私は、子供の頃はずっと野球ファンでした。
小学生の頃は「プロ野球選手になろう」と思っていたし、各種記録についてもクラスの誰よりも詳しく、「野球博士」とあだ名される、どこにでもいる野球狂予備軍の一人だったわけです。
サッカーに興味を持ったのは、「キャプテン翼」というマンガから。(笑)
…と言うと、同年代の方なら、意外と多くの方に頷いていただけるかもしれませんね。
とは言え、当時の熱は一過性のもので、ほどなく私にとってサッカーは縁遠いスポーツの一つに戻っていきます。
一応サッカー部に入ったこともありますが、転校とともにやめてしまい、体力だけはあるものの、足技はむしろ一般の生徒より下手(笑)という「自称」元サッカー部員でした。

決定的に状況が変わったのは、W杯アメリカ大会予選。
そう、いわゆる「ドーハの悲劇」ですね。
(余談ですが、あの頃のサッカーにそれほど入れこんでいない私だから、あのできごとにそれほど深刻な衝撃を受けずに済んだわけで、今の私がああいう展開を目にしたら、ショックで1週間くらい寝こむかもしれません。(^^;)
Jリーグも開幕していましたが、特にひいきのチームもなく、暇なときに中継があれば見る、といった程度でした。
一応、友人の影響で鹿島アントラーズに多少の感情を抱いてはいましたが、私にとって「サッカー=日本代表」という時代は、結構長く続きます。
それでも、「井原は嫌い、柱谷(哲)が好き」「武田も高木も嫌い、中山が好き」など、選手の好みは基本的に当時から変わっていないですね。(笑)

横浜フリューゲルスを初めて意識したのは、いつだったか、ヴェルディ川崎とのゼロックススーパーカップをテレビ中継で見たとき。
まだ、エドゥー、アマリージャ、モネールらがいた頃です。
当時の私は「ゾーンプレス」という言葉すらも知らなかったわけですが、あの試合について後日、サッカー好きの友人に「日本のサッカーをフリューゲルスが変えるんじゃないか」と興奮気味に話したのを覚えています。
当時は、ヴェルディに日本代表が多かったこともあって、日本代表のサッカーとヴェルディのサッカースタイルに、どこか似たような匂いを感じていました。
それと全く違うスタイルを、フリューゲルスは私に見せてくれました。

しかし、一度三ツ沢にフリエと清水の試合を見に行って、情けない負け方はするわ、席を探しててどっかのサッカー親父に「邪魔だ」と怒鳴られるわで、フリエはあくまで「ニュースのなかで、勝ってれば喜ぶ」という程度の存在に落ち着きます。
フランス大会予選が始まり、私のサッカーに対する興味も再燃していきました。
しかし、代表戦だけでは持て余すようになった情熱は、フリエではなく、なし崩し的に鹿島へと注がれるようになります。
この辺は、わざわざ鹿島スタジアムまで私を引っ張っていくなどした、友人の功績(?)かもしれませんし、感動的ですらあった秋田の鬼神のようなディフェンスが目に焼き付いていたからかもしれません。
だから、今でも鹿島は好きですし、近場で試合があればレプリカシャツを着てゴール裏で応援したりもしてます。
横浜FCの試合と重ならない限り、という条件がつくようになってしまいましたけどね。
(土曜日に鹿島、日曜日に横浜FC、と連ちゃんで応援するのは、のどに負担がかかるので…。(^^;)

そんなある日、例のニュースが飛びこんできます。
横浜フリューゲルス、消滅。
正直、大した感慨はありませんでした。
Jリーグが始まった当初のバブルが異常な状態だった、ということを知る程度にはサッカーの知識もついていましたし、企業は利潤を追求するものだということはイヤというほどわかっていましたから、「親会社が経営危機なのだから資金援助を打ち切る」という言い分も、感情を抜きにすれば、理屈的には至極もっともだと思いました。
ただ、鹿島の試合を見に行ったスタジアムで、レプリカを着て懸命の署名活動を行うフリエファンを見て気の毒には思いましたし、当然、署名もしました。
全日空のあまりに一方的なやり方には腹が立ちましたから、今後も全日空の飛行機を利用することは一生ないでしょうし、Jリーグのお粗末ぶりについては、今さら私があげつらうまでもないでしょう。

そして、天皇杯決勝。
バックスタンド最上段から見下ろすピッチで、フリエの選手達は意地と誇りを見せてくれました。

その後、動向を見守るうち、横浜FCが立ち上がります。
チームがなくなってしまったことへの同情。
親会社とリーグへの反感。
そして、天皇杯の戦いに敬意を表して。
私はソシオに入会しました。
でも、当然と言えば当然かもしれませんが、この時点では特に横浜FCに愛着はなく、「横浜FCがJに復帰したらソシオを脱退し、互いに敵として相まみえよう」とさえ考えていたわけです。
一応、年間シートつきでソシオに入会したのですが、「一体、何試合見に行くやら」と無駄とも思えるお金を注ぎこむ自分に苦笑しながらの行動でした。

そして、たまたま見に行った開幕戦。
メインスタンドでのんびり観戦するはずが、ゴール裏で始まった応援の、楽しそうなこと。
フリエ時代から受け継がれるノリの良い応援が、私にはたまらなく魅力的で、「一緒にやりたい!」と思ったのです。
スタジアムの売店でマフラーとレプリカを購入し、応援に参加。
試合自体はそれほど面白い内容ではありませんでしたが、応援すること自体が面白く感じられ、その後も近場での試合には頻繁に顔を出すようになりました。
そうするうちに愛着も湧き、なにより「自分が支えなければ、このチームはなくなってしまうかもしれない」という意識が、私を横浜FCの応援へと駆り立てるようになります。
まぁ、会社を辞めて時間があったというのも大きいですね。(笑)
そうでなければ、新幹線を利用して刈谷まで行こうとは、さすがに思わなかったでしょうから。

そんなわけで、いくつかの偶然に背中を押されて横浜FCと関わることになりました。
フリューゲルス時代からの生粋のファンにしてみれば、軽薄に見えるかもしれませんし、それを否定するつもりもありません。
サッカーそのものとの関わり方も、長くも深くもないですしね。
ただ、横浜FCには「自分達のチーム」という強い愛着を持っていますし、試合の応援に行くのは楽しいです。
他の全てに優先するわけではないにせよ、私の生活のなかで、とても大切な要素の一つになっています。
「チーム消滅」がどれほどの悲劇か、想像することができるようになりました。
あんな悲劇が二度と起こることなく、横浜FCの応援を続けていけることを、願ってやみません。


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