verry berry Merry-go-round
---番外編 : 水面下の交錯。
東方司令部内では、ここ数ヶ月にわたって日課になっている場面がある。
カタカタカタ、とタイプライトの音が響き渡る司令部のお昼間際。
部下の仕事ぶりを尻目に、デスクで大きなあくびをしていたロイが急にキリリッ、と姿勢をただし、仕事を再開しはじめる。
それと同時に、ひとつ、ホークアイは嘆息し、ブレダは天井を仰ぎ、「そろそろか」と呟いた。
時計を見やったファルマンも、それに「ええ。これまでの数値から割り出した結果、少なくとも7秒後には」と応える。
――と。
「失礼しまーす」
ファルマンの予想よりも3秒ほど早く、扉が開き、が顔を出した。
軍人ではないものの、翻訳作業を中心に任されているには、職務室が別個に与えられている。
そのため、午前までに整理し終わった資料を昼前に提出しにやってくるのだ。
颯爽と書類を手にロイの元まで歩いていく彼女を見ながら、誰もが心の中で「はじまるぞ…」と注目する。
資料を紳士な態度で受け取り、「ご苦労」と労ったロイは一転して笑顔になった。
「ところで、――」
「「「「「(来た…ッ!)」」」」」
「どうだい?今夜、一緒に食事でも。美味しいフレンチレストランを紹介してもらったんだが」
昨日、イタリアンで撃沈しているためか、今日はフレンチレストランに変更したらしい。
見守っている面々が静かに(胸中ではてんやわんや状態)の出方を窺う。
は、「夕飯ですか?」とちょっと首を傾げて、
「でも、中尉が今夜は残業になりそうだって仰ってましたよ。大佐がさぼるから」
と何でもないようにかわした。
お見事!とギャラリーは心で拍手を送る。
一方、ロイは一瞬だけ固まった笑顔を咳払いによって緩め、再度、微笑んだ。
「……では、溜まったものを23時までには終らせるから、その後で少し飲まないか?」
「「「「「(粘ったーッ!!)」」」」」
思いも寄らない粘りを見せたロイ=マスタング(29歳・独身)に、周囲の盛り上がりは絶好調。
「「「「「(さぁ、どう出る…?!大佐の連敗記録ここでストップか?!)」」」」」
室内の熱気が高まる中、最初から最後まで温度差のない笑顔を浮かべていたは、やはり、
にっこりと。
「いえ、残念ながら明日までに整理しておかなくてはならない資料があるんです。それに、今晩はハ……じゃなくて、えっと……あ、<わんこ>のお誕生日なので」
少しだけ動揺しつつも、の口から出た<わんこ>という単語に、全員が疑問符を浮かべる。
犬を飼っているという話などきいたことがなかったが。
「嘘はいけないぞ、!君が犬を飼っているなど――」
「ちょ、ちょっとの間だけ預かってる子で…っ」
「ほぅ?では、何の犬種だい?」
「え…ッ、種類ですか?えっと、…………ゴ!」
「…ゴ?」
「ゴ、ゴールデンレトリバーです…!あ、あの、とにかくごめんなさい!」
くるり、と踵を返すは勢いよく遠ざかっていった。
その背後では、ロイが力なく項垂れ肩を震わせる。犬に負けたことなど、ブラックハヤテ以来二度目だ。
「「「「「(合・掌)」」」」」
扉が閉まると同時に鳴った鐘が、虚しく響き渡る。
「……っと、なんだ?この空気」
そこで、と入れ違いに入ってきた大型犬よろしい出で立ちのハボックは、室内の異様な雰囲気に思わず眉根を寄せた。
熱狂した祭のあとのようにも思えれば、破られた馬券が散ったままの競馬場にも似ている。
「あ、お帰りなさい、少尉」と律儀に声をかける曹長に「おぅ」と片手をあげて、自分の席に着いた。
「で?なんなんだ、これ?……もしかして<また>か?」
隣の席のブレダに耳打ちすれば、やれやれといったジェスチャーが返ってきて、嫌な予感が胸を襲う。
日常茶飯事と化している出来事だからこそ、無頓着になってしまっていた自分を呪った。分かっていたなら、あと30分どこかで時間を潰してきたものを。
しかし、後悔するよりも先に、上司から「ハボック!!」という名指しのお呼びがかかり。
「……大変だな、お前も」
「うるせぇよ。同情するくらいなら代わってくれ」
同僚とのやり取りに深く溜息をついて、ハボックはのろりと立ち上がった。
***
「――で、なんなんすか?言っときますけど、俺は上司の恋愛相談に乗る気はありませんからね」
司令室に呼び出されたハボックは、職権乱用甚だしい上司に悪態をついた。
が誰の誘いを断ろうが、本来ならば自分には関係ないはずだ。それが毎度、とばっちりを受ける羽目になっている。いい加減、うんざりだ。
ハボックとは打って変わって、神妙な面持ちのロイは「単刀直入に訊こう」と前置きして。
「今、お前の家ではゴールデンレトリバーを預かっているか?」
と、なんとも間の抜ける質問をした。
「ゴールデンレトリバー…?いえ、預かってませんけど。第一、あいつ、持病だかなんだかでペット駄目じゃないすか」
それに何より、そんな大型犬を預かるほどの余裕もスペースもない。
素直な回答に、ロイは顎に手をかけて「ふむ」と頷いた。
「ちなみに、少尉。今日は誕生日らしいが」
「へ…?ああ、そうっすけど…?ってか、んなこと誰に――」
「お前か」
すちゃ!と、手袋を装着するロイにハボックは咥えていた煙草をぽろりとこぼして、後退った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、大佐――!(お前かって、 何 が ? ! )」
「お前のどこがゴールデンレトリバーだと言うんだ!そんなにかわいらしいものではないだろう!悔しくば3回まわってわん!と言ってみるがいい!」
「わけわからんですよ、それ!」
話の内容を聞くに、どうやらがロイの誘いを「預かっているゴールデンレトリバーの誕生日だから」という理由で断ったらしい。
確かに今朝、ハボックの誕生日が今日だと知ったは、自ら「それなら誕生祝をしよう」と提案してきた。
ハボックも別段、言うつもりもなかったので、「お祝い」と言っても、手作り料理が並ぶという意味で、深い意味はない。
ただ、それをそのままロイに伝えたときのことを考えて、苦し紛れに「犬の誕生日」としたのだろう。今までの反省を生かした機転だったというのはよく分かる。
よく分かる…が。
(余計、ややこしくしてんじゃねぇか…!)
もう少しまともな嘘はつけなかったものかと思うが、まあ無理だろうな、とすぐに答えは出てしまい、苦笑が漏れる。
しかし今は、の嘘の下手さを認めることよりも、目前に迫った危機からどう抜け出すかが問題。
さすがに発火はしないだろうが、ロイの腹の虫がおさまっていないことは確かだ。
「そもそも何故、彼女がお前の誕生日を祝わねばならん!」
「んなこと知りませんよッ!つーか、成り行きでも同居してるわけですからね。あいつの性格上、料理の一つや二つ作ろうって気が起きただけじゃないすか?」
「それはそうかもしれんが、それはお前に彼女がいないのが悪い!誕生日に祝ってくれる女性の一人や二人いないのか、情けない!」
深々と嘆息しながら、首を横に振るジェスチャーに、さすがのハボックもカチンと来る。
ただの八つ当たりならまだしも、そんなところにまで踏み込まれたのでは堪らない。大きなお世話というものだ。
「……大佐こそ、いつまでもそういう態度だから、本命には本気にしてもらえないんじゃないすかね」
「……なんだと?」
「あいつはしっかりしているようで、妙に危なっかしくて。そのうえ、警戒心もめっぽう薄い。なにより、恋愛に関しては不思議なくらい臆病なんすよ」
人を愛することに対してなのか。
人から愛されることに対してなのか。
または、その両方なのか。それははっきり分からないけれど。
「俺に妬いてる余裕があるなら、その分まで本人にぶつけていくべきじゃないすか?……大佐、」
本気なんでしょう?
「無論だ」
自分の問いかけに、一寸の間もなくきっぱりと言い切ったロイ。その真摯な双眸に、ハボックは心のどこかで安堵する。
いつでも笑って生きてくれてさえいるならば、いい。
それだけは、まったく曇りも霞みもない本心だと言い切れるから。
ただ――
「これだけは、覚えておいてもらえますか」
落としたままの煙草を拾い上げて、踵を返しながら、肩越しにハボックは、たぶん、
初めて上司を視線で刺した。
俺はその気になれば、いつだって。
「あいつを口説けるってこと」
「……ッな――」
息を詰まらせるロイに、「失礼しましたー」と間延びする挨拶を残し、ハボックは重たい扉をパタンと閉めた。
そのまま壁に寄りかかり、新しい煙草をポケットから取り出して火を点ける。
さきほどの問答を思い返して。
(少しばかり威勢が良すぎたか…)
まあ、それもたまにはいいだろうと思う。
変にライバル視している割に、あの上司は本気で危機感など持っていないのだから。
(そこが甘いんだよな…計算高いんだか、お人好しなんだか)
だから、誰も憎めないのかもしれない。そう思うと、なんだか妙におかしかった。
「あれー、ハボック?」
笑いを噛み殺していたハボックだったが、呼びかけられて見やる。
廊下の向こうから軽快な足取りで歩いてきたのは。
「司令室に用事だったの?」
――自覚なしに、渦中にいる女だった。
「お前な……」
思わずこめかみを押さえながらうめくと、「へ?な、なに?」とあまりに無垢な視線が返ってきたので。
「――」
「うん?――って、きゃ…!」
無防備だった腕を勢いよく引き寄せる。
くるりと反転した背中を抱きしめるように支え、背後から首に腕を回した(もちろん、軽く絞める程度に)
「な、なに?!ハボ――」
「誰がゴールデンレトリバーだって?」
ぎくり、とが固まる。あははー、と空笑いしながら「ごめん」と謝った。
「なんか咄嗟に思いつかなくって……お詫びにケーキもつけるから!」
「ケーキ、ね」
「誕生日って言えばケーキでしょ?もっと早く誕生日だって教えてくれたら、もう少し盛大にできたのに」
「いや、この歳で誕生日どうこう騒ぐのもな…」
ぼんやり呟くと、「歳なんて関係ないでしょ?」とが言った。
「自分が生まれた日なんだから。一生、嬉しい日でいいとおもうよ」
そういう人生だったら、幸せだよね。
そんな風に、笑うに声が詰まる。初めて、ロイの苦悩が分かった気がした。
すなわち。
これでは、かえって手が出せない――
(そういうこと、か)
頭を掻きながら、どうしたもんかと項垂れる。
ただ、やっぱり。
「……みすみす、あの人にやるのはもったいねぇよなぁ」
ぼそりとした呟きに、腕の中のが「え、なに?」と聞き返したが「こっちの話」と誤魔化して、ようやく解放した。
「……なぁ、。その誕生祝だけどな」
「うん?」
「どうせなら司令部の奴らにも声かけてみるか?もちろん、お前の下手な嘘で凹んでる大佐にも」
あの人がお人好しなら、自分も相当のものかもしれない。
しかし、「ほんと?じゃあ、皆でぱーっとお祝いしよう!」と途端に元気になるを見て、まあいいかと思い直す。
早速、司令室へと入っていく後姿を見送りながら、
とりあえず、
(今はこのまんまが、たぶん)
一番居心地がいいのかもしれないと、ハボックはひとり微笑った。
そして、その夜――。
「やあ、。遅くなってしまってすまなかったね」
ご機嫌に、遅れて登場したロイはハボックへのプレゼントを抱え、
その頭には――
「どうかね?なかなか似合うだろう?ワン!」
「帰れ、変態佐」
その、微妙に垂れ下がった犬耳に、周囲がサァっと退いたことは言うまでもない。
一周年企画LOG--060