大垣女子短期大学解雇事件
弁護士 山田秀樹
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キーワード @国際教養科 A廃科 B整理解雇 C短期大学設置基準 D大学の自治 |
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これまで大学あるいは短大の教員に対する解雇の効力が争われた事例は多いが、「学科の廃止、全員首切り」というショッキングな事例は全国的にもめずらしく、本件の帰趨は、今後の大学及び短大の運営に与える影響が大きいと思われる。 |
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1,大垣女子短大の沿革 同短大は、1969年4月に幼児教育科第1部が開設されたことに始まる。しかし、同年の第1部の入学生は7名しかなく、第3部の学生を第1部の学生と偽って文部省に届け出ていたなどの問題があった。このため、翌年4月に同科第3部が開設されたことが、同短大の実質的な開校である。 第3部(第2部ではない)とは、昼間二交代の勤労学生を対象とした学科である(午前の授業と午後の授業が1週間毎に交代する。従って、修業年限は3年である)。岐阜県大垣市を中心とする西濃地域は、東海地方でも繊維産業が盛んな地域であり、しかも工場労働者の大半は高卒の女子工員であったため、彼女らに勉学の場を提供するものとして大垣女子短大は設立されたという経緯がある。実際、幼児教育科を卒業して、地元の保育園の保母として新たに働きだすという女子学生も多数存在した。入学者の定員からも明らかなように、大垣女子短大の学生募集の主力は第3部であった。 なお、大垣女子短大では、1976年頃まで、理事は同短大の後援企業の工場長が占めていたが、第3部学生を第1部学生と偽って入学させるなどが再発したために、そのころ文部省の指導を受け、「工場長理事」解消した。以後10年ほどが、同短大が充実した時期であった。 |
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2, 国際教養科の設置と廃科 しかし、1980年代後半から、第3部への入学者数が減少してきた。主たる理由は、地元企業の合理化によって、新規採用される女子工員が減少したためであった。このため、第1部学生の増加をはかるべく、学科増設による入学者数の確保が考えられた。折しも、文部省によって、学科の新設は、@国際化、A高齢化、B情報化のいずれかに対応したものでなければ認められないという方針が示されていたため、大垣女子短大では「国際教養科」を開設することとし、1989年頃から手続を進め、1990年12月に国際教養科の設置認可を受け、翌1991年4月に同科開設の運びとなった。そして、このとき、同科の教員として12名が新規採用された。 国際教養科は、入学定員100名に対し、入学者数は、1991年度が78名、1992年度が126名、1993年度が140名、1994年度が135名、1995年度が120名と順調に推移した。しかし、その後は、1996年度が79名、1997年度が52名、1998年度が34名と定員割れが続いた。 1996年度の定員割れが明らかとなった後、学内では「国際教養科の体質強化」「国際教養科の再編」が議論されるようになった。しかし、同短大理事会は、そのような議論を無視し、1998年2月に、「国際教養科は2000年3月31日をもって廃科する。このため1999年4月から同科の学生募集を停止する」ことを決定してしまった。国際教養科は開設からわずか9年で幕を閉じることになった。 |
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堀江助教授は、立命館大学の大学院法学研究科修士過程(公法・法哲学)を卒業後、1969年4月に大垣女子短大の教務課職員として採用され、教務課長を経て、1975年4月に専任講師、1978年4月から助教授の地位にある。 大垣女子短大には、全学科の1年生全員を対象とした「教養科」があり、堀江助教授はこの「教養科」に所属し、日本国憲法、哲学(後に生活意識論に名称変更)、教養演習、総合科目などの授業を担当していた。(但し、教養科は独自の学科ではないので、文部省への届出上はいずれかの学科に所属していたことになる)。特に、日本国憲法は教職課程の必修科目であるので、同課程のある幼児教育科、音楽科、デザイン美術科の学生は必ず受講しなければならなかった。 各学科と教養科とは、いわばタテとヨコの関係にあり、教養科が各学科に共通の一般教養科目を受け持ち、横断的に授業を行ってきた。そのため、教養科も学内では独立性が認められ、独自に学科会議を開き、人事権や予算権も有していた(大学の自治)。 そして、1991年4月に国際教養科が開設されても、このような教養科と堀江助教授の立場には何の変化もなかった。つまり、国際教養科を含めた5学科と教養科とが併存していたのである。国際教養科に新規採用された教員は国際関係科目の専門教員であり、教養科の教員とは、専門科目と一般教養科目とに棲み分けが行われていた。 |
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前述したように、大垣女子短大では1980年代後半以降、第3部への入学者が減少し、1993年4月には第1部と第3部で入学者数が逆転した。その傾向への対応策として国際教養科を開設したが、同科でも1996年度以降定員割れが続いた。そこで、同年4月、当時の学長は教養科学科長に対して、「国際教養科の体質強化」を検討するように指示した。当事者でない教養科の教員に「国際教養科の体質強化」を検討させるのは筋違いといえなくもないが、これは国際教養科の教員に自己改革能力が失われていたためであった(この点は、廃科の経営責任として後述する)。 国際教養科の再編案が検討され、教養科と国際教養科を統合したうえ、国際教養科に国際コース(国際関係コース)と教養コース(人間関係コース)を設ける案が考え出され、とりあえず1997年4月に教養科が国際教養科に統合された。これに伴って、堀江助教授を含む教養科の教員は、国際教養科に配属替えになった(但し1名を除く)。この統合に、教養科の教員は全員反対したが、学科会議の場において、「国際教養科が廃科された場合には、他学科に分属される。従って解雇はない」ことが学長及び学科長から約束されたので、最終的には統合に従った。しかし、この統合によって、旧教養科の教員の担当授業や担当学生には何の変化もなかった。 その後も、国際教養科の学科会議において、同科の再編案、カリキュラムの改定案などの検討が続けられた。 |
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しかし、1998年2月、短大理事会は、それまですすめられてきた学内における議論を無視して、国際教養科の廃科をほぼ一方的に決定した。そして、同年9月、国際教養科の教員全員に対して2000年3月31日をもって退職するように迫り、最終的には堀江助教授のみがこれを拒否したため、本件解雇がなされたのである。 なお、国際教養科の廃科後の一般教養科目については、それまで担当していた旧教養科の教員は存在しなくなったので、各学科の専門科目の教員が担当することとされた。一部は非常勤講師でまかなっているが、基本的には「労働強化」ですませようとしている。 |
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1,大垣女子短大の主張 大垣女子短大は、本件解雇は国際教養科の廃科に伴う整理解雇であると主張し、@国際教養科は、少子化と国際関係学部学科からの学生離れの影響で廃科せざるを得ず、人員整理の必要性があること、Aカリキュラムの改定によって、堀江助教授が担当可能な日本国憲法の授業は後期3コマしかなく、就業規則で専任教員に要求される通年6コマの授業に及ばないこと、B退職者には、早期退職優遇措置によって、退職金の加算措置をとっていること、C退職勧奨の結果、堀江助教授1名のみが整理解雇の対象となったことなどから、本件解雇には合理性があって適法であると主張している。 ところで、使用者は解雇の自由を有しているが、それも権利の濫用に該る場合には無効となるという「解雇権濫用の法理」が判例上定着している。つまり、解雇には合理的な理由が必要とされるのである。そして、「整理解雇」はそのような合理的な理由の一つとされているが、しかし、整理解雇であるから直ちに解雇は有効というわけではなく、「整理解雇の4要件」(@人員削減の必要性、A解雇回避努力を尽くしたこと、B解雇手続の適法性、C解雇対象者の選定の合理性)を充たすことが必要とされている。 被告は、このような要件をいずれも充足していると主張しているのである。 |
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しかし、まず、本件解雇は整理解雇に該当するものではないと考えられる。すなわち、堀江助教授は、国際教養科の廃科の影響を受けない立場にあるのである。 堀江助教授は、採用当初から教養科に属し、全学科の1年生全員を対象として、一般教養科目(日本国憲法や哲学)の授業を担当してきた。このことは、国際教養科が新設されてからも何ら変化はなかった。 さらに、教養科が国際教養科に統合されてからも同様であった。堀江助教授は、教養科の他の教員と同様、統合後も以前と同じように、全学科の1年生全員を対象に、一般教養科目(日本国憲法や生活意識論(哲学を名称変更))の授業を担当していた。国際教養科の学生のみを相手に、国際教養科のみの専門の授業を行っていたのではない。ただ、配属替えによって国際教養科の「基礎演習」の授業が1コマ増え、これだけは国際教養科の学生が対象であった。 そもそも、堀江助教授は国際教養科に採用された教員ではなかった。国際教養科では、新設の際に12名の新規教員を採用したが、すでに教養科に所属していた堀江助教授は、当然この中には含まれていない。1997年4月に、国際教養科の再編のために教養科が統合され、それに伴って国際教養科に配属替えされたにすぎないのである。形式的には国際教養科の所属であるといっても、実質的には全学生を対象にした教員なのである。国際教養科の不振による廃科であれば、同科で新たに採用された教員のみが整理解雇の対象とされれば足り、堀江助教授は実質に従ってもとの身分に戻されればよいのである(これを比喩的に言えば、親会社が従業員を子会社に出向させたうえ、その子会社の閉鎖に伴って、その従業員を親会社に呼び戻さず、そのまま首切りするようなものである)。 つまり、堀江助教授は、全学を対象とした一般教養の教員であるから、国際教養科の廃科とは無関係であり、その影響は全く受けないのである。本件は、「国際教養科の廃科」に名を借りた不当解雇にすぎない。 |
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仮に、本件を整理解雇とみた場合でも、整理解雇の4要件を充たしてもいない。 すなわち、国際教養科の定員割れに対しては、学内で再建策が検討され、その一環として教養科との統合が実施された。さらに、カリキュラムの改定案が議論されていたところであり、改革途上であったということができる。短大側は国際関係学部学科への学生離れを言うが、岐阜県内では2000年4月から国際関係学科を新設した短大もある。従って、国際教養科は改革途上で、立て直しの余地があると見るべきである。つまり、「人員削減の必要性」は未だないということである。 仮に、少子化の影響などで、国際教養科の立て直しの余地がないとしても、これに対する短大理事会の経営責任が問題とされなければならない。すなわち、満足な学科運営を怠ってきたことへの責任である。国際教養科は、個別雇用契約教員が多く、学科会議が満足に開けず、学生に対する十分な指導が行えなくなり、評価を落としめたということである(国際教養科の再建案を当事者でない教養科に指示するなどはその例)。この経営責任の点が肯定されるならば、信義則上、短大側にはより高度な解雇回避義務が課せられると考えられる(例えば、堀江助教授の授業が就業規則に満たなくても雇用し続けなければならないなど)。 こういったことを検討した上で、人員削減の必要性が有り、立て直しの余地もなく、経営責任もないということが明らかになったとき、一般的な意味で言う解雇回避措置を尽くしたかが問題となる。 この点、他学科への配属替えの可能性が十分検討されるべきことになる。先に述べたように、堀江助教授は国際教養科が新設された前後、及び同科に配属替えされた前後で、担当授業、担当学生に全く変化がない。国際教養科が廃科されても、他の学科の学生を対象に授業を行うことが十分可能なのである。 これに対して、短大側は、堀江助教授が担当可能なのは日本国憲法の後期3コマしかなく、専任教員の持ちコマ数(通年6コマ)に及ばないと主張する。確かに、2000年4月からのカリキュラムには堀江助教授が以前担当していた授業(生活意識論)はない。しかし、それは、短大側がわざわざ堀江助教授の授業をなくしたからである。しかも、そのなくした理由は、担当者がいなくなったからというのである。生活意識論は一般教養科目として学生にも人気のあった授業である。それをなくしておいて担当授業がないと主張するのは、本末転倒の主張と言わなければならない。他に教養演習、総合科目なども名称を変えて存続しており、担当可能な授業は十分残っているのが実際である。 この他に、同短大は教授会で審議することなく、理事会のみで堀江助教授の解雇を決定しているなど、大学の自治を踏みにじる手続違反を犯している(解雇手続の違法性)。 本件解雇は、整理解雇の4要件の充足もないことは明らかである(しかし、昨年から今年にかけての東京地裁労働部の判決では、この4要件を緩和するような判決も見られるので、今後の動きに注意を要する)。 |
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本件解雇は、「国際教養科の廃科」を理由とする限り、そもそも整理解雇とは言えないこと、整理解雇の4要件も充たしていないことから、その違法性は顕著であると考えられる。 しかし、懸念されることがあり、それは、1991年以降における文部省の短期大学設置基準の改正との関係である(なお、大学も同じ)。この一連の改正では、授業科目の区分が廃止されて、一般教養と専門の境目が取り払われ、また一般教養の中の人文、社会、自然の系列も仕切りがなくなるなど、「設置基準の大綱化」が行われた。そのため、多くの大学で「専門性重視」が大局的な流れとなり、教養学部が廃止されるなどした。この流れから大垣女子短大も無縁ではなく、「教養科の存在意義」が問われ、次第に教養科所属の教員が余剰人員化していったと仮定すると、本件解雇はどのように扱われるべきか、別の角度からの検討が必要になると思われる。その場合には、「大垣女子短大全体の人員削減の必要性」が問題となると考えられるが、これには大学教育のあり方をどのように考えるのかという問題が絡まりあうと思われる。 この点について、短大側はまだ明確な主張を行っていない。弁護団では、来るべき時にそなえて鋭意検討中である。 |
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本件は、「短大における廃科、そして所属教員全員の首切り」とあまり例のない、極めて乱暴なケースである。しかし、少子化や、国立大学の任期制、独立行政法人化が取り沙汰される今日、リストラの嵐から大学も無縁ではいられないことに鑑みると、経営者側も本件には相当な決意で臨んでいると考えられる。従って、こちらもそれに見合った体制をとっていく必要がある。 提訴後、地域の労働者、卒業生などによって「大垣女子短大解雇撤回闘争を支援する会」も結成され、日本科学者会議岐阜支部や東海私大教連などの支援も受けて、運動にも取り組んでいる。裁判と運動の双方について、皆さんからのご意見、ご協力をいただければ幸いである。 |
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岐阜県大垣市室町2丁目25番地 西濃法律事務所 弁護士山田秀樹 (0584)81-5105,fax74-8613 》 |