廃鉄レポート
住友別子鉱山鉄道
自転車の楽しみ方の一つに、鉄道廃線跡を訪ねる
「廃鉄」というジャンルがある。
話には聞いていたが、別段鉄道マニアでもないし、
その実態についてはよく知らず、足を踏み入れるつもりはなかった。
■経緯
ところが昨年の秋、たまたま本屋で見つけた「鉄道廃線跡を歩くT・U」(宮脇俊三編著・日本交通公社刊)
という本を手にして気が変わった。
ページをめくると飛び込んでくる数々の遺構の写真。
そこには栄枯盛衰の確かな足跡があり、
そのノンフィクショナルな迫力に圧倒されてしまった。
同書には四国の廃線跡もいくつか紹介されており、
その中で目にとまったのが「住友別子鉱山」である。
レンガ造りの古びた橋脚に架けられた木橋や、切り立った岩の裂け目から現れる
当時の蒸気機関車の写真を見ていると無性に行ってみたくなった。
一世紀も前の鉄道跡、しかも標高1200mの山の中。
自転車で行くような場所でないのは承知の上。
果たしてこれを「廃鉄」と言うのかどうかは知らないが、とにかく行ってみたい。
今はなき鉄路の上を、時代と共に通り過ぎて行った
「確かにそこにあったもの」を感じてみたい。
■別子銅山
別子銅山は、元禄3年(1690)に人跡未踏の銅山峰(海抜1291m)に大露頭が発見され、
翌4年に住友によって採掘が開始されたのが始まりである。
地中深く帯状に貫入した鉱床は、世界にも稀にみる大鉱床で、
終始住友家によって稼業が営まれ、大財閥住友を築き上げる礎となった。
海抜1200mの上部から下部へと、江戸・明治・大正・昭和の4時代にわたって営々と掘り続けられ、
海面下1000mに達した昭和48年(1973)に採鉱を断念し閉山。282年の長い歴史を閉じた。
その間に産出した銅鉱は実に72万トン、四国随一の工業都市新居浜市を生成発展させて今日に至る。
■住友別子鉱山鉄道
山頂部で採取した銅鉱を港まで運搬するための牛車道が、別子〜新居浜間に敷かれていたが、
明治26年(1893)に専用鉄道(上部・下部)が開通する。
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