山の先輩・友人


■山登りを通じてよき先輩と出会い、親しき友人・後輩と出合った。そして今も…。
 






 
●私たちは、
その人生の中で様々な人との出会い、付き合いを重ねる。学校の友だち、職場の仲間、近所の人々・・・などなど。 「山登り」という一つの行為(スポーツでもあり、趣味でもあり)を通じてできた、作り上げた人間関係(先輩・友人・後輩)は特に深いものがある。何故だろう。共通の目的意識があるから…、同じ釜(コッフエル)の飯を食べた仲だから…ザイルを結び合ったパートナーだから…、色々と考えられる。

先輩山登りの先輩といえば、高校の山好きの同級生に誘われて入った、街の勤労者山岳会の「登稜会」のリーダーや年長の方々となる。高校の山岳部は、私たちの在学時に出来た(私たちが作った?)始めたもので、上級生はいたが全員が仲間みたいなものだった。登稜会は、私たちより10歳前後年長の世代の方々がリーダーとなって活動していた(当時、20代後半から30代前半)。05年から、何十年ぶりかで山岳会のOB集会に参加させてもらっている。当時お世話になった懐かしい先輩の皆さんにお会いできて感激し、そこでの話を通じて一挙に40年前にバックヒューチャーした。毎年一回だが今後も参加続ける。

●友人
…山登りを通じての友人といえば、山岳会の同期の仲間の多くが高校の山岳部の同級生なので、山岳会の山行か、高校の仲間同士の山行か、記憶がごちゃごちゃになっている。いまだに付き合っているのは数名だが、街での飲み会が中心で、山登りは話の中だけだ。彼らは今だ仕事現役で山行を共にする機会に恵まれていない。



 
08・07 山の先輩・友人
06〜05 山の先輩・友人
 
 
09 山の先輩・友人




【 山の先輩・
友人


山岳会のOB・OG会     (2009.03.30  

 


先月から今月にかけて山岳会(登稜会)からみの手伝いや集まりが続いた。昨年の50周年を区切りに、OB・OG会の会長(幹事・事務局)が、創設期の大先輩(10年ほど年長)から、私たちの世代(60才代半ば)に代わった。同年代のHやOが今年から担当することになった(私は所属した期間が短いので仲間として彼らへ協力)。今年の総会の召集段階(2月末の週)から、PCが壊れたとかで私も急遽手伝うことになった。


●3月28日(土曜日)・新宿で、現役+OB・OG会の総会が行われた。50周年記念の後なので参加者が少ないのではと、彼らは心配していたが30人近く集まり例年並だった。H・OはOB会の事業計画として、総会のほか年に2度ほどの山行(温泉・泊まり含む)を提案して了承されていた。事業報告(会計報告に加え)も必要になるだろう。


 
 

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08・07 山の先輩・友人


【 山の先輩・友人


■奥鬼怒川・加仁湯温泉  (2008.11.08〜09)

 


 

●私の友人(OやH)が、若いときにヨーロッパ・アルプスに行ったときの同行の方々と「山夢庵」というグループを作り、毎年温泉めぐりなどしている。今年は私にも声がかかり喜んで参加した。彼らにとっては、20代のころからの付き合いだか随分と続いていることになる。

●埼京線の戸田公園駅で全員そろい、2台の車で東北道を今市まで走る。そこから下を川治の近くまで行き、奥鬼怒方面に行く。この辺はまだ紅葉が残り綺麗だ。 女夫淵温泉
からは一般者通行止めで、加仁湯温泉の送迎バス(スーパー林道)の乗る組みと、遊歩道を1時間強歩く組みと分かれた。

●歩き組みが「
加仁湯温泉・旅館」に着くと先発組みは既に露天風呂に入浴していた。私たちも直ぐに用意して、乳白色の硫黄のにおいがする湯に入った。谷間の露天風呂で、沢渡りの風が冷たく、気持ちがいい。部屋に戻ると宴会が始まっており、早速参加…夕食までと、別室の夕食と、さらに部屋での「鹿肉をつまみにワイン」と、宴会は続いた。山の話、仕事の話…と様々。楽しいひと時を過ごせた。来年は「新穂高温泉」とか…。

 

 
 
 




【 山の先輩・
友人


■高校時代の山の仲間たち  (2008.09.12)

 




●高校時代の山好きの仲間たちが、遅すぎの「暑気払い」を名目に「御徒町」に集まった。写真で見るとみんなおじさんになってしまっている。仕事は現役の連中ばかりだが…。

 
 
 




【 山の先輩・
友人


私の属した山岳会…登稜会・創立50周年記念  (2008.07.05)

 


 
↑創立当初の諸先輩・今も現役の方も

●今年の3月に恒例・年次の「登稜会・総会(現役・OB)」があり、この7月に新宿で「創立50周年記念パーティー」が催された。親睦の深い友好山岳会の方々も招待された。あっという間の2時間半だった。写真の諸先輩方に鍛えられた時代を思い返した。40数年ぶりに登稜・同期の仲間との出会いもかなった。


これまでの会報の総集編となる「登稜会五十年の歩み −心に青春を−」が記念として編纂され参加者に配られた。会報は、会友・学友のH君から、原本の「創刊号」から「第6号」まで(ほぼ毎年の発行…昔懐かしいガリ版)、間をおいて「1979年」から「2004年」まで(ほぼ5年ごとの発行…印刷製本された本格版)を借りて読んではいたが、改めて通して読んでみると、自分も活動していた頃の懐かしさと、自分が参加できなくなった後の、会の活動の発展・変遷(ヨーロッパ・アルプスやヒマラヤまで)を知り、感嘆の思いにふけった。

●記念会報に「−心に青春を−」とある。編集後記で創立者の一人のYさんが、漢の武帝の「秋風辞」の一節をあげて、老いを嘆くことなく ”心に青春を” と、語っている。私はこの言葉から、産能大の図書館で出会った「青春」(サムエル・ウルマン・米国の実業家)の一節を思い出した。

● 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう…。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときはじめて老いる…。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り80歳であろうと人は青春の中にいる」。 Yさんをはじめ、創立者の皆さんは70歳を超えられているが、まさに、サムエル・ウルマンの言う「青春」を体現している。まだ60歳なかばの私たちも見習わなければ…。



 




【 山の先輩・
友人


「登稜会」(山岳会)の総会に参加して  (2008.04.05)

 





3月下旬、恒例の「登稜会」(OBとして属する山岳会)の年次総会があった。そして今年は50周年の記念総会も7月にある。先輩のみなさん、仲間のみんなに会えた。楽かった。



 
 

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【 山の先輩・
友人


■高校の仲間たち・山の仲間たち    (2007.05
.28)

 
 


●高校(定時制・機械科)の久々の同窓会が27日の日曜日に秋葉原であった。50代のはじめの頃、初回・二回目の同窓会があった後、随分と途絶えていた。当時はそれぞれ仕事で多忙な時期で、呼びかけもできなかったのかも知れない。
その後、亡くなった仲間…、消息知れずになった仲間たち…、定年後も仕事に頑張っている仲間…、悠々自適の生活をしている仲間…、60過ぎに結婚した仲間・・・、とこの十年余りでわれわれも随分と変わった。

●高校の仲間たちといえば、ともに勉強でがんばった…というより、スポーツ・部活で頑張った、楽しんだ…の仲間たちの印象が深い。
定時制でも結構スポーツ部活は盛んだったように思う。わがクラスから部長を大勢輩出した(勉強嫌いの反動か?)。記憶に残るのは「水泳部」と「山岳部」だ。私も参加していた「水泳部」は、東京都の定時制高校の大会で4年のとき優勝した。山岳部では4年正月「鳳凰三山」を縦走した。歳暮の配達で資金稼ぎをしたのでよく覚えている。今思えば、よく学校が許可したものだ。

●高校の山好きの仲間たち、発足した山岳部の仲間たち
…高校の同級の仲間(特に一緒に登ったS君・F君・私)、高校山岳部の仲間たち、社会人の山岳会(登稜会)へ入っていった仲間(O君・H君)たち…色々と思い出は尽きない。今回の同窓会で、仲間と登った山行の「セピヤ色の写真」を沢山見せてもらった。



 



【 山の先輩・
友人


■山の先輩・友人…山岳会の懐かしき「会報」    (2007.05
.12)
 


●連休(GW)は交通機関も行く先も混雑を嫌い、良い天気なのに家にいて山の
友人から借りた、若いときの山岳会(登稜会)の「会報」を、読みそして懐かしい思いに浸っている。創刊号からの、3号(昭和35年・1960年から)あたりから、私の行った、書いた「記録」が出てくる。なんといっても、そのつくりが「ガリ版ズリ」だ。今では黄ばんでしまい装丁もバラバラになりそうになっている。これもまた懐かしい。本当に40年以上の歳月を感じるシロモノだ。

●20歳前の山行とその記録だ。もうすっかり忘れていた山行もあり、記録もある。結構すごいところも登っていたのだ…と驚く。それにしても、「紀行文」というか「登攀記録」というか、よくまじめに書いたものだ(会の先輩の指導だったのか、規則だったのか)
。拙い文章の中にも「気迫・真剣さ」が伝わってくる。

●今年のOB・OG会が3月にあった…。今年は会場が別のところで狭かったが、その分、今現役で活動している方々との交流、私がやめた後に中心となって活躍したOB・OGの方々との交流・語らいがあり、楽しいひと時を過ごした。先の会報を読んでいると、現役の方々の記録、OB・OG
の方々の記録にあり、また楽しむことが出来た。来年は設立50周年記念の行事があるとか。私も何らかのお役に立ちたいと思う。


 
 
   
 

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06〜05 山の先輩・友人


【 山の先輩・友人


■若い頃の山の友人(仲間)たち (2006.11.10)

 


●高校時代の山岳部の仲間たちがいる。学科が同じ(工業高校・機械科)で仲間も居れば違う学科(建築科)の仲間も居る。お互いに仕事の現役時代(40年間ほど)は、なかなか会うことも話すこともなかった。 私自身も、退職して自立して色々時間的余裕ができるようになってから、旧交復活の動きをするようになった。O君・S君・H君と私が良く会うようになった。F君も山岳部で山好きだったが、別の街の山岳会に所属し、その後もなかなか会えていない。

●昨年(05年)に続いて、今年もそれぞれの都合に合わせて、私とO君、S君・O君と私、S君とH君と私、などその時々の都合で「飲み会」で会っている。みんな記憶が危ういが、数人集まれば何とかの知恵で、色々過去が明らかになる。とにかく積極的で遊び好きだったようだ。誰かの音頭とりで、高校時代の山岳部の仲間たちの同窓会でも開きたいものだ。

●意外と少ない大学時代の山の仲間…考えてもほとんど居ない。山にも行く暇がなかった。例の大学闘争・全共闘時代(世間では紛争という)に突入した時期で、学生達が極めて政治的になり、価値観が大きく変りつつあった。私も同じ。東京都の職員(公務員)で暇に任せて山登り・岩登りに熱中していた生き様から、大学進学により、環境が激変し、考え方の全く違う仲間達との交友が中心となった。山登りは勿論、山の仲間達との交流も途絶えた。

●記憶しているのは同学年の旅好きの女の子達のボディーガード役やボッカ役で行った、東北の「飯豊連峰」、そして北八ヶ岳の「天狗岳・白駒の池」位だ。






【 山の先輩・
友人


■2回目の「登稜会・OB会の06年総会」に参加  (2006.03.26)

 

 

 

 

 


●昨年に続き、若かりし頃の「山岳会…登稜会」の06年総会に参加した。現役の方々が10数名、年次か月例の登山計画・報告会が行われていた。OB・OG会は20名弱の方々が集合されていた。

●高校同級のH君やO君も今年は参加。昨年に続き、
当時のリーダー(会長?70才過ぎのはず)だった「Yさん」は、今も現役組のリーダーシップをとられているし、現に「山行」もされて、年に半分は「インド…ヒマラヤ?」に行かれているそうだ。ただ頭が下がるばかり…。他の先輩方も多く参加されていた。1年に一度だが、さすがに昨年のようなことはなく、すぐお名前と顔が重なった。

●私の近況報告で「昨年秋から山登りを復活した」と書いた。後からYさん・Yさん・Mさん・Hさんからメールをいただき、山のお誘いも受けた。ご年配なのにパソコン・インターネットをやっているのだ!!と感心した。さっそくこのホームページを紹介…ある方からはお褒めの言葉も頂いた。



 

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【 山の先輩・
友人


■若かりし頃の「山岳会」が50周年を迎える  (2005.04.09)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●3月の末の日曜日、先のコラムで紹介した、若かりし頃の「山岳会…登稜会」の年集会があった。現役の方々が10数名、年の登山計画か直近の計画か、不明だが合わせて行われていた。OB・OG会は20数名の方々が集合されていた。名簿では70数名なのだが地方の方も多く約30%の集まりだった。

●先の話で「会員名簿」をみると懐かしい「お名前」が並んでいた…お互いに年をとったので、名前と顔が一致するか、かなり心配…でも期待が膨らむ・・・、楽しみだ…と書いたが、高校同級のH君はすぐわかったが、他の方々は、名前と顔がすぐには一致しない。お話をしているうちに徐々に面影がよみがえってくる。皆さんからみた私も多分そんなものだろう。高校・大学の何十年ぶりの再会でもそうだった。極めて不思議な感覚である。

●それにしてもたかだか街の山岳会(失礼な?)が、2008年には創立50周年を迎えるという。私が参加していた時期は40年前だから、創立10年頃の会員となる。その頃の一線で頑張っていた先輩たちが「創立者」ということになる。私が10代後半から20代前半の年令だったから、先輩諸氏は20代後半から30代の頃、今は70才代ということになる。その当時の街の山岳会は多かった(今はどうなのだろう)。それでも50年も続いている山岳会はマレの部類に入るのだろう。私たちの先輩たちのリーダーシップが、その後も含めて秀でていたということだ。

●現に、当時のリーダー(会長?70才位のはず)だった「Yさん」は、今も現役組のリーダーシップをとられているし、現に「山行」もされて、年に半分は「インド…ヒマラヤ?」に行かれているそうだ。ただ頭が下がるばかり…。







【 山の先輩・
友人


■若かりし頃の「山岳会」からお呼びがかかった (2005.03.02)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


●このコーナーでも何度か触れた私の若かりし頃(18〜22才)の「山登り」の仲間の「山岳会…登稜会」からOB・OG会の総会があるから参加しませんか、とのお呼びがかかった。何でこちらの「山恋の」気持ち(2月13日のエッセイ?参照)がわかったのだろう・・・。先の日曜日に「高校時代の同級生で、この山岳会の仲間」だった友人から「総会の郵便物届いた?」の電話があって、かなり前にそんな話をしたことを思い出した。

●同封されていた「会員名簿」をみると懐かしい「お名前」が並んでいた。家庭の事情もあってそんなにマジメな会員ではなかったが、本当にお世話になった。山岳事故・遭難の多い時代だったので、新人の頃は「技術指導」が厳しかったし、親身になって鍛えてくださったことを思い出す。勿論、新人とペア(岩登りのザイルパートナー)を組むのだから、先輩のわが身を守る意味合いもあったのだけれど。残念ながら先輩のお名前はよく覚えているが、どこへ一緒に登ったかは記憶が薄れている。

●3月下旬に「総会」が新宿である。お互いに年をとったので、名前と顔が一致するか、かなり心配。でも期待が膨らむ・・・、楽しみだ。確か私が参加していた頃は「会報」を出していた。私の手元には全く無くなってしまっているが、どなたかお持ちだろうか。今は続いているのだろうか。写真も全くない・・・。何で大事にとっておかなかったのか・・・後悔しきり。 若いとき、その後も含めて、価値観が違っていたのだろう。「物より思い出」か。

●「山岳会」の総会に参加したからといって「山登りの現役…中高年の登山愛好家?」に戻る、戻れるわけでもない。かといって「昔話の場」だけもまた寂しいものだ。とにかく利害関係のない、青春の熱い時期をともに過ごした「同好の仲間」と会えることはなんとも楽しいことだ。これを機会に自分がどう変化していくか…。自分でもわからない。

●それにしても、同じようなことが続く。仕事・会社から引退した「寂しさ」なのか。社会的「存在感の希薄さ」への恐れなのか。自分の心境を心理学的に分析しても始まらないのだが。「人間…ひとのあいだ」のもって生まれた本性なのか? 若いみなさんよ、年取ったら同じ心境になるかも…お友達は大切に。


 
 

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