| はじめに
2001年9月の青森県黒石市に続いて、静岡県で2回目の火の見櫓サミットが行われました。黒石の際には参加することができなかったので、今回は、何がなんでもとの思いがかないました。その模様を、私自身の興奮を交えて、お伝えします。
1日目(2003年2月8日)
1.中川根町の会場へ向う
午前5時のアラームで目が覚めた。これから、車で、静岡県を目指さなければならない。目的地は、火の見櫓サミットが行われる、大井川沿いの中川根町である。
前日は、京都で終日現場調査し、帰社してからも、仕事が建て込み、帰宅が遅くなった。眠たさとだるさの中、手早く洗顔すると、一目散に仕事場へ向かう。静岡へ向かう前に、未整理の京都の調査内容をまとめる。
大阪府大東市を出発できたのは、2003年2月8日、朝6:30であった。
実は、現地へ向かう交通手段を何にするか最後まで迷った。
大井川沿いと聞いて、ピンとくる人も多いだろうが、あそこには、日本で初めて蒸気機関車の運転を復活させた大井川鐵道がある。
既に、同鐵道で、蒸気機関車が引っ張る列車に乗った事があったのだが、やはり、惹かれる。そして、蒸気機関車以外にも、関西で活躍していた花形列車が、当時のカラーのまま現役で活躍している。
特に、南海電鉄高野線で、特急や急行として活躍していた車両の存在は、非常にそそられる。
しかし、めったにない静岡行でもある。他にも気になるものも多彩である。島田の蓬莱橋、牧の原の茶畑の様子、浜松の中田島砂丘の姿、浜名湖の景など。鉄道を使うと、そのうち、どれか一つしか見られないだろう。
結局、欲張り、車で向かうことを決めたのは、前々日の夜であった。
土曜の朝の高速道路は快適で、ゲリラ的睡魔で愛知の守山PAで15分気絶した他は、滞ることもなく島田へ到着。
時刻は、11:00であった。サミット開会まであと2時間。
| まずは、大井川に架かる木橋の蓬莱橋を訪問するが、あいにくの改修工事中で、通行止めであった。
橋の端部には立て看板もあり、眺めていても気がのらない。
広い河川敷に水辺は遠く、現在の大井川に「越すに越されぬ」風景を見るのは難しい。
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蓬莱橋

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クヨクヨしている間はない。金谷町方面へ向かい、東海道の復刻石畳を見て、牧の原台地の茶畑へ。台地はほとんど茶畑で、眼の前に広がる刈り込みは、非常に整形的だが妙に艶かしい。
石畳 |
茶畑 |
壮観な気分で、台地を駆け下りる。金谷駅には、遠方からのサミット参加者を乗せているであろう、蒸気機関車が出発の準備を待っていたが、じっくり見る間もなく、大井川沿いを上る。
国道473号線は、結構狭く、クネクネしており、中々前に進まない。峠を下った頃、蒸気機関車のシャッターチャンスを待つ人が見うけられると、家山の集落に到着。
そこから、対岸の県道に入り、ややスピードUP。いくつも火の見櫓が現れるが、時間がないので素通りする。
12:35に、蒸気機関車でやってくる参加者を待つ、下泉駅に到着。サミットのスタッフに場所を伺い、会場の中川根町山村開発センター付近に到着すると、グラウンドを開放した臨時駐車場に誘導される。火の見櫓が主役の集まりなので、閑散としたものを想像したが、続々と車がやってくるではないか。
「これ、みんな、サミットに来てんの?」とビックリしたのは、12:45頃であった。因みに、後日伺ったところによると、500名ほどの参加者があったそうである。
2.会場にて
荷物を手に、会場の受付へ向う。建物の中は大勢の参加者で凄い熱気であった。
受付の様子 |
多数の参加者 |
県外からの客と言うことで、参加者名簿にパネラーの方などとともに名前が掲載されていたうえに、会場中央部に席まで確保されており、手厚いもてなしに感謝する。
受付中に、見櫓記で登場の土屋先生に声をかけられる。久しぶりの再会だが、先生は、実行委員なので、忙しそうである。後での会話を楽しみに、この場は挨拶だけとする。
会場後方には、今日のために行われたのであろう、子供たちによる火の見櫓絵画展の入賞者の絵や、火の見櫓からまちづくりを考える会の方が調査された、シートなどが一面に壁を覆い、来客者の目を楽しませていた。また、どういう訳か、木彫りの家紋などが飾ってあった。
絵画展
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壁一面のシート

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| 指定された席に着くと、私の前には、前回サミット開催地の青森県黒石市の方々が揃いの法被で陣取ってられた。
川根高校の「赤石太鼓」による歓迎セレモニー。音の迫力を堪能した後、開会。主催者挨拶や祝辞が続き、絵画展の表彰が行われた。子供たち一人一人が表彰される姿は、微笑ましかった。
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揃いの法被

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予定より約20分遅れで、
網代守男氏によるスライドでの火の見櫓の風景紹介
「火の見櫓紀行」がはじまる。
火の見櫓の写真集を出版されたのは、おそらく、後にも先にも氏だけで、目にした櫓はなんと!5,000を越えるとのこと。私の見た櫓など、氏の見た数の消費税分くらいである。
各地の櫓の風景にエピソードや歴史性を交えて、約20分の講演であった。
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網代守男氏の講演
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幕間に、一つ隣の席の方から声を掛けられる。以前、このHPを見て、メールを頂戴し、以降、相互リンクしている「環境デザインマニアック」の作者、岸本氏であった。
あいさつを交わしているとすぐに次のプログラムが開始され、
基調講演「ニッポンのふるさと」を行う、ダニエル・カール氏の登場。
| 氏は、父をはじめ肉親に消防関係者を多く持つとのこと。
タレントとしての話術を駆使しながら、外国人が見た日本の国民性を、解かりやすく解説。
日本に来て初めて火の見櫓を見た時には、仏教関係の建造物だと思ったそうだ。
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カール氏の熱演

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そして、
日本人の謙遜の心は、素晴らしいが、それを、自分や身内や、物でも土産物までに留めておき、「場所」の謙遜まではしないで構わない。その土地々々に良いところが一杯あるのだから、もっと、場所自慢をしよう。
と、会場の人々にエールを送った。
会場も笑いと同感に満ち溢れていたが、私も、これほど、テーマにピッタリの基調講演も珍しいなと感心した。
続いて、
シンポジウム「火の見櫓は何を語るか」
に移る。 |
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パネラー(敬称略、プログラムの紹介順)は、
ダニエル・カール(タレント)
後藤春彦(早稲田大学教授、専門は地域計画、景観論)
鳥越けい子(聖心女子大学教授、専門は音楽学、サウンドスケープ・デザイン)
薗田達夫(中川根町まとい会会長、37年間消防団活動、元消防団長)
寺崎喜三(元群馬県富岡市助役、現在、「自遊工房」主宰としてまちづくり塾の運営)
の方々で、土屋先生がコーディネーターをつとめる。
最初に、カール氏が、NHKの生放送出演のため、約30分で退席するとの断りが入る。
私のMEMOから、各パネラーの主な発言を列記すると、
◇カール氏
火の見櫓の存在価値を高めるものとして、半鐘を鳴らす機会の増加、デザインの工夫、ニックネームをつけるなどの提案
◇後藤氏
生活景の重要性=記念碑的なものより、見なれた風景が大切
火の見櫓の周りにある思い出や物語に着目せよ
◇鳥越氏
音の難しさは、形が無いので、名残をどう知るか
火の見櫓の半鐘の音を聴く機会は重要ではないか
音が会するコミュニティ成立の可能性=川越の「時の鐘」の例
◇寺崎氏
火の見櫓を舞台に人々の物語が存在するが、それを、紡ぐものがあれば、火の見櫓を守ることができる
◇薗田氏
日本全国、消防活動しているところには、今でも火の見櫓があると思っていた
戦時中、良い音のする半鐘は、資材提供を免れるため、井戸の中に隠した
などであった。各パネラーの発言に見え隠れする、
何気なく存在する火の見櫓を例にとるようにして、日常の風景や営みの豊かさや温かさを再認識していこう、
という想いは、見聞の市民の方々にも十分伝わったのではないだろうか。
最後は、土屋先生がまとめられて、17:10にシンポジウムは終了。
火の見櫓を通して、これだけ多様な方が、意見や発言を行ったという事実はかけがえのないものであった。
3.交流会にて
希望者のみ参加の交流会(会費制)は、山村開発センターから200mほど歩いた場所で立食形式で行われた。
受付で、火の見櫓の写真付き名札をいただき胸につけ、宴会場の中へ入る。
早速、先程の岸本氏と会話を交わす。氏は、建築士で、自分の事務所を運営しながら、大学の助教授もやっておられる。
そして、いろんなデザインについてデータを集め、HP上に掲載されているのだが、中でも眼を引くのが、古レールを加工再利用した駅ホームの上屋のコレクションである。
私が子供の頃鉄道ファンであったこと(今でも鉄道は好きだが、現役のファンの方は、物凄いレベルであることが多いので、昔はファンであったと言うことにしている)を述べると、実は、同じくとのこと。大井川鐵道の話で盛り上がる。
また、レール上屋調査の際は、列車の先頭に陣取り、駅進入時に眼を凝らし、意中のものであれば、ホームに降り立ち調査、そうでなければ素通りするらしい。なかなかマニアではある。
パネラーでもあった鳥越先生とは、私を含め、半鐘の音を聞いたことが無い人や、消防信号のテンポなどが想像つかない人が多いに違いないので、どこかで録音し、HP上で、聞くことができないだろうか?などの意見を交換し、土屋先生に提案したりした。
| そして、物凄い人に出会った。それは、熊本からいらっしゃったT氏である。
独自で県内の火の見櫓を調査し、その数約400を超えるとのこと。
後で、調査記録をまとめたもの(まだ、途中段階とのこと)や、調査時のメモ帳などを見せていただいたのだが、火の見櫓の姿図や、使用部材などを記した、綿密な記録であった。
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T氏のメモ帳

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しかも、車を運転しないので、調査にはバスで出掛けられるそうだ。一度、バスで終点まで行き、その往復中に火の見櫓の存在を確認し、地図上にプロット。改めて、バスの時刻や、櫓の位置を明らかにした後、調査に向かう。一日で調べられるのは、せいぜい、一基かニ基とのことである。
静岡の火の見会の記録もすごいが、T氏のも密度が濃い。私は、氏の記録に、いろんな人の眼に触れる機会が訪れることを望まずにはいられなかった。
いろんな方々と挨拶、会話を交わしながら、19:30に交流会はお開きとなった。これから大井川鐵道の最終列車で帰東される岸本氏とは、交流会場玄関でお別れし、私は、宿泊場所の中川根ウッドハウスおろくぼへ向かうため、他の宿泊者とともにマイクロバスに乗り込む。因みにおろくぼとは、中川根町内の地名のことで、尾呂久保と書く。
4.宿泊
バスは、振り出した雨の中、舗装はされているもののクネクネした山道を約20分走り、ウッドハウスへ到着。
チェックインすると、食事の用意ができているので、食堂へとのこと。交流会でいくらか腹は満ちているが、2次会へとなだれ込む。この頃から、外は大雨になってきた。明日の火の見櫓ツアーが心配だが、考えても仕方なかろう。
食事は、バラエティに富んだメニューで、少しずつ、温かいものは温かいうちにだしてくれるので、おいしく、ほとんど食べてしまった。
木の香漂うお風呂で汗を流し、後藤先生の部屋で3次会。そこで、火の見櫓からまちづくりを考える会代表の塩見氏から、次のサミットを近畿でやるように持ち掛けられた。現状では、間違っても「まかしといてください」とも言えず、困ってしまったが、黒石市、榛北地区ときたこの流れを、止めたくないのは、私も同じであった。
時計が0:00を指した頃、解散し、私は土屋氏と同じ部屋で就寝。最近、バタバタしていたので、久しぶりにゆっくり寝た。
2日目(2003年2月9日)へ続く
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