「ゲーム→格闘家」
「ゲーム論」
じゃたろう
突然ですが、ふと思いついたので一本のゲームを一人の格闘家に例えてみた。
一体何の意味があるのか? と訝しがらずに、まあ、まずはドウゾ。
企画→才能
格闘家としての才能。
ゲーム制作が始まってから、最初に見据えた高さにどれだけ到達出来るかを示す。
強靭な肉体を生まれ持っている人は、やはり有利有利。
技術の飲み込みが早かったり。判り易いレベルにして考えると、本当に格闘家(ゲーム)になれるのか? というのとかネ。
グラフィック→筋肉
素人へのアピール力グンバツ。
こればっかりに集中するのはおかしいが、あればあるほどいいのもまた事実。
音楽→華
他が良くてもこれがないと、記憶に残るものにならない。
試合には勝っていても、忘れられる選手。売れていても、後から思い出せないゲーム。のようになる。
シナリオ→技術
玄人ぶった人が一番に見るポイント。
しかし悲しいかな、時に筋肉に封殺される。
世間で言われるほど、これだけが一段高い位置にあるわけではない。と私は考える。
演出→駆け引き
試合運び。これを敢えて技術とは別に分類。
上記の補足のようになるが、いくらうまい関節技をもっていても、そればっかり狙っていて相手にバレバレでは話にならない。
「極める」までのプロセスも必要でしょ、という事。
打撃でフェイント掛けたりね。
プログラム→精神
モチベーションなども含めた、精神面。これがないとそもそも格闘家にならない。ゲームにならない。
甘い部分があると隙を生む。バグになる。
至高の境地ははっきりとあるのだが、なかなかそれに到達できない、というのもそれらしいのでは?
ゲームジャンル→格闘スタイル
言わずもがな。
エロ、グロ→凶器
色んな意味で飛び道具。試合(建前上)では反則だが、実戦(実際問題)では極めて有効。
筋肉も技術も駆け引きも華もなくても、「それだけ」でけっこう強い相手に勝ってしまったり。
たまに受けつけないどころか反感を覚える人がいるが、凶器は奪われると逆に危険なのれす。
制作(期間、人員、熱意などを総合して、作る事)→練習、特訓
早めに切り上げると質が落ちる。こりゃ当然。
しかし、才能(企画)がグンバツに優れている場合は、さほどの練習が必要にならない事もある(極めて稀なケース)。
こんなもんかな。
当然、これだけでゲームが出来るわけでも格闘家が出来るわけでもないが、大まかな所ではこんなものだろうと思う。
どのゲームが誰、というのは、まあ、個人の考えによって大きく変わるであろうから、ここでは割愛。
とりあえずFF(後期)はオリバ(もしくは花山薫)かな、というのだけ。
なんか、ゲームにどんな点を重視するか、というのって、格闘家にとってどういう要素を求めるか、という意見と合致する事が多いような気がしたんで。なんとなく。
当然全部必要だけど(エロは不要な事も多いか)、必要な中で、どれを重視するかって事。
えっ、意味? それだけ。
「格闘はやっぱ筋肉サ!」という人って、ゲームにもグラフィックを求める事が多いような?
気のせいかな…。
あ、ちなみに私は駆け引き重視で。
かなり趣味の文章になってしまった。