〜詩吟理解のために〜

詩吟の意義

 
詩とは「詩は志を言う。言を長くするのを歌という。(書経の舜典)」、「詩とは志の之く所なり。心に有るを志と為し、言に発するを詩と為す(詩経の序文)」と
つまり詩とは、人生の喜怒哀楽の情や自然の風光に心打たれ、また、あるものについての感興等を一定の法則のもとに叙述した言葉である。

 論語(為政篇)に、「子曰く、詩三百、一言をもって蔽(サダ)むれば思い邪(ヨコシマ)なしと曰うべし、と歌われています。この意味するところは、孔子が弟子に教えた詩経はおおよそ三百、この本質を一言で結論すると「思い邪なし」に尽きるというのです。つまり、詩の本質は純粋な感情が自然に流露し、しかもそれが調和を保ち表現が適正で、決して過度に陥ってはいないという事です。

更に、「子曰く、少子なんぞなんぞ夫(か)の詩を学ぶこと莫(な)きや。詩をもって興(おこ)すべし、以って観るべし、以って群(あつむ)べし、以って怨むべし。これを近くして父に仕え、これを遠くしては君に仕え、多く鳥獣草木の名を知る」。
この意味は、弟子たちよ、どうしてあの詩経を習わないのか、詩経によってものを例えることができるし、政治を批判することもできる。
近いところでは父に使え、遠いところでは主君に仕え、鳥獣草木の種類を覚えるのに役立つと言っているのです。

 
吟とは、「吟は呻なり、呻は吟なり(後漢時代の辞書=説文解字)」。「按ずるに吟とは呻の舒、吟とは呻の急(学者、段玉裁の注釈)」。吟の文字は口が形を表し、今(キン)は音を表す。今を上に口を下に重ねると「含」になります。吟には含むという意味があり、音を出すという意味合いを加えて呻くことを言う。具体的には、うそぶく・うた・詩歌・うなる・うめく・どもる・泣くというような意味があります。

 
心の中にある純粋な感興が、抑えようとしても思わず口から出てしまう言葉(詩)を長く引いて、呻くように声となって発せられるのが詩吟であるという。
わが国において吟の言葉が初めて用いられたのは、室町時代に僧侶が詩会を開き、その時の一文に「吟声各々異なり・・・・・」と表現したと伝えられる。

 
中国における詩吟は、四声(平声・上声・去声・入声)の韻を引いて吟ずるので、詩によって調子が定まるといいます。詩経の序文には、「情性吟詠して以ってその上を風す」とあり、紀元前数百年ころから詩歌の吟詠が行われていたことが知られておりあます。

詩吟の源流
 
江戸時代、徳川四代将軍家継は1680年に文治政策を始め、つづいて五代将軍綱吉は、湯島台(昌平坂)に学問所(昌平黌=現東京大学の前身)を設けて儒学のほか漢詩教育に力を入れた。それが各藩校に伝播していき、私塾にあっても国学・神道・朱子学の研究が盛んになりました。

1700年代に入ると漢学の勉強の補助と精神教養のために、漢詩に素朴な節をつけて朗誦・吟詠をするようにりました。これが次第に正課へ取り入れられて儒官の口伝によって各藩にも伝授され、全国へと波及していったのです。したがって、詩吟は当初音楽としてではなく、学問や精神教養として始められたところに特異性があります。

詩吟の盛衰、その推移
 
詩吟は、学者広瀬淡窓(1782〜1856)が私塾「桂林荘」の塾生に歌わせた吟法が広く継承されてきたと言われますが、幕末における詩吟は作詩した者が自ら吟じ、その吟調は壮士蛮声型、学舎吟といい、悲憤慷慨・心魂練磨・士気高揚といった調子で、明治維新の大業を遂行した原動力の一翼を担ったとも言われます。

 
明治初期は、明治天皇が詩吟を大変好まれ、また、政界(大臣)をはじめとして一般にも詩吟は愛好され、琵琶にも詩吟が取り入れられたほどでした。

 
明治中期には剣舞が演じられるようになり、詩舞が女性用に作られました。

 
明治後期には浪花節が盛んになったこともあって、詩吟は後退を始め剣舞に支えられるありさまで、琵琶の世界でも詩吟は従的な存在になりました。日露戦争の頃はまだ良いとしても、その後は西洋音楽の風潮に押され、詩を作る人も次第に少なくなって詩吟はいよいよ退潮を余儀なくされるのですが、それでも詩吟の眼は失うことなく、素朴な吟調が精神修養の資となって継承されてまいりました。

 
大正期に移ってからも琵琶が一層盛んになり、反対に詩吟は衰退の一途をたどるばかりでしたが、渡辺緑村先生らが詩吟を広める傍ら剣舞にも力を入れ「吟剣一如」の精神を唱導しました。

 
当時の傾向としては、流行歌などの西洋音楽に対抗して、詩吟を音楽的に純化しようとする試みが始められました。吟調の音楽化、洗練化への模索が行われ現代吟界が目指している芸術吟詠へつなぐ過渡期でもあったのです。

 
昭和初期にはハーモニカ・レコード・映画主題歌などが流行して、詩吟は殆ど姿を消していきます。昭和10年前後には民族主義が台頭して、政府は「国体明徴声明」なるものを発表、国民精神の作興に力を入れ、軍部も詩吟を不可欠のものとして軍や学校の中に詩吟を広めていきました。それまで盛んであった琵琶は逆に衰退していったのです。
徐々に詩吟を生活の資とする人たちも出て、詩吟が詩作者を離れて専門化していきました。そして吟調は華麗な中に雄渾の響きを生じせしめ、技巧化と大衆化へ向けて進んでいくのです。

 
戦後においては、詩吟は軍国調?として排斥されますが、政治家や法曹界の多くの賢人の努力によって、昭和21年和歌のラジオ放送が許され、昭和23、4年頃大阪で詩吟大会、昭和25年元内務逓信大臣、安達謙蔵先生追悼の全国吟道大会など、極めて限られてはいましたが詩吟が細々と息をしつづけ、昭和27年ころから詩吟の本格的な全国組織が作られるようになって、今日の隆盛を見るに至りました。

詩吟は音楽(邦楽) 
  詩吟は、漢詩をはじめ短歌(和歌)・俳句・新体詩(明治初期までの漢詩に対して、西洋の思想や詩歌の形式を取り入れた文語定型の新しい体裁の詩)を題材として、邦楽五音階(不動陰旋法音階)で表現します。

吟の特徴ですが、いわゆる歌というのは言葉(音節)を音階にのせて表現しますが、詩吟は詩(熟語)を読み下した後に余韻を引くのです。極論すれば、詩を読み下すことは「語り」の世界であって音楽性は稀薄です。語った後に余韻(節といった方が分かりやすいでしょう)を引くのですが、余韻は音程がしっかりしなければ成りません。詩吟は邦楽ではあるにしても、詩の読み下しはこもらないで言葉は明瞭に、余韻はいわゆる美声がよいので特異な音楽の世界だと理論付けております。

 
詩吟を以上のように定義しますと非常に理解しやすく、詩吟を勉強する上においても吟技の向上に役立ちます。
詩吟は決まった拍子(リズム)はな無いのですが、邦楽の世界では間拍子といって「間」がリズムと考えられています。詩吟は音楽としての三要素である旋律(メロディー)・拍子(リズム)・和声(コード)を備えているのです。

 『吟』という意味合いについては既にふれたとおり、文字の成り立ちを見ると今の下に口を置くと「含」の文字になります。呻吟するとか、うめくとかいう意味ですが、それは声質が硬いことをさしており、体の芯からの凝集された声、魂の叫び・心の泉とでも表現した方が解かりやすいの課も知れません。