ステイ。 第5話   流浪のトリックスター

 教会は港町の高台にひっそりとある天主堂だった。
 海の向こうから来た宣教師は、教義を広めるためこの地に天主堂を設け教えを説いたという。
 使命を全うし主の御許に召された後、その体は教会の地下に埋葬された。
 礼拝堂の一角には、今も宣教師を偉人と讃えた銅像が安置されていた。
 ブロンズの肌は闇の中、か細い光に照らされている。

 同じ蝋燭の明かりに照らされて、二人は向き合っていた。

「少し、痩せたかな」

 頬に添えられた手から体温が伝わった。
 大草は反射で都の左手を払いのけていた。
 顔を伏せ右頬を手で拭う。
 鼻先を掠めた香りが甘い気がして眉間に力を入れた。

「そんなに、怖がらないで」

 何を怖がっているというのか。
 大草は余計に顔をしかめた。
 窓から差し込む僅かな蒼光と、局地的な蝋燭の黄光。
 眉をしかめたまま横目で都を盗み見る。

 相変わらず、どこを見ているか分からない浮かされたような目に、どこまでも穏やかな黒耀の瞳。
 肩口で切りそろえられた烏羽色の髪が、月の光に濡れている。
 痩せたのはおまえのほうだろう。
 記憶の中よりも肩も首も細くなった。
 嫌に青白い肌に、まだらに浮かぶ色濃い斑点と夜目にも分かる数々の傷痕の花軍。
 特にこめかみから右眼の下を通り鼻にも届こうという大きな顔の傷は、暴力的に視界に入ってくる。
 白いワンピースと下から覗く幾重の赤味がかった包帯の花重。
 そして右足のギプスと杖。

「あまりきれいな体でもないから、見ないほうがいいよ。それより、やっと報告できるんだ」

 都は杖にかけていたポーチから、ビロード張りの箱を取り出し椅子にのせた。

「最後の石、貸して」

 大草は少し戸惑ってから、ジャケットの内ポケットからピルケースを取り出した。
 小さなプラスチックの容器を受け取った都はそっと椅子に座り、ケースを開けクッション代わりの紙を開く。
 カサカサいうかそけき音が妙に響くと、大草は心のどこかで思った。

 都の指が、丸みを帯びた蒼い石を取り出し、ビロードの台座に差し込まれていく。
 大草は知らず、生唾を飲み込んでいた。

「これで、完成。ねぇ見てみて」

 一度拳を握ったら、手の平が汗ばんでいた。
 ゆっくりと箱を覗き込む。

 あったのは碧い蝶。
 羽を直立させ休む揚羽の姿。
 エメラルドの台座にとまった、今にも羽ばたきそうな繊細な飾り物。
 深い蒼色をしていた石が、蝋燭の光を宿したように碧く佇んでいる。
 12個の全ての石を組み合わせると、光の屈折で光って見えた。

「トモちゃんの家の家紋とおそろいなんだ」

 揚羽蝶の家紋。変化の象徴。
 貴族的で雅だと、都は気に入っていたと思い出す。
 他にも何か言っていた気がしたが、大草は思い出せなかった。
 都は、ただただうっとりと蝶だけを見つめていた。
 濡れた瞳に反射した碧の光を、大草は酷く乱暴な想いで見遣った。
 確かに珍しいものだし綺麗だと思う。
 だが、それがどうしたというのだ。

「で、やっと念願の石の塊が完成した気分はどうだよ。満足か。
 確かに珍しいもんだと思うよ。キレイだよ。
 でもそれだけだろ。この石ってのはそんなにありがたいものなのか。
 そろえれば何かいいことあんのかよ。
 ただ単におまえの祖父さんが探していた、それだけだろ。
 その為に三年も時間使って、忠告も聞かないで連絡もよこさないで。
 あげくそんなナリになってまで、やらなきゃならないことだったのか!」

 大草は床に向かって怒鳴っていた。
 握った拳も、足も震えているのが見えた。
 待っていた俺はなんなんだとは、口が裂けても言いたくなかった。

「なんとか言ってみろ!」

 返答によっては今度こそ殴ってやると決め、大草は奥歯を噛んで顔をあげた。

「欠かせないなことではあるね。
 最初はメンタルの問題だったけど、今はフィジカルとして不可欠になった。
 きっかけはお祖父ちゃんだけど、これは私自身で決めて私にとって必要なことなんだよ。
 体のことも確かに嬉しくはないけど、もとからそんなに綺麗な顔だったわけじゃないし。
 トモちゃんだって、見るに耐えないっていってた癖に」

 都はクスクスと笑って見せた。
 花言はもうたくさんだ。
 椅子が倒れ、礼拝堂にはわんわんと音が反射し鳴り響いた。
 花笑う幼馴染の胸倉を掴みあげ拳をふりあげていた。
 都はおびえもしなかった。
 ただ笑って、まっすぐ眼を合わせゆっくり閉じて見せると左頬を差し出した。
 一秒すらなかったその時間は、永遠とも思える一瞬だった。
 やはり、こなければよかった。
 大草はずるずると両腕の力を抜いた。
 小柄な体は支えもなく床に落ちた。

 こなければ、よかった。

 いたたまれず、扉へと踵を返そうとした足にトートバックがあたった。
 鞄から覗く、綴り続けた日記と届かない手紙。
 宛てもなくいたたまれもしない自分自身のような紙の束。
 強く唇を噛み、舌打ちすると、大草はずしりと重みのある鞄を都に押し付けた。

 大草は既に決めていた。

 懐かしい子供のころからの記憶。
 少年と少女は度々このキレイな建物や近くの茂みで遊んでいた。
 幼い思い出の中で、少女はいつかこの場所で少年の花嫁になりたいと言った。
 少年は冗談じゃないと笑い飛ばしながら、少しだけそうなればいいと思っていた。

 時が過ぎ都が旅立ってから、大草は週末には教会に足を運び彼女への神佑を祈っていた。
 特に信心深かいわけではなかった。
 ただ、彼女の無事を願うのは思い出息づくこの場所で、主に祈るのが一番届くと思ったのだ。
 世を見晴るかす、天にまします我らが父。
 その御前でドレスを着た幼馴染の手をひき「誓います」と宣る日をどれだけ心密かに願ったことだろう。

 それも今日で終わりだ。

 今日この場所で、俺はお前に決別する。
 いつまでも待っているとは思うな。
 こんな報われない日々なんてもういらない。
 ずっと近くにいてくれる、優しくて、顔もスタイルもよくて、料理もうまくて、口ごたえしないみせびらかせる女を探そう。

 ただその前に。
 せめて俺がどんな思いだったのか、あいつに知らしめなければ気がすまない。
 子供じみていることはわかっている。
 だからせめて、この書き綴った日記をお前に押し付けようと決めた。

 都は約束を違えない。
 都が二十年で培った、数少ない信用だ。
 現に祖父との約束を果たすため世界を回り、困難といわれた石集めを成した。

『もう会いたくないなら、二度と会いにいかないと誓います』

 俺が是と言えば、おまえは絶対に違えない。

 俺が何度も祈ったこの教会で、都が罪の意識に囚われながら『二度と俺には会いにこない』と誓う様を想像すると笑いがこみ上げた。
 最高じゃないか、と思った。
 とうに枯れた、愚かしい愛しさも一緒に埋葬できると。
 自らが祈りを積もらせたこの場所で、後悔する彼女と決別することで前に進めると信じていた。

 今度はおまえが宛てもなく待てばいい。
 この場所に囚われていればいい。
 その様を俺は嘲笑するのだ。
 おまえの人生は、一生俺とは交わらない。
 この巨大な十字架をお前の墓標にしよう。

 店をとび出した時、そう決めていた。

 それなのに。
 そんな覚悟を余所に、都はあまりにあっさりと触れてきた。
 そして振りあげられた拳を前に、笑って頬を差し出した。
 鼻の奥がツンとした。

 パラパラと紙を繰る音に、大草は顔を上げた。

 都は文章のひとつひとつを目で追っていた。
 ただただ、瞬きももどかしそうに読過していく。
 そして二冊目を読み終わった後恐る恐る手を伸ばし、日記と手紙の入ったトートバックをそぅっと抱いた。
 都は抱き寄せた紙の束にかすかに頬を寄せ、目を閉じて変わりに口を開く。

「お祖父ちゃんが、この石を全部集めると願いがかなうって言ってたの覚えてるかな。
 信じてはいなかったけど、もしも叶うなら、私が何を願おうと思っていたか、わかる?」

 トートバックを僅かに抱き寄せる。

「トモちゃんが私を好きになってくれますように」

 眼を閉じたまま、都は小さく呟いた。

「はあ?」

 目蓋をあげ、どこを見ているか分からない眼でまた、微笑む。

「……って言ったら、信じてくれる?」

 また、からかわれている。

「無理だな」

 大草は褪めた声で否定した。

「うわ、ひっどーい」

 あはは、と都は声を立てて笑った。

「仮にそうだとしてもだ。お前にはもっとやるべきことがあったんじゃないか。
 なんできっかけと目的が入れ替わってるんだよ」

 そんなものに頼るよりも、わざわざ旅にでるよりも、傷だらけになるよりも。
 ただ近くに。
 都は少し不思議そうな顔をして言った。

「どうしても石、探さなきゃいけなかったから」

 また、訳のわからない言葉が返ってくる。

「なんだそれ、わけわかんねぇ」

 都は、ああ、と何かに気づいたように声を漏らした。

「さっき言ったでしょ、フィジカルな問題になったって。
 だって、条件を揃えなくちゃ、この蝶々は私を開放してくれないんだもの」

 大草は打ち所が悪かったかと思い始めていた。

「はあ?」

 都は鞄と床に座り込んだまま、大草を見上げている。

「私は、もう何度も今日、この日を繰り返してきたんだよ。
 20回くらいまでは数えていたけど、そこからはもうわからない。
 この石って、どんな石だって言ったか覚えてる?」

 おいでおいで、と振られる手に引き寄せられるように隣に腰を降ろす。

「お前の祖父さんが探していた石だろ。……願い事を叶えてくれる石、だっけか?」

 なんともうさんくさい御伽噺だ、と大草は付け足した。

「そ。私も信じてなかったんだけどね。景気づけに集めてみたんだ。願掛けみたいなもの。
 ところが、これは何でも願いを叶えてくれる石じゃなくて、『不老不死をくれる石』らしいんだよね。
 確かに、あの時のお祖父ちゃんにとっては願いを叶えてくれる石だったんだろうね」

 この見ない数年で、幼馴染とは感覚がずれてきているのではないか。 

「おま、それ本気でいってんのか」

 都は紙の束から腕を放し、大草に向き直った。

「自分でもびっくりだけど本気です。だって、私は現にここにいる」

 はっきりと合わされた視線の強さに、大草は一瞬怯んでいた。

「……それが本当だとして、なんで俺に」

 ん?と都は小首を傾げて目を眇める。

「あれ、言ってなかったっけ?」

 とぼけてから、笑いがこみ上げた。

「嘘。今回のトモちゃんには初めて話したよ。前に話したのは、二人目くらいのトモちゃんかな?
 この話、トモちゃんにしたらそれだけで契約は失敗なんだ。そういう約束みたい。
 トモちゃんが知っちゃったら、その時点で世界が一気に光って時間は逆戻ってすべて一からやりなおし」

 笑っているように見えて、目だけが笑っていなかった。
 大草は呑まれていた。

「なんだと?!」

 思わず身構えあたりを見回す。

「というのは冗談で。いや、契約が失敗っていうのは本当なんだけど、
 後七分したら時間が戻るかな〜?」

 時計を見ながら都はクスクス笑った。
 またおちょくられている。大草の頬に熱が集まった。

「お前、ふざけるなよ。まじめに話せ!いい加減怒るぞ!」

 もう怒ってるじゃない、と都はまた笑う。

「久々に会ったんだし、これくらい付き合ってよ」

 すっかり毒気も抜かれると、大草にどっと疲れが押し寄せた。

「嫌だね。俺は忙しいんだよ。もう帰って寝る」

 立ち上がろうとした大草のジャケットの裾を、都は指先で捕まえていた。

「もうちょっとだって。なんか喋ってよ、何でもいいから。お願い」

 蝶々捕まえた、と嬉しそうな都に、昆虫採集じゃねぇぞ、と毒づく。

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが……」

 いい加減うんざりしていきたので、日本昔話をしてやった。
 これならこいつも飽きるだろう。
 そう思って横を見ると、都は裾を掴んだまま鞄に寄りかかり目を瞑っていた。

「なんだお前、寝てるなら俺はもう行くぞ」

 これでは自分が恥ずかしい、と大草は腰を上げる。

「寝てないよ。ちゃんと聞いてる。なんでもいい。声出していて」

 都はパチリと目を開け、手近に合った指を掴む。

「なんだよそれ」

 都にとって一番なじんだ、呆れた顔がそこにはある。

「声聞かせてよ」

 見失わないように。

「手、大きくなったね」

 シェイカーのたこ、包丁の切り傷、火傷痕。
 ひとつひとつなぞって数える。

「やめろ、くすぐったい」

 ひらひらと逃げる蝶々を両手でそぅっと捕まえる。

「面白いからもう少し触らせてよ」
 
 このまま世界が壊れればいいのにと、本気で思っていた。

「ねぇ、トモちゃん、私本当にトモちゃんが好きだよ。
 もしもできるなら、私とこれからの時間、ごしてくれる?一緒に年とって欲しいなぁ」

 手のひらを弄りながら、都はふわふわと言葉を口に乗せた。
 独り言のように。

「……もしかして、プロポーズか、それ?」

 幼いころの夢想がフラッシュバックする。

「さあ?よくわからない。ただ、ずっと一緒にいたい。家族みたいに」

 家族って、もう少し雰囲気とか段階とか言い方とかあるだろ、色々。

「あ、ごめん、トモちゃん乙女だもんね。もうちょっとかっこよく言い直したほうがいい?」

 都は真剣に問う。

「本当に怒らせたいのか」

 大草は、一瞬でも真面目に聞いていた自分が馬鹿に思えてきた。

「いいや?で、返事は」

 煙に巻かれた会話に頭が疲れる。

「冗談じゃない」

 腹立たしさに任せてはき捨てる。
 いい加減にして欲しい。
 真面目に返事をしたら、冗談だよ、なんてからかわれるに決まっている。
 僅かの間声が反射して、静まった。
 外の桜がサラサラと揺れる音が聞こえた気がした。

「そっか。だよね」

 都は倒れた椅子と手すりに掴まりゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、行かなきゃ」

 杖に寄りかかり、ニコリと微笑する。

「どこにだよ」

 また訳の分からないことを言い出した、と大草は息を吐いた。

「遠くて懐かしいとこ。ねえ、私が日本から出発する日、私のこと忘れないでねって言ったの覚えてる?」

 床に手をつく。
 忘れようと努力はしたな、と思いながら大草は否定した。

「いや?」

 そっか、と呟くと都はまた浮かされたような目で遠くを見た。

「時間の軸から外れるってことは、周りの人との接触が限られるんだ。
 誰からも忘れられるって言うのは、存在がなくなるって事に近い気がする。
 それは、死とどう違うんだろう」

 会わない間に随分と哲学的になったものだ、と大草は困惑する。

「また謎かけかよ?」

 ふる、と都は一回髪を揺らした。

「ううん。私にも答えわからないから。
 ねぇトモちゃん、私が死んだとしても、私のこと、忘れないでね」

 またおまえは俺を置いてどこかへ行くのか。
 何だその遺言のような言葉は。
 大草はまた暴力的な感情に駆られる。
 それと同時に、焦燥と重い予感に囚われた。
 立ち上がり、都を睨みつける。

「断る!」
 
 目は合っているのに、視線は合わない。
 おまえの目的は果たして、もう何も追いかけなくてもいいんだろう。
 これからまたずっと一緒にいるのだから、そんな約束必要ない。
 焦りの向こうに見える、それは恐怖だった。
 大草とは対照的に、都は穏やかに立っていた。
 繰り返すごとに磨り減っていく。
 笑顔は癖のようなものになっていた。
 言葉は悲しいのに、矛盾している。
 
「最後の最後で、断られちゃったね」

 また、最後の最後でも、断られちゃったね。
 今度も、この言葉を口にしなければならない。

「やっぱり、忘れられちゃうのは……寂しいなぁ」

 忘れないで。
 消えてしまっても。
 今のあなたと、二度と会えなくても。

 目を閉じた都の手の中で、石であるはずの碧い蝶が青白く揺らめき羽ばたいた。
 碧い光の尾を曳いて、礼拝堂をゆったりと伸びやかに飛翔する。

 まばゆく輝く軌跡から溢れる光の本流に、大草は呆然と飲まれていた。
 慌てて手で頭を守る。

 都は蝶の軌跡を見ながら、暖かい手が離れたのを感じていた。
 もう少しだけ触れていたかった。想いが離れないように。
 幾重も光の幕をひき世界の色が褪せていく中、扉が鳴り響いた。

「都!」

 外からの風に乗って、淡紅色の花片が舞いこんでくる。
 水田は切れる息を押さえ、声を張り上げた。
 乱れる飛花を縫うように舞う碧い蝶。
 
「鈴、駄目だった。ごめんね……」

 薄れ行く君。
 幾度となく繰り返した白んでいく視界の中で。
 都の目には異人の目と碧い蝶が。
 鈴音の目には偉人の目と碧い蝶が映っていた。
 都の眦から零れた水滴が床に落ちた。
 震える花唇と眉。

 馬鹿だな、私。

 そして全てが、掻き消えた。


【 第5話/終 】

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