ゾマホンの国 ベナン共和国へ来てしまった。


ミイラとりがミイラになって・・・

2003年8月まで 某日本語教師養成学校に勤務し、ゾマホン氏のベナン共和国での最初の日本語学校に 日本語教師を送り出すことを 仕事としていたのだが。  事の成り行きで 私自身が その西アフリカにあるベナン共和国に行くことになってしまった。
 
8月末で その学校を退職し、 フィリピンへ移住するための準備などを進めることとしていたが、 8月に最初の日本人日本語教師として送り出した女性が 健康上の理由で 9月末に急遽 帰国してしまった。

ゾマホン氏の 母国を日本との交流の中で発展させたいとの思い、 特に農村部での初等教育の展開、 井戸掘りによる健康の確保、 日本語教育を端緒とする技術教育の導入などに 共感を覚え、 フィリピンへの移住を1年間延期することを決めてしまった。

2003年10月26日 成田から ベナンへ

10月26日に成田空港を飛び立ち、 香港経由、パリ経由の ベナンはコトヌー空港へ 丸24時間以上の飛行となった。

初めてのヨーロッパは パリ・シャルルドゴール空港でのトランジット数時間のみ。
真南に北緯5度あたりまで 南下するものの、アフリカの大地は 雲か霞に閉ざされていた。

コトヌー空港では、 ゾマホン氏の手配で 国賓級のVIP扱いとなり、 通常の入国・税関のゲートをくぐることなく、 貴賓室を通っての楽々入国であった。

日本語教育を開始

11月5日、 ベナン入りしてほぼ1週間。  これまでに 3泊4日で ベナン北部を車で駆けずり回り、 ゾマホン氏が建設した たけし小学校、江戸小学校、明治小学校と 井戸を掘った農村集落などを訪問した。

現地の様子などは ゾマホン氏のオフィシャル・ホームページでご覧いただるよう 写真も日本へ送りました。

本日5日は 初めての日本語教育。  ひらがな文字が書かれた絵カードを使った カルタ取りに 異常なまでの熱気で競争心丸出し。 特に女性同士のカードの取り合いで カードはふにゃふにゃになる始末。
学習者は ベナン政府外務省の役人から 運転手や農民まで様々。
日曜日のクラスには 大統領の令嬢までが参加すると言う。
しかし、堅苦しいこともなく、 やんややんやの大騒ぎで 授業は進むのだ。


 




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