どうも子供達が変だ。大人も変だ。
イジメを巡る問題で、簡単に命を落とす傾向が続いている。
当事者にとっては、死ぬほど追い込まれていることなんだと識者は言うだろう。
親族も死んだ者を悪く言うのか!と怒りを示すかも知れない。
だが、あえて私は”待ってくれ!”と申したい。
イジメは古今東西、存在する。人間の攻撃性や異質な者を認めない排他性ってのは、ある種の本能のようなもの
ではないだろうか。
子供達の世界に限ったことでもない。大人の世界の方が残酷で陰湿だ。
政治の世界ではより苛烈だし、恐らく、世俗から離れたお坊さんの世界にも在るんではないだろうかとさえ思う。
どんなに理性で押さえ込んでいても、この悲しい性は漏れだしてしまう。
私はイジメられる側にも問題があるなんて事は言わない。殺人を犯した側の加害者が絶対的に悪いのに殺された
側の被害者に罪があるケースはごく希だし…。
自分がイジメられた経験もあるし、イジメを行った経験もある。この経験から、イジメほど知性に乏しく、寂しい行為
は無いと思っている。
私は、「だからと言って、イジメられても死ぬな!」って叫びたい。
死にたいほど苦しんでも絶対に死ぬな。死んだら終わりだ。
死ぬことで君たちを愛する周囲の者達をどれだけ苦しめることになるのかって事を良く考えて欲しい。
死んだ後のこと・周りは関係ないなんて言うならば、君たちが今度はイジメる側の論理に立つことになるんだぞ。
さらに”自殺予告”なるものが、文部科学省や教育委員会などに送りつけられていると聞くが、これは、完全に恫
喝だ。
イジメ行為を告発するならば良いが、「これから死にます」なんて虚しい手紙を書くことは今すぐ止めなさい。
日頃、生きることの尊さを説いている学校長らの自殺も散見される。
これって、完全に倒錯した現象じゃないだろうか。
辛いことがあっても悩みを抱えていてもある時は毅然と、ある時はに淡々と生き抜くことを”身を以て”教えないで、
先生が真っ先に死んでいては、子供達の心に染みるはずがないだろう!
もう一度言おう。
辛くても死ぬな。悲しくても死ぬな。

佐藤すぐる