弘田三枝子
 人形の家

直線上に配置

20 石川県能美市 八松苑 2009年5月17日

 開 演

 季節が夏を通り越していきなり晩秋から初冬になったような天候にもかかわらず、会場内は満席で熱気に溢れていました。
 音響が少し歪っぽく、細かい部分が聴き取りにくいのですが、雰囲気が盛り上がったなかでは、それもまた良し。全体的には、アルバム「MICO TODAY」+@の爆発型のショーでした。
 
 午後7時40分開演。
 アルバム「TOKYO 27:00」に収録されている、リミックス版「ヴァケーション」が流れ、弘田さんが会場最後部から登場、全てのテーブル(円卓、10〜20卓くらい)を回り、
「ありがとー!」と、聴衆と握手しながら舞台へ向かいます。
 これで一気に、全参加者の気分を高揚させてしまいました。それまでは、ごく普通の懇親会、パーティという雰囲気だったのですが、異次元空間への瞬間移動だっ!

 衣装は、金ラメのドレス、とでもいうのでしょうか?世間一般的には派手なのでしょうけど、不思議なくらい似合っています。違和感も派手感もありません。
 会場が弘田ワールドに染まっている証しでしょう。

 (金色は、金沢の伝統技術”金箔”を意識されたのでしょうか?)


 第一部 ポップス系

 第一部全体の印象は、パワフル、激しいです。第一部の終了を告げる司会者の方は、意識モウロウ状態で震え上がっていました。
 しかしまあ、本物のプロは凄いです。言ってみればカラオケで歌っているだけなのに、聴衆をノックアウトしてしまうのですから。

 曲目のメモは取っていないうえ、一晩経ったら記憶もあいまいになりました。曲目構成は、他のブログなどを参考にしてください。

 「夢みるシャンソン人形」
 最初の曲。このサイトでは、初期に採り上げています。
 筆者が特別に思っている曲を、生でフル・コーラス聴くことができて満足。
 また、開演の握手で酔い痴れている(多少、ビールの影響も)会場を、さらに熱くする力のこもった歌でした。「MICO TODAY」での歌唱は、筆者の好みでは、音の揺らし方、テンポのずらし方が過剰に聴こえるのですが、ここではそのような不満は感じませんでした。

 ”今日の私は、シャンソン人形よ”というメッセージにも聞こえ、もしかしたら、ジャズ・スタンダード系アーティストMICOではなく、60年代のパワフル・ミコちゃんに徹するのかな?と、筆者の心臓は早くも激しく鼓動、ドキドキ。この予感は、もちろん的中。


 「レオの歌」
 出ました。「レオの歌」です。フル・コーラスです。NHK「アニメ・ソング特集」の再現です。
 伴奏は「MICO TODAY」のカラオケではなく、オリジナル録音のカラオケ版のように思えたのですが、これも一晩明けると、自信が無くなりました。正直、今は分かりません。
 そういえば、一箇所、歌詞が異なっていたところがありました。これも、記憶が怪しいのですが、
”嵐をつらぬく””嵐をつきぬく(け?)”になっていたような・・・

 歌い方は、NHKのアニメ特集時と基本的に同じですが、今回の方が、こなれていて、柔軟さがあり好感が持てます。
 
”いどむ夢〜”ですが、やはり伴奏から一歩遅れるゆったり目のテンポ。
 NHKの時と同じですし、「MICO TODAY」でも同じ傾向があります。ですから、一時的な歌い方の違いではなく、弘田さんの解釈が65年のオリジナル録音の時と異なっているものと判断できます。

 曲の構成は、ワーオ⇒
A-1(”輝くたてがみ〜白い獅子レオ”)⇒B-1(”いどむ夢〜ジャングルに”)⇒C-1(道はてしなく〜)⇒A-2(”流れるたてがみ〜白い獅子レオ”)⇒B-2(”ならす鐘〜ジャングルに”)⇒C-2(道はてしなく〜)になっています。
 歌詞を見ると、AとBの性格がはっきりと分かれています。

 A:雄々しさ、力強さ、論理的、具体的
 B:平和的、牧歌的、感覚的、抽象的


 例えば、A-1。
”輝くたてがみ とどろくいなずま 嵐をつらぬく 白い獅子レオ”
 嵐の中を走る白いライオン、レオの勇姿を容易に想像できます。
 しかし、B-1、
”いどむ夢 しあわせを まねく朝 ジャングルに”
 具体的な光景としては、朝のジャングルまでは思い浮かべることができますが、それ以上はさっぱり駄目。なにしろ、
”夢””しあわせ”です。論理や具体的事物に基づく描写ではありません。
 
影の会話:「カーク船長、それは非論理的です。データー不足です」、「これの意味することが分からないかね、ミスター・スポック」

 物語では、レオは父パンジャと死別、母エライザとは生き別れになっています。
 そこで、レオのテーマは、父親的なものとしてAが、母親的なものとしてBが書かれているのかもしれません。レオが最も望むもの、あるいは、レオの宿命が歌詞に埋め込まれているものと解釈できます。
 (現実のライオンの生態とは一致しないかもしれませんが。)

 こうなると、筆者が激賞している「レオの歌」オリジナル録音にも意外な弱点が見えてきます。Bが雄大で伸びやかなのは良いのですが、Aとの性格分けがされていないため、全体としては単調な表現になっています。

 もちろん、これは歌詞を考慮した場合に言えることであり、歌唱そのものは、超ド級であることは言うまでもありません。しかし、AとBとで歌の表情を変化させるのが、本来の姿だと思います。

 このように、歌でも器楽演奏でも、真に優れた演奏は、曲の真実の姿を教えてくれます。


 「レオの歌」のB部での歌と伴奏のズレは、弘田三枝子が正しい!

 もちろん、歌と伴奏がズレるのはいただけません。もし今後、生バンドと演奏する機会があれば、入念なリハーサルをお願いしたいところです。
 




 第二部 歌謡曲系

 このサイトではあまり重要視されていない歌謡曲ですが、存分に楽しめました。実際、かなり味わえる歌でした。テレビやラジオで、歌謡曲を歌う弘田さんを印象深く覚えている方々には、とても素晴らしい贈り物だったと思います。
 
 日本人の旅行スタイルが、駈け足型と言われることがあります。名所旧跡を短時間で1箇所でも多く回り、帰ってからガイド本を見ながら、ここも行った、あそこも行ったと満足し自慢する。
 世界的美術館を10分で駆け抜け、走るバスの窓から名建築を見学して、ご満悦。
 
 第一部でもそうでしたが、第二部でもメドレーで多くの曲が歌われました。
 この曲も聴いた、あの曲も歌っていた・・・と、満足している筆者。やっぱり日本人か。
 本当は、一曲一曲を完全な形で聴きたいので、メドレーはあまり歓迎していないのですが、ついつい、弘田さんの策にはまってしまいます。

 そして、これが出なきゃ暴動勃発か?と恐れられている「人形の家」が、フル・コーラスで満を持しての登場。そりゃ、会場は沸騰しますよ。
 
 第二部終了で、弘田さんは一旦退場。
 広い会場の隅々にまで響き渡る
「アンコール!」の大合唱を受け、再登場。
 弘田さんの誘いに乗って、舞台前は”ダンス大会”と”ケータイ・カメラ撮影大会”の一挙同時開催。盆と正月が一度にやって来たような大騒ぎ。
 狂瀾怒涛のアンコール、「ヴァケーション」だああああ!!!

 それから後は、もう一体何が何だかさっぱり分からんぞ。

 なお、第二部の衣装の色ですが、これは古代において越(こし)の国、現代の北陸地方の特産品だった「ヒスイ」を意識したものでしょうか?
 金箔とヒスイ、心憎いばかりのご当地サービスです。
 


 臨界点突破、帰ってきた若林三重子

 第二部のメドレーで歌われた「ビー・マイ・ベイビー」ですが、
「弘田さん、どうしちゃったの?」と、唖然とするほど、自由闊達、感情こってりの歌い方。
 これを、静かな夜に1人でヘッドフォンで聴いたら、聴いている方が恥ずかしくなるかも、というくらい。でも、あの会場内では、
「うひょおおおおお!!!」としか書きようのない歌いっぷりでした。

 その時の弘田さんのポーズが、まさしくこれ!これなんですよ。筆者の目に、あの”若林三重子”さんの姿が見えました。以前、「魚河岸の旋風娘」で採り上げた、このポーズです。
 この姿勢で、
”もっと、もっと、愛して・・・”と、力の限り、うねるように、おねだりの絶叫です。

 絶好調で、気分が盛り上がり、いざという時にだけ抜く、伝家の宝刀とお見受けしました。



 弘田三枝子は、映像メディアよりもライヴ

 後世のファンの方々に証言します。
 テレビやジャケット写真で見るよりも、ライヴの弘田さんの方がはるかに存在感があります。
 銀座スィングでも今回のショーでも同じです。
 何故か、映像メディアでは弘田さんの良さが伝わりません。「ミューズの晩餐」の「ソリテュード」は抜群の素晴らしさでしたが、あれはむしろ例外。
 生でライヴ・コンサートを見ないと伝わらない、何かがあります。


 弘田三枝子は、同時代の歌手

 60年代ポップスと70年代前半歌謡曲で構成されたショーでしたが、いわゆる懐メロ歌手による懐古趣味的なショーではありませんでした。

 弘田さんは
”今日は同窓会だから、新曲やジャズはやめて・・・”と言われました。
 同窓会に出るために、ミコちゃんが帰ってきました。けれど、遠くを見やって”あの頃は良かったわねぇ”と、しみじみと語りながらお茶をすする、なんていう雰囲気は微塵もありません。

 あの場にいた人で、弘田さんを「昔の歌手」だと感じた人はどれだけいたのでしょう。
 あれだけパワフルな歌唱の連続だと、同窓会といえども、過去を振り返っているヒマなんてありません。今現在、現役バリバリだい!



利用上の注意
 ここからは、個人的なミーハー精神発揮の場です。読む価値はありません?

 弘田三枝子様
  開演の挨拶回りで弘田さんがこちらに来られた時、筆者の本心は”偉大な才能の前にひれ伏したい”でした。いえ、社交辞令ではなく、真意です。
 しかし、いくら何でも、あの場で急に、弘田さんの足元に這いつくばると・・・

 M:「きゃっ、何すんのよ!?」
  思いっきり、右足を蹴り上げる。
  つま先が筆者のみぞおちにヒット。
  筆者、もんどりうって、のけぞった拍子に、テーブルをひっくり返す・・・

 
 弘田さんを前にして、このような光景が瞬時に頭に浮かんだ筆者は、すっと立ち上がり、心の中で「あなたは日本最高の歌手です」と話しかけながら、目一杯の敬意を込めて、一礼して、握手させていただきました。


 さて、このサイトを書き始めてから思い出したことがあります。

@筆者が小学生のころ、父が
「おい、ダンケ・シェーンはどういう意味か知ってるか?、ふふふ」
 またある時は
「へへへ、ダンケ・シェーンは、ありがとう、だ。どうだ、まいったか?」と、2週間ほどかな、いつも同じ事を自慢げに言ってきて、こちらはウンザリしていたことがあった。
Aテレビでジャングル大帝を見ている時、いつもは漫画に無関心な父が突然、
「やっ、この歌は弘田三枝子か?」と叫び、真剣な顔をしてTVを見つめていた。
B今にして思えば、69年頃でしょう。そして、日本全国、あちこちの家庭でも起きていたことだと思います。
両親が、テレビに出ている綺麗なお姉さんを見て、
「ぐえっ、これが弘田三枝子かあっ?」と、何故かパニックになっていた。(笑)
C家族4人、コタツに入って、深夜、蛍光灯を消した暗い部屋でテレビを見ていた。画面では、綺麗なお姉さんが「人形の家」を歌っていた。ほぼ確実に、69年の大晦日のことです。両親は
「むう〜、本当にこれが・・・?変わったなぁ・・・」と絶句。筆者は、歌の世界に引き込まれて桃源郷の思い。

 とまあ、こんな具合で、どうやらわが家では「弘田三枝子」は重要な位置を占めていたようです。
 そんなことがあったものですから、今回の八松苑ディナー・ショーに、70代半ばの未亡人を連れていきました。筆者のDNA供給源であります。このDNA供給源も、弘田さんと握手していました。
 @〜Cの頃だったら、将来、弘田三枝子さんと握手する日が来るなんて、全く馬鹿げた妄想でしかなかったでしょう。世の中、分からないものです。
 

 ちなみに、筆者は2番テーブルで、右隣のDNA供給源は”金沢”の方と何か会話していました。
 ミコブロに2番テーブルの方が書き込んでいらっしゃいますが、筆者とは別人です。念のために、当日の筆者の写真を下に掲げます。


 あっ、いけません。失敗しました。胸部しか写っていません!
 でもまあ、これで2番テーブルの方々には筆者がどの位置にいたかお分かりいただけると思います。






            
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