、ドーラーはチームに在籍するという形になっていて、どの大会に参加するかは、そのチームのオーナーが決めることが多い。だから、大会の申し込みも、オーナーが申し込みに来ることがほとんどで、ドーラーが自分で申し込みに来ることはほとんど無いからだ。
トーナメント参加希望者がリィルだと聞いてから、男は口調を変えて話し始めた。「やぁやぁ、良く来てくれたね。だが残念だが、まだレディーストーナメントの受け付けは始まっていないんだよ。対抗リーグの受け付けはもう終わってしまったから、今参加できるのは市営の定型大会だけだな」
どうやら、今申し込める大会は一つだけらしかった。リィルは別に、出る大会を選ぶつもりもなかったので、とりあえずの再デビューということで、素直に定型大会に出ることにした。
「それじゃ、その定型大会に参加申し込みお願いできますか?」
男は、また少し驚いた様子だった。リィルがレディーストーナメントに参加する物だと思いこんでいたらしい。
「あ、ああ、定型大会にエントリーだね」
「はい、よろしくお願いします」
どぎまぎしたように見える男の挙動が、なんとなくおかしくて、リィルはくすくすと笑ってしまった。
「えーと、それじゃ、ライセンス見せてもらえるかな?」
リィルはライセンスカードを、はいと言って差し出した。それを見ると、男は照れながら言った。
「リィルさんだね。いや、初めて見る顔だから、てっきり新人さんかと思ってね」
ライセンスには、リィルがドーラー登録した年が刻まれている。リィルがドーラーになったのは、今から四年半ほど前だ。それを見て、男は理解したのだろう。
男は、参加受け付けの書類にペンを走らせながら、リィルに向かって世間話を始めた。
「ここの定型大会はあんまり女性ドーラーは多くないんだけど、今は強いドーラー達がみんな対抗リーグに参加してるから、けっこうチャンスだよ」
話の内容からは、男はまだリィルが新人同然と思っているふしがあるが、それも気を使ってくれているのだと思うと、リィルには嬉しかった。
「それじゃ、こことここ、必要事項書いてもらえるかな」
言われるがままに、書類にペンを走らせるリィル。そして、買ったばかりの財布を取り出し、参加費を支払う。参加費と言っても、最初にキャンセル違約金だけ払っておくようなもので、微々たる額だ。ちゃんと参加すれば、違う名前でそのお金は帰ってくる。
リィルが書いている書類を見て、男が口を開いた。
「どこのチームに所属してるかも書いてくれるかな」
書類の所属チーム覧は、空白のままだった。これが、リィルがどこかのチームの所属しているわけではなく、リィル自身がオーナーでありドーラーである事を指しているのに男が気付くまで、数秒を要した。まさか、リィルがオーナードーラーだとは思わなかったのだろう。
なんとか無事参加申し込みが終了して、何かリィルは一つの扉をくぐったような気になった。そこで、リィルは帰ろうとした足を戻して、男に訊ねた。
「今日、どこかで大会って開かれてますか?」
「ああ、それなら‥‥」
このあたりの強者が何人も参加しているという対抗リーグが、今日も開かれていることを男から聞き出すと、その場所の住所を書き留めて、リィルはビルから表に出た。
「大会、がんばってな」
男の、おそらくは誰にでも投げかけるのであろう声援が、リィルにはひさしぶりの、そしてとても心地の良い物に感じた。
外に出ると、もう太陽が西の空に沈みかけていた。
夕焼けが、いつもよりもやけにまぶしいような気がした。
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