verry berry Merry-go-round
---番外編 : 火の用心。
「中尉――今日はどうした」
「なら今朝早くに有休を取って休みですが」
「……少尉の姿も無いようだが」
「少尉も今朝病欠の届けが出ています――から」
「……………………………それはいかんな。すぐに見舞いに行かなくては」
「その必要はありません。今頃はがしっかり看病についているはずですから」
「……ふぅ」
―――だからこそなんだが。
「夏風邪は馬鹿が引くって言うけど…」
キッチンで買ってきた氷をアイスピックで割りながら、は嘆息した。
ハボックは見た目もそうだが、それ以上に頑丈だ。
ちょっとやそっとのことでは体調も崩さないし、だからこそ、長時間の肉体労働にも耐えられるんだろう。
でも、昨日は。
(びしょ濡れのまま帰って来るんだもん、ビックリした)
帰る途中に降られた雨だけではなく、溺れかかっていた猫を助ける為に服を着たまま川に飛び込んだらしい。
すぐに風呂を沸かしたのだけれど。
(こればっかりは、まあ、しょうがないか)
氷枕とタオルを持って部屋に入ると、汗いっぱいのハボックはすやすやと眠っていた。
昨晩から早朝にかけては酷かった魘され具合も、もうだいぶ落ち着いている。
「ちょっと頭、あげるよ」
一応は断ってから、氷枕を取り替えると「ううん」と小さく唸って、目が開いた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「……仕事は」
「ん?病欠って連絡しておいたから平気よ。だから、ゆっくり寝てて」
さらりと額を撫でると、冷たい手が気持ちよかったのかまた瞳が伏せられた。
「…そうじゃねぇよ。お前は……?仕事、あったんだろ」
「あたしは――有休とったから。それに資料整理なら家でもできるから一日くらいなら大丈夫」
「あー…そっか。悪ぃな、迷惑…かけてさ」
朦朧とした意識のなかで、ハボックが申し訳なさそうに謝罪する。
やっぱりハボックといえども、病気の時は弱気にもなるんだな。
そんな風に思って、は柔らかく微笑った。
「病人は余計なこと気にしないの。もう少し眠る?それとも何か食べる?」
ハボックに時間の経過は分かっていないだろうが、今は既に正午過ぎだった。
カーテンからは、雨上がりの強い日差しが存在を主張している。
「……じゃあ、軽く何か貰うかな。だいぶ意識もはっきりしてきたし」
「うん、わかった。果物持ってくるよ。ちょっと待っててね」
颯爽とキッチンに舞い戻って、は紅い熟れた林檎を丁寧に剥いた。
風邪の時は桃缶――本当はそう思っているのだけれど、この世界に桃の缶詰は無いから。
もしあったとしても、今このときにこの場に無ければ仕方ない。
一口サイズに切った林檎を皿に盛って、フォークを添える。
喉も渇いているだろうと、水を入れたコップと薬も用意した。
「はい、持ってきたよー」
ドアを開けて中へと足を踏み入れる。
林檎や水が乗ったプレートごと脇のデスクに置いてから。
ふと視線をあげたは、思わず固まってしまった。
「――な、何してるの?」
ベッドの上に、上半身だけ起こしたハボックは一生懸命にパジャマのボタンを外そうとしていた。
「いや…汗かいて気持ち悪ぃから着替えようと――」
それでもまだ上手く焦点が定まらないらしく、外そうとする指はもたついていた。
「あ、そ、そっか。確かに着替えた方がいいよね」
はそう言って、ハボックのクローゼットから替えのTシャツとズボンを取り出した。
それらを手に、ベッドへと踏み出す。
「――は?」
驚いて手を止めたのはハボックで。
「は?って、その調子じゃできないでしょ?あたしが代わりに脱がせるから」
ベッドの縁に腰掛けて、がハボックのボタンに手をかけていた。
「脱がせるってお前ね……」
熱があるとは言っても、思考回路の全てが侵されている訳ではない。
妙な感覚と、まったく無防備なを前にハボックはうめいた。
「固いわね…ちょっといい?」
位置的にもやり難かったのか、はハボックの腿の辺りにまたがって、ボタンと格闘し出した。
ツッコミどころは満載で、いつもだったら、その行動が如何に女として危険かを言い聞かせる所なのだが。
熱のせいか、為されるがままに身を任せて。
だって、どうせ、この少女は今ボタンを外すことしか頭に無いのだから。
「よし、取れた――」
満足げに顔を上げたが赤面したのも無理はない。
状況が状況だったから。
今、はハボックに跨っていて、距離は激しく近い。
ハボックはハボックで、シャツの前をはだけさせたまま両手を後ろについている。
かっちりと合った目に、流れたのは沈黙だけ。
「――ご、ごめん!」
慌てて降りようとするに、ぼんやりと「ああ、やっぱり気付いてなかったか。この状況」とハボックは思った。
ただ渡されたタオルで身体を拭い、深く息を吐くことしか今は出来なかったのだけれど。
意識されていないものは仕方が無い。
自分ととでは、距離が近すぎる。
「……おー、」
「え?な、何?」
思索を振り払おうと、ハボックはを呼ぶ。
すると傍らに立っていたは身体全部で反応して、首を傾げた。
「何って……いや、背中までは手が届かんから拭いてもらおうと」
「あ、ああ、そっか。うん、分かった」
早々とした足取りで、ベッドに近づき、ハボックからタオルを受け取る。
そうして、座るハボックの後ろに回りこむ形でベッドに乗っかった。
「サンキュー、悪ぃな」
「いいよ、このくらい。それにしても広いね」
「あ?」
「うん?ハボックの背中」
後ろにいるせいか、の声はハボックの頭にダイレクトに響く。
丁寧に拭いてくれる動作も、肩に添えられた手のひらも。
熱に浮かされた身体に、酷く、響く。
「……なあ、」
「うん?」
「熱のせいってことで、ひとつ言っておくが――」
俺、お前のこと好きなんだわ。
優しく動いていた手がぴたりと止まる。
の動揺が背中を通して伝わってくる。
あるいは―――
自分の鼓動の早さもとっくにバレていたのかもしれない。
だからは、「ウソ――」とは言わなかった。
代わりに、ことん、と肩にの額が乗せられた。
「――?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。何かビックリして心の準備が…」
「いや、そうじゃなくてだな…汗臭いだろ」
必死に整理つけようとしているのは分かるが、これでは余りに色気ない。
「別にそんなの平気よ、慣れてるし」
「は?それはお前、俺が汗臭いのはいつものことってことか?」
「だって事実じゃない。ハボックは汗か煙草の匂いよ」
「全然嬉しくないんすけど……つーか軽く傷つくんですが」
がハボックのほうへと頭を垂れているのと同じように、ハボックも項垂れた。
そうしたら、濡れたタオルでびちっと叩かれて。
「誰も嫌とは言ってないでしょ?――いいの、安心するから」
ぎゅうっと抱きつかれて、心臓が鳴ったと思ったけれど、それはお互い様。
腰に回りきらないの手をそっと掴んで首だけ振り返る。
見えたつむじが、どうしようもなく可愛かった。
「あのさー、さんよ?これは、つまりは、そういうことなんだよな?」
「そ――そうだと思う、けど?」
巻かれた手を解いて、今度こそ身体ごと振り返る。
「…………耳まで赤いし」
「う、うるさいなー!ずるいよ、ハボックは熱があるから誤魔化されるかもしれないけど、あたしは――」
「いんや?これでも俺、かなり照れてるぞ?」
「どこが…!」
顔を上げたに待っていたのは、ハボックの微笑。
片手で顎を捕えられて、目が逸らせない。
「……すっげー、今キスしたいんだがな」
「え?」
「あいにく、うつす訳にもいかねぇだろーし」
一瞬だけ、苦笑したハボックはゆっくりとの額にキスを落とした。
目尻にも、耳朶にも、鎖骨にも。
跡が残らない、触れるだけのキスを。
「ちょっと、ハボック…?」
正面から抱き締められたままの姿勢でハボックが大きな息を吐いたので、そっと訊いてみる。
「どうしたの?」
「ん?ああ、ちょっとな」
――こりゃ、明日は消火器がいるかと思って。
に聞こえない音量で呟いてから、
「まあ、仕方ねぇか。譲れねえのは俺もあの人も同じだし」
「あの人――?」
やっぱり問い返すに、ハボックはゆったりと肩を揺らして笑った。
「………中尉」
「……と少尉なら今日はもう出てくる筈ですが?」
ロイがみなまで言う前に、リザははっきりと言い放つ。
すると、窓の外を眺めていたロイは発火布を取り出しながら呟いた。
「――ああ、そのようだね」
視線の先は、東方司令部の門前。
出勤してきた2人の軍人――男と女の。
仲良く手を繋いだ、それは。
「あら……本当に、すっかり良くなったようですね」
冷静に同意したリザの横でロイは燃え滾る炎を背負っていた。
指は発動寸前。
「……発火可能距離記録を更新して見せようか、中尉」
「それも結構ですが、大佐。その時は、私の射撃速度の新記録も同時に樹立してしまいますが」
「……ふっ。冗談だよ」
やり場のない炎は、いらない書類へと向けられる。
パチン――という音一つで点いた小さな炎は、徐々に広がって紙を灰へと化してゆく。
「大佐…」
「見てくれ、中尉。まるで私のようではないか」
恋焦がれ、燃え尽きて、灰になる。
「大佐――」
「気遣いは無用だよ。彼女が他の男を選んだとしても、それが幸せであるなら私は」
「大佐――!」
「いいんだ、そっとしておいてくれたまえ」
フッ、と髪を掻き揚げると――違和感が襲う。
匂いと温度とプスプスという音すべて。
「いいんですか?燃えておりますが」
「――熱ッ…!」
袖に燃え移った炎が勢いを増して、迫ってきていた。
「ちょっ…中尉、黙って見ていないで何とかしたまえ――」
「はい」
叩くことで消そうと試みるが、思いの外激しい火は一向に消えない。
ただ冷静なリザが室内に備え付けてあった消火器を手に、噴射した。
「――ッごほ、ごほっ…」
白い煙に包まれながら、身体半分が粉塗れになったロイは尻餅をついたまま笑う。
正確にはもう――笑うしかなかった。
「おはようございます――って、どうしたんですか、これ!」
「あら、。おはよう、何でもないわ。ちょっとした小火があってね」
「え?だ、大丈夫ですか?大佐」
心配そうに声をかけてくるに、強がって微笑って見せようとする。
「ああ、平気だ。大したことは――」
――と。
「失礼しまーす……っと。何すか、この惨状」
「ハボック少尉、もう体調はいいの?」
「はい、もう全然へーきっすよ――」
リザに答えながら前を見やったハボックは咥え煙草をぽろりと落とした。
部屋の奥に、ゴオーっという音と共に、物凄い炎が見えたから。
「げ……」
「きゃー!ちゅ、中尉、大佐が凄い勢いで――」
「……仕方ないわね。大人げがないったら」
嘆息したリザは構えて、それから、はた、と思いついたように消火器をに渡した。
「貴女が消してあげてくれないかしら、」
「え?あたしですか?」
「ええ。ここを摘まめばいいだけだから――ほら、早くしないと二次災害が」
一次災害の矛先は、ただ一点に絞られていた。
意を決したように、が摘みを引いて鎮火する。
後に残ったのは、生きた屍と九死に一生を得たハボック。
呆れ顔のリザと困惑顔で消火器を構えたままの恋火消防士・。
それから――
灰になった一本の煙草だけだった。
みおサマに捧げます
2004/08/18