「まさかゲームが暗いなんて…」
「ファイナルファンタジーU」
じゃたろう
小学生時代のとある連休。それが何の連休であったのかは記憶していない。
しかしばあちゃんがゲームを買ってくれたので、たぶん子供の日であるとか、そういう、なんか買ってもらえそうな連休だったのではないかと想像する。
その時に買ってもらった事で思い出深いゲームがこのファイナルファンタジー2である。
連休明け。私は共に小学校に登校する井上トトロに自慢してやろうと思ってそれを告げた。
「オレ買っ(てもらっ)たぞ、ファイファンU!」
と言うと、
「えっ? オレも買っ(てもらっ)た」
との返事が帰ってきた。
…なんとな?
ものすごい偶然である。
井上トトロはTをやっていたのだからUにも興味を持っておかしくないのであるが、まさか買う時期までこんなに被るとは。
という事でも思い出深いゲームがこのファイナルファンタジー2である。
ちなみに私はこのシリーズの3と5が苦手なのであるが、巷ではその3と5がけっこうな人気のようである。
この時代のFFシリーズは偶数がストーリー重視、奇数がシステム重視という事だったが、その、システム重視のドライな感覚が私には馴染めなかったのだろうと思う。
この2のほか4や私の好きな6あたりは主人公達が哀しいほどに個人であって、それは決して記号にはなり得ないものだった。
逆に1や3や5あたりは、主人公キャラたちがキャラ1、キャラ2、キャラ3…で言い換えれてしまうような所に抵抗を感じるのだ。
好きな人にとっては逆にそこがいいようだが。
これはもう、納豆を好きな人は粘りがいいと言い、嫌いな人は粘りがダメだと言うようなものなのだろう。
好みの問題である。
さて、この2に感動したその大きな理由に、この作品以前に、言うなら「暗い」話を、私はゲームで体験した事などなかったのである。
小学生時代の私にとっては、人が次々と死んでいくというのが、それだけでひどくショッキングであったし、ゲームというもののストーリーがポップでファニーというだけでないゾと初めて教えてくれたのがこの作品なのである。
振り返る事なく希望に向かってただ前進し、通った後には幸福のみが残る、というのがゲームだと思っていたので、目的は果たせど、同じだけの犠牲もあり、悲しみがあるというアンビバレンツな勝利というのは、忌憚の一切を絶ってゲーム終了とするより、終わった後にも余韻が残った。
この作品以降、小学生時代の私は極力一元的なものの考え方をやめたように思う。
善玉対悪玉の単純な図式の物語の中にも、善玉のマイナス面、悪玉の良い所を探そうとしてみたりした。
まあ不粋ではあるネ。
しかしそれを不粋と気付けるのも、そういった発想があったからこそだろう。
荒唐無稽な作品を受容出来るのは、リアルさを追求した後のみでしか有り得ない。逆もそうだと思う。
幸福しか存在しない荒唐無稽な世界観。
それを理想の世界観だと感じられるようになるには、こういったアンチテーゼが必要であろう。
まあ、そういうの抜きにしても、オモロかった。
軽い作品ばかりじゃなく、たまには重い作品もいい。
どちらかしか受け入れないとすると、どちらの面白さも見逃すような気がするしネ。