1.火の見櫓好き出会う
「『はじめまして』って言うのも何か変な感じですね。」
2002年4月20日土曜日の朝、私の事務所の最寄駅である、大阪府大東市JR住道駅ロータリーで落ち合った2人は、少々照れくさい挨拶を交わした。今までEメールでの受返信を繰り返した静岡の土屋さんと、顔を合わせるのは今日が始めてである。メル友やオフ会など、WEBの世界から生まれた出会いの場に、身を置いた経験が無い私にとって、これは少し緊張する対面であった。
「いろんな話しは車の中で」と言うことで、早速私の車に乗り込みスタートする。そう、今日は、私にとって初めてのそして、待ちに待った「見櫓」の一日なのだ。
「火の見櫓を見るためだけに旅するっての初めてなんですよ。もう、何日も前から無茶苦茶ワクワクしてました。」
「そうですね、普通は何かの目的の移動中に火の見櫓を見かけてチェックするっていう感じですもんね。」
「しかも、今日は、やみくもに走り回ってみようって言うんだから、凄いですよね。」
「そう、それに、初めて会った大の大人二人で。」
と、言うような会話を交わしながら、車を走らせる。
大学の先生でもある土屋さんは、静岡の火の見会の発起人の一人であり、今回は火の見櫓の取材のため近畿地方を訪れたのだ。そこに私がくっついて火の見櫓に会いに行こうという次第。何処に行くかは私に任されたので、いくつか出会ったことがある、京阪奈の県境辺りを推薦し、今、まさにそこへ向かわんとする。
「昨日は、神戸市西区へ取材に行ってきました。消防署の方に紹介してもらい多くの火の見櫓を見てきました。」
「神戸市って言っても、あっちの方って田舎でしょう。」
「そうですね。少し驚きました。でもね、西区には97の消防区域があって、その一つ一つが火の見櫓を持ってるんですよ。」
「えっー!それは凄いですね。西区の火の見櫓って結構新しいのとかあって、まだまだ、必要性が高いとこだとは思っていたんですよ。」
「だから、管理も消防署がやってるんですよ。」
「それって、珍しいんじゃないですか。」
「そうですね。地域の人が管理してる方が多いんじゃないかな。」
早くも火の見櫓の話で盛り上がる。
「明日は、姫路から、兵庫の一宮町の方へ行きます。」
「あれっ、じゃぁ、今日は取材ではないんですね。」
「そうです。しかも、昨日一杯火の見櫓を見ましたし。」
「うわぁー、それはよかった。こっちの方に行ったら、多分ある(火の見櫓が)ってお誘いしたものの、全然無かったらどうしようかって思ってましてん。それやったら気ぃ楽やわ。」
実は、私、この時まで、「せっかく遠くから来てはんのに2つ3つしかなかったらどうしよう」と少し心配してたのだ。この言葉を聞いて、見櫓を楽しむモードに切り替えることができたのだった。
2.京都府精華町
国道163号で清滝トンネルを抜け、生駒市の高山町内へ入る。
「この辺は、日本有数の茶筅の生産地なんですよ。」
「ほんとだ、茶筅の里っていう看板がありますね。茶筅って確か消耗品なので、いつまでも需要があるんじゃないですか。」
車に乗って初めて火の見櫓以外の話題がでたが、さすがに大学の先生は視点が違う。私は大学生の時、少々、茶道を嗜んだのだが、茶筅→消耗品→継続する需要、という思考の流れが存在したことはなかった。
「火の見櫓は見当たらないですね。」
「このすぐ近くが京阪奈学研都市なんですよ。」
「同志社大学が移転して有名になったとこですよね。」
「でも、すぐそばに、昔からの集落が残っていて良い雰囲気なんですよ。そっちの方へ向かって見ますね。」
余り広くない、ややきつめの上り下りの道を経て、学研都市のすぐ近くの東畑の集落へ。
「あったっー。」
「いきなり出てきましたね。」
「あってよかったぁー。」
私、まだ心配していたみたい。
「細いですね。」
「この登るとこ怖くないですか?」
「棒がくっついてるだけですもんね。」
「手入れは余りされてませんね。」
など、と評価する。火の見櫓の脚元を見ていた土屋さんが、
「ボルトだからそんなには古くないな。」
と、つぶやく。
「どういうことですか?」
「ああ、留め方の技術で古さが推定できるんですよ。」
「?」
「一番古いのが、リベット留め、次がボルト留め、一番新しいのが溶接です。」
今まで、そんなところを注意して見た事なんて無かったので、ビックリした。人と見に行くとためになるなぁ。
「それっ、何してるんですか?」
何かをメモしている土屋さんに向け私、
「チェックシートなんです。」
「見せてください。」
そこには、火の見櫓の形状、高さ、周囲の状況などが書き込める上、写真を貼る場所も確保されたひな型があった。
「やっぱり、こういう風にチェックしはるんですね。」
「そうなんです。いろんな人が調べてるんで、フォーマットを作ってあるんです。」
「じゃあ、1,000いくつかあるって言う、静岡の火の見櫓について、これが全部あるんですか?
「今まで調べたところについては、全部ありますよ。静岡のを全て調べ終わったら、これを全部並べてみようっていうのが、今のところ会の楽しみになってるんです。」
その風景は、壮観であろうと思いつつ、
「出版する予定とかあるんですか。」
「静岡だけではどうかなぁ。今やってる日本全国なら可能性あるけど。」
欲しがる人も余りいないか。俺は欲しいけど。
すると、土屋さんが、
「ちょっと、そこの写真とってきていいですか。」と、言って、東畑の民家の写真を取り出した。
「民家の妻側に、透かしで入れてある“水”の文字が大きいですね。」
「近畿では多いんとちゃうかなぁ。滋賀の山の方とかでも良く見ますよ。」
「私の専門は、建築の歴史なので、火の見櫓を見に行くと、そこには結構古い街並みや民家が残っていて、それを見るのも楽しみなんです。」
「それは、一石二鳥ですね。」
「そう、火の見櫓を見に行かなければ、一生行かなかっただろうなって所に沢山行くことが出来ました。」
土屋さんと会ってから一時間しかたっていないが、感心することばかりだ。
切りが良いところで、車を発信させる。すぐに学研都市が見えてきた。今まで見ていた風景が嘘のような切り開かれた世界。
「あそこも、もうすぐなくなっちゃうかな。」
と言う土屋さんの言葉は、火の見櫓の存在にも東畑の集落の風景にも当てはまる。あまりに近代的な都市と古い集落がわずかな尾根を隔てて隣合う。移動しているとその変化の激しさに、面白みさえ感じていたが、やはり、そこにはヒューマンスケールを凌駕した歴然とした違和感が存在することを再認識した。
「向こうの屋根の感じ。有りそうじゃないですか。」
「行って見ましょう。」
見通しの良いところから集落の屋根を見て、当りをつける。初めて会ったもの同士だが、火の見櫓を通すと呼吸があう。
精華町新しい役場の横を通り、少し古そうな集落を目指す。
「あっ、人がいる。火の見櫓があるか聞いてみましょう。」
と、言うや土屋さんが車を飛出し、畑作業中の夫婦に火の見櫓の存在を訪ねる。私は、今だかつて火の見櫓の存在を人に問うたことはない。
「向こうに行けばあるかもしれないって。」
やはり、素人相手にいきなりこの質問はきつかったか。この状況下の回答としては100点であろう。とにかく、この言葉に従い、集落を目指す。車一台がギリギリ通れる道をソロソロ行くと、
「でたぁー。」
「今日、2個目。」
「あつ、でも、半鐘がないわ。」
土屋さんの火の見会では、火の見櫓の定義を決めていて、そこには半鐘の有無の扱いについても記されている。私の中でも半鐘の存在は大変大きく、無しの場合の評価は相当低い(なんの評価なんだぁー!!)
それでも、写真をパシャパシャ撮る。土屋さんは、集落の中へも消えて行き、民家の様子も納めたようだ。
「大和造りの家が沢山ありました。」
との報告を受ける。
3.京都府山城町
「さて、次はどっちの方へ行きましょうか。」
「よかったら、私が地図を見ましょう。」
と、言うことで、私が運転、土屋さんがナビという関係が出来あがった。そして、精華町から宇治川を渡り、山城町へ向かうことにし、その前に、地図で集落らしきところに寄るも火の見櫓は無し。国道25号を横切り、国道と並行に走る旧道を南へ。小さな川を渡る橋の上で、一つ見つける。
「えらい、ロケーションのええとこに立ってるなぁ。」
「火の用心の看板が大きくないですか。」
「これ、上を切ったんですよ。そして、物見のところを付替えた。」
「切って寸止めにしたってこと?」
「そうじゃないですか。だって、バランスがちょっとおかしいもの。」
「丈は短くしたけど、”火の用心”はそのまま使ったのか。」
「物見台の下にサイレンが目立たないようについてました。なかなかいいですね。」
私はそんなとこ全然気にしてなかった。
「それにしても見通しのええとこに立ってるなぁ。」
と繰り返す。チェックが終り、対岸からもう一度シャッターを切る。
先ほどの橋に戻り、旧道を南へ行くとすぐに、
「ありました」の声。
「これって、四本脚になるんですかねぇ?」
「ああ、階段が脚と一体的になったやつですね。」
「昨日、友達に聞かれて答えに窮しましてん。」
てな、会話を交わしたものの、答えはなんだったか思い出せないので、これからは、台形4脚としておこう。
「あの電球の屋根が小さくちょこんとついてるのがいいですね。」
「人間っぽいですよね。」
「この通りはきっと沢山ありますよ。」
通りに面して立っている案内板を見ると、この旧道は、山背(やましろ)古道であった。古道とあれば、古集落もいくつもでてくるはず。
「このまま古道を南へ行きましょう。」
古い集落が少し開け、やや広めの道になったが、さすがに古道沿いは、すぐに見つかる。
「写真を取りにくい火の見櫓だなぁ。」
「半鐘にも、サイレンにも丁寧に屋根がついてますね。」
「ああいう”物”を大切にする姿勢ってのが日本的ですね。」
「でも、あの大きさだと気休めにしかならん気もするけど。」
再び集落間を縫うと、郵便局の裏手に発見。
「これも、半鐘がないなぁ。」
「なにか、手入れもほとんどされず、朽ちていくのを待つって感じですね。」
「でも、さっきの(椿井の火の見櫓)もそうだけど、消防信号の標識はちゃんとついてるんですよ。」
半鐘が無くて櫓もくたびれていても、信号の標識を見ると、つい最近まで使われていたんではないかと思ってしまうから、不思議だ。山背古道が木津川にぶつかったところで堤防上を進み、国道25号へ出る。時計が12時半を指していたので、すぐ近くのファミレスへ入り昼食とする。最初の東畑の火の見櫓に出会ったのが11時だったから、1時間30分で6つの櫓に遭遇したことになる。やみ雲に走ったにしては凄い発見率ではないか。
4.京都府加茂町
「火の見櫓がありそうな匂いってわかりますよね。」
「古くからありそうな集落にはよくありあますからね。」
「無いところには全然無いですよね。」
「そう、あるところにはあるけど、無いところには全然無い。」
「背が高いってのが見つけやすいですよね。」
「これ、集落の中に入っていって、脚元から探さないと行けないと大変ですよ。」
昼食後は、再び国道163号に入り東へ向かう。
「あっちの山側の集落ありそうじゃないですか。」
との、土屋さんの声を受け、車を進める。
「海住山寺ってここにあるのか。行ってもらっても良いですか?」
「有名な寺ですか。時々聞くような名前ですけど。」
「確か国宝があります。」
「ああそうですか。」
「国宝とか興味無いですか。」
「いいえ、そう言う事ではなくて、この辺って国宝とかゴロゴロしてるからなぁ。俺は、大阪なんでまだそうでもないかも知れへんけど、奈良や京都の人なんて、もっとなんとも思うてないかもしれませんよ。」
「静岡で国宝があるって言うと、ちょっとしたもんですけど。」
ハイカーとすれ違いながら、海住山寺への一本道を進んでいると、突如出現。
「ありました。」
「大当たりって感じですね。」
「火の見櫓は普通だけど、この上に登ると眺め良さそうですね。」
「でも、俺はよう登りません。」
「これダメですか。私はこれなら登れますね。」
「俺は火の見櫓に登ったことが無いし、登りたいとも思わへんのやけど、多分、4mぐらいが限度とちがうかな。」
「高所恐怖症ですか?」
「高いだけやったらええんやけど、不安定なのがダメです。手ぇ離したら落ちてしまうとか絶対ダメ。」
念のために言っておきますが、土屋さんも私も無断で火の見櫓に登るような事はしてませんから。とにかく、いつまでたっても高いところは、ダメだけど、この火の見櫓の上からはきっと気持ちの良い風景が広がっていた。
火の見櫓を見て、なおも一本道を海住山寺へ向かうと、ものすごい上り坂が待っていた。どうりで、下の方ですれ違った人々が皆、ハイカーのような格好をしていたはずだ。山を登りきって海住山寺に到着。シャガが満開の寺の中に入り国宝の五重塔を見る。
五重塔の一番下の屋根のなお下についている薄い屋根について土屋さんに質問する。薬師寺の例などを交えて説明を頂いたのだが、もう忘れてしまった。今度からはメモるようにしよう。
海住山寺を出て、急な坂を下る。国道163号を横切り旧道らしき道へ。少し走ると正面に現れる。
「お、赤いのが出てきた!」
「ちょっと、面白い形をしてますね。」
「梯子が脚と一体になったタイプですね。」
「これも、頭を切って縮めたんじゃないですか?」
「これくらいの高さで十分ってことですか。」
「あっ、一つだけボルト留めになってる。リベットが腐ったんで、ボルトで補修したんだ。」
「ほんまや。あれ、それに、これ、三叉路の真中に立ってませんか。」
「最初は折れ点に立ってたんだけど、後からもう一辺にも道を作ったんですね。」
言葉を交わすうちに、私は、この火の見櫓をめぐる、地域の人々の寄合いの風景を空想していた。
「あの火の見櫓、古くなってきたんで、そろそろ取り壊してもええのと違うか。」
「そやな、道の横やし、邪魔にもなっとるからなぁ。」
「そや、壊して、道を広げた方がええのと違うか。」
「何を言うとんや。まだまだ櫓は必要や。火事が起きたらどうすんねん。」
「でも、世話すんのも大変やで。」
「そしたら、少し、低くしたらええのと違うか。登るのも楽になるで。」
「そやな、低くても構わんな。もう、あの上から、火を見ることもないやろ。連絡は、電話とかでもできるし。」
「でも、道はどうすんねん。」
「そしたら、反対側にも道をちょっと作ったらええやんか。なあ、○○さん、少し土地貸してえなぁ。」
「何度も手を入れて、それで今まで立ってるんですね。」
と言う、土屋さんの言葉で我に返る。本当にそうだ、この一本の火の見櫓にはいろんな人の思いが、言葉になり形になり息づいている。
5.京都府和束町
「私の知り合いが、和束町にも火の見櫓があるって言っていたので、行ってみましょう。」
と、今度は私が誘い、和束町へ向かう。集落を見つけ、府道を曲がるとすぐに発見。
「いきなりでました。」
「ものすごい赤色ですね。」
「これ、最近ペンキ塗ったんじゃないですか。半鐘にペンキが垂れてついてる。」
「物見が八角形ですね。」
「このどぎつい赤と茶畑の緑のコントラストって、結構いいですよ。」
町に入って早速の出会いに気を良くし、次を探す。小さな集落を抜けると、道がどうしようもなく細くなり、茶畑の激しい起伏中に迷い込む。
「これ、引き返した方が良いんじゃないですか。」
ここで、引き返したら今まできた激しい起伏を再度なぞらねばならない。
「ひょっこり集落へでないかな。」
「うわっ、ダートになってしもうた。」
「茶畑も無くなって林になってしまいましたよ。もう引き帰しましょう。」
「これまでかっ。」
と、思ったとき、前方の木々の間から、民家の屋根が見えた。
「抜けたよぉー。」
「良かったですね。」
でも、ここからも大変だった。集落はある、しかし、道は狭く、すぐ茶畑。走ってきた府道は遥か下方に見えるし、一体どこへ行ってしまうのか。
「ここまで苦労したんやから、火の見櫓でてきてくれんかなぁ。」
へとへとになりながら、幾つ目かの集落へ入ったところで、ついに発見。
「やったぁー。あってくれたよぉー。」
「さっきと同じような形だけど、物見が小判型です。」
「こんなに火の見櫓見つけてうれしかったんは、始めて違うかなぁ。」
「集落との感じが良いですね。」
「あれっ、ここ石寺区って書いてあるで。さっきのも石寺区ってなってたぞ。」
「えっー、そうしたら、さっきの火の見櫓の近くかなぁ。」
「これだけ苦労したのに、さっきの火の見櫓のすぐ裏やったりするんと違うか。」
本当にそうであった。
6.奈良市
和束町では苦労したが、最後に火の見櫓を見れたことで疲れも吹き飛び、国道163号へ戻り、笠置町から奈良の柳生へ向かう。笠置の町はいかにもありそうな雰囲気だが、車中からは見当たらず、柳生へ。柳生へ抜ける道もかなり狭かったが、和束の道に比べれば赤子の手を捻るが如し。
柳生の町では発見できず、そろそろ帰路を頭において国道369号を西へ、奈良市内方面へ向かう。「もう一つくらい出会いたいな」などと言っていると、国道沿いに出現。
「おっと、ありました。」
「結構、目立ちますね」
「あっ、向こうにも見えますよ。」
「この後行ってみましょう。」
「しかし、脚の四隅全部に『のぼらないでください』って書いてあるで。」
「さっき、登りそうな奴いましたよ。」
これは、この火の見櫓の少し手前ですれ違った、原付二人乗りのアンちゃんのことを指していたのだ。
この後、ここから、頭が見えていた櫓に向かう。
「半鐘ないのかぁ。」
「これは、そんなにって感じですね。」
「やっぱり、この寺古いんだ。」
土屋さんは、余りそそられない火の見櫓から、横の寺の建物に気を取られていた。
「どうして解ったんですか。」
「横から見てて、垂木に丸太を使っていたんで、そうではないかと思ったんです。」
やはり、専門家は見ている所が違う。
国道に戻り、なお西へ。すると、私にとっては、以前出会ったことのある火の見櫓が現れる。
「ここにあります。」
奈良市大柳生写真
「写真を撮りにくいな。」
「この建物の方から撮ったらどうですか?」
さすがに、ここまで来ると火の見櫓について喋るネタが無くなってきたようだ。私も、今日の記念に、もう一度この火の見櫓を撮る。
笠置へ向かっている時、円成寺の話題が出たので、通り道でもあるし、向かうことにする。土屋さんは国宝の建物、私は浄土式庭園と興味は異なるが、訪れたことがある庭を違う季節に愛でるのは楽しいものだ。
が、円成寺の手前で櫓を発見。以前通った時は気づかなかったか、半鐘が無いのでスルーしたかは定かではないが、今日は止まる。
「これなんて読むんですか。」
「忍辱山って書いて『にんにくせん』です。」
「普通読めませんよね。」
もう、火の見櫓のことはこれッぽちもでない。
駐車場に車を止め、円成寺へ。「忍辱山円成寺」の碑名を見て土屋さんは納得した表情。
階段を降りると、中央の門の両側にはブルーシートが掛けられ改修中の様子。浄土式庭園の池越しにあの門を見るのが好きなだけに少々がっかりする。入山料を払い中へ。そこには、最小の国宝建造物があり、その前で土屋さんから春日大社とこの建物の千木の違いなどを伺う。この状況、学生にとってはただただうらやましいばかりではないか。
円成寺からは、ひたすら帰路につく。途中、国道から1キロ程先の東大寺大仏殿が目に飛び込む。
「実は、ここから見る大仏殿が好きなんですよ。離れていてもこんなに大きいのかって、感心させられるんです。」
と言う私の言葉に、土屋さんが答える。
「最初にできた時の大仏殿は、もっと横に大きかったんですよ。江戸時代に建替えた時に今の大きさになったんです。そう言われてみれば、縦と横のバランスが少し悪く見えるでしょ。」
土屋さんは、何でも知っているなと感心しつつ、当時の人はもっと大きな大仏殿を見ていたんだと思うと、自分を1,000年以上前の人々のスケール感に、身も心も置換え、大仏殿と大仏に接したくなった。そして、火の見櫓の存在も、昔の人はもっと大きく捉えていたんだろうなと思った。
阪奈道路を越えて大阪に戻り、車を置いて電車で市内へ。JR天満駅で今日2度目の感覚をひたひた屋の中嶋さんとの出会いで味わい、ワインとイタメシで夜の火の見櫓談義へとなだれ込んだ。火の見櫓から、各種デザインや都市景観についてと話は尽きず、店の最後の客となってもまだ話したりない3人であった。
7.再会を願って
私にとって、この一日はかけがえのないものとなった。一日中火の見櫓のことを話し続けられた幸せ。それに、土屋さんが教えてくれるいろんな話題。夜は夜で、中嶋さんを交えての火の見櫓談義。火の見櫓の存在感に惹かれてホームページを立ち上げた時にはこんな日が来るとは考えもしなかった。
土屋さんによれば、今年の火の見櫓サミットは11月末に静岡県で開催されるという。サミットでの再会を約束すると共に、私は、「見櫓記その2」を連ねる日が来ることを心待ちにしている。
今回出会った火の見櫓たち(出演順)
精華町東畑
精華町北稲八間(半鐘なし)
山城町平尾
山城町北河原
山城町椿井
山城町上狛(半鐘なし)
加茂町仏生寺
加茂町井平尾
和束町石寺
和束町石寺
奈良市阪原町中村
奈良市阪原町南出(半鐘なし)
奈良市大柳生
奈良市忍辱山(半鐘なし)
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