詩吟の命題

 先人の遺訓

 詩吟が社会にとって、また、人生においてどのような意味合いがあるのか、先達の言葉(要旨)からみることにいたしましょう。

◆ 吟は祈りである。孔子は、詩に邪念がないと言っている。邪念を捨てなければ詩心に触れることが出来ない。しかし、凡人は邪念を簡単に捨てられないから、神殿に立つ思いで(祈る心をもって)吟ずる。

◆ 詩歌を吟ずる時の邪念無き境地は、その瞬間その刹那は、古の聖人・君子・英雄・豪傑といった人びとと接し、心会できるのである。詩吟は、人を剛直にし・勇敢にし・高尚し・円満にする。特に、平和円満に頗る効果あらしめる。これが詩吟の特徴である。

◆ 日本史・中国史のうえにおいて我々が範とする人物は、たいがい詩を嗜んだ。一方優れた詩人は東洋の天界・人界における一切を詩に盛り込んだ。詩を吟ずることは詩を学ぶことでもある。詩に親しむことによって偉人傑人と親しく交わることばかりではなく、兼ねて東洋の真理に精通することができる。

◆ 武士道は、詩的である。詩的というのは、わが国の一貫した国民性である日本人ほど花鳥風月を愛する民族は他に見られない。山川風物などの自然美は、すなわち情操教育によって知らず知らず感化され、美化なるのである。

◆ 詩歌の根本精神は、士気をを鼓舞し日本国民精神を振興するところが最も尊ばれるところである。詩は国民を治め、世を経する一つの道具である。人情を動かし風俗を移すは詩よりよろしきものはなく、青年の思想を養う方策として詩吟は最も相応しいものである。

 

吟詠の真義
〜陽明学者安岡正篤先生遺訓〜

昭和41年9月10日松山市清吟堂吟友会本部
一灯閣道場における講演要旨

吟詠には深い精神的異議がある

◆ 吟詠には、深い精神的意義が有ります。人間はみな真剣になると、真剣な場に臨みますと散漫でおれなくなる。 したがっ て読み物でも、散漫な通俗もの、つまらないものでは満足できなくなるんです。戦争には反対だが 、例えば戦争において前 戦に進駐して敵と対陣すると何時敵の襲撃を受けるか分からな いと言うような境地に臨むと、雑誌だの小説だのと言うものは読めないそうです「論語」と かお経だとか、バイブルだとか、そういう真剣な魂のこもったものを読まねばおさまらないそう です。同じ事を登山家が言います。その辺の物見遊山の場合には、つまらない雑誌だの小説だのを持って行ってキャンプ・テントの中で読むが、深山幽谷へ入って行くと、つまら ないものは馬鹿ばかしくて読めないそうです。どうしても真面目に非常に心を打つよう なもの、深く心に訴えるような、いわゆる聖書でないと満足が出来ない。これは日本人 東洋人ばかりでなく、西洋人でもアルプスに登るとか、ヒマラヤに登った人々みな同じ体 験を告白しております。

◆ 或いはお互いの会話にしても、手紙にしても、感想を書き記す日記のようなものにしても、敵と対峙しておる本当の陣中であるとか、或いは深山・幽谷のようなところに行くと、つまらないと言いますか、ざっぱくなことをざらざら書けないそうです。どうしても歌とか句とか詩とかいうような、凝集された心を打ち込んだ一言一句そういう韻律的なもの、思索的瞑想的なもの、つまり広く言う仕儀(しぎ)な散文ではなくなる

◆ これは、人間性の自然必然と言うものです。人間がつまらない間はどうしてもザッパクであります。平たく言いますとオッチョコチョイとかガサツとか、ダラシガないとか、とりとめがないとかいうことになる。ところが人間が出来てくるに陥ってなんとなくその人が韻律的になる、詩的になるといいます。西洋人ならばリズミカルになるとよく言いますが、我々の言葉特に詩歌などの言葉では「風韻」、風という字と音韻の韻、リズムという字ですが、風韻とか風格とか風致とかいう事こと、その人を表すのですが、人柄が風韻を帯びるようになる、音楽的詩的になってくるのであます。言葉などもそうでありまして、あまり理屈っぽいごたごたしたことを言わなくなり、言葉が少なくなって活きた、味のある趣のある内容表現をもつようになる。真理は一つであります。

詩歌は民族・国家を隆盛にする

◆ 時代にしても民族にしても真剣になってくる、誠になってくる、その時代の人心が正しくなって来るにつれて、どうしてもこの詩というものを、また、詩歌と言うものの吟詠あるいは創作が喜ばれるようになる。盛んになるという風に変化してゆくものであります。

◆ 詩歌を愛さない、詩歌を好まない、詩歌を持たないと言う間は、まだその社会その国家その民族国民はまだ本当ではありません。これは古今東西その機を一つにした問題であります。

◆ 昔、我々が大学生時分に「クラム」というロンドン大学の教授がヂャーマニエンド・イングランド、ドイツとイギリスという大変名著を書きまして、結局ドイツとイギリスは衝突を免れないが何れが勝つだろうかと言うと、結局イギリスが勝つだろうと。長い目で見ていると自分がイギリス人だから言うんじゃなくて、こういう理由があるんだ、と彼はイギリスの代表を名高いカーラエルという人を選びます。ドイツの代表にトライチケツという人を選びますと、結局カーラエルには詩があるが、トライチケツには詩がないということを眼目にして論じておるんです。これは大変名著でありますが、日本人にはあんまり知られないで終わりました。

◆  このころもよく話題になっておる「おはなはん」というテレビの作品、なぜあんなに人気があるのかというと、あれは明治時代の一つの気風というものが生き生きと表わされている。あの時代の方が人の心に、素直な純真な共鳴と感激を与えるものがあるからです。あの時代の方がよほど詩的、韻律的であります。そもそも軍人でもあの頃の軍人は上大将から下兵隊に到るまでずいぶん詩人が多かった。なかなか傑作が残っています。乃木将軍をはじめとして山県有朋将軍にしても、その他広瀬武夫など、色々皆詩を作っています。今度の戦争であれだけ活躍したけれど、詩を作ったり歌を作ったりという人は殆ど聞きません。いいかえれば、今度の戦争には詩が無かった。明治の戦争には詩が有った。

詩歌吟詠に国家民族の命運がかかる

◆ そういう風に考えて参りますと、この詩歌とか吟詠とか言うことには非常な深い意味がありまして、小にしては個人個人の生活、心境、教養はもちろんのこと、大にしては国家民族の命運をも卜知する一端になる重要な問題であります。

◆ みなさんもこの平和にして清浄な境地に、決してこの卑下すると申しますか、或いは単なる趣味とか教養とかという事にとどめ られないで、これには大きな意義があり、大きな真理があり、影響あがるということを十分ご承知になって、益々この清い道業を世に普及することにご尽粋になりましたら、意外な影響或いは効果があろう。
これは私の心から皆さんに差し上げたい贈りものであります。