日本史年号の覚え方 BY H.H
語呂合わせによる覚え方ですが、4桁または3桁の年号の場合下3桁または2桁による覚え方も紹介しています。ほぼ同時期の世界の動きを理解してもらうため数は少ないですが、世界史の年号も入れています。2つ以上の覚え方のものもありますので、自分で覚えやすい方を使ってください。また、自分で改造するのもいいでしょう。単に数字を覚えるのではなく説明もしっかり読んでください。この種のものは出版するほどでもないし、かといって授業で全部しゃべれるほど授業時間に余裕がないので作ってみました。10個のうち1つでもこれはいいというのがあればもうけものというつもりでやってみてください。
| 年代 | 出来事 | 覚え方 | 説明 |
| 57年 | 倭の奴国が遣使 | ●御難続きの後漢に朝貢 ●こんな立派な金印ありがとう ●後漢書の奴国 ●行こうよ奴国 |
出典は「後漢書」東夷伝。日本史で最初の年号。中国の年号では建武中元2年(57年)。後漢の光武帝は「漢委奴国王」印を授与。この金印は江戸時代に福岡県の志賀島で発券された。 |
| 107年 | 倭の王帥升、生口160人を献上 | ●一礼なしで生口献上 ●異例な生口160人献上 |
永初元年(107年)。生口とは奴隷のことと考えられる。 |
| 239年 | 邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る | ●文ください卑弥呼まで ●文くる卑弥呼 ●不作が続いた卑弥呼の時代 ●兄さん、臭い ●ふみこじゃないよ。ひみこです。 ●銅鏡を2,3枚ください |
239年は景初2年。卑弥呼は朝鮮半島の帯方郡を通じて魏に朝貢。「親魏倭王」の称号や銅鏡を授かる。 |
| 266年 | 壱与が晋に使いを送る | ●FROM壱与 | 邪馬台国は卑弥呼の死後、男王がたったが治まらず卑弥呼一族の女性の壱与が王となった。 |
| 391年 | 好太王の碑文(広開土王碑) | ●作為はなかった好太王碑(広開土王碑) | 好太王の碑文は高句麗の王、好太王(広開土王)の業績をたたえたもの。子の長寿王が建立。倭(日本)が高句麗と交戦したことが記されている。現在は中国の吉林省に建っている。 |
| 478年 | 倭王武が南朝の宋に上表文を送る | ●与の名は武 | 倭の五王(讃・珍・済・興・武)。武は雄略天皇(ワカタケル大王)のことと考えられている。出典『宋書』倭国伝。遣使の目的は中国の王朝の権威をかりて朝鮮半島での日本の立場を強化することだと考えられている。 |
| 507年 | 継体天皇の即位 | ●北陸からこれない継体天皇 ●これ何 |
継体天皇は応神天皇5世孫。大連大伴金村が擁立。北陸から迎えられた。 |
| 512年 | 任那の割譲 | ●厚意に甘えて任那の割譲 ●強引に割譲、任那の四県 |
大伴金村が百済に割譲。このときワイロを受けたのではないかと責任を問われ失脚。任那は加羅・伽耶(カヤ)ともいう。 |
| 527年 | 磐井の乱 | ●後任なく滅んだ磐井の乱 ●いつになったら終わるの磐井の乱 ●いつも悩む磐井の乱 |
磐井の乱は日本軍の朝鮮半島への渡海を妨げた事件。筑紫国造の磐井が新羅と結んでおこした事件ともいわれる。福岡県の岩戸山古墳は磐井の墓といわれている。石人・石馬などが建っている。 |
| 538年 | 仏教伝来(戊午説) | ●ゴミや ●御参拝 ●誤算や |
538年説(戊午説)は「上宮聖徳法王帝説」と「元興寺縁起」による。百済の聖明王から日本の欽明天皇に伝わった。 |
| 552年 | 仏教伝来(壬申説) | ●午後に | 552年説(壬申説)は「日本書紀」による。 |
| 562年 | 任那の滅亡 | ●御浪人増えた任那の滅亡 ●ごろつき任那の滅亡 ●任那はコロニー |
任那は新羅に滅ぼされる。日本は朝鮮半島への進出拠点を失う。 |
| 587年 | 物部守屋の滅亡 | ●いやな守屋が滅亡 ●子はなかった守屋さん |
排仏派の中心人物であった物部守屋が蘇我馬子・聖徳太子らに滅ぼされる。 |
| 589年 | 隋が中国を統一 | ●公約果たして隋が統一 ●ご利益(ごりやく) |
北周の外威楊堅(文帝)が建国。第2代皇帝が煬帝。煬帝は高句麗遠征(失敗)、大運河の建設などを行うが農民の反発を招き隋は618年に滅亡。 |
| 592年 | 崇峻天皇暗殺される | ●獄につながれる崇峻天皇 | 蘇我馬子の命で東漢直駒(ヤマトノアヤノアタエコマ)に暗殺される。 |
| 593年 | 聖徳太子、摂政となる | ●ゴクミ ●聖徳太子はコックさん ●ごく見事な聖徳太子 ●国民は歓迎、聖徳太子の摂政 ●戦(イクサ)避けよと祈る聖徳太子 |
厩戸皇子と呼ばれる。父は用明天皇。聖徳太子は摂政としておばの推古天皇を支えた。 |
| 594年 | 仏教興隆の詔 | ●ごく自然な仏教興隆の詔 | 仏教伝来のあと崇仏論争がおこった。 |
| 603年 | 冠位十二階の制 | ●群れささないように12回 ●禄をさずかる冠位十二階 |
わが国最初の位階の制度。皇族と蘇我氏を除く豪族に与えられた。人材登用策の1つ。徳・仁・礼・信・義・智の6つをそれぞれ大小に分け、冠の色と飾りで区別した。 |
| 604年 | 憲法十七条 | ●労を知る ●群れよ、人々。憲法発布 ●群れて読み出す十七条 |
役人が守るべき訓戒を定めたもの。仏教・儒教・法家の影響が見られる。三宝とは仏・法・僧のこと。 |
| 607年 | 遣隋使の派遣 | ●無礼な手紙を持った小野妹子 ●無礼な国書 ●群れて泣き出す遣隋使 |
隋の皇帝は煬帝。翌年答礼使の裴世清が来日。小野妹子が持参した「日出づるところの・・・」の手紙が有名。出典『隋書』倭国伝 |
| 607年 | 法隆寺の建立 | 群れなす人々法隆寺に | 再建説が強いが世界最古の木造建築物。UNESCO(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録されている。 |
| 618年 | 唐が中国を統一 | ●浪費や ●労いっぱい唐の統一 |
隋が滅亡し、唐が中国を統一した。唐の制度を律令制度という。 |
| 620年 | 『天皇記』『国記』の編纂 | 無事を祈って天国へ | 『天皇記』『国記』は推古天皇の時代に編纂された歴史書。後の『古事記』・『日本書紀』につながる。 |
| 622年 | 聖徳太子が死去 | ●無事に極楽へ | 聖徳太子が理想とした天皇を中心とした中央集権国家の建設は大化の改新によって実現した。 |
| 630年 | 最初の遣唐使派遣 | ●蒸される遣唐使 ●睦をむすぶ遣唐使 ●無惨な姿の遣唐使 |
最初の遣唐使は犬上御田鍬。630年は舒明天皇2年。以後、約200年にわたって派遣された。 |
| 645年 | 大化の改新(乙巳の変) | ●虫殺す大化の改新 ●蒸しご飯 ●蒸し米で祝う大化の改新 ●無事故で終わった大化の改新 |
蘇我蝦夷(父)、入鹿(子)らの蘇我本家が中大兄皇子・中臣鎌足らに滅ぼされる。蘇我臣一族のなかで蘇我倉山田石川麻呂は改新政府についた。当時の都は飛鳥板蓋宮。天皇は皇極天皇 |
| 646年 | 改新の詔 | むしろこっちが重要、改新の詔 | 「改新の詔」の出典は日本書紀。 |
| 660年 | 百済の滅亡 | ● | 唐・新羅連合軍に滅ぼされる。 |
| 663年 | 白村江の戦い | ●むろん散々、白村江 ●ろくろく見ずに白村江で大敗 |
唐・新羅の連合軍に大敗。 |
| 667年 | 近江大津宮に遷都 | ● | 白村江の戦いに敗れた対応の1つ。 |
| 668年 | 高句麗の滅亡 | ||
| 668年 | 天智天皇の即位 | ●むろん役立つ天智天皇 | 母の斉明天皇没後、皇太子として政治を行った。 |
| 668年 | 近江令の制定 | ●むろん役立つ近江令 ●ろくろくやらぬ近江令の制定 |
天智天皇によって制定されたとされる最初の令。存在は疑問とする説もある。律はなかった。 |
| 670年 | 庚午年籍の作成 | 不慣れな戸籍を作成する | わが国最初の全国的戸籍。氏姓を正す台帳として作成された。永久保存が義務づけられたが現存していない。 |
| 672年 | 壬申の乱 | ●無難に乗り切る壬申の乱 ●胸積もり狂った壬申の乱 |
天智天皇の死後おこった後継者争い。大海人皇子が大友皇子を破り即位し天武天皇となる。 |
| 676年 | 新羅が朝鮮半島を統一 | ● | 唐の勢力を朝鮮半島から追い払い、新羅が朝鮮半島を統一。 |
| 684年 | 八色の姓 | ● | 天武天皇による姓の再編。八色の姓とは真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。実際には道師以下の姓はあたえられていない。従来は最高位であった臣・連の地位が低いところがポイント。 |
| 689年 | 飛鳥浄御原令の施行 | ● | 飛鳥浄御原令の作成は天武天皇、施行は持統天皇。律はなかったと考えられている。 |
| 690年 | 庚寅年籍の作成 | ● | 前年の飛鳥浄御原令に基づいて作成された。最初の令に基づく戸籍。 |
| 694年 | 藤原京遷都 | ●64買った藤原君 ●南にむくよ藤原京 |
藤原京は最初の本格的都城制の都。持統天皇が遷都。大和三山(畝傍山・耳成山・天香具山)に囲まれている。 |
| 701年 | 大宝律令 | ●名は1番、大宝律令 ●なれはじめ ●なれるが一番 ●なまる人にも大宝律令 ●名を広めた大宝律令 ●なおいい律令、大宝律令 ●名を1つ残した大宝律令 |
天皇は文武天皇。編纂の中心は刑部親王と藤原不比等。大宝律令によって律令が完成した。 |
| 708年 | 和同開珎の鋳造 | ●名をば和同開珎ともうします ●名を焼き入れる和同開珎 |
唐の開元通宝にならって鋳造。和同開珎には銅銭と銀銭がある。全国的に流通したものではなく畿内のみで使われた。これまで日本最古の貨幣とされていたが、富本銭が発見され注目されている。 |
| 710年 | 平城京遷都 | ●何と美しい平城京 ●今はないぜ平城京 ●南都 ●納豆食べて平城京 ●納豆ねばねば平城京 |
元明天皇が藤原京から遷都。 |
| 711年 | 蓄銭叙位令 | ●セブンイレブン | 貨幣の流通促進のために発布。銭を蓄えたものの位を進めることを決めたがかえって銭の貯蔵を招いた。廃止は800年 |
| 712年 | 『古事記』の編纂 | ナイフで切り張り古事記の編纂 | 稗田阿礼が覚えていたものを太安万侶が筆録。太古から推古天皇までの歴史を記述。 |
| 712年 | 出羽国の設置 | ||
| 713年 | 『風土記』の撰上 | ●苦労はないさ、風土記の撰上 ●名いざ広めん風土記の撰上 |
『風土記』は諸国の物産や風俗を記録し提出させたもの。現存するのは出雲・播磨・肥前・豊後・常陸の五風土記。完本は出雲国のみ。 |
| 713年 | 大隅国の設置 | ||
| 718年 | 養老律令 | ●変わらないや | 藤原不比等が個人で作成したもの。内容的には大宝律令と変わらなかった。757年、藤原仲麻呂によって施行された。 |
| 720年 | 『日本書紀』の編纂 | ●何を書こうか日本書紀 | 編纂の中心人物は舎人親王。六国史最初の歴史書。太古から持統天皇までの歴史を記述。 |
| 722年 | 良田百万町歩開墾計画 | ●何に書こうか開墾計画 | 計画の中心は長屋王。机上の空論に終わる。 |
| 723年 | 三世一身法 | ●何さ、三世って ●何?三代まで? |
養老七年の格。新たに水路を開くなどして開墾したものは3代、それ以外は本人1代に限り私有を認めた。 |
| 729年 | 長屋王の変 | ●なにくそ長屋王 ●何食わぬ顔で長屋王殺害 |
藤原四子の策謀で長屋王が滅ぼされる。長屋王は天武天皇の孫。皇親政治が終わる。長屋王の邸宅の跡地から大量の木簡(古代の荷札)が発見されている。 |
| 740年 | 藤原広嗣の乱 | ●汝を除け、広嗣の乱 ●名知れ渡る広嗣の乱 |
大宰府に左遷されていた藤原広嗣が橘諸兄政権の玄ぼうや吉備真備を除こうと大宰府で反乱をおこすが、敗死。 |
| 740年 | 恭仁京遷都 | ● | 聖武天皇が平城京から山城国の恭仁京へ遷都。以後、恭仁京→難波宮→柴香楽宮へ遷都 |
| 741年 | 国分寺建立の詔 | ●汝、1つ寺を造れ | 国分寺は正式には金光明四天王護国之寺という。国分尼寺も建立。国分寺には僧20人、国分尼寺には尼僧10人を配置。 |
| 743年 | 墾田永年私財法 | ●なじみの年号、墾田永年私財法 ●ナンシーさん、こんでえいねん |
天平十五年の格。開墾した土地の永久私有が認められ荘園ができる。このときの天皇は聖武天皇だが、政治の実権は橘諸兄が握っていた。 |
| 743年 | 大仏造立の詔 | ●ナンシーさん大仏作る | 紫香楽宮で発布。大仏は盧舎那仏とよばれた。大仏造立に活躍したのが行基 |
| 749年 | 孝謙天皇の即位 | ●名よく広まる孝謙天皇 | 孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘。女帝 |
| 751年 | 懐風藻ができる | ● | 懐風藻はわが国最初の漢詩集。勅撰ではないことに注意。選者は淡海三船説その他があるが不明。 |
| 752年 | 大仏開眼供養 | ●何とごっつい大仏の顔 | 菩提僊那が導師をつとめた。この時の天皇は孝謙天皇 |
| 754年 | 鑑真の来日 | ●7年越しで来日した鑑真和上 | 日本に戒律(律宗)を伝え、唐招提寺を建立。鑑真和上像はわが国最古の肖像彫刻。 |
| 757年 | 橘奈良麻呂の変 | ●非業な最後をとげた奈良麻呂の変 | 橘奈良麻呂は諸兄の子。 |
| 757年 | 養老律令の施行 | ●長うなりました施行まで | 藤原不比等の孫の藤原仲麻呂(恵美押勝)が施行。内容的には大宝律令と大きな違いはないと考えられている。 |
| 764年 | 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱) | ●泣き虫の仲麻呂 ●なろうよ |
仲麻呂は南家。な・なで覚える。道鏡を除こうと反乱を起こすが失敗。 |
| 769年 | 宇佐八幡宮神託事件 | ● | 道鏡が皇位をねらい、自分が皇位につけば世の中が平和になるというお告げがあったと主張。和気清麻呂が陰謀を暴いたが大隅国に左遷される。 |
| 784年 | 長岡京遷都 | ●名は知らぬ長岡京 | 造宮長官は藤原種継。洪水に見舞われたことや、種継が暗殺され廃都。 |
| 792年 | 健児の制 | ●泣くに泣けない健児くん | 健児は郡司の子弟から採用された。農民負担の軽減と兵士の質向上が目的。東北・九州などの軍団は廃止せず。 |
| 794年 | 平安京遷都 | ●鳴くよウグイス平安京 ●なくします僧侶の介入 ●なくした冠、平安京 ●ハクション ●泣くよ、坊さん平安京 |
桓武天皇が長岡京から遷都。平安京遷都を建議したのは和気清麻呂。山背国は平安遷都以後は山城国と表記されるようになった。 |
| 810年 | 薬子の変 | ●はっと驚く薬子の変 ●やっと落ち着く薬子の変 |
平城上皇の重祚と平城京再遷都を企てた事件。薬子の変に際し、藤原冬嗣・巨勢野足が蔵人頭に任じられた。以後藤原氏では北家が中心となる。 |
| 823年 | 公営田の設置 | ● | 財政難に対処するため大宰府に田地の直接経営を許可。 |
| 838年 | 最後の遣唐使の派遣 | ●ばあさんは知ってる遣唐使 | 天台宗山門派の円仁が入唐。円仁は『入唐求法巡礼行記』を著す。838年の遣唐使が最後の遣唐使。小野篁が乗船を拒否し処罰される。894年に遣唐使が廃止になったが、このときには行っていない。 |
| 842年 | 承和の変 | ●箸にもかからぬ承和の変 ●ヤジにはめげない承和の変 ●野心に負けた承和の変 ●早う逃げんかい承和の変 |
伴健岑・橘逸勢が失脚。皇太子恒貞親王が廃され、道康親王が皇太子となる。 |
| 858年 | 藤原良房、摂政となる | ●屋号は良房、摂政となる | 清和天皇が即位。藤原良房が事実上の摂政となる。良房は人臣最初の摂政。 |
| 866年 | 応天門の変 | ●野郎むかつく応天門 ●野郎ろくでもない大納言 |
大納言伴善男は伊豆に配流。このときの様子を記したものが「伴大納言絵巻」。このとき藤原良房が正式な摂政となる。 |
| 884年 | 藤原基経、事実上の関白となる | ●やっぱし基経関白になる | 藤原基経は884年、乱行を重ねる甥の陽成天皇にかえて光孝天皇を擁立。藤原基経が事実上の関白となる。 |
| 887年 | 藤原基経、正式に関白となる | ●母も泣いた基経関白 | 887年、宇多天皇が即位。藤原基経が正式に関白になるが就任をめぐり阿衡の紛議がおき起草者の橘広相が処罰された。 |
| 888年 | 阿衡の紛議 | ●はっはっは ●ぱっぱっぱ |
宇多天皇が藤原基経に与えた勅書のなかの文字「阿衡」をめぐる事件。宇多天皇の即位に努力した基経を関白に任じようとした文書のなかに「阿衡の佐をもって卿の任とす」とあり,この「阿衡」が職掌のない名誉官であったところから,基経に政治から手をひかせる意味と解する説が出現し,基経は一切の政務からあえて手をひき,天皇は大いに困惑した。単なる修辞が学者の解釈論から,政治問題にまで発展したもので,結局,勅書の草稿をつくった橘広相(たちばなのひろみ)に責任をとらせ,基経も納得し,ようやく落着した。 |
| 894年 | 遣唐使の廃止 | ●白紙に戻す遣唐使 ●ゲロ吐くよ、遣唐使 |
菅原道真が宇多天皇に建議。航海の危険、唐の衰退などが理由。なお、実際に遣唐使として最後に行ったのは838年。 |
| 901年 | 昌泰の変 | ●グレイ ●暮れ行く ●こわい |
昌泰の変は菅原道真が大宰府に左遷された事件。藤原氏の中心人物は藤原時平。当時、菅原道真は右大臣、藤原時平は左大臣。 |
| 901年 | 『日本三代実録』の編纂 | ●苦をいとわず実録編纂 | 六国史の最後。清和・陽成・光孝天皇三代の歴史を記す。 |
| 902年 | 延喜の荘園整理令 | ●暮れに発令、延喜の荘園整理 | 醍醐天皇の時代。902年には最後の班田も行われている |
| 905年 | 古今和歌集 | ● | 醍醐天皇の命で編纂された最初の勅撰和歌集。編者は紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑など。 |
| 907年 | 唐が滅亡 | ●くれないに唐が滅ぶ | 朱全忠に滅ぼされる。 |
| 914年 | 意見封事十二箇条 | ●食いしん坊の清行さん | 三善清行が政治改革の意見書を密封して提出したもの。 |
| 922年 | 最後の渤海使 | ●国に帰った渤海使 | 渤海使は日本に毛皮などを伝えた。 |
| 926年 | 渤海の滅亡 | ●国むなしく渤海滅ぶ | 渤海は高句麗滅亡後、遺臣たちが中国東北部に建国したツングース系民族の国。日本にも来航し毛皮などをもたらす。契丹(遼)に滅ぼされる。 |
| 927年 | 延喜式の編纂 | ●苦にならない延喜式 | 延喜式は三代格式の最後の式。 |
| 935年 | 平将門の乱 | ●臭い ●クミコ |
将門は下総猿島(サシマ)を根拠地に反乱を起こし自らを新皇と称した。平将門の乱は藤原秀郷と平貞盛が鎮圧。平将門の乱・藤原純友の乱をあわせて承平・天慶の乱という。時の天皇は朱雀天皇。 |
| 936年 | 高麗、朝鮮半島統一 | ● | 高麗は918年、王建が建国。 |
| 939年 | 藤原純友の乱 | ●臭くない ●臭くてかなわん純友の船 |
藤原純友は元伊予国司。日振島を根拠地に反乱を起こし、大宰府をおそった。藤原純友の乱は源経基と小野好古が鎮圧。平将門の乱・藤原純友の乱をあわせて承平・天慶の乱という。時の天皇は朱雀天皇。 |
| 958年 | 乾元大宝の鋳造 | ● | 村上天皇の時代。皇朝十二銭最後の貨幣。村上天皇の治世は天暦の治という。 |
| 960年 | 宋(北宋)の建国 | ●苦労を覚悟に宋建国 | チョウキョウインが建国 |
| 969年 | 安和の変 | ●苦労苦心の安和の変 | 藤原氏による他氏排斥最後の事件。以後、摂関常置体制が確立。 |
| 989年 | 尾張国郡司百姓等解文 | ●急迫告げる百姓等 | 藤原元命の非法を訴える。 |
| 1016年 | 藤原道長、摂政となる | ●遠い昔の道長さん ●といろ |
藤原道長は関白になっていない。 |
| 1017年 | 藤原頼通、摂政となる | ●遠いなあ | 1019年には関白に就任。この年には藤原道長が太政大臣に就任。 |
| 1018年 | 威子の立后 | ●遠いわ | 望月の歌が詠まれた。望月の歌の出典は藤原実資の日記「小右記」 |
| 1019年 | 刀伊の入寇 | ●遠い国から刀伊の入寇 ●刀伊来る |
刀伊は女真族。藤原隆家が撃退 |
| 1028年 | 平忠常の乱 | ●当時は有名、忠常の乱 | 源頼信が戦わず鎮圧。 |
| 1051年 | 前九年の役 | ●父ちゃん恋しい前九年 ●人を恋する前九年 ●統合急げ前九年 ●一応合意 |
源頼義が安倍氏を滅ぼす。 |
| 1052年 | 末法最初の年 | ●末法は戦後にやってくる | 永承7年(1052年)。釈迦の滅後,年代がたつにつれて正しい教法が衰滅するとする思想。正法(ショウボウ),像法(ゾウボウ)の時代を経て末法の世に入ると考えられた。 |
| 1053年 | 平等院鳳凰堂の完成 | ●人は混み合う鳳凰堂 ●人混み避ける鳳凰堂 |
平等院は藤原道長の別荘を頼通が寺院としたもの。鳳凰堂は阿弥陀堂で、定朝が寄木造で刻んだ阿弥陀如来像を安置している。 |
| 1069年 | 延久の荘園整理令 | ●登録抹消して荘園整理 ●登録しろ |
後三条天皇が記録荘園券契所を設置。 |
| 1083年 | 後三年の役 | ●人を闇討ち ●父ちゃんやーさん ●銃で挟み撃ちにした後三年の役 |
源義家が活躍。この乱の時のようすを描いたのが「後三年合戦絵巻」。これにより源氏は東国に確固とした基礎を築いた。 |
| 1086年 | 院政の開始 | ●入れ歯老人の白河上皇 ●父ちゃんがやろう ●院政をやろう ●一応やろう院政を ●とっとこハム太郎 |
白河上皇は堀河天皇に譲位後に院政を行う。 |
| 1124年 | 中尊寺金色堂の完成 | ●人々に喜び与える金色堂 | 中尊寺を建立したのは藤原清衡。中尊寺金色堂には奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)のミイラを安置。金色堂は光堂ともいう。 |
| 1156年 | 保元の乱 | ●いい頃おこった保元の乱 ●いい語呂合わせ |
朝廷では後白河天皇と崇徳上皇が対立 |
| 1159年 | 平治の乱 | ●人々ご苦労平治の乱 ●いちいちご苦労 ●いい刻だね平治の乱 |
平清盛が源義朝を破る。 |
| 1167年 | 平清盛、太政大臣に就任 | ●いい胸毛の清盛大臣 | 平清盛は武家最初の太政大臣。 |
| 1177年 | 鹿ケ谷の陰謀 | ●いいな、何でも話せる鹿ヶ谷 | 後白河上皇側近による平氏打倒計画。 |
| 1179年 | 後白河院政を停止 | ● | 平清盛は後白河法皇を幽閉し独裁的な権力を確立(治承の政変) |
| 1180年 | 源頼政の挙兵 | ●人々は俺に続け ●人々矢を持て |
以仁王の令旨を受けて挙兵。 |
| 1180年 | 侍所の設置 | ● | 侍所は御家人を統轄する機関。 |
| 1183年 | 源頼朝に東海道・東山道の支配が認められる | ● | 寿永二年十月宣旨。 |
| 1184年 | 公文所・問注所の設置 | ● | 公文所はのちに政所と改称された。 |
| 1185年 | 平氏の滅亡 | ●いいやご臨終壇の浦 | 平氏は壇の浦の戦いで滅亡。 |
| 1185年 | 守護・地頭の設置 | ●いいわここで地頭になっても ●人々は御家人 ●いいやごもっとも |
守護・地頭の設置を建議したのは大江広元。 |
| 1189年 | 奥州藤原氏が滅亡 | ● | 奥州藤原氏は清衡→基衡→秀衡。次の泰衡のとき源頼朝に滅ぼされる。 |
| 1190年 | 源頼朝が右近衛大将に任じられる | ● | 源頼朝が上洛、後白河法皇によって右近衛大将に任じられるが、源頼朝が求めた征夷大将軍には任じられなかった。 |
| 1191年 | 政所を設置 | ● | 公家の家政機関にならって政所を開設。 |
| 1192年 | 源頼朝、征夷大将軍に就任 | ●いい国作ろう鎌倉幕府 | この年、後白河法皇が死去。頼朝を征夷大将軍に任じたのが後鳥羽天皇 |
| 1205年 | 新古今和歌集 | ●人々おごられ新古今 | 編者は藤原定家・藤原家隆。 |
| 1221年 | 承久の乱 | ●人に不意打ち承久の乱 | 幕府の執権は北条義時。幕府は北条泰時・時房を派遣し朝廷側を破る。北条政子の尼将軍の演説が有名。後鳥羽上皇(隠岐)・順徳上皇(佐渡)・土御門上皇(土佐のち阿波)に配流。仲恭天皇は廃位。朝廷側から領地を没収し、新たに地頭を任命(新補地頭)。 |
| 1225年 | 評定衆の設置 | ●いつもニコニコ評定衆 | 評定衆には当初有力御家人が選ばれたが、やがて北条氏一族が任命された。定員はないがほぼ14から15名。 |
| 1232年 | 御成敗式目 | ●一文にかいた御成敗式目 ●はじめて文に書いた御成敗式目 ●日に3通書いた式目の作成 |
北条泰時が制定。武家による最初の成文法。頼朝以来の先例と道理にもとづいて制定。当初は幕府の支配地のみに適用された。貞永式目とも。 |
| 1247年 | 宝治合戦 | ●一緒に死なんと三浦一族 | 北条時頼が三浦泰盛一族を滅ぼす。 |
| 1249年 | 引付衆の設置 | ●胃によく効く引付衆 ●一気に良くなる評定衆 |
御家人たちの所領に関する訴訟を担当した。 |
| 1274年 | 文永の役 | ●人になし ●言うなよ ●人船酔い ●遠になし |
元・高麗軍は対馬・壱岐を経て博多に上陸 |
| 1279年 | 南宋の滅亡 | ●一気になくなる南宋滅亡 | 文永の役のあとであることに注意。 |
| 1281年 | 弘安の役 | ●いつ敗走、元の船 ●人には言えない弘安の役 |
南宋の滅亡後、再び北九州に襲来 |
| 1285年 | 霜月騒動 | ●人には強引、内管領 | 御家人の代表安達泰盛が御内人の平頼綱に滅ぼされる |
| 1297年 | 永仁の徳政令 | ●皮肉な永仁の徳政令 ●人に苦難の徳政令 |
北条貞時が発布。御家人が御家人から借金をした場合は20年、非御家人から借金をした場合は期限を限らず土地の無償取戻を認めた。 |
| 1317年 | 文保の和談 | ●いっさいなかった文保の和談 | 大覚寺統、持明院統から交互に天皇を立てることを約束。これを両統迭立という。 |
| 1324年 | 正中の変 | ●悲惨・不振 ●秘密知れたぞ正中の変 |
日野資朝は佐渡に配流。後醍醐天皇は責任を免れる。 |
| 1331年 | 元弘の変 | ●父さん災難 | 後醍醐天皇は隠岐へ配流 |
| 1333年 | 幕府の滅亡 | ●父さん散々、鎌倉滅亡 ●一味散々、鎌倉滅亡 |
最後の執権は守時だが、実権は北条高時が握っていた。鎌倉を攻略したのは新田義貞。足利尊氏は六波羅探題を滅ぼす。 |
| 1334年 | 建武の新政 | ●いさみ喜ぶ建武の新政 ●いざみよ建武の新政 |
建武の新政の中心になった役所が記録所。諸国には国司と守護を併置。 |
| 1335年 | 中先代の乱 | ●父さん見殺し中先代 ●いざ見事な中先代 |
中先代とは北条高時の遺児、北条時行のこと。先代の北条氏と後代の足利氏の間にあるので中先代という。 |
| 1336年 | 建武式目の制定 | ●いざ見ろ建武式目 | 建武式目は法ではなく政治方針。 |
| 1336年 | 後醍醐天皇、吉野へ逃げる | ●いざ去ろう吉野へ ●いざ山麓へ ●いざ三浪 |
南北朝の対立は1392年まで続く。 |
| 1338年 | 足利尊氏、征夷大将軍に就任 | ●父さん散髪 ●瞳さわやか ●人がささやく ●いざ都へ |
足利尊氏、光明天皇(持明院統)から征夷大将軍に任じられる。 |
| 1351年 | 観応の擾乱 | ●いざこい菅野 | 室町幕府内部の権力闘争。 |
| 1378年 | 足利義満、花の御所を造営 | ● | 花の御所は足利義満が造営した邸宅と幕府の総称。諸国の名花を移植したので花の御所と呼ばれる。 |
| 1390年 | 土岐康行の乱 | ● | 足利義満が美濃・尾張・伊勢三国の守護をかねた土岐氏を討伐 |
| 1391年 | 明徳の乱 | ●いざ悔いはなし明徳の乱 | 11カ国の守護をかね六分の一衆と呼ばれた山名氏清を滅ぼす |
| 1392年 | 南北朝の合一 | ●いざ国統一南北朝 | 南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位 |
| 1399年 | 応永の乱 | ●秘策苦しむ大内軍 | 有力守護の大内義弘を滅ぼす |
| 1404年 | 勘合貿易の開始 | ●投資をしないで勘合貿易開始 ●人知れよ。勘合貿易 |
勘合貿易がはじまったときの将軍は4代足利義持。 |
| 1419年 | 応永の外寇 | ●必死で行くぞ応永の外寇 | 1019年の刀伊の入寇と間違えないようにする。ちょうど400年後なので覚えやすい。 |
| 1428年 | 正長の土一揆 | ●石には刻んだ徳政碑文 ●一夜に反抗 ●一夜には起こせぬ正長の土一揆 ●必死に破棄する借金証文 |
石とは奈良県の柳生にある徳政碑文のこと。近江坂本の馬借一揆がきっかけ。このときは幕府は徳政令を出していない。 |
| 1429年 | 琉球王国の統一 | ●いよ、にくいね。尚巴志 | 尚巴志が北山・中山・南山を統一。 |
| 1439年 | 永享の乱 | ● | 上杉憲実が足利持氏を滅ぼす。上杉憲実は足利学校(宣教師たちによって坂東の大学と呼ばれた)を再興。 |
| 1441年 | 嘉吉の乱 | ●人よ良いか将軍殺しても | 6代将軍足利義教が播磨守護、赤松満祐に謀殺される。山名持豊(宗全)が赤松満祐を滅ぼす。この年には代はじめの徳政を求めた嘉吉の土一揆がおこっている。 |
| 1485年 | 山城の国一揆 | ●石はご立派、山城国 ●必死の反抗 ●闘志はいつまで |
両畠山軍を退去させ、山城国の国人が平等院を中心に8年間自治を行う。 |
| 1488年 | 加賀の一向一揆 | ●意地ははります一向一揆 ●一宗反発 |
守護富樫政親を自刃に追い込む。以後約100年間、一向宗の門徒による自治が行われる。 |
| 1467年 | 応仁の乱 | ●人よむなしく応仁の乱 ●費用むなしい応仁の乱 |
将軍家や管領家の相続争いが発端。細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)が総大将。 |
| 1503年 | 通信符による貿易開始 | ●以後納まる朝鮮の倭寇 | 日本と朝鮮国(李朝)の貿易。通信符は正式な貿易船の持つ証明書。 |
| 1510年 | 三浦の乱 | ●以後遠のく日朝貿易 | 三浦とは乃而浦(ナイジホ)・富山浦(フザンホ)・塩浦(エンポ)のこと。 |
| 1523年 | 寧波の乱 | ●以後罪深い寧波の乱 ●以後積み荷は大内独占 |
大内氏と細川氏の貿易の利潤をめぐる争い。 |
| 1536年 | 天文法華の乱 | ●以後見向きもされぬ日蓮宗 ●人混み群れる天文法華の乱 |
延暦寺・六角氏らの軍勢によって京都の日蓮宗(法華宗)寺院が焼き打ちにあった事件。 |
| 1543年 | 鉄砲伝来 | ●十分ご予算あります | 種子島の島主は種子島時尭。このときのようすは南浦文之の『鉄炮記』に書かれている。 |
| 1547年 | 最後の勘合船を派遣 | ●以後しなくなる勘合貿易 | 大内氏の滅亡と明の海禁政策により勘合貿易は廃止 |
| 1549年 | キリスト教の伝来 | ●以後よく広まるキリスト教 | イエズス会のフランシスコ=ザビエルが鹿児島に上陸。 |
| 1560年 | 桶狭間の戦い | ●銃後群れなす桶狭間 ●以後禄はない今川氏 ●いちころ |
織田信長が駿河の今川義元を破る。 |
| 1568年 | 織田信長、足利義昭を奉じて入京 | ●意気込む信長の入京 | 足利義昭は室町幕府15代、最後の将軍。 |
| 1570年 | 姉川の戦い | ●非業なお市 | 織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。 |
| 1571年 | 比叡山延暦寺の焼き打ち | ●人ごとでない延暦寺の焼き打ち ●人こない延暦寺 |
織田信長は浅井・朝倉軍と結ぶ延暦寺を焼き打ち。 |
| 1573年 | 室町幕府の滅亡 | ●以後涙の義昭追放 | 織田信長は自ら擁立した足利義昭を追放。 |
| 1575年 | 長篠の戦い | ●人、粉々 ●一発粉々長篠合戦 |
織田信長が鉄砲隊の威力で武田勝頼の騎馬隊を破る。武田勝頼の滅亡は天目山の戦い(1582年) |
| 1577年 | 織田信長が安土城下に楽市の制をしく | ●以後、なんなりやりなはれ | 楽市・楽座令の初見は1549年の近江の六角氏によるもの。 |
| 1582年 | 本能寺の変 | ●イチゴパンツの本能寺 | 織田信長は家臣の明智光秀の謀反で自刃。 |
| 1582年 | 山崎の戦い | ●以後は不運な明秀さん | 羽柴(豊臣)秀吉が明智光秀を破る。明秀は三日天下に終わる。 |
| 1582年 | 天正遣欧使節の派遣 | ●十五夜に少年使節を派遣する | 正使は伊東マンショと千々石ミゲル。中浦ジュリアン、原マルチノが同行。イタリア人宣教師ヴァリニャーニの進言による。 |
| 1582年 | 太閤検地 | ● | 1段を300歩に改めたので天正の石直しともいう。豊臣秀吉は検地奉行を派遣して全国的に実施。太閤検地によって荘園制が完全に消滅。 |
| 1583年 | 賎ヶ岳の戦い | ●以後はさんざん | 羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家を破る。 |
| 1584年 | 小牧・長久手の戦い | ●以後はしっかり手を結ぼう | 豊臣秀吉が徳川家康・織田信雄連合軍と戦い和睦 |
| 1587年 | バテレン追放令 | ●以後はなくなる宣教師 ●以後はならんと宣教師追放 |
バテレン追放令は秀吉が九州平定の直後、博多で発令。 |
| 1588年 | 刀狩令 | ●以後は刃物禁止 | 名目は京都の方広寺の大仏造立だが、実際は農民から武器を取り上げて一揆を防ぐこと。また、刀狩によって兵農分離が実現した。 |
| 1590年 | 豊臣秀吉が全国を統一 | ●戦国王 ●戦国終わり ●いちご食おうよ |
小田原の後北条氏を滅ぼし、天下統一を完成。 |
| 1591年 | 身分統制令 | ●以後悔い残る身分統制 | 朝鮮出兵の準備 |
| 1592年 | 文禄の役 | ●異国に侵入文禄の役 | 豊臣秀吉による1回目の朝鮮出兵。 |
| 1597年 | 慶長の役 | ●以後苦難が続く慶長の役 | 豊臣秀吉による2回目の朝鮮出兵。 |
| 1600年 | 関ケ原の戦い | ●人群れ押し掛け関ケ原 | 東軍が徳川家康、西軍が石田三成。盟主は毛利輝元。 |
| 1600年 | リーフデ号豊後臼杵湾に漂着 | ●一路往復日本まで | 家康はイギリス人ウィリアム=アダムス(三浦按針)とオランダ人ヤン=ヨーステンを外交顧問とする。 |
| 1603年 | 徳川家康、征夷大将軍に就任 | ●人群れさわぐ江戸幕府 | 後陽成天皇が征夷大将軍に任じた。 |
| 1604年 | 糸割符制度がはじまる | ●色は白色糸割符 | 糸割符制度によってポルトガルが大打撃を受ける。 |
| 1610年 | 田中勝介らをノビスパンに派遣 | ●一路遠くのメキシコへ | ノビスバンとは現在のメキシコのこと。 |
| 1612年 | 天領でキリスト教が禁止される | ● | |
| 1613年 | 慶長遣欧使節の派遣 | ●一路いさんで | 慶長遣欧使節を派遣したのは伊達政宗。派遣されたのは支倉常長。天正遣欧使節と間違えないようにする。 |
| 1614年 | 大坂冬の陣 | ● | きっかけは方広寺鐘銘事件。「君臣豊楽、国家安康」という文字が刻まれていた。 |
| 1615年 | 大坂夏の陣 | ● | 豊臣氏が滅亡。淀君と豊臣秀頼は自刃。 |
| 1615年 | 武家諸法度《元和令》 | ●異論以後なし | 起草したのは臨済宗の僧侶、金地院崇伝。家康が2代将軍、秀忠の名前で伏見城で発令。 |
| 1615年 | 禁中並公家諸法度 | ● | 起草したのは臨済宗の僧侶、金地院崇伝。幕末まで一度も改正されていない。 |
| 1616年 | ヨーロッパ船の来航地を平戸と長崎に制限する | ●いろいろ | 平戸の場所を確認しておく。 |
| 1623年 | イギリスが日本を退去 | ●一路に去ったイギリス線 | イギリスはオランダとの貿易競争に敗れ、自ら退去。幕府によって追放されたのではない。 |
| 1624年 | イスパニア(スペイン)の来航禁止 | ●一路西むくスペイン船 | 西とはスペインのこと。 |
| 1627年 | 紫衣事件 | ●色に悩んだ紫衣事件 | 後水尾天皇は明正天皇に譲位。沢庵は出羽に配流 |
| 1633年 | 奉書船以外の海外渡航禁止 | ●一路散々奉書船 | 奉書とは老中が発行する海外渡航の許可書。 |
| 1635年 | 武家諸法度<寛永令> | ● | 3代将軍家光が発令。起草したのは林羅山。参勤交代を制度化・500石積以上の大船の建造を禁止。 |
| 1635年 | 日本人の海外渡航・帰国を全面禁止 | ●異論見事に押さえて帰国を禁止 | 日本町が消滅 |
| 1637年 | 島原の乱 | ●一村みんなで島原へ ●一路みんなで島原へ |
総大将は天草四郎時貞。知恵伊豆と呼ばれた老中松平信綱が鎮圧。 |
| 1639年 | ポルトガル人の来航禁止 | ●人、むさ苦しい鎖国の完成 | この年を鎖国の完成と考えている。以後、長崎では出島を通じてオランダ、清とのみ貿易を行う。 |
| 1641年 | オランダ人を出島に移す | ●いろよい返事で出島に移る | 出島は長崎に作られた扇形をした埋立地。もともと出島にはポルトガル人が住んでいた。 |
| 1643年 | 田畑永代売買禁令 | ●一番無視された | 実際は質入れなどが行われ、法令の趣旨は守られなかった。 |
| 1649年 | 慶安の御触書 | ●いろよく従え御触書 ●一郎よく聞け御触書 ●色よく書かれた御触書 |
3代将軍家光が発令。目的は農民統制と農業の奨励。最近は慶安の御触書がこの年に出されたのを疑問視する説もある。 |
| 1651年 | 由井正雪の乱 | ●一番むごい正雪の乱 | 由井正雪は兵学者。由井正雪の乱は慶安の変ともいう。 |
| 1657年 | 明暦の大火 | ●疲労・御難の明暦の大火 | 江戸三大大火の1つ。本郷の本妙寺の失火が原因。振り袖火事とも呼ばれる。 |
| 1672年 | 西廻り航路が開かれる | ●いろんな荷物を西廻り | 河村瑞賢が西廻り航路・東廻り航路を開く。西廻り航路の船は北前船、東廻り航路の船は松前船という。 |
| 1673年 | 分地制限令 | ●一郎並だ。分地制限 | 百姓の所有する土地の分割を制限する法令。1673年発令は疑問。 |
| 1680年 | 徳川綱吉が5代将軍となる | ● | 極端な動物愛護令を出し犬公方と呼ばれた。徳川綱吉の治世は天和の治という。 |
| 1685年 | 生類憐みの令 | ● | 犬については諸大名にお手伝い普請を命じ、中野に広大な犬小屋が建てられた。1709年廃止。 |
| 1715年 | 海舶互市新例 | ● | 新井白石が長崎貿易を制限するために発令。正徳新令・長崎新令ともいう。 |
| 1716年 | 享保の改革はじまる | ●人の名広まる | 江戸三大改革の1つ。8代将軍吉宗は米将軍と呼ばれた。 |
| 1732年 | 享保の大飢饉 | ●人並みにお米食べたい享保の大飢饉 | 江戸三大飢饉の1つ。江戸三大飢饉とは享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉。 |
| 1758年 | 宝暦事件 | ●いな、御法度 | 尊王論を説いた竹内式部が追放される。 |
| 1767年 | 明和事件 | ●非難胸騒ぎの山県大弐 | 幕政を非難した山県大弐が処刑される。 |
| 1767年 | 田沼意次、側用人となる | ●非難むなしい側用人 | 側用人とは将軍の側近にいて,老中,若年寄の伺・上申を取り次ぎ,その可否を献議する。家柄によらず,才能に応じて登用され,権勢を振るって幕政を左右した。柳沢吉保,間部詮房(マナベアキフサ),田沼意次(オキツグ)らが有名。 |
| 1772年 | 田沼意次、老中となる | ●柔軟な人です。 | 株仲間結成の奨励、印旛沼・手賀沼の干拓、長崎貿易の拡大などを行う。 |
| 1774年 | 『解体新書』の刊行 | ●非難なし | 前野良沢・杉田玄白らが翻訳・刊行。原著はオランダの医学書『ターヘル・アナトミア』。 |
| 1782年 | 天明の大飢饉 | ●稲葉に聞いた天明の大飢饉 ●悩み多い天明の大飢饉 |
江戸三大飢饉の1つ。 |
| 1783年 | 浅間山の大噴火 | ●人の悩みは大噴火 | |
| 1787年 | 寛政の改革がはじまる | ●非難はないか。寛政の改革 ●人、名は何といっても松平定信 ●いいな花 |
白河藩主、老中松平定信による改革。 |
| 1792年 | ラクスマン根室に来航 | ●いーな国に帰れたラクスマン ●泣くに泣けないラクスマン ●自由な国へラクスマン |
ロシア使節ラクスマンが根室に来航し通商を要求。幕府は拒否。日本の漂流民大黒屋光太夫を送還 |
| 1804年 | レザノフ長崎に来航 | ●威張れよレザノフ ●いや惜しかったレザノフは ●一番惜しかったレザノフ |
ロシア使節レザノフが長崎に来航し通商を要求。幕府は拒否 |
| 1806年 | 文化の撫恤令 | ●ハーレム ●いや〜、オロシアは恐ろしい |
対外融和策。紛争防止のため薪炭の給与を認める。 |
| 1808年 | 間宮林蔵の樺太探検 | ●ばれはしません間宮の探検 ●いわれは間宮 |
間宮林蔵は樺太が離島であることを確認。間宮海峡と命名したのはシーボルト。 |
| 1808年 | フェートン号事件 | ●いわれはないフェートン号 ●威張れば ●人は追われるフェートン号に |
フェートン号はイギリス船。オランダ船を追って長崎に乱入。長崎奉行、松平康英は責任をとって自刃 |
| 1811年 | ゴロウニン事件 | ●人はいいゴロウニン ●浪人はいい ●いっぱいいましたゴロウニン |
ゴロウニンはロシア海軍の軍人。国後島で幕府の役人に捕まる。翌年、ロシアは高田屋嘉兵衛を捕らえる。ゴロウニンは帰国後、『日本幽囚記』を著す。 |
| 1818年 | ゴルドンが浦賀に来航 | ●いやいや来日、ゴルドンさん | |
| 1825年 | 異国船打払令《無二念打払令》 | ●いやに強引打ち払い ●いや都合が悪い打ち払え ●一夜で濁る打ち払い ●人はにっこり打ち払い ●一夜に号令 ●いやにご立派 |
外国船を二念なく(躊躇せず)打ち払うよう命じたことから無二念打払令という。1842年には天保の薪水給与令に転換。外国船打払令ともいう。 |
| 1828年 | シーボルト事件 | ●一発やったるとシーボルト ●いやにはにかむシーボルト ●いやに派手好きシーボルト |
シーボルトはドイツ人。長崎に蘭学塾、鳴滝塾を開く。日本地図の国外持ち出しが発覚。 |
| 1833年 | 天保の大飢饉 | ●人はさんざん天保の大飢饉 | 江戸三大飢饉の1つ。三大飢饉とは享保の大飢饉・天明の大飢饉・天保の大飢饉。 |
| 1837年 | モリソン号事件 | ●いやみなモリソン | 漂流民送還を名目に通商交渉のため江戸湾に来航したアメリカ船モリソン号を異国船打払令によって砲撃した事件。薩摩藩が山川でも打ち払う。イギリス人の名前と勘違いしている |
| 1837年 | 大塩平八郎の乱 | ●人は皆、応援した大塩さん ●人は皆続け大塩に ●いやみなおっさん |
大塩平八郎は私塾、洗心洞で陽明学を講義。 |
| 1838年 | 戊戌封事 | ● | 徳川斉昭が提出。 |
| 1839年 | 蛮社の獄 | ●人は錯乱蛮社の獄 ●いやあ、見苦しい蛮社の獄 |
モリソン号事件の幕府の対応を批判した渡辺崋山(「慎機論」)・高野長英(「戊戌夢物語」)を処罰。 |
| 1840年 | アヘン戦争 | ●いやよお願いアヘンはやめて ●アヘン戦争はいやよ、おっさん ●人、走れ |
中国(清)とイギリスの戦争。 |
| 1841年 | 天保の改革がはじまる | ●いや、良いこともあった天保の改革 ●いやしい ●人はよい |
老中水野忠邦による三大改革の最後。上地令(上知令)・株仲間の解散・人返し令など。 |
| 1842年 | 南京条約 | ●いやよ2回は南京条約 | アヘン戦争の講和条約。清は香港を中国に割譲。 |
| 1842年 | 天保の薪水給与令 | ● | 天保の改革を行っていた水野忠邦が出す。幕府は南京条約の結果を受け、1825年の異国船打払令を撤回。文化の撫恤令の状態に戻る。 |
| 1844年 | オランダ国王ウィレム2世の開国勧告 | ●よし、開国勧告や | 幕府は鎖国が祖法であることを理由に拒否。 |
| 1846年 | ビッドル、浦賀に来航 | ●ビッドルさん、よろしく | ペリーより前にビッドルが来航していることに注意。 |
| 1853年 | ペリー浦賀に来航 | ●いやでござんすペリーさん ●人は混み合う黒船来航 |
琉球・小笠原などにも立ち寄っている。太平洋を横断して来たのではない。旗艦サスケハナ号。 |
| 1854年 | 日米和親条約 | ●一夜越しで結んだ和親条約 ●一夜でご用 |
幕府の中心人物は老中、福山藩主阿部正弘。下田・函館を開港。片務的最恵国待遇を認めた不平等条約。 |
| 1856年 | 渋染一揆 | ● | 岡山藩におけるえた身分の服装規制に反抗した一揆。 |
| 1856年 | ハリス来日 | ●いや、殺すハリスさん | アメリカ総領事、下田に着任 |
| 1858年 | 日米修好通商条約 | ●いやご破算にしてよ不平等条約 ●いや、こわい |
アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシアとほぼ同様の条約を締結。安政の五カ国条約という。治外法権を認め、関税自主権がないなど日本にとって不平等な条約であった。 |
| 1859年 | 安政の大獄 | ●いっぱい獄につながれた安政の大獄 ●人は獄中 |
井伊直弼による反対派弾圧事件。一橋派の徳川斉昭・松平慶永らを隠居・謹慎、橋本左内・吉田松陰らは死罪に処せられた。 |
| 1860年 | 五品江戸廻送令 | ●人やむおえず | 五品とは雑穀・水油・蝋・呉服・生糸 |
| 1860年 | 桜田門外の変 | ●人は群れなす桜田門 ●井伊は無礼だ |
大老井伊直弼が薩摩・水戸の脱藩浪士に暗殺される。 |
| 1860年 | ヒュースケン暗殺事件 | ● | ヒュースケンはハリスの通訳をつとめていたオランダ人。 |
| 1861年 | 東禅寺事件 | ● | 水戸藩の浪士がイギリス仮公使館を襲撃した事件。 |
| 1861年 | 和宮降嫁 | ● | 老中安藤信正による公武合体政策。孝明天皇の妹和宮と将軍家茂が結婚。 |
| 1862年 | 生麦事件 | ●いや難しい生麦事件 | 島津久光の行列を横切ったイギリス人を殺傷した事件。生麦は横浜にある地名 |
| 1862年 | 坂下門外の変 | ● | 老中安藤信正が襲撃され失脚。 |
| 1862年 | 寺田屋事件 | ● | |
| 1863年 | 薩英戦争 | ●一夜で無惨、薩英戦争 | 生麦事件の報復戦争。 |
| 1863年 | 八月十八日の政変 | ●一夜で無惨な七卿落ち | この事件を「七卿落ち」という。三条実美ら7名の公卿が長州に落ち延びた。 |
| 1864年 | 禁門の変(蛤御門の変) | ● | |
| 1864年 | 第1次長州征討 | ●人は無視できない長州征討 | 長州藩は幕府に恭順の意を示す。 |
| 1864年 | 四国連合艦隊下関砲撃事件 | ●人は無視する下関 ●一発野郎 |
四国とはイギリス・アメリカ・オランダ・フランス。ロシアが含まれていない。 |
| 1866年 | 薩長連合(同盟)の成立 | ●野郎むかつく | 仲介したのは土佐の坂本竜馬と中岡慎太郎。 |
| 1867年 | ええじゃないかの乱舞 | ●人はむなしい、ええじゃないか ●いっぱいやろうな、ええじゃないか |
討幕派が利用した。 |
| 1867年 | 大政奉還 | ●人はむなしい大政奉還 ●一夜でむなしい徳川幕府 |
土佐の山内豊信(容堂)が将軍慶喜に建議。 |
| 1868年 | 東京遷都 | ●人はむやみに東京へ | |
| 1869年 | 版籍奉還 | ●人は無口な版籍奉還 ●人はむくれる版籍奉還 |
薩長土肥4藩主がまず版籍奉還をおこなった。旧大名は知藩事として旧領地を支配。 |
| 1870年 | 大教宣布の詔 | ● | |
| 1871年 | 岩倉遣外使節団の派遣 | ● | 岩倉具視は右大臣。伊藤博文・大久保利通・木戸孝允らが随行。津田梅子ら女子留学生が同行。帰国は1873(明治6)年。 |
| 1871年 | 廃藩置県 | ●藩はない ●藩とはいわない |
薩長土がまず廃藩置県をおこなった。政府は府知事・県令を派遣。 |
| 1871年 | 日清修好条規 | ● | 相互に領事裁判権を認める最初の対等条約。日本全権は伊達宗城、清国全権は李鴻章 |
| 1871年 | 新貨条例 | ● | 円・銭・厘の10進法を採用。金銀複本位制。 |
| 1871年 | 田畑勝手作の解禁 | ● | |
| 1871年 | 郵便制度の発足 | ● | 前島密の建議。1877(明治10)年、万国郵便連合条約に加盟 |
| 1871年 | 琉球漁民台湾漂着事件 | ● | 台湾出兵につながる |
| 1871年 | 身分解放令 | ● | えた身分の解放を行うが、差別は残った。 |
| 1872年 | 田畑永代売買の解禁 | ● | |
| 1872年 | 富岡製糸場開業 | ● | 官営工場の1つ。フランス人技師ブリューナーが指導。士族の娘を工場に採用し技術を習得させた。 |
| 1872年 | 鉄道開通 | ●いやなにおいの鉄道開通 ●鼻ににおう鉄道の煙 |
新橋-横浜間に開通。イギリスの技術・資金を利用 |
| 1872年 | 学制 | ●何を学ぶの学制で ●学制ってなに? ●いや何よりも教育だ ●非難何人 |
最初の近代的学校制度。フランスの制度を取り入れた。 |
| 1872年 | 学事奨励に関する被仰出書 | ● | |
| 1872年 | 国立銀行条例 | ● | 伊藤博文の建議、渋沢栄一が起草。国立銀行はアメリカのナショナル・バンクの制度にならったもの。官立銀行ではない。当初、金兌換を義務づけたので設立は進まなかったが、最終的に153行設立。 |
| 1872年 | 徴兵告諭 | ● | 徴兵制は大村益次郎が構想、山県有朋が実現。血税反対一揆がおこる |
| 1872年 | 琉球藩を設置 | ● | 尚泰を藩王に任じる。 |
| 1872年 | 太陽暦の採用 | ● | |
| 1873年 | 秩禄公債証書の発行 | ● | |
| 1873年 | 地租改正 | ●岩波にものってる地租改正 ●いやな3%の地租改正 ●涙、涙の地租改正 |
地券を発行し、地価の3%を現金で納めさせた。3%は江戸時代の年貢水準と等しくなるようにした。地主と小作人の間は従来どうり物納。 |
| 1873年 | 征韓論がおこる | ●征韓論は話さん ●いやな参議が辞職 |
征韓派と内地優先派(洋行派・伊藤博文・大久保利通ら)が対立、征韓派が敗れ、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平らが下野。この出来事を明治六年の政変という。 |
| 1873年 | 徴兵令 | ●人は涙の徴兵令 ●一花咲くか徴兵令 |
原則は20歳以上の男子全員。当初は免除規定が多く実際に対象になったのは農家の次男や三男。 |
| 1873年 | 明六社の結成 | ● | 明治六年に設立されたので明六社という。森有礼・福沢諭吉・加藤弘之・西周・中村正直らが参加。『明六雑誌』を刊行 |
| 1874年 | 立志社の設立 | ● | 自由民権運動の団体。板垣退助・片岡健吉らを中心に高知県で設立。設立の中心人物は板垣退助だが社長は片岡健吉が務めた。 |
| 1874年 | 民撰議院設立建白書 | ●いっぱい話します民撰議院 ●人、話し合いの民撰議院 ●一つ話してみよう建白書 ●いい話 |
愛国公党が太政官左院に提出。提出したのは明治六年の政変で下野していた板垣退助、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣ら。建白書の内容はイギリス人ブラックが経営する『日新真事誌』に掲載された。 |
| 1874年 | 佐賀の乱 | ●いやな士族の反乱 | 不平士族の反乱。中心人物は江藤新平。江藤新平は民撰議院設立建白書を提出したあと佐賀の乱を起こしていることに注意。 |
| 1874年 | 台湾出兵(征台の役) | ●話にならず台湾出兵 | 琉球漁民台湾漂着事件がきっかけ。西郷従道が出兵。木戸孝允が反対して下野 |
| 1875年 | 愛国社の設立 | ● | 立志社を中心に大阪で設立された。本部は東京。政府は讒謗律・新聞紙条例などで弾圧。 |
| 1875年 | 大阪会議 | ● | 大久保利通が大阪で板垣退助・木戸孝允と会談。元老院・大審院・地方官会議の設立が決まる。大阪事件と間違えないようにする。 |
| 1875年 | 立憲政体樹立の詔 | ● | |
| 1875年 | 讒謗律・新聞紙条例の公布 | ●いやな御法度 | 愛国社を弾圧するための法規 |
| 1875年 | 江華島事件 | ●いやなころおこった江華島事件 | 日本の軍艦、雲揚が測量中に砲撃を受け反撃した事件。翌年、日朝修好条規を締結。 |
| 1875年 | 樺太・千島交換条約 | ●いやな交換 | 樺太はロシア領、千島は日本領とする。日本全権は榎本武揚 |
| 1876年 | 廃刀令 | ● | 神風連の乱(太田黒伴雄)・秋月の乱(宮崎車之助)・萩の乱(前原一誠)がおこる |
| 1876年 | 日朝修好条規 | ● | 関税免除・片務的領事裁判権を認める日本側が有利な不平等条約。釜山・仁川・元山を開港 |
| 1876年 | 秩禄処分 | ● | 家禄・賞典禄の支給を打ち切る |
| 1877年 | 西南の役 | ●いやな内乱、西南戦争 ●一花投げる |
不平士族の反乱としては最大・最後の事件。以後、武力による明治政府への反抗は行われなくなる。 |
| 1877年 | 第1回内閣勧業博覧会の開催 | ● | 東京上野で開催。臥雲辰致のガラ紡 |
| 1877年 | 立志社建白 | ● | 片岡健吉ら立志社が国会開設の建白書を出す |
| 1878年 | 三新法の制定 | ● | 郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則 |
| 1879年 | 教育令 | ●いやな苦しみ教育令 | 学制(1872年)に代わって制定。当初はアメリカ流の自由主義的教育を理想とした。 |
| 1879年 | 沖縄県設置 | ● | 琉球藩の設置(1872(明治5)年)についで沖縄県がおかれた。これら一連の出来事を総称して琉球処分という。 |
| 1880年 | 国会期成同盟の設立 | ● | 愛国社第4回大会で国会期成同盟と改称。政府は集会条例で弾圧。 |
| 1880年 | 工場払下概則 | ● | 軍事工場を除く官営工場の民間への払下げを行う |
| 1880年 | 集会条例の制定 | ● | 国会期成同盟を弾圧するための法規。 |
| 1881年 | 開拓使官有物払い下げ事件 | ●人ははいとはいいません | 開拓長官の黒田清隆が同じ薩摩出身の五代友厚が経営する関西貿易社に不当な安価で払い下げようとした事件。 |
| 1881年 | 日本鉄道会社の設立 | ●ハワイ | 最初の民間鉄道会社 |
| 1881年 | 松方正義による紙幣整理がはじまる | ●いやや一番、紙幣の整理 | 松方デフレ政策。 |
| 1881年 | 明治十四年の政変 | ● | 政府は議会の早期開設を主張していた大隈重信を追放。 |
| 1881年 | 国会開設の詔 | ●党派はいりいろ国会開設 | |
| 1881年 | 自由党の結成 | ●一番早い自由党 ●人は入るぞ自由党 |
板垣退助を中心にしたフランス的急進主義政党。機関誌『自由新聞』 |
| 1882年 | 立憲改進党の結成 | ● | 大隈重信を中心にしたイギリス的穏健主義政党。機関誌『郵便報知新聞』 |
| 1882年 | 伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパへ行く | ● | ベルリン大学のグナイスト、ウィーン大学のシュタインらからおもに君主権の強いプロイセン憲法を学ぶ |
| 1882年 | 大阪紡績会社の設立 | ● | 渋沢栄一を中心に設立された。 |
| 1882年 | 日本銀行設立 | ●いわば日銀 | 日本の中央銀行 |
| 1882年 | 軍人勅諭 | ●母に聞かせる軍人勅諭 | 西周が起草 |
| 1882年 | 福島事件 | ●いやや福島 ●人ははにかっむ福島事件 |
自由党の激化事件の1つ。県令三島通庸による道路工事強行に農民が反発した事件。 |
| 1882年 | 壬午軍乱 | ● | 済物浦条約を締結。大院君が失脚し閔氏政権ができる。 |
| 1884年 | 華族令 | ● | 貴族院開設の準備。 |
| 1884年 | 秩父事件 | ● | 自由党の激化事件の1つ。借金党・困民党が蜂起。 |
| 1884年 | 甲申事変 | ● | |
| 1885年 | 漢城条約 | ● | 甲申事変(1884年)のあと日朝間で調印された条約。 |
| 1885年 | 天津条約 | ● | 甲申事変のあと日清間で調印された条約。内容は@日清とも朝鮮から撤兵A軍事教官といえども派遣しないB出兵の際には相互に事前通告 |
| 1885年 | 大阪事件 | ● | 自由党の激化事件の1つ。朝鮮の内政に干渉しようとした事件。大井憲太郎らを逮捕。 |
| 1885年 | 内閣制度の創設 | ●箱という意味です内閣は | 初代内閣総理大臣は伊藤博文 |
| 1886年 | 甲府雨宮製糸工女ストライキ | ● | |
| 1886年 | ノルマントン号事件 | ●人ははむかうノルマントン号事件 ●いやや無罪は |
ロシア皇太子アレクサンドロビッチ(のちのニコライ2世)を警備中の巡査津田三蔵が斬りつける。大審院の児島惟謙:は津田三蔵を謀殺未遂で無期徒刑とし、司法権の独立をまもる。 |
| 1887年 | 三大事件建白運動がおこる | ● | 三大事件とは言論の自由・地租軽減・外交失策の挽回 |
| 1887年 | 保安条例の制定 | ●人は離れる保安条例 | 尾崎行雄・中江兆民・星亨ら約570名を皇居外3里の地へ追放 |
| 1888年 | 枢密院の創設 | ● | |
| 1888年 | 市制・町村制公布 | ● | |
| 1889年 | 大日本帝国憲法の発布 | ●いち早くつくった帝国憲法 ●はい(81)約束どうりの憲法です |
1889(明治22)年2月11日に発布。この日は紀元節(現在の建国記念日)。天皇が発布した欽定憲法。当時の総理大臣は黒田清隆。 |
| 1890年 | 第1回衆議院選挙 | ●一夜が暮れて総選挙 | 選挙権の要件は25歳以上の男子で直接国税を15円以上納めるもの。全人口の約1.1%であった。 |
| 1890年 | 第1回帝国議会 | ● | 第6回までを初期議会という。 |
| 1890年 | 府県制・郡制公布 | ● | |
| 1890年 | 教育勅語 | ●一夜もくれる教育勅語 | 起草は井上毅と元田永孚。忠君愛国の精神を示す。 |
| 1891年 | 内村鑑三不敬事件 | ●悔いがのこった不敬事件 | 教育勅語への礼拝を拒否。内村鑑三は無教会派のキリスト教徒。 |
| 1891年 | 大津事件 | ●いわくいっぱい大津事件 ●人は悔いを残した大津事件 |
ロシア皇太子が巡査の津田三蔵に傷つけられる。外務大臣青木周蔵が辞任し、条約改正交渉が中断。 |
| 1894年 | 甲午農民戦争(東学党の乱) | ●人は苦しい農民戦争 | 日清両国が出兵し日清戦争のきっかけとなった。 |
| 1894年 | 日英通商航海条約 | ●白紙に戻せ治外法権 | 外相陸奥宗光が治外法権(領事裁判権)の撤廃に成功。日清戦争がはじまる直前に締結された。 |
| 1894年 | 日清戦争 | ●人は苦心の日清戦争 ●日進焼きそば焼くよ ●日進、白紙 ●人は串刺し日清戦争 |
豊島沖海戦で開戦。 |
| 1894年 | 大阪天満紡績工女ストライキ | ● | 初期の労働運動の1つ。 |
| 1895年 | 下関条約 | ●違約、ごめん | 日本全権は伊藤博文・陸奥宗光、清国全権は李鴻章 |
| 1895年 | 三国干渉 | ● | 三国とはロシア・フランス・ドイツのこと。日本は代償金と引き替えに遼東半島を中国(清)に返還。「臥薪嘗胆」が叫ばれる。 |
| 1896年 | 松隈内閣の成立 | ● | 松方正義内閣Aに大隈重信が外務大臣として入閣したので松隈内閣と呼ばれる。 |
| 1896年 | 小村・ウェーバー覚書 | ● | |
| 1896年 | 山県・ロバノフ協定 | ● | |
| 1897年 | 金本位制の確立 | ●いち早くなりました金本位制 ●いやあ苦難の金本位 |
貨幣法を制定。日清戦争の賠償金の一部を利用して金本位制を実現した。 |
| 1897年 | 綿糸輸出量が輸入量を上まわる | ● | 綿糸紡績業が確立 |
| 1897年 | 朝鮮が国号を大韓帝国と改める | ● | 朝鮮国(李朝)が国名を大韓帝国と改めた。これ以後を韓国と呼ぶ。現在の大韓民国とは異なる。 |
| 1898年 | 民法の施行 | ● | ボアソナードが起草した民法は、いわゆる民法典論争がおこり施行が延期されていた。 |
| 1898年 | 西・ローゼン協定 | ● | |
| 1898年 | 第1次大隈重信内閣の成立 | ● | 最初の政党内閣。板垣退助が内務大臣として入閣したので隈板内閣と呼ばれる。 |
| 1899年 | 義和団の乱 | ● | 中国北部の山東半島を中心におこった事件。「扶清滅洋」をスローガンとする。 |
| 1900年 | 治安警察法 | ●俺が作った治安警察法 | 第2次山県有朋内閣。それまでの治安立法を集大成した法規 |
| 1900年 | 軍部大臣現役武官制 | ● | 山県有朋内閣A。軍部大臣現役武官制は1913年に廃止、1936年復活 |
| 1900年 | 北清事変 | ●人加わる北清事変 | 義和団事件が発展し、北京の欧米の大使館などを包囲。列強が出兵した事件。 |
| 1900年 | 立憲政友会の結成 | ● | 伊藤博文を中心に結成 |
| 1901年 | 北京議定書 | ● | 北清事変(1900年)の処理条約。清国に列国の北京駐兵権と賠償金の支払いを認めさせる。 |
| 1901年 | 社会民主党の結成 | ● | わが国最初の社会主義政党。片山潜・安部磯雄・幸徳秋水らが結成。前年に制定された治安警察法によって即刻禁止された。 |
| 1901年 | 田中正造が足尾鉱毒事件で天皇への直訴を試みる | ● | 古河が経営する足尾銅山の鉱毒が渡良瀬川に流入し周辺を汚染。衆議院議員であった田中正造が天皇に直訴を試みた。 |
| 1901年 | 八幡製鉄所の操業開始 | ● | ドイツの技術を導入。当初は地元の筑豊炭田の石炭と中国のターイエ鉄山の鉄鉱石を使用した。 |
| 1902年 | 日英同盟(第1次) | ●日暮れに結んだ日英同盟 ●鬼より怖い日英同盟 ●おじさんも知ってる日英同盟 ●遠くをにらむ日英同盟 |
桂太郎内閣@ 1902年(第1次) 1905年(第2次 ) 適用範囲をインドまで拡大 1911年(第3次) アメリカを適用範囲から除外 |
| 1902年 | 教科書疑獄事件 | ● | 1903年に小学校教科書の国定制度がはじまる |
| 1903年 | 平民社の設立 | ●おっさんが作った平民社 | 幸徳秋水・堺利彦らが設立。『平民新聞』を発行し日露戦争に反対 |
| 1904年 | 日露戦争 | ●得をしようと日露戦争 ●引くをよしとする日露戦争 ●日暮れし満州、日露の戦い |
戦費17億。仁川沖海戦で開戦。 |
| 1905年 | ポーツマス条約 | ●遠くで行うポーツマス | 日露戦争の講和条約。アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトの仲介で結ばれた。日本の全権は小村寿太郎、ロシアの全権はウィッテ。 内容は @北緯50度以南の南樺太を日本に譲る。 Aリャオトン半島南部の租借権を日本に譲る。 B南満州鉄道の利権を日本に譲る。 Cカムチャッカの漁業権を日本に譲る。 |
| 1905年 | 日比谷焼き打ち事件 | ●起こった民衆が焼き打ち事件 | ポーツマス条約の内容に不満を持った民衆が暴徒化した事件。 |
| 1905年 | 桂・タフト協定 | ● | アメリカのフィリピン支配と日本の韓国支配を相互に認める。 |
| 1906年 | 鉄道国有法 | ● | 産業上,軍事上からも統一的な路線網の確立が求められ制定された。この法律により私鉄17社が政府に買収された。 |
| 1906年 | 南満州鉄道株式会社の設立 | ● | 南満州鉄道会社は満州経営のための国策会社。初代総裁は後藤新平。日露戦争で日本の得た東清鉄道の一部(長春〜旅順)と付属利権の経営のため1906年設立された特殊会社。鉄道と撫順炭鉱・鞍山製鋼所を中心に交通,鉱工業,商業,拓殖などを経営。付属地の一般行政権と警備駐兵権を持ち日本の満州経営の中心となった。 |
| 1906年 | 日本社会党の設立 | ●日暮れ迎えた社会党 | 堺利彦らを中心に設立されたわが国最初の合法的社会主義政党。1907年第2回大会で闘争方針をめぐり幸徳秋水と田添鉄二が対立。2月22日結社禁止を命じられ解散。 |
| 1907年 | 日本製鋼所 | ● | 日本の北海道炭礦汽船とイギリスのアームストロング,ビッカースの3社共同で設立された製造会社。 |
| 1908年 | 東洋拓殖会社の設立 | ● | 朝鮮支配のために設置された半官半民の国策会社。朝鮮で膨大な農地を保有,農業,土地経営,水利事業などを行ない,日本の朝鮮支配の経済的中心となった。 |
| 1909年 | 伊藤博文が暗殺される | ● | ハルピン駅頭で安重根に暗殺された。 |
| 1910年 | 韓国併合 | ●悔いを残した韓国併合 ●行くと大変、韓国併合 ●人悔いを残す韓国併合 ●はじめから悔いを残す韓国併合 |
併合後、朝鮮総督府を設置。初代総督は寺内正毅。創氏改名、神社参拝の強制などの皇民化政策を進めた。 |
| 1910年 | 大逆事件 | ●父さんも知ってる大逆事件 | 1910〜11年明治天皇暗殺計画という容疑で多数の社会主義者が逮捕,処刑された事件。幸徳秋水ら12名が処刑された。 |
| 1911年 | 改正日米通商航海条約 | ●低い位置から対等へ | アメリカと締結。関税自主権を回復した。外相小村寿太郎が実現。これによって江戸時代の末期に結ばれた不平等条約の改正に成功した。 |
| 1912年 | 第1次護憲運動 | ●得意になります第1次護憲運動 | 第2次西園寺内閣が倒れたあと,政友会の尾崎行雄,国民党の犬養毅ら政党人や新聞記者の提唱で憲政擁護大会が開かれた。しかし元老は藩閥の巨頭で内大臣の桂太郎を指名,同年末第3次桂内閣が成立。これに対し翌年2月10日,数万の民衆が議会を包囲して辞職を要求,桂は翌日総辞職。 |
| 1914年 | 第1次世界大戦 | ●行く人死にます第1次大戦 ●行く意思あります |
きっかけはサラエボ事件。日本は日英同盟を根拠に参戦。参戦時の内閣は大隈重信内閣A。外相加藤高明。 |
| 1915年 | 対華21カ条の要求 | ●得意のごり押し二十一ヵ条 | 大隈重信内閣Aが中国の袁世凱政府に要求。火事場泥棒と呼ばれた。袁世凱政府は一部を除き承認。中国ではこの日を「国恥記念日」という。 |
| 1917年 | 石井=ランシング協定 | ●悔いないか | 日本特命全権大使、石井菊次郎と米国国務長官ランシングとの間にかわされた,中国に関する日米共同覚書。中国における日本の特殊権益の承認,中国の領土保全,門戸開放,商工業上の機会均等などを規定。九ヵ国条約で廃棄 |
| 1917年 | ロシア革命 | ●得意な革命 | 3月革命でロマノフ王朝が倒れロシア帝国が崩壊したが、新政府は戦争を継続したのでレーニンを中心に11月革命がおこり戦争を中止した。 |
| 1918年 | 米騒動 | ●ひどく言われた米騒動 ●人、食いはぐれて米騒動 ●ひどくいやな米騒動 |
米価急騰の原因はシベリア出兵にともなう米の買い占めや売り惜しみ。きっかけは富山県魚津の漁村の主婦が起こした一揆(越中女一揆)。寺内正毅内閣が倒れる |
| 1918年 | 原敬内閣の成立 | ● | 原敬は立憲政友会総裁。わが国最初の本格的政党内閣。平民宰相と呼ばれたが、普通選挙の実現には消極的であった。 |
| 1919年 | ベルサイユ条約に調印 | ●行く行くベルサイユ ●びくびくベルサイユ |
日本はドイツが中国の山東半島に持っていた権益および赤道以北のドイツ領南洋諸島の委任統治権の継承が認められる。 |
| 1919年 | 三・一運動 | ● | ソウルで日本からの独立万歳を叫んだ事件。三・一独立運動・万歳事件ともいう。 |
| 1919年 | 五・四運動 | ● | ドイツが山東省に持つ権益を継承することを認めたベルサイユ条約に対して、北京でおこった反対運動。 |
| 1919年 | ワイマール憲法の制定 | ●いくいくワイマール | 社会権を認めるなど民主的な憲法。正式にはドイツ共和国憲法というが制定された地名をとってワイマール憲法という。 |
| 1919年 | ガンディーの独立運動が本格的にはじまる | ●いくいくガンジー | 非暴力・不服従によるイギリスからの独立を求める。完全なる自治(プールナスワラジ)を求める。 |
| 1920年 | 国際連盟の設立 | ●特に礼をいう | アメリカ大統領ウィルソンが提唱。本部はスイスのジュネーブ。常任理事国は英・仏・日・伊 |
| 1920年 | 森戸事件 | ●一気に押さえた | 東大経済学部助教授森戸辰男の「クロポトキンの社会思想の研究」に対し上杉慎吉教授ら右翼がこれを危険思想と批判,翌年1月,森戸および編集発行人大内兵衛助教授が朝憲紊乱(ビンラン)・新聞紙法違反で起訴され,休職となり,雑誌は回収となった。 |
| 1921年 | ワシントン会議 | ●引くに引けないワシントン ●とっくに行ったよ、ワシントン |
アメリカ大統領ハーディングの提唱。1921〜22年ワシントンで開かれた国際会議。日・米・英・仏・伊・中国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9ヵ国が参加。ワシントン海軍軍縮条約・四カ国条約・九カ国条約に調印。 |
| 1922年 | ワシントン海軍軍縮条約 | ●特に不満の5:5:3 ●ひどく不服のワシントン条約 |
海軍の主力艦の保有量を制限した。英:米:日:仏:伊=5:5:3:1.67:1.67 |
| 1922年 | 全国水平社の設立 | ●国に求める解放を | 部落解放を目的とした組織。水平社宣言を発表。西光万吉らを中心に京都で設立された。 |
| 1922年 | 日本農民組合の設立 | ●国に帰って農民組合 | 中心人物は賀川豊彦・杉山元治郎。賀川豊彦はキリスト教徒として労働運動、農民運動などに活躍。自伝的小説『死線を越えて』がある。 |
| 1922年 | 日本共産党の設立 | ●いくつになっても共産党 | コミンテルンの日本支部として設立。 |
| 1923年 | 関東大震災 | ●特に散々大震災 ●特に災難、大災害 |
亀戸事件・甘粕事件などがおこる。震災の起こった9月1日は防災の日。 |
| 1924年 | 第2次護憲運動 | ●とっくに知ってる第2次 護憲運動 | 護憲三派による清浦奎吾内閣倒閣運動。第1次加藤高明内閣が成立。 |
| 1925年 | 日ソ基本条約の締結 | ●とっくにご存じ、日ソ国交樹立 | 加藤高明内閣。日本はソ連と国交を樹立。日ソ中立条約と間違えないようにする。 |
| 1925年 | 普通選挙法の成立 | ●行く、25歳 | 加藤高明内閣。衆議院議員選挙法を改正し、男子25歳以上と改める。なお、普通選挙法という名前の法律はない。 |
| 1925年 | 治安維持法の成立 | ●特にご満足治安維持 ●いくつこらえる治安維持 |
加藤高明内閣。社会主義者を取り締まるための法律。1928(昭和3)年には最高刑が死刑になった。太平洋戦争終戦後の1945年10月にGHQ指令によって廃止された。 |
| 1925年 | ラジオ放送はじまる | ● | ラジオ放送の開始によって情報が日本全体に同時に伝わるようになった。 |
| 1927年 | 金融恐慌 | ●重苦に泣いた金融恐慌 ●一番苦になる金融恐慌 |
大蔵大臣片岡直温の失言がきっかけ。1929年の世界恐慌と間違えないようにする。 |
| 1928年 | パリ不戦条約 | ●特に約束不戦の近い | 条約を提唱したフランス外相A.ブリアンとアメリカ国務長官F.ケロッグにちなんでケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる。この条約によって,国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は,平和的手段のみで解決をはかることが規定された。 |
| 1928年 | はじめての普通選挙実施 | ●一気に8人の無産政党員 | 1925年の衆議院議員選挙法改正(普通選挙法)に基づいて実施された。無産政党員8名が当選。 |
| 1928年 | 治安維持法の最高刑が死刑になる | ●一気にはじまる死刑の執行 | 治安維持法の制定は1925年(加藤高明内閣)。1928(昭和3)年には田中義一内閣は緊急勅令で法改正を行い,「国体変革」の罪には死刑をも適用することにした。 |
| 1928年 | 三・一五事件 | ● | 3月15日に行われた1000人に及ぶ日本共産党員の全国的大検挙。 |
| 1929年 | 世界恐慌 | ●いくつ苦しむ大恐慌 ●特に苦しむ世界恐慌 ●ひどく吹く、不況の風 |
きっかけはニューヨークのウォール街での株価暴落。アメリカは1933年からフランクリン=ルーズベルト大統領の下でニューディール政策を実施。 |
| 1930年 | ロンドン海軍軍縮会議 | ●いくさをなくすロンドン会議 ●いくさなくなれロンドン会議 |
イギリス首相マクドナルドが提唱。イギリス,アメリカ,日本,フランス,イタリアが参加。フランスとイタリアは条約に調印せず。 |
| 1930年 | 統帥権干犯問題 | ●いくさを避ける統帥権 | 政府はロンドン海軍軍縮条約に調印したが、天皇の統帥権を侵害するのではないかと問題になった。 |
| 1930年 | 金解禁 | ●ひどく未練の金解禁 ●いくさを忘れて金解禁 |
金輸出禁止を解除し再び金の自由かつ無制限な輸出を認め,金本位制度に復帰すること。金輸出解禁ともいう。浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相のもとで行われた。「嵐の中で窓を開けるようなものだ。」といわれた。 |
| 1931年 | 満州事変 | ●いくさ一発満州事変 ●いくさ人、満州へ |
奉天郊外でおきた柳条湖事件がきっかけ。1931年9月18日の柳条溝事件に始り,33年5月31日の塘沽(タンクー)停戦協定にいたる戦争。 |
| 1932年 | 五・一五事件 | ●いくさに走る五・一五 ●いくぞ殺戮 |
海軍の青年将校に犬養毅首相が暗殺され、政党政治が終わる。 |
| 1932年 | 満州国の建国 | いくさになります満州国 | 執政に清朝最後の皇帝宣統帝(溥儀)を迎える。のち帝政をしき満州帝国となる。 |
| 1933年 | 国際連盟脱退 | ●ひどくさみしい国連脱退 ●行くと散々、国際連盟 |
日本全権は松岡洋右。国際連盟総会は,「リットン報告書」に基づく19ヵ国委員会の報告および勧告案を,賛成42,反対1(日本),棄権1(タイ)で可決,日本代表団は議場を退場した。 |
| 1936年 | 二・二六事件 | ●いくさ無理矢理二・二六 ●いく・さろう |
陸軍の青年将校がおこした反乱。岡田啓介首相は難を免れたが斎藤実内大臣,高橋是清蔵相,渡辺錠太郎教育総監を射殺。この事件によって岡田啓介内閣は倒れ,軍の政治的発言権が強化された。 |
| 1937年 | 日中戦争 | ●いくさ長引く日中戦争 ●行くぞみんなで日中戦争 |
北京郊外でおこった蘆溝橋事件がきっかけ。 |
| 1938年 | 国家総動員法の制定 | ●いくさやるぞ、総動員 | 戦争遂行のため労務・資金・物資・物価・企業・動力・運輸・貿易・言論など国民生活の全分野を統制する権限を政府に与えた法律。 |
| 1939年 | 第2次 世界大戦の勃発 | ●いくさ苦しむ第2次大戦 | ドイツがポーランドに侵入し第2次 世界大戦がはじまった。 |
| 1940年 | 大政翼賛会の発足 | ●いくよ俺たち、翼賛会 | 1940年10月、近衛文麿(コノエフミマロ)によって組織された国民統制組織。政党は解党してこれに参加。総裁には首相が,各道府県支部長には知事が就任した。 |
| 1941年 | 太平洋戦争はじまる | ●いくよ一発太平洋戦争 | 日本が1941年12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃。開戦時の首相は東条英機 |
| 1942年 | ミッドウェーの海戦 | ●急死に一生、ミッドウェー | 1942年6月5〜7日。日本艦隊は大敗し、これを機に太平洋戦線の主導権はアメリカに移り,その後の太平洋戦争の勝敗を決する意義をもった。 |
| 1945年 | ポツダム宣言 | ●戦苦・地獄もおしまい ●いくよ、降伏。ポツダム宣言 |
1945年7月26日,米・英・中3ヵ国の首脳の名前で発せられた日本に無条件降伏を要求する共同宣言。ソ連は8月8日対日宣戦とともにこの宣言に参加。日本は8月14日これを受諾。内容は,軍国主義の除去,日本占領,領土制限,軍隊の武装解除,戦争犯罪人の処罰と民主主義の復活強化,基本的人権の確立,軍需産業の廃止など。日本復興の基本的方針となった。終戦時の首相は鈴木貫太郎。 |
| 1945年 | 国際連合の発足 | ●いくよ強引、国連発足 ●ひどく汚れた |
サンフランシスコ会議で設立が決まる。原加盟国は51カ国。ダンバートン・オークス会議で提起された国際連合設立を決定,国際連合憲章を採択した。 |
| 1946年 | 日本国憲法の公布 | ●ひどく喜ぶ憲法発布 | 日本国憲法の公布は1946年11月3日。施行は47年5月3日。いずれも吉田茂内閣 |
| 1946年 | 第1次農地改革 | ●得しろ農民 | |
| 1947年 | 第2次農地改革 | ●得しなさい農民 | |
| 1947年 | 教育基本法公布 | ● | 教育勅語の廃止のあと成立した戦後民主主義教育の中心となる法律。 |
| 1947年 | 独占禁止法の制定 | ●徳よなにより独占禁止 | 正式には「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」。公正取引委員会が運用している。 |
| 1949年 | 中華人民共和国の設立 | ●一国よくできた | 終戦後、再び国共内戦がおこり毛沢東を中心に中華人民共和国が成立。蒋介石の国民党は台湾に逃れる。 |
| 1950年 | 朝鮮戦争 | ●特需はこれから | (-53年)。アメリカは国連軍として大韓民国を支援。中国は大量の義勇兵を送り北朝鮮を支援した。1953年には北緯38度線を基準に休戦協定が成立。 |
| 1951年 | サンフランシスコ平和条約 | ●ひどく強引平和条約 | アメリカを中心とした西側との単独講和。ソ連・チェコスロバキア・ポーランドは調印を拒否。日本は48カ国と調印。 |
| 1951年 | 日米安全保障条約 | ●一国強引 | サンフランシスコ平和条約と同時に調印。いずれも吉田茂首相。 |
| 1952年 | 日米行政協定に調印 | ● | 前年に結ばれた日米安全保障条約に基づいて締結された。日米安全保障条約の第3条に基づき,米軍の日本における配備の条件を定めた協定。在日米軍の地位と特権等を規定。 |
| 1953年 | テレビ放送はじまる | ● | わが国で初めてのテレビ放送が始まった。 |
| 1954年 | MSA協定に調印 | ● | 日米相互防衛援助協定。1954年3月東京で調印,同5月1日発効。米国が日本に兵器その他の援助を約束し,日本は防衛力の増強と,米国に各種の便宜を供与することを約束した。これにより日本は防衛力増強措置をとるに至った。 |
| 1954年 | 第五福竜丸事件 | ●とくにご用心 | 南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行なった水爆実験のため,操業中の漁船第五福竜丸が死の灰をかぶり全乗組員が放射能症にかかり,乗組員が死亡した事件。原水爆禁止運動発展の契機となった |
| 1955年 | 保守合同 | ● | 自由党(緒方竹虎総裁)と民主党(鳩山一郎総裁)が合同し、新たに自由民主党が結成された。これにより日本の保守政党が統一された。 |
| 1956年 | 日ソ共同宣言 | ●ころあいみて日ソ国交回復 | 日本の首相は鳩山一郎。第二次大戦における日本・ソ連間の戦争状態を終了させた宣言。首相鳩山一郎が1956年モスクワで調印。両国間の北方領土の主張が食い違い,現在でも平和条約の調印は行われていない。 |
| 1956年 | 日本の国連加盟 | ●国連に行く頃 | 日ソ国交回復を受けて、日本の国連加盟が実現 |
| 1960年 | 日米安全保障条約の改定 | ●人苦労をした安保改定 ●ひどく群れなし国会包囲 |
日本の首相は岸信介。政府は片務的な内容であった日米安全保障条約の改定を行ったが、激しい反対運動がおこった。 |
| 1964年 | 東海道新幹線開通 | ●無事に開通新幹線 | 東京-新大阪間に開通。 |
| 1964年 | 名神高速道路が開通 | ● | わが国最初の高速道路である名神高速道路が開通。 |
| 1964年 | 東京オリンピック | ●一苦労よ | アジアで最初に開催されたオリンピック。 |
| 1965年 | 日韓基本条約 | ●ひどくむごい | このときの首相は佐藤栄作。日本と大韓民国との間の基本関係に関する条約。漁業協定、過去の日韓併合への賠償請求権・経済強力協定、在日韓国人の法的地位協定、文化財・文化協定などが同時に締結され、日本と韓国は国交を正常化した。 |
| 1968年 | 小笠原諸島返還 | ● | 現在は全域が東京都小笠原支庁小笠原村に属する。 |
| 1970年 | 大阪万国博覧会 | ●いくな大阪 | 1970年3月15日〜9月13日,国際博覧会条約に基づいて,大阪千里丘陵で開催された博覧会。EXPO'70。大阪万博とも呼ばれる。アジアで開かれた最初の万国博覧会で,基本テーマは「人類の進歩と調和」。 |
| 1971年 | ドル・ショック | ●ひどくない?ドルショック | 1971年8月,ニクソン米大統領は一律10%の輸入課徴金設定とドルの金交換停止を柱とする緊急経済政策を発表した。ドル防衛策であるが,各国に対ドルレートの切上げを迫るものでもあった。このドルショックは,1ヵ月前のニクソン訪中計画発表と並んでアメリカの政経両面の世界政策の重大な転換として対米依存の日本に衝撃を与え,ニクソンの二大ショックと呼ばれた。 |
| 1972年 | 沖縄返還 | ●行くぞ、夏の沖縄 ●行くな、再び沖縄へ |
日本の首相は佐藤栄作。1971年6月17日,日米間で沖繩返還協定が調印され,翌72年5月15日に発効,26年ぶりに沖繩は祖国に復帰した。 |
| 1972年 | 日中国交回復(日中共同宣言) | ●苦難に耐えて日中国交回復 | 日本の首相は田中角栄。日本側は中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを認め,台湾が不可分の中国領土であることを十分理解,尊重するとのべているほか,中国側の賠償請求の放棄,平和五原則に基づく国交がうたわれた。 |
| 1973年 | 第1次石油ショック | ●苦難散々石油ショック | 1973年10月に始まった第4次中東戦争に際し,アラブ石油輸出国機構(OAPEC)が石油の減産・禁輸を行なったのに並行して,OPECは原油価格を一挙に4倍に引き上げた。この結果,基幹産業のほとんどを石油に依存している日本をはじめ世界各国は,経済的に大打撃を受けた。 |
| 1976年 | ロッキード事件 | ● | 航空機売り込みに関する汚職事件。田中角栄元首相が逮捕される。83年10月には田中元首相に対する第1審判決が東京地裁でなされ、元首相には受託収賄罪で懲役4年、追徴金5億円の実刑が言い渡された。 |
| 1978年 | 日中平和友好条約 | ●ひどく悩んだ日中条約 ●得な約束、日中条約 |
日本の首相は福田赳夫。1972(昭和47)年の日中国交回復から平和条約の調印が課題になっていたが覇権条項でもめた。 |
| 1980年 | イラン・イラク戦争 | ●戦苦は大きいイラン・イラク戦争 | 両国間の国境線はシャットルアラブ川と定められていたが,イラクはイラン革命に乗じて同協定を破棄,80年9月22日イランを奇襲攻撃して戦争状態に突入。やがてペルシア湾のタンカー攻撃にまで拡大したが,88年8月20日国連安全保障理理事会の停戦決議に従って,停戦が実現した。 |
| 1986年 | 男女雇用機会均等法の施行 | ●野郎も守れ男女均等 ●人、悔やむな男女の平等 |
雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律>が正式名称。1986年4月1日施行。募集,採用,配置,昇進に関する男女の機会均等を企業に義務づけた。しかし,罰則規定を欠くことからさまざまな批判をあびている。 |
| 1987年 | 国鉄の民営化 | ●得やな国鉄民営化 | 国鉄が分割民営化されJRになる。旅客6社、貨物1社になる。 |
| 1988年 | 青函トンネル開業 | ● | 本州と北海道を結ぶ海底トンネル。鉄道で本州から北海道にわたることができるようになった。 |
| 1988年 | 瀬戸大橋開通 | ● | 本州と四国を結ぶ児島-坂出ルートが完成。このルートは鉄道と自動車道がある。 |
| 1989年 | 平成へ改元 | ●急迫告げる平成改元 | 昭和天皇が死去。元号は昭和から平成に変わった。 |
| 1989年 | 消費税実施 | ●いくばくかもらいます消費税 | 消費税は国に納める間接税。実施当初は3%。このときの内閣は竹下登内閣。 |
| 1990年 | 東西ドイツ統合 | ●1つにくくれ東西ドイツ | 旧西ドイツが旧東ドイツを吸収。 |
| 1991年 | 湾岸戦争 | ●戦苦、くいいる湾岸戦争 | 1990年8月にイラク軍がクウェートに侵攻し,これに反発した国によってアメリカ軍を主力とする多国籍軍が組織され91年1月17日にイラクへの空爆を開始した。日本は90億ドルの資金援助をおこなった。 |
| 1992年 | PKO協力法 | ●国を守るPKO | 正式には「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」といい,PKOは国連平和維持活動を示す英語piece-keeping operationsの略。 |
| 1993年 | 細川連立内閣成立 | ●ひどくくさした細川内閣 | 非自民の7党連立内閣。 |
| 1995年 | 阪神・淡路大震災 | ●救護に苦しむ大震災 | 兵庫県南部を中心に大地震が発生。死者約6000人。 |