4.

 廃ビルは、一昨日と全く変わった様子無く、今にも崩れそうな雰囲気でそびえたっていた。
 リィルは辺りの様子をうかがうと、何も変わってないことを確認した。それから、ゆっくりとビルの中へ入っていった。
 懐には、護身の為にまた銃がしまってある。内ポケットのふくらみを服の上から確認すると、リィルは階段を上り始めた。ゆっくりと、だが寄り道すること無く、少女が寝ていた部屋のあった階まで上がる。
 今日になって初めて気が付いたが、この階はどうやら役員用フロアーとかだったらしい。すでにボロボロになってはいるが、床には一面に絨毯が敷かれているし、壁には絵の入っていない額縁がぶらさがっていた。額縁は質素な物だったが、その分飾ってあった絵が素晴らしかったのだろう。
「さて‥‥と」
 リィルは自分が緊張しているのを自覚しながら、まず少女が寝ていた部屋の扉を開けようとした。
 バタンッ!
「きゃぁっ!」
 思わず悲鳴を上げるリィル。開けたとたん、小柄な影がリィルに体当たりをしてきたのだった。
 確かめもせずに、うかつなドアの開け方をしたのを後悔する暇もなく、受け身も取れずに吹き飛ばされるリィル。懐で右手に握られていた銃が、その手を放れて転がる。リィルに体当たりをしてきた影は、転がる銃を見て、とっさに手を伸ばす。銃を取られてはいけないと、リィルも手を伸ばす。だが、その手は虚しく宙をきった。
 膝を突いているリィルに向かって、拾ったばかりの銃をかまえたのは、まだ表情に幼さが残っている少年だった。
「ニ、ニーナを返せ!」
 少年は両手で銃をかまえると、全身を震わせながらリィルに向かってそう叫んだ。
「ちょっ、ちょっとまっ‥‥」
 パンッ、という重い音が、リィルの言葉をさえぎった。少年の指によって、引き金が引かれていた。
 麻酔弾は、リィルの脇をかすめて廊下の壁に穴を開けた。衝撃で、天井からパラパラと粉が降ってきた。
「ニーナを、ニーナを返せ!」
 少年の目には、なぜだろう、涙が浮かんでいた。
 リィルは考えた。が、銃を奪われた以上、どうしようもないとすぐに思った。話が出来れば、誤解を解くこともできるだろう。だが、目の前の少年の目は血走っており、とても話が出来る状態には見えなかった。
 リィルは両手をあげてバンザイをすると、あきらめたように言った。
「わかったわよ。それで、どうすればいいの? お金?」
 パンッ
 弾が今度は、リィルの右脇腹をかすめる。少し肉がえぐり取られた感じがして、血が吹き出す。反射的に、左手で撃たれた場所を押さえる。
「何度言わせるんだ! ニーナを返してくれっ!」
 ニーナ? 撃たれた痛みがリィルの思考を邪魔するが、そんな名前にリィルは覚えがなかった。
「わかったわ、返すから、もう撃たないで‥‥」
 じわじわと、しかし確実に襲ってくる痛みに耐えながら、リィルはそう答えた。ニーナという名前に覚えはないが、一つだけ可能性がある。
「彼女、ニーナなら、今は病院にいるわ‥‥」
 リィルは、おそらくこの部屋で寝ていた少女が、この少年が言うニーナだろうと思っていた。だから、本当のことを言うのにためらいはなかった。ためらっている場合でもなかった。
「びょ‥‥病院!」
 少年は、心底怯えた表情を見せながら、再び叫ぶようにリィルに訊ねた。
「ニーナは、ニーナは大丈夫なのか?」
 こういう返事が返ってくると言うことは、おそらく少女が高熱を出して寝込んでいたのを知っているのだろう。そして、やはりニーナとはこの部屋で寝ていた少女のことだろう。リィルは、痛みでぼーっとしてきた頭で考えていた。
 リィルがぼーっとしているのを見て、少年の目の色が少し変わった。少年は、さっきまでとは少し変わった口調で、リィルに話しかけた。
「おい、大丈夫か? おい!」
「‥‥あ、あんまし大丈夫じゃないけど、大丈夫」
 苦笑いをしながら答えるリィル。
「それより、ニーナちゃんの所‥‥行くでしょ?」
 口調が弱い。だいぶ参っている様子だ。立ち上がろうとするが、うまく足に力が入らない。
 そんな姿を見て、少年はまだ銃を持ちながらも、リィルが立ち上がるのに肩を貸してあげた。
「あ、ありがと‥‥」
 リィルはやっとの思いで立ち上がると、少年の方を見た。少年もリィルを見ていたので、瞬間目があった。少年は、すぐにそっぽを向いてしまった。
 リィルはふらつく足どりで、階段へと向かった。
「‥‥」
 少年は、黙ってずっと肩を貸していた。


 はぁ、はぁ、はぁ
 聞こえるのは、リィルの息づかいと、階段を下りる二人分の足音だけだった。
 少年はずっと黙ったままだったので、リィルは沈黙を破ろうと思い、痛みをこらえながら、口を開いた。
「あなた、お名前は?」
「‥‥‥イオ」
 数秒間の沈黙の後、少年から返事が返ってきた。
「イオ君‥‥‥いい名前ね。ニーナちゃんは、妹?」
 少し時間をおいて、こくんと頷くイオ。表情は変わらないままだ。
 リィルはそれ以上話題を失ってしまい、イオは変わらず黙ったままだった。
 二人は二人して黙ったまま、やっとの思いでビルの外に出た。
「大通りに行って、タクシー、拾いましょ」
 リィルの言葉に、こくんと頷くイオ。リィルが撃たれて元気を失ってから、イオの覇気も失われてしまったようだ。
 通りまで出ると、ちょうどタクシーが信号で止まっているところだった。
「イオ君、その銃‥‥」
 リィルは、イオがまだ手に持っているリィルの銃を見ながらそう言った。イオの右手には、まるでくっついているかのように、銃が握られたままだった。これでは、タクシーが止まってくれるとは思えない。
 少し考えた様子を見せてから、イオは銃をリィルにわたした。リィルはそれを受け取ると、そのまま懐にしまった。
「‥‥‥」
 無言でタクシーに手をあげるリィル。大声を出すのはもう辛そうだ。
 それに答えたのか、タクシーはすーっとリィルとイオの前に停まると、無言でドアをあけた。
「すいません、中央病院まで、お願い、します」
 痛みに耐えながら、とぎれとぎれに言うリィル。
「お客さん、どうしたんですか?」
 リィルの血に染まった脇に目が行ったのだろう。運転手は、驚いた様子で聞いてきた。
「これは、たいしたことないの。それより、中央病院‥‥」
「わかりましたけど、‥‥‥シート汚さないで下さいよ」
 運転手は、イオのボロ布のような身なりににも文句を言いたそうだったが、しぶしぶ車をスタートさせた。
 リィルは、病院に着くまでの間、自分が意識を失わないようにするので精一杯だった。運転手が、病院に行くのは、リィルが怪我をしているからだと思いこんでいるのは、間違いでも何でもなかっただろう。


「‥‥すごい血」
 さっきまでの興奮状態が嘘のように治まっているイオは、リィルの状態を見て、思わずそうつぶやいた。
 リィルが傷口を押さえている左手は、すでに血でべっとりになっていた。ハンカチで押さえてはいるのだが、すでに何の役にも立っていないに等しい。
「イオ君、‥‥病院に付いたら、すぐに、ニーナちゃんに、会わせてあげるからね。待っててね」
 リィルは精いっぱいの笑顔をしながら、それでもなお苦しそうにそう言うと、再び苦痛の表情に戻った。
 そんなリィルを見て、イオには返事を返すことができなかった。
「お客さん、中央病院、もう付くよ」
 タクシーの運転手が、不安そうにそう言った。
 リィルは空いている右手でバッグを持つと、それをイオに渡した。
「この中から、お財布、出して」
 言われたままに、鞄の中から財布を取り出すイオ。
 タクシーが、病院の正面玄関の前に滑り込み、ドアが自動で開く。
「おいくらですか?」
 運転手が、メーターに表示された額を言ってくる。
「イオ君、払ってくれる」
 イオは一瞬躊躇したようだったが、財布を開けると料金を取り出して、それを運転手に手渡した。
 ゆっくりとした動作でタクシーから降りるリィル。血の付いた場所がタクシー内に付かないように注意していたので、どうしてもゆっくりになってしまう。続いて、イオも降りる。
「こっちよ」
 リィルは依然、右脇の下を押さえながらも、イオの助け無しに歩き始めた。さっきよりも元気になったように見える。だが、顔色だけは悪くなっているようだ。これだけ血が出ているのだから、仕方のないことだろう。
 リィルは途中、一言も喋らなかった。イオもだまってついていった。
 廊下を歩いたり、階段を昇ったり降りたりしている内に、イオはもう現在位置がわからなくなってしまった。理由は同じ様な場所を何度も通ったからだが、それは病院という特殊な場所である以上、しかたのないことだろう。
 やっとリィルが立ち止まると、そこには他と同じような扉があった。ただ一点だけ、違う点があった。そのドアには、面会謝絶と書かれた看板がぶら下がっていたのだ。
 「ここ」
 リィルはイオの方を見ずにそれだけ言うと、自由な右手でドアを開けた。
 待ちきれないように中に入ったイオが見たものは、ベッドで横になっている、ニーナの姿だった。
「ニーナ!」
 イオはベッドへ駆け寄った。ニーナと何度も呼びながら、彼女の身体を揺すったりした。
(良かった‥‥)
 リィルは、ほっとしたように、病室の壁によりかかった。
 意識が、すうっと闇の中にすいこまれていった。


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