ステイ。 第6話   未完の老成

 一度入った因果律からは逃れられない。
 他生の縁と、貴女は言う。

 碧い蝶の光の尾に包まれて時間が収束する直前、水田は都の名を叫んだ。
 精神だけが引きずり出されるように流されて、気づけば15歳の体になっていた。

 舞い散る桜。
 新品の制服の胸には「新入生」と書かれたリボンが飾られている。
 水田の右手はピルケースを差し出していた。
 そのピルケースの反対側には、やはり真新しい学生服を着た少女が指をそえている。
 落ちたピルケースを水田が差しだし、少女が受け取ろうとした、まさにそんな場面。
 ケース中に何が入っているかを、水田は知っている。
 水田は腕の時計で時間を確認した。

 1997年4月1日15時07分31秒。

「はじめまして、だね。鈴」

「都……」

「ごめん、また戻ってきちゃった。ごめんね。ごめん」

 何度も何度も繰り返したこの日。
 またリセットポタンが押されたことを、水田は理解した。
 少女、15歳の都は顔を歪めて笑った。
 過去にこの表情を何故笑顔だなどと思っていたのだろうと、唇を噛む。
 都が泣けなくなったのは、自分を巻き込んでいる罪悪感のせいだと水田は随分前に気づいていた。

「やり直せばいいだけだ。今度こそ成功させよう。
 勝負は一期一会だが、この勝負は諦めなければ何度もチャンスがある。
 私はあの時自分で都と一緒に行くと決めたし、今もそうだ。だから」

 水田は視線を落として小さい頭に、そっと自分の手を置いた。
 口下手な自分が言葉にできないものが、少しでも多く伝わればいいと。

「そんな笑い方、上手くなるな」

 都は頭に添えられた手を、左手で頬に寄せる。

「ごめん、本当に、ありがとう」

 そして少しだけ目を閉じた。
 碧い蝶の石が入ったピルケースを右手で握りしめる。
 まるで儀式のように、水田も目蓋をおろす。
 鼻腔をくすぐる、花と互いの香り。
 飛花が頬を掠めて、二人は同時に目を開けた。
 水田は瞳に強い意思を灯し、都は口元を綻ばせて花笑う。

「他生の縁だ。さぁ、作戦会議といこうか」

 高校の武道館裏、風にのる桜花の下。
 この日水田鈴は、蔵葉都と32回目の出会いを果たした。

 場所をファミリーレストランに移し、二人は一番奥の席に腰を下ろす。
 真新しい高校の制服姿で歩く帰り道。

「制服姿でビールはまずいよ?」

 ビールを頼もうとした水田を都がとめる。

「ああ、そうか。さっきまで25だったから、すぐには切り替えられないな」

 水田はドリンクバーを2セット頼み、苦笑いしながら都の100%オレンジジュースと烏龍茶を持って戻る。

「本当に困るよねぇ。子供って社会的に不便。体力はあるけど」

 ありがとうと笑ってから都はストローを口に含む。

「今回も、あの石に触れた瞬間まで時間は戻ったな」

 いまさら言うことでもないが、確認のため水田は言葉にする。

「だね。記憶だけなら鈴ってば345歳だよ」

 くすりと笑って都は片目を眇める。

「まったくだ。二人そろってご長寿ギネスものじゃないか」

 くくっと片頬だけを引き上げてくぐもった笑い声をあげる。
 無理やりにでも笑ってみせる。
 水田と都は何度も同じ時間を繰り返している。
 ありえない、最初そう思っていた自分の常識が納得するのに時間はかかったが、
 まさに今、またあの石のせいで記憶はそのままに高校一年生の春まで戻されてしまった。
 決まった日付までに条件をそろえないとスタート地点までもどってやり直し。
 終わらない夏休みに迷い込んだようだ。
 思春期モラトリアムを彷彿させるフレーズである。
 15歳から25歳までの10年間を何度も繰り返すのだから、「夏休み」なんてかわいいものではないが。
 ゲーム主催者は随分悪趣味だと見える、という水田の言葉に都も同調する。

「本当、この石性格悪いよね〜。きっと女の子にもてなくて友達もいなかったと思う」

 都はまた笑い声を上げる。

「なんだ、その石は男なのか?」

 なんとなくひっかかった疑問を、水田は何気なく口にした。

「そうなんじゃない? 『僕』っていっていたから」

 至近距離からよく見なければわからないだけ、水田の頬は引きつった。

「石が話した……?」

 うん、と軽くうなづいてから都は口に含んでいたストローを放す。

「初めて時間が戻ったとき、この石が言ってたじゃない。
 『君は不老不死を望まないの?ふーん。じゃあ、賭けをしようか。
  内容はそうだね、僕を納得させられるか。これじゃあんまりにも曖昧だね。
  そうだなぁ、たとえば。君はさっきの男が好きなんだっけ。
  また最初から僕を集めて、同じ日にまたあの男の目の前でくみ上げて僕を覚醒させて。
  そのとき、あの男が君を受け入れたら、感動して君をもとの時間軸にもどしてあげるかも知れないよ。
  はは、暇つぶしのゲームができてよかった』って。
 あんまり腹が立ったから全部覚えちゃった」

 小首をかしげる都に、水田はしばし考えてから腕を組んだ。

「いや、そんな記憶はない。
 私が飛び込んだとき、そこにいたのは都一人だけだった」

 都はあれ、と左に逸らした視線を元に戻す。

「あ、そうか、そこまで言った時、鈴が飛び込んできて慌てて消えちゃったんだっけ。
 ごめん、言ってなかったっけ?」

 思いのほか大切なことを聞かされていなかった事実と、確認しなかった自分の浅慮に水田の声が沈む。

「初耳だな」

 水田の機嫌はどんどん悪くなっていくのを感じ、都は早々に白旗を揚げる。

「あ、鈴怒ってる? ごめん、ね?」

 目の前で手を合わせる都を見ながら、水田は息を吐いた。

「ついでにもうひとつ聞きたいんだが。
 さっきリセットされる前、時間が迫っても何も動きがないから慌てて飛び込んだが。
 何故合図を送らなかったんだ?」

 あー…と小さく声をもらしてから、都は目を逸らした。

「もしあの場に鈴がいなかったら、鈴の時間はそのまま流れていかないかな〜と思って」

 水田は黙って目を眇めた。
 怒りを感じ取り、都はしばし黙ったままうつむいていた。笑顔のまま。
 都は考える。
 謝るわけにはいかず、しかし嬉しくもあった。
 水田がそう反応することを知っていて行動した。確認したかった。
 水田をこのゲームから降ろしたかったのは、半分本当で半分嘘だ。
 友人を開放したい思いと、気が狂いそうな孤独に道づれを求める欲。
 自分の汚いものに目を瞑り悪趣味なゲームからの脱出という、共通の願いにだけ縋る。
 そんな狡猾さばかり身につけてしまった。
 知っている。私は偽善的で卑しく傲慢だ。
 それでも温かい手を離すことができない。
 水田がないまぜの表情を払うようにストローを啜ったのを横目で見ながら、
 窓ガラスに映る自分を眺めた。
 醜悪な心をみじんも感じさせない微笑んだ一枚皮と筋肉。

「サイ、テー……」

 誰にも聞こえない小さな声で、都は啼いた。


 情報を確認しあい、水田と都はそれぞれ家路に着いた。
 懐かしい家で、少し若い家族と食事をともにし部屋に戻る。
 とりあえず明日の準備をしようと学校鞄を開けて、水田は違和感を覚えた。
 明らかに自分のものではない、古ぼけた一冊の本。
 おかしい、「今日」はこれ以上何もないはずだ。
 妙に存在感のあるその本を机の上に置き、一ページ目を開いた。
 最初、そこには何も記されてはいなかった。

「……なんだ、これは」

 次のページへ紙を繰ろうとした手を止めて凝視する。
 ページ中央に次第にじわじわと黒い染みが浮き出ると、それは文字になった。
 黄色がかった古い羊皮紙に音もなく黒いインクの染みが綴られる。

「彼女は試したかっただけだよ。君を。偽善的で卑しく、傲慢だ」

 まるで嘲笑うように。


【 第6話/終 】

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