息子の成長、母の決意

 

「うそぉ!あった!ミラクルー!!」2時ちょうど壇上の真紅の幕が真ん中からスルスルと開き合格者番号の書かれたボードが現れた。次の瞬間、視力2.0を誇る私の視線の先には息子の受験番号が輝いていた。

この日、私は発表会場である同志社香里の礼拝堂にいた。元々当たって砕けろ受験であったため発表待たずしてなんと言って励ませばいいのか、なんと声を掛ければいいのか、その日行われている第2志望校の試験への心配そっちのけで1日中慰めの言葉ばかりを考えていた。精神状態が悪いと体調も悪くなるようでひどい頭痛がしていた。前日のテスト開始前にこの同じ礼拝堂に集合したのが遠いことのようだ。息子は叔母から送られた湯島天神のお守りと共に木本先生から頂いた愛溢れるメッセージカード、同志枚方校6Aの集合写真を大事にリュックに入れていた。これから受験に向かう能開生へと村上先生がお祈りをして下さった。私も一緒に目を閉じて祈った。すると天から一筋の暖かい光が息子の頭上を照らしているのがはっきりとイメージとして浮かんだのだ。おおっこれは神の啓示に違いない!しかし息子は試験の結果を一言「ん〜ビミョウ」と、母の痛い妄想を打ち消すには充分すぎる現実の声だった。キミのビミョウはアカンこと多いもんな。発表の時間が迫ってくると、なぜか不思議と落ち着きを取り戻すことができた。今日この日をここで迎えられたことだけで満足やね、と夫ととても穏やかな気持ちになった。そして、歓喜と驚きの結果。目の前の快挙を奇跡としか思えなかったが、続く第2第3志望校が予想より上のクラスで合格頂いたことによって奇跡ではなかったことが証明された。努力が実を結んだのである。こうなればサッカーを最後まで辞めきれず、ズルズル続けていたのも結果オーライだ。

5年生の冬、突然地元の公立中学へ行きたくないと息子が言い出したことから中学受験はスタートした。実に遅いスタートである。情報収集もせずあまたある塾の中から、たまたま通りがかった能開でお世話になったのは縁という他ならない。それまで毎日よく遊び夜9時には寝るという磯野カツオ型小学生だった息子の2月入会最初の模試偏差値はなんと28!入塾後3週間は親子共に辛い日々だった。塾通いへ慣れる事、膨大な宿題をこなす事、そして夜起きている生活の変化への適応は相当な努力が必要だった。息子は毎晩のようにシンデレラタイムになると涙をポロポロこぼしながらわからない算数のテキストとにらめっこ。スタートの大幅な遅れやハードな塾を選んでしまったことへの後悔などから、中学受験を諦めるよう息子に話すが泣きながらも「ゼッタイ辞めへん」という。息子の意思の強さに驚かされた。その後徐々に慣れてくると、勉強することの大変さよりも知ることの楽しさがわかったようで生き生きと能開へ通った。能開通いで元々好きだった読書の時間がなくなると下校は二宮金次郎スタイルとなった。読む本も少年ミステリーから星新一へ、さらに文学歴史物へレベルアップしていったのは能開の授業で読解力がついたお陰だ。特に日本史にハマったのは能開のお友達の影響が1番大きい。「寝ても覚めても戦国武将生活」は父親の本棚からこっそり便覧や辞典を持ち出すほど深い知識を欲するようになっていった。夏以降は本も読まず走って学校から帰ってくるようになった。一刻も早く能開へ行くためだ。入塾から10ヶ月間、成績は徐々に上がっていったものの第1志望校はいつもF判定。力不足。現実に受験校を考える秋頃、説明会での印象の良かった学校を第1志望に変更することにしたのも当然の成りゆきだった。そして追い込みの冬講を迎えた。ところが受験校を決める最終の懇談で当初の第1志望校を受験したいと息子が言い出した。過去問題で合格最低点をクリアできたからと。たった1回のクリア。大人の常識的感想は二の次。本人の受験である。どんな結果になろうとも本人の納得する形がベストだと考え受験校の変更をした。それから受験までの約4週間、追い込みの追い込み、よくがんばった。そして執念の合格。まさにImpossible is Nothing!

入学が決定した後、親子で色んな話をした。この1年の楽しかったこと辛かったこと。息子のみならず私も一緒にがんばったつもりでいたので、喜びも苦しみも息子同様に理解していると思っていた。しかし実はそうではなかった。愕然とした。第1志望にこだわる息子に私はいつも第2第3志望校の良いところを吹き込んでいた。それはただダメだった場合のダメージを最小限に抑えようという親心によるものだ。しかし本人は第1志望校を反対され強引に第2志望校を勧められていると取っていたらしい。全く違う。普段は明るくおしゃべりな息子も心の全てを見せてくれてはいなかったということが悲しかった。息子のことは世界で1番理解している完全に分かり合えていると思い込んでいた自分が情けなく寂しくて、その後かなり落ち込んだ。息子がもはや腕の中にいる赤ちゃんではないということ。実際、足のサイズは息子の方が大きくなり身長が抜かされるのも時間の問題だ。個を確立していくは当たり前の成長過程であるが、親として子供の成長は嬉しくもまた寂しいものである。そういう意味でも能開での日々は顔つきの変化が逞しく眩しかった。

私は子供が生まれる前は女の子が欲しかった。大阪の男の子は将来絶対にオカンと言うからだ。しかし両方育ててみれば男の子も可愛げがあっていいものだ。今までは勉強や世の中のことなど息子に問われるも適当に答えられていたが(上手に誤魔化すこともあったかな)これから先どんどん進んでいく息子に付き合っていける自信は正直無い。しかし負けたくはない。私の腕から抜けていったヤツに負けるわけにはいかないのである。失恋した相手を見返してやりたいと思う気持ちと同じかもしれない。違うのはいつまでも最愛であることか。息子にはせっかく学ぶことの楽しさを知ったのだから、できれば豊かな環境の中で学問とはなんぞやというところまで極めて欲しい。スポーツをしっかりして強靭な心と身体を育てて欲しい。社会に貢献できる立派な大人になって欲しい。そして幸せを感じ取れる人間になって欲しい。母の願いは尽きないが1番の願いは健康であること。そんな息子に負けないよう私もどんどんバージョンアップしていかねばならない。いつまでも育児は育自。「オカン最強や」と言われるために。

 

末筆ながら最後まで支えご指導下さいました先生方、スタッフの皆さん、お世話になりありがとうございました。「能開楽しい」「勉強が楽しい」息子の言葉に感動しました。特に担任の木本先生には学習指導だけでなく自習の大切さを教えていただきました。木本先生が作って下さった白紙自習ノート(通称Kノート)をしっかりやったことが合格につながったと息子が申しております。改めて御礼申し上げます。能開センターの益々のご発展をお祈り申し上げます。