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カーラ・ブレイ Carla Bley |
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【カーラ・ブレイ】
『Sextet』
このインストルメンタル・アルバムは、「やるせなさ」、「切なさ」を全面に出したマイナー・キーを中心に構成されている。ジャズ系作品をマイナーだけでまとめるのは、制作者として冒険だったかもしれない。この手の雰囲気は聴き手の好き嫌いがはっきり分かれてしまい、売れなくなるリスクが高い。しかし逆に、こういうテイストが好きな人にとってはたまらない。
暗い感じ、さびしい感じのマイナー・キーの曲ばかりで、ハッピーなメジャー・キーがない。これは憂鬱な雰囲気だが、逆に考えれば非常に率直で、リアリティがあふれているともいえる。ふつうに生活していれば、楽しいことより、そうでないことのほうが圧倒的に多い。カーラがとらえたブルーな心情が、じかに感じられる。
画面のない映画音楽と言ってもいいか。歌詞がない分、メロディーやアドリブの奔流に、聴き手は自分なりのドラマを無限に広げられる。一見、どこにでもありそうなフュージョン・バンド・ミュージックのようでありながら、一つ一つの音の深さが違う。
『Sextet』は、私が衝動買いした唯一のアルバムである。
カーラの横顔がずらりとならんだ店頭で、30秒くらい耳をすませていたが、すぐに我慢できなくなり買った。
スタジオ録音でありながら音の抜けがすばらしい。まるで隣のバスルームで演奏しているような生音のつややかさ。エレキギターはクリアだし、ピアノのリバーブのかかり具合も、文句のつけようがない。ギターのシンプルなメロディに、オルガン(カーラ)がじっくりとからんでくる。カーラ・ブレイ。これはただ者ではないと思った。実際、すごい音楽家だと後で知った。
巷に流布しているプロフィールでは、カーラ・ブレイはピアニストということになっているが、作曲家といったほうがいいだろう。このアルバムではピアノではなくオルガンを演奏している。演奏しながら、楽曲全体をきちんと把握して、制御している。メンバーで軽く打ち合わせして曲を煮つめていくヘッド・アレンジでは、ここまで濃密な音楽は仕上がらない。プロのミュージシャンでも、思いつきだけで演奏したのでは、これほど完成度の高い演奏にはならない。カーラが作曲家だからできた傑作なのである。
インストルメンタル・プレーヤーが作曲すると、往々にしてコードやスケールにひきずられてしまい、心に響かないメロディや、人工的なラインになりやすい。口で歌えるメロディと楽器で演奏できるメロディとでは、おのずと限界がちがう。テクニックのあるプレーヤーであればあるほど、メロディがソングではなくアドリブ・ラインに流れやすい。カーラの音楽にはそのような無機的な部分がない。口ずさみながらメロディを書いているのだろう。しかもメロディのひとつひとつの音に意味がある。リズム・アレンジも楽しい。このアルバムはリズムの仕掛けがあちこちにある。ドラムがうまいと言ってしまえばそれまでだが、それぞれの演奏者のノリが体感できるくらい、なまなましいサウンドだ。
バンド・メンバーのあうんの呼吸が心地よい。6人の演奏者がそれぞれすばらしい表現力をもっていることは言うまでもないが、腕のよいミュージシャンのよせ集めとは思えない。スタジオ・ミュージシャンをいきなり呼んで、リードシートを渡し、ヘッドアレンジでリハーサルし、ここまで息のあった音が録れるだろうか。録れないだろう。じっくり聴いてみると、音の数は決して多くない。超絶技巧が披露されるわけでもない。だが、バンドをやったことのある人なら、メンバー同士に深いつきあいがあるのがわかると思う。6人が、お互いのスタイルを飲み込んだうえで自分のパートを演奏するから、ここまで生き生きとしたリズムになる。リズムが彼らの relationship そのものだと言える。だから、他のグループがこのアルバムを完全コピーしたところで、意味がない。同じカーラの譜面を使っても、まったく別のサウンドができあがるだろう。
店頭で衝撃を受けたのは、カーラのオルガン演奏に惚れた、というより、作曲家でありバンドマスターとしての力量に惚れたということになる。いまではだれもが「作曲できる」時代だが、ほんとうに作曲できる音楽家はむしろ減っているのではないかと思うことがある。ここでいう作曲とは編曲までふくめた composition のことだ。コードにメロディをつけるのは、song writing にすぎない(これはこれで大変むずかしい仕事なのだが)。
カーラは、室内楽曲のような本格的な作品を compose して、キース・ジャレットに演奏させたりしてる。あの孤高のピアニスト、キースが演奏するのだから、これだけとってもカーラのずばぬけた作曲能力がうかがい知れる。キース自身、すぐれた作曲家である。凡庸な作品をわざわざ演奏するはずがない。カーラはアカデミックな正規音楽教育を受けているわけではない。教会音楽家の父親から手ほどきを受け、4歳で教会のピアノを弾き始めたカーラは、結婚式や葬式でオルガンを弾いたという。おそらく教会に備え付けのオルガンだろう。それもパイプオルガンではなく、もっとこじんまりとした電気オルガンだったかもしれない。そう考えれば、ジャズ・バンドでオルガンに執着するわけが理解できる。カーラにとって作曲・演奏とは、モダン・ジャズのジャム・セッションではなく、聖歌隊にみられる教会音楽のようにあらかじめパートを書き込んだクラシカルな手法なのである。
(瀬戸信也 2007.11.15)
『Dinner Music』
1曲目『Sing me Softly of the blues』
効果音でカクテル・ラウンジらしき雰囲気を聞かせておいて、冒頭でカーラが、スローなブルース風ピアノを弾いている。これは思いつきのサウンド・エフェクトではなく、ラウンジなどで演奏活動していたカーラ自身の経験を正直に明かしていると見た方がいいだろう。
そして、ピアノ・スタイルも彼女の実人生の出会いを反映している。カーラが弾いている Voicing はまぎれもなくポール・ブレイの奏法だ。アルバム『Open To Love』に『Harlem』というみごとなスロー・ナンバーが収録されているが、そのスタイルにカーラは大きく影響を受けたようだ。この『Dinner Music』を作った当時は、ポールの次の夫、ミハエル・マントラー(トランペッターであり、このアルバムのエンジニア)の奥さんだったが、やはりポールの影響は相当、強かったと見える。
カーラは、子供のころから教会でピアノやオルガンを演奏していた。15歳で学校を辞め、歌手の伴奏をしたり、バーでソロ・ピアノを弾いた。19歳でニューヨークへ来たものの、生活のため<バードランド>でタバコ売りをしなければならなかった。そこで出会ったのが、ピアニスト、ポール・ブレイだった。
ポールは、彼女の才能を見出し、作曲を勧めた。ポールが自分の演奏スタイルを彼女に押しつけたかどうかは定かではないが、カーラがポールを尊敬していたのは疑いがない。カーラが離婚したのち、いまだに芸名としてブレイ姓を名乗るのは、カーラ・ブレイの名前で売れてしまったから、という理由だけではないだろう。決定的な音楽的影響をポールから受けた事実が、この冒頭ではっきり確認できると思う。
インテンポで演奏がはじまると、いかにもアメリカ人が好みそうな、ハッピーな雰囲気が広がる。ニューヨークの一流セッション・マンを起用したのがこのアルバムの売りだから、リチャード・ティのバッキング・ピアノはノリノリ、コーネル・デュプリーのギターもごきげんだ。
2曲目『Dreams So Real』
このイントロはサディスティック・ミカ・バンドの『黒船〜嘉永6年6月4日』そっくりだ。このアルバムより数年前に、サディスティック・ミカ・バンドがロンドン・ライブを挙行し、そのライブ・アルバムが話題になっている。『黒船』という楽曲は、『嘉永6年6月2日』、『嘉永6年6月3日』、『嘉永6年6月4日』という3部構成で、それぞれユニークな曲のつくりになっている。
サディスティック・ミカ・バンドは、ドラム高橋幸宏、ベース後藤次利、キーボード今井裕、ギター高中正義、ボーカル加藤和彦・ミカ夫妻という錚々たるメンバー。クリス・トーマスがプロデュースした、サディスティック・ミカ・バンドのスタジオ・レコーディング・アルバム『黒船』もあるから、カーラはそちらを聴いたのか。コード進行だけでなく、エレクトリック・ギターのバイオリン奏法までそっくり真似ている。
ただし、この曲は『嘉永6年6月4日』をイントロにして出発しているものの、楽曲本体はカーラ独自のやるせないメロディがトロンボーン、サックスで展開されていく。
4曲目『Dining Alone』
ロマンチックな、というより妖しい雰囲気のナンバー。カーラの歌声はこれだけしか聴いたことがないが、古いフランス映画音楽のように味わいがある。教会の聖歌隊で鍛えた歌声というより、ナイト・クラブを渡り歩き、酒と煙草を知りつくした歌声といえるだろうか。
5曲目『Song Sung Long』
クロマチックなクリシェを使ったリズムパターンを、生ピアノ、ホーンセクションで聴かせてくれる。クリシェ Cliche というのは「紋切り型」というフランス語である。もちろん、悪い意味だ。ジャズでクリシェというと、よくあるコード進行に対して、慣用的にもちいられる内声部やアドリブ・ラインのパターンのこと。クロマチックというのは、半音階的に動くという意味。ヘンリー・マンシーニの『シャレード』、大野雄二の『犬神家の一族 愛のテーマ』、『古畑任三郎』といったミステリー系のサンウドトラックでよく用いられる。手垢がつきすぎているため、注意しないと聴き手から手を抜いていると思われかねない。
カーラは、クリシェを叩き台に、自分で音楽を compose できる。compose できるというのは大変な能力。借り物ではない音楽、つまり自分の内奥から湧いてくる音楽を、聴衆が理解できる形にまとめることができるのが composeなのである。
6曲目『Ida Lupino』
冒頭で使用された店内の効果音がふたたび聞こえてくる。カーラのピアノ・ソロがワンコーラスやってみせてから、おなじみリチャード・ティのフェンダー・ローズや、ほかのメンバーがいっせいに演奏をはじめる。
こうして聴いていくとカーラがさまざまなミュージシャンの影響を受け、貪欲に吸収しようとしているのがよくわかる。この曲から想起するのは、やはりキース・ジャレット。特に、サックス奏者のヤン・ガルバレクといっしょに吹き込んだ『Belonging』というアルバムのカラーが色濃くでている。あのころのキースの知名度を考えれば、カーラがキースの北欧的な、ハンガリー的な、牧歌的なメロディに影響を受けてもおかしくはない。
おもしろいのは、キースは二十歳のころ、すでにポール・ブレイの演奏に感化されていたという事実である。カーラがキースと仕事をするようになったのも、ポールの存在が大きいかもしれない。
エリック・ゲイルも、のびのびとソロを展開してくれるし、リチャード・ティーのフェンダー・ローズも、波頭の照り返しのように、きらびやか。この曲ではカーラ自身がテナー・サックスを吹いているが、あるいは、ヤン・ガルバレクを意識したのかもしれない。
7曲目『Funnybird Song』
このアルバムの中では、スタッフ・サウンドに最も近い、ごきげんなナンバー。陽気なアレンジが、アメリカそのものといったところだが、不思議なことにスタッフのR&B臭さ、ティのゴスペル臭さがほとんど感じられない。カーラが書いた、ホルンの4音アップ・ダウンに呼応するように、リチャードが、得意の6thコードのクロマチック・アプローチをくりだすのだが、カーラのしきりが完璧なので、いつものやり方で弾いても、リチャードの匂いが、前面に出てこない。これはすごいことだ。
ピアノで6thトライアドを下降させるクロマチック・アプローチは、リチャードの有名なバッキング手法である。たとえば、左手でベースC音をおさえながら、右手で、C6−B6−B♭6と降りてくると、結果的にC9(C、B♭、D、G)ができあがる。心地よいだけでなく、強力なサウンドなのである。平凡な曲、あるいは空疎な曲なら、リチャードの強烈な個性に、たちまち取って代わられてしまうのに、カーラに限って、そういうことは起こらない。この曲を聴くと、リチャードをわざわざ指名していながら、彼のフレイバーを制御しきっているカーラの個性に驚かざるをえない。8曲目の『A New Hymn』でも、カーラが楽曲を完全にコントロールしているため、リチャードが、いつものオクターブ・リフを、いつものようにデッドスポットへ挿入しても、リチャードのフレイバーが前に出てこない。あくまでもカーラの楽曲の一部として制御されている。ふつうなら考えられない。
このアルバムは、カーラが、当代随一のリズム・セクション、STUFFとコラボレートし、彼らのあくの強さに流されず、まとめあげたごきげんな一枚なのである。
(瀬戸信也 2007.11.15)
「Carla」Steve Swallow
1曲目の'Deep Trouble'から、すでにカーラ・ブレイの世界が全開。タイトル通り、Bメロでハイラム・ブロックのギターが深刻な問題を表現してくれるものの、テーマ部分の、カーラのオルガンのなんというやわらかさ。まるで歌声のように、温かく語りかけてくるサウンドに、だれもが「救い」を感じるはずである。
80年代フュージョンの最大の欠点は、音色、ヴォイシングやリズムなど、うわべの目新しさを追求するあまり、肝心の表現すべき内容をなおざりにしたところにある。カーラの音楽が、いま聴いても心に迫ってくるのは、テクニックにおぼれず、自分の内的必然性にさからわず、音楽を奏でつづけたからだろう。
2曲目の'Crab Alley'はCarla Bleyのアナグラム。
この曲もオルガン特有のロングトーンを意識しなければ書けない。このため、全曲スティーブ・スワロー作による、彼のリーダーアルバムでありながら、実質的には彼女のアルバムといっていいと思う。ジャケット写真からも、彼らの親密さ、というより、一体感が見て取れる。
すれっからしのジャズファンであれば、4曲目'Read My Lips'で展開される、'Giant Steps'を思わせるトリッキーなコード進行に目を見張るかもしれない。また、6曲目'Hold It Against Me'のユーモラスなDischordを、仲たがいしている男女のようすとオーバーラップさせて聴けば、微笑まずにはいられないだろう。
完全なインストものでありながら、リアリティたっぷりの人間ドラマを感じさせてくれる好盤。
(瀬戸信也 2008.3.25)
『Carla』Steve Swallow
このアルバムはスティーブ・スワロー名義だが、実質的にはカーラ・ブレイのリーダー・アルバムと肩をならべるクオリティを誇っている。全曲の作編曲がベースのスワローが担当。けれど、タイトルといい、ジャケット写真で、ふくれ面のカーラの背中に顔をおしつけているスワローの弱腰といい、イニシアチブはカーラにあると見た。
ギターにハイラム・ブロック、ピアノにラリー・ルイス、ドラムがヴィクター・ルイス、パーカッションにドン・アァイアスといったメンバーを揃え、カーラの名作『Sextet』に匹敵する、見事なインタープレイを展開してくれる。
それにしても、彼らのバンド・ミュージックには、繊細な情感があふれている。純粋に知的なプレイ、抽象音楽も演奏できるのだろうが、楽曲全体で人間的な心理の揺れを伝えてくれるのが、すばらしい。1曲目の Deep Trouble から、カーラのアンニュイなオルガンが、ほっとするようなメロディを奏で、トラブルを象徴するサビのギター・パートですら、人間の生活臭さを残している。
このアルバムは、だから音楽の技術的なことをあれこれ詮索するのではなく、一日の疲れを癒す時刻に部屋に流しておいて、さまざまな想念に遊ぶのが、正解だと思う。
(瀬戸信也 2009.4.25)
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