verry berry Merry-go-round
---番外編 : 砂糖30%増量につき。
「・・・・・・あ。お湯がない」
薄暗い給湯室で、はポットを覗き込んで呟いた。
東方司令部内に申し訳程度に設けられたその場所は、誰でも自由に使うことができる。流しに沿った細長いだけの空間。上下にある戸棚の上段には、客用のカップと上等なコーヒー豆・お茶菓子が保管されている。軍人がコーヒーを飲もうと思ったら、まず下の段の豆を使用するのが暗黙の了解だ。
以前はブレイクタイムには、多くの人間がこぞって集まっていたらしいのだが、いつの間にかここを利用する者は少なくなった。
それもこれも、すべて
「が淹れてくれるコーヒーが一番うまいな」
その一言があってから、司令部の面々のコーヒーはが淹れるのが習慣となったのだ。
今日にしてみても、それは例外ではない。
ただ、誰かがお茶を飲んだ後らしく朝沸かしたはずのお湯がなくなっていただけ。
やかんに水を注いで火にかける。
ボッと。
青い炎が室内を照らした。それに導かれたのだろうか。
ほぼ同時に。
「何か手伝おうか」
新しい炎が現れた。
「あれ、大佐。どうしたんですか?」
いつもの笑みを浮かべながら歩み寄るロイに、が首を傾げる。
司令室と給湯室とは離れている。それどころか、ここは廊下の一番端だ。用がなければ、通りかかることなんてないのに。
「コーヒーなら、すみません。いつもよりちょっと遅くなるかもです。お湯が沸いてから――」
「いや、たまたまここで入っていく君を見かけたもので、・・・つい」
「つい――?」
「追いかけてきてしまった」
悪びれた様子もなく、はっきりと答えたロイに、一方のは大きく息を吐いた。
呆れ半分、微かに火照った頬を落ち着かせるためが半分の意味合いの溜息を。
「・・・・・それなら戻らなきゃ駄目じゃないですか。どこかに行く途中だったんでしょう?」
「ああ、でも構わないさ」
「構わないって・・・」
今度こそ、完全に呆れた様子ではロイを見やった。
けれど、そこに肝心の姿はない。
考えを改めて出て行ったというわけでもない。
ただ。
「大佐――?」
ロイがの背後に回っていたから。
こんな狭い空間で、後ろからぎゅっと抱きしめられたら姿をとらえることなんてできるはずがない。視覚はもう封じられたも同然だ。
しかし、だからと言って、どういうつもりなのかを推し量る余裕も、腰に回っている手を振り払う余裕もにはない。
戸惑うばかりのに、ロイは耳元へと唇を寄せて、
「構わないんだ。もう叶ったのだから」
と、囁いた。
「――ッ」
途端に敏感になった神経と思考回路が沸騰する。
叶ったとは、それはつまり。
「行き違いにならなくて良かった」
君に会いに行く途中だったんだ――。
ロイはそう告げているのだ。
「ええと・・・それは、どうして――」
咽喉まで出かかったその言葉を、は慌てて飲み込んだ。
答えなんて本当は分かっている。
それなら聞かない方がましだ。
この態勢で、その声色で囁かれるくらいなら。
「――あ…と、それはいいとして。あの、大佐?<これ>はどういうつもりですか?」
「これ、とは?」
「だから――」
どうして、私は抱きしめられてるんでしょう。
(――以前にもこんなことがあったような・・・)
場所は違えど、あの時もコーヒーを淹れているときに、不意に抱きしめられたような気がする。その時は、お互いに軽口を叩きながらさらりとから抜け出したのだけれど。
なぜか、今日は。
(この手を振り払えない)
振り払ってはいけいないような気がした。
抱きしめられているのは自分の方なのに、どうしてか抱きしめているような錯覚に陥って。
「あの・・・・・・」
何かあったんですか?
そう言いかけた言葉は「」という呼びかけによって遮られる。
それはまるで、祈るように。
「少しの間でいいんだ。いや、お湯が沸くまででいい」
腕に込められていく力は、どこか弱々しい。
それに比例して心臓はうるさいくらいに鼓動を打つ。お湯が沸くまでの、ほんの数分――
「君の時間を、私にくれないか」
「――」
息が詰まるのを感じた。
硬直した身体は、自分でも信じられないくらいの熱を伴っている。
懺悔ならば教会へ、
祈るのならば神へ、
縋るのなら、もっと美しく優しい天使へ。
そう思っているのに、はただ俯くだけでロイの願いを肯定していた。
絡められる指は、のものと同じくらい熱くて安心する。白いブラウスの上から、肩口へと頬が摺り寄せられて、開いた襟首に唇が触れた。
「ん・・・」
耳の裏からうなじにかけて、匂いを嗅ぐように触れるだけのロイの鼻は冷えていた。冷やりとした感触の後には、柔らかく熱を持った唇が辿っていく。
手のひらは絡め取られたまま、順にの身体を昇ってくる。
今では、胸の前まで。
祈りのポーズのようでいて、聖なるものとはかけ離れた態勢。
臨界点を超えた動悸は、泡立つ音と共に弾けていく。
「ぁっ・・・」
ロイがの指に舌を這わせて味わう。
そこが性感帯のひとつだと、おそらくは承知した上で丹念に愛撫する。
胸や下半身には一切触れない代わりとでも言うように、爪の形に舌が動き、ぴちゃりと卑らしい水音を立てる。
「はぁ・・・・・・っ、ふ」
首を仰け反らせたの顎を片手で固定して、ロイはの左頬に小さくキスをする。
少しだけ距離を伸ばして、口の端にも。目元にも。
「・・・・・・」
唇にかかった息に反応しながら、は閉じていた瞳を開ける。
至近距離で見つめていた黒い双眸は、以上に潤っていた。
「」
名前の形に動く唇から、音は漏れていない。ただ、そう感じただけ。
――と。
「 愛 し て る 」
その――触れ合う瞬間に訪れたのは、甘いひとときではなく、
終わりを告げるやかんの悲鳴だったのは幸か不幸か。
「――、あ…」
はっと我に返ったが、慌てて吹き零れる寸前のやかんに手を伸ばす。
しかし、それはまたも背後から捕えられ届かず。
「大佐・・・?」
見つめ返したに、ロイはこれ以上ないほど優しく笑った。
「まだだ。まだ、甘さが足りない」
「は・・・?それって、どういう――」
聞き返す前に、今度は強引に口付けられる。
じたばたと暴れると、びくともしないロイ。
ピーピー鳴きながら、怒ったように揺れ動くやかん――。
それは、勝手に延長された5分間、絶え間なく続いた。
***
「・・・・・・」
今、ロイの前の前でコーヒーを黙々と淹れているの後姿からは殺気に似たオーラが漂っている。
(悪乗りが過ぎたな・・・)
今更になって反省してみるも時すでに遅し。
ロイは彼女の怒りを買ってしまったのだから。
ただ、ロイが珍しく落ち込んだ挙句、に会いたいと思ったことは事実だ。
そして抱きしめた体温が、そんな陰鬱としたものすべて溶かしてくれた。
感謝して紳士的に振る舞うべきところを、結果的にこうなってしまったことに言い訳を許されるならば、そう、
(可愛すぎた)
自分の心情を察して、身を預けてくれたがあまりにも可愛かったから。途中で理性が働かなくなってしまったのだ。
それは、つまり、ロイが本調子に戻ったという意味に他ならないのだけれど。
「大佐」
「あ、ああ」
久方ぶりに振り向いたの手には、ロイ愛用のコーヒーカップ。
その黒い海には、氷山がある。溶けきれず、てんこ盛りになったあの山は――。
「激甘――というリクエストでしたよね?」
砂糖だ。まず間違いなく、砂糖の山。
にっこり笑うに、ロイの額から冷や汗が流れる。
「い、いや・・・?それはそういう意味ではなくてだね――」
「でしたよね?」
「・・・・・・・・・・・・ハイ」
その日。
ロイがコーヒーならぬ黒い砂糖水に苦戦したことは言うまでもない。
一周年企画LOG--045