ステイ。 第3話   花愁いのLament
 水田は再び店の前に車を止めた。店の戸締りをしにドアを押し開けて入っていく、店主の背中を見送る。

 エンジンブレーキのレバーとギアがParkingにはいっているのを確認してから、ハンドルにもたれかかった。

 フロントガラスを通して見える光景が絵のようだ。

 杜氏帰る時期、沿道に生えそろう並木。

 音も無く舞い落ちて、窓にとまりボンネットに積み重なる花びら。暗闇に透けて薄く光る、桜の花。

 街灯の花篝に照らされて、花びらの流れから垣間見えるプランターの美女桜のつぼみ。店の置き看板。

 コルクのメニューボードを支えるイーゼルには、"lament"と透かしが入ったプレートがかかっている。

 はめころしのガラスをすりぬけて、店の奥から明かりが漏れている。

 厚い木製のカウンターが鈍色に光を反射している。

 常に磨き上げられているのであろうカウンターからは、店主の店に対する思いが見てとれる。

 さながら子供のようなその店の戸締りを忘れていたことに、彼がいかにあわてていたかがうかがえた。

 フロントガラスの縁で切り取られた絵画の中、イーゼルのプレートが水田の視線を引きよせる。

 店の名前を、声に出してみた。

 

「……ラメント」

 

 嘆き。哀歌。

 ふっと息を吐く。

 

 目を閉じる。まぶたの裏暗闇の中で、千々に乱れ散る桜の花びら。

 花びら一枚一枚から響くように、声が木霊する。

 遠くから、小さく、大きく、近くから。

 


「トモちゃんの家の家紋とおそろいなんだ」

「戻せよ。やれるもんならやってみろ」

「よく考えろ、冗談じゃないんだぞ」

 

「気づいたなら、闘うべきだ」

 

「俺はもう一度やりなおさなきゃならない」

「最後の最後で、断られちゃったね」

「どこで、間違えたんだろう」

「また作る。思いだす。絶対だ」

「やっぱり、忘れられちゃうのは……寂しいなぁ」

 

「未来に隠せ。一緒に行く」

 

 教会、イジンの目、碧い蝶。

 透けていく君の全て。

 

「世界が君を失くしても、私は君を忘れないから」

 

 

 記憶の断片が降り積もる。

 今度こそ、ふたりは分かり合えるだろうか。

 そこまで考えたとき、思考をさえぎるように携帯電話が振動しはじめた。

 目を開ける。瞳が空気に触れるその瞬間、暗闇で仄光る蝶が羽ばたく。

 これもいつものことだ。

 下衣の左ポケットから携帯を引き出し注視した。

 予想通り、ディスプレイには着信の文字と「クラバミヤコ」という名前が浮かんでいる。

 水田は通話ボタンを押して電話を耳にあてた。

 

 

 店中のありさまに、思わず恥ずかしくなる。

 椅子は倒れ、空調もつけたままだった。ガス栓と金庫、レジが閉められていたのが救いだ。

 水田に勢いをそがれて、頭の中はのろのろとしか働かない。

 ずるりと思考を引きながら仕込みの具合を確認しようと冷蔵庫をあけて、明日が定休日だと思い出す。

 屈んで冷蔵庫下の排水皿の水を全て捨てて水まわりを磨がく。

 消毒槽へ栓をし洗っておいた調理器具を納めて熱湯と漂白消毒液を注ぎ入れる。

 熱湯を貯めながら、店先にでているメニューボードを店内にしまい入り口の鍵をしめた。

 レジを開けて、黒龍1杯分のレジを打つ。つり銭とレシートをチノパンの後ろポケットに入れる。

 水田にだしたグラスを洗い消毒してカウンターを磨く。

 一度掃除は終わっていたので、まとめたゴミをバックヤードを抜けて裏口からゴミ置き場へ運ぶ。

 目が回る寸前のように思考にもやがかかっていたが、動きに淀みはなかった。

 毎日同じ作業を繰り返してきた賜物か、感覚が勝手に仕事をすすめる。

 実際には5年くらいの月日なのに、気が遠くなるくらい長い間記繰り返してきたような錯覚に陥る。

 事務所と倉庫を兼ねているバックヤードにもどり、金庫を開いた。

 セキュリティカードを取りだして下衣のポケットに入れ、レジの鍵と玄関の鍵を入れて閉じる。

 発注確認と売り上げ計算はすでに済んでいたので、最後の一杯は明後日の売り上げにつけることにした。

 バックヤード以外の照明を落とす。

 汚れているシャツは替えた。

 別に深い意味などない。

 たとえ相手が誰であろうと、人間として最低限のマナーだろうと言い訳じみた考えが浮かぶ。

 最後に指差し確認をしてから上着を羽織る。

 シャツの裾から入った夜気とスプリングコートの裏地がひやりとして、浮いていた意識が少しもどった。

 ふと、すっきりした意識がちょっとした復讐心を起こさせた。

 何度も俺の気遣いを踏みにじってきたあいつを、後悔させてやりたい。

 この俺を怒らせた罪を償わせなければならない。

 ガキの頃からの長い月日、積み重なった罰を受けるべきだ。

 思考とは別に、俺の口元は笑っていた。心地いい、興奮だった。

 裏口の扉を開けたまま、セキュリティを作動させる。

 電子音が10回なる前に照明を消して扉を閉めて鍵をかけた。

 警告音の間隔が狭まり、消えた。

 表通りの車に行く前に、裏通りを走りだす。

 3区画向こうの、自宅に向かう。

 鼓動は、警告音よりも早く鳴っていた。

 

 

 車の窓ガラスが叩かれた。

 先ほどまで後部座席に乗っていた男は、わざわざ鍵をかけて車を降りたらしい。意外と律儀だ。

 運転席の扉についた全体ロックボタンをアンロックにした。

 窓ガラスを叩き返して、下を向いている相手がこちらを見たのを確認してから親指で後ろを指して見せる。

 少し間があって、後ろから空気が流れこんできた。

 甘やかな春花の香りとひやりとした大気が皮膚をくすぐり、花憂いのまどろみを払う。

 人が動く振動で座席がゆれ、乱暴な音でドアが閉められる振動を感じた。

 もぞもぞと動き回るかすかな振動とかそけき音、息遣い。落ち着きがない。

 もともとの性格もあるのだろうが、やはり緊張するものがあるのだろうか。

 ガサガサと紙がこすれる音と、とんとんと指で硬いものをたたく音。

 はずしていたシートベルトをつけながら、後部座席の男に声を投げる。

 

「車内は禁煙だ」

 

 一瞬音がとまったものの、ガチリと缶をあける音とカツンと火打ち石がぶつかる音がする。

 ジッポ特有の蓋が閉まるカン、という硬質な音に続き、焼けたタバコのにおいが鼻を掠めた。

 鼻の奥に深くのるような煙に、赤白の地に黒字のパッケージを思い出す。

 少し窓を開け、ヘッドライトを上向きにつけながらバックミラーで後ろの座席を見やる。

 

「出すぞ」

 

 前後左右の視界と、男がおとなしくなったのを確認してアクセルを踏んだ。

 ことさらゆっくり発車した。今日は重要な日だから。

 窓から入ってくる空気は、春花と潮の香りをしはじめた。

 海岸線に面した支道をにのって市内を南下する。

 起伏の多いこの土地は、海岸線がら見上げると影が城のように見える。

 病院と大学が重なってみえる交差点で赤信号で止まる。この信号は一度赤になると長い。

 右手には公園の向こうに黒い海が広がっている。

 左手には病院の病棟の間から大学の赤い洋屋根が見え、さらにその間を縫って見える高校の校舎。

 あの奥にある石畳の坂を、何度も彼女と歩いた。

 何度訪れたか知れない、見慣れた風景がある。

 宵闇で塗りつぶされた影が重くのしかかってくる気がした。

 ふと後部座席が気になり、バックミラーを伺いみた。

 そこに映った男は、俯いて手元に意識を集中していた。

 携帯電話のライトで手元を照らして、本のようなもののページを繰っている。

 本の縁がつるりと光っているのが見え手帳かノートか何かかもしれないと考えたとき、信号が青に変わる。

 水田は意識を道路に戻して再度アクセルを踏み、発進する。

 2つ先の信号を左折してから、細い道で右左折を繰り返す。

 坂を上りきったところで車を止めた。

 車道から奥まった小路の坂の先に、木々の間に埋もれるようにある小さな建物。

 エンジンブレーキのハンドルを引き上げ一度息をつくと、幾分か高ぶっていた気持ちが落ちついた。

 

「おい」

 

 エンジンキーをまわしてアセサリに入れながら、後部座席に声をかける。

 

「……」

 

 返事が無い。振り返り、後部座席を覗き込む。今日はよくこの動作をする日だ。

 男は先ほど交差点の信号で見たままの姿で、ひたすら手帳もしくはノートのページめくっていた。

 

「聞こえていないのか。おい、大草。大草知泰」

 

 シートベルトをはずしながらもう一度声をかける。

 

「なんだよ」

 

 大草は意識を手元に集中したまま、面倒そうに答えた。

 当初の目的より、目の前のことに意識がいくのは大草の癖だった。

 

「着いたぞ」

 

 手元のスイッチで車体ドアの鍵を開ける。

 大草は窓の外に視線を移し、少し呆けていた。

 

「その坂の上だ」

 

 左側に伸びている坂を指さす。

 大草は坂の上を凝視して目をわずかに見開いたようだった。

 少しの間を、待つ。急かしてはいけない。

 大草は黙ったままドアを開け外に出ると、大きく膨らんだトートバッグを引きずり出して肩に背負った。

 ちらりと見えた鞄の中には、ノートのような、手帳のようなものがぎっしりと詰まっているようだった。

 ドアが大きな音を立てて閉まる。窓が開いているせいか、大きな振動はなかった。

 大草が、引き寄せられるように石畳の坂を上っていくのを、視線だけで見送る。

 沿道の桜がここでも舞っていた。

 春宵一刻値千金。

 音も無く流れ落ちる花びらを透かして、長い春外套の裾がゆるく揺れている。

 まるで蝶の羽のようだと思うと、あまりの似合わなさに笑い出しそうだった。

 むしろ、笑ってこの不安を埋めたかったのかもしれない。

 エンジンキーをOFFにいれ、エンジンを止める。

 後部座席に実を乗り出す。おそらく灰皿代わりにされてしまったであろう缶ジュースの缶を探す。

 座席に手帳のような、ノートが一冊落ちているのが目に入った。

 先ほど大草がめくっていたもののようだった。

 鞄からこぼれ落ちたのか、ページの中ほどが開かれたまま転がっている。

 鞄に詰まっていた大量の手帳かノートを思い出しす。

 助手席の窓を開けようと開閉ボタンに手を伸ばしたとき、大草が建物の扉に吸い込まれていくのが見えた。

 空へ天の主へと手を掲げるように伸びる、教会に。

 扉が、閉じる。

 

 ───────── ここが終わりで、始まりだ。

【 第3話/終 】

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