雅号、俳号、ハンドル、あだな(綽名・渾名)     2005. 4. 1

 今度 雅号ってのを使ってみたんです。詠めもしないのに しりとり川柳ってのを
始めました。 しりとり川柳 我が所属するメロウ倶楽部でやってるんです。
                             http://www.mellow-club.org/
 で 私の使った雅号は「竹情」 ちくじょう。
昔 ある先輩が 結婚式で主賓のご挨拶にあった「華意竹情」って言葉が好きで
それからとりました。
 華=女性・新婦は優しいのは当然として 強い意志 自分の考えを持ち、竹=男
性・新郎は強く逞しい上に、優しく情けのある人間として2人で立派な世帯を築い
ていって下さいと、、、

 雅号ってのは 書(含む篆刻)や絵に良く使われますね。
 本人も気軽に使うし、他人からも 多少尊敬の念を持ちながら 気楽に使って
よい呼び名で 郷里や・住んでいる場所に関するもの・嗜好の上から・自分の風
貌 容姿から・境遇や心情・詩から・駄洒落でもって、つけるんだそうです。
 川柳を投句するときの雅号は、最後の駄洒落からのが一番似合いかも、、、

 さて、俳号は昔から「細骨」さいこつです。これまた全く俳句は詠めない、読ま
ないんですが 本気でやろうと思って付けたんです。
 「一芸にも秀でず」を自慢にしている私メ、いっとき俳句に関する本は沢山よん
だんですし、今でも俳句のテレビ番組はよく見ます。 言うなれば俳句評論家。
 本当に骨が細いんです。恥ずかしながらホント。
 特に手首なんか女性と比較しても細い方に入るでしょう。 情けなやぁ ですが、
力は意外に強いんです。固い瓶のふたをあけるのなんか自信ありです。
 40歳程の頃、所属していた部に 女子バレーで日本代表選手に選ばれた女子
が2人いました。 体格l・体力とも並みの男性を凌ぐ逞しさ。
 昼休みに腕相撲をやってて、その1人から 課長なんてイチコロよ って云われ
ひょっと 負けたら恥かしいので 後刻 人の少ない時に試合を申し込み、軽く?
負かしました。
 骨細だがヤワじゃないよ。力もあるし 気骨ありだぞの気負いでの「細骨」なん
です。

 ハンドルって インターネットやパソコン通信で使用するニックネーム。
 もともとは肩書きの意味だそうですね。
 始めガタピシって名乗ってたんですが、ポンコツにも通じるし嫌な感じって思い
砂漠を潤す湖、仲間、友にとってホッとして安らぐ存在でありたいと 変えました。
 「オアシス」 です。 このハンドル、とっても気にいってるんです。

 あだな 綽名 渾名  以下徒名、仇名 2つはチョッと意味が違うようです。
 昔 先生や上役に付けて楽しみましたね。
 ある人の特色をつかまえてほかの人がつけた 別の名。ニックネーム。
 私のあだなは、キュウリ やタコ でした。 ろくなあだなしか付かなかったのは
本人の責任じゃありません。
 青白くって細いから、シャンとしてなくって くにゃくにゃしてるから、、、
 現在の綽名、元気印って仰ってくださる方があるんですが、どうも馴染めない
 んです。 空元気 見掛け倒しの最たるものなのです。
 でも、元気そうって有難い、嬉しいことです。
 「身体は傷んでいても 元気です」 が私の心情、いや心意気ですから、、、


働き盛り40歳すぎ 先見の明なく
   今 古希を過ぎて毎日めがね探しの日々    
2005.4.11

 昨今  毎日毎日【眼鏡を探さない日はなし】で過している ていたらくの私です。
 さりとて 財布など大事なものを忘れたり 落としたり 盗られたりは、以前よりは
少なく無難に過しているんですが、、、
 どうしてかなって考えてみたんです。

 眼鏡をどうしてこんなに探すのか?
 第一の原因はメガネにありと思います。
 近い所は 外したほうが見よい、でも遠くは絶対 眼鏡無しでは危ない おまけに
中間距離を見るための 三焦点レンズの眼鏡を愛用しているせいか、しょっちゅう
とったりはずしたりしてるからです。
 また 活発な性格なので じっとしてることが少なく、家にいる時でも良く動き廻っ
てるので 眼鏡が邪魔になるし、植物・花が好きで、写真を撮る時はピントを合わ
せるのに眼鏡をはずすことが極めて多いのも、置いた場所を忘れる原因の一つ
でしょう。
 勿論置く場所をきめていない、どこにでも近間にひょいと置く悪い癖が なんた
って 一番の原因です。

 眼鏡のほかの探し物の時間も合計すると、大変な時間を費やしています。
 それに あのぉあの、、、誰だったか人や物の名前が出てこない。
 一言で云えば老化なんでしょうね。 でも そう思いたくない私です。


 さて、話が前後しますが 働き盛り 経験も積んできて一番充実し、働き働かされ
る年齢の 42歳からまる2年、 京都で支店の運営を任される立場で勤めていま
した。
 京都は古くて新しい都市、それは共産党・革新が強いだけでなく 産業界にも
言えて、時代の先端を行き今日では優良で稼ぐ 任天堂、ニッセン(通販大手)や
日本電産、ほか既に名が通っていた京セラ、村田製作所、村田機械、ワコール、
タキイ種苗ローム、オムロン 等々。

 ある日 仕事上で任天堂の山内社長(当時)に お会いする機会を得ました。
 ダービーゲームってネーミングで売り出した遊戯機械が返ってきて返品の山で
危険との噂さえも、、、若造の私 失礼を省みず“社長 博打みたいな分野はやめ
て稼業のトランプ、麻雀パイ、トランプや花札など地味なものを作ってれば間違い
ないんじゃないですか?”
 社長 曰く “あなたはん、私 こんな程度で へこたれませんで、まだまだ今から
やりまっせ”

 また、ニッセンの川島社長さんにお会いした時 えらそうに意見して、狭い日本
でアメリカで当たってるからって通信販売は流行りませんよ。日本人は現物見て、
確かめて買うんだから、、、

 日本電産の永守社長さんを訪ねた時の話に至っては ちんぷんかんぷん。
 今回ってる方と 軸として止まってる方を逆にして、世界で一番小さいモーターを
作るって目を輝かせてまくしたてて 私 キョトン こりゃついていけない、、、

 今 この3社だけみても 今日 みな隆々です。  特に任天堂は世界に羽ばたき
稼ぎ、日本電産は情のある人働きをさせて 企業の合理化と活性化を グループ
に取り込んだ企業を再建・発展させる名人で有名で 企業経営もユニークです。
 (通販は 業界として各社業績を伸ばし、昨今はインターネット通販隆盛へ)

 大企業で 会社内では企業家的センスを買われていた私です。
 世界的水準にある 自動車ボディ・シャーシの打ち抜き用大型金型メーカーや、
産廃回収業や ファッションショー開催などで顧客吸引力をつけてのファッション
ビル経営者など、それなりに着目し、ささやかなお手伝いをしてはきましたが、、、
本物の企業家、オーナーが乾坤一擲のチャレンジ精神と時代の先取りにはなか
なかついて行けず、今になって思うに 先見性のなさには忸怩たるものがあります


 で、何が云いたいの???って
 30余年前 時代の先を読み 開拓者精神でチャレンジする人を、企業を見極める
先見の明に乏しく お粗末だったけど、30余年なんとか時勢についてこれた 過し
てきたじゃないの、、、
今 しょっちゅうの探し物、ど忘れで 我ながらひどすぎると嘆いてる私ですが、諦
らめず励めば? まだなんとかもう少し過していけるんじゃないか、、、と 大変な
飛躍した結論を述べたかったのでありまーーーす (^_^;)テヘヘ (;^_^A アセアセ・・・



開胸しての心臓手術で 暫く白内障の手術ができなくなった 2005.5.23

 かねて心臓内の弁が傷んでおり いずれ手術 と覚悟していました。
 循環器外科の手術では実績のある都内の病院を紹介してもらって、3月に8日
間の検査入院、4月13日に再入院 2度目の自己採血や追加しての検査を経て
22日に開胸、人工心肺での 僧帽弁・弁輪(人工弁輪)成形手術を受けました。

 名医の執刀での手術は 家内はじめ親族や知友人の暖かい激励、見守りの中
で成功、5月19日 入院37日で目出度く退院致しました。
 ここに心より御礼申し上げ、また寿命の与えられたことを感謝する次第です。

 実は もう一つ 閉塞性動脈硬化症(足の血管がつまり、足の血の巡りが悪くな
る病気です )で 左大腿動脈の置換手術も と思っており、続けてやっちゃうか
時期を置き体調を回復して後にするか、一旦見送って毛細血管の増強が考え
られるトレーニング歩行の励行で様子をみるかの選択をすることとなりました。

 手術後の経過は極めて順調でしたが、それでも困ったことが2つ起こりました。
一つは ありゃぁ 視力が極端に落ち 新聞や本が全く読み辛い、判読 とルーペ
片手にやっと に なっちゃいました。
 そもそも10余年来の白内障が進行して、今回の手術前に 以前通院していた
病院眼科で手術の時期ですと云われていたのが手術でよ視力がより落ちたよう
です。

 今回の手術で 人工弁輪に血栓などが付着しないよう 血液凝固防止剤のワッ
ファリンを6ヶ月ほど飲まされることになり、歯の治療、白内障はじめ手術は当面
見合わせざるをえないんです。 困ったぁ (+o+)アチャー (*_*) マイッタ

もう一つは集中治療室(CCU)に6日間 その間尿道管を付けていました。
 老化でしょうか?尿道の感覚がオカシクなっちゃって 外してもらったら頻尿
に加えて漏らしっ放し、特に夜はトイレに1時間毎にの始末です。ナサケナヤ。
 先生は1ケ月ぐらいすれば元に戻るでしょう。えらいこっちゃ。
 手術後16日目、朝6時までトイレも行かずぐっすり。 ほっとしました。

 さて 人さまざま
 退院直前 隣のベッドに60年配の良い体格の人が入院してきました。
 左の足が重い、階段を上る時に痛い・攣るとの訴えです。
 月曜日入院、翌日カテーテル手術で 左鼠蹊部動脈に 直径10mmのステント
を入れて、その日は止血で動かせないし 痛むのでウンウン言って 翌々木曜日
スイスイ歩いて 4日間 私と同日 良くなったぁで退院 羨ましーーーい。



(鵯)ヒヨドリの天下・・・都会の生態系の変化?  2005.5.30
 先日 テレビで小笠原諸島にしかいない イトトンボなど 固有の昆虫が、戦後に
船で そとから入ってきたトカゲの猛繁殖で絶滅していっている番組を 放送して
いました。
 都市化、温暖化、環境汚染で 地球規模での生態系が激変しているようです。

 さて 突然卑近な話になりますが、
 我が家の東隣の家の西側窓の戸袋に、ヒヨドリ一家が住み着いて 子育ての
真最中、朝から晩までギャァギャア 喧しいこと喧しいこと。
 お向かいさんの奥さんの話では、ヒヨドリに追いやられてスズメが減っている
とか。 そう言われれば我が家の庭にくるスズメもめっきり減っているようです。
 スズメが虐められるくらいですから、可愛いメジロも来るのが減っています。
 あの貪欲で賢いカラスの子供さえ、急降下してきたヒヨドリに頭をつつかれて
いたとか困ったこと、さびしいことです。
 ヒヨドリって卑しいの卑の横に鳥と書くように、昔から嫌われ者なんでしょうね


 昔は生き物、動物たちが身辺に満ちていたように思えます。
 さて戦前 子供(小学生)の頃、西宮市の阪急北側「夙川」に住んでいました。
 田圃や畑も残っており、北の苦楽園方向に歩けば緑が 自然が一杯でした。
 田畑にはギンヤンマをはじめ シオカラ、ムギワラなど トンボ達が(夜には虫を
食べに空に重なるほどに赤トンボ?が舞飛び) 捕り放題でした。
 
 ちょっと山(甲山の麓)に行けば、道にハンミョウ(班猫 道しるべ)が、 林には
カブト虫やクワガタが沢山いました。
 小川や溝には小エビやメダカ ドジョウ、マイマイ(水澄まし)やゲンゴロウ、雨
上がりの水溜りにはミズスマシ(水馬)が、、、
 海辺には真っ赤な鋏を振り上げた蟹が、砂の遠浅の所ではアサリが、、、
お宮さんの建物の縁側下には 蟻地獄が上手に砂で作った擂鉢の底に。

 庭や周囲に、家の中に 蛙は種々、蝶も バッタも トカゲも ヤモリも オケラも
、、、夏の蝉は勿論 うようよいました。
 家蜘蛛もハエトリグモ(縄虎)も、ゲジゲジ、恐〜いムカデなんかも 厄介な蠅
や蚊も うようよでしたがね。

 昨今 健康ほか家庭の事情で海外旅行は勿論、泊りがけの国内旅行も殆ど
行かず、郊外に出かけることもめっきり減って 風物 特に自然に接する機会が
少なくlなったせいでしょうか?
 我が家や 庭でのさばってるのがゴキブリやナメクジ、アブラムシなど そして
表記のヒヨドリ、植物の害虫などと さびしさが目立つ今日この頃です。
 せいぜい可愛いのはカタツムリ 飛んでくるのが少なくはなったけれど蜆蝶
やアゲハチョウ、オオスカシバ(蛾の一種 私好きなんです)メジロくらいです。

 今は昔 60有余年前の良き時代の回顧 郷愁にひたるだけでは駄目。
 すっかり昆虫はじめ生き物に見限られた?建て混んだ街中の我が庭、近所
ですが、 よーく観察して可愛い健気な奴を探して楽しみたいと思っています。



不整脈って 怖いよぉ〜 やっと脱却しつつあります    2005.6. 9

 胸骨を ど真ん中から25センチ切開し、左右に15センチ拡げて 心臓への血の
流れを(人工心肺を経由させ)止めての手術を無事終えて、病院での回復治療
リハビリも万全に退院したのが5月19日、入院後37日 手術後29日でした。

 退院後も月末までは順調すぎるほどの経過で、来月末は出たい会合にも出ら
れるかも、自動車の運転も大丈夫って感触、散策の距離も日ごとに延びてルン
ルンの気分でした。

 なんだか心臓の鼓動が???と感じたのが6月1日、でも気にしませんでした
翌2日(木)が退院後2週間で、循環器外科部長の診察の日でした。
 病院に着いてまず 採血・胸部2枚のX線・心電図の検査と受けました。
 心電図の技師さんが “脈が速いですね、何時もですか?きつくありませんか”
 ついで外科部長の診察を受けました。
 手術後と言うことで投与されていた利尿剤や血圧を下げる薬、胃薬などを減ら
して貰って 先生から脈の速いのが心電図に現れてますが、悪性ではないです
から気にしないで あとは順調ですと言われ、頻脈気味のことは強く訴えません
でした。

 さて帰宅してからが大変でした。
 3日日は最高 一分間129、130と脈が、4日は135とピークに達しました。
 心臓が痙攣をしているようで、気分も勝れず都合まる4日終日寝ていました。
 寝ていても胸の左上皮膚がヒリヒリ、ピリピリと痛み、奥の心臓そのものもキリ
キリ ズイーンと痛みが、、、なんとも不安、気持ちの悪いこと夥しい状態です。
 かと思うと、シャワーを浴びたり 早朝に測ると65とか73と遅い時も偶に。
 概ね100/1分と不整脈であり、頻脈主体の異常のようです。
 その間 3日(金)と5日(日)には循環器外科の先生や宿直医に電話。
 弁膜症後の頻脈は良くあること、悪性ではないでしょう、心配なら来院された
ら、、、 それとも自宅で静養 様子を見ますかと。(術後半年で起こるケースも
あるとか)
 インターネットで不整脈、頻脈など探しまくって調べましたがはっきりしません。

 6日(月) 朝起きる前はようやく小康状態にと思いきや、起きてみたら駄目。
 7日(火)朝 94〜104、グーンと楽になり かみさんが一緒してくれて 小田急
駅前で懸案の用事をすませ、帰路 馴染みの花屋さんに立ち寄りインバチェンス
やカリー(蔓性サフィニァの改良種)なと4鉢他を買って 気分も立て直しました。
 8日朝 73と珍しくまともな脈拍でスタート、でも日中は100以上が多く自重。

 9日(木)週一の循環器外科部長の診察日です。 少しずつ良くなりつつある
ようですが、、、と電話。
 先生がお待ちしていますから診察に来なさいと。
 かみさんの運転の車で病院に、採血、胸部X線2枚、心電図。
 心電図は通常よりも長く測ってもらい、以上の結果を見ての診察を受けました
 早く収まるようにと不整脈(頻脈)を改善する薬、即ち冠血管を拡げ 心臓への
血流量を増やす薬を追加して出して頂き、心臓エコー検査を予約 次ぎの診察
日の指示があり ホッとして帰宅しました。

 術後のこのような不整脈は多分に良性なもので、急に起こって突然止まると
Webでの検索でも出ていましたが、事前に聞いていなかったし 余りにも順調過
ぎる回復過程の我が身に起こるとは思いも寄らなかったので驚いた、怖かった
 今でも測れば110程もあるかも、でも もう大丈夫です。
 (元気な頃 ジョッギングで3km〜5km 走った後でも120/1分だったん
  ですから、一分に130も 135もの脈って いやーぁ恐ろしかったです)


あれかこれか二者択一 たら ればのない人生    2005. 6.14

 一昨日南海凡吉(ハンドルネーム)と言う全く存じない方から突然メールを頂き
ました。 以下メールの概略抜粋です。

 現在3回目のインターフェロン治療を行っておるものです。
 今回かかりつけの病院で、循環器内科の医師から僧帽弁閉塞不全の手術を
勧められました。
 そこで情報を得るためにネットの検索をしていたところ、オアシスさんの手術記
録を発見しました。 非常に参考になりました。いろいろご教示頂きたいとの趣旨
でした。

 この方は 1997年から3度にわたって肝臓のインターフェロンの治療に立ち向
かっておられ、同病のお仲間に呼びかけ 労り合い 励ましあう活動もなさっての
奇特な立派な方のようです。
 今回も逡巡はあっても 僧帽弁置換の手術を決断されるように思われます。
 (私もあと半年は伸ばせたんですが、生命の危険あり で今回決行しました)

 私が弁置換の手術で入院中も、腎臓透析の身で 又インシュリンを自己注射の
体での弁置換の手術をなさる なさった方は知り合っただけで3名居られました。
 その決断と、泣き・ぼやきなしの闘病の態度に感心させられました。
 弁置換の手術は
 @待ったなしのケースが多い。
 A命に係るのでやるかやらないかの選択の余地が無い。やらざるを得ない。
 の2点であれかこれかの選択の余地の少ない手術だと言えるであろう。

 さて 人生の総ての岐路、大袈裟に言えば何時も人は一方を選び進むしかない
といえますね。 即ちドイツ語で言う エントベーダーオーダーです。
 そして自分の選択・決断を良しと肯定して潔く生きる人と、 こうすればよかった
こちららを選べばよかったと常に悔やみぼやき ぐじぐした人に分かれるように思
えます。

 某月間雑誌 7月号の 巻頭随筆収録の所に、「ASL ある患者の声」に胸を
うたれました。
 いわゆる「筋萎縮性側索硬化症」は多くは発症から3〜5年で呼吸筋が侵さ
れ致死的な呼吸障害を起こす。その時ホーキング博士のように気管切開・人工
呼吸器装着による延命措置を選択するか否かを決めなければならない。
 つまり本人が生死の選択を迫られるという極めて厳しい病気だそうである。

 寄稿の人は いろいろ考えた挙句、延命措置を断る決断をしたと。
 理由は延命措置で生き延びた時の生活の質(QOL)と、自然死の選択を対比
そして、且つ、自分の年齢。と記しておられる。
 (元モルガン信託銀行j社長 鳥羽 脩様の文章より引用)


 省みるに 私の73年になんなんとする生涯において、大事な岐路は何回 いや
何十回もあったことでしょうが、あれかこれかの一つを選び 邁進してきたと思い
ます。

遥か昔 社会に出て、10年 ようやく管理職の端くれとなり部下を持つ身となった
時の事です。
学歴尊重が今より格段にハッキリしており、新制中学・高卒は人一倍刻苦精励
と、 際立った実績(そして上手な泳ぎ)を上げなければ学卒に伍しては行けま
せんでした。
 学校を出ていないからと僻み、ぼやき、諦め気味の高卒に良く話しました。
 金も無く(大学4年間入学金1800円を分納しただけ)、母親と姉弟の一家の
生活費を稼ぐ中心的働き手で、アルバイトに明け暮れて 挙句は健康を害して
社会にでて 泣き言やぼやきはしたことがないぞ。何が何でも学校に行った者も
いるんだ。前を向いて励めと諭しました。
 就職後も病気がちでよく干されました、入院や長期欠勤5度、と元気になると
起用されて、、でもほとんど(全くと言いたい)ぼやき、泣き、僻みはせず 明るく
爽やかに過してきたつもり。

 そしてこの傷み、故障多い身体を賜った事を 心底両親に感謝する日頃です。
 今後とも残された大事な命を感謝し、たら・ればなしの人生を全うしたいです。


 思いもしない変なところを褒められ キョトン       2005. 7.10

 暫くご無沙汰でした。
 心臓手術後の回復を焦った?調子にのりすぎた訳ではないですが、無理を
したのかなぁ 体調管理の拙さから また17日間入院をしてました。
 今回の入院は 結局 心不全から肺に水が溜まっての肺炎でした。
 咳込みが止まらず 熱と血の混じった痰がひどく 酸素を鼻・口から吸わされた
うえ、検査と諸処置の絶対安静期間が一週間、あと鼻から酸素と抗生物質他
の点滴で もう1週間 退院前の3日間は日に日に快方に向かいホットでした。

 安静期間中の移動は酸素ボンベを取り付けた車椅子に乗せられ、売店での
買い物などは看護エイド(諸雑用の担当 職種としてある)がやってくれます。
 12日間は一日おきに身体の清拭と洗髪を看護士さんがやってくれました。
 看護士さん達は、しょっちゅう色んな患者さんの清拭・洗髪をしているので 手
加減の違いはあるものの皆さんとっても上手で気持ちよく過せました。

 入院11日目 4年目のベテラン看護士さんが清拭をやってくださいましたが、
左の足先を石鹸をつけて擦りながら “綺麗な足ですねぇ 大事になさって”と。
 一瞬耳を疑いました。 ビックリ( ゚_゚;)コイタァ キョトン ???
 でも 沢山の(おおかた老人)患者さんの足を清拭してるでしょうに。。。
 そうだ、左脚全体が閉塞性動脈硬化症により間欠性跛行(血行不良で痛み
歩くのがつらい)を来たしているのを知ってての慰め?だろうとも思いました。
が、年齢と身体のあちこちの傷みも多いのに  皮膚(肌)が若いと よく云われ
てるし、お世辞もあるだろうが 素直に喜んで良いんだと 嬉しくなりました。
 足先、親指の付け根あたりは慢性の痺れもあり、車の運転(目下休止中)に
支障があるといけないので、折にふれて揉んでいるし、どうかするとこの梅雨
時でも冷たくってベッドに アンカを置いている次第、よく頑張ってくれていると
労り褒めてやりたい気持ちさえ湧いてきました。

 今回の入院は 週末に疲れが溜まり 新宿の雑踏で悪い菌を貰ったのが災い
したようです。 
病院には家内が日曜当日にも救急で行くかもと電話をしておき、月曜を待って
早朝に車で連れて行ってくれて緊急診察 即入院となった次第です。
 『頑張り過ぎ』 『我慢のし過ぎ』 を痛く反省させられました。

 入院したのは 循環器センター病棟でしたが、今回も同室に色んな患者さん
が居られました。
 ある日突然夕食中 食べ物が一口全部 気道に、気を失って救急車で入院
もう3ヶ月余の 嚥下障害とのこと、いまだに摂取必要量の半分は 先ず鼻から
管で栄養液を注入し、それから残り半分を お粥や擂り潰したおかず(西瓜など
も擂りおろして) 柔らかい豆腐等を 30分からどうかすると1時間近くもかけての
毎食の食事なんです。
 色んな苦しみ辛さを耐えてのリハビリもあり、大変だなぁとつくづく思わされま
した。


   泣きっ面(でもないのに)蜂に刺されたぁ    2005. 7.17    

 いやぁ痛かったこと 痛かったこと、とてもじゃなかったです。
 去る11日 正午過ぎ右手親指の付け根 手首との間くらいの手のひら表側を
刺されました。
 今の私にとっては 踏んだり蹴ったり、でもこんなことで 止めどめを刺されて
たまるるか!って気持ちですが、7日間たってほぼ治ってまだ熱の花?のような
名残が残っています。
 2階ベランダを しょっちゅうネズミが我がもの顔に走り回っているので、昔形の
懐かしいネズミ捕り器を置いてたんです。
 殺鼠剤やベトベト粘着のネズミ捕りを何度も使って捕獲を試みてるんですが、
全く見向きもせず 可哀想にスズメはひっついても、、効果なしなんです。
 それで 昔形ネズミ捕り器を買ってきて一年、あれこれ甘いものを餌に、ごま油
の匂いで惹き付けようと、こんどこそ捕獲をと励みました。
 最近では 半ば諦めつつも懲りず たまに餌を取り付けていました。
 
 あろう事かその昔型ネズミ捕り器の中に足長蜂が巣を作り始め、家内が殺虫
剤を掛けておいたけと 注意をしてくれていたんですが、、、 私も更にまた掛けて
 念押し、もう全部死んじゃってるだろう(ナンマイダブツ) と覗いたら、一匹飛び
っての急降下 バーンと全身でぶち当たってきての強烈な刺しようです。
 仲間の仇、思い知れって訳じゃないでしょうが そんな感じでした。
 痛さで頭にきて即 ぶっ潰しました。
 これ 11日の事、すぐに口で毒を吸い出そうと何度も (>O<)カァーッ ( -.-)ペッペッ
とやりました。痛みはおさまらず赤く腫れてきました。
 
 その晩から氷やアイスノンで冷やし続け、ありあわせの虫刺されの塗り薬を塗り
ましたが、日に日に腫れがひどくなり親指や人差し指や手首まで腫れが広がって
きました。
遂に3 ケ日目の13日 関東中央病院皮膚科に行きました。
 心臓の術後で薬も多く飲んでいることを話したら、取りあえず塗り薬をあげます
から、引き続き冷やして様子を見てください とのこと。
 今日は17日、ようやくやっと 痛みも痒みも脹れもひきました。都合7日間。

 インターネットで検索して調べたら
 2度目、3度目と刺される度に 痛みは酷くなる。アレルギー体質の人も注意。
 すぐにお医者さんに行くこと。酷い場合は痙攣・失神 死ぬことさえある。

 あー恐ろしい。
 私 皮膚アレルギー体質で虫刺されに極めて弱いんです。
 そして、庭仕事など良く動き回るのでかって蜂にも何度か刺されています。

 刺すのは働き蜂(雌)だそうです。
 蚊にもとっても好かれていて毎日メチャ刺されですが、あれも雌蚊とは
                                         (;´д`)トホホ

 先日来 「頑張り過ぎない」 「我慢し過ぎない」 「我を張り過ぎない」を心がけ
ていますが、2番目に該当 その日に受診すべきでした。 (_ _,)/~~ハンセイ