今更かも知れませんが、私の名前は「佐藤英」です。
名字である佐藤の名称は、藤原秀郷の子孫にあたる藤原系の武士が名乗った名前で、秀郷の五代目
の子孫にあたる藤原公清、公脩の兄弟が祖先の秀郷が、下野国佐野庄の領主であった事にちなんで、
「佐野」の「佐」と「藤原」の「藤」とを合体させた「佐藤」を名前にしたことに始まるらしい。
名前の方は「英」の一文字で「すぐる」と読みます。
すぐれた才能の持ち主になって欲しいとの意で父親が付けたそうですが、はっきり言って名前負け…。
さらに生前、父親が自分の息子達に英・雄・豪・傑とそれぞれ付けて、佐藤家の発展を願いたかったと
言っていましたが、長男の私一人しか子供が出来なかったので、「英」で終わってしまいました。
母親の都合もお構いなしで、しかも女の子だったら一体、どうするつもりだったのか?
そうした事にどこか抜けていた親父でありました。
小さい頃は、変わった名前ですから何だか気恥ずかしくって、一郎とか太郎などの「普通」の名前にして
欲しかったと父に恨み言を言ったりもしていました。
今となっては、名字が平凡な佐藤ですから、名前に特徴のある「英・すぐる」には愛着もあるし感謝もして
います。私の周囲では佐藤と呼ぶ人より、すぐると呼ぶ人が圧倒的に多いし、佐藤と呼ばれてもどこか、
ピンと来ないのだから勝手なもの…。

名前は、平安時代末に発生し、徐々に広まっていったもので、それが公式の呼称になったのは、明治時
代にヨーロッパ風の戸籍制度を取り入れた時点です。
江戸幕府成立以前は、名前を名のることは武士だけの特権とはされていませんでした。
そして名前は、それをもつ家の由来をあらわすものとして重んじられていました。
ところが、江戸時代にそのような機能が薄れ、さらに人々が名字と家の由来とのかかわりをほとんど意識
しなくなったのが、明治8年に出た「苗字必称令」でした。戦国時代頃までの人々は、自家の名前のいわれ
を代々語り伝えていました。
従って、同じ地域に住む者であれば、相手の名前を知ればその出身をほぼつかむことができました。
ところが現在では、名前から出身を結びつけて考える人はまずいないと思います。
それは、江戸時代に庶民の屋号が適当に変えられたうえに、「苗字必称令」のときに名家の名前を勝手に
つけた者が多くいたためです。
それ故、現在の名前は家の由来を表すようでもあり、そうでもなさそうな、曖昧なものになってしまいました。
(当家もその口か?)

名前がつけられた経緯だけでなく、種類の多さも日本の特色の一つで、一般的には30万近く!とも言われ
ています。
これは、自家の特殊な名前を大事に伝える家が多かったことを意味しているのですが、膨大な名前がある
にもかかわらず、現在の日本人の大部分は、佐藤、鈴木などのありふれた名前が非常に多いのも事実。
日本の人口の一割余りが、「十大姓」と呼ばれる「佐藤」「鈴木」等の最もありふれた名前を名乗ってます。
夫婦別姓問題など、家族制度について議論が出ているけど、古くさい私の感性では、「伝える良さ…」も
大切にしたいなぁ。
我が家には娘しかいませんので、私の代で「佐藤」が絶える可能性が高いのですが、ご先祖様はもちろん、
父親が付けてくれた「英・すぐる」の名前も併せて、敬意を表し、愛情を持って少しでも名前負けしないよう
に頑張っていきたいと思います。

                                     佐藤すぐる

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