5.

 白いだけの部屋の中に、アスティが向こうを向いて独りで座り込んでいた。
「アスティ、どうしたの?」
 リィルは、アスティのもとへと行こうとした。だが、気持ちばかりが前に出て、アスティにはまったく近づけなかった。
 リィルが見えているのか、見えていないのか、アスティは立ち上がり、リィルの方を振り返った。
 顔だけが変わっていた。もう一人のアスティに。
「‥‥リィル」
 その新たなアスティは、寂しそうな感じでそれだけ言った。
「ア、アスティ‥‥君‥‥」
 リィルは思い出した。自分の息子のアスティの名前の由来を。幸せな時の中に埋もれていった、哀しい少年の記憶を。
 いつのまにか、全身がもう一人のアスティに変わっている。アスティはパイロットスーツに身を包み、誰もいないスタジアムの真ん中で、寂しそうに立っていた。
「ごめんね、アスティ君」
 リィルの口からは、反射的に謝罪の言葉が飛び出した。目からは、涙がぼろぼろとこぼれだしていた。
「でも、私はあの時、もうあの場所にはいられなかったの。アスティ君がいたあの場所に、もういられなかったの」
 アスティは、黙ってリィルの方を見ていた。
「でも‥‥‥、でも、今からは、もう、アスティ君の側から、離れない。もう寂しくなんかないよ。ずっと、いっしょに‥‥」
 リィルはアスティを抱きしめようとした。だが、その手は宙をきった。
「リィル‥‥‥、僕は、寂しくなんかないよ。なぜなら、僕は、貴方といっしょにいるんだから‥‥‥」
 アスティがにこりと微笑むと、その姿を光が覆い隠した。その光は、リィルをも覆いつくした。
「リィルさん」
「リィル」
「リィル・ウェルナー!」
 いつのまにか、周りには見知った顔が何人もいた。今いたアスティもいるし、夫のアレクに息子のアスティ、それに、昔いっしょに闘った仲間達が、リィルの名前を呼んでいた。
「みんな‥‥‥」
 リィルは、過去が現実だった事を思い出した。
 夢の世界が、過去へと移っていった。


「リィル!」
 視界はやけに白かった。ぼやっとしていて、目の前に何があるのかはわからない。
 あったかい布団の中が気持ちいい。いつまでもこうしていたい。
 次第に視界がはっきりとしてくる。そこには、リィルをのぞき込む顔があった。
「アレク?‥‥‥あ、おはよ」
 覗き込まれているのにびっくりして、リィルは慌てて起きようとした。が、思ったように体が動いてくれない。
「おはようじゃないよ、まったく‥‥‥」
 アレクはあきれたように、起きようとしているリィルの頭を押さえつけると、再びベッドに寝かしつけた。
 何が何だか理解できないリィル。
「これからは、勝手に病院で意識不明なんかにならないでくれよ」
 その言葉が引き金となって、リィルの失われていた記憶が、流れる水のように思い出されてきた。
「そうだっ‥‥‥っててて」
 勢い込んで起きあがろうとしたが、右脇の下の痛みが、その動きをさえぎった。イオに撃たれた場所だった。すでに治療してあるらしく、包帯が巻いてあるのがわかった。だが、傷は一生残るだろう事は予想できた。
「まだ、無理するなよ」
 アレクは、やさしく声をかけた。その言葉に甘えて、リィルは無理して起きあがらず、寝たまま話すことにした。
「あのさ、いっしょに、男の子いなかった?」
「そこで寝てる奴か?」
 アレクが指差した先では、イオが椅子に座って寝息を立てていた。リィルは何故かほっとすると、再びアレクの方へ顔を向けた。
「とりあえず医者には親戚の子供だって言ってあるけど、説明してもらおうか?」
 リィルはアレクの寛大な処置に感謝すると、今までの出来事を、順を置いてゆっくりと説明していった。少年の名がイオであること。意識不明の少女の名がニーナであること。イオとニーナが兄妹であること。廃ビルでイオに出会い、銃を奪われて撃たれたこと。それらすべてを、つつみかくさずに。
 リィルはすべてを話した後、一つだけつけ加えた。
「イオ君は、多分悪い子じゃない。だから、私を撃ってしまったのも、きっと妹を思いやる気持ちが出すぎてしまっただけだと思うの。だから、‥‥‥この事は、黙っていて。お願い」
「‥‥‥わかった」
 アレクは、複雑そうな表情をしながらも、そう答えた。
「だけど、もしそうじゃなかったときは‥‥‥俺を、止めるなよ」
 アレクの表情からは、冗談は微塵も感じられなかった。
 その言葉が、アレクのやさしさの現れだったことにリィルは気付くと、横になったまま、そっとアレクの手を握った。
「‥‥‥‥リィルに手を出す奴は‥」
 アレクは、寝たままのリィルにおおいかぶさるように、唇を近づける。
「俺が、許さない‥‥‥」
 いつのまにか少年の寝息が聞こえなくなっていたのに、リィルとアレクが気付くはずもなかった。


 リィルが再び目覚めた時、時間はすでに正午を回っていた。
 部屋には、アレクと、アレクに抱き抱えられているアスティ。そして、隣のベッドでは、ニーナが寝ており、その横にはイオが座っていた。
「リィル、やっと起きたか」
 もう目が覚めないのではないかと思ったのだろうか、アレクはほっとしたようにそう言うと、備え付けのマイクで、医師にリィルが目覚めたことを伝えた。
 リィルがイオにどう話しかけようか迷っているうちに、医師が看護婦を引き連れてやってきたので、とりあえずは診察を受けることにした。。
「痛みはどうですか?」
 触診を終えて、カルテを書き込みながら、医師がリィルに訊ねた。
 どこが痛むかと聞かれたわけではないが、右脇の傷のことだと思い、リィルは答えた。
「大丈夫です」
 少し痛みはするが、我慢できないほどではない。
 しかし医師は、そんなリィルを咎めるように言った。
「大丈夫とか大丈夫じゃないとかじゃなくて、痛むのかな?」
「あ、すいません。少し痛みます」
 恐縮したように言うリィル。だが、医師が傷のことを訊ねたときに、イオの表情が一瞬翳ったことには気が付いた。やはり、責任は感じているのだろう。
「‥‥‥ま、大丈夫でしょう。傷は派手だったが、少しかすった程度だし、明日にでも退院できますよ。ただし、激しい運動はしばらく控えてもらうことになりますがね」
 傷が、それほどひどいものでは無いという事で、ほっとするリィル。
 ひととおりの検査が終わった後、医師は入ってきた時と同じように、看護婦を連れて病室を出ていった。
 病室にはまた、リィル達だけが残された。


 ぎこちない空気が部屋を満たしていた。
 イオがじっと下を向いて黙っているのを見て、リィルはさりげなく口を開いた。
「ニーナちゃん‥‥‥だっけ? まだ意識は戻らないの?」
 アレクに聞いたとも、イオに聞いたとも取れる、リィルの聞き方だった。
 その瞬間、イオの表情がさらに翳った。
「おっと、言ってなかったか」
 アレクは思い出したように言った。
「あの女の子、意識は昨日戻ったんだが‥‥」
 隣のベッドをちらと見るアレク。そこにはニーナが横になって寝ている。
「なんか、記憶喪失らしい」
「記憶喪失?」
 思わず聞き返すリィル。
「ああ、記憶がまるで無いみたいなんだ。ほら、見つけたときひどい熱だったろ、あれが原因らしい」
 確かに、ニーナを見つけたとき、彼女はひどい熱だった。それきり、意識が戻らなかったのだ。
「それ以外は、もう大丈夫だそうだ。記憶喪失の方も、きっかけさえあれば戻るだろうって、医者は言ってたけどな」
 アレクが話している間、イオはじっとニーナの事を見つめていた。
 この調子では、イオはおそらくアレクとほとんど口を聞いていないのだろう。リィルはイオと二人きりで話そうと思い、アレクとイオに視線を交互に動かした。アレクはそれを察して、眠っているアスティを抱いたまま丸椅子から立ち上がった。
「ジュースでも買ってくる」
 アレクが病室から出ていくのを見計らって、リィルはイオに声をかけた。
「‥‥‥イオ君」
 その後なんと言葉を繋げたらいいかとリィルが迷っていると、イオの方から話しかけてきた。
「あの‥‥、ごめんなさい」
 思いがけないイオの言葉に、返事が思いつかないリィル。
 そんなリィルにはおかまいなしに、イオは言葉を続けた。
「俺、あの時、ニーナの事で頭がいっぱいになっちゃって、それで、つい‥‥‥」
 イオは、リィルを撃ってしまったことを謝っているのだろう。リィルはそれに気が付いて、イオをなだめるように言った。
「いいのよ、この程度の怪我ですんだし、誤解も解けたみたいだし‥‥、解けたんだよね?」
 とぼけたようにリィルが問うと、イオは少し笑顔を見せて、うんと頷いた。だが、その笑顔は、どこか愛想笑いのようにも感じられた。
「ところでさ、ちょっと聞いてもいいかな?」
 二人の間の空気が少し和んだところで、リィルは本題を切り出そうとした。すなわち、イオとニーナをこれからどうするかだ。
 イオはゆっくりと頷いた。その表情からは、すでに笑顔は消えていた。
「イオ君とニーナちゃんって、兄妹だったよね。それで、ご両親は?」
 リィルは、聞いてはいけない事かな? と思いつつも、いつかは聞かなければならないことなので、思い切って聞いてみた。
 イオは思い詰めたような表情をしていたが、ゆっくりと口を開いた。
「父ちゃんは一年前に死んだ。母ちゃんは、ずっと前に死んだって、父ちゃんが言ってた」
 リィルの予想通りだった。あんな廃ビルで寝ていたのだから、両親がいないであろう事は、十分予想は出来たことだった。
「それじゃあ、親戚の人とかは?」
 あまり期待できないなと思いつつも、リィルは聞いてみたが、すぐに後悔することになった。
 イオはその質問に、黙って首を振った。
「お父さん死んでから、それからずっと二人で生きてきたんだ‥‥‥」
 見た所、十歳前後のこの兄妹が、父親が亡くなってからの一年間を二人だけで生きてきたんだと考えると、リィルは急に感傷的になった。
 リィルは、すぐこの場で結論を出してしまおうかとも思ったのだが、その前にもう一つだけ聞いてみた。
「それで‥‥、これから、どうするつもりなの?」
 イオから返事がなければ、リィルはすぐにいっしょに暮らそうと言うつもりだったのだが、以外にもイオからはすぐに返事が返ってきた。
「本当は、ニーナの意識が戻ったらすぐに出ていこうと思ってたんだけど‥‥」
 イオはそこで言葉を詰まらせた。ニーナが記憶喪失になってしまっている以上、イオにはそうすることはできなかったのだろう。
「わかった。とりあえず、ニーナちゃんの記憶が戻るまで、私たちといっしょにいるといいわ」
 リィルはイオの言葉を引き継いで、にっこりと笑ってそう言った。
「もう、食べる物や寝る場所の心配は、しなくていいからね」
 リィルの、何の含みも持たない、親切心からだけの言葉だった。だが、その一言はイオを激しく傷つける事になった。
「俺‥‥、乞食じゃないです」
 イオの口調が、さっきよりも強いものに変わっていた。
「あ、もちろんそんなつもりじゃなくて‥‥」
 思いもよらなかったイオの答えに、あわてて弁明しようとするリィル。
 だが、イオはさらにリィルの言葉を遮って言った。
「俺、ニーナと俺の二人分くらいは稼げます。お金は、ちゃんと払います」
 リィル何か言おうとしたが、哀れみが見下しと同義語なのに気付かされて、それ以上の弁明はできなかった。
 イオも、そこまで一気に言って、自分が少し興奮したのに気付いたようだった。
「‥‥お金稼いでるって、アルバイトか何か?」
 気まずい雰囲気になりかけたので、リィルは場を取り繕おうと思って、そう聞いた。
「ううん、ドーリングして、お金貰ってるんだ」
 イオは首を振りながら答えた。
「ドーリング?!」
 リィルには聞き慣れた言葉が、イオの口から発せられる。その瞬間、あのアンダーバトルがフラッシュバックした。
「君、あの時の全身黒のアーマード・ナイトに乗ってた子! アイアンポールで闘ってた‥‥‥」
 リィルが帰り際にちらとみた、インタビューに応えていた少年。しっかりと見たわけではないが、イオそっくりだったような気もする。
「あれ? 一昨日の試合だけど‥‥見てたんだ」
 イオは、別に見られたことについては、なんともなさそうに言った。
「やっぱり! あなた、アンダーバトルなんかに参加していたのね」
 なんか、の所に力が入る。リィルにとってアンダーバトルは、死亡率の非常に高いデスマッチで行われていると言うだけで、嫌悪の対象だからだ。
「イオ君‥‥‥あなた、アンダーバトルになんか参加しちゃ駄目よ」
 リィルは、イオの目を見ながらそう言った。
「それは、駄目だよ」
 イオの返事はすぐ帰ってきた。その返事には、迷いは感じられなかった。
「あ、ドーラーをやめろとは言わないわ。ほら、協会が主催している大会の方に参加すればいいじゃない」
 リィルは、イオはアンダーバトルをやめてしまうと、自分でお金を稼ぐことが出来なくなってしまうから、だからアンダーバトルをやめたくないのだと思い、代案を持ちかけた。リィルにとっては、そうする事がさも当たり前のような言い方だった。
「‥‥‥無理だよ」
 だが、イオの返事は、あきれるほどにそっけなかった。
 実際、《レイングシティ・マッチメーカー協会》は極端にアンダーバトル経験者を嫌う。ある時期は、アンダーバトル経験者は絶対に協会のトーナメントには参加できなかったこともあった。今はそこまでひどくはないが、それでもアンダーバトル経験者が嫌われていることに変わりはない。
 もちろんそんなことは知らないリィルは、イオのそっけない返事にも負けず、言葉を続けた。
「大丈夫よ。イオ君は、何て言うチームに所属してるの?」
 リィルは、そのチームのオーナーの直接交渉するつもりだった。
「‥‥‥チーム・ラシュカ」
「チーム・ラシュカね。それじゃあ、さっそく明日退院したら、私と一緒に行こう」
 アンダーバトルは、チームに所属していなくても個人で参加できるが、協会主催の大会は、必ずチームに所属している必要がある。自分でチームを持っていれば参加は可能だが、イオの年齢ではまだ無理だ。リィルがオーナーのかわりになるのは簡単だが、リィルはこのレイングの街に長く滞在するつもりはないので、イオのオーナーになってくれる人を捜さなければならない。
 イオは、しばらく考えたように見えた後、小さくこくんと頷いた。
「‥‥明日、晴れるといいね」
 リィルの考えは、早くも明日のことに向かっていた。
 イオは、ずっと黙ったまま、何かを考えているようだった。 その夜、リィルは誰かの話し声で目が覚めたような気がした。
 隣のベッドから聞こえてくるような気もしたが、それが夢だったのか現実だったのか、目が覚めたときには、そんなことがあったということさえ忘れていた。


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